夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎ去りし、この7月の私なりの思いは・・。

2009-07-31 16:11:55 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む民間会社のサラリーマンを卒業した64歳の身であるが、
定年退職後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日々を過ごしてまもない時、
ブログの世界を知り、日々に感じたこと、思考したことを
心の発露とし、殆ど毎日投稿してきた・・。

投稿出来ない時、国内旅行に出かけた時かパソコンの買い替え、故障などであり、
少なくとも毎日綴れば、日々の確かな心のうつろう思いが残り、
過ぎ去った後、何かの機会に読み返せば確かに蘇(よみがえ)るので、
私は投稿してきた。

このような思いで、この七月も月末を迎え、
今年の七月はどのような思いで過ごしてきたのかしら、
玄関の軒下で煙草を喫いながら、ぼんやりと思い馳せたりした。

14日に『梅雨明け』宣言は行われたが、この七月は晴れ渡った真夏日は数日しかなく、
曇り時々雨、或いは小雨の降る一日が多く、戻り梅雨の日々が続いた。
私は暑さに苦手な身であるが、さすがに陽射し恋しく、空を見上げたりしていた。
樹木の枝葉で休息している蝉(セミ)も元気なく、
ときおり鈴虫(スズムシ)は思いだしたかのように、かぼそい声で鳴いている・・。


この後、私は居間に戻り、パソコンの前でこのサイトを開いたりした。

 1日に於いては、【映画『シェーン』の私なりの想いで・・。】

 2日に於いては、【まとわりのない文月の7月を始まり・・。】

          【今年の上半期、最も愛され唄われた曲は、GReeeeNの『キセキ』・・。】

 3日に於いては、【過ぎ去りし、定年退職後の私の7月3日の思いは・・♪】

 4日に於いては、【改めて、無力な私なりの政治の思いは・・。】

 5日に於いては、【ふたたび、私が好感するサイトとは・・♪】

          【我が心の片隅には、シャンソンの名曲が秘そみ・・。】

 6日に於いては、【ときには、都心に買物・・。】

 7日に於いては、【改めて、私なりの七夕(たなばた)の想いで・・♪】  

 8日に於いては、【改めて、小庭を眺めれば、その人なりの人格・・♪】

 9日に於いては、【梅雨空の時節、天上の気候の神々は気まぐれ・・!?】

10日に於いては、【この梅雨の時節、午後は読書と昼寝となり・・♪】

11日に於いては、【たがが夏祭り、されど夏の風物詩・・♪】

12日に於いては、【たがが都議選、されど都議選・・。】

13日に於いては、【齢を重ねた私達夫婦の記念旅行は・・。】

14日に於いては、【東京郊外の田舎者、京の『祇園祭』を拝観する前に・・。】

18日~20日に於いては、【京の『祇園祭』、街衆の熱意と限りなく英知の結晶・・。】と題し、7話。


20日に於いては、【ときには、たわむれに『名前』のおみくじ・・!?】

21日に於いては、【新聞の休刊の朝は、少し寂しく・・。】

          【『東京ターミナル駅、皇居の深度に大地下駅』・・!?】

22日に於いては、【東京の郊外は、梅雨の時節のような天気が続き・・。】

          【齢を重ねた私、ときには文庫新書を二冊を選べれば・・。】

23日に於いては、【私の夢、ときには三本立て・・。】

24日に於いては、【東京の郊外は、陽射し恋しく・・。】

25日に於いては、【過ぎ去りし、定年後の私の7月25日の思いは・・♪】

          【今宵の『隅田川花火大会』、我が家は今年もテレビ観賞・・。】

26日に於いては、【改めて、私が初めて『ラムネ』を飲んだ頃・・♪】

          【齢を重ねた私、『ラムネ入りアイス』に驚き・・。】

27日に於いては、【遅ればせながら、月刊雑誌『フォーサイト』の購読者のひとりとなり・・。】

28日に於いては、【過ぎ去りし、定年後の私の7月28日の思いは・・♪】

          【思わず、魅了される『長山藍子』さんの思い・・。】

29日に於いては、【年金青年、民主党の政権公約で危惧すること・・。】

30日に於いては、【政争の喧騒の中、私は静寂に千年の心を託(たく)し・・。】

本日の31日に於いては、【嵐山光三郎・著の『おはよう! ヨシ子さん』】


このように投稿していたので、私は読み返して、苦笑していたのである。


私の年金生活に於いて、殆ど毎日、買物と散策をし、季節の移ろいに心を寄せたりしているが、
大半は小説、随筆、歴史書、現代史などを読み、総合月刊誌などを読んだりしているので、
日々は急速に過ぎ去ってしまうのである。

その上、この月から新たに購読する月刊誌『フォーサイト』が昨夕に配達され、
私の悪い癖の活字中毒は、益々悪化し、時間の配分に困惑したりしている。

ここで思い出したのであるが、外出した時に、
40代以上の女性の少しばかりの妖艶なしぐさ、魅了される言葉をここ10日ばかり見たり、
聴いたりしていないと余計なことに気付いたのである。

そして私は、何事も好奇心を失くしたら、この人生は終りかしら、
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。



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嵐山光三郎・著の『おはよう! ヨシ子さん』

2009-07-31 10:15:59 | 読書、小説・随筆
私は作家・嵐山光三郎氏の作品に関しては、『西行と清盛』、『文人悪食』、
『追悼の達人』、『悪党芭蕉』、『死ぬための教養』、『人妻魂』、『編集者諸君!』の順で読んできた記憶がある。

特に『追悼の達人』を読んでいた時は、深く感銘させら、
これ以降は店頭で見かけた時は、無条件で購入し、読むことにしている。

こういた意味合いから、このサイトに於いても、
嵐山光三郎氏に関しても数多く綴ったりしているが、
過日の『編集者諸君!』を読了した後は、
【嵐山光三郎・著の『編集者諸君!』を拝読して・・。】
と題して、2009年1月19日に投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・

(略)

今回の『編集者諸君!』についは、著作者の嵐山光三郎氏の『あとがき』で明記している通り、
『本の雑誌社』に連載した随筆を一冊の本に集約した本である。

私はこの中で、特に教示させられたのは、
【 西行は007である 】と題された随筆であり、
正月の三が日にしばしば読み返し、思索させられたひとりである。

無断であるが、引用させて頂く。

《・・
西行は天皇を守護する北面の武士であった。
皇居の北面を守る武士で、いまでいえば皇居警察にあたる。
天皇の権力が絶大な時代であったから、
警視庁公安幹部といったほうが正確だろう。


西行が出家したのは、保身である。
そのまま天皇親衛隊をつとめていれば、西行は必ず殺されていた。

天皇と上皇が争った保元の乱は到底乗り切れなかったはずである。
うまくわたり歩いて保元の乱を乗り切っても、
それにつづく清盛vs義朝の平治の乱は乗り切れるものではない。

西行の元同僚は、平治の乱までに、
ほぼ半数が戦死あるいは戦犯として斬首されている。逃亡した者もいる。

勝ち残った清盛(西行と同年齢の旧友)にしたところで、いずれ負けるのだから、
西行は、知人友人同僚のほぼ全員の死を見届けるのである。
西行はそれを予見していた。


西行は逃げたのである。
『山家集』の成果によって日本の名だたる歌人となったものの、
戦乱のさなかに死んでいった武士輩の仲間からみれば、
卑怯者であり、逃亡僧であり、一番ずるくたちまわった。

そのことを書いている人は一人もいない。
みな、西行に心酔しきっているためである。


西行は軍人であった。
軍人が戦争を前にして突如ぅ詩人にくらがえしたようなものである。
軍人でなければかっこうはつくが、軍人であるがゆえにぶざまである。
そのいらだちが西行を果てしない放浪へとさそった。


西行の研究家のみならず、古典文学研究家や愛好者がおちいる罠は、
時代の現実生活を見ない点である。
いちおうの知識はあっても、文学の世界を、
現実の世からかけはなれた秘密の花園としてしまう。

それは書かれた作品によって構築された作家の内面にすぎず、
まんまと書き手の手口にはまってしまう。
「時代は戦乱のさなかであり、京の都は血で血を洗う戦いの連続であった」
ぐらいで、
「その乱れた時代に背をむけ孤独の旅をつづけた」
というくらいの認識である。


たとえば、保元の乱のとき西行はなにをしていたか。
それについては「ひそかに見物していた」という記録があるくらいで、
鎌倉時代に書かれた『西行物語』にしたところで、そこのところはとんでいる。

西行は、葬儀にはよく出た人で、
上皇、天皇、皇后の葬儀には必ずかけつけている。
仕えていた徳大寺大臣家の葬儀、歌友の葬儀にもかけつけているから、
山の中に住んでいるとはいえ、世間の動きには敏感であった。
・・

西行は出家してからも、政治の枝葉末節にかかわっていたはずである。
仕える家が大臣家であり、鳥羽法皇や崇徳院との知己を得ていたことでも、
ただの歌人でないことがわかる。
清盛ももとの同僚である。
そういった血なまぐささから逃れようとしても、逃れられるはずがない。
放浪僧に化けた宮廷歌人であり、その底に軍人の意地が流れている。
世間をケムに巻く007のようなものだ。

西行の歌はめちゃくちゃうまい。

絶品である。死に方までもドラマティックである。
時代がたてばたつほど、その虚構の純粋さが光を放つ。
だからぼくは、
「まてよ」
と思うのである。

・・

注)作者の原文より、あえて改行を多くした。



私は短歌を詠む素養はないが、やはり西行の遺された歌の数々に魅せられ、
安田章生・著の『西行』、白州正子・著の『西行』、
上田三四二・著の『この世 この生 ~西行・良寛・明恵・道元~』など10冊前後を読んだりしていた。

今回、この本を拝読していたのであるが、
西行の生きた時代の現実生活の背景を怜悧に考慮しなければ、
西行自身の実像はもとより遺された歌の数々が視(み)えてこない、
という嵐山光三郎氏の明晰な評価を学んだのである。

嵐山光三郎氏はもとより國學院大學文学部国文科で中世文学を専攻され、
平凡社で『太陽』の編集長を歴任した後、
数々の温泉紀行、料理に関しても随筆を書かれる多彩なお方でもある。

今回の『西行は007である』の中で、
《・・
机の前には百冊近くの西行関係資料があり、
まずそれをざ-っと読むのに1年かかった。
それから枝葉末節を半年ほじくって・・》

注)作者の原文より、あえて改行を多くした。

このような真摯で凄冽なほどに題材に向われ、書き上げるお方であり、
何より平凡社に勤めた編集時代に、
多くの創作に携わる作家の表と裏を身近に観続けてきた側面が加わって折、
こうした西行に関し、現世に於き稀(ま)れな提示した渾身の随筆を書き上げる才気の人である。

この作家にあえて苦言を書けば、
タイトルは安易に付けられこともあり、綴られる文章に、ときおり遊びがある。
そして、かって作者は、『西行と清盛』を書かれていたが、
壮大な大河小説でも出来る題材を流したように書き急ぎ、
と惜しまれる小説だった、と私なりに感じていたのである。


このよう感じたりしていたが、
現世の作家の随筆などで、中味が濃い名文を書き上げ、私が感銘を受ける人は、
嵐山光三郎、角川春樹の両氏しか私は知らないのである。
・・】



このように投稿していたが、今回の『おはよう! ヨシ子さん』も、
本屋で何かしらと思い、偶然に見かけた作品であった。

http://www.shinkosha-jp.com/details.jsp?goods_id=2374

この解説文に明示されている通り、
今回は著作者の母上で「ヨシ子さん」と称した91歳のご高齢(作品発表時)、
著作者自身も66歳(作品発表時)で、
同じ敷地の別棟で暮らし、過ごされている。

母上はご高齢の日常生活に於いて、
《・・
記憶力はまあ半分ぐらいはちゃんとしているほうだが、耳は遠く、体力がついていかない。
頭はしっかりしているのに、体が言うことを聞かない。

箸1本が重く、リンゴひとつ持つのがやっとである。
ヨシ子さんが俳句を詠もうとする念力が、生きる力を呼びおこす。
なにか題材を見つけるために、夕方は、杖をついて散歩に出る。

フーラフラとした蚊トンボみたいな散歩で、見ちゃいられない気もすするけれど、
散歩を休むと、かえって体調が崩れる。

ヨシ子さんは、俳句で生きている。

(略)
・・》
注)原文(ページ64)より引用したが、あえて改行を多くした。

このようにご子息の著者の視線から、母上のヨシ子さんを見守り、
そして、 せっかちだったという著者の父、ヨシ子さんの夫はすでになく、
ヨシ子さんは小さな仏壇に毎朝花と御飯を供え、毎日俳句を詠み、
それを毎日見ていた著者は、ヨシ子さんの詠む俳句を毎日「相談にのっている」情景が主軸で、
さりげない日常が描かれている。

そして著者はご高齢のさりげない日常を優しいまなざしで描かれ、
父上の思いで、そして弟ふたりとの交流と過去の出来事を綴られ、
ヨシ子さんの家族の軌跡として重ねている。


淡々と日常生活の母上と著者自身の周辺の出来事を加味され、
私なりに多々教示を受けたのである。
私は64歳の身であるが、改めてご高齢のご婦人の日常の思い、願いはこうであったのかしら、
そして著者自身の日常の思索、ふるまい等である。



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政争の喧騒の中、私は静寂に千年の心を託(たく)し・・。

2009-07-30 11:17:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
ここ一週間は衆院選の自民党と民主党の政争にテレビのニュースで視聴したり、
読売新聞、総合月刊雑誌の『文藝春秋』、『中央公論』などを読んで過ごし、
このサイトに私なりに感じたことを数通を投稿してきた・・。

私は政治も無知で、少しボケた無力な身であるが、

 夢のあと 国民あざむき 孫泣く

と川柳も詠めないつたない身の私は、心の中でつぶやくこともあった。

夢の競演のような自民党、民主党の政権公約を眺めても、衆院選が終った後、
民主党が政権されると予測するが、今後の日本は衰退する、と感じたりしている。

このことは、昨日に『年金青年、民主党の政権公約で危惧すること・・。』と題し、
投稿したので省略するが、思い立った三項ぐらい実施ができなければ、
世間で云われているやはり寄せ集めの議員の集いだったとなり、
確固たる日本の政策を明言、実施はできず、国際の主要国からの信頼も失われ、
国力は低下し、やがては衰退する、と思ったりしたのである。

もとより世界の主要国は、外交、軍事、経済、微力な文化などを背景とした国益に基づき、
怜悧な国際政治が行われている中、
日本は少ながらず貿易立国として、世界の各国から比べれば、遥かに豊かな生活を享受している。
緊急の課題として、昨今の世界的な経済の悪化を克服すれば、
程ほどの今後の国民の生活は予測される恵まれた国民、と感じている。

しかし、国際の主要国の世論賛同も得られず、信頼されない日本となった場合は、
少なくとも国民は現状より、遥かに悲惨な生活が予測されるので、
一部の政治家、官僚、国民は解かっているのかしら、と私は危惧し、憂いたりしている。


このような憂愁な思いでためらいながらも、ここ一週間は過ごしたりしている。

こうした世の中の政争の喧騒の中、無力な私は、むなしさを感じ、
古来からの人々の機敏あふれる日本人の心情に思いを馳(は)せたり、
四季折々の限りなく美しい日本の情景に思いを重ねたりし、ため息をしたりしている。

そして遥か彼方の平安、鎌倉、室町時代などの美の結晶を思ったりし、
それぞれの幾重かの時代を超越し、現世の私達の遺(のこ)された確かなもの思いながら、
こうしたことに信愛を深め、つたないなりに残された歳月を過ごすのが良いかしら、と深く思ったりしている。

こうした言動は、世間で云われている世捨て人かしら、と微苦笑したりしている。



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年金青年、民主党の政権公約で危惧すること・・。

2009-07-29 08:51:59 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
いつものように今朝のひととき、読売新聞で衆院選の自民党と民主党の政権公約の対比表を読んだり、
苦笑をしたりしている・・。

もとより私は政治も疎(うと)く、何よりも限りなく美しい日本の山川草木に心を寄せ、
そして中年女性以上のしぐさ、言葉に魅了されたりする拙(つたな)い身である。

このようなふしだらな年金生活を過ごしているが、
今回の政権公約の対比表を読んだり、
思わず野球のバッターでたとえるならば、自民党の公約は確実にヒットの打てる三割バッターと感じ、
民主党の公約はホームランを打てる強力バッターで、日本を一新できるかしら、
好感したりした。

そして私はぼんやりと考え、あえて民主党に危惧することは、

①公務員労組に支えられている党は、本気で公務員の改革はできるか。
②『新テロ特措法』は延長し、国際世論の賛同を得るようにする。
③景気回復後は、『消費税』増税を明言すること。

朝のひとときに思い立ったことであるが、少なくともこれぐらいは明確に言動できなければ、
いつまでも園児のような優等生であったり、
ときには反抗心ばかり残した大人の群集かしら、と感じたのである。

今回の衆院選を機会に、怜悧な国際社会の中、日本の真の大人になれ、と私は期待しているのである。


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思わず、魅了される『長山藍子』さんの思い・・。

2009-07-28 17:54:28 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
子供に恵まれなかったので、ふたりだけの家庭である。

昨日の朝、いつものように読売新聞を読んでいたら、
思わず微笑みながら、深く精読したのである。

『くらし/家庭』面の中で、『お品書き』というコーナーがあり、
今回は女優・長山藍子さんが『手打ちそば』を主題に、
この思いなどを語られ、記者・鳥越恭氏が綴られていた記事である。

この記事は幸いに、【YOMIURI ONLIEN】にも掲載されているので、転載させて頂く。

《・・
夫婦だけの共同作業


12年前に俳優の武正忠明(たけまさただあき)さんと結婚してから、
夫婦で始めたことがある。そば打ちだ。

テラスから富士山が見える別荘で休暇を過ごす時、
「やってみようか」
と武正さんが言いだし、今でも続いている。

そば粉は、信州や北海道産。実際に打つ作業は武正さんが受け持ち、自分はつゆを用意する。
しょうゆ、砂糖、みりんで作った「本返し」を寝かせ、だしで割る本格的なものだ。

最初は、そばが切れ切れになったり、つゆの味加減がうまくいかなかったり。
「とてもデリケートな作業で、何度も試行錯誤をくり返しました」

それが今では、別荘に招いた知人らから
「そばが食べたい」と言われるほどの腕になった。


「夫がゆでたそばを、隣にいる私がさっと冷水で洗い、盛りつける。
その時のタイミングは、あうんの呼吸です」
と胸を張る。

庭でとれるウドやワラビなどの山菜を天ぷらにして一緒に食べる。
そばをすすりながら酒を飲み、夕暮れの富士をゆったりと眺めるのが最高に好きだ。


通信社の記者だった父が赴任していた中国・内蒙古で生まれ、幼児期を満州(現中国東北部)で過ごした。

4歳のとき現地で終戦を迎え、日本に引き揚げる際、父と離ればなれになってしまう。
生まれたばかりの弟を背負った母に手を引かれ、帰国した思い出がある。
父とは日本で無事再会できたが、中学生の時に死別。母とも20歳代半ばで死別した。

だから長女の自分は、弟と、戦後に生まれた妹の「親代わり」という意識がとても強い。

面倒をみていた弟と妹は、自分より先に結婚し、
それぞれ子供が生まれ、今では孫もいる。

みんなからは「長山ファミリーの長」として、「あいちゃん」と慕われる。

そんな人柄が、テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で5人姉妹の長女役を演じるなど、
庶民派女優として知られる演技にも反映されているようだ。


今年6月、総勢26人の親族で旅行に行ったとき。

「あいちゃーん、お誕生日おめでとう」

誕生日をみんなが覚えていてくれて、
弟と妹の孫たちが、歌をうたい、画用紙に描いた絵をプレゼントしてくれた。

祝福の笑顔の中には、夫の武正さんもいた。
ずっと母親役だったのに、家族の中に夫が加わり、自分は妻にもなったことを実感した。
「彼の方が年下ですが、精神的には私よりもずっと大人。
相棒として頼りにしています」


年末の大みそか。
結婚してからは、ほとんど、富士山の別荘で夫と2人だけで過ごす。

もちろん、年越し用のそばを打つためだ。
昼間から準備を進め、夜、テレビの「紅白歌合戦」が終わるころ、そばをゆでる。

除夜の鐘が聞こえてくるころ、冬場の冷水でキュッと引き締めたそばを2人ですすり、
「おめでとう。今年も細く長く生きていこうね」。

大家族もいいが、人生を共有するパートナーの存在もいい。
「夫婦水入らずの共同作業」と位置づけるそば打ちは、それを意識できる瞬間だ。
・・》
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。

そして、写真が掲載された横には、
《・・
「夫婦で作る手打ちそばを夫婦で食べると、
ほっとするような幸せを感じます。
外でおいしいものを食べるのとは違うぜいたくですね」
とコメントをされていた。
・・》


私は20数年前に何かのテレビドラマで偶然に視聴し、顔立ち、声、しぐさが魅力ある方と感じ、
女優・長山藍子さんを知ったのであった。

そして何かの雑誌で、ご結婚され、ご夫妻で手打ち蕎麦をこよなく愛食されているという記事を見たりし、好感していた。

今回のご夫妻の言動を思い、何かしら微笑ましく、そして素直に感銘を受けたりしていた。


この新聞を読み終って一時間後、
家内は洗濯機が稼動している間、居間でいつものように新聞を読んでいた。
私が煙草を喫う為に、机を離れ、居間のテーブルで家内が、
たまたまこの記事を読んだりし、
『僕の恋人・・元気みたい・・』
と私は長山藍子さんの写真を指しながら、家内に云ったりした。

私はテレビ、新聞、雑誌で好感した女性は、
家内に笑いながら、この方は素敵だねぇ、と明言してきた・・。

そして私は、未知の人であるが魅了された10数人の女性を恋人と明言し、
家内に微苦笑されている。

この後、家内は、微笑みながら、
『お昼・・お蕎麦でも茹(ゆ)でましょうか?・・』
と私に云ったりしていた。

私は無念ながら手打ちの技量はなく、
市販の蕎麦を購入し、家内におまかせの身であるが、
『xxちゃん・・この汁・・少し甘くない・・』
と私は家内に云いながら、『つゆの素』などを加味したりし、
お蕎麦を頂き、昼食としたのである。


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過ぎ去りし、定年後の私の7月28日の思いは・・♪

2009-07-28 14:42:59 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
今朝はぼんやりと読売新聞で衆院選の民主党の政権公約を読んだり、
今後、自民党の予測される政権公約の記事を読んだりした・・。

私は政治も無知で、少しボケた無力な身であるが、

    夢のあと
      国民あざむき
           孫泣く

と川柳も詠めないつたない身の私は、心の中でつぶやいたりした。

お互いにバラ色のような政権公約で、なりふりかまわず、ひとつでも多くの議席を獲得して、
政権をめざす、このように感じたのである。

もとより政治は混迷し、経済の急激な衰退、社会の劣化の今日、
山積する難題は数多くあり、とりあえず乗り切ることが何よりも最優先の課題であるが、
果たして公約する改革に本心で実施し、成果があげられるか、
そして長期的な国際間の中で、日本の国益の確保に基づき、
政治、外交、防衛などの具体的な構想は・・
と不安に感じたのである・・。

国が次第に衰退になれば、何より困るのは、
私からみれば、孫の世代の人々の国民である。

身勝手なことを許されるならば、
私達夫婦は子供に恵まれなれなかったので、ふたりだけの家庭であり、
現世は民間会社の中小業に長年勤めた結果の年金を頂き、
程ほどの貯金を崩しながら、過ごしている。
そして数10年後は、すでにあの世で微苦笑している。

しかし私は昭和19年に生を受けた世代なので、
たとえ食事を一食抜き、水を飲んでいても耐えられる世代でもある。
社会保障に関しては、程ほどであれば、これ以上望むのは、
心の節度を失くし、国を衰退する一因になると日頃から思っている。


このような意味合いもあり、憂いたりしていたが、
私の住む家の外れの小道を掃き清め、汗が噴出し、着替えたりした。
そして居間のクーラーの冷気の中で、
読み残した総合月刊雑誌の『中央公論』を二時間ばかり読んだりした。

その後、私はこのサイトを開き、
定年退職後の今頃は、私はどのような思いで過ごしていたのかしら、
と思い、7月28日に綴った投稿文を読み返したのである・・。



昨年の2008年の7月28日に於いては、
【 改めて、井上陽水の『傘がない』を聴き・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
昨夕、ネットでニュース等を検索していた時、

【オダギリジョーが井上陽水の『傘がない』唄う】

と確かこのような見出しであったと記憶しているが、
私は興味を抱き、このサイトに導かれた・・。

解説に寄れば、

《・・
ニューアルバム『弾き語りパッション』のプロモーション・ビデオの収録が横浜の桜木町で行われ、
その中で俳優のオダギリジョーがストリート・ミュージシャン、
若き日の井上陽水に扮して路上ライブを熱演した。
・・》

このように解説され、私は俳優のオダギリジョーは無知であったが、
井上陽水の『傘がない』に惹(ひ)かれて視聴したのである。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=ezsOpKlwNjk

『傘がない』の名曲を聴きながら、
俳優のオダギリジョーが好演しているので感銘しながらも、
初めて聴いた時に思いを馳せたのである・・。


私は昭和47年頃、実家から離れ、母の宅に住んで、
日曜日の午前中のひととき、
近くの喫茶店のカウンター席で煙草を喫いながら、コーヒーを飲んだりしていた・・。

店内から、

♪都会では自殺する若者が増えている
 今朝来た新聞の片隅に書いていた
 だけども問題は今日の雨 傘がない

【『傘がない』 作詞、作曲・井上陽水 編曲・星 勝 】


流れはじめ、私は思わず聴き、心の動揺し、
座っている椅子から転げ落ちそうになった・・。

若い人が政治、社会に無関心が増えていた社会風潮であったので、
余りにも的確に表現された詞に驚いたのである。

この曲を聴き終えた私は、
喫茶店のマダムに、このレコードを問いかけて、
初めて井上陽水の『傘がない』という曲を知ったのである。


私はこのシンガーソング・ライターに魅了され、
その後は、『心もよう』、『いっそセレナーデ』、『最後のニュース』、『少年時代』、『結詞』等は、
少なくとも百回以上を聴いている。

そして、多彩なこの人は、
他の歌い手に『飾りじゃないのよ 涙は』、『ワインレッドの心』等の名曲を提供している。



時は流れ、レコード、カセット、そしてCDを買い求めてきたが、
私は定年退職の少し前に、
改めてベスト・アルバムのCD『井上陽水 ゴールデン・ベスト・スーパー』を購入したのである。


年金生活の今、時折このアルバム全45曲収録された名曲の数々を聴いたりしているが、
その時代の社会風潮を切り取ったり、
叙情、世情のジャンルを多彩に発表された稀(ま)れな創作者である。

そして、これだけ多岐にわたり長年に作詞・作曲を出来る人は、
私の拙(つたな)い音楽愛好歴からして、
このお方・井上陽水と中島みゆきの両氏以外、私は知らない。


尚、この人を詳しく知りたければ、
発表された時代を思い浮かべ、作詞の内容を理解した上で、
海老沢泰久・著の『満月 空に満月』(文春文庫)をお読みになれば、と思っている。

ニューミュージック界で揺るぎない地位を獲得されるまでの心情が描かれているので折、
音楽を目指す人の必読書のひとつ、と私は確信している。
・・】



一昨年の2007年の7月28日に於いては、
【 簾(すだれ)越しに、庭を眺めれば・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
東京の郊外は、雲ひとつない快晴の朝を迎えている。

日中は昨日と同様に31度前後の真夏日となる。

この時節、我が家では、簾を各部屋に掛けている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸、そしてカーテンを外して簾とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾としている。

朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾にして、風を通したりしている。

私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
ソファーに座り庭を眺めたりする時、ほのかな暗さがあり、
樹木、草花が涼しげに見えるのである。

先程、朝の庭を眺めていた時、ひとつの句が甦(よみがえ)ってきた・・。

世の中を 美しと見し 簾かな

     作者・上野 泰

この句は、長谷川 櫂・氏に導かれて知ったひとつである。

氏の解説に寄れば、下記のように綴られている。

陽はさえぎるが風を通す簾は、蒸し暑い日本の夏には重宝なもの。
王朝の昔、高貴な女性の中には、そのかげで一生を送る人もいた。
簾を透(とお)すと何もかも涼しげに見える。
古き世も人も過ぎ去り、今は簾だけが風に揺れている。


詠(よ)まれた俳人は、大正7年に生を受け、昭和48年に亡くなわれた人であるが、
私は昭和のよき情感をとおして、遥か彼方の古人の人たちへの愛惜を感じたりしている。

私は庭の樹木、初夏の草花を眺めながら、
とりとめなく千年前の女人のしぐさに思いを馳(は)せたりしている。
・・】


そしてこの日の夕べには、
【 我が家のもうひとつの冷蔵庫・・♪  】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。
【・・
真夏の陽射しが照りつける昼過ぎ、私は最寄のスーパに買物に行った。

5分程歩く場所にあり、惣菜売り場を私は家内に、
我が家のもうひとつの冷蔵庫、と日頃から言っている。

家内が実家に行っているので、夏場であり、
料理の作り溜めは避けているので、私の食べる料理が乏しくなり、
暑い中を出かけたのである。

一昨日は刺身が主体であったので、惣菜コーナーをうろついて、探したりした。
結果として、具たくさんの酢豚、ギョウザ、豚の角煮を買い求め、
パンも揃えた後、何故かしら日本酒のコーナーに自然と足が向いた。

四合瓶の棚を探していたら、瓶の首に赤い札が下げられていたのを、
思わず読んでしまった。

金賞受賞酒
  雄町米の酒
     櫻室町 室町酒造

そして瓶のラベルには、

幻の酒米
    雄町米(おまちまい)
旨味辛口 美味な純米酒

と明示されて折、夕食の共に、と即決して購入することにした。

私はときたま秘かに通う地酒の各種類を呑ませる居酒屋で、
絣(かすり)の召した中年の仲居さんの数名には、この世で一番弱い男の子であるが、

  酒造好適米 備前雄町100%

とシールが貼られたのにも弱いである。

私は岡山産のこのお米で造られた別の純米酒を15年前の数年、
盛んに愛し続けたこともあるので、別れた恋人と再会かしら、と思っている。

尚、このお酒は四合瓶で980円であるので、
年金生活の私には最良の友と微笑んでいる。
・・】



2006年の7月28日に於いては、
【 早朝に目覚めて・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
今朝は3時半過ぎに目覚めた。

昨日は日中に於いて、庭の手入れをした後、
午後4時過ぎに1時間程度夕寝をし、夜の11時過ぎに布団にもぐった。

先程、玄関庭に下り立ったが、薄暗く夜明け前であった。

このパソコンで、天気予報を何時ものパターンと違い、
YAHOOH! JAPANの【天気】欄で検索していたら、前年の実態があったのには無知であった。
これは昨年は・・ということ知るには、大変便利である。

この時間帯に、パソコンに触れるのは、私としては稀である。
・・】


そしてこの日の昼過ぎには、
【 薊(あざみ)に心を寄せて・・♪  】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。
【・・
先程、銀行、郵便局、スーパーに買い物に行った帰り、
住宅街を通り過ぎた。

この中の一軒が空家の後、空き地となっている。
貧乏草(ビンボウグサ)が繁殖している中、向日葵(ヒマワリ)の花が5輪ばかり咲いて、
外れのほうに薊(アザミ)の花が群生していた。

私は何かしら、物悲しいような心となった。

♪山には山の 愁(うれ)いあり
 海には海の 悲しみや
 ましてこころの 花ぞのに
 咲しあざみの 花ならば

【『あざみの歌』 作詞・横井 弘  作曲・八州秀章 】

と小さな声で唄いはじめた・・。

この『あざみの歌』(作詞・横井弘)は格調があり、
日本語の美しい言葉で表現されているので、
私の好きな歌のひとつである。

そして、その後は心の中で唄ったが、何故かしら胸が熱くなる・・。

♪高嶺の百合の それよりも
 秘めたる夢を ひとすじに
 くれない燃ゆる その姿
 あざみに深き わが想い

【『あざみの歌』 作詞・横井 弘  作曲・八州秀章 】


このような思いで歩いていたら、自宅の近くとなった。


http://www.youtube.com/watch?v=ui1uyZuRwFQ
【『あざみの歌』 作詞・横井 弘  作曲・八州秀章 】

・・】



そしてこの日の夕方には、
【 蜻蛉(トンボ)が舞う庭で・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
先程、主庭に下り立ち、木陰で煙草を喫った。

唐糸草(カライトソウ)の可憐なピンクの花、
半夏生(ハンゲショウ)の上部の葉が白く染められているが、
初夏の名残をわずかに留めているが終りを告げている。

アメリカ芙蓉(フヨウ)は莟(つぼみ)を数多く残しているが、最盛期は過ぎようとしている。

紫露草の群蒼色の花は咲き乱れて折、タマスダレの白い花が咲きはじめきた。

樹木と樹木の間を20前後の蜻蛉が舞っている。

3日前の午後、家内が、
『貴方・・蜻蛉よ・・たくさん・・』
と私に教えてくれたことを思い出した。

旅行先で初秋の頃、よく見かけるが、
我が家の庭では主(あるじ)の捻(ひね)くれた心が反映してか、
早くも自在に舞っている。

30分ぐらい舞った後、何処に去って行った。
・・】



そしてこの日の夜の9時過ぎに、
【 西瓜(スイカ)のあれこれ・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
我が家では、西瓜を季節ながら購入しているが、小玉の五百円程度の物を頂いている。

家内は水分を摂(と)る量が私より少なく、特に夏自分は私は心配はしている。

いつの年だったか、西瓜であったなら、家内は好みと知ったので、
この時節、私は買い物の帰り提げてくる。

我が家は2人家族であるが、私は幼年期に食べすぎたので、ほんの一切れ程度頂いている。

幼年期は私の実家は農家であったので、
大玉を井戸水で冷やして、10人の大家族でたびたび食べていた。

今は小振りの小玉となり、最初に買ったときは何かしら恥ずかしかったが、
10年以上過ぎているので、平然と買っている。

本日の昼過ぎ、八百屋さんの店頭で見かけたラクビー・ボールのような形の三浦半島産を提げてきた。
はじめての種類であったので、果たして家内の好みにあうかしら、と思ったりしている。
・・】



2005年の7月28日に於いては、
【 夏の日・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
朝、五時過ぎに庭に出ると、半化粧の葉が白さが消え、
本格的な夏到来を教えてくれた。

アメリカ芙蓉の花は咲き、露草は可憐な花を咲かせ、唐糸草は芳香な花を咲かせていた。

庭先に微風が通り過ぎると、唐糸草は微かに揺れ、蕗の葉も揺れる。

青空がすっきりと、空を染めているので、日中は34、5度の暑い日を予感させる。

昨日の日中は、35度を超え、買物に行ったが、街は人の姿は少なかった。

平日の上、この暑い日中は避けたい、と思ったりしたが、
素直でない私は、こうした道を歩くのが好きである。

さて、今日の日中は・・。
・・】



そしてこの日の朝の9時過ぎに、
【 『希望格差社会』・・。 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
標題は、東京学芸大・山田昌弘・教授が提示している。
この人は、家族社会学に於いて、真摯に日本の現状と将来に
実態と警鐘を提示しており、色々な意味で私は思考させる。

今回、この『希望格差社会』は、読売新聞の記事でも、
下記のように紹介している。

《・・
日本人は多くの人々が、
「努力しても無駄だ」
と絶望する社会になりつつある、と警鐘を鳴らした。

希望格差が拡大している背景として、
「安全、安心」を保証していた企業の終身雇用制度の崩壊などによって、
生活がが不安定になる「リスク化」。

職業格差などにより少数の「勝ち組」と大多数の「負け組」に
分かれる「二極化」を挙げています。

政府の経済財政諮問会議が、
人口減少や高齢化社会の進行を乗り切り為にまとめた
「日本21世紀ビジョン」でも、
「避けるべきシナリオ」として、
希望格差社会を取り上げている。
・・》

私も今の現状も今後に予想されることに、憂いている一人です。
今後、これらに関して、様々な点から検証しようと思っている次第です。
・・】



そしてこの日の昼過ぎには、
【 渡辺新社長、就任披露会・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
今朝の読売新聞で、標記の記事が載っていた。

私にとっては、遠い世界の出来事であるが、
日本企業の新社長の就任披露会としては、今までにない顔ぶれ、
多分、今後もこれだけのVIPが出席者することはないだろう。
こんな印象を持ち、記事を読んだ。
新聞記事を転記させて頂きます。

《・・
トヨタ自動車の渡辺捷昭・新社長の就任披露会が27日、
東京都・港区のホテルオークラ東京で開かれた。
出席者は、宮沢喜一、羽田 孜、橋本竜太郎、森 喜朗、各氏ら歴代首相に加え、
現内閣から細田・官房長官、谷垣・財務相、麻生・総務相らが顔を見せた。

このほか、日本銀行の福井俊彦・総裁、大手企業のトップら約1400人が駆けつけ、
連結売上高が日本の国内総生産(GDP)の4%弱に匹敵し、
自動車販売世界一を射程に入れたトヨタの力を改めて印象づけた。

会場の入り口では、渡辺社長のほか、
日本経団連会長を務める奥田 碩・会長、張 富士夫・副会長らが、
来訪者を一人、一人を出迎えた。
・・》
以上が記事の全文である。

日本の場合、政界と官界は、二流としても、
財界に関しては一流でなければ、世界市場から衰退してしまう。
最悪の場合は、消滅してしまう過酷な状況てある。

今回のセレモニーは、トヨタ自動車が日本を名実とともに代表する
企業であることを示した。

私は、政界について、無知であるので、
何故、時の首相が出席出来ないか、分らない。
これだけの世界有数の企業であるので、肩入れとかは介入できないので、
不思議である。

小泉首相は、この日の夕方、
午後5時32分、経済財政諮問会議。

その後、7時10分、東京・永田町の日本料理店「黒澤」で、
報道各社の政治部長・経験者と会食。

9時29分、公邸。

10時、ナイジェリアのオバサンジョ大統領と電話会談。

と【小泉首相の一日】の新聞記事に記されている。

尚、私は自動車関連の会社に勤務したこともなければ、
自動車も持てない定年退職者で、トヨタ自動車とは関係のない人である。
・・】



そしてこの日の昼下りのひとときには、
【 真夏の昼過ぎ・・♪  】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
東京の郊外は、快晴で35度を超え、真夏の気候である。

庭の樹木が微風で、かすかに揺れている。

小鳥はいないが、黒羽蝶が樹木の間を舞っています。

静寂なひとときです。
・・】



そしてこの日の午後3時過ぎには、
【 海賊版の対策 】 
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
今朝の読売新聞で、『海賊版対策』の記事があった。
私は以前、著作権については関心があるので、6月25日付で
『創作者に敬意と代償を・・♪』を綴っている。

今回は、解説部・鈴木嘉一氏が下記の記事を記載している。
転記させて頂きます。

《・・
テレビ番組や映画、音楽、ゲームソフトなど日本製コンテンツ(情報の内容)の海外展開を図る為、
アジアで横行する海賊版への対策が本格化している。

著作権情報センターの推計によると、
中国で出回っている日本製コンテンツの海賊版は、
2003年で計31億8000万本、被害額は2兆円を超えた。
テレビ番組の15億本を筆頭に、音楽、ゲームソフト、映画の順。

台湾では、2002年で計3500万本、800億円の損害となり、
ゲームソフトが5割を占めた。

「コンテンツ海外流通促進機構」は2002年、
映像、音楽、ゲームソフトといった業界団体などが設立した。
アジアで正規版の流通を進めるため、
「CJマーク(コンテンツ海外流通マーク)」の普及に乗り出した。
『コピーされても、すぐ見分けがつく。
また、著作権侵害より商標権侵害で訴えた方が、
取り締りのスピードも速い』からだ。

事務局を担う日本貿易振興機構(ジェトロ)は昨年、
北京と上海の出先機関に「コンテンツ流通促進センター」を設置し、
海賊版などの情報収集を始めた。

コンピュータソフトウェア著作権協会も今春、
『中国の法制度は、国際的水準に整備されつつある。
刑事手続きのハードルが低くなり、インターネット関連の法律もできた。
コンテンツ・ビジネスのお手伝いをしたい』
と、上海に事務所を開設した。

日本レコード協会も積極的に取り組み始め、
改正著作権法が施行された1月には、アジア音楽市場拡大委員会を設けた。
この著作権法改正は
「アジアで生産された日本の音楽CDが逆輸入され、
安く売られる現状を放置したら、日本の音楽産業に大きな影響を与える。
もっとアジアに進出するために、還流防止を導入してほしい」
という同協会の要望を受けたものだ。

田辺攻・専務理事は、
『アジアは高い経済成長が見込まれる、魅力的な市場。
今後、現地企業とライセンス契約を結ぶ数は増えるだろう』と期待する。

中には、中国での海賊版CD(円換算で約150円)に対抗して、
これまで900円前後だった正規版を半額にしたレコード会社もある。

日本のコンテンツ産業にとっては、
海賊版の取り締まり強化を現地の当局に働きかけるだけでなく、
正規版の価格設定を含め、地元向けの販売戦略も必要とされよう。
・・》
以上、記事の全文である。


このような記事を読みながら、
著作権に関し、世界の標準に準拠した基で、
アジアのそれぞれの国がライセンス契約、或いは合弁会社の設立といった形態で、
その国に見合った音楽文化を健全に発展が望ましい、と考える次第です。
・・】


このように投稿した文を読み返したりしたが、
果たして私なりに進歩はしているのか、
或いは惰性で散漫に年金生活を過ごしているのか定かではない・・。

しかし、少なくとも毎日綴れば、このようにその年の確かな心の思いが、
確かに蘇(よみがえ)るので、生きている証(あかし)としてボケない日まで、
何らかの形で綴ろう、と思っている・・。



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遅ればせながら、月刊雑誌『フォーサイト』の購読者のひとりとなり・・。

2009-07-27 10:38:54 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
小説、随筆、歴史書、昨今のノンフェクション作品などの読書で日中の大半で過ごし、
ときたま居間で映画を鑑賞したり、音楽を聴いたりしている。
そして、日中のひととき買物、散策の時に季節のうつろう情景をこよなく愛し、
年金生活の身過ぎ世過ぎの日々を過ごしている。

そして、ときおり家内と国内旅行に行き、その地の風土、文化を教示され、
限りなく美しい情景を重ねて、甘受している。


今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
興味のある記事を精読したりしていた。
月例記事の特集のひとつである論壇として、
『2009年7月 思潮』と題された文化部の植田滋氏が綴られた記事である。
この中の一部として、引用すれば、

《・・
だが権力闘争でいえば、政党間の争いと共に、官僚の存在も意識されよう。
この点、シャーナリストの白石均氏は「民主党は『労組への従属』から脱却できるか」(『フォーサイト』)で、
政治混乱に乗じて消費者庁や金融庁の人事で
官僚が地歩を固めている実態を紹介。

また民主党が公務員労組に支えられている事実から、
「”労組に従属する政党”から脱皮しない限り、
”高級官僚に従属する自民党”と同様に、
民主党に霞ヶ関改革は不可能だろう」
と述べる。
・・》
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


私はこの記事を読み、日頃から感じていた思いを正鵠に公表したお方に、
目を見張ったのである。

私は月刊総合雑誌の『文藝春秋』は愛読して40数年、
ときおり特集に興味があった時、『中央公論』を読んだりしている。
日頃は読売新聞、そしてテレビのニュースを視聴し、
ときおり興味のあるドキュメンタリーの番組を視聴する程度のつたない身である。

もとより、国内外の政治、外交、軍事、経済の怜悧な面は、
齢を重ねてきたので少し解かったりしているつもりであるが、
無念ながら専門分野の知識に乏しく、各専門家の論調されることを謙虚に学んでいる。


私は上記に明示された『フォーサイト』を読みたくなり、ネットで検索した。

http://www.shinchosha.co.jp/foresight/20th/about.html


私は定年退職後まもなくして、新潮新書、新潮・文庫本などで、
この中に添付されていた『フォーサイト』のチラシで、
少しは概要を知っていたが、私のレベルでは少し高い知識が要求される、
と感じ、購入は見送っていたのである。

今回、このジャーナリストの白石均氏は「民主党は『労組への従属』から脱却できるか」記事の引用文に誘発されて、
1時間ばかり『フォーサイト』の紹介を読み込んで、
購読する手続きをしたのである。

私は齢を重ねても、好奇心を失くしたらこの人生は終りだ、
と自身の信条に基づいているが、
果たして優れた専門の寄稿家の『フォーサイト』に掲載される記事を理解できるか、
少しボケた私は心配もあるが、好奇心に勝(まさ)るものはなし、と微笑んでいる。




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齢を重ねた私、『ラムネ入りアイス』に驚き・・。

2009-07-26 17:34:55 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
朝の8時半過ぎに、このサイトに於いて、
【改めて、私が初めて『ラムネ』を飲んだ頃・・♪ 】と題して投稿した後、
ネットのニュースを見ようとして、
『YAHOO! JAPAN』のトップページのトピックスのひとつを見て、
驚いたのである・・。

【 ツブツブ感が楽しい!“ラムネ入りアイス”がブーム 】

と題されたニュースであり、
世の中にこのようなアイスが出来たのかしら、思わず好奇心が沸き、
詳細の記事を読み始めた・・。

【東京ウォーカー】の7月25日(土) 10時 9分配信であるが、転載する。


《・・
氷菓にラムネ粒が入ったラムネバーソーダ味&ブドウソーダ味。
森永製菓では1989年からラムネ入りアイスを発売している

アイスバーのガリガリ君や各地で出される地サイダーなど、昨今ラムネが大人気。
そんなブームの中、駄菓子の代表・ラムネの粒々がまるごと入ったアイスバーが密かに人気を呼んでいる。

「一昨年からかなり売上が伸びています。
時期によっては前年比2倍のときもあります」
と広報が言うのは、「ラムネバー」(10本入り315円)と「カラフルラムネバー」(120円)を販売する森永製菓。

カラフルラムネバーは、シャリシャリした氷菓に包まれたソーダ味のアイスの中にラムネの粒が入っている。

ブログでも「ラムネの酸味がいい」「粒々のシュワシュワ感がいい! リピしちゃう」などと紹介され、
夏にピッタリな爽やかなフレーバーが好評のよう。
そう言えば、ボトル型の容器に入った「森永ラムネ」を販売するのも同社。
とても“らしい”アイテムなのだと納得。

同じく駄菓子のラムネから誕生したのが「クッピーラムネアイスバー」(6本入り315円)。
ウサギとリスのマークでおなじみの“クッピーラムネ”を混ぜ込んだ氷菓に、
冷凍用ラムネの粒が! こちらは栄屋乳業がクッピーラムネのカクダイ製菓とコラボして発売。
あのリスのイラストがプリントされたパッケージもかわいい。

アイスクリーム専門店でも“粒々ラムネ”が人気だという。
サーティワン アイスクリームでは昨年の期間限定フレーバー「クリームソーダ」(レギュラー・シングル320円)が大人気で、
今年も8月末まで限定販売している。
ソーダソルベとバニラアイスクリームをミックスし、粒ラムネがゴロゴロ入った食感も楽しいフレーバーだ。

昨年初登場の限定フレーバーながら、なんと、月間2位の売上を記録。
同店で32のフレーバーの中でアイスクリーム以外のソルベが上位にランクインするのは“異例”のことだという。
「担当者のラムネ好きが高じて開発された商品。
ブレンドする過程で発泡ラムネが膨張しないようにするために苦労して、
開発に2年かかっています」(広報)という力作なのだ。

では、今なぜ“ラムネ”なのだろう。
前出の森永製菓広報によると
「2007年の地サイダーブームのころから、ラムネバーの需要が一気に伸びています。
かつて銭湯や駄菓子屋で買って飲んでいた中高年には懐かしく、
若い世代にはレトロな雰囲気が新鮮に映るのではと考えています」とのこと。

懐かしいラムネが入った楽しさと、爽やかなフレーバーで、
地サイダーブームから派生して徐々に人気に火が付いたのかもしれない。

本格的な夏に向け、さらに需要が伸びるに違いないツブツブラムネ入りアイス。
このシュワシュワの感覚をぜひ一度、試してみて。【東京ウォーカー】
・・》
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090725-00000003-tkwalk-ent


私はこの、『ラムネ入りアイス』の画像を見て、驚き、そしてため息をしていたのである。

我が家は家内とふたりだけの家庭であり、
子供も恵まれなかったので、孫のような世代のニュースは解からず、
こうしたことも無知となっている。

この後、私は昼前にスーパーに買物に行く予定であり、
人生は好奇心を失くしたら終りだ、と自身の信条あるので、
買い求めて、賞味してみようかと、思い立ったのである。

スーパーのアイス・コーナーは、子供たちが夏休み、そして日曜日も重なって、
家族の方たちで、少し込んで折、
私が購入しょうとしたら、寸前で品切れと判明した。

結果として、私としては幻の『ラムネ入りアイス』となり、
何かしらより一層美味しいアイスと感じられるから、不思議である。
そして、敗者復活戦で、『ラムネ入りアイス』を賞味できるのは、いつの日になるか、と苦笑している。



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改めて、私が初めて『ラムネ』を飲んだ頃・・♪

2009-07-26 08:36:46 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
この初夏の時節は、原則として日中は冷やした煎茶、
夜はビール、或いは冷やした純米酒を頂いたりしている。

今朝、玄関の軒下で煙草を喫いながら、微風に心身をゆだねていた時、
私の幼児の時に飲んだラムネが想いだされた・・。


昭和26年の春、小学校に入学して、初めての夏、
父の妹の二十歳過ぎの叔母に連れられて、付近の雑貨屋に行った。

叔母が、ラムネひとつ、と店の主人に言った。
店の主人が、栓を開け、ポーンと音がし、瓶の中からあわ立ちながらあふれてきたのを、
私に手渡された・・。

私は不思議な形の瓶もさることながら、
刺激のある飲み物であったが、喉越しに甘さが残る飲みと感じたりし、
3分過ぎて、お腹の満腹感を感じた頃、飲み終えた。

そして、瓶の中にビー玉のような玉に気付き、
瓶を少し振ると、不思議な音がした。

叔母は私を少しみつめながら、微笑(ほほえ)んでいた。
そして、叔母は購入したアイス・キャンディをかじっていた。

その後、夏休みになると、独りでこの雑貨屋に行き、
おじさん、ラムネ頂戴、と言って飲んだりした。

そして飲んだ後、いつもビー玉のような玉はどのように入れているのか、
不思議な思いでいた。

私はこの頃、家にあったB29(アメリカの爆撃機)の鉄製のおもちゃがあり、
どうして空に飛べるの、と同様に、
ラムネの中にある玉、どうして入れて作れるの、
と母や叔母を困らせた。

小学5年の夏休みになると、私はサイダーに変った。
三ツ矢サイダー、と明示されたサイダーをやっと飲み終えると、満腹となり、
これ以上の幸せはない、と子供心に充たされていた。


20数年前、家内と旅先で、ラムネを見つけた時、
私達は飲んだ後、こんな味だったかしら、とお互いに笑ったりした。
そして、瓶を振ると、かすかな音がし、
もう一度、手を振り、音色を楽しんだ。


私は居間に戻ると、ネットでラムネの画像を検索したら、
森永製菓のサイトに於いて、 ラムネの商品紹介欄があり、
私はこの紹介欄をクイックすると、この中のひとつは、

《さわやかなラムネの味わいが大人気。
    昔なつかしの、ラムネ瓶のデザインも好評です。》

と明示されていたので、私は微笑んだりした。

http://www.morinaga.co.jp/ramune/

そして、このようにお洒落(しゃれ)な瓶だったかしら、
私の幼年期のラムネの瓶は、蒼く素朴な色合いをしていた、
と思ったりしたが、少なくとも60年近くの歳月が過ぎ去っているので、
少しボケたのかしら、と微苦笑したりしている。




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今宵の『隅田川花火大会』、我が家は今年もテレビ観賞・・。

2009-07-25 12:38:44 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
昨夕、読売新聞の夕刊を見ていたら、今年2009年の『隅田川花火大会』について、
二面に及び広告が掲載されていた・・。
主催と思われる三井不動産、アサヒビール、そしてテレビ東京などであるが、
私は思わず微笑させられたのは、

《 江戸の夏、
  家飲み、
  家食、
  家花火。 》

と大きく明示され、テレビの前に卓袱台(ちゃぶだい)にビールが2本、
そしておつまみのささやかな料理、箸二膳、
その前に江戸時代の衣装を召された夫婦がビールの入ったコップを持ち、
テレビに放映されている花火を観賞しているイラストであった。

この右隅に、テレビ東京、明記されていた。


この後、私は家内と夕食を頂いている時、
『明日の晩、12チャンネルで隅田川花火大会・・放送するみたい・・
観る?・・』
と私は家内に云ったりした。


私は小学生の高学年の昭和30年の初めの頃は、
京王多摩川の花火大会に二度ばかり行き、川べりの近くで、
打ち上げ花火を観たりし、『綺麗だ・・凄い・・』とか歓声をあげたり、
仕掛け花火の移ろう華麗な情景に見惚(みと)れたりしていた。
しかし、帰路の電車は満員で、子供心でも懲(こ)りたのである。

その後、和泉多摩川は家から直線の路をたどると30分前後で行けたので、
中学生の時に二度ばかり観たりしていた。

二十歳過ぎになると、高校時代の友人が花火を観たい、と云うので、
この頃、私の母が多摩川のまじかな登戸に住んでいたので、
私は友人を誘ったが、彼は照れ屋であり、私は母からビールの大瓶を2本頂き、
私達は川原に近いところで観賞したのである。

この後は、私が40代の半ば、夏季休暇の時、
家内と山陰から四国の周遊団体観光ツアーに参加した折、
玉造温泉の宿泊し、夕食後のんびりと部屋でくつろいでいた時、
少しばかり遠方の宍道湖の湖上から打ち上げられた花火を偶然に観たのである。
私は和室に横たわり、一時間ばかり観ながら、
『XXちゃん・・こうして観るのが一番・・楽だねぇ・・』
と私は家内に云ったりしていた。

私が55歳を迎える時、民間会社の本社に勤務していたのであるが、
無念ながら出向となり、気落ちした・・。
夏のひととき、家内と久しぶりに映画館に行った帰路に、
偶然に和泉多摩川で花火大会の当日と知った。
私達は和泉多摩川の川原の近くで、打ち上げられる花火を見上げたりし、
火薬の匂い、煙がまじかに感じられ、花火の包まれた紙の破片が空中を彷徨(さまよ)いながら、
私達の付近に舞い降りてきた情景を幾度も体験した。

この帰路、私は気落ちしていた出向が、何かしら吹っ切れ、
これ以降、私は前向きに業務をこなし、定年退職を迎えた。


このような私の花火の思いでがあるが、
定年後の年金生活を過ごすと、暑い夏はもとより苦手な上、人出の多いところは齢を重ねるたびに、
なるべく避けるようになっている。

こうした思いなので、今宵の『隅田川花火大会』に関しては、
家の居間のクーラーの冷気の中で、
ビールを呑みながら早めの夕食を頂き、家内と語り合うのが一番かしら、
と思ったりしているのである。

この後、ネットで『隅田川花火大会』を検索し、私は独りで微笑んだりしたのである・・。


http://www.tv-tokyo.co.jp/hanabi2009/




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過ぎ去りし、定年後の私の7月25日の思いは・・♪

2009-07-25 08:39:17 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
過日、京の『祇園祭』の拝観する小旅行から帰宅した17日(金)の夜から、
曇り時々雨、雨の日々がたえまなく続き、梅雨の時節の空模様となっている・・。

私の住む街は、梅雨明けは14日の火曜日に宣言された後、
その後、暦(こよみ)の上は『大暑(たいしょ)』と明示され、一年中で最も暑さの厳しい時なのに、
私は、雨降る主庭、玄関庭を眺めたり、空を見上げりし、
天上の気候の神々に、どうしてなの、と心の中で呟(つぶや)いたりしていた。

そして、ここ3週間ばかり庭の手入れを怠(おこた)っているので、
草は繁え、樹木の枝が伸び放題の中、
玄関庭の外れに群生させた蒼い露草(ツユクサ)、そして紫式部(ムラサキシキブ)の淡桃色の小花、
秋海棠()の可憐な淡き紅色の花、高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)の薄紫の花、
主庭のアメリカン芙蓉(フヨウ)の淡き桃色や純白の花、
そして半夏生(ハンゲショウ)の上部を白き化粧した情景などを眺めたりし、
慰められながら過ごしてきた。

そして、雨上がりの合間に、買物に出かけたり、散策したりしてきたが、
大半は本を読み、ぐうだらな日々となっている。


今朝は、めずらしく薄日の射す朝を迎えていたので、
私は主庭のテラスに下り立ち、ぼんやりと煙草を喫いながら、樹木を眺めたりした。
数多く樹木の枝葉は、たわわな雨粒が陽射しを受け、
煌(きら)めいているのに見惚(みと)れたりし、ときおり微風を受け、心地よく、
風に身をゆだねたりしていた・・。


そして、居間に戻り、私はこのサイトを開き、
定年退職後の今頃は、私はどのような思いで過ごしていたのかしら、
と思い、7月25日に綴った投稿文を読み返したのである・・。

私は民間会社を定年退職後、まもなくしてプログの世界を知り、
四つばかりのサイトに加入して、ほぼ毎日数通は綴ってきた。
定年退職後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日常生活の中、
その日に感じたこと、思考したことを心の発露とし、綴っている。

投稿が出来なかった日は、ときおり国内旅行に行っているか、
左目が赤っぽくなり、眼科の医師から一日だけドクター・ストップとなったり、
パソコンが壊れ、買い替えまでの5日間、そしてパソコンの修理で二週間ばかりである。


昨年の2008年の7月25日に於いては、
【真夏日は、クーラーの冷気の中、本が最良の友・・!? 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
昨日、10時半過ぎの真夏日の中、
散髪屋(理容店)、遊歩道を散策、そしてスーパーで買物した後、
帰宅したのは午後の1時半過ぎであった。

家内が実家に行っているので、
戸締りをした自宅のガラス戸などを開け放ち、
室内の熱気を出し入れした後、クーラーをセットするが、
私の好みの27度の室内温度にするには、30分前後を程要する。

そしてクーラーの冷気の中、
遅い昼食を終えた後、このサイトに綴ったりしていた。

この後は、ソファーに座ったり、簡易ベットに横たわったりし、
映画関係の本棚から1冊の本を取り出した。

映画専門雑誌のキネマ旬報に寄る『戦後キネマ旬報ベスト・テン全史』であり、
1946年~1996年までの各年の論評などが掲載されているので、
私のような映画愛好者には貴重な年鑑とし、
何かのたびに愛用している。

そして、あの映画は当時として、
評論家の集約した投票に寄るベスト・テンは、このように評価されていたのか、
と改めて感じたりしている。

或いは、好感している映画評論家の佐藤忠男、品田雄吉の両氏は、
あのようにその年の作品を評価したいたのか、
と作品を思い浮かべながら、思いを馳せたりしている。

このような読み方をしていると、時間が過ぎるのを忘れさせてくれる・・。


深夜の12時半頃、寝室の布団にもぐり、
中断していた櫻井よしこ・著の『日本人の美徳』(宝島社新書)を読んでいた・・。

http://tkj.jp/book/book_01612001.html

そして、特に若い20、30代の向上心のある方、
或いは、夢がもてなく、あきらめている方、
ぜひ読んでほしいなぁ、余計なことを感じたのである。

そして私も63歳の齢を重ねた身であるが、
まだ私は夢に向って日々努力しなければ、
と大いに励まされたのである。

読了したのは、深夜の2時半で、
今朝、目覚めたのは5時半となり、主庭のテラスで、
アメリカ芙蓉の純白、そして淡紅色の花を眺め、
ぼんやりと煙草を喫ったりしている。
・・】


そしてこの7月25日の夕方には、
【私なりの野菜特選盛り合わせ・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
東京郊外も連日の真夏日となり、
昼時には34度となり、暑さの苦手な私は食欲が低下したのである。

家内が実家に行っているので、
読書は早朝、深夜に係わらずしているので、
寝不足にあり、昼食のメニューに困ったのである。

野菜の盛り合わせを思い立ち、
セロリの一株の内側の淡黄色の柔らかな部分を適度に包丁で切り、
ピーマンを三つばかり千切りにした。
そして大皿に盛り合わせ、マヨネーズとソースで頂こうとしたのである。

これだけでは少し寂しいので、かいわれ大根を小皿に盛り、
お醤油をたらした。

居間のクーラーの冷風につつまれた中、
ビールを呑みながら、三品の野菜の盛り合わせ頂き、
炎天下の庭を眺めたりしたのである。

手間の掛からない簡素な野菜の盛り合わせであるが、
5月から初秋にかけて、食欲をなくした時、
ときおり私なりの特選盛り合わせで頂くのである。


そして1時間ばかりすると眠くなり、
簡易ベットに横たわり、
2時間ばかり昼寝をした。

目覚めると、少しぼんやりとし、
夜は胡瓜(きゅうり)を味噌で付けたモロキュウ、
そして葉生姜(ハ・ショウガ)も味噌を付け小皿に載せ、
冷やした純米酒を誉(ほ)めながら頂く。
そして主役は焼き豚を薄切りにし、
キャベツを少々千切りにしょう、かと思案したりしている。

結果としては、呑兵衛の私のささやなメニューとなり、
独り微苦笑している。
・・】


一昨年の2007年の7月25日に於いては、
【朝涼(あさすず)のひととき・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
東京の郊外は、快晴の朝を迎えている。

昨日は久々の真夏日となり、夏らしい暑い日中であったが、
陽射しから遠ざかっていたので、心が高揚し駅前まで出かけたりした。

今朝、5時過ぎに目覚め、庭に下り立つと、
草花は朝露に濡れて、樹木の枝葉は微風でかすかに揺れている。
古人の人々は、夏の早朝のさりげない情景を朝涼と称しているが、
私なりに心身享受している。

昨今、めまぐるしい社会であるが、
こうした早朝のひとときは、遥か千年前の方達も同じように感じたと思われる。

こうして綴っていると、朝の陽射しが庭に差し込んできて、
アメリカ芙蓉(フヨウ)のたわわな淡いピンク、白い花びらを照らしはじめた。
・・】


そしてこの7月25日の夕方には、
【私がテレビを視聴する番組は・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
私が日頃テレビを視聴するのは、朝にはNHKの『おはよう日本』でニュースと天気予報、
夜は9時より『ニュースウオッチ9』は殆ど観ている。

その上、ときたま『NHKスペシャル』と『クローズアップ現代』を視聴し、
そしてNHKで興味があるドキュメンタリー番組を観る程度である。

テレビドラマに関しては、倉本 聰・氏のシナリオであったら、
民間放送でも観るが、これ以外は殆ど視聴しない。
今は亡き向田邦子・女史がテレビドラマのシナリオを書かれた頃は、
このお方などを含め、よくドラマを観たりしたが、
昨今は興味が薄れいる。

私はドラマは好きであるが、やむえず映画作品のビデオ、DVDの棚から選定し、
居間で鑑賞したりしている。

このような状況であるので、
民間テレビ放送のチャンネルは、触れることなく埃(ほこり)をかぶっているのである。
・・】


2006年の7月25日に於いては、
【霧雨の朝を迎えて・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
東京の郊外は、霧雨の朝を迎えて折、
午後より曇り空となる、と報じていた。

昨夜から深夜にかけて、川北義則・氏の『間違いだらけの定年設計』(青春出版社)を再読する。

平成12年の初春、店頭で見かけ、購入した1冊である。

副題として【頭で考える老後と
         現実の老後の違い】
と命題されているので、即買い求めた・・。

昨日の続編、『されど定年退職後の今・・♪』は、
これから外出し、川北義則・氏の『男の品格』を購入した後、
読んだ後に綴ります。
・・】


この日の7月25日の日中に於いては、
【日中の外出・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
10時過ぎに霧雨の中、銀行に行き、貸し金庫で小用を済ませた後、帰宅した。

その後、家内と市役所出張所に行き、家内専用の実印登録を済ませた後、
駅前で家内と別れ、私は本屋に行った。

川北義則・氏の『男の品格』を買い求めた。
美麗な装填の新刊本であった。

家内と待ち合わせの『ドトール』で、この本を読み始めた・・。

しばらくして、買い物を済ませた家内と落ち合い、
その後、台湾料理店で昼食とした。

私は外食の際、体調が悪くなければ、アルコールを呑む。
私は料理を見たら、ビールとした。
料理の味をアルコールは倍増させる不思議な力を秘めているからである。
・・】


2005年の7月25日に於いては、
【上司の小言、自分の【こやし】に!! 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
今朝の読売新聞で、特集『スパイス』の記事で感心したので、転記させて頂きます。

この記事は、東洋大学・助教授の白石真澄・女史が綴った記事です。

《・・
私が勤めていた会社での話。
多忙を極める年度末、社内の雰囲気はカリカリしていた。

40歳代の管理職の男性が言った。
『赤いペンでチェックした個所、修正しておいて』
その瞬間、パソコンに向かっていた20代の女性が振り向きざまに叫んだ。
『私は今、他の仕事に忙しいんですってば!!』
男性上司は、その場から何も言わず立ち去ってしまった。
その女性は、残念ながら《大人としての口のきき方》を学ぶ機会を逸したと、私は感じた。

こんな極端な例は少ないかもしれないが、多くの男性は女性の部下を叱ることに抵抗を感じている。
男友達の多くも
『男の部下なら、ガツンとカミナリを落とすけれど、
どうも女性の部下はストレートに叱れない』とこぼす。
『叱って泣かれでもしたら気まずくなるし、
逆恨みされるくらいだったら、少々のことは我慢する』
と言うのが彼等の本音だ。
教育的配慮とはいえ、女性を人前で叱ることはどうも難しいようだ。

過日、バレーボール全日本女子監督の柳本晶一さんにお目にかかった時、
監督は《女性を育てる男の気配り》として、次のようなことをおっしゃった。
『女子は、プライドも半端やない。
バカヤローと言われても、試合に負けても、その悔しさをバネに一気に伸びる。
大切なことは、自身をつけさせ試合に臨ませること。
良い指導者とは、部下が達成出来て感動している時に、
「そうそう、それでいいんだ」
と言ってあげられる人。
だから、叱ることより、褒めることが多くなる。
スポーツの監督も会社の管理職も同じとちゃうん』と。
要は、日頃のコミュニケーションをきちんととっておけば、
叱られる側も、それをバネに成長するということ。

周囲から注意されることや、叱られるということは、
自分に期待がかかっている証拠。
自分を客観視できないと、成長もない。

ここは是非、女性のみなさん。
日頃から、社内の人や上司とコミュニレーションを密にして、
お小言の一つも言ってくれる上司を逆に育て、
自分の成長の【こやし】にしてみようじゃないですか。
・・》
以上が新聞記事の全文です。


私はこの記事を読みながら、苦笑したひとりです。

人前で叱るのは、男女とわず難しかった。

私は、相手の性格を観て、プライドが傷づつかない程度に配慮して上で、
人前で言ってもよいか、或いは誰もいない所に呼んで、注意した方がよいか、を区別した。
再発防止と人材育成が目的なので、
どのような話をしたら、奮闘をして頂く、かを重点に置いた。

業務上で良かった時は、男女とわず、
その人を皆の前で、大声で褒めた。

ともかく古今東西、人と人との関係は、難しい側面がある。
・・】


この日の夕方にも於いては、
【私のブログの改定・・♪ 】
と題して投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
このgoo簡単ホームページの【風のように光のように】は、
昨年の11月に開設し、
もうひとつのgooブログは【続・極楽とんぼ】は今年の1月に開設した。

ここ一ヶ月考えたが、【続・極楽とんぼ】の投稿する内容が各ジャンルに及ぶようになった。
◎日々の出来事
◎音楽
◎映画・テレビ
◎小説・随筆
◎時事【団塊の世代】
◎時事【社会】
◎時事【政治・経済】等
カテゴリーを再設定し、これに伴い過去のすべての投稿した作を移動させた。

今後は、下記のように再定義する。

【風のように光のように】
日々に感じた出来事、思考したことなどを日記で毎日投稿する。
ただし、音楽、映画、小説、随筆、政治、経済、軍事、社会等は、綴りません。

【続・極楽とんぼ】
各ジャンルに分割しましたので、素人の感性で真摯に綴ります。

全般として、
従来、ちょっと自身に甘えたところがありましたが、
今後は自分自身と自己格闘と致します。
・・】


このように投稿した文を読み返したりしたが、
果たして私なりに進歩はしているのか、
或いは惰性で散漫に年金生活を過ごしているのか定かではない・・。

しかし、少なくとも毎日綴れば、このようにその年の確かな心の思いが、
確かに蘇(よみがえ)るので、生きている証(あかし)としてボケない日まで、
何らかの形で綴ろう、と思っている・・。



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東京の郊外は、陽射し恋しく・・。

2009-07-24 08:46:07 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
ここ一週間は雨時々曇りの日々が続き、梅雨の時節のような天気となっている・・。

今朝は5時半過ぎ、配達された新聞を取り込む為に、
玄関の軒下に行った時、雨上がりの玄関庭の樹木、草花を眺めて、
長雨は終ったのかしら、と思ったりしたが、
ここ3週間ばかり庭の手入れを怠っているので、草は繁え、樹木の枝が伸び、
微苦笑をした。

この後、居間で読売新聞の朝刊を読み終わった頃、小雨が降りだし、
まもなく本降りの雨となった。

暦(こよみ)の上では、『大暑(たいしょ)』と明示され、一年中で最も暑さの厳しい時節なのに、
私は戸惑い、どうしてなの、と雨降る主庭を見つめたり、空を見上げりした。

そして、地元の天気情報をネットで検索すれば、
朝の6時は23度、昼過ぎは27度、そして夕方の6時は25度、
雨の降る一日であるが、ときおり雨は止(や)む、と表示されている。
そして、これからの一週間は、28日の火曜日に曇り時々晴れ以外は、
陽射しから見放されている日々となっている。


私は戸惑い、ため息をしながら、昨年の今頃は、と思いながら、
このサイトの私の投稿文を開いたりした・・。


昨年の本日は、【『土用の丑』を迎えて・・♪】と題して、
投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
東京の郊外も大暑(たいしょ)の時節が過ぎているが、
真夏日の日々が続いている。

私は年金生活の身であるから、午前中のひとときに買物、散策を終え、
午後は居間でクーラーの冷気に身を寄せたりしている。

しかし、現役で勤務される方は、厳しい暑さが続き、
お気の毒と思ったりしている。

私も現役時代は数多くのサラリーマンと同様に多忙な身であったので、
帰宅後、疲れ果てながら、ビールを呑みながら、
食欲の増す料理を食べていた。

江戸時代の頃から、『土用の丑』と称せられ、
栄養価の高い『うなぎ』などを食べて、何とか暑い日々を乗り切ろう、
と心情は痛いほど理解できる。

私は現役時代に、昼食の外食で食事処でうなぎを選定したり、
自宅で遅い夕食で家内が買い求めてきたうなぎを食べたりしていた。


今の私は、63歳の身であり、うなぎより江戸前寿司の方が食欲を増すので、
寿司屋さんに電話をして、配達して貰うことが多く、
齢かしら、と微苦笑している。

・・】


この時節は、やはり真夏日が続いていた、と読んだ後、
この日には、もう一通の投稿もしていた。

【ときには、伊藤久男の唄声に魅了され・・♪】と題して、
投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
私は朝のひととき、『あざみの歌』、『山のけむり』、
そして『イヨマンテの夜』で知られている歌手・伊藤久男のアルバムを聴いたのである。

このCDアルバムは、昨年の2月の下旬に、CD、DVD販売店で、
新井 満の『千の風になって ~再生~』のアルバムと同時に購入し、
《懐かしの歌声名曲集》と称され、全14曲の伊藤久男の名曲が収録されている。


私は昭和19年の秋に生を受け、
幼年期、小学の2年生の昭和27年頃まで、
ラジオから盛んに流れ、覚えた曲が多いのである。

たとえば、『イヨノンテの夜』は昭和24年、
『あざみの歌』は昭和25年であり、
そして『山のけむり』は昭和27年に発表されている。


ここ10数年、家内が台所で水仕事をしている際、
ラジオを掛けることが多く、偶然こうした曲が聴こえる時もあり、
私は微苦笑したりしている。

亡くなった家内の父は、戦前・戦後の歌謡曲は詳しく、
私は教示を受けたりした時もあった。

しかし、もとより家内は、幼児の時から教育されているので、
私より5歳齢下なのであるが、私より詳しい時があり、
私は微笑んだりしている。


朝のひととき、『あざみの歌』、『山のけむり』等を聴いていたのであるが、
懐かしい幼年期に還れ、愛惜を感じたりするが、
いつも感じることは、限りなく美しい歌詞である。


♪山には山の 愁いあり
 海には海の 悲しみや

【『あざみの歌』 作詞・横井 弘  作曲・八州秀章 】



この後、私は散髪屋(理容店)に行く途中、
心の中ではひとつの歌を唄っていたのである。


♪高嶺の百合の それよりも
 秘めたる夢を ひとすじに

【『あざみの歌』 作詞・横井 弘  作曲・八州秀章 】


私は真夏日の暑さであったが、
こうした曲を心の中で唄い、
散髪屋の入り口のドアーを押したのである。


余談であるが、一昨年の秋、私達夫婦は家内の母と3人で道東旅行をした折、
私は独りで人影のない知床と阿寒湖の遊歩道を散策した時、


♪イヨマンテ(熊祭り)
 燃えろ かがり火
 ああ 満月よ
 今宵 熊祭り

【『イヨマンテの夜』 作詞・菊田一夫 作曲・古関裕而 】


伊藤久男のはりのある朗朗とした美声のようには唄えないが、
私なりに少し大きめの声で唄ったのである。

幸い熊も東京の田舎者に遭(あ)いたくないと感じてか、
お互いにほっとしたのは、いうまでもないことである。


http://www.youtube.com/watch?v=RhZT1M6YHaI
【『あざみの歌』 作詞・横井 弘  作曲・八州秀章 】


http://www.youtube.com/watch?v=0_R9O1iogIE
【『イヨマンテの夜』 作詞・菊田一夫 作曲・古関裕而 】

・・】


このように私は二通ばかり投稿していたが、
昨年は真夏日が続き、暑さに苦手は何かとクーラーの冷気に身を寄せたりし、
今年は梅雨のような日々が続き、やはりこの時節は夏の陽差しが恋しく、
待ち焦(こ)がれるのが本心である。

やむえず、本降りの雨を眺め、本を読んだり、音楽を聴いたりし、
雨上がりのつかぬま、買物に行く、このような日中になるのかしら、
と微苦笑している。



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私の夢、ときには三本立て・・。

2009-07-23 09:08:10 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
夜の眠っている時に夢をみることが多い。

ときには昨日の続きの連続ドラマのようなことがあれば、
或いは映画の三本立てのようにみることがあり、
そして、総天然色(カラー)の時もあれば、白黒(モノクロ)だったりし、
目覚めた朝、ぼんやりと微苦笑することもある・・。

私は小学生の後半期、地元の映画館などで3作品を上映したのを数多く観たりしていたので、
この習性の余情かしら、と思ったりしている。


サラリーマン現役時代の仕事の成功例より、遥かに失敗例を夢みることが多く、
たとえば、突然に中学時代の悪友が出てきたり、どうしてお前がいるの、
とか秘かに思い続けた女の同級生に見つめられたりし、貴女はどうしているの、
とありえない時代の落差に戸惑ったりし、冷や汗をかくこともある。

或いは幼年期は農家の児であったので、
田畑、雑木林など景観を観たり、湧き水、竹林の筍(タケノコ)、野菜の収穫時などの情景をみることが多い。

夢はもとより貧富に関係なく、その人なりの日頃の思い、言動の余韻、
そして感性の賜物と私は確信している。

こうしたせいか解からないが、私の理想的な夢のひとときは、
齢を重ねた今でも、女性への煩悩を捨てきれないつたない身として、
秘かに思いながら、眠りにつくこともある・・。


ワンピース、ツーピースが似合う50、60代の謙虚な言葉、しぐさをされる街中の人、
或いは紬(つむぎ)が似合い、臈長(ろうた)けた人、
こうした方と語り合い、散策し、木陰でそっと手を握り合う・・
このようなことを私なりに夢で願望したりしている。

私はこのようなことを思えば、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶えられる持ち主である。

さしずめ私が浮かんだ人は・・浜 美枝さんだったか、
関根恵子さんだったかは定かでない。

いずれにしても私が映画青年の真似事をしていた時代に、
数多くお逢いした人々の中で、魅了されたのお2人でもある。



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齢を重ねた私、ときには文庫新書を二冊を選べれば・・。

2009-07-22 16:48:12 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
小雨が上がり、明るくなった曇り空の午後一時過ぎ、最寄の駅前に出かけた。
家内より依頼された日用雑貨を買い求めに出かけたのであるが、
本屋の看板を見かけると、何気なし寄ったのである。

新刊の単行本コーナーを見たが魅了されそうな本がなく、
文庫新書コーナーを見たりし、興味が惹(ひ)かれる一冊と魅了される一冊を買い求めたのである。

興味が惹かれた一冊は、佐々木俊尚・著作の『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書)であり、
この著作者の佐々木俊尚氏に関しては、
『グーグル~既存のビジネスを破壊する』(文春新書)、
『次世代ウェブ~グーグルの次のモデル~』(光文社新書)、
『ネット未来地図』(文春新書)、
そして『ブログ論壇の誕生』(文春新書)を読んできた。

齢を重ね少しボケた私としては、ITの世界に不明が多いので、
この他の関連した本を少なくとも10冊数冊は読んでいるが、
特に佐々木俊尚氏は解かりやすく綴ら、多々教示を受け、信頼できる著作者のひとりとなっている。

新聞・テレビの現状問題の再認識はもとより、今後の状況を知りたく購入したのである。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166607082


この後、思わず魅了された一冊は、
清水義範・著作の『身もフタもない日本文学史』(PHP新書)であった。
私のつたない読書歴から、無念ながら未知の著作者であったが、
本のカバーの裏には<
《・・
日本人がエッセイを書く時、女は清少納言に、男は兼好になる。
「枕草子」のように自らのセンスを誇り、
「徒然草」のように世の中を叱って己を自慢するのだ。
・・(略)
・・》
と明記されていた。

そうかなぁ、と私は思いながらも読んでみたくなり、買い求めたのである。

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-70983-3



私は少しボケて理解力が乏しい身であるが、読書が最良の心身の薬であり、
新聞、月刊誌はもとより、本を読まないと眠れない活字中毒の悪い病気の持ち主のひとりなので、
心の中は、秘かに小躍りしたい気持ちで、帰宅したのである。



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東京の郊外は、梅雨の時節のような天気が続き・・。

2009-07-22 09:00:04 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
過日、京の『祇園祭』の拝観する小旅行から帰宅した17日(金)の夜から、
曇ったり、曇り時々雨の日々が続いている・・。

昨日はどんよりとした曇り空で朝を向え、10時過ぎから小雨が降りだし、
昼下がりは5月の下旬のような25度程度で、深夜の11時過ぎまで、
あきずに小雨が降りつづいた日であった。

今朝も小雨の降る朝となり、昼下がりは曇りで29度前後、夕方の6時過ぎは27度前後、
そして深夜には小雨が予測されいる。
そして、東京の郊外はこれからの一週間は晴れマークがなく、
太陽の陽射しから見放されているようで、戸惑っている。

孫の世代にあたる園児、小学生たちは、
待ち焦(こ)がれた夏休みになっても、校庭にあるプール教室、
そして両親に伴われる海水浴などは、はなはだふさわしくなく、
齢を重ねた私以上に、どうしてなの、と大いに戸惑っていると思われる。



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