夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

NHKが推奨する『まるトレ』、初めて高齢者の私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2018-08-31 14:40:24 | ささやかな古稀からの思い

先程、ぼんやりしNHKテキストのネット【View】を見たりしていると、
『 日常生活でもまるトレで動きやすい体を目指そう   』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

こうした中、平素の買物の担当者の私は、家内から依頼された品を買い求めた後は
帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある住宅街、遊歩道、小公園などを
本格的に意識して、歩き廻り、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

 

             
          
しかしながら、過ぎし6月29日に気象庁より梅雨明けと宣言されて以来、
35度前後の熱い日が続き、何かと熱さに苦手な私は戸惑ってきた。

そして何かと気弱な私は熱中症になって、救急車で病院に搬送されて、
気が付いたら病院のベットだった・・こうしたことは困苦するので、
歩くのは低下して、付近を30分ぐらい歩いたり、
ときには本日は散策は中止、と自身に甘えたりする時もあったりしている。

このように歩くことが激少しているので、
今回の《・・まるトレで動きやすい体を目指そう・・》って、どのようなことですか、
と思いながら記事を精読したしまった・・。

この記事の原文は、
NHKが『まる得マガジン おうちで簡単! “まるトレ”で しなやかボディー』を
2018年7月30日に発刊に伴い、この中の一部を紹介された記事で、
関連のネットの【View】に2018年8月31に配信され、無断であるが転載させて頂く。


《・・・日常生活でもまるトレで動きやすい体を目指そう

いつでもどこでも手軽にできるのが、まるトレのいいところ。

仕事中や休憩時間など、ちょっとした空き時間に取り入れて、動きやすい体を目指しましょう! 
全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会認定パーソナルトレーナーの中野ひろゆきさんが指南します。


☆休憩時間に腰ほぐし

いすに座ったまま、両手を頭の後ろで組み、上体を左右にねじる。

 

まるトレなら、お茶を飲みながら腰をほぐせます。イラスト:加納徳博


☆オフィスでお尻伸ばし
 

いすに座ったまま、片方の足首を反対側の太ももにかけ、体を丸めてお尻を伸ばす。

68272702018_p070_01

☆待ち合わせをしながら背中伸ばし

上体を丸め、両手をひざの後ろで組んで背中を伸ばす。

68272702018_p070_02

 

☆歩きながら脇伸ばし

 両手を頭の上で組み、上半身を左右に曲げながら歩く。

68272702018_p070_03・・》

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は記事を読みながら、微笑んだりした・・。

そして記事を読み終わった後、体力の衰えた高齢者の私だって・・できるよなぁ・・、
と微笑んだりした。

平素の散策で歩く時、両手を頭の上で組み、上半身を左右に曲げながら歩く『歩きながら脇伸ばし』、
これは簡単そうだから、明日から実行だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして何より学んだことは、熱い猛暑日、風の強い日、雨が激しく降る日、やがて積雪が10センチ以上ある日、
付近を散策を中止して、今回学んだ『まるトレ』を我が家の部屋の中で、
実行しょう、と微笑んだりした。

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ヨーグルトは最初に食べる! 肥満や老化を防ぐ新習慣、具体的な効用を私は学び、やがて微笑み返し・・。

2018-08-30 12:59:03 | ささやかな古稀からの思い

先程、私は長らく愛読しているネットの【NIKKEI STYLE】を見ている中で、
『 ヨーグルトは最初に食べる! 肥満や老化を防ぐ新習慣   』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。


こうした中、家内よりヨーグルトは身体に何かと良いわょ、と私は教えられて、
過ぎし3年前より愛食しているが、具体的な効用は判らず、どうしてなのょ・・と思いながら、
こっそりと記事を読んでしまった・・。

この記事の原文は、『日経ヘルス』 の2018年3月号に掲載されて記事のひとつで、
ライターの茅島奈緒深さんの寄稿文であり、
関連のネット
の【NIKKEI STYLE】に、再構成されて、2018年3月19日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・ヨーグルトは最初に食べる! 肥満や老化を防ぐ新習慣

              

「腸活」の強い味方というイメージで人気のヨーグルト。

最近の研究では、食事の前に食べることで、肥満や老化対策になることもわかってきた。
「ヨーグルト・ファースト」習慣のメリットを、同志社大学生命医科学部の八木雅之教授に聞いた。

ダイエットのために、健康のために、野菜を食べてから
ご飯やパンなどを食べる「ベジタブル・ファースト」を習慣にしている人もいるのでは?

ベジタブル・ファーストとは、野菜に含まれる食物繊維などの成分や
ドレッシングに含まれる酢や油を最初にとることで、
その後に入ってくる糖の吸収をゆるやかにする食べ方だ。

最近の研究では、肉や魚のたんぱく質から食べ始めても、血糖値の上昇が抑えられるとわかってきたが、
ヨーグルトでも同様の効果が得られることが明らかになってきた。

「ヨーグルト・ファースト」習慣のメリットとは?(写真:福岡拓)

 

同志社大学の八木教授によると、肉や魚同様、ヨーグルトに含まれるたんぱく質にも、
血糖値を下げるホルモンであるインスリンの分泌を促す作用があるという。
「より正確にいうと、インスリンの分泌量を増やすGLP-1という腸管ホルモンの分泌を促す」と八木教授は説明する。

さらに注目すべきは、ヨーグルトに含まれる乳酸だ。

「乳酸には、食べたものが、胃から小腸に移動する時間を、ゆっくりにする働きがある。
その結果、小腸での糖の吸収がゆるやかになり、血糖値の急上昇が抑えられる。
GLP-1にも同様の作用がある」(八木教授)。

つまり、ヨーグルトは、たんぱく質と乳酸のダブルの働きで、血糖値の上昇を抑えるというわけだ。

ヨーグルトを先に食べることでさまざまな効果が期待できる



■乳酸菌に期待するなら、食後に食べるほうがよい

糖は、体内でエネルギーを作るのに必要不可欠な物質だが、
血糖値が急激に上昇するような食べ方はよくない。

「そのような食べ方を続けていると、体脂肪がつきやすくなるだけでなく、
肌や骨、血管などの老化も進みやすい」と八木教授。

血糖値が急上昇すると、体内のたんぱく質が、糖によって変性する「糖化」が生じる。
この糖化が進行すると、シワやたるみ、骨質の低下や動脈硬化にもつながるという。


食べる順番を変えるだけで、簡単な「ヨーグルト・ファースト」。
ただし、ヨーグルトに含まれる乳酸菌などの多くは、酸に弱い。

生きて腸に届くことで、発揮される乳酸菌などの機能に期待するなら、
胃酸が濃い空腹時より、食後に食べたほうが、効果的。
免疫調整作用に関しては、死菌でも効果が期待できそうだ。

データ:八木教授, Glycative Stress Research; 5,1,2018に掲載予定

 20~40代の男女各10人に、
(1)白米150g、(2)サラダ101gの後に白米138g、(3)ヨーグルト200gの後に白米120gをそれぞれ10分以内に食べてもらい、
食後の血糖値を経時的に測定した。

その結果、ヨーグルトを先に食べた群では、血糖値の上昇が抑えられ、下がるのも早かった。

データ:Nutrition Journal;11,83,2012

健康な男女9人を対象に試験。
牛乳に含まれるカゼイン、ホエイの2種類のたんぱく質を、
それぞれ飲んだ後の、腸管ホルモンGLP-1の血中量は、ホエイが明らかに高かった。
(データ:Nutrition Journal;11,83,2012)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

              

我が家は、食事に関しては、朝食と夕食は家内と共に談笑しながら頂いているが、
年金生活の当初より、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由食としている。

こうした理由は、退職するまでの私はサラリーマンで私なりに奮闘し、
家内は長らく専業主婦だったので、たとえ年金生活をしても、家内の日常生活のペースを
できるだけ壊したくなかったからである。

私の平素の朝夕の食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の一汁三菜(いちじゅうさんさい)の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯を半合ばかり盛ったお茶碗、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、シラス干し、福神漬けを必須として、
これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを
加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

                             
                                                    
そして昼食は、私はヨーグルトを箱の2分の1を食べた後は、
ここ数が月は大きめのトマトを食べた後、アンパンかクロワッサンのパンを食べたりしている。

やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、

やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べてきたが、
一年前の頃からは、ニンジンを千切りにして、電子レンジで少し温めて、
ゴマドレッシングに少しお醤油をかけて、食べている。


そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など150グラム程度に、
キュベツなどの野菜を多めに頂いたりし、

ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

こうした中で、5日毎にウィスキーの濃い水割りを飲んだりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような食事内容は、真実一路のようにほゞ変化がないが、
料理ができない私は家内を頼り、せめてながら、料理のできた台所から食卓のある居間まで料理を運ぶ老ボーイ、
食事後は食卓から洗い場のある台所まで、素早く運ぶ老ボーイとなっている。

                       


こうした中、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に介護に行っている時は、
私は我が家で『おひとりさま』の生活となっているが、できる限り日常の食事内容になっている。



今回、記事を読み終わって、ヨーグルトの具体的な効用を初めて知り、多々教示された。

たとえば《・・ヨーグルトに含まれる乳酸
には、食べたものが、胃から小腸に移動する時間を、
ゆっくりにする働きがある。
その結果、小腸での糖の吸収がゆるやかになり、血糖値の急上昇が抑えられる。
・・》

私は昼食の前菜の代わりに、ヨーグルトを箱の2分の1を食べたりしているが、
やはり良かった、と思いながら微笑んだりしてしまった。

そして栄養補助剤の薬より、美味しく味わえるヨーグルトの方が心にも身にも、
良いよねぇ・・と微笑んだりしている。
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熟年離婚を防ぐ最大の方法、まもなく74歳になる私は、遅ればせながら学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-08-29 15:29:46 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの公式サイト【マネーの達人】の『シニア』を見たりした中で、
『 熟年離婚を防ぐ最大の方法は、「依存しない」、「干渉しない」
              「夫婦だからいい」は最大の危機。』と題された見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし私が2004年(平成16年)の秋に定年退職をしてまもない時、知人のひとりが離婚されて、
私としては仲良し夫婦に見え、長年に於いて寝食を共にされた御夫婦でも、熟年離婚かょ、
と私は動顛させられたりした。

つたない人生功労航路を歩んできた私でも、まさかの出来事が世の中に幾たびも体験してきたので、
私たち夫婦も油断大敵だよなぁ・・と私は思いながら、こっそりと読んでしまった。

この記事は、元銀行員にして50代のベテラン主婦のフリーライターの大岩 楓さんの寄稿文であり、
【マネーの達人】に2018年8月28日にな配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・熟年離婚を防ぐ最大の方法は、「依存しない」、「干渉しない」、「夫婦だからいい」は最大の危機

             

☆熟年離婚を防ぐ最大の方法 「夫婦夫婦だからいい」は最大の危機

配偶者への過度な「心理的依存」

熟年離婚となる原因のひとつに、「配偶者への過度な心理的依存」があります。
「夫婦だから」という甘えから、必要以上に配偶者に干渉したことはないでしょうか?

筆者も、まったく身に覚えがないわけではありません。
しかし、それは精神的に自立していない証拠。
深い反省とともに自らの行いを改める必要があります。

今回は「夫婦それぞれの精神的自立」をテーマとし、高齢の親や身近な先輩方の示唆に富むアドバイスをご紹介。
それをもとに、夫婦がお互いに自立して熟年離婚を防ぎ、シニアになっても夫婦円満を保つ方法についてお話しします。

お互いの交友関係に干渉しない

周囲のベテラン夫婦を見る限り、熟年離婚を防ぐ大前提は、お互いの交友関係に干渉しないことだと実感しています。
夫婦といえども相手に干渉されたくない領域が必ずあり、配偶者はその領域に踏み込むべきではありません。

わが夫婦も最近はそのことを心がけています。
その方が、夫婦仲が円満になりやすいことを、長年の結婚生活により痛感しています。

             

☆配偶者の交友関係に干渉しない方がよい理由


結婚は育った背景が違う者同士が生活をともにします。
配偶者にうんざりすることも数えきれないほど出てきます。
そんなときは、配偶者となんの関わりもない交友関係で、リフレッシュするのが一番。

そうすることで配偶者への怒りやいら立ちも和らぎ、
また優しい気持ちで配偶者と向かい合うことができます。


特に、男性同士、あるいは女性同士での交流は大事です、同性だからこそ理解し合える部分があります。

その関係に夫婦のもう片方が必要以上に、干渉するのはご法度。

それが原因で夫婦仲に亀裂が入る夫婦も少なくありません。
もちろん、不倫や反社会的なカルト宗教など、大きな問題がある交友関係は別ですが、
原則的に配偶者の交友関係に関しては、干渉しないのが吉。


それが、夫婦が長続きするコツであるようです。

             

☆必ずしも共通の趣味を持つ必要はない

熟年世代をターゲットとした雑誌などを読んでいると、
「夫婦円満のためには、共通の趣味を持つと良い」と書かれています。

けれども、筆者自身はその説に懐疑的です。

むしろ、へたに同じ趣味を持ったら、かえって熟年離婚まっしぐらになる場合もあると感じています。

筆者はボランティアで、シニア世代と話をする機会が多いのですが、そこでよく聞くのが
「夫婦の趣味が同じだと、夫婦仲がこじれやすい」という話です。

その原因となるのが、夫婦双方、または片方の配偶者への心理的依存。
特に多いのが、妻にわがままを言い、妻のストレスを増幅させる夫の存在です。

そのような状態で「同じ趣味などごめんだわ!」というシニア妻は、かなり多いのです。

              

☆趣味は「お金の相談」だけすれば良い

同じ趣味を楽しんでいるシニア夫婦の話を聞くと、
双方が精神的に自立し、お互いの趣味に干渉していないようです。


「気が向けば一緒に趣味を楽しみ、そうでない場合は同じ趣味でもそれぞれ自由に楽しむ。その方がうまくいく」

という話をしてくれた知り合いもいました。

彼らいわく、シニアになってから夫婦が同じ趣味を楽しむことは、夫婦円満のカギではないとのこと。

むしろ、趣味が違っていても、お互いに干渉しなければOK。
その方が、年を重ねても円満な夫婦関係を保てるようです。

ただし、家計に響くほどお金がかかりすぎる趣味の場合は別です。
あくまでも家計に響かない範囲で楽しめるよう、
趣味にかけるお金について、夫婦で話し合う必要があるでしょう。

 
☆家の中に夫婦それぞれがひとりになれる空間を作る

熟年離婚を防ぐためにもっとも有効な手段として、
「夫婦それぞれが、ひとりになれる空間を作る」を挙げたいと思います。


高齢になった筆者の親が、今もよく口にしている言葉があります。
「どんなに仲がいい夫婦でも、四六時中顔を合わせていれば飽きる」
「夫婦が1日中一緒にいるようになると息がつまり、夫婦喧嘩になりやすい」

親いわく、退職後夫婦が顔を合わせる時間が長くなると、必ず夫婦げんかが増えるとのこと。

これまでは見えなかったお互いの欠点などが見え、つい文句を言いたくなってしまうからです。
しかし、夫婦の部屋を別々にすれば、お互いの細かい欠点に気づく機会も減ります。

それにより夫婦間のあつれきも起こりにくくなり、
程よい距離感を保ちながら仲良く生活できるそうです。


実はそのような親のアドバイスを受け、筆者自身もそれを実行しています。

わが家では、夫婦が見事に朝型と夜型に分かれているため、
寝室が同室だと、配偶者の生活リズムを乱し、それがけんかのもとになっていました。

そこで、わが家では空き部屋を自分の部屋にし、夫婦それぞれの空間を実現。

そのおかげで、お互いの生活リズムを乱さずにすみ、
なおかつ自分だけの空間で、趣味や仕事に没頭できるようになりました。

             
☆夫婦双方の精神的自立が離婚を防ぐ

夫婦といえども別の人格を持った人間。
お互い精神的に自立していないと、配偶者に思わぬ負担をかけ、それが熟年離婚の原因となります。

シニアになってから穏やかな日々をすごしたいなら、
夫婦が過度に配偶者に依存せず、それぞれの時間を大切にした方がよさそうです。


それが熟年離婚を防ぐひとつの有効な方法ではあることは間違いないでしょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

             

私がこの広い空の下で家内とめぐり逢えたのは、妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であった。

私のすぐ下の妹は1969年(昭和44年)の秋に嫁ぐこととなり、
結婚後は義父母宅に同居することでなっていたので、
私は妹の結婚新生活の準備の荷物を、幾たびか自動車で義父母宅の一室に運び入れたりした。

こうした中、私は義父と何かの時に、文學のことが話題となった。

この義父はある中堅の商事会社の監査役をしていたが、こよなく文學を愛し、
休日の余暇のひとときは10畳の書斎の中で過ごすことが多く、ある地方の文学誌に寄稿されている方であった。

そして私は文学青年の真似事をした時期もあったので、
私は特に森鴎外(もり・おうがい)を敬愛していますが、やはり永井荷風(ながい・かふう)は群を抜いた文士でした、
と私は言ったりすると、
この義父からは、苦笑されながら、何かと私は可愛がれたりしていた。

こうした縁で、この商事会社に勤めていたひとりの女性を紹介してくれたのは、
1975年(昭和50年)の秋であり、私たちは交際をはじめ、この年の12月15日に婚約するために、
両家の結納となった。

                    

その後、私たちは結婚日の日取り、結婚式場、新居の場所、荷物のことなどで、
ボタンの掛け違いのような行き違いが発生して、両家からの意向から、大波、小波に揺れたりした。

そして何とか1976年(昭和51年)3月30日に、学士会館で結婚式、そして披露宴を終えたが、
この間の結婚式で、私は不馴れな羽織(はおり)、袴(はかま)、そして扇子を持ち、
控室から指定された結婚式の式場に向った。

そして花嫁人形のような角隠しで白無垢の容姿となった新妻となる人を見て、
この先の人生、どのような荒波があろうと私は・・と私は改めて思いながら緊張を増したりした。

そして神前結婚式の中で、おはらいなどを受けた後、
誓詞奏上で練習もなく初めて見る誓詞を、今後の人生の責任感で緊張の余り、少し閊(つか)えて大きな声で述べたら、
隣の新妻がクスッと笑っているのが、私は聴こえたりした・・。

             
                
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社に勤め、情報畑でシステム改定をしていたので多忙期であり、
短めな新婚旅行から帰宅し、千葉県の市川市の片隅にある国府台で、
2DKの賃貸マンションで新たな人生をスタートした。

私はサラリーマンの身であったが、もとより生計の責務で孤軍奮闘し、
家内は専業主婦で、私に従順な新妻であった。

その後、子供が出来て狭い賃貸マンションの一室で這(は)うことを想像したり、
或いはいつまでも家賃を支払い続けることを配慮して、新居の件で色々と思案したりした。

やがて結果として、私の生家の近くに空き地があったので、この地に一戸建てとした。

そして家内は中学生の頃から茶事を習い、その後の私たちの新婚生活の合間でも、
先生の元に週一度通って修業していたので、私としては住宅関係で多大な借り入れ金をするので、
ついでにと若さ勢いで、母屋の部屋は一室増やして、茶室とした。

こうした結果、作庭の経費もなくなり、やむなく私の月給分ぐらいで雑木を中核とした。
しかしながら私は孤軍奮戦しても、家計は赤字が多く、私は困苦したりした。

やがて突然に、家内はデパートの和服売り場で契約社員として働き、
我が家は共稼ぎで何とか安泰し、3年後に家内は専業主婦に復帰して、今日に至っている。

                            

この間、私たち夫婦は結婚生活5年が過ぎても、子供に恵まれなかった。
こうした時、私の亡き父の妹である叔母が入院し、私たち夫婦はお見舞いに病室に訪れた・・。

貴方の幼年期に《おたふく風邪》の影響かしら、と教示され、
そして無知な私は恥ずかしくもあり、少し遠方の病院で検査を受けたりした。
やがて診断の結果としては、精液の量は普通ですが、やや精子が少ない、と医師から告げられた。

帰宅後、私は家内に包隠(つつみかく)すことなく伝えたりした。
色々と対策を医師から提示されたことも私たちは話し合ったりしたが、
結果としては自然のままの性愛の結果にゆだねるとした。

このような状況で、私は40歳過ぎた頃になった時、
私たち夫婦は子供のいない家庭に違和感もなく過ごしたりし、今日に至っている。


やがて私が40代の時、会社でヨーロッパ研修の選抜に私は敗退し、
私は自宅の居間で家内に打ち明けたりし、涙を浮かべたりした。

或いは私が40代の時、ギックリ腰が悪化して、
結果として病院の整形外科に入院して、28泊29日間過ごしたりした。

                    

そして50代になると、1998年(平成10年)に音楽業界の売上の主軸となるCDがピークとなり、
この前後は、各レコード会社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度により退職が行われ、リストラ烈風となった。
こうした中で、私の勤めいていた会社も、同じように実施された。         
やがて私も1999年(平成11年)の新春、あえなく出向となった。          

もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、と思いながら精務した。

出向先は少し遠方地にある各レコード会社が音楽商品のCD、DVDなどを委託している物流会社で、
この中のひとつの物流センターに異動させられて、
販売店からの日々変動の激しい日毎の受注に応じた出荷作業、
或いは返品を含めた商品の出入り、保管などの業務管理を行っていた。

こうした中でセンター長をはじめとする私を含めて正社員の5名の指示に基づいて、
若手の男性の契約社員、アルバイトの10名、
30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。

やがて出向先も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、幾たびかリストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年(平成16年)の秋に何とか定年退職を迎えることができた。

                    

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。

                     


この間、私が出向する時、私たち夫婦は遅ればせながら第二の人生について、話し合ったした。
具体的には、どのような生活をしたいか、幾たびか思案したりした。

やがて年金を受け取り、お互いの趣味を尊重してささやかに生活して、
ときたま国内旅行ができれば・・と漠然としながら私たち夫婦の結論であった。

こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そして
デフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。


このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートの御方には、遥かに遠い存在である。

                                           

このような私たち夫婦の結婚生活の日常を、くまなく見ていたのは、
居間の片隅に置いてある《ぬいぐるみ》の洗いガエルである。
          
                   
この《洗いガエル》は、私たちが新婚の生活を始める準備をしていた時、
電気洗濯機を買い求めに、最寄りの家電量販店に行き、
たまたま家内があるメーカーの気に入った洗濯機の内部に、
宣伝キャラクター商品として添付されていた《ぬいぐるみ》であった。

この《洗いガエル》は、少し凹(へこ)んだりしているのは、
家内が日中のひととき、昼寝をした時に枕の代わりにして、少し歪(ゆが)んでしまったり、
少し汚れているのは私たち夫婦の40数年を見続けてくれた結果である。

そして少し疲れた為か、へたばりながら、我が家の守り神となっている。

                                              

私の定年退職後、やむなく年金生活を始め、私は自主的に平素の買物担当となり、

毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
          
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は、数多くの人たちと同様に多忙であった。

そして家内は専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と思い深めたりした。

そして昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

そして少なくとも家内は専業主婦の延長戦のように料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事をしている。

こうした中で、ときおり小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

             
       

日常の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
       

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

こうした中、ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、
仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら実際は日常生活の中で、家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

                    

人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、

血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。

                    

こうした中、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、
看病で宿泊することもあり、
私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活になることもある。

こうした時、いつの日にか、まさかの出来事で家内が私を残して、
あの世に旅立つことも考えられるので、特別演習だよねぇ、と私は叱咤激励をして過ごしたりしている。

私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。

このような私たち夫婦でも、いつの日にか、命果てるまでの残された歳月は、
何か地プラス思考の私でも、自助努力も大切であるが、こうしたことは神様が仏様の采配に寄ると思われ、

この先いつまでも慎(つつ)ましながら、生活ができますように、と念願する時もある・・。

                    

私は、散策したりする時、ときおり心の中で唄ったり、人影の少ない道などで、
♪君と好きな人が 百年続きますように・・
一青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌を、かぼそい声で唄ったりする時もある。

私たち夫婦は、この先いつまでもささやかな生活が続くわけでなく、
いつの日にかは、無念ながらどちらかが片割れになる・・このような思いを重ねたりして、歩く時もある。

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脚本家・山田太一さん、脚本のように思い通りに進まないのが人生、と私は書物から教示され、微苦笑させられて・・。

2018-08-28 13:34:21 | ささやかな古稀からの思い

私は都心の郊外の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
先程、机の脇机にある茶箱を整理していたら、黄ばんだ切り抜きがあったりした。

ぼんやりと私は見ていたら、購読している読売新聞に於いて、
月刊の生活情報誌の『はいからEst(エスト)』が添付される時があったりしてきた。

たまたま私が今回見たのは、2012年の9月18日発行に於いては、
《シニアなんて呼ばせない!》と大きく明記され、
何かしら50代からの生活の全般に関わる情報誌と解ったりした。

そして
トップ面のインタビュー記事として、敬愛しているテレビ脚本家、小説家として著名な
山田太一さんが掲載されていたので、私は大切に保存していた、と判ったりした。

              

私はここ30数年のテレビ脚本家は無知であるが、
1970年の頃から、倉本 聰さん、向田邦子さん、山田太一さんの3人の御方に限り、
ときおり視聴したりしてきたひとりである。


そして、山田太一さんに関しては、
平原日出夫・著の『山田太一の家族ドラマ細見~愛と解体と再生と~』(小学館、発刊・1994年11月10日)、
蕪木和夫・著の『TVドラマの鉄人BIG4』(蒼洋社、発刊・1995年6月10日)に於いて、
倉本 聰、向田邦子、山田太一、橋田寿賀子の4氏の評論集を読んだりしてきた。

或いは小説として、純文学書下ろし特別作品『冬の蜃気楼』(新潮社、発刊・1992年11月)などの作品を

数冊読んだりしてきた。

その後、山田太一さんがテレビに出演されて、松竹の大船撮影所の思いで、自作のテレビドラマを語られることなど、
偶然に視聴したりしてきた。

或いは読売新聞で『時代の証言者』として、過ぎし2010年2月に山田太一さんの連載記事を読みながら、
私なりに改めて、創作者としての山田太一さんから、多々教示されたりした・・。

読売新聞の編集委員の鈴木嘉一さんが綴られた記事で、無断であるが、引用させて頂く。

              

◎テレビドラマについて
《・・ (略)
自ら殺人などの犯罪は、禁じ手としました。
犯罪ものは時代や社会のゆがみを描きやすい。
でも、多くの人は犯罪に走る手前で踏みとどまっている。

ドラマチックじゃないけれど、大多数の人の現実を書こうと。


「ある男がなぜ殺人を犯したかより、なぜあの奥さんと結婚したかの方がスリリングだ」。
(略)
映画に比べると、衝撃力は弱いかもしれないが、
弱いからこそ、日常のささいなことや細部を延々と描くことができる。
テレビは、大きなストーリーより、細かい部分を大切にすべきです。
(略) ・・》

◎ノンフィクションとフィクションの効用の相違
俳人などで名高い亡き寺山修司さんと大学時代から交流していた山田太一さんは語られ、
《・・ (略)
(寺山修司)その俳句や短歌をめぐり
「母親が花売りだった、などというのはウソ」との指摘は当時もありました。
父を戦争で失い、母一人子一人なので、親子関係は複雑だったでしょう。

リアルに書いたら角が立ち、

フィクションだからこそ、真実が表現できたと思います。
(略) ・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

このように私は山田太一さんの発言した精読し、少なくとも引用させて頂いた山田太一さんの証言は、
私にとっては千金の重みのある言葉である。

              

このような私のささやかな山田太一さんの思いがあるが、

このインタビュ―記事を読んで、強く惹かれたのは、この人生の思惑を語られたことである。
《・・(略)
『男たちの旅路』『早春スケッチブック』『ふぞろいの林檎たち』等、
山田さんはテレビ史に残る連続ドラマを次々と生み出してきた。

山田さんの描く”人間”は、私たちにとても近い存在だ。
誰もが無意識のうちに抱えている重いを、
山田さんは明確に表現して、観ている者に『気付かせて』しまう。

それほどのリアリティを再見しながら、

作品全体に、どことなくファンタジックな雰囲気も漂う。
山田さんしか創り出せない独自な世界観だ。

「僕のドラマは、『世の中とフィットしない人たち』を描いているとよく言われます。
でも、現実は皆そうじゃないかなぁと思うんです。
うまく合わせているように見えるだけで、
本当は誰もが苦しみ、もがき、いろいろなことを我慢して、傷だらけで生きている。

世の中に完璧や絶対がない限り、
何をするにしても、僕らはある程度のところで、妥協しているわけですよね。

結婚にしても、『私にはこの人しかいない』なんてことは、本当は有り得ない。
もしかしたら運命の相手は、タイあたりにいるかもしれない(笑)

自由に選んでいるように見えて、実はごく狭い世界での選択です。
間違っているかもしれないけれど、それが正しいと信じて、
どこかで踏み切るしかないんです」

山田さんは目を細めた。
穏やかな目尻のしわに、78年という人生の深みが感じられる。

「生きていくって、そういうふうに少し欺瞞(ぎまん)で、
でも、それが悪いことだとは思わないんですよ。
脚本のように思い通りに進まないのが人生ですからね」
(略)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
              

このようにインタビューの一部を転記させて頂いたが、
私の定年退職するまでの半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の時が多く、
思い馳せれば成功体験の事柄より、遥かに失敗体験の数々が思いだされてしまうのである。

そして定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、定年までの何かと悪戦苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽な日々を享受してきたが、時折まさかの出来事もあったりして、戸惑ったりしてきた。

こうした思いを秘めている私は、この山田太一さんのインタビューの発言を読み終わった後、
多々教示されながら、
『そうですよねぇ・・確かに・・この人生は・・思い通りに進まないのが人生・・』
と私は改めて心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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阿川佐和子さん、ご両親の介護の思い、私は学びながら深く教示させられて・・。

2018-08-27 14:41:36 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、愛読しているネットの【 現代ビジネス 】を見ている中で、
【 阿川佐和子さんが両親の介護から学んだ「看る力」 】と見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であり、
阿川佐和子さんには、私はお逢いしたこともないけれど、姪っ子のように長年思ったりしている。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋、
大学を中退して、映画青年の真似事をした後、養成所の講師の知人のアドバイスに寄り、
文学青年の真似事をしたりした。

こうした中、私は阿川弘之さんの数多く小説、随筆を乱読してきたが、
特に日本人として思考、中庸の大切さ、礼節など深く教示させられ、
私は小学2年時に父に病死された為か、阿川弘之さんには慈父のように敬愛を重ねてきた。

                             

この間、阿川弘之、阿川佐和子・共著の『蛙の子は蛙の子 ~父と娘の往復書簡~』(ちくま文庫)は、
ここ15年近く、再三に私は愛読している本でもある。

父は1920年(大正9年)、娘は1953年(昭和28年)生まれの社会背景の中、
父から娘、娘から父への想いが真摯に綴られている。

父の阿川弘之さんは、戦後の文学風潮の中、小説家としての自己の文学の悩みなど発露され、
敗戦後から平成の8年までの、単なる家族関係でなく、
社会風潮も根底に秘められ、私なりに多々教示されたりした。
          
或いは阿川弘之さんの数多くの随筆の中で、ご家族の状況を描かれ、
この中のひとりとして御長女・佐和子さんも記載されていた。

このように私は、阿川弘之さんの愛読者のひとりであったので、長年読んだりすると、
佐和子さんの学生時代、その後のご様子も解り、
何かしら私にとっては、親戚の娘の姪っ子が10代から育つ情態が手に取るように、
阿川弘之さんの随筆から佐和子さんの軌跡を解ったりした。

                                      

たまたま過ぎし2011年の10月初旬に、阿川佐和子さんは、
確かNHKのテレビの朝の番組【生活ほっとモーニング「この人にトキメキっ!】に於いて出演されていた。

《・・大学を卒業後、人生に彷徨(さまよい)いながら、
テレビの副司会者として起用されたのは、父上の阿川弘之氏からの親の七光り・・
その後は筑紫哲也氏などの番組の副司会者として出演でき、親の七光り・・ですから親の14光り、かしら ・・》

このような意味合いの言葉を発言されたりし、私はこの御方の感性に、瞬時に魅了されたりした。

もとより阿川佐和子さんは多くのエッセイ、小説を発表されているが、
初期の頃は父上の阿川弘之さんの文章の手ほどきを受けたりし、その後も文章を綴ることの労苦を味わっていたことを
阿川佐和子さんの初期のエッセイで、私は知ったりした。

この番組で、《・・父が母と子供4人を、筆1本で家族を養ったこと・・》と感謝しながら発言された感覚に、
改めて私は阿川佐和子さんのこれまでの軌跡を思い重ね、この御方の言葉、笑顔、しぐさに私は魅了され増したりした・。

                         

やがて2012月1月に、阿川佐和子さんは『聞く力 ~心をひらく35のヒント』(文春新書)を上梓され、
昨今の出版不況の中、100万部を超えるヒット作となった。

こうした中、総合月刊雑誌の『文藝春秋』(平成24年10月号)の定例コーナーの『日本の顔』に於いて、
阿川佐和子さんが取り上げられた・・。

そして阿川佐和子さんの日常生活が公開され、こうした中で父上の阿川弘之さんがご病気で、入院されて、
娘の佐和子さんが、お見舞いに訪れる情景の写真があった。

私は阿川弘之さんが90歳を過ぎ、やはり心身ご健在だった人でも、御歳を召された、と悲しんだりした。

そして阿川弘之さんは、異例な寄稿文を綴り、父親がこの先の娘に案じる深い思いに、
私は読み終わった後、涙を浮かべたりした・・。
          
《90歳を過ぎてから、小生、身体のあちこちに故障が生じ、都内の某病院に入院、現在は、療養中です。
人と話すとひどく疲れるのでお見舞ひはすべて拝辞、勝手ながら「面会謝絶」といふことにしてをります。
失礼の段、どうぞお許しください。

それと併せてもう一つ、娘佐和子の件。
至らぬ者が今回、この欄に登場と決まり、望外の栄誉なれども、
親の立場としてはやはり若干の憂慮を抱かざるを得ません。

読書の皆さん、旧知の編集者諸賢、彼女が今後、どのやうな歩み方をするか、
厳しく、かつ、あたたかく行く末を見守ってやつて頂きたい。
(虫がいいけれど)くれぐれもよろしくとお願ひする次第です。》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は阿川弘之さんのご著書を愛読して、55年近くになり、
阿川佐和子さんのご著書は、姪っ子に対する心情のような思いで、ここ20年ばかり読んだりしている。

過ぎし2015年の8月3日、阿川弘之さんは老衰のため逝去、と公表された5日の新聞で知り、
慈父ように敬愛してきた私は、ご冥福をお祈りした後、
阿川弘之さんの遺(の)された数多くの作品を再読したりした・・。

このような心深情を秘めている私は、今回の『阿川佐和子さんが両親の介護から学んだ「看る力」』を、
精読した。

              
この記事の原文は、講談社が発刊する『 週刊現代 』の2018年9月1日号に掲載された記事のひとつで、
阿川佐和子、大塚宣夫・共著の『看る力 アガワ流介護入門』(文春新書)上梓に伴い、
窪木淳子さんが阿川佐和子さんにインタビューされて、纏(まと)められた記事である。

そして関連のネットの【 現代ビジネス 】に2018年8月25日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

              

《・・阿川佐和子さんが両親の介護から学んだ「看る力」

――ベストセラーとなった『聞く力』や『強父論』の著者で、インタヴュアー、女優として活躍する阿川佐和子さん。
父で作家の弘之氏を看取り、現在は認知症の始まったお母様の介護もしています。


☆不機嫌な父を変えたもの

――『看る力 アガワ流介護入門』では、ご自身の経験を踏まえて、
  高齢者医療の第一人者である大塚宣夫医師と、介護について対談していますが、
  先生とはどのように出会ったのでしょうか。


阿川佐和子さん
父は2015年に病院で最期を迎えました。
入院のきっかけは、転倒からのケガと緊急手術で、その時、誤嚥性肺炎も起こしていました。
90歳を超えてから罹患する誤嚥性肺炎は非常に危険で、もう無理かとも思いましたが、奇跡的に回復できました。


当時父は、母と二人暮らしでした。
その頃から母は、物忘れをするようになっていて、病後の父の世話をするのは無理だったんです。


とはいえ父は、元気なうちから「老人ホームに入るくらいなら、自殺してやる」なんて言っていた人。
そんな父に適切な転院先があるかと悩んでいた時、
今回対談した大塚先生が開設なさった『よみうりランド慶友病院』(東京都稲城市)のことを聞いたんです。



――大塚先生は、「自分の親を安心して預けられる施設にしたい」という思いから、
  ユニークな老人病院作りをしています。


阿川佐和子さん
大塚先生のところへ転院が決まっても、父は「また病院か」と不機嫌でした。
ところが、いざ病院で、お昼を食べたら「うまい!」と言ったんです。

老人施設を嫌悪していた父でしたが、大塚先生の病院のご飯の美味しさに胃袋を掴まれ、
入院に納得してくれました。


普通に食事ができるようになると、今度は「鰻(うなぎ)が食べたい」と言うんです。
さすがに小骨のある鰻(うなぎ)は、ダメだろうと先生に相談したら、
「いいですよ。好きなものはすんなり喉を通ります」とにっこり。

「晩酌がしたい」と言った時にも「どうぞご自由に」。
もう、びっくりしますよね。


「食べることは、人間の最後まで残る楽しみ。
生きる楽しみを最優先して、原則自由な入院生活を送ってもらう」のが先生の方針なんです。


              

――大塚先生は、病の治療を最優先する一般的な老人病院とは、異なる発想をしているのも特徴的です。


阿川佐和子さん
一般的に、お医者さんの使命は、患者さんを治療して回復させることなので、
医療の世界では、食事が喉を通らなければ、点滴などの手立てを考えます。

しかし大塚先生は、医療よりも介護、介護よりも生活を重視して、優先順位をひっくり返したんです。


「食べたくない日があってもいい、入浴したくない日があってもいい。
家庭での生活と同じリズム、パターンを可能な限り継続してあげることが
高齢者の幸福につながるはずだ」と考えて、
介護される側の気持ちを尊重した病院作りをなさっています。

              

☆「看られる側」も苦しんでいる


――お母様の介護の経験が語られる個所では、「イライラしたら、笑っちゃおう」など、
  介護をする人にとって、参考になる言葉が多く紹介されています。


阿川佐和子さん
現在、認知症の症状のある母を介護していますが、母は実に明るいボケ老人なんです(笑)。


朝、母を起こそうとしても、全然起きる気配がないことがありました。
「起きて!」と布団をパッと剥がしたら、「あら、あんた、お化粧してるの?」と。
「そういう問題じゃないから、とにかく起きて」。


起きない母とのやりとりが、延々と続いたあとに
「あらあんた、お化粧してるの? きれいね」って。

思わず吹き出してしまいました。
介護は長期戦だからこそ、イライラするところを、笑いに変えるのが重要だと思います。



――「介護をする側」だけでなく、「介護をされる側」も苦しんでいる、と語られているのが印象的です。


阿川佐和子さん
最初に認知症に気づくのは、自分自身なのだろうと思います。
家に紙袋を堆積させてしまった母と、ケンカをしながら、片づけたことがありました。

袋の中は、ほぼ紙くず。
そこにメモを見つけたんです。


母の字で「どんどん忘れていく」、「もうダメ、ばかばかばか」と書かれていました。
その時に初めて、母自身も苦しんでいると気づいたんです。


認知症になると、さっきやったことを1分後には忘れてしまいます。
周囲は「もとに戻ってほしい」という切なる思いがあるからこそ、
「なんで忘れるの!」と怒ってしまいます。


でも認知症の人の行動には、その人のなかで、ちゃんと理由があるんです。
声をかけて返事がないから耳が遠くなった、徘徊し始めたから認知症が重くなったと、
介護する側が自分本位に決めつけるのではなく、

相手のペースや気持ちに寄り添いながら、認知症の進行とともに変わっていく、
相手を受け入れていきたいと思っています。

              

――本書の後半では、自分が「看られる」側になった時への備えについても語られています。

阿川佐和子さん
定年後の男性も、一人暮らしができるくらいに家事能力を鍛えましょうという話をしています。
ラーメンや炒飯くらいは作ることができて、
衣類の場所くらいは、わかっていないと奥さんが先に逝った場合、自分の生活が保てなくなってしまいます。


また、自分が稼いできた蓄えは、子供のために残しておくと考える人が多いそうですが、
家族との関係を良好に保つためにこそ、自分の貯金は自分の老後のために惜しみなく遣うことも、
ときには大切だと思います。


誰もが、死だけは自分で選べないわけで、
介護する側、介護される側、両面から検討しておくのは、無駄ではないはず。
体力と判断力のあるうちに、いろいろと考えておくのが得策です。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

              

私は記事を読み終わって、介護される阿川佐和子さんのお気持ち・・深く教示されたりした。

私たち夫婦の両親は、家内の母だけとなり、遠方地に独り住まいをして、
ここ3年は介護・要の身となっている。

長女の家内と次女の家内の妹は、逐次連絡しあって交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした中、家内は6泊7日前後で、家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている。

このように私たち夫婦は、年金生活の中、何かと家内の母の状態に左右されることもあり、
家内は老々介護の中で、家内の思いをできる限り叶えようとして、疲労困憊になる時もある。

このような家内の母のしぐさ、願いを家内から私は、少しばかり聞いたりしてきたので、
今回の介護される阿川佐和子さんの思い、私なりに心身に深く学んだりした。

そして高齢者医療の第一人者である大塚宣夫医師の信条、
《・・食べることは、人間の最後まで残る楽しみ。
生きる楽しみを最優先して、原則自由な入院生活を送ってもらう・・》
こうしたことに私は敬服させられたりした。

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老後の三大不安は「お金」、「健康」、「孤独」の難題の中、いつの日に私が『おひとりさま』になった時、果たして・・。

2018-08-26 14:44:40 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、
年金生活は早や14年生になっている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となったりした。

やがて出向先で定年退職時を迎えた時、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、ときおり敗残者のように感じることも多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、
年金生活を始めた・・。

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、或いは私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ丸14年近く過ごしてきた・・。

こうした中、定年までは悪戦苦闘が多かった為か、予測した以上に年金生活を安楽に過ごして、
今日に至っている。

              

私は定年退職後、年金生活を始めて、まもない時、
私は、いつの日にか私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したりした。

こうした理由には、亡き母が生前に遺産などで困苦した時代もあり、
或いは親戚に当たる兄弟間で、相続で長らくもめて、やがて裁判までなった、
と私は聞いたりしていたからである。

このような私が亡くなった後、このようなことを避けたく、
水戸黄門様の紋章のような公正証書の遺言書を作成したりした。


私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身であり、

私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花を中核に音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしてきている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。

その後、四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された家内は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良いし、
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。
 

こうした中で、家内には老朽化した我が家を処分して、マンションの小さな部屋を買い求めて、
生きがいとして趣味を強くして、老後を過ごして欲しい、と私は幾たびも言ったりしてきた。

              

こうした中で、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。

私の父は私が小学2年の時、肝臓を悪化して、42歳の若さで亡くなり、
母は、婦人系の癌で1998(平成10)年1月中旬に亡くなり、私は53歳の時であった。

そして家内の父は、
私が定年退職後、年金生活を始める直前に、腎臓を悪化して、亡くなり、
家内の母は遠方地に独り住まいとなったりした。

この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。

いつの日にか私たち夫婦は、どちらかが無念ながらも片割れとなり『おひとりさま』となるが、
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
私は特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしてきた。

しかしながら、私としては当初の『おひとりさま』の生活には、戸惑ったりしたことは事実であったりした。
主婦の三冠王と思われる料理、洗濯、掃除などは、家内が長らく専業主婦だった為か、
私は家内にお任(まか)せで、私としてはもとより家計の責務でサラリーマンで奮闘してきた。

そして私は単身赴任した経験もなく、我が家と会社を往復してきた生活が長く、
『おひとりさま』の生活かょ、迷子のように戸惑いながら感じたりした。

やがてここ3年は、家内の母は介護・要
の身となって、
長女の家内と次女の家内の妹は、逐次連絡しあって交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした中、家内は6泊7日前後で、家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で加速された独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている。

このように私たち夫婦は、年金生活の中、何かと家内の母の状態に左右されることもあり、
家内は老々介護で疲労困憊になる時もある。

こうした私は『おひとりさま』の生活を体験をしている中で、漠然としながらも、
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
本当に『おひとりさま』の生活になることを、思案したりしてきた・・。

               

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、共にお互いの思いであり、もとより愛惜感もあり、
苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。


やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を断腸の思いで処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。

                                 
                                                            

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                                             
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような駅前の居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。

こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。

                       

或いは私が身も心も溌剌であった時は、古惚けた我が家で住むことも思案したりする。

過日、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私たち達は聴こえてきた・・。

やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・ああした地域福祉センターで、
定期便のように通うと思うょ・・』と私は家内に言ったりした。

私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。
           
私は音楽業界のあるレコード会社に勤め、定年退職の5年半前、リストラ烈風の中、
各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流センターに出向となり、
センター長をはじめ私も含めて5人の正社員の基で、パート女性30代~40代が多い130名前後、
そして契約社員、アルバイトの男性20代が多い10名前後の職場に勤めたりした。

こうした中で休息時間、或いは懇親会などで談笑を重ねて、多々学び、貴重な体験をしてきたので、
数多い人の中でも、公明正大に談笑ができるタイプてもある。

もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。

                           

私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。

そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、やがて同世代の女性からでも、
XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。

この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。

やがて帰宅後は、この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物した後、
自宅付近の遊歩道、公園を散策する。

その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。

このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
心身のバランスが保てる、と微笑んだりしている。

                                       

過ぎし昨年の7月下旬に於いて、日本経済新聞の編集委員・田村正之さん、
そしてファイナンシャルプランナーの深田晶恵さんの寄稿文を読み、
配偶者の死亡による公的年金の減少を具体的に
教示させられた・・。

《・・
配偶者の死亡による公的年金の減少

夫の現役時代の平均年収を600万円、妻は専業主婦などとして計算すると、
夫婦ともに生きていれば、受け取る年金額は計288万円。
月額にして約24万円で、高齢夫婦の無職世帯の平均支出額(27万円程度)を下回る。 

夫が先に亡くなると、年金はどれくらい減るのか。
よくある勘違いが、夫の年金総額(厚生年金と基礎年金)の4分の3に相当する金額が
遺族年金として支給されるというもの。

だが実際には、計算に夫の基礎年金部分は含まれない。
この例では厚生年金(132万円)の4分の3に当たる約99万円が遺族年金となる。

これに加えて妻は、自分の基礎年金(78万円)を受け取るが、それでも合計で177万円。

夫婦で受け取れる金額に比べると、約110万円も減ってしまう。

「支出は一人になっても、大幅には減らない。
毎月の赤字幅が、大きくなるのは避けられない」     

専業主婦の妻が先に亡くなった場合は原則、18歳までの子どもがいないと遺族年金は出ないので、
夫は自分の年金だけになる。

減額幅は78万円と比較的小さいが、夫は家事が苦手で外食が増えたり、
家事代行サービスを頼んだりして生活費がかさみがち。
やはり赤字幅は増えやすい。・・》

               

このようなことも、遅ればせながら学んだりしてきた・・。

そして私は、肝心の年金は、夫婦で受け取る年金額は計288万円、
妻が亡くなった時は、夫は
210万円、と具体的に知り、
こんなに減ってしまう、と私は溜息をしたりした。

もとより夫婦で生活している現在より、いつの日にか『おひとりさま』になっても、
食費、電気代、ガス代などの生活費や固定資産税なども、半減にはならず、
の生活レベルからは低下するよなぁ・・と思ったりした。

そして私は、『おひとりさま』になってしまった時、国内旅行を三か月毎に、数泊を思案しているが、
いつの日にか介護・要になった時、やむなく介護施設に入居のことも思案したりしてきた。

しかしながら国の支援を受けている費用が程ほどの特別養護老人ホームに、
入居が叶(かな)わなくなってしまった時、困苦する。

やむなく高価と称されている有料老人ホームに、断腸の思いで愛惜ある自宅の敷地を売却して、
介護施設に入居しなくてはならなく、背水の陣となる。

しかしながら介護の悩ましい難題は、いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、
やがて永がられば本人の自己負担額が増し、
貯金は切り崩しても資金不足となり、
当然ながら、退所が余儀なくされて、行き場がなく迷子のような介護難民になることである。

そして私は、裕福層には遥か遠い年金生活の身であるので、
改めて有料老人ホームの入居費、そして毎月の負担額が余りにも高価に、溜息をしたりした。

このように私は、いつの日に私が『おひとりさま』になった時、
老後の三大不安は「お金」、「健康」、「孤独」の難題について、ぼんやりと思い馳せたりしている・・。

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シニア世代、プロテイン過剰摂取は要注意、私は真摯に学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-08-25 15:16:41 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 「シニア世代のプロテイン過剰摂取は要注意」 
                  ~ なぜ医師は警鐘を鳴らすのか ~ 】と見出しを見てしまった。
 

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
プロテイン・・って何なのょ・・と思いながら記事を読んでしまった。

この記事は、『AERA』の2018年8月27日号に掲載されて記事のひとつであり、
編集部・熊澤志保さんが抜粋されて、関連のネットの【AERA dot.】の8月24日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
健康にいい、ダイエットに効く、美容効果がある・・・。
あまたの食品や食事法が、ブームになってきた。
あふれる情報と、影響される人々を、医師らは懐疑的に見ている。

何を信じればよいのか。


【図表】え!こんなブームあったの?食や健康にまつわるトレンドの変遷はこちら

                 

タンパク質こそ、筋肉や骨をつくってくれる。
ジムでトレーニングをして、その後プロテイン粉末を溶かしたドリンクを飲む。
老いも若きも、昨今のはやりだ。

だが、このプロテイン、腎臓に不安がある人にとっては、要注意だ。
話題の『医者が教える食事術』の著者で20万人もの患者を診察してきた、
AGE牧田クリニック院長の牧田善二医師は言う。


「鶏肉や豚肉など、肉を食べて摂取するタンパク質と、
プロテイン剤そのものを飲むのとでは、消化吸収にかかる時間も、腎臓にかかる負担も異なります」

牧田医師は、過剰なプロテイン摂取に警鐘を鳴らす。

背景に、慢性腎臓病患者の増加がある。
慢性腎臓病とは、時間をかけて腎機能が低下していく生活習慣病のひとつだ。

透析が必要になるまで、自覚症状はほぼなく、異常はまず、腎機能の数値に現れる。

牧田医師は言う。

「慢性腎臓病患者は、現在、全国に1330万人いると考えられています。
全人口の約10%にあたります」


腎機能に、問題がなければかまわないが、
慢性腎臓病の検査は特殊で、人間ドックなどでは、見つからないことがほとんど。
腎機能に問題なしとわかっていなければ、プロテイン摂取は、控えるべきだという。


「ある患者は、尿アルブミンの数値が、突然悪化したので尋ねると、プロテインを飲んでいました。
なんと70代の3~4割は、慢性腎臓病といわれています」


慢性腎臓病の進行に伴い、心臓や脳の血管の病気も増えるという。
さらに、慢性腎臓病のうち透析を必要とする患者の4割は、糖尿病の合併症「糖尿病腎症」だ。
高血圧なども多い。


「多くの生活習慣病は連動して起こりますが、その元には食事の問題があります」

                 

人工甘味料で肥満や糖尿病がむしろ悪化?


甘いのに、カロリーゼロ。
日本でも人気のカロリーゼロ飲料は、ダイエットの味方として、
米国でも、いちはやく注目されてきた。

カロリーゼロ飲料に含まれているのは、アスパルテーム、アセスルファムK、スクラロースといった人工甘味料だ。


「米国でも、糖尿病や肥満の助けになるのではと、期待されていました。
ところが、疫学調査をしてみると、カロリーゼロ飲料を飲んでいる人たちのそうしたリスクは解消せず、
むしろ悪化している、という結果が出だしたのです」


ハーバード大学でライフスタイルや食生活と病気について疫学的に研究した、
内科医の大西睦子医師は言う。


太ったうえ、糖尿病が増える。
人工甘味料のカロリーは、ゼロなのに、一体なぜか。


「要因は、三つ考えられます。
まず、人工甘味料がインスリンの分泌や血糖の調整に、影響することが報告されています」(大西医師)


すい臓から分泌されるインスリンは、余分なブドウ糖を脂肪に変える。
大量に分泌されると、脂肪細胞がどんどん増えるため、肥満ホルモンともいわれる。
つまり、人工甘味料は、代謝を狂わせる可能性があるという。


もうひとつ、腸内細菌叢への影響も報告されている。
疾患と腸内細菌叢の関係は近年、研究の発展が目覚ましい分野だ。


「2014年、科学誌Natureに、
人工甘味料が、腸内細菌叢に影響を及ぼすという論文が発表されました。
人工甘味料の摂取で、マウスとヒトの腸内細菌叢の組成のバランスが変わり、血糖値が上昇したのです」(同)


カロリーゼロは魅惑的だが、「私はおすすめしません」(同)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                 

記事を読み終わった後、私は恥ずかしながら『プロテイン』について、
ネットで、〈アミノ酸スコアの高いたんぱく質〉の粉末などで溶かして飲んだりし、
この関連としてネット通販の『プロテイン』の商品が、数多く表示されたりした。

私は何かと根がケチな為か、ここ10年は、煎茶、コーヒー、紅茶、麦茶を愛飲して、
ときおりビール、ウィスキーしか飲んだことはないので、
『プロテイン』に関して無知であったりした。

私は腎機能に関しては、幸運にも問題がなく、今日に至っている。

しかしながら、家内の父は腎臓が悪化して、やがて私が定年退職の直前に死去してきたので、
ときおり私は、腎臓に気にすることもある。

たとえば熱中症が怖くて、水分補給を充分にすると、
恥ずかしながらオシッコが近くなる。

こうした時、トイレでオシッコが順調に出てくれるとき、
腎臓が一生懸命に働いてくれた成果だねぇ・・と心の中で呟(つぶや)きながら腎臓に感謝している。

或いは食事に関して、このサイトで幾たびも重ねているので、今回は省略する。

                 

私は富も名声も無縁な身であるが、
             
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、信愛を重ねて過ごしている。

こうした思いの私は、今回のプロテインについて無知であったが、
何かと根がケチな私は、不要なものだよねぇ・・と微苦笑したりしている。

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「退職後の家計」、老後の蓄えが20年足らずで、底を突く人が続出する、高齢者の私は学び、溜息を重ね、やがて・・。

2018-08-24 14:44:37 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ている中で、
【 退職して手打ちそば屋を始める人の末路

           「趣味」で生き延びる人転落する人 】と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
どのようなことなのょ、と思いながら記事を読んでしまった。

やがて読み終わった後、溜息を重ねて、やがて私は思案を重ねてしまった・・。

この記事は、ファイナンシャルプランナーの井戸美枝さんの寄稿文であり、
『プレジデントオンライン』に2018年7月26日に配信されていた。


この記事は、ファイナンシャルプランナーの井戸美枝さんが懇切丁寧な長い寄稿文であるので、
やむなく私は要約をさせて頂く。

               

《・・近頃、ファイナンシャルプランナーとして、退職後のお金の相談を受けることが増えています。
以前は「現在の家計」が心配事だったのですが、
現在は多くの人が「退職後の家計」を心配されています。
 

相談を受ける際は、リタイア後のおおよその生活費と年金額、貯金額などを確認して、
シミュレーションを行います。

相談者の多くは、65歳で完全にリタイアすると、85~90歳の間に貯金がなくなってしまいます。
 

総務省の「家計調査」(2017年)によると、60代の貯蓄額は平均で2202万円です。

また、高齢者夫婦無職世帯(夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみ)の1カ月の収支を見ると、
実収入約21万円に対して、支出(食費・交通通信費・交際費・教養娯楽費など)が約26.5万円で
毎月約5.5万円の赤字になっています。

私の体感では、実際の毎月の赤字額は、5.5万円より多い家計が、ほとんどです。
シニア世代では、毎月の年金収入だけでは足りず、
毎月8万~10万円を貯金などから、取り崩している人が、大半です。

高齢者の暮らしには、質素なイメージがありますが、今どきの高齢者は、高コスト体質なのです。
 

65歳でリタイアして、月10万円赤字だとすれば、
2200万円の貯金があっても、20年たらずで、底をついてしまうのです。

               

7月20日、厚生労働省は日本人の平均寿命は、
男性が81.09歳(前年80.98歳)、女性が87.26歳(同87.14歳)で、
ともに過去最高を更新したことを発表しました。

着実に日本人は「寿命100歳」へと近づいています。
 

厚労省の「2016年簡易生命表」によれば、
女性の4人に1人が95歳まで、男性の4人に1人が90歳まで生きるということです。

今後は、真剣に「100歳まで生きる」と考えて、その対策を早いうちから考えておくべきでしょう。


このような状況が予測されるので、長くなった老後の生活費を工面する方法は、主に4つあります。

1)毎月の貯金額を増やすこと(現役時代に収入増と支出減の工夫をする)。
2)「iDeCo(個人型確定拠出年金)」や「企業型確定拠出年金」を利用して、
  年金の受給額を上乗せすること(iDeCoは、掛け金が所得控除されるので、節税効果もある)。
3)「つみたてNISA」などで資産運用。
4)65歳以降も働いて収入を得ること。

               

このうちいちばん確実なのは、65歳以降も働くことです。
65歳からは年金が受け取れるため、フルタイムで働く必要はありません。
年金や退職金を使いつつ、毎月の赤字分を補填できれば、十分なケースがほとんどです。

労働人口の減少を受けて、65歳以上の人にも働いてほしい、と考える企業が増えています。

ただし、65歳以降の再雇用の際は、嘱託や契約となり、
正社員だった現役時代に比べて、給与は減るケースが多いので注意が必要です。


退職前後に起業する人も増えています。

経済産業省の「中小企業白書」(2017年)によれば、
男性で起業した人のうち、35%が60歳以上の人でした。
全ての世代の中で、もっとも多くなっています。

筆者の友人で都内に住む57歳の女性は、現在、フリーランスとして活動しています。
仕事は動物好きという性格をいかしたペットの「ペットシッター」です。

彼女いわく、「収入は食品メーカー時代の約半分くらいだけど、ストレスフリーです」とのこと。
現状では会社を大きくすることは考えておらず、
事務のスタッフを1人だけ雇ってスケジュール調整など頼んでいます。

このように、自営業やフリーランスとして働く場合は、
まず、副業・ダブルワークからはじめてみるといいでしょう。

忙しくなりますが、他に収入源があることで、
ビジネスとして成り立つかを、冷静に考えることができます。

              


また、起業をする際は、「初期投資が少ない(かからない)」、
「在庫管理が難しくない(いらない)」という職種を選ぶとリスクが少なくなります。

一方、リスクが高いのは、飲食店経営です。

日本政策金融公庫の「新規開業パネル調査」(2016年)における業種別廃業状況では、
2001年から2015年の全業種廃業率が平均10.2%でした。

そして最も廃業率が高かったのが「飲食・宿泊業」(18.9%)で、
一般的に、飲食店は利益率が低いうえ、初期投資に多くのお金が要ります。

メディアなどでは「退職して田舎で手打ちのそば屋をはじめた」、「海の見える場所にレストランをひらいた」など、
成功例が紹介されますが、実際の運営はなかなか厳しそうです。

事前の準備をしっかり行い、最悪の場合を想定した事業計画を作る必要があります。

               

また、投資を副業として実施し、老後に備える人もいます。

家計相談にくる方のなかにも、退職金で株式取引をしようと考えている人が少なくありません。
1000万~2000万円のまとまったお金が懐に入ると、
「もっと増やそう」という気持ちが高まるようで、「初めてだけど株取引をやってみたい」などとおっしゃります。

短期間での株式の売買やFXは、「投機」にあたります。

投機とは、お金を投じた先の「値動き」で利益を得ること。
お金を投じる先の「価値」は、ほぼ変わらないため、参加者全員の損益の合計は、ゼロです。
つまり、誰かの利益は、誰かの損失から生まれていることになります。

こうした投機で、長期的に利益を得ることは難しく、副業とはいえないと私は考えます。
「1年で資産が10倍に」、「株で月収30万円」といったたぐいの本や広告がありますが、
誰でも再現可能な手法はありません。

誰もが不労収入のある生活にあこがれます。
人生100年時代のこれからは、なおさらのことです。

しかし、それを実現するには、それなりの知識の取得や経験が必要です。
リスクがある投資は、万が一、そのお金がなくなってもいい額を投じるのが基本です。

退職金や年金がなくなってもいいという方は、ごく限られた人ですから、
長生き時代を「投機」で生き延びようとするのは、やめましょう。・・》

以上、要約させて頂いた。

              

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、年金生活は早や14年生になっている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、ときおり敗残者のように感じることも多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

              

私は定年退職後に年金生活を始めたが、
1944年〈昭和19年)9月生まれであるので、満62歳にならないと年金は満額を頂けないので、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。

やがて私は満62歳となり、年金は満額となり、これ以降は水平飛行のように安定して、
何かしら定年までは悪戦苦闘が多かった為か、予測した以上に年金生活を安楽に過ごして、
今日に至っている。

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、或いは私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ丸14年近く過ごしてきた・・。

この間、過ぎし2015年5月下旬の頃.ネットの【NIKKEI STYLE】に於いて、
経済コラムニストの大江英樹さんの連載寄稿文『定年楽園への扉』のひとつ
『サラリーマンは「老後破産」しない』、
偶然にも私は読み、堅実に過ごせば、そうですよねぇ・・と私は微笑んだりしてきた。

やがて、ここ数年は、人生100年時代、と多くの御方が発言されて、私は戸惑ってきた。

              


私が定年退職した2004年の当時は、
人生80年時代、と公言されていた。

そしてデフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができる、と学んだりした。

そして人生80年時代より、人生100年時代と推移されても、
もとよりマラソンは、42.195キロメートルがゴールインであるが、
急にあと何キロも走れ・・と同じように私は戸惑ってきた。

しかし冷静に思案すれば、《・・厚労省の「2016年簡易生命表」によれば、
女性の4人に1人が95歳まで、男性の4人に1人が90歳まで生きるということ
・・》
もしも私は90歳まで生きられれば、幸運な男と、微苦笑してしまった。

              

私は何かとプラス思考であるが、今回の人生100年に対して、
老後の蓄えが20年足らずで、底を突く人が続出する、今回の論説にため息ばかり重ねたりした。

①総務省の最新の家計調査報告で60歳以上の世帯の平均貯蓄額
    2384万円(2017年平均)と公表されているが、一部の裕福層が突出した貯蓄を含めた額があり、
    実際のサラリーマンを退職した御方の平均額は1700万円前後、と私は学んできた。

②厚労省の標準モデルでは、サラリーマン世帯(妻は専業主婦)の年金受給額は、夫婦で月額約22万円
    これは標準モデルであり、多くの平均額は月額約21万円、と私は学んできた。
    ましてここ10年、中高年の賃金が抑制されているので、やがて年金受給額は、減少する。

③少子高齢化の現在、これから益々高齢者が増大し、社会福祉費の年金、介護は増大されるが、
 無念ながらひとり一人当たりは抑制されなければ、日本は益々衰退する。

④人生100年まで、たとえ生きられても身体が衰弱し、介護にお世話になる。

このようなことを私は瞬時に思い浮かべていた。

やがて永らえて人生100年・・と言われても、裕福な御方を除けば、
無念ながら大半の御方は長寿貧乏の家庭が多くなる、と私も含めて憂いたりした。

            

私は現実理想派のひとりであり、健康上の問題で日常生活が制限されずに、行動できる健康寿命は、
男性72.14歳、女性74.79歳、平均寿命と健康寿命との差は、男性8.84 年、女性12.35 年
(厚生労働省平成30年「健康日本21推進専門員会」資料)、と公表されている。

 
そして亡くなるまでの日常生活に制限されるこの期間、
それぞれ多くの御方が自助努力をされ、何とか人に頼よる介護・要の期間を無縁に向かって、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。
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寿命を延ばす座り方、骨盤を立てることを意識せよ、遅ればせながら高齢者の私は学び、多々教示させられて・・。

2018-08-23 14:04:14 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【NEWSポストセブン】を見ている中、
『 寿命を延ばす座り方、骨盤を立てることを意識せよ
           ~ 病気にならない「理想の座り方」~  』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに年金生活を過ごして、早や14年目となっている。


午前中のひとときは、私は平素の買い物を家内から依頼された品を求めて、
独り歩いて最寄りのスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている
買物メール老ボーイの身となっている。

この後は、帰宅後も私は独りで外出して、自宅から3キロ以内の周辺にある住宅街、遊歩道、小公園などを
本格的に意識して、歩き廻り、季節のうつろいを享受している。

やがて昼食後からは、パソコンが置いている机に向かって、長らく椅子に座ることが多い。
そしてブログの投稿文を綴ったり、或いは私が愛読している数多くの御方のブログを読ませて頂いたりしている。

この間、私は何かと書物が好きで、読書をしたりしている。

こうした以外には、ソファに座って、居間にあるDVD、ビデオテープなどの
映画作品収納棚より、
見たい作品を抜き取り、テレビを通して鑑賞したり、
ときには音楽棚より、CDなどを抜き取って、視聴したりしている。

このように私は、午後より深夜に寝室の布団にもぐるまで、座ったりする時間が多く、
今回の《・・寿命を延ばす座り方、骨盤を立てることを意識せよ・・》、
どのようなことなの、と思いながら、記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年8月31日号に掲載された記事で、
関連のネットの【NEWSポストセブン】に2018年8月20日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

            

《・・寿命を延ばす座り方、骨盤を立てることを意識せよ

年を重ねると立っていることが億劫になり、
どこか場所を見つけては「ドッコイショ」と座りたくなるものだ。

だがKIZUカイロプラクティック院長の木津直昭氏は、
「高齢者ほど、
座ることには、注意してほしい」と呼びかける。

「一般的に高齢者は、1日12時間以上座っているとされます。
すると必然的に歩くことが少なくなり、腰、膝、股関節の障害を起こしやすくなる。

ポンプのような働きをして血液を心臓に送り返すことから
“第二の心臓”と呼ばれるふくらはぎの活動が低下すれば、
血流が滞って動脈硬化を引き起こし、最悪の場合は心血管障害などで、死が早まる可能性もあります」


米国の医学誌『JAMA』に2012年に発表された論文では、
1日11時間以上座っている人は、4時間以下の人よりも、死亡リスクが40%上昇していた。


「“座っていれば、体を休められる”というのは誤りです。
正しい姿勢で座らないと、立っている状態より、体に負担がかかって健康を損ないます」(木津氏)

            

では、どういう座り方が理想的なのか。
木津氏は「高齢者は骨盤を立てることを意識すべき」と指摘する。


「胸を張って、座り続けることが理想ではありますが、
それが難しい場合には『骨盤を立てること』だけでもするべきです。

骨盤は、人体の中で最も大きな骨格で強度も強いため、
骨盤を立てれば、上半身の重みを支えて首、背中、腰へと連なる背骨への負担を減らせます」

では骨盤は、どうすれば立てることができるのか。
実は座り方を工夫するだけでいいのだ。


「浅いイスの場合、中腰になって背もたれにお尻を押し付けて、
そのままお尻を擦るようにして、下に落としていく。

そうすると腰だけが、背もたれに接した『骨盤が立った状態』になり、
上半身の重みを骨盤全体で支えられます」(木津氏)




【『週刊ポスト』に掲載され、お借り致しました】


            

一方で、背もたれのない床に、直接座るのは極力避けるべきだ。

総合内科専門医で『長生きするのはどっち?』の著者である秋津壽男医師が指摘する。


「高齢者が背もたれのない床に直に座ると、猫背になりがちで、
おなかのスペースが狭くなって、胃に負担がかかりやすい。

すると、胃酸や十二指腸液が逆流して、食道の粘膜を刺激して炎症が起きる逆流性食道炎や、
胃腸の消化不良、便秘を起こしやすくなります。
これを放置していると最悪の場合、食道がんになるリスクがある。


胸がチリチリと苦しい胸やけや、喉のつまりやつかえが出たら、
逆流性食道炎の症状なので要注意です」


            

ゆったりした軟らかいソファーは心地良いが、健康のことを考えるなら、硬い座椅子に座るべきだ。

「骨盤を立てるためには、硬い椅子のほうが向いています。
軟らかいソファーなどでは、お尻が沈むため骨盤を立てられず、腰や背骨への負担が大きくなります」(木津氏)


硬軟にかかわらず、椅子にふんぞり返って座るのは、NGとなる。

「座椅子やソファーに浅く座り、背もたれにもたれて、ふんぞり返った姿勢でテレビを見ていると、
お腹の力が抜けて、腹筋や背筋が衰えます。
すると日常生活で“猫背化”が進み、腰や背骨、内臓などに大きな負担がかかって危険です。


乗り物のリクライニングシートを倒しても、同様にふんぞり返った姿勢になりがちなので、
新幹線や飛行機などの座席も、なるべく倒さないよう心がけてほしい」(木津氏)・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。

            

私は記事を読み終わった後、遅ればせながら、病気にならない「理想の座り方」を学び、
多々教示された。

そして私は、病気にならない「理想の座り方」を見たりしている中、
私は少し楽に座っていたことに教えられ、ある程度きちんと座らないと、
健康に良くない、と学んだりした。

そして健康に今後も過ごしたいので、今後は正しく美しく座るからねぇ・・
と心の中で呟(つぶや)いている。

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年金制度改正で給付減は加速する、年金生活14年生の私は学び、やがて溜息を重ねて・・。

2018-08-22 14:50:26 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ている中で、
【 "毎月10
万円"がないと絶対に老後破綻する
           年金制度改正で給付減は加速する 】と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

もとより我が家は厚生年金は、生活費の基盤であるので、
《・・年金制度改正で給付減は加速する ・・》どのようなことなのょ・・、と思いながら、
記事を精読してしまった。

              

この記事は、ジャーナリスト の溝上 憲文(みぞうえ・のりふみ)さんの寄稿文であり、
『プレジデント』に2018年5月14日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの『プレジデントオンライン』に2018年7月29日に配信されていた。

"毎月10万円"がないと絶対に老後破綻する  ~年金制度改正で給付減は加速する~
https://president.jp/articles/-/25645?cx_referrertype=yahoo&yhref=20180820-00025881-president-bus_all

しかし恥ずかしながら私は、
『「マクロ経済スライド」の繰り越し方式(キャリーオーバー)の導入』に於いて、
賃金、物価上昇率に応じて、スライド調整率・・解説文を読んでも、
理解できなかった。

              

やむなく私なりに、この記事を理解する為、要約しながら簡潔文にしたりした。

2018年度の厚生年金月額は、約22万円(夫婦2人)であり、
老後の生活費は、総務省の家計調査では月約27万円であり、
不足分の5万円は、貯金などで補っている。

そして少子高齢化の現代、2.3人の働いて下さる現役の年金保険料で、
1人の年金受給者を支えている。

今後も働いて下さる労働人口が減少するので、年金の給付額は、ゆるやかに減額される。
やがて年金が10%目減りし、今までと同じ商品を買うことができなくなる。

              

この後、現在が45歳の御方が、受給する頃には(現在の貨幣価値で)年金の給付額が、
17万円程度になる可能性もあり、生活費を月約27万円とした場合、
約10万円不足する。

こうした事態が予測されるので、年金に詳しいブレインコンサルティングオフィス代表の北村庄吾氏(社会保険労務士)は
「何らかの形で、毎月10万円を捻出できなければ、間違いなく老後破綻が待っています。
そのためには、今からリタイア後を想定して個人年金に入る、
あるいは奥さんが個人型の確定拠出年金に加入するなど、将来に向けた準備に着手すべきです。」
警告されている。

このように私なりに理解しながら、裕福でない我が家は年金の給付額が減少していくので、
厳しくなるよなぁ・・と溜息をしたりした。

そして現在が45歳の御方が、受給する頃には過酷な時代となり、無力な私は溜息を重ねたりしている。

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健康長寿の「黄金律」 1日8000歩+中強度の運動20分、遅ればせながら私は学び、やがて微苦笑して・・。

2018-08-21 14:11:12 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、ときおり愛読しているネットの【NEWSポストセブン】を見ている中、
『 健康長寿の「黄金律」 1日8000歩+中強度の運動20分   』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに年金生活を過ごして、早や14年目となっている。


過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は中小業の民間会社に35年近く奮闘して定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。

そして私は年金生活を始めて当初、せめて我が家の平素の買物ぐらいしなければと思い、
買物専任者として、と自主宣言をした。

こうした関係で、私は家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家として、
私は独りで歩いて最寄のスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている
買物メール老ボーイの身となったりした。

この後、私が65歳になった頃、
男性の多くは、70代となれば体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には、介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と学んだりしてきた。

            

こうしたことを学んで以来、平素の買物専任者の私は、買物の責務を終えた後、
帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある住宅街、遊歩道、小公園などを
本格的に意識して、歩き廻り、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

このように過ごしている私は、《・・健康長寿の「黄金律」 1日8000歩+中強度の運動20分 ・》を見て、
どのようなことなの、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2017年7月14日号に掲載された記事で、
関連のネットの【NEWSポストセブン】に2017年7月6日に配信されていた。

そして古い記事であるが、
健康長寿に関しては、時空を超越すると思われ、
無断であるが転載させて頂く。


《・・健康長寿の「黄金律」 1日8000歩+中強度の運動20分

            

東京都健康長寿医療センター研究所の青柳幸利氏(運動科学研究室長)は、
2000年から群馬・中之条町に住む65歳以上の住民5000人を対象にした大規模追跡調査を行ない、
身体活動と病気リスクなどの関係を調べる「中之条研究」を続けてきた。


「1997年に留学先のカナダから帰国した際、日本では、筋トレがブームになっていましたが、
実際にどの程度の運動をすれば、病気を予防できるか、という客観的な指標がほとんどなかった。
そこで大規模な疫学調査を自力で始めようと考えました」(青柳氏)


試験的に始まった中之条研究はスタートから17年が過ぎ、世界中の研究者から注目を集めている。

同研究では対象者に、運動や身体活動の状況、食生活、睡眠時間、病気の有無などを聞く
詳細なアンケート調査を年に1回行なって、健康状態を綿密に調べる。


中之条研究で蓄積された膨大なデータから明らかになったのは、
「歩くことは、健康に良い」とするこれまでの“常識”が崩れたことだ。


「歩く“量”だけでなく、“質”にも注意を払うべき」ということであり、
「歩数が多いほどいい、運動は激しいほどいい、という考えは誤り」
だという新常識である。

             

まず歩く「量」については、「一日8000歩」が目安となる。


「一日8000歩以上歩いても、健康増進や病気予防には、ほとんど意味がないことがわかりました。
歩く量が多いほど、肥満解消の効果はありますが、
体型に問題のない人は、一日8000歩を目安とすべき。

海外の研究では、運動量の多いアスリートほど、免疫力が低下するという結果も出ています。
適量の運動にとどめることは重要です」(青柳氏)


中之条研究で活動量計を用いて歩行の「質」のデータも収集された。
その結果について青柳氏はこう解説する。


「健康科学では、身体活動の強度を『低』、『中』、『高』の3段階に分けます。
強度が低すぎてもダメで、トライアスロンのように高すぎてもいけない。
大切なのは、“ほどほど”と思えるような『中程度の強度』の運動ということがわかりました」


青柳氏の研究によれば、中強度の運動は、新陳代謝を活発にして、心肺機能を強化するほか、
体温を上げて免疫力を高め、自律神経の働きや血行をよくする効果もあるという。


青柳氏は中之条研究の5000人の対象者を1日あたりの「歩数(量)」と
「中強度運動の活動時間(質)」で分類し、
それぞれのグループにおける様々な病気の有病率を調査。

運動の量と質が「病気の予防」とどう関係するかを解析した。
概要は以下のようなものだ。


(1)1日4000歩+中強度の運動5分以上→うつ病や寝たきりを予防
(2)1日5000歩+中強度の運動7.5分以上→認知症、心疾患、脳卒中を予防
(3)1日7000歩+中強度の運動15分以上→がん、動脈硬化、骨粗鬆症を予防
(4)1日8000歩+中強度の運動20分以上→高血圧症、糖尿病を予防

つまり〈1日8000歩+中強度の運動20分〉が、健康長寿をもたらすという結果が得られたのだ。
青柳氏はこの水準を「黄金律」と呼んでいる。


             

◆ゴルフでは「カートに乗れ」


健康長寿の大きなカギとなる「中強度の運動」とは、具体的にどの程度のものを指すのか。

運動強度を表わす単位に「メッツ(METs)」がある。
寝転がって安静にしている状態の酸素消費量を1メッツとして、
その何倍のエネルギーを消費するかを示す運動強度の尺度だ。


・低強度(1~2メッツ)……軽い家事、散歩、ゲートボールなど
・中強度(3~5メッツ)……やや重い家事、速歩き、山歩きなど
・高強度(6メッツ以上)……テニス、ジョギング、水泳など

といった分類になる。
青柳氏がその重要性を説くのは中強度の「速歩き」だ。



「家事なら、風呂の掃除などが中強度の運動になりますが、
シニアでも、より簡単にできるのは速歩きです。

ある程度の筋力を維持して、歩行能力の低下を防ぐことにつながります。
毎日の習慣にすれば、筋トレやジョギングといった特別なトレーニングは必要ない。


速歩きを心がけると、自然に背筋が伸び腕も振れて、姿勢の改善にもつながります。
“会話はできるけど、歌を歌うのは難しい”という程度の歩き方が理想的です」


追跡調査を始めて以降、中之条町では中強度の運動が意識されるようになった。

「たとえば自宅の2階に寝室とトイレがある方が、
わざわざ階段を降りて、1階のトイレを使うようになった。

田舎なので生活に車が欠かせませんが、住民の多くはお店の入り口から遠いところにあえて停車して、
歩く距離を増やします。
中之条町にあるスーパーの駐車場は、店の遠くから埋まっていくんです」(青柳氏)


さらに、〈1日8000歩+中強度20分〉という水準を守るには、
運動をやりすぎないこともカギとなる。


「たとえばゴルフでは、手引きカートで全18ホールをすべて歩きで回ると
運動量が多くなりすぎる。

ゴルフ場にカートがあれば、むしろ使うべきです。
最近はジョギングブームですが、皇居の周囲を走るよりも、速歩きしたほうが将来の病気予防につながる。


もちろん、家に閉じこもっていると、
歩数の上限が4000歩にしかならないことがほとんどです。

スポーツをして8000歩を達成する、というよりも
外出して8000歩にすることを心がけましょう。

部屋の中にいて太陽光を浴びないと、
認知症やうつ病、骨粗鬆症などのリスクも増すと指摘されています」(青柳氏)


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

             

ここ一週間の私の容姿は、制服のように愛用している半袖のスポーツシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固めている。

そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

            

こうした中、私は亡き母の遺伝を素直に受け継いで、恥ずかしながら男の癖におしゃべりで、
平素は何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策している中、情景にみせられてデジカメで撮ったり、
或いは休息にベンチで座ったりしていると、見知らぬ男性とか女性グループの御方たちと、
話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、殆ど毎日過ごしている。

私は足早に歩く時は、1キロを10数分ぐらいであるので、時速5キロと思われるが、
情景にみせられてデジカメで撮ったりすると、減速してしまい、
或いは見知らぬ男性とか女性グループの御方たちと談笑する時は、停止している。

このような状況が多く、今回の『健康長寿の「黄金律」 1日8000歩+中強度の運動20分』には、
程遠いかしら、と微苦笑してしまった。

そして私は負け惜しみのように、ときには1日12000歩を軽く超える時もあれば、
殆ど毎日のように継続こそが健康寿命を保つょねぇ・・と微苦笑したりした。

            

しかしながら今回、せっかく学んだのであり、体力の衰えた私は、
《・・一日5000歩+中強度の運動7.5分以上→認知症、心疾患、脳卒中を予防・・》
こうしたことを実践しょうかしら、思い深めたりした。

そして本日、晴れ間の30数度の熱い中、最寄り駅までの1キロの道のりを、
あえて遠回りして遊歩道を歩き、人生は気合だ、と自身を叱咤激励し、早歩きの時速6キロぐらいで往復して、
汗まみれとなったりし、少し頑張りし過ぎたかな、と微苦笑をしたりした。

しかしながら小庭の手入れで草むしりをすると、泥まみれ汗まみれとなるので、
これよりも楽だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

こうした中、私は来年の9月の誕生日になると、後期高齢者75歳となるが、
どうか健康で迎えることができますように、こっそりと祈願したりしている。

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『老後の生活破綻 ~身近に潜むリスクと解決策~』、長い老後を安らかに生きる為の教科書、と私は思い深めて・・。

2018-08-20 13:07:55 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。
 

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受して、早や14年目となっている。

          

       
過ぎし2011年(平成23年)の7月下旬のある日、
いつものように午前中のひとときに、平素の我が家の買い物専任者の私は、
駅前のスーパーに向かい買物に行った。

この後、本屋に立ち寄った時、過日の読売新聞の出版広告で、
たまたま中央公論新社の新書本の案内のひとつで、
西垣千春・著作の『老後の生活破綻 ~身近に潜むリスクと解決策~』を知り、
いずれは読んでおきたいと感じたりしたことを思いだして、本書を手に取ったりした。

            

そして解説文を読んだりした・・。
《・・認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業――
老後の生活にはさまざまなリスクが潜んでいる。

そして一度問題が生じると、周囲に気づかれないまま生活が破綻してしまうことも、
現代の日本社会では少なくない。

高齢者を助けるサービスはたくさんあるのに、なぜ十分に活用されないのか。
苦しむ高齢者を一人でも減らすため、

また、自分や家族がそうした事態に陥らないために、何が必要なのか。
豊富な実例とともに考える。・・》

このように明記された文を読み、買い求めたりした。

やがて私は帰宅後、この本を読み始めた・・。


          

本書の中では、第1章には『高齢社会の現実』に於いては、
《高齢化の特徴》、《健康》、《血縁と地縁》、《家計》が、丁重に解説されていた。

第2章には『事例で見る生活破綻』に於いては、
実例のパターン別に、《判断力の低下》、《健康状態の変化》、《近親者による経済的搾取》、
《子どもが親に経済的依存》、《予期せぬ事故・災害》、《詐欺による被害》を具体的に記載されていた。

そして第3章には『高齢者特有のリスク』に於いては、
《生活破綻の実態》、《セルフマネジメント能力の低下》、《人間関係の変化》、
《困窮にどう気づくか》の難題も明確に記載されていた。

或いは第4章には『サービス利用の有無を分けるもの』に於いては、
《こんなにある有用なサービス》など4大項目が解説されていた。

そして最終の第5章には『高齢者の生活破綻を防ぐために』に於いては、
《守らなければならないもの》など3大項目が提示しながら、解説されていた。

            

やがて夜にかけて読み終えた後は、
長い老後を安らかに生きる為の教科書のひとつだ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして本書は、齢を重ねた高齢者にとっては、

誰しもが避けて通れない切実な難題が数多く明記されているので、
これ以来、私は貴重な教科書として、思い深めている。

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老後最大の不安 医療・介護の費用、改めて高齢者の私は学び、やがて溜息を重ねて・・。

2018-08-19 12:44:42 | ささやかな古稀からの思い

先程、私は長らく愛読しているネットの【NIKKEI STYLE】を見ている中で、
『 老後最大の不安 医療・介護のお金はいくらかかる? 』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

              
      
過ぎし私は年金生活を始めて2年過ぎた62歳の頃、会社時代のOB懇親会が開催され、
私は御世話になった16歳上の大先輩と談笑していた中、
『年金生活の中、病気になって病院にお金を運ぶか、
或いは自身の好きな趣味に使うか・・人それぞれだよねぇ・・』
と私は言われたりした。

そして私は『確かにセカンンドライフを過ごす中、天と地ですよねぇ・・』
と私は漠然としながら応じたりした。
            
私が現役サラリーマンで奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
  
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

もとより70代、80代の私より年上の御方でも、心身溌剌と過ごされている方達も、
近所にいる御方、知人に多くいることも、私は知って、少しでも学ぼうとしている。
            
こうしたことを私は学びながら、年金生活で必要なお金は、
『衣食住』ではなく、突然に遭遇する医療費、そして晩年期に不安のある介護費を含めた『医食住』かしら、
と思いを深めてきた。

              

そして私は保険の見直し、高額療養費制度を含めた医療費の概要、
或いは家内の母が介護・要となっているので、介護に関することも学んできた。

しかしながら私は過ぎし日に学んできたことも、恥ずかしながら忘れてしまったことも多々あり、
今回の《・・医療・介護のお金はいくらかかる?・・》、大切なことであるので、
復習だよねぇ・・と思いながら精読してしまった・・。

この記事は、経済コラムニストの大江英樹さんが、『定年楽園への扉』の連載されている寄稿文のひつで、
【NIKKEI STYLE】に2017年11月2日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・老後最大の不安 医療・介護のお金はいくらかかる?

              

老後で最大の不安は、
健康です。
長生きするのはいいけれど、寝たきり状態や要介護になるのは避けたい、と誰もが思うでしょう。

でも、実際には、どうなるかわかりません。
医療や介護にかかるお金のことを考えると不安は増します。
費用は一体どれぐらいでしょう?

実は、この金額を正確に把握するのは、極めて困難です。
老後に必要なお金の中で「これだけあれば安心」と最もいいにくいのが、介護費用です。
なぜなら、病気も介護も、突然やってくることが多いからです。

私も、元気にしていた母親が、突然倒れて寝たきりになるという経験をしました。
しかも、それがいつまで続くのか、全くわかりません。

さらに介護は、どの程度のサービスを求めるかによって、かかる費用も違ってきますから、
はっきりした数字がつかめないのです。

              

■医療・介護費用は800万円が目安

そうはいっても、介護や医療にかかるお金がいくらなのかを知ることは、
かなり切実な願いです。
そこで目安となる金額をお教えしましょう。

介護費用については、実際に介護した経験がある人を対象に調査したデータがあります。
それは公益財団法人の生命保険文化センターが2015年に行った調査で、
1人当たりの介護費用(公的介護保険サービスの自己負担費用を含む)は、約550万円となっています。

内訳は毎月の介護費用が7.9万円、介護期間が平均4年11カ月で、計466万円。
さらにバリアフリーに対応した住宅への改修など、一時的な費用が。計約80万円です。

次に医療費についてです。
これも参考となるデータがあります。

それは厚生労働省の統計で、60~89歳までの医療費の自己負担額(保険料を含む)は
2014年度実績で平均115万円となっています。

万が一、がんにかかるなど高額療養費制度を利用した場合についても、
70歳以上なら自己負担額の上限は、月に5万7600円です。

仮に12カ月入院しても自己負担額の合計は、約69万円となります。
先ほどの115万円と合わせると約184万円です。



前述の介護費用約550万円に、医療費約184万円を合算すると、約734万円です。
少し余裕を見て800万円というのが1人当たりの医療・介護費用のメドと考えていいと思います。

自分の子供たちに介護費用の負担をかけたくないのであれば、
これぐらいの金額は準備しておいた方がいいのではないでしょうか。

800万円というとかなりの金額と思えるかもしれません。
現役時代から老後資金の一部として、コツコツと資産形成するなどして備えましょう。

              

■ずっと元気なことが最も大切

もちろん、1人当たり800万円という数字は、
あくまでも平均的な費用から割り出した目安にすぎません。
現実には様々なことが起こりえますので、一人ひとり、金額は当然異なります。

例えば、介護に関しては平均は、あくまで平均です。
先ほどの調査でも介護期間は平均5年弱ですが、
1年未満の場合が約12%、10年以上の場合が約16%あります。

従って、100万円以内で済むこともあれば、1000万円以上かかることもあるわけです。

ただし、メドを知ることである程度、不安は軽減されると思います。
老後の資金計画を練る上でも、大いに役立つことでしょう。

最も大切なことは、要介護にならないようできるだけ普段から、健康管理に気をつけることです。
ずっと元気なら介護費用はゼロなのですから。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

              

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、或いは私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ丸14年近く過ごしてきた・・。

そして『医療費』に関しては、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』があり、
高額治療になった場合は、『高額療養費制度』より程ほどの自己負担で済むから、
と私たち夫婦は話し合ってきた、

私たち夫婦にとって難題は、やはり晩秋期の不安は、いつの日にか、介護・要となり、
介護施設にお世話になる時と思われる。

こうした中、要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。

              

そして私たち夫婦は、いつの日にか要支援までであったら、何とか自宅で過ごせると思われるが、
やはり要介護になってしまったら、やむなく介護施設に入居すると思案したりしてきた。

やがてどちらかが、国の支援を受けている費用が程ほどに適度な特別養護老人ホームに、
入居が叶(かな)わなくなってしまった時、困苦する。

やむなく高価と称されている有料老人ホームに、断腸の思いで自宅の敷地を売却して、
介護施設に入居しなくてはならない場合もある。

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の外れに住んでいるが、
程近くにある三つばかり参考例として記載する。

A:入居費(0万円~840万円)そして月額(21.1万円~35.5万円)
B:入居費(0万円~1580万円)そして月額(0万円~63.7万円)
C:入居費(0万円~3600万円)そして月額(27.4万円~115.6万円)

入居費が廉(やす)ければ、月額の負担が多い上、
やはり介護の難度、施設の優良度合により、大幅な差異がある、と思われる。

もとより介護
の難題は、いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、
やがて永がられば本人の自己負担額が増し、
貯金は切り崩しても資金不足となり、
当然ながら、退所が余儀なくされて、行き場がなく迷子のような介護難民になることである。

私たち夫婦は、裕福層には遥か遠い年金生活の身であるので、
改めて有料老人ホームの入居費、そして毎月の負担額が余りにも高価に、溜息をしたりした。


                     

ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。

このように不運にも60代で、この世とお別れをする御方はいるが、
殆どの年金生活をされている御方は、御自身のそれぞれの願いを叶えたく、その人なりの自助努力で、
心身ともに自立して健康を配慮して過ごされ、セカンドライフをそれぞれ享受して過ごされている。

こうした中、体力の衰えた私でも少し見習って、殆ど毎日のように散策して、
ときには認知症、或いは脳梗塞などは勘弁してねぇ・・と思い深めたり、
そして叶(かな)うならば介護施設に無縁で、終末期を過ごしたい、と念願したりしている。

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認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」、高齢者の私は真摯に学び、多々教示させられて・・。

2018-08-18 14:39:23 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している文藝春秋の公式サイトのひとつ【文春オンライン】を見ている中で、
『 認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」 』
と見出しを見てしまった。

私は都心の郊外の調布市に住む年金生活をしているまもなく74歳の身であるが、
これまで幸運にも、大病で入院したこともなく過ごしてきた。

そして健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
殆ど毎日のように散策したりしている。

或いは過ぎし医学ネットで『認知症にならないための脳の7つの習慣』に於いて、
散歩をする、新聞を声を出して読む、料理をする、社会と交わる、電車やバスに乗る、
毎日日記をつける、をする、などの七か条を学んだりしてきた。

しかしながら不運にも認知症になってしまったら、
私たち夫婦は子供に恵まれず家内とふたりだけの家庭であり、
いずれにしても介護する方は、あなたは誰なの・・このような表情で応対されると、気力が萎えてしまう、
と思いめぐらす時もある。

このような心情を秘めている私は、認知症医療の第一人者の御方が、
「みずから認知症になって、わかったこと」を真摯に学びく、精読してしまった。

この記事は、【文春オンライン】に2018年5月6日に初配信された後、
好評により、8月18日に配信され、
無断であるが記事の前半を転載させて頂く。

            

          
《・・社会の高齢化に伴い、認知症患者が急増している。
厚労省の発表によれば、2012年時点で国内の65
歳以上の認知症患者数は462万人にのぼり、
2025年には約700万人、高齢者の約5人に1人が認知症になると推計されている。


精神科医の長谷川和夫氏(89歳)は、
1974年に認知症診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表した、認知症医療の第一人者だ。
認知症ケア職の人材育成にも尽力してきた長谷川氏は、昨年10月の講演で、自らも認知症であることを明かした。


半世紀にわたり認知症と向き合ってきた長谷川氏が、当事者となったいまの思いを率直に語った。

◆ ◆ ◆

私は50年以上、認知症を専門としてきました。
認知症がどのようなものか、大体のことは分かっているつもりでした。


その私が認知症になって痛切に感じたのは、「確かさ」が、はっきりしなくなったことです。

医師として、私は認知症は、次のような段階を進んで「確かさ」が失われていく、と説明してきました。
まず、今が、いつなのかが明らかでなくなる。
次に、今どこにいるかが、はっきりしなくなる。
最後に、目の前にいる人が誰なのか、分からなくなってしまう。


私の場合は、自分が話したことを忘れてしまうことから始まりました。
話したと思うんだけれども、どうもそうでないような気もする。

さらに、昨日の日付は、分かっていたのに、
翌日になると、今日が、何日か分からなくなる。

自宅を出るとき鍵を閉めても、鍵を閉めたことが、はっきりしないから、
来た道を戻って確認しなければ気が済まない。
ひどいときは、一度確認したことを何度も確かめたくなる・・・。


こうしたことから、自分が認知症ではないか、と疑いはじめました。

            

☆ありのままを受け入れる

私は当初、自分をアルツハイマー型認知症ではないか、と考えました。

アルツハイマー型認知症は、脳の神経細胞に「老人斑」というシミのようなものが
広がることなどで起こる、認知症の中でも最も多いものです。


そこで、認知症専門病院である和光病院(埼玉県和光市)で、さまざまな検査をしてもらいました。

認知症の診断では、私が開発した「長谷川スケール」(1991年に改訂)を用います。
長谷川スケールは、「お齢はいくつですか」、「今日は何年の何月何日ですか、何曜日ですか」
といった9つの質問によって構成されており、それぞれの得点を合計して、認知症の有無を診断します。

しかし、開発者の私は、この質問項目を全て覚えているので、正しい診断ができない(笑)。
なので、難しい心理テストをいくつも出してもらうことになりました。


その結果、私は「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」と診断されました。

60代から70代の患者が多いアルツハイマー型認知症とは違って、
この認知症は80代以降の人に起こることが多いものです。

特徴は、正常な状態と認知症の状態とを行ったり来たりすること。
午前中はしっかりしているけれど、午後になって疲れてくると、認知症の症状が出てくる。
80代、90代という、人生の晩節期に起こる認知症です。


ただ、認知症の中では、ひどい症状を引き起こすものではありません。
忘れ物はたくさんするけれども、一晩寝れば治ってしまう。
毎日がその繰り返しです。

だから、診断を受けたときも、そんなに心配しなくて良いだろうと考えました。


認知症は、長生きすれば、誰にでも起こり得ることです。
だから、ありのままを受け入れるしか、仕方がありません。

まずは、自分でできる範囲のことをやる。
その上で、少しでも人の役に立つようなことができたら、それ以上嬉しいことはない・・・。
そんなふうに考えながら、日々を送っています。

            

自分が認知症になって初めて体験したことの1つは、
週に1回、デイケアに通うようになったことです。

私はこれまで、患者さんに
「ケア職の人に接するのは、とても良いことだから、
週に1度や2度でもいいから行ってごらんなさい」と勧めてきました。
それが、いまでは勧められる立場になったわけです。


デイケアに通うようになって、まず驚いたのは、
スタッフ一人ひとりが、利用者の情報をよく知っていることです。

スタッフが、それぞれ何人かの利用者を受け持っている、というのではなく、
スタッフ全員が、みんなのことを把握している。

こちらは馴染みのないスタッフでも、向こうは私のことをよく知っている。
利用者としては、大きな安心感があります。


それに、こちらが少しでもボーッとしていると、
「長谷川さん、どうしたの? 何か困ったことでもある?」、
「ちょっとこっちへ来て、こんな体操をやってみない?」と、すぐさま声がかかります。

すれ違ったときにも「長谷川さん、お昼ご飯は美味しかった?」とかね。


簡単なゲームをする時間もあって、それがまた面白いものばかり。
雰囲気は非常にゆったりとしていて、人と人とのつながりが温かい。
デイケアというのは、すごいものだなと、本当に感心しました。・・》


注)記事の原文にあえて改行を多くした。

            

私は記事を読みながら、認知症の日常生活の思い、デイケアの状態、そしてスタッフの応対など、
多々教示された。

これまでの私は認知症に関しては、父の妹のひとり(叔母)の晩年期、
認知症になり会話、しぐさに私はお気の毒と感じたり、哀れみを感じていたことは、
本音であったりした。

しかしながら、記事を読み終わった後、何かしら認知症に対して、どの御方でも、
その人なりの晩年期の尊厳の光明を感じたりした。

何よりも『認知症は、長生きすれば、誰にでも起こり得ることです。
だから、ありのままを受け入れるしか、仕方がありません。
まずは、自分でできる範囲のことをやる。』
この御言葉を私は、かみしめるように深く学んだりした。

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祖父母の孫疲れ、お金・体力・気遣いをめぐる本音、子供がいない私は、改めて学び微苦笑させられ・・。

2018-08-17 15:01:14 | ささやかな古稀からの思い

先程、くらしとお金の経済メディアで名高いサイトの【LIMO(リーモ)】を見ている中、
【 祖父母の孫疲れ、お金・体力・気遣いをめぐる本音はコレ! 】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、年金生活は早や14年目となっている。

こうした中で、息子、娘もいなく、もとより孫もいないので、何かと世間に疎(うと)くなっている。
過ぎしサラリーマン時代のOB懇親会の延長戦の二次会に於いて、
仙台市の郊外に住む同期だった男性から、何かのなりゆきで孫について、私に話された。

『孫は確かに可愛いけれど、何かとお金がかかるょ・・』と私に話された。
息子家族が年末年始に来てくれるけど、せっかく来てくれるので、お嫁ちゃんの立場を配慮して、
外食代、交通費、お土産まで用意したりしている。

孫ふたりいるが、保育園より小学、中学、高校の入学期にお祝い金を出したり、
何かと出費が多くて・・このようなことを苦笑しながら、私に話された。

このようなことを私は学び、お孫さんは可愛いと感じながら、
何かと年金生活の中で、大変だなぁ・・と感じ深めたりしてきた。

しかしながらお孫さんに関する具体的な内容に関しては、もとより聞けないので、どのようなことなの・・と思いながら、
前回の
『週刊朝日』に掲載された『見返りはなく…子や孫への援助で「老後破産」に?』に続いて、
改めて真摯に学ぼうと思い、精読してしまった。

この記事は、初めて
peekaboo(ピーカブー)さんの寄稿文であり、
【LIMO(リーモ)】に
8月17日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

               

《・・祖父母の孫疲れ、お金・体力・気遣いをめぐる本音はコレ!

孫は、かわいいはずなのに、会うとなぜか疲れてしまう。
そんな“孫疲れ”を感じている人が増えているそうです。

これまで多くの祖父母の間では「孫には責任がないから、ただかわいい」というのが通説のようでしたが、
一体何がじーじ・ばーばを疲れさせているのでしょうか。
それは、悪気なく振る舞っているパパとママの態度が原因かもしれません。

☆金銭面での孫疲れ

「長期休暇のたびに、マメに帰省してくれるのは嬉しいけど・・・
孫のおもちゃを買って食事を用意して。

1週間の滞在で、いくら使うと思ってるの? と言いたいところだけど、
息子と孫かわいさで、ついやってしまうんです」(55歳/女性)


いくつになっても、かわいい我が子と孫が帰ってくるとなれば、
豪華な食事を振る舞ったり、好きなものを買ってあげたりしたい、じーじ・ばーば心。

しかし本音のところでは、けっこう痛い出費だと感じている人も多いのだとか。


それが5月連休・お盆・お正月と続けば、家計が疲れてしまうこともあるでしょう。
滞在が長期になる場合は、食費としてお金を渡すなど、気づかいが必要な場面もあるかもしれませんね。


さらに最近「お盆玉」と銘打って、新種のポチ袋が発売されているようです。
これが世に浸透すれば、お年玉のように“お盆はお小遣いをもらうもの”というスタイルが
定着してしまうかもしれませんね。

これではますます孫疲れを加速させるかも!? 



実家が近いと長期の帰省は、ないかもしれませんが、
日常でも、金銭面での孫疲れを感じることもあるようです。


「年金暮らしなので、私たちもあんまりお金持ってないですよ。
家のローンは完済しましたが、これからその分を、老後に迷惑かけないように貯めておくつもりだし。

それなのに、娘は我々が打ち出の小槌を持っているとでも思っているのか。
子どもの服も買ってもらって当たり前のような顔をしています」(65歳/男性)


パパとママも、自分たちの親が相手となると、
お金を出してもらうことに、何の遠慮もなくなることがあるようですね。

しかし、もう独立して家庭を持つ身。
出してもらって当たり前の態度は、ちょっと考えものかもしれません。


              

☆肉体面での孫疲れ

「育児の大変さは、わかっているので、なるべく助けてあげたい気持ちはあります。
孫はかわいいですしね。

でも、体力が追いつかないんですよ。
だから、あまり頻繁に連れて来られると、嬉しいやらキツイやら・・・」(53歳/女性)


「第2子誕生の前後に、上の子の相手を頼まれました。
それはいいのですが、公園遊びは、かなりしんどかったです。

そこはパパが休日に頑張るか、授乳の合間にママがやってくれれば助かったんですけどね。
体力的には、下の子を預かるほうがよかったかな」(60歳/女性)


子どもの面倒を見てくれる人が、ほかにいるときは、ママが少し息を抜くチャンスでもあります。
しかし日頃から、育児に奮闘しているママにとっては、慣れっこなことでも、
じーじ・ばーばにとっては、体力をかなり消耗する出来事もあるかも。

体力的には、パパ・ママの半分ぐらいが限界と仮定して、
どんなお世話をお願いするのか、考えてみるといいかもしれません。

              

☆精神面での孫疲れ

「いくら孫とはいえ、人の子どもを預かるのって、神経使いますよ。
怪我させたらいけないし、食べ物も与えていいのか、いちいち迷うし。

1日面倒を見ると、気疲れで翌日ぐったりです。
正直、冠婚葬祭など、どうしてもの理由でなければ、預かるのは避けたいのが本音」(50歳/男性)


「お嫁さんの前で、孫と接するときは、いろいろ気になります。
育児に対する考え方が違っても、私たちに面と向かって言いづらいでしょうから。

私の何気ないひと言が、イヤミと勘違いされたら困るので・・・
孫に話しかけるときも、お嫁さんの育児を否定しないように気をつけています」(58歳/女性)


実母に、見てもらうときにありがちな話ですが、
預かっているのにも関わらず、小言を言ってしまったことはありませんか? 

「甘いもの食べさせすぎないで」など直接言うだけでなく、
子どもに「もしかして今日、ずっとテレビばかり見てたの?」と問うことも、
間接的にじーじ・ばーばを責めているように、聞こえるかもしれません。


お昼も何か食べさせてくれるだろうと期待して、用意もせずに預ける。
これも、じーじ・ばーばにとっては、「何を食べさせようか・・・」と悩みの種になることもあります。


また意外と義母も、我が子が生んだ子どもでないからこそ、遠慮をすることもあるようです。

              

☆親に甘えっぱなしの番は終わり

まさに“親しき仲にも礼儀あり”かもしれませんね。
結婚して、子どもができてひとつの家庭を築いている今、実の親であっても別の家庭。
いつまでも甘えるわけには、いかないこともあります。

じーじ・ばーばが、孫疲れをして、いざ本当に困ったときに助けてもらえない! 
なんてことになりませんように。
日頃から甘えの度が過ぎていないか、考えることも必要なのかもしれません。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、もとより孫もいないので、
実感がなく、少子高齢化の加速する今日、ときおり私も責任を感じる時もある。

こうした中、私の友人、知人などと懇親会で談笑する中、
『孫は可愛いが・・3時間ぐらいあずかると疲れてしまうょ・・』
と私は聞いたりしてきた。

或いは私は独りで公園などに散策して、休憩でベンチに座ったりしている時、
ある日、若きママがベビーカーで、一歳前後の男の児を乗せてきた・・。

まもなく男の児は、歩き出して、笑いながら私の方に手を振ったりした。

私は微笑みながら少し手を挙げて振ったりした。
そして私は、あどけない笑顔、しぐさに、100万ドルの笑顔だよねぇ、
と瞬時に心の中で呟(つぶや)いたりした。

まもなく若きママが私に近づいてくると、
『あどけなさ・・可愛いですねぇ・・』
と私は微笑みながら若きママに言ったりした。

やがて若きママが、男の児に、
『おじさんに・・バイバイしましょうねぇ』
と言ったりした後、男の児は私に手を振りながら、ベビーカーに向かって歩いた。

こうしたような私の体験は幾たびもあり、友人、知人から孫可愛いことを思い重ねたしてきた。

昨今、祖父母にとって、「孫疲れ」
の話題が新聞、雑誌などで私は読んだり、
友人、知人からも私は聞いたり
してきたが、今回の記事により、
何かとお孫さんの育児には、大変だなぁ、と改めて感じ深めたりしている。

              

余談であるが、我が家は家内の母が遠方地に独り住まいをして、ここ3年は介護・要の身となっている。
長女の家内と次女の家内の妹は、逐次連絡しあって交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした中、家内は6泊7日前後で、家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている。

このように私たち夫婦は、年金生活の中、何かと家内の母の状態に左右されることもあり、
我が家は、孫疲れの体験はないが、家内は老々介護で疲労困憊になる時もある。

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