夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

昭和29年生まれは「ファーストペンギン」、昭和19年生まれの私は初めて学び、多々教示されて・・。

2020-09-30 16:25:30 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見たりしていた。


こうした中で、『 安倍氏、ユーミンら昭和29年生まれは「ファーストペンギン」 ・・
と見出しを見たりした。

私は昭和19年生まれであるが、私より10歳お若い御方が、
「ファーストペンギン」・・というのは知らず、
どのようなことで・・知的好奇心に負けて、記事を読んでしまった。



この記事の原文は、『女性セブン』2020年10月8日号に掲載された記事のひとつで、
関連の【 NEWSポストセブン 】に9月29日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・安倍晋三前首相、歌手・松任谷由実、俳優で画家の片岡鶴太郎、
俳優の石田純一、フレンチシェフの三國清三さん、これらのメンバーの共通項。
それは、昭和29年(1954年)生まれであることだ。

そして、彼らは昭和29年生まれが集う「29年会」のメンバーでもある。
そのほかにも。作家の林真理子、女優の秋吉久美子なども、昭和29年生まれである。



オイルショックにバブル経済、そして崩壊──
浮き沈みの激しい時代を泳ぎながらもファッションを楽しみ、
「ゴーイングマイウエー」を貫いてきた昭和29年生まれ。

新型コロナウイルスで世の中が一変したいまこそ、
彼らの姿勢に学ぶときなのではないか。



ライフシフト・ジャパン取締役CROの豊田義博さんが言う。
「世代意識は、成人前後の社会に規定されます。

29年生まれは、やはり団塊の世代の学生運動の挫折とオイルショックの影響が大きい。
この世代は、20歳前後で世の中の大きな変わり目を経験して、
新しい価値観を受け入れる素養が生まれました。

例えば、それまでの女性シンガーは、男性が作る世界をなぞっていたけれど、
ユーミンは、まったく新しい世界を切り開いたし、
林真理子さんもそれまでにいなかったアバンギャルドな書き手です。

29年生まれは彼女らのように、
本人の生き様や考え方を表に出して、表現する人が多い。

前の世代には『はしたない』と眉をひそめる人もいたけど、
同世代には応援と共感で迎えられました」


昭和29年生まれの3学年下にあたり、
女性セブンで『いつも心にさざ波を!』の連載を持つ「オバ記者」こと野原広子さんは、
昭和29年生まれは「人のいいファーストペンギン」と説く。

「18歳で上京したとき、道に迷ったら、
ちょっと年上のイケてるお姉さんに聞くと決めていました。

大学生でも、勉強よりファッションに興味がありそうな軽めのお姉さんで、
ハマトラを着ていたら間違いなく29年生まれ(笑い)。

2~3年前に上京した彼女らは、
年下のほっぺの赤い田舎娘に、やたら親切でたくさん助けられました。

私の同学年の友人も、
『上から目線の団塊の世代と違って、集団でなく個人で考える人たち』
と評します。

29年生まれは、好奇心の翼をいっぱいに広げて、個人で生きる、
人のいいファーストペンギン。

時に批判を受けるのも、未開の地に飛び込んで行こうとしているのだから
致し方ないことだと思う」(野原さん)



常に新しい道を切り開いてきた1人が片岡鶴太郎だ。
お笑い芸人・俳優として人気絶頂の32歳でボクシングを始めて、
芸能活動のかたわらプロライセンスを取得し、
40歳になる手前に、絵を描き始め画業の道へ。

さらに還暦近くでヨーガ、瞑想を始め、毎朝5時間のヨーガルーティンを続ける。

「ぼくがやったことといえば、ボクシングに絵画、ヨーガ、それと離婚(笑い)。
ぼくだけじゃなく、29年会の人は、
志を持ち、好きなことを突き詰めています。

ぼくらの世代は、個々が楽しみながら一生懸命、
“鼻歌交じりの命がけ”で頑張るんです」(片岡鶴太郎



それまではタブーであり、
「恥」とすらささやかれた離婚を一般的かつ前向きなものに変えたのも、
この世代の特徴だ。

石田純一も秋吉久美子も離婚を経験しており、
片岡鶴太郎は離婚後も家族と良好な関係を築いていることを明かしている。

自分の気持ちに素直になって行動し、その結果を受け入れ、
たとえ険しい道だったとしても鼻歌を歌いながら歩いて行く。


豊田義博さんは、昭和29年生まれは、
シニアの在り方についても、新たなムーブメントを生むのではないかと分析する。

「還暦が、リタイアの目安だった上の世代と違い、
70歳かそれ以上まで働くのが、当たり前になったはじめての世代です。

それも、金銭面など必要に迫られてではなく、
社会への興味や自己実現のためといった理由が多い。

そういった意味でも、彼らの生き方が、
今後も世の中の大きな流れを作って行くのではないかと思います」(豊田義博さん)



秋吉久美子も、年を重ねるのは悪いことばかりじゃないと言う。
昭和29年生まれは、今年66歳を迎える。

「66って、数字は渦巻きみたいでかわいらしいし、
この年になってから急にわかることもあるんです。

例えば、昔は真意がわからなかった石田純一くんの発言とかね・・」

1990年、ドラマで共演していた石田純一が、
撮影の合間に秋吉久美子にこう告げた。
《今日、娘の名前を決めて役所に出した。『すみれ』って言うんだ。
 女の子に花の名前をつけると、不幸になるっていう人もいるけれど、
不幸も運命のうちと思ってさ》

秋吉久美子が振り返る。
「当時は、“娘が不幸になるかもしれない”だなんて
何を言っているのかとびっくりしたけれど、
自分が66歳になったら、『幸も不幸も交ぜて人生なんだ』って思えるようになった。

すると石田くんの発言が何十年もの時を経て、急にストンと腑に落ちた(笑い)。
彼は何も考えていないように見えて、実は深く考えているんじゃないかな」

石田純一と言えば、永遠に語り継がれるだろう「不倫は文化」騒動のほか、
今回のコロナでも舌禍騒動があった。


秋吉久美子も1979年に最初の結婚をした際、
「子供はタマゴで産みたい」
と発言してバッシングを受けた過去がある。

この発言の背景にも「熟考」があったと振り返る。
「当時は連続ドラマの主演で、朝7時から夜12時まで撮影していたんです。
主演女優が出産で休んだら迷惑がかかるし、
もし私が男だったらこんなことにはなっていなかった。

そのやるせなさや申し訳なさを冗談交じりに、オブラートに包んで発言したら、
言葉だけ先行してしまった。

私なりに考えての表現でしたが、なかなか意図を汲んでもらえませんでした」(秋吉久美子

だが、世の中の全員にわかってもらう必要なんてないからと
秋吉久美子は続ける。
「もし受け入れられなくて、“みそっかす”になったって、
それはそれで気楽で楽しいじゃない。そう思って生きています」


「ゴーイングマイウエー」を貫く29年生まれは、今後どこへ向かうのか。

楽しげな、でもしっかりした足取りから、これからも目が離せない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




記事を読みながら、多々教示されたりした。


《・・29年生まれは、好奇心の翼をいっぱいに広げて、個人で生きる、
人のいいファーストペンギン。

時に批判を受けるのも、未開の地に飛び込んで行こうとしているのだから
致し方ないことだと思う・・》


こうしたことに昭和19年生まれの私は、驚きながら学んだりした。

私は東京オリンビックの開催された1964年(昭和39年)の秋、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。
そして養成所に入門しながら映画青年の真似事、やがて文学青年の真似事をしたが、
やがて敗退してサラリーマンに転身し、民間会社に中途入社した。

やがてあるレコード会社に長らく勤めて、
職場の机を並べたのは団塊世代の新卒が多く、こうした世代と業界の空気を共にした・・。

こうした関係で、団塊世代の御方とは交遊してきたが、
今回の10歳下の世代とは、職場のうわべ程度であったので、
内面の心情はわからない面もあり、今回多々教示されたりした。



年金生活の今、年金生活17年生の私としては、
昭和29年の66歳の御方が、年金生活に関することは、
多少ながら私は良きこと悪しきことを多々体験してきたので、
無力ながら知恵のアドバイスだけ出来るよなぁ・・と微苦笑している。
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カマンベールチーズ、認知症予防に期待されるワケ、こっそりと高齢者の私は学び、やがて微笑み・・。

2020-09-29 14:56:44 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の76歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot.】に於いて、
何かしら『 カマンベールチーズが認知症予防に期待されるワケ 』

と題された見出しを見たりした・・。

私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、

ときおり願いながら散策したりしている。

こうした深情を秘めている私は、
今回の《・・カマンベールチーズ・・認知症予防に期待される・・》を読み、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。




この記事は、週刊朝日の岩下明日香さんの綴られた記事であり、
【 週刊朝日オンライン限定記事 】に9月29日配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
 カマンベールチーズが、
アルツハイマー型認知症の予防につながるかもしれないと期待を集めている。

認知機能が低下すると、脳の栄養分とも呼ばれるBDNF(脳由来神経栄養因子)という

たんぱく質の血中濃度が減る。

ところが、桜美林大学と東京都健康長寿医療センター、明治の共同研究グループの発表によると、
カマンベールチーズを食べることでBDNFの値が上昇した。

試験は70歳以上の軽度認知障害の女性71人を二つのグループに分けて行われ、

片方にカマンベールチーズ、もう片方にプロセスチーズを1日2ピース、
それぞれ3カ月食べてもらった。

次に食べない期間を3カ月おき、グループを入れ替えて同様の試験をした。

その結果、カマンベールチーズ摂取時には、
BDNFの値が6・18%増加し、
プロセスチーズでは2・66%減少したという。

桜美林大学老年学総合研究所の鈴木隆雄所長は、

BDNFについてこう説明する。

「脳神経細胞の成長や維持を促すたんぱく質で、

記憶をつかさどる海馬という領域に多く含まれています。

BDNFが減ると、海馬の神経細胞がダメージを受けます。
BDNFは加齢とともに低下していくものですが、
大幅に下がる病気の一つにアルツハイマー病があります」

BDNFを維持するには、運動が有効とされているが、

高齢になると、運動が困難になることもある。

そこで、普段の食事で摂取できるカマンベールチーズに目を向けたという。

「実験で使用したカマンベールチーズとプロセスチーズは、

塩分やエネルギーなどは、ほぼ同じ。
ただ違うのは、白カビがあるかないかだけです」(鈴木氏)



カマンベールチーズが表面の白カビによって、

熟成する過程で生じるオレイン酸とアンモニアが反応し、
オレアミドやデヒドロエルゴステロールといった物質が作られる。

このオレアミドについて、
東京都健康長寿医療センター研究所の金憲経研究部長は言う。

「カマンベールチーズは、オレアミドが0.56マイクログラム。

白カビのないチーズは0.05マイクログラム。
白カビのあるカマンベールチーズのほうが10倍以上も高い。

オレアミドは、中枢神経系の免疫担当であるミクログリアの過剰な炎症を抑制する作用が
あるとされています」

ただ、現段階では認知機能低下の予防に、

効果があるとまでは言い切れないという。

「カマンベールチーズを食べることで、

BDNFの値が改善されることには意義がありますが、
認知症や認知機能の改善につながる可能性が示唆されるという段階にとどまります」(金氏)

さらなる検証を待ちたい。(本誌・岩下明日香)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。





記事を読みながら、多々教示されながら、微笑んだりしてしまった・・。


我が家は、カマンベール入りのQ・B・Bのベビーチーズを愛食している。

確か家内が10年前の頃、このチーズをお願いょ、
買物メール老ボーイスの私は依頼されたりした。

何かしら細長い包に4つばかり入った可愛らしいチーズで、
60グラムと記載されていた。

この後の夕食の時、この中のひとつを私は家内から手渡たされて、
『特に高齢者の御方に良いと聞きましたから・・』
と私は言われたりした。

このたったひとつの15グラムのカマンベール入りのベビーチーズを月に20回ぐらい愛食した為か、
ときおり物忘れはあるが、認知症の予備軍にも無縁となっている。

このような体験をしてきたので、今回の記事に、やがて微笑み返しをしたりしている。
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75歳からの大切な心身変化と対策、76歳の私は真摯に学び、やがて多々教示されて・・。

2020-09-28 13:23:56 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む身であるが、年金生活の76歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot.】に於いて、
何かしら『 シニアこそ認知症より“うつ病”に注意? 75歳からの心身変化と対策 』

と題された見出しを見たりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。





私は日頃は、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 

ときおり願いながら散策したりしている。


もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、

季節のうつろいを享受している。

               


今回、認知症より“うつ病”に注意?、って、

どのようなことですか、と思いながら真摯に記事を精読した。

この記事は『週刊朝日』の2019年11月22日号より、
山内リカさんが抜粋された記事であり、
関連の【 AERA dot.】2019年11月19日に配信され、

無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・これまで心身ともに健康だったとしても、
「後期高齢者」にあたる75歳以上を境にして、さまざまな不調が出やすくなる。
特に注意すべき身体の変化をその対策とともに詳しくみていこう。

https://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2019111400020_2
☆【イラストで見る】75歳以上に多い病気
 (イラスト/和田慧子 週刊朝日2019年11月22日号より)☆



■フレイル
介護が必要になる人も、75歳以上で急増する。

高齢社会白書によると、75歳以上の要支援・要介護認定者数は、

65~74歳の約7倍。

75歳以上の要介護認定率(被保険者に占める割合)は、23.3%にものぼる。
多くの場合、坂道を徐々にくだるように要介護状態に入っていく。

その状態を示すものとして昨今、注目されているのが、
フレイルという病態だ。

フレイルとは、日本老年医学会が

「加齢に伴う予備能力低下のため、ストレスに対する回復力が低下した状態」
を表す“frailty”の日本語訳として提唱、
要介護まではいかないけれど、心身の機能が落ちて弱々しくなっている様子を示している。

次の5項目のうち、3項目以上当てはまるとフレイル、
1~2項目だとフレイル予備軍(プレフレイル)となる。

(1)意図せず半年間で、2~3キロ以上体重が減った
(2)疲れやすい
(3)身体活動量が低下した(軽い運動、体操、スポーツはしていない)
(4)握力が低下した(利き手で男性26キログラム未満、女性18キログラム未満)
(5)歩く速度が遅い(1メートル/秒未満)




ヴィデビムス虎ノ門クリニック(東京都港区)院長で、
老年医学を専門とする児島剛太郎さんは、
「フレイルの患者数は、高齢になるほど増えていきますが、
75歳を境にその増え方が急になります」と話す。

児島さんは、ロンドン大学在籍中、

日本人高齢者のフレイルに関する研究論文を集めて、
年齢とフレイルの関係を調べた。

それによると、フレイルの有病率は65~69歳では1.9%、
70~74歳では3.8%。

それが、75~79歳になると10.0%となり、
80~84歳では20.4%。
倍々に増えていたのだ。

「フレイルになぜなるのか、詳しいことはわかっていませんが、

加齢や慢性疾患によって筋肉量が低下すると、
基礎代謝や体力が落ちます。

消費エネルギーも減るので、食欲がなくなり、低栄養状態を招く。
それにより筋肉量が、さらに減ります。

こうした負のスパイラルによって、全身の機能が低下して、
寝たきりや要介護状態に陥ってしまうと考えられています」(児島さん)

フレイルの人は、健康な人と比べて、

約2倍死亡リスクが高いという研究結果も出ている。



気になるのは、その予防や対策。
介護予防対策に取り組む東京都健康長寿医療センター研究所(東京都板橋区)
高齢者健康増進事業支援室研究部長の大渕修一さんは、
「75歳でも85歳でも、できることはある」と言う。

「研究から『運動+栄養』によって筋力が戻り、

フレイルが改善できるとわかっています。

老化に伴い、筋肉は減ってきますが、
それは筋肉を構成する筋繊維の数が、減るだけのこと。
一本一本の筋繊維を太くすることは、何歳でも可能です。

実際、われわれの研究では、筋力が落ちている人ほど、
効果が高いという結果が得られています」(大渕さん)

大渕さんらの研究では、7カ所の地域に住む高齢者276人(平均75.3歳)に3カ月間、

運動をしてもらった。

その結果、年齢にかかわらず3カ月前より運動機能が上がり、
その効果は筋力が落ちている人ほど、大きかったという。

大渕さんが勧めているのは、スロートレ。

スクワットや階段昇降などの運動をいつもよりゆっくりしたペースで行う方法だ。

ポイントは、使っている筋肉が、プルプルしてきた様子や、
筋肉の疲労を感じること。

スロートレは2日おきに行い、運動した翌日は、筋肉を休ませる。
これによって筋肉の修復が促され、筋繊維を太くできる。

「できれば、スロートレの前や後に肉や魚、大豆製品などでタンパク質をとりましょう。

サプリメントでもOKです。
筋肉がつきやすくなります」(同)



■骨の病気
骨の病気の代表といえば、骨粗しょう症だろう。

骨がもろくなり、骨折のリスクが高くなった状態だ。

「骨粗鬆症の予防と治療ガイドライン(2015年版)」によると、
 女性の年代別の骨粗しょう症の発生率は、70~79歳が最も高かった。



■認知症とうつ
認知症は、70代から急に増え始めるが、

実は、この年齢で注意したいのは、うつ病だ。

認知症をはじめ高齢者の心の問題に詳しい
順天堂大学名誉教授でアルツクリニック東京(東京都千代田区)の院長、新井平伊さんは言う。

「うつ病は本来、40~50代で発症しやすい病気ですが、

後期高齢者のうつ病は、別の意味で深刻です。

落ち込みよりもイライラ、焦燥感といった症状が特徴的で、
認知症と間違われやすく、認知症の初期症状として起こることもあります」

高齢期のうつ病の原因の一つは、中枢神経の加齢。体の加齢と一緒で、
新しいことが覚えられなくなったり、反応が鈍くなったりする。

また、アドレナリンやセロトニンといった神経伝達物質が減ってくるため、
悲観的になったり、周りに興味を持てなくなったりすることもあるという。

「これらは誰にも起こる生理的なものです。

ただ、そこに家族や友人の死、社会的な役割の終了(再雇用や再就職の終了)、
将来や病気、死への不安などが加わったとき、
それをきっかけに、うつ病を発症してしまうのです」(新井さん)

高齢期のうつ病は、先に紹介したフレイルにも関係する。

家に閉じこもるようになり、人と交流する機会が減る。
それが精神的な活動の低下をもたらすためだ。



生活の質にも大きく影響する認知症やうつ病。
その発症を遅らせたり予防したりする方法はあるのだろうか。

新井さんは次のようにアドバイスする。

「生活習慣病のコントロールと、1日6~7時間程度の睡眠を。


脳トレもいいですが、同じことの繰り返しでは、
一部の脳しか使われません。

やはり、いろいろなことに興味を持ち、人と交流することをお勧めします。
大事なのは、やらねばならないではなく、楽しみながらやること。
それによって前頭葉をはじめ脳の広い部位が、活性化します」



■がん
国立がん研究センター「がん情報サービス」から代表的ながんをピックアップしたところ、

男性では70代が最も患者数が多く、
女性は乳房と子宮体部以外のがんで、70代以降から増加している。

がんの原因は、細胞の遺伝子異常。

日々、体の中では、がん細胞が作られているにもかかわらず、
がんにならないのは、細胞自身が遺伝子異常を修復したり、
免疫が働いて、異常な細胞を除去したりしているからだ。

「ところが、細胞が老化すると、遺伝子の異常が修復されなかったり、

遺伝子異常の頻度が増したりする。

高齢者ががんになりやすいのは、細胞が老化するからなのです。
70代を過ぎたら『いつがんになっても、おかしくない』
と思ったほうがいいかもしれません」

こう話すのは、日々がん診断に関わっている

病理医の小倉加奈子さん(順天堂大学医学部附属練馬病院病理診断科先任准教授)。

一般的に、がんのリスク因子といわれている生活習慣(喫煙や飲酒、運動不足など)は、
これら自身が、がん細胞を作り出すのではなく、
細胞の老化を早めることで間接的にがん発生に関わっているのだという。



75歳以降のがんで悩ましいのは、治療の選択肢が限られてしまうこと。
標準治療ができない可能性があると小倉さんは言う。

「今は75歳であっても、体力がある方が多いので、

手術ができるがんであれば、手術を第一に考えます。

ただ、抗がん剤を使った治療は、高齢になるほどむずかしい。
副作用が出やすく、合併症も増えるからです」

乳がんや肺がん、大腸がんなど、多くのがんでは現在、

補助療法といって、手術の前や後に抗がん剤を投与して、
目に見えないがんをたたく治療が行われている。

だが、これも年齢的な問題で、見送るケースが少なくないそうだ。

もう一つ、小倉さんが指摘する75歳以降のがんの問題点は、

重複がん。

子宮がんと胃がん、大腸がんと肺がんというように、
高齢になると、違うがんが一度に見つかるケースも増えてくる。

一度がんになったら、他のがんにはならない、ということはない。
がん検診などで定期的に確認しておくことが大事だろう。

先に述べたとおり、がんは、細胞の老化が原因。

高齢になったら、誰しも何かしらのがんになる可能性があると心得ておくべきだ。

ならば、シニア世代で重視すべきは、予防よりも、むしろ備えだ。
具体的には、「手術と抗がん剤治療に負けない体を作っておくことが大事」
と小倉さんは言う。

「まず“一人で歩いて病院に来られる”程度の体力はつけておきたい。

  実は、歩けるかどうかは、外科医とのカンファレンスでよく出てくる話なのです。

治療に耐えられるかどうか、その基本的な判断材料としているんですね。
見た目の“元気度”って大事なんです」



「後期高齢者」になる75歳で大きく変わる心と体。
もちろん個人差はあるので、75歳を過ぎても元気な人もいれば、
介護を必要とする人もいる。

「こうしたリスクをしっかり意識して、必要な対策をとるかどうかは、自分次第。

今からでも遅くありません。
元気で長生き、寝たきりにならない生活を送っていただきたいですね」
(東京慈恵会医科大学教授・横山啓太郎さん)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



何かと単細胞の私は、ここ数年、私が意識的に深めていることは、
日本は長寿国であり、 介護などの必要がなく、 

日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」である。

「健康寿命」としては男性は72.14歳、女性は74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。

こうした中で、約10年前後の間、何らかの介護支援が必要となる、 と改めて教示されて、
動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。




いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
何とか人に頼よる介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。


 

このような深情があるので、今回の多岐に及ぶ《・・75歳からの心身変化と対策・・》、
真摯に学んだりした・・。

たまたま私は、昨日に76歳の誕生日を迎えて、
今回の記事は、私にとっては何よりのプレゼントと思い深めている。

私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸16年を過ごしてきた。


もとより寝たきりなどは、日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症とか心筋梗塞などは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。



                                                                  
果たして「健康寿命」で過ごせることは、自助努力は必要であるが、
こればかりは神様か仏様の采配に寄るだろう・・
と思い深めながら、改めて感謝し、空を見上げたりしている。

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最近のマスク市場の実態、過ぎし日に『マイク迷子』になった私は、こっそりと学び、やがて微笑み・・。

2020-09-27 13:01:01 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳になる身であり、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見ていたら、
『1000億円超に膨れ上がったマスク市場 最後に勝つのはどこだ
と題された見出しを見たりした・・。



過ぎし日の2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてるが、
いつになったら終息なるの、と思いながらマスクをして、人出の少ない処を選定して、
独りぼっちで散策している。
                         


こうした中で、私はマスクが苦手で、2月の中旬まで、これまでマスクをしたことはなかったが、
生まれて初めて極く一般の白いマスクを付けて、歩いたりしてきた。     

しかしながら、この後の3月になると、ドラッグストア、スーパー、コンビニなどで、
私たち夫婦のマスクを更に必要となり、買い求めようとしたが、

母を訪ねて三千里のように探し求めてきたが、
わずか6つばかり何とか入手できたが、マスク迷子の悲惨な時を過ごしたりした・・。
        
やがて4月23日、あるドラックストアーに寄った時、
たまたまマスクの入荷にめぐり逢えて、久々に買い求めることが出来たりした。
      

昨今、『緊急事態宣言』が解除されて、何かしら重苦しい日常から解放されて、
安堵しながら微笑んだりしている・・。

そして世の中は、自粛から自衛の風潮に変貌し、無力な私でも大切な社会経済の復興を願っているが、
新型コロナウイルスが沈静化するまで、自分の身は自分で守りながら、
程々に自粛生活の延長戦する、と微笑んだりした。
 

しかしながら私の心の片隅では、覇気がなく、とりとめなく過ごすことが多くなっている。




このような過ぎし日に『マイク迷子』になった私は、
今でも感染を移すのも移されるもお互いに困苦するので、
社会人のエチケットとして、外出の時はマスクをしている・・。

このような深情の私は、今回、標題の誘惑に負けて、
最近のマスク市場の実態を学びたく、こっそりと記事を読んでしまった・・。

この記事は、NEWSポストセブン 】に9月27日に配信され、
無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。

《・・参入メーカーが相次ぎ、品薄状態が解消された不織布マスク

     

☆記事に掲載されている写真をお借りした☆

新型コロナウイルスの感染拡大によって、
数か月にわたって品薄・品切れが続いていたマスク。

現在は、そうした状態もようやく解消されたが、
この間、マスク製造に参入するメーカーが相次いだために、
一転して生き残りをかけた激しいシェア争奪戦が勃発している。

果たして最後に勝つメーカーはどこか。
ジャーナリストの有森隆氏がレポートする。



 「マスクの市場規模が、生理用品を上回る」──。

生理用品大手、ユニ・チャームの高原豪久社長の発言だ。

新型コロナの感染拡大を受け、国内ではマスクが供給不足に陥り、
一時期、ドラッグストアなどの店頭から完全に姿を消し、
高額転売が問題視された。

だが、政府が補助金を出したこともあり、マスク製造に参入する企業が増えた。
「最近は店頭に安定的に並び始めている」(ドラッグストアの店長)というのが、全国的な現状だろう。

高原社長は、「これから始まるのはマスクの選別。
品質や信頼できるブランドが選ばれるようになっていく」と述べ、
先行きに対する自信を示した。


☆ユニ・チャームは、国内マスク市場で首位。

「超快適マスク」、「超立体マスク」を製造・販売しており、
2020年1~6月期のマスクの販売額は前年同期比で3倍にも膨らんだ。


☆記事に掲載されている写真をお借りした☆


感染防止のため、マスクを着ける習慣が日本だけでなくアジアでも定着するとにらんでおり、
「市場規模は1000億円を超え、生理用品を超えるカテゴリーになりつつある」(同)という。


☆マスク売り上げ45億円弱のシャープ

これまでマスクの主力は、不織布だった。
不織布はポリプロピレンなどの樹脂でできた化学繊維を熱や接着剤を使って布状にしたもので、
マスク以外にも紙おむつなどに幅広く使われている。

コロナ禍でもなければ、1枚10円からの使い捨てである。
このマスクの価値が、コロナ禍で急上昇した。
まさに“マスク・バブル”だ。

1月に中国で、新型コロナの感染が広がり始めると、
この不織布マスクが、一気に品薄状態になった。

ユニ・チャームなど、日本の日用品メーカーが増産に乗り出したが需要に追いつかず、
マスクを扱ったことがない業者が、中国産マスクを大量に輸入し始めた。

しかし、中国産は品質にばらつきがあり、
消費者は安心して使える国産を求めた。

このタイミングで登場したのが、シャープだ。
3月から三重県多気町の液晶ディスプレイ工場を活用してマスクの生産を始めた。

そして、4月26日、自社サイトを通じて50枚入り2980円(税別)で販売したところ、
サイトにアクセスが集中して、接続しにくい状況が続き、
販売は抽選方式になった。

同社は9月14日から普通サイズと比べて、横幅が3センチ短い小さめのマスクを売り始めた。
女性や小学校高学年以上の子供の使用を想定している。

「4月にマスクを販売して以降、
消費者から小さめのものが欲しいとのリクエストがあった」と説明する。

小さめのマスクも普通サイズと同じように、
毎週水曜日に自社サイトで抽選販売する。
価格は1箱50枚入りで2980円(同)。

現在、シャープの日産枚数は普通サイズが60万枚、小さめが3万5000枚程度。

これまで普通サイズで累計約150万箱(およそ7500万枚)を売り切った。
単純計算でマスク売り上げは、実に45億円弱となった。



☆マスクの「地産地消」掲げるアイリスオーヤマ

アイリスオーヤマは、不織布などの材料も含め、中国などの企業に頼らず、
ほぼすべてを国内で作れるようにした。

6月から宮城県内のプラスチック製品を作る角田工場で、
家庭用の不織布マスクの製造を始め、
8月からは月産1億5000万枚を生産する体制を整えた。

流行語にもなった“アベノマスク”は1億2000万枚なので、
アイリスオーヤマはこれを凌駕する。

前述したように、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
政府は今年2月中旬以降、マスク増産に向け、設備投資を行うメーカーに
補助金を出す取り組みを行ってきた。

アイリスオーヤマは、これを活用して角田工場を約30億円かけて改修。
中国の大連工場、蘇州工場と合わせ、
月に2億3000万枚の家庭用マスクを国内に供給できる体制が出来上がったという。


☆記事に掲載されている写真をお借りした☆


さらに、アイリスオーヤマは10月以降、
米国やフランスでマスクの現地生産を始める。

「マスクを着用する習慣がなかった欧米でも根付きつつあり、
マスクの需要は世界規模で高まっている」と大山健太郎会長は判断した。

現地生産したものは、その地で売る。
「地産地消」そのものである。




☆ユニ・チャームは輸出も視野

そして、国内マスク最大手のユニ・チャームは、
1月下旬からマスクの生産を24時間体制に切り替え、
現在は通常の3倍の月約1億2000万枚を生産している。

また、10月以降には新たな設備を導入してさらに上積みする方針だ。
国内の感染状況をみながら、余裕が出てくれば輸出に回すという。


☆国内最大手、ユニ・チャームのマスク

具体的には、2021年から「超快適」、「超立体」といった高価格帯の家庭用の
不織布マスクをタイやインドに月2000万枚、供給する。


☆記事に掲載されている写真をお借りした☆

国産マスク大手が、大規模に輸出するのは初めての試みだ。
いま、中国が、マスクを含む繊維製品の世界輸出の4割強を占めているが、
ユニ・チャームは高品質のメイド・イン・ジャパンのマスクで中国製に対抗する。

家庭用の不織布マスクの覇権争いは、首位のユニ・チャームを、
大増産体制を完了したアイリスオーヤマが追う展開となりそうだ。

☆ファッション性の高いマイクが次々と誕生

マスクのシェア争いは、不織布に限った話ではない。
いまやさまざまな色や柄のマスクが、百花繚乱。

特にデザイン性の高い布製マスクは、
ファッションアイテムとしての地位を築きつつある。

6月19日、ユニクロ銀座店には、開店前から長い行列ができた。
お目当ては同日から販売をはじめた「エアリズムマスク」(3枚組で税別990円)。

速乾性や通気性に優れる機能性肌着「エアリズム」の素材を使っており、
蒸れやすい夏を乗り切るマスクの本命として消費者の期待が集まった。
毎週50万パックを販売する。

ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は、
当初、マスクの参入に否定的だったが、
消費者の熱い要望を受け入れ、方針を転換した。




また、良品計画傘下の無印良品は、
生産時に余る残布を有効活用した「繰り返し使える2枚組・マスク」を発売。
オーガニックコットンなど夏に向く素材で作られている。

3種類のうち、6月5日発売の「サッカー織り」タイプは、
初回入荷分が早々に売り切れた。

スポーツメーカーでは、ミズノが、水着や陸上ウエア用のストレッチ素材を採用。
伸縮性を高めたマスクの販売を始めたほか、
裏側に涼感素材を使ったマスクも投入した。

スポーツ選手が着けたことから人気を呼び、
5月20日にネットで販売を開始するとアクセスが殺到。
販売予定数を5万枚から87万枚に増やしたほどだ。



☆皇室御用達ブランドもマスクで勝負

数が満たされれば、毎日使うマスクをおしゃれに着けたいと思う消費者が
増えるのが自然の流れだ。

アパレル各社もファッション性の高いマスクを投入した。
三陽商会は、洋服とのコーディネートを楽しめるチェック柄やストライプ柄など16種類を揃え、
気分や季節に合わせて選べるようにした。

洗って繰り返し使える。
自社サイトで限定販売し、価格は1枚900円(税別)。
第1弾は1時間で完売するほどの人気だったという。

かつて紀子さま御用達ブランドだったレリアンは、
1枚2640円、1980円などの、日本製の洗えるマスクで勝負する。

レリアンといえばレナウンの子会社だったが、
2009年末、伊藤忠商事に売却された。

伊藤忠の岡藤正広会長CEOは『文藝春秋』(2020年10月号)のインタビューで、
レリアンのマスクについて、こう語っている。

〈マスクも日本製は、品質が素晴らしい。
子会社のレリアンのマスクを見せてもらったのですが、
着け心地が良いうえに、ものすごくオシャレ。

コロナを機に、世界中で、
上質で清潔なメイド・イン・ジャパンが再評価されています〉

ちなみに、筆者が通う鍼灸院の40歳代の女性鍼灸師にも
レリアンのマスク(2640円、写真)の着け心地を聞いてみたところ、
「デザインが、かわいい。
作りがしっかりしていて、洗っても型崩れしないし、
耳ひもも調節できるので負担が少ない。息がしやすい」
と好評だった。



☆記事に掲載されている写真をお借りした☆

「チュールレースを使っているので、下着っぽい感じがする。
地下鉄の車内などで着けていると一瞬、
男性の視線が止まる感じがして存在感があり過ぎ(笑)」とも。

レリアンは大手百貨店に店舗があるし、ネット通販で購入も可能だ。
一部商品はSOLD OUTしたが、再入荷している。



☆イオン系は1枚10万円のマスクも販売

イオン系アパレルのコックスは、9月8日、
ファッションマスク専門店「Mask.com(マスクドットコム)」を
JR東京駅に直結する八重洲地下街にオープンした。

多様なデザインと機能のマスク200種類を並べ、品揃えは日本最大級という。
販売する全種類のマスクの約3割が、コックスのオリジナル商品となっている。
多くの商品のサンプルを展示しており、商品を触ったり、比較したりしながら購入できる。

コックスオリジナルの「さらマスク」は、
特殊な加工で保湿効果がある仕様にした。

抗菌防臭処理もされており、接触冷感素材を使っている。
色は12色あってS~Lの3サイズがある。価格は1枚500円だ。

中には1枚10万円する超高額マスクもある。
最高級の輝きを誇るクリスタル(ガラス)として世界中に広く知られている
オーストリアブランド・スワロフスキーのガラスの粒を、
職人が手作業で付け、星などの形にしたものだ。
生地は綿で黒と白を用意した。



☆新大久保では50枚入り499円まで値崩れ

9月の4連休前の夕刻、“マスクのメッカ”東京・新大久保を歩いてみた。

ドラッグストアなど、あらゆる店頭からマスクが姿を消した3月、
ありふれた品質のマスクが1箱(50枚入り)4980円の超高値で売られていた場所だ。


路上で売られていたマスクは700円台、600円台、500円台といった値札が目立った。
もちろん50枚入りで、最安値は499円のもの。

インド人とおぼしき売り子が、手持ち無沙汰に立っていた。
商品には〈1回限りの非医療用。4時間以上の使用には適していない〉との但し書きがついている。

素材本体はポリプロピレン、耳ひもの部分はポリエステル、ポリウレタン。
メイド・イン・チャイナとあるが、
メーカー名、住所とも、まともな日本語にはなっていない。
多分、でたらめなのだろう。

大量に輸入したマスクを日本で小分けにして、
箱詰めしたと類推できる仕上がりになっている。



道をへだてた反対側には中堅のドラッグストアがあり、
ここで「nepia 鼻セレブ」(王子ネピア、日本製)を売っていた。

17.5㎝ X 9.5㎝のふつうサイズだが、
「1日中、口にはりつかない 口元空間マスク」がセールスポイントで、
5枚入りが547円だった。


こうして50枚499円で叩き売られているマスクがある一方、
高品質で相対的に高い価格を維持している日本製マスクもある。

ファッションメーカーから出ているマスクは、
1枚2000円台でも売り切れのものがある。

中国、ベトナムなどを中心に東南アジアから輸入されたマスクの国内在庫(デッド・ストック)は、
どのくらいあるのだろうか。

零細な業者は、マスクの山にうずもれ、瀕死の状態にある。
品質が劣り、価格競争力を失ったマスクの明日を、
連休前の新大久保で見た思いがした。



日本衛生材料工業連合会によると、
現在の国内のマスク供給量は月10億枚。
3月に比べて、7割増加した。

国産品が占める割合も、2019年度の2割から5割弱まで高まった。
洗って繰り返し使えるマスクの普及もあり、一時期の品薄感は薄れている。

とはいえ、副業としてマスクを作っていたメーカーは、
品質面でのレベルアップを図るのが難しいことから、
いずれ撤退していくことになろう。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




世の中は、新型コロナウイルスが沈静化するまで、
私も苦手なマスクをするので、今回の記事に多々教示されたりした。

そして各社から販売される多彩なマスクに驚き、
これだったらドラッグストアー、コンビニで買い求めることができるかしら、
と過ぎし日に『マイク迷子』になった私は微笑んだりした。
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コロナ禍の情況下、ある介護施設の実態、高齢者の私は少し学び、やがて涙を浮かべて・・。

2020-09-26 15:41:38 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している【 プレジデント・オンライン 】を見ていたら、
『 コロナ禍の残酷「ガラス越しの面会」で老親の認知症は悪化した 
     ~そのまま今生のお別れになることも~
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅に住むまもなく76歳になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦にとって難題は、

やはり晩秋期の不安は、いつの日にか、介護・要となり、
介護施設にお世話になる時と思われる。

          
          

こうした中、要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)などを学んだりしてきた。              

そして私たち夫婦は、いつの日にか『要支援』までであったら、何とか自宅で過ごせると思われるが、
やはり『要介護』になってしまったら、やむなく介護施設に入居すると思案したりしてきた。

しかしながら私たち夫婦は、介護施設を見学など具体的に施設の実態を学んだこともなく、

まして新型コロナウイルスの烈風のコロナ禍の情況下、
どのような事態になるのか学びたく、記事を精読してしまった・・。



この記事は介護アドバイザー などで多彩に御活躍の鳥居 りんこさんの寄稿文であり、

【 プレジデント・オンライン 】に9月26日に配信され。
無断であるが転載させて頂く。

《・・
コロナ禍で多くの介護施設は、家族の面会を制限している。

「お母様がグッタリされているので、救急車で緊急搬送します」
6月のある朝、A子さん(57歳)は電話で叩き起こされた。

両親が住む高齢者施設からだった。
「お母様がグッタリされているので、救急車で緊急搬送致します」。

A子さんは岩手県出身で、結婚後はずっと都内に住む。
高齢となった岩手に住む両親のことを気にかけ、
頻繁に帰省しては可能な限りのケアをしてきた。

しかし、父親(85歳)の認知症、母親(83歳)のパーキンソン病ともに、症状が悪化したため、
昨年、実家近くの高齢者施設に両親そろって移ってもらった。

そんな中で、コロナ禍となる。
当然、ずっと会えない状態は続いていたのだが、
緊急搬送の連絡を受けた6月上旬は、県をまたぐ移動の自粛解除前。

飛んで行きたくとも、行けない状況で、回復を祈るしかなかった。
幸いにも母親は10日間で退院。
原因は熱中症だったそうだ。



☆85歳認知症の父が「ガラス戸をこじ開けようとして大変だった」

ようやく自粛が解除された6月下旬、急ぎ、施設に飛んだA子さんだったが、
感染防止の観点から施設には1歩たりとも入れず、
両親とはガラス越しの面会になったという。

「父は(ガラス窓の向こうにいる)私がどうして中に入ってこないのかが理解できず、
ガラス戸をこじ開けようとして大変でした。

父の隣にいる母は、車椅子に座ったままで元気がないように見えました。
差し入れすら許されず、つらかったです」

高齢者施設によっては、誤嚥(ごえん)や食中毒を避けるために、
家族同伴の下であれば、差し入れの食品を食すことができるケースもある。

だが、この施設では家族が接触できないので、
必然的に差し入れNGになるのだ。

今、A子さんのような切ない思いを抱えている人は多い。
入院患者も基本、お見舞いは受け付けていないが、高齢者施設でもそれは同じ。

これはコロナの感染リスクがある限り、面会制限も続くということを意味する。
家族であっても、自由に面会はできないのだが、
これがとりわけ「中にいる親」にとって、
大きなダメージとなるリスクがある。

神奈川県にある有料老人ホームのケアマネのSさんは、その実態をこう話す。



☆介護施設「面会制限」は老親に想定外のダメージを与える

まずは入所者に対しては下記、4つの制限があるという。
1 外出制限
2 施設内の催しの中止(お花見、遠足、夏祭り、カラオケ、集団によるリハビリ訓練など)
3 訪問歯科、訪問美容、訪問販売の中止または延期
4 家族・親族との面会制限

1は例えば、入所者が病気になり、外部の病院で診察を受けると、
自動的に1週間の自室待機になる。

8月からは少し緩和され、自室待機が課されるのは、
コロナ陽性患者受け入れ先に指定された病院で、受診した者に限られるように。

よって、整形外科などの個人病院受診後は、
通常通り施設内の食堂で食事を取れるようになった。

しかし、不要不急の受診はNG。
現状は内科医の訪問診療のみに頼っている。

2はイベント系の行事の中止である。
お花見などの外出はもちろん、施設内で行っていたリハビリの一環としてのカラオケ、
健康体操なども飛沫感染を恐れて、もう半年は実施していないという。

3も同じで、毎月、行っていた歯科診療、美理容も順延になっているという。


一番大きな問題は4である。
外出がままならないお年寄りにとっては、
家族の面会は大きな喜びのひとつであったはずなのに、
現状は冒頭に述べたとおりである。


この施設では、緊急事態宣言中は、一切の面会禁止。
解除後の現在も、実は面会制限継続中で、
LINEによるビデオ通話かガラス越しの面会のどちらかを2週間に1回、最大10分。
平日1日3組までという条件で許可をしている段階だという。

職員が入所者にマンツーマンで付き添う必要があり、
現状60人超の入所者全員に実行するには、この措置がギリギリとのことだ。



☆「家族との触れ合いが激減し、認知症が進んでしまった」

ケアマネのSさんはこう話す。
「今はあれもダメ、これもダメで、
お年寄りの楽しみをすべて容赦なく奪い取っているような気がして、心が痛いです。

実際、家族と触れ合うことで得られる安心感や楽しみ、刺激が少なくなった余波を受けて、
フレイル(高齢者が筋力や活動が低下している状態=虚弱)に陥ったり、
認知症が進んでしまったりするケースが見られます。

ある女性は、春先まで『○ちゃん(娘)が来ないわね~』と頻繁に口にしていたのですが、
段々と感情表現が乏しくなって、
もう今では『○ちゃん』というご家族の名前は言うことはなくなってしまいました」

もちろん、この状態をどうにかしようと懸命に努めている介護施設職員は多いが、
現実は厳しい。

この施設の場合、夜勤明けの職員が、
ひとりで朝イチに1フロア23人の入所者の体温を測らねばならない。

排せつや着替えも行って、さらに検温という仕事があるので、
コロナ前よりも負担感は確実に大きくなっている。



☆入所者を「死なせない」ことが唯一の目標になっている

ケアマネのSさんは
「最近、ようやく非接触型の体温計が入手できたので、
だいぶ楽になりました」と話すが、悩みは他にもある。

その筆頭は「介護のやりがい」だという。
「今は、これまで普通にお仕事としてやってきたことが全くできていません。
外出や集団レクリエーション、家族交流の時間がなくなり、
食事・入浴・排せつのお世話だけで、一日が終わってしまいます。

これでは、コロナで入所者を死なせないことが唯一の目標になっているようで、心苦しい。

お年寄りは、我慢強い人が多いので、
ご自分の『あれがしたい』などという希望を控える人ばかりです。

残された時間を、もっと楽しく過ごしてほしいのに、
これでは『ただ生かしているだけ』ではないかと思い、切ないです」

介護の質を上げるためには、職員同士のレベルアップのための研修や、
全体会議などが必須だが、一度に集まれるのは職員4人までという内規があり、
50人いる職員の全体会議どころか、申し送りなども十分にはできない状況だという。

今はどの高齢者施設も同じような状況に追い込まれているため、
このコロナ禍で転職を考えだした介護職員も少なくないようだ。


埼玉県の有料老人ホームに勤務する介護士のYさんはこう話す。
「ウチのホームでは、ご家族からのクレームが明らかに増えました。
多いのは『自由に面会させろ』という面会制限に対するもの。

また、入所者さまが不慮のケガをした際、
『どうして、(施設内で)転んだのか?』といった類いも。

この2つの案件とも、親御さんと直接の面会ができないので、
職員がご本人の体調などを電話で説明するのですが、
電話では細かくお伝えできません。

そのため、会えないご家族は不安になって、
クレームをするという循環です」

「ご家族と会えないことで、精神的に不安定になる入所者さまもいて、
対応に苦慮することもあります。

明らかに業務量は増え、夜勤も多く、このままだと自分の体が持たない。
もともと、介護業界はギリギリの人数で回していますが、
このコロナで職員の疲弊度はさらに増しています」(介護士のYさん)


☆コロナ禍は、ガラス窓越しに一生のお別れをしなければならない可能性

先のケアマネのSさんも、日々仕事をしていて悲しく思うこととして、
「コロナ禍での看取り」を挙げた。

「私の施設では、現状、食欲が低下し衰弱が著しい入所者さまなどには、
特別な部屋に移っていただいています。

ご家族は、その部屋に頭から足まで防護服を着用して入っていただきます。
でも、防護服って暑いし、これでは入所者さまは家族の顔もよく見えません。

これは、あまり表立っては言えませんが、
8月あたりからお看取りが近いと判断された方は、
地域包括センターなどと連携して、在宅訪問医の協力を得ながら、
在宅復帰を提案するようにしています。

ご家庭内ならば、抱きしめることもさすることも、
もちろん直接、声をかけることも自由ですから・・・」



冒頭で紹介した岩手県に住む両親を持つA子さんは、
今も施設のガラス越しの面談を続けている。

「先日、見舞いに同行したいという娘(孫)が、
スケッチブックに『笑って!』って大きく書いてガラス越しに掲げたんです。

その文字が分かったらしく、両親が泣いたような笑ったような顔を見せてくれました。

老親のほうが案外、(コロナ感染対策への)順応性が高いかもしれないって思いました」

今後、親が突然重い病気で入院したり、介護が必要な状態になったりしたら・・・。

最悪の場合、ガラス窓越しに、一生のお別れをしなければならない。それもコロナ禍の現実なのだ。・・》

注)原文にあえて改行を多くした。

            

私は読みながら、改めて介護施設の介護に従事する御方の多事多忙を学んだりした・・。


こうした中で、入居者の日常を学んだりした。

こうした中で、新型ウィルスの烈風のコロナ禍の情況下で、
入居者の日常も制約され、困苦される事態を学んだりした・・。

そして特に、入所者に面会される御方でも、頭から足まで防護服を着用して、
ガラス窓越しに、入所者と面会になる、と学んだりした。

こうした中で、《・・岩手県に住む両親を持つA子さんは、
今も施設のガラス越しの面談を続けている。

「先日、見舞いに同行したいという娘(孫)が、
スケッチブックに『笑って!』って大きく書いてガラス越しに掲げたんです。

その文字が分かったらしく、両親が泣いたような笑ったような顔を見せてくれました。・・》

この世で親として最も情愛が深い娘、孫がカラス越しに掲げた・・
 その文字が分かったらしく、両親が泣いたような笑ったような顔・・
戸惑いながらも、コロナ禍の情況下で制約され、
やるせない状況を思い馳せると、私は涙を浮かべていた・・。



今年は、世界の誰しもが予期できなかった新型コロナウイルスに伴い、
生死の関わる難題に遭遇して、今日に至っている。

過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、

私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されてきた。

そして体力も衰えた私は、新型コロナは、
どこで感染して、どこでウイルスを広げているのかわからないのが怖く、
せめて人出の多い処では、苦手であるがマスクをしている。

こうした中で、買物、散策、病院の通院など外出の時は、
生まれて初めて今年の3月初旬よりマスクを付けてきたが、
今だに苦手となっている・・。

何かしら口の周りが、熱く汗ばむようで息苦しくなり、
人影のいない遊歩道、公園などで、こっそりとマスクをはずしたりしている。

このように今年の夏は、コロナ対策と熱中症対策の二重苦で、
体力の衰え、右脚の膝(ひざ)の痛みを感じているので、
重苦の夏だよなぁ・・と微苦笑しながら過ごしてきた・・。




そして政府より国民に対して、大切なことが公布されてきた・・。

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、「新しい生活様式」として、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、3つの 約束が公言されてきた。

こうした世の中の流れに準拠しきた私は、今回の介護施設に於いて、
 コロナ禍の情況下、翻弄されている入所者、
そして介護従事者、面会される御方・・無知であった、
と遅ればせながら無力な私でも反省をしたりしている。
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早くも今年のインフルエンザワクチン接種の予約、高齢者の私は勧められて、微笑みを重ねて・・。

2020-09-25 13:23:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく76歳になる身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後42年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、まもなく丸16年が過ぎ17年生に進級する。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると満76歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると71歳となり、

世にいわれる高齢者無職夫婦世帯となっている。

          

過ぎし2か月前、調布市より年に一度の後期高齢者の健康診断の通知書を頂き、
そして私は最寄りの内科病院に予約したりした。

本日の朝9時より、健康診断を受診する為に、内科病院に向かった・・。




私の住む市では、年に一度の健康診断は、
過ぎし平成19年度までは『お誕生日検診』と可愛らしい名称であったが、
この後は、何かしら基本健診に血圧測定、血液検査などが加味され、『特定検診』と改称された。

私は健康診断を受診する時、基本健診としては、
身長、体重、採血、心電、尿検査、血圧測定などが行われた後、
最後に医師との総合所見の問診となっている。

そして希望者には胃がん、大腸がんの検診があり、私は毎年受診してきている。
      




こうした中で、医院長より
『今年のインフルエンザのワクチン接種、早めに申し込みをされた方が良いですょ・・』
と私は言われたりした・・。

何かしら今年のインフルエンザのワクチン接種に関しては、
厚生労働省より、『季節性インフルエンザワクチン接種時期ご協力のお願い 』と公表されていた。

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000671479.pdf
厚生労働省ホームページ:『季節性インフルエンザワクチン接種時期ご協力のお願い 』

文書化すれば、下記の通りである。



《・・新型コロナウイルス感染症の流行が懸念される中、
この冬に向けてインフルエンザワクチンの需要が高まる可能性があります。

今年は過去5年で最大量(最大約6300万人分)のワクチンを供給予定ですが、

より必要とされている方に、 確実に届くように、ご協力をお願いします。



○ 原則として、
①予防接種法に基づく定期接種対象者(65 歳以上の方等)の方々で、

インフルエンザワクチンの接種を希望される方は10 月1日(木)から(※)接種を行い、
それ以外の方は、10 月26 日(月)まで接種をお待ちいただくようお願いします。

(※)自治体によってはワクチンの接種開始時期が異なり得ますので、ご注意ください。

○ 10 月26 日(月)以降は、
特に、②医療従事者、65 歳未満の基礎疾患を有する方、

妊婦、乳幼児(生後6 ヶ月以上)~小学校低学年(2年生)の方々で、
インフルエンザワクチンの接種を希望される方に対して、接種が可能となります。

○ なお、これら以外の方々についても、

10 月26 日(月)以降は接種をお待ちいただく必要はありません。・・》




このような内容を見て、今年は新型コロナウイルス感染症の流行が懸念される中、
この冬に向けてインフルエンザワクチンの需要が高まる可能性があるので、

多くの御方が予防接種を受けられると思われる。

そして私は、予防接種法に基づく定期接種対象者(65 歳以上の方等)の方々で、
インフルエンザワクチンの接種を希望される方は、
10 月1日(木)から接種を行えると知ったりした。



そして私は今回の健康診断の詳細結果日に合わせて、
10月23日に接種して頂くことを申請したりした。

まもなく、医院より了解して頂いたりして、
早くも今年のインフルエンザワクチン接種日が決定した、と微笑んだりした。
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「健康寿命」と「平均寿命」の間の10年は『ヨタヘロ期』、高齢者の私は教示され、微苦笑して・・。

2020-09-24 12:55:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京都の調布市に住む年金生活のまもなく76歳になる身であるが、
ときおり愛読している【 文春オンライン 】を見たりしていた。

こうした中で『「健康寿命」と「平均寿命」の間の10年・・あなたはどう過ごしますか?』、
と題された見出しを見たりした。

この人生の晩秋期の難題は、私は幾たびもブログの投稿文を重ねてきたので、
関心のあるテーマなので、記事を読んでしまった・・。


『週刊文春』の恒例の記事には、『ベストセラー解剖』があり、
今回の 2020年9月24日号に於いては、

樋口恵子さん著作の 『老~い、どん! あなたにも「ヨタヘロ期」がやってくる』(婦人之友社)が
取り上げられていた。

そして前田 久さんが解説された寄稿文が、
【 文春オンライン 】9月23日に配信され、私は微苦笑をしながら多々教示されたりした。



無断であるが記事を転載させて頂く。
 
《・・NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長を務め、
評論家として執筆、講演を旺盛に行っている88歳の著者。

そんな著者だが、身体の不調をはじめとする自身の苦労を踏まえ、
健康寿命と平均寿命の間の約10年を〈ヨタへロ期〉と呼ぶことを提案。



そして、今〈ヨタへロ期〉にある人たちは、
人生100年時代を生きる最初の世代として自分の、そして後続世代のために、
社会を変える必要があると訴える。

「著者は〈ヨタへロ期〉という言葉を広めることで、
みなさんと一緒に老いの幸せの条件を考えたいそうです。

そのために、これまでの著書とはタッチを変えて、
弊社の読者に向けた手紙のように、ご自身の日常を綴られました。

そうした工夫から来る共感性の高さが、好評の理由ではないかと感じています」
(担当編集者の小幡麻子さん)


お金の悩みや体調の変化、夫婦関係の悩みなど生活に密着した話題が多岐に渡る。
そのどれもが、あるべき社会像の議論へ繋がっていく。

「樋口さんは、ユーモラスでチャーミング。
社会派としての豊富なご経験に、膨大なデータがインプットされているので表現が的確。
共感だけではなく、読者の意識が広がるようです」(小幡さん)

主な読者は70代から80代の女性だが、
本書を元にした講演には、多くの男性客の姿も。
夫婦で愛読されているようだ。(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は評論家・樋口恵子さんに関しては、
過ぎし年の私が民間会社で40代のなかばの1989年(平成元年)に、
 定年後に家でゴロゴロしていて、地域活動なとで忙しい妻に、まとわりつく夫の社会風潮を憂い、
 掃いてもへばり付いてくる状態をたとえて、『濡れ落ち葉』と的言された。




やがて私は民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた・・。


私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに思いやりと感謝を根底に、日常をささやかに過ごしている。

午前中の殆どは、平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求め、
買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。

こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな憩(いこ)いひとときなどを過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
         
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーか煎茶を飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。

このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。

このような年金生活を当初よりしてきたのは、
樋口恵子さん、曽野綾子さんの書物より少し学んできたからである。



今回の樋口恵子さんの「健康寿命」と「平均寿命」の間の10年は『ヨタヘロ期』と命名され、
確かに人生の晩秋期の的言、と深く賛意を深めたりした・・。

私は日頃は、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 

ときおり願いながら散策したりしている。




もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、

季節のうつろいを享受している。

               


何かと単細胞の私は、ここ数年、私が意識的に深めていることは、
日本は長寿国であり、 介護などの必要がなく、 

日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」である。

「健康寿命」としては男性は72.14歳、女性は74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。

こうした中で、約10年前後の間、何らかの介護支援が必要となる、 と改めて教示されて、
動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。




いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
何とか人に頼よる介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。


 

このような深情があるので、
今回の樋口恵子さんの「健康寿命」と「平均寿命」の間の10年は『ヨタヘロ期』と命名され、
確かに人生の晩秋期の的言、と深く感じ、そうですよねぇ、と微苦笑をしたりした。
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シニア世代の男女40人、各所でチアダンスを披露、高齢者の私は学び、やがて瞬時に好感を深めて・・。

2020-09-23 13:19:50 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく76歳になる身であるが、
先程、ときおり愛読しているオトナの教養エンタメバラエティーとして
名高い公式サイトの【 オトナンサー 】を見たりしている中、
『 最高齢79歳 大阪のシニア男女40人が「チアリーディング」で見つけたもの 』

と題された見出しを見たりした。

私は何よりも、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 

ときおり願いながら散策したりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、

季節のうつろいを享受している。

               


何かと単細胞の私は、ここ数年、私が意識的に深めていることは、
日本は長寿国であり、 介護などの必要がなく、 日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」をみると、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。

こうした中で、約10年もの間、何らかの介護支援が必要となる、 と改めて教示されて、
動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。




いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
何とか人に頼よる介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。 




このような深情の私は、今回の《・・シニア男女40人の「チアリーディング」・・》って、
どのようなことですかと思いながら、誘惑に負けて、記事を精読してしまった。

この記事は、 NPO法人・老いの工学研究所 理事長の川口雅裕さんの寄稿文であり、
2020年9月21日に配信され、無断ながら記事を転載させて頂く。

《・・元気な高齢者が増えていますが、
関西では、最高齢79歳のシニア世代の男女40人が、
各所でチアダンスを披露しているそうです。
「大阪オトン・オカンチアリーダーズ」(石原由美子さん提供)



「最高齢79歳のシニア世代の男女40人が、
各所でチアダンスを披露している」。

そう聞いて、その様子がすぐにイメージできる人はきっと少ないでしょう。
その名も「大阪オトン・オカンチアリーダーズ」。

主宰・指導しているのは、関西圏で9カ所のチアダンススクールを展開する
企業「JUMPS」(大阪市中央区)の石原由美子さんです。

石原由美子さんはリクルートに在籍時、
アメリカンフットボールチーム「ファイニーズ」(現・エレコム神戸ファイニーズ)のチアリーダーとして活躍。

2005年に29歳で独立し、
「自分の元気さで、周りを元気づける」というチアの精神を広く知ってほしいと、
JUMPSを設立しました。


健康長寿の実現に向かって、高齢者の運動や交流の重要性が注目されている中、
元気なシニアが集まって活動している「大阪オトン・オカンチアリーダーズ」について、
石原さんに伺いました。



☆人を元気づけることが「楽しい」

シニア世代を対象にチアダンスの指導をしようと思った理由について、
石原さんは「多くの人は、チアといえば『女性』、『若さ』を連想しますよね。

私はもともと、そんな限定的な印象を持たれるのが、好きではなかったんです。

『自分の元気さで、周りを元気づける』というチアの精神。
これを広めることを目的としていたので、会社設立当初から、
老若男女はもちろん、障害を持つ人にもやってほしいと思っていました。

だから、私の中ではシニア世代に向けたチアダンスの指導は
最初から考えていたことだったんです」と話します。

「大阪オトン・オカンチアリーダーズ」のメンバーは40人。
平均年齢は65歳くらいで、50代の人もいますが最高齢は79歳。
 2割が男性で、男性はズボンがユニホームで、ミニスカート姿ではないそうです。

メンバーがどんな思いで取り組んでいるか尋ねると、
石原さんはこう語ります。

「入ってこられるきっかけは、人それぞれですが、
やっていくうちに『人を喜ばせる、人を元気づけることが楽しい』
とおっしゃる人が多いですね。



今は私ではなくて、メンバーが自分たちで、
老人ホームや地元の敬老会に働き掛けるなどして、チアダンスを披露する機会をつくっています。

それは多分、『チアダンスを披露することによって、
誰かを元気にしている』という実感があって、
チアダンスで少しでも世の中に貢献したいという気持ちになっているからだと思います。
社会とつながる機会にもなっていますね」


筆者も少し体験しましたが、肉体的には、少しきつく感じました。

シニア世代にとって大丈夫なのか気になりましたが、
石原さんは「皆さん、うまくなりたいという向上心があるし、
すごく頑張っておられるので、私としてはそれが無理につながらないよう気に掛けています」
と配慮を示した上で、あるエピソードを明かしてくれました。

「以前、レッスンが終わってから、
『先生! 今、私、肋骨(ろっこつ)が折れてるんやけど』
って笑顔で言う人がいまして、もう驚きを通り越して笑ってしまいました・・・。

そういうときは、家で休んでいてくださいよって。
加齢に伴って体力には個人差が出てきますし、
『ワン・ツー・スリー』といったカウントの声が聞き取りにくくなることもあります。

チアダンスでは、動きをそろえることが大事ですから、
いろいろと工夫しなければと考えています」



☆初心者ばかりなので入りやすい

メンバーがそこまで頑張る理由について、
石原さんは「チアダンスは『チームでやる』からでしょうね」
と強調します。

「自分はチームの一員、
だから、自分だけサボるわけにはいかないという気持ちになるんだと思います。
そこがカルチャースクールで習うダンスとの違いです。

“お客さま”として習っているのと、
“チームの一員”として継続的に取り組むのでは、
意欲や姿勢は当然、違ってきますよね」

それくらい、チームとしての意識が強いということのようです。

「今、4チームに分かれていますが、
それぞれのリーダーがうまく皆の意向をまとめていて、
自主練習をしたり、うまくいかない人がいたら励ましたりと、
組織としてしっかり機能するようになっています。

イベントなどへ露出が増えるにつれて、意識も変わってきました」

皆さん、意欲的なようですが、
60代で初めてチアダンスをするのは心理的なハードルがかなり高いのでは?と思い、
最後に石原さんに聞くと、あっさり否定されました。

「チアダンスの経験者はほとんどいないので、皆が初心者で横一線。
メンバーに聞いてみると、そこがいいみたいです。

他の趣味だと上級者がたくさんいて、
『自分だけ初心者』の状況になりがちです。
だから、ちょっと入っていきにくい。

でも、チアダンスだと初心者ばかりなので、
そういう壁のようなものがないということです。

ある人が『ここでは、性別も年齢も背景も違う、
普通なら出会わない、いろんな人たちと笑いながら取り組める。

そういう場所にいられるのが、幸せなの』と言ってくれました。
本当にうれしいことです」



☆「誰かのために」で頑張れる

石原さんの口から何度も出た
「自分の元気さで、周りを元気づける」という“チアスピリット”。

高齢者には、運動と交流が重要とされますが、
「運動しよう」、「交流しよう」という単なる心掛けと、
「自分の元気で周りを元気にしよう」という精神や目標があるのとでは、
取り組む姿勢に大きな差が出るはずです。

また、「周りを元気づける」チアスピリットは高齢期に高まるとされる
“誰かのために”という「自己超越欲求」とマッチしていますから、
高齢者に適した活動ともいえるでしょう。

筆者もほんの少しだけ、一緒に体験しましたが、明るく元気な人たちばかり。
前向きで笑顔あふれる空気の中で、すぐに打ち解けることができ、
心身ともに元気づけられました。

石原さんの言う通り、チアスピリットは、女性や若者だけでなく、
高齢者にとっても重要な考え方だと感じさせられました。・・》

注)原文にあえて改行を多くした。

            

私は読み終わった後、大阪のシニア世代の男女40人が、

各所でチアダンスを溌剌と披露されていること、初めて学んだりした・・。

私は団体の競技の運動には苦手であり、
ただ5、6名前後で談笑したりすることは、幾たびも体験してきたが、
今回のチアダンスをされている意義などを知り、瞬時に好感を深めたりした・・。



そして70代の御方でも溌剌と、チアダンスをされていることを思い馳せれば、
まぎれなく心も体も良いし、素敵ですよ・・と私は心の中で呟(つぶや)いたりしている。
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今年のお墓参り、気弱な私たち夫婦は、三密(密集、密接、密閉)に拘束されて、中止となり

2020-09-22 14:57:15 | ささやかな古稀からの思い
私は東京都の調布市に住む年金生活のまもなく76歳になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた築後42年の一軒屋に住み、
お互いの感謝をしながら、日常をささやかに過ごしている。

こうした中、今年は世界の誰しもが予期できなかった新型コロナウイルスに伴い、
生死の関わる難題に遭遇して、今日に至っている。



過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、

私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されてきた。

そして体力も衰えた私は、新型コロナは、
どこで感染して、どこでウイルスを広げているのかわからないのが怖く、
せめて人出の多い処では、苦手であるがマスクをしている。

こうした中で、買物、散策、病院の通院など外出の時は、
生まれて初めて今年の3月初旬よりマスクを付けてきたが、
今だに苦手となっている・・。

何かしら口の周りが、熱く汗ばむようで息苦しくなり、
人影のいない遊歩道、公園などで、こっそりとマスクをはずしたりしている。

このように今年の夏は、コロナ対策と熱中症対策の二重苦で、
体力の衰え、右脚の膝(ひざ)の痛みを感じているので、
重苦の夏だよなぁ・・と微苦笑しながら過ごしてきた・・。




こうした中で、毎年『春分の日』、『秋分の日』などの日は、
私たち夫婦は私の生家の実家となっている長兄宅に行き、
仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っているのが、恒例のようになっている。

しかしながら今年に限り、政府より国民に対して、

大切なことが公布されてきた・・。

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、「新しい生活様式」として、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、3つの 約束が公言されてきた。



こうしたことにより、何かと気弱で従順な私は、
今年に限り、『春分の日』、そして『お盆の日』、本日の『秋分の日』は、
私だけが兄宅に行き、玄関先で仏前の粗品を差しだして、挨拶した後、辞してきた。

何かしら心定まらない心情で、寺院の境内は、
ご家族連れが多く、にぎわう中、お墓参りとなるので
お墓参りも休止させて頂いた。




私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親、祖父、親族、祖先のお陰で、私がこうして生きていられるので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、『春分の日』、『お盆の日』、『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしてきたが、

初めて休止させて頂いた。




そして幾たびも、私たち夫婦のお墓参りの日が、蘇(よみがえ)ったりした・・。

寺院の境内は、大きな樹木が数多くあり程広く、ご家族連れが多く、にぎわう中、
私たち夫婦はお墓に向った。          
     
この後、私たちは私を育ててくれた祖父、父、母、次兄などが

永眠しているお墓の墓石を水で清め、
駅前で買い求めた生前の母が好きだったお花を奉(ささげ)、お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が立ち昇る中、祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、

改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。





こうした思いを重ねたりした後、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。

私の場合は、父が私の小学校の2年の時に病死され、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。

こうした確かな記憶の片隅から、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、表情、言葉づかいが想いだされる・・。

そして生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。
            

まもなく青空の中、お線香の煙が芳香を残して、
澄み切った空の中にゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。



やがて寺を辞した後、駅前のスーパーで買物をした帰宅した。

このようなことが毎年の習わしであったが・・
今年初めて中止してしまった・・と溜息をしたりしている。            

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人は老いるほど豊かになる・・格言、何かと単細胞の私でも、思い馳せて微笑み・・。

2020-09-21 14:59:46 | ささやかな古稀からの思い
私はまもなく76歳になる年金生活の身であるが、
昨夜、ときおり愛読している【 時事ドットコム 】のニュースを見ている中、
『 65歳以上、過去最高28.7% 就業者は16年連続増―敬老の日・総務省 』、
と見出しを見たりした。

そして私は微苦笑しながら記事を読んだりした・・。




《・・総務省は20日、「敬老の日」に合わせ、65歳以上の高齢者の人口推計を発表した。

15日時点で前年より30万人増の3617万人となり、

総人口に占める割合も0.3ポイント増の28.7%とともに過去最高となった。(略)

100歳以上8万人超え 9000人増、女性9割―厚労省

男女別の人口は、男性が1573万人で全体の25.7%、
女性が2044万人で全体の31.6%だった。

高齢者の割合は、1950年以降一貫して上昇しており、
第2次ベビーブーム世代(71~74年生まれ)が、
65歳以上となる2040年には35.3%になると見込まれる。

世界の比較では、65歳以上の割合は日本が最も高く、
イタリア23.3%、ポルトガル22.8%、フィンランド22.6%が続いた。・・》



改めて私は学びながら、私と同じような後期高齢者の御方が、
多くなった、と私は実感している。

たとえば平日の午前中に、駅前で買物したり、
本屋、ファミリーレストランなどで、私と同世代の御方を見かけたりしている。

               


私は何かと単細胞であるが、ここ数年、私が意識的に深めていることは、
日本は長寿国であり、 介護などの必要がなく、 日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」をみると、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。

こうした中で、約10年もの間、何らかの介護支援が必要となる、 と改めて教示されて、
動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。

いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
何とか人に頼よる介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。 


このようなことをぼんやりと思い深めたりした。



本日の午前中、いつものように我が家の平素の買物専任者の私は、
最寄りのスーパーで家内から依頼された品を求めて、
行ったりした。

やがて帰宅後、独りで遊歩道を散策した後、公園のベンチに座り、
コンビニで買い求めた冷たい煎茶を飲んでいた時、
過ぎし4年前に学んだことが、不意に脳裏から舞い降りてきた・・。

人は老いるほど豊かになる・・格言である。



作家で平成心学塾塾長の一条真也(いちじょう・しんや)さんが、
確か毎日新聞で『人生の四季』と題した連載寄稿文の中で、

人は老いるほど豊かになる、と題された寄稿文を私は読んだりした。

確か2016月9月16日に配信され、 無断であるが転載させて頂く。
《・・9月19日は「敬老の日」である。

「敬老」という考え方は、古代中国に生まれた儒教に由来する。
わたしは古今東西の人物のなかで、孔子を最も尊敬しており、
何かあれば『論語』を読むことにしている。

その『論語』には次の有名な言葉が出てくる。

「われ十五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」
            


六十になって、人の言葉が素直に聞かれ、たとえ自分と違う意見であっても、反発しない。

七十になると、自分の思うままに自由にふるまい、それでも道を踏み外さないようになった。

ここで、孔子は「老い」を衰退ではなく、逆に人間的完成としてとらえている。

ブッダは「生老病死」を苦悩としたが、孔子は大いに「老い」を肯定したのである。




孔子と並ぶ古代中国の哲人といえば老子だが、
老子の「老」とは、人生経験を豊かに積んだ人という意味である。

また、老酒というように、長い年月をかけて練りに練ったという意味が「老」には含まれている。

世間には、いわゆる「老いの神話」というものがある。
高齢者を肉体的にも精神的にも衰退し、ただ死を待つだけの存在とみなすことである。


すなわち、老人とは「孤独」「無力」「依存的」「外見に魅力がない」「頭の回りが鈍い」などと見る。




しかし、物事というのは、何でも見方を変えるだけで、ポジティブなイメージに読み替えることが可能だ。
たとえば、高齢者は孤独なのではなく、「毅然(きぜん)としている」。

無力なのではなく、「おだやか」。
依存的なのではなく、「親しみやすい」。
外見に魅力がないのではなく、「内面が深い」。
そして、頭の回りが鈍いのではなく、「思慮深い」といったふうにである。

神道では、「老い」を神に近づく状態としてとらえ、その最短距離にいる人間を「翁(おきな)」と呼ぶ。


これこそ真の「老いの神話」ではないだろうか。
人は老いるほど豊かになるのである。・・》

注)原文にあえて改行を多くした。


            

私は読み終わった後、ここまで高尚的には日頃は思案したりすることはないが、
誰しも60歳を過ぎれば、これまで人生の哀歓を体験され、若い御方と違い豊富な知恵もある。

そして体力の衰えを実感しながらも、社会の人々の動きで、

良きこと悪しきことも視えてくる・・。

私は幼年期には、祖父、父から、お天道様が見ているから、恥ずかしいことはするな、
と言われたりし、定年退職するまでの半生期までは、清き人には遠いが、苦楽を交えながらも、
心の節度だけは・・と思いながら過ごしてきた。




やがて定年後は多々の理由で年金生活を始めて、ささやかに過ごしてきた。


そして裕福な金銭には程遠いが、自由な時を満喫でき、これ以上の安楽なことはない、
と享受してきた。

ときおり、ぼんやりと殆どの65歳以上は高齢者と称される人は、人は老いるほど心は豊かになる、
古来からの格言、私は瞬時に、そうですよねぇ・・と微笑みながら感じたりしている。
 
コメント (2)
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過ぎし4年前の満72歳の誕生日、ブログの投稿文を読み返して、独り微笑みを重ねて・・。

2020-09-20 13:22:08 | ささやかな古稀からの思い
先程、私は4年前の2016年の当時の頃・・どのように過ごしていたのかしら、
ぼんやりと思い馳せたりした・・。


確かあの頃は、前年の晩秋に白内障の手術を受けて、
私は高校生より何かと酷い近眼で、劣等感のひとつであったが、
手術後は念願していた0・8前後となり、メガネが不必要となったりした。

そして戸惑いながらも日々高揚して、過ごしていた時代であったと思われる・・。

しかしながら
私は、恥ずかしながら70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、
物忘れが多くなった、 と改めて気付き、 独り微苦笑する時もあり、
やむなく自身のブログの投稿文を読み返したりした・・。



          
過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、
パソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。  
        
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、
真情を投稿文に認(したた)めたく、 あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの綴ってきたりした。




やがて70代になると、自身の体力の衰えを実感して、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。  
                                     

従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。                    
          


こうした深情もあり、まもなく76歳の誕生日を迎える私は、
自身が綴った4年前の満72歳の誕生日の2016年9月27日の投稿文を開いたりした・・。

そして『 つたない人生航路を歩んできた私でも、何とか満72歳を迎え、やがて独り微苦笑を重ねて・・ 
と題して投稿していた。

再掲載すれば下記の通りである。

《・・つたない人生航路を歩んできた私でも、何とか満72歳を迎え、やがて独り微苦笑を重ねて・・





私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅で、雑木の多い小庭に古惚けた戸建に住み、
近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

こうした中、私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは長兄であると暗黙の定(さだ)めがあるが、この当時も幼児に病死することもあり、
万一の場合は次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。

私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心で感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。
          
そして私が地元の小学校に入学したのは、1951年〈昭和26年〉の春である。
私は小学校の学業は、兄ふたりは優等生であったが、
なぜかしら私は通信簿『3』と『2』ばかりの劣等生であった。





やがて1960年〈昭和35年〉の春、都心にある高校に入学して、
初めて授業の楽しさを知り、生れて初めて優等生グループになったりした。

そして遅ればせながら、突然に読書に目覚めて、活字から綴られた底しれぬ内容はもとより、
行間から感じられる深淵に、圧倒的に魅せられた。
            

その後の私は、東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉秋、

満二十歳となり大学2年の時に映画の脚本家になりたくて中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、まもなく文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。



         

やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、
経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年から各社はリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。


こうした中、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。





しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートの御方には、遥かに遠い存在である。  


       

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

         
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、年金生活を過ごしている。

午前中の殆どは、平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求め、
買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
私は今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き、66年ばかり住み、
戦後から今日まで急速に変貌してことに、心を寄せたりして愛惜感もある。




そしてイギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をして、歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。

こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。



                         
         
帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

こうした生活は、小庭の手入れ、家内と共に都心に買物、冠婚葬祭、国内旅行などに出かけない限り、
大半はこのような日程で過ごして、まもなく年金生活を丸12年となる。


            

私が現役サラリーマンで奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                                           
                       

やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

もとより70代、80代の私より年上の御方でも、心身溌剌と過ごされている方達も、
近所にいる御方、知人に多くいることも、私は知って、少しでも学ぼうとしている。
            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
                                      


私が定年退職してまもない時、地元の中学校時代の友人が、私の定年退職の挨拶状を読み、
とりあえず近くに住んでいる同級生を招集して、クラス有志会を開催してくれた・・。

やがて指定されたお洒落な居酒屋に行ったのであるが、
男性5名、女性5名のメンバーとなった。

まもなく私は、 『俺・・小学校、中学校も「2」と「3」の多い・・いじけた劣等生だった・・』
と私は皆に云ったりした。

『XXくん・・学校の成績なんか・・この人生・・平等に出来ているんだから・・関係ないわよ・・』
と同級生の女性は、微笑みながら私に言ったりした。

『それだったら・・俺の人生・・これから上向きだよね・・』
と私は軽口を云い、皆を笑わせたりした。

やがて二次会は、カラオケができる洋風の軽食事処で、
先程の女性同級生から、XXくん・・百恵ちゃんの『いい日旅たち』・・一緒に唄おうょ、
と私は誘い出されて、やがて互いに手を軽くにぎり、私は少し照れながら共に唄ったりした。
            


過ぎし2007年(平成19年)の頃から、団塊の世代の知人、後輩から定年退職を迎えた挨拶状、
或いは電話連絡を受けたりした。

この間、不幸にしてリストラで早期優遇退職制度に応じて、やむなく転職した連絡も幾たびも、
私は受けたりした。

こうした中、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代はゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

私も60代の10年間は、定年するまで何かと苦節が多かった半生を振り返れば、
想定したより遥かな安楽な年金生活を享受して、70代の初期の今でも、先苦後楽の人生かしら、
と私は独り微笑んだりした。

そして私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇しないで、今日を迎え、
つたない人生航路を歩んできた私でも、神様か仏様に守られて、満72歳を迎えることが出来た。


            

私たち両親は、無念ながら家内の母だけとなり、独り住まいの生活をされて、早や丸12年近くになっている・・。
                                  
昨年の5月下旬より、膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりし、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

そして家内と家内の妹は交互に交代しながら、家内の母宅に大半は宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっていて、
今朝、家内は家内の母宅に2泊3日で行ったりしている。

私は今年は年男で、本日満72歳を迎えることができ、感謝しながらささやかな祝杯が本来であるが、
無念ながら私は『おひとりさま』となり、これも人生だよねぇ・・と私は独り微苦笑したりしている。・・》




私は読み終わった後、このように感じて過ごしていたのか、と独り微笑みを重ねたりした。

この後の私は、健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸16年を過ごしてきた。


もとより寝たきりなどは、日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症とか心筋梗塞などは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。

しかしながらお酒に関しては、60歳までの現役サラリーマン時代は、
辛口の純米酒が大好きな呑兵衛のひとりであったが、
ここ10年はウィスキーの濃いめの水割りか、ビールを冠婚葬祭、懇親会、旅行以外は、
5日ごとに我が家で呑んでいるのが実態となっている。

そしてタバコに関しては、昨年の新年早々心臓の悪化で、入院して、

大学1年の夏の合宿以来、長年の愛煙家のひとりであったが、

断腸の思いで、タバコにお別れして、今日に至っている。



このように何かと拙(つたな)い私でも、齢を重ねるたびに、
何かを断念しないと、人生の晩秋期を迎えられない、と心も身も鍛えられ、微苦笑を重ねたりしている。
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あの「サラリーマン川柳」には、幻の回があった 非公表になったそのワケは、高齢者の私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2020-09-19 12:00:25 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく76歳の身であるが、
先程、『ヤフー』が配信されているニュースの中で、

『 あの「サラリーマン川柳」には幻の回があった 非公表になったそのワケは 
と見出しを見たりした。

私は時折『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読している。

         


私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
やがて大学を中退後、映画・文学青年の真似事をして、無念ながら敗退し、
その後は、何とかあるレコード会社に中途入社でき、やがて35年ばかり勤め、
2004年(平成16年)の秋に定年退職をした。


こうした中、私は音楽業界のあるレコード会社に勤めたが、
幾たびかリストラ烈風を乗り超えたが、最後の5年半は遠い地に出向となったりし、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。

          


このような拙(つたな)い私の半生であり、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。


そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときおり年金生活の今でも本を開いたりしている。

       
        本棚から特に愛読している2冊を取りだして、たわむれに記念撮影


これまで数多くの優秀作品が公表されてきたが、

たとえば『テーマ別に見るサラ川 優秀作品』の中で、『夫婦・家庭』編を読んだりすると、
恐れ入りました、と絶賛させられる作品にめぐり逢ったりする。

◎ 出張を 見送る妻の 目が笑う
                 詠み人・松本松峰


◎ 株価より 妻の機嫌が 乱高下
                 詠み人・頑張るお父さん


◎ 妻子から 絵文字が並ぶ ボーナス日
                  詠み人・孫悟空


◎ 家族旅行 予算削減 パパ留守番
                  詠み人・弐個


◎ 家族との 会話のつもりが 独り言
                  詠み人・ちょいバテパパ

          

そして私は、齢ばかり重ねでも、独断と偏見の多いが、

『サラリーマン川柳』の史上に於いて、今でも心に残り、
不滅の作品であると感じたのは、二作品がある。


◎ 破れてる ジーパン繕い 怒られた
                  詠み人・優しいばあちゃん

◎ うちのパパ おとなのくせに ママとねる 
                   詠み人・めだかの学校のせんせい


私は小説、随筆を60年ばかり濫読してきた身であるが、
短かな言葉で人生の機敏を的確に表現する川柳の世界に於いて、
このおふたりの圧倒的な感性と文才に、ふるえる程に感銘して、思わず脱帽したりしている。




このように何かと愛読してきたが、
今回の《・・あの「サラリーマン川柳」には幻の回があった 非公表になったそのワケは・・》、
知的好奇心に負けて、どのようなことですか、と思いながら精読してしまった・・。

この記事は、【 産経デジタル 】に2019年1月3日に配信された古い記事になるが、
文化面に関することは時空を超越するので、無断ながら記事の大半を転載させて頂く。




《・・ 「 こわごわと パソコンにらむ 五十路(いそじ)坂 」-。

5・7・5に日常のちょっとした機微を乗せる第一生命保険の「サラリーマン川柳」。(略)

今年の募集で32回を数え、応募総数はなんと114万句を数える看板企画だが、
一般に公開されていない「幻の回」があるのは知られていない。

冒頭の「 こわごわと- 」は、その1句。
昭和末期、パソコンが導入された当時の困惑が浮かぶ。



☆こっそり見せてもらった初回の内容は

第一生命によると、サラリーマン川柳は、
社内報の1コーナーとして始まった。

昭和60年の秋ごろ、社内報新年号の新企画として、
ある広報担当社員が発案したのが、その起源だ。
社内では「川柳は、そんな簡単にできない」という声もあったという。

ふたを開ければ大当たり。
数多くの句が集まり、新年号では新年の西暦(1986年)に合わせた86句を厳選した。

編集作業と並行し、サラ川を世間に売り込めないかというアイデアも生まれた。
担当社員は、社内報のゲラ刷りを片手にとある新聞社に猛アピール。

数日後となる昭和60年12月22日、
見事に新聞の顔である1面に掲載された。

その後、広報部だけでなく業務部などからの協力を得て、
社外から作品を募る現在の形となった。

新聞掲載などメディアでの露出も手伝って、
昭和62年の記念すべき第1回には全国から1万句以上の応募があり、大成功となった。

その後も、幻の初回は一般公表されていない。
「あくまで社内向けのものであるから」というのが、その理由だ。

確かに当時の社内報をこっそり見せてもらうと
「 わりかんで 酒飲みながら 部下しかる 」、
「 早帰り せよという言う手に また書類 」など、
公開するには、ちょっとシニカルなのかもしれない。


30年超の時を経た現在、
サラ川は毎回4万句以上の作品を集める“お化けコンテンツ”へと姿を変え、
第一生命ブランドの向上に一役も二役も買っている。

昭和、平成と積み重なってきたサラ川を読み解くと、
当時の空気感を色濃く反映した、ある種の歴史書に近いような感もある。

同社やシンクタンクの第一生命経済研究所が制作した「サラ川で考える『日本の働き方』」では
「 生活が 乱れただけの フレックス 」(第5回 平成3年)、
「 仕事量 変えず『休め』と 言う上司 」(第31回 平成29年)、
といった句が、時系列に沿って紹介されている。

時代によって変わるサラリーマンのライフスタイルが浮き彫りになり、興味深い。



☆スピンオフ企画も

優秀作を集めた書籍も数多く出版され、
最近では若者をターゲットにしようと20代限定のU29サラ川、
女性限定サラ川、
就職を控えた学生による「これからサラリーマン川柳」などスピンオフ企画もある。

「お国自慢」を集めた地域限定のサラ川を、47都道府県で実施するという野望もある。

サラ川の担当者で、生涯設計教育部マーケティング企画課の課長補佐、山本愛さんは
「自然体で『わかる、わかる』と気軽に楽しんでもらいたい」という。

ちなみに、選者でもある山本さんによると、入選する作品の共通点は、
(1)共感できるシチュエーション
(2)込められた思いに納得できる
(3)流行語など時事ネタが取り入れられていること-であるという。(略)

入選するには、そこに加えてキラリと光る部分が必要」と山本さん。
 なるほど、流行語だけでは埋もれてしまう。
なかなか難しいらしい。(略)

自分や家族にとって、平成とはどんな時代であったか、
サラ川で振り返ってみるのはいかがだろうか。(経済本部 林修太郎)・・

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



今回、「サラリーマン川柳」は社内報として始まり、

やがて一般の人から応募形式となり、多くの御方から愛されてきた、
と学び、
微笑みを重ねたりした・・。
           


私は無念ながら短歌や俳句を詠(よ)む素養はなく、
人さまが詠(よ)まれたのを読ませて頂くのが、好きなひとりである。
          
もとより短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。

そして俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。

或いは川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。


          


つたない半生を歩んできた私は、せめて川柳ぐらいは・・と時折一句でも吐くことあるが、
やはり素養に乏しく感じ、やむなく『ブログ』の世界で散文のような拙(つたな)い綴りを
殆ど毎日投稿をしている。
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眠るような穏やかな最期? 『老衰』による死の定義とは、高齢者の私は、厳粛に学び、多々教示させられて・・。

2020-09-18 13:34:14 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく76歳の身であるが、
先程、『ヤフー』が配信されているニュースの中で、

『 眠るような穏やかな最期? 「老衰」による死の定義とは 多臓器不全と違いは? 
と見出しを見たりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、過ぎし35年近くのサラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
17年近く過ごしてきた年金生活は、予測した以上に安楽な生活を享受している。

しかしながら、誰しも70代の頃になれば、
いつの日か自身が亡くなる時を思い馳せる時があると思われ、
何かと単細胞の私でも、漠然としながらも思案する時がある。




          
この後、親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは御自身の意思ではなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、 自分で食物を口に運び、食べられなかったら、
もとより延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、
と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・ と私に言ったりしている。


このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。

こうした深情を秘めている私は、
今回の《・・眠るような穏やかな最期? 「老衰」による死の定義・・》、
どのようなことですかと思いながら記事を精読してしまった。




この記事の原文は、公式サイトの【 オトナンサー 】に9月18日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・「老衰で亡くなる」と聞いて、
あなたはどんな最期の瞬間を思い浮かべるでしょうか。

事故や病気による死とは異なり、
老いて、だんだんと体が衰えていき、苦しまず、
穏やかに迎える死というイメージを持つ人もいると思います。

しかし、老衰について「知っているようで、あまり知らないかも」と考える人は多いようで、
ネット上では「定義はあるの?」、「何歳からが老衰といえるのか」、
「いい死に方と聞くけど、本当に穏やかな最期なのかな」などの声があります。

実際の「老衰死」とは、どのような死なのでしょうか。
医療ジャーナリストの森まどかさんに聞きました。



☆老衰死は年間12万人強

Q.「老衰死」とは何ですか。老衰と認められる定義はあるのでしょうか。

森さん
「厚生労働省の『死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル』によれば、
死因としての『老衰』は『高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、
いわゆる自然死の場合のみに用いる』とあります。

つまり、死亡の原因となる病気がなく、
生命維持に関わる肺、心臓、脳、肝臓、腎臓などの臓器の機能が老化によって、
“緩やか”に低下していき、やがて、生命の維持が難しい段階まで低下して死に至った場合が『老衰死』です。

死亡は『呼吸停止』『心臓停止』『瞳孔散大』が医師によって確認され、診断されます。

この老衰死が何歳から診断されるのかといった明確な定義はありません。

2019年の厚生労働省『人口動態統計』で5歳刻みの年齢別死因を見てみると、
老衰が第5位までに含まれるのは80歳以上であり、
80代以上で診断されることが多いと分かります。

老衰死と診断する年齢を現場の医師に聞いたアンケートでは、
『90歳以上』という回答が最も多かったという報告もあります。

医師によって幅がありますが、少なくとも
後期高齢者である75歳以上が、診断の基準になることが多いようです」



Q.日本において、老衰で亡くなる人は、年間どのくらいいるのですか。

森さん
「『人口動態統計』によれば、2019年に老衰で亡くなった人は12万1868人です。

『悪性新生物(がん)』、『心疾患(高血圧性を除く)』に続いて3番目に多く、
全体の8.8%になります」



Q.老衰死と聞くと、「苦しむことなく穏やかに、眠るように最期を迎える」
イメージを持つ人が多いようですが、実際はどうなのでしょうか。


森さん
「高齢になると老化によって筋肉量が減り、筋力の低下や身体機能の低下が起こります。

それに伴い、活動量が減って体力がなくなり、衰弱した状態につながります。
これが老衰の始まりです。

病気ではなくても、年単位で衰弱した状態が進んでいくのです。

かむ力や飲み込む力が弱ると食べることが困難になり、体重の低下につながります。

やがて、体を自力で動かせなくなって寝たきりの状態となる他、
加齢により、睡眠の質が変わり、眠っていることが多くなります。

認知機能が衰えたり、脳循環障害などによる意識障害が現れたりすることもあります。

口から栄養や水分を取れなくなると、
脱水傾向や、生命の維持を統括している脳の機能の低下が起こり、
呼吸と心臓が停止して死を迎えます。

この段階では、少しずつ意識のレベルが落ちて眠りが深くなっていくので、
亡くなる直前の苦しみは少ないと考えられています。

しかし、病気や事故のような痛みはなくても、
長い経過の中では、皮膚がこすれて傷ついたり、
せきやたんを出すときに苦痛を感じたり、
口の中が乾燥しやすくなることで、口内炎などができて痛みを伴ったりと、
本人にとって苦痛や不快な症状が一時的にせよ生じることがないとはいえません」




Q.有名人の訃報などで、「多臓器不全」という死因が公表されることがあります。
これは老衰とは異なるのでしょうか。

森さん
「心臓や肺、腎臓、肝臓、脳など、生命維持に関わる複数の臓器の機能が同時に、
または連続して低下し、働かなくなることを『多臓器不全』といいます。

原因は感染症や外傷、やけど、ショック、がんなどさまざまですが、
 いずれも重度の場合に多臓器不全を起こしやすくなります。

老化も臓器の機能を低下させる原因の一つで、
老化だけが原因で多臓器不全となり、
亡くなった場合の死因を『老衰』とすることが多いようですが、
 医師の判断で『多臓器不全』と記載することもあるようです」



Q.老衰死には、前兆といえるものはみられるのでしょうか。

森さん
「口から栄養や水分を取れなくなると、生命の維持が難しくなります。
これが一つの前兆といえます。

点滴などをしない場合は、1週間程度で亡くなることが多いようです。

他にも、一日中うつらうつらと眠っているような状態になったり、
 反応が鈍くなったりすると、徐々に眠りが深くなっていき、
最期を迎えるといわれています」



Q.老衰で亡くなった場合、死亡診断書には何と書かれるのですか。
 持病があった場合には書き方も変わるのでしょうか。

森さん
「死因を何と書くかは、死亡を確認した医師が
『死亡を引き起こした直接の原因』を何と判断するかに委ねられています。

原因となる病気がなければ『老衰』と書くことが多いですが、
多臓器不全や肺炎と書かれる場合もあるようです。

先述の『死亡診断書記入マニュアル』には、
直接死因と併せてその原因となる病名があれば、
医学的因果関係に従って記載するよう示されています。

例えば、老衰が原因で誤嚥(ごえん)性肺炎を起こした場合は、
直接死因である『誤嚥性肺炎』と、その原因である『老衰』を記入します。

持病があった場合に、持病が原因となった、
または何らかの影響を与えた場合は、それを記載することになっているのです」



Q.日本で、老衰で亡くなる人は今後、増加すると思われますか。

森さん
「ある程度は増加傾向が続くと思います。
検査や治療技術の進歩によって、病気の早期診断と高い治療成績が実現しており、
日本の平均寿命は80歳を超え、特に女性は87.45歳と長寿の傾向があります。

人生のどこかで病気になったとしても、
最終的には老衰で亡くなるという人が増えるのではないでしょうか。

『自分がどのような最期を迎えたいか』、『家族をどのようにみとりたいか』という終末期医療の在り方が、
議論されるようになったことも、老衰死が増える一因となります。

同時に、以前は死因に『老衰』と記載することを医師が
ためらう傾向があったといわれていますが、
超高齢社会の最近は老衰の社会的な認知度も上がり、
死亡診断書への記載も一般的になった分、
死因として集計される数が増加傾向にあると考えられます。

こうしたことが重なって、死因としての老衰は
今後しばらく増加すると考えます。

ただ、老衰の医学的な定義が曖昧でもあり、
社会や地域の事情が影響する面もあることから、
死因として長期にわたって増え続けるかは、
予測できないことも補足したいと思います」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



 記事を読みながら、私は多々教示させられたりした。

特に《・・「高齢になると老化によって筋肉量が減り、筋力の低下や身体機能の低下が起こります。

それに伴い、活動量が減って体力がなくなり、衰弱した状態につながります。
これが老衰の始まりです。

病気ではなくても、年単位で衰弱した状態が進んでいくのです。

かむ力や飲み込む力が弱ると食べることが困難になり、体重の低下につながります。

やがて、体を自力で動かせなくなって寝たきりの状態となる他、
加齢により、睡眠の質が変わり、眠っていることが多くなります。

認知機能が衰えたり、脳循環障害などによる意識障害が現れたりすることもあります。

口から栄養や水分を取れなくなると、
脱水傾向や、生命の維持を統括している脳の機能の低下が起こり、
呼吸と心臓が停止して死を迎えます。

この段階では、少しずつ意識のレベルが落ちて眠りが深くなっていくので、
亡くなる直前の苦しみは少ないと考えられています。

しかし、病気や事故のような痛みはなくても、
長い経過の中では、皮膚がこすれて傷ついたり、せきやたんを出すときに苦痛を感じたり、
口の中が乾燥しやすくなることで、口内炎などができて痛みを伴ったりと、
本人にとって苦痛や不快な症状が一時的にせよ生じることがないとはいえません」・・》



こうしたことを復唱するように口の中で呟きながら、深く学んだりした。

私は終末期の願いは、激しい痛みを伴う症状は困苦するので、
眠るような穏やかな最期を願っているが、
しかしこればかりは、仏様か神様の采配する領域と思ったりしている。
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認知症予防のために効果的な健康管理の方法、こっそりと高齢者の私は学び、やがて微苦笑をして・・。

2020-09-17 14:29:09 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく76歳の身であるが、
先程、『ヤフー』が配信されているニュースの中で、

『 「60代以降は小太りの方がいい」 認知症につながる悪習慣 
と見出しを見たりした。

私は心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 

ときおり願いながら歩いたりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮する為、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、

季節のうつろいを享受している。





このような願いのある私は、今回の《・・60代以降は小太りの方がいい・・》、
或いは《・・認知症につながる悪習慣・・》って、どのようなことですか、
と思いながら記事を読んでしまった。

この記事の原文は、『女性自身』の2020年9月8日 に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトに9月17日に配信され、無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。


《・・ 人生100年時代、大きな社会問題の一つである認知症患者の増加。



その予防法の研究に当たる専門のドクター自身は、
認知症リスクを下げるために、いったいどんなことに気をつけて生活しているのだろうーー。
 
医療技術の進歩や生活環境が向上していることで、
日本人の平均寿命は延び続けている。

厚生労働省が7月末に発表した最新の日本人の平均寿命は、

男性が81.41歳、女性で87.45歳と過去最高を更新。(略)



「いっぽうで、認知症患者の増加も深刻な問題となっています。
20年後には高齢者のじつに4人に1人が認知症、
または予備群の軽度認知障害(MCI)になっているという予測もあります。
健康寿命を延ばすためにも、認知症の予防がとても重要になってきます」
 
そう語るのは、『医師が認知症予防のためにやっていること。』(日経BP)の著者で、
聖路加国際大学臨床教授の遠藤英俊先生だ。



遠藤先生は35年にわたって認知症研究に携わり、
今年3月に長年勤めた国立長寿医療研究センターを退職、
定年後から“チャレンジ”していることがあるという。
 
「それまで忙しく働いていたのが、急に暇になるとガクンと老け込み、
将来的に認知症になるリスクが高まってしまいます。

私は定年後に仕事のペースを見直して、日曜日から火曜日は休み、
水曜日から土曜日まではいくつかの病院で診察をしています。

仕事を減らすことでできた時間を活用して、
これまでできなかったゴルフなど趣味の時間に充てています。

さらに私は『1年以内にゴルフのスコアで100を切る』といったように
具体的な目標を設定しています。

また、新型コロナウイルス感染症の拡大の影響で休んだ時期もありましたが、
料理教室に通い始め、ティラミスやローストビーフが作れるようになったんですよ」(遠藤先生・以下同)
 
認知症のスペシャリストである遠藤先生自身が、
趣味などを満喫することを通じて、
同時に認知症予防の効果が期待できる習慣を取り入れているという。

そこで今回、遠藤先生自身が認知症予防のために、
実践している効果的な健康管理の方法を詳しく解説してもらった。

 

■血圧の薬はきちんと飲む
高血圧(収縮期血圧が140mmHg以上、拡張期血圧が90mmHg)と診断されたら降圧剤を服用するが、
さまざまな種類がある。
 
「ARB(アンジオテンシン2受容体拮抗薬)というタイプの薬が、
最も認知症リスクを下げるという調査結果が出ており、
私も服用しています」

 
■たばこはいっさい吸わない
喫煙者は、非喫煙者と比べて1.5〜2倍も認知機能が低下しやすいことがわかっている。
喫煙により血管は収縮し、血流が低下する。
 
「末梢にある細胞に酸素と栄養が届けられなくなり、
神経細胞がダメージを受けることで、
認知症発症のリスクが高まるといわれています」



 
■難聴になったら補聴器をつける
意外と見過ごされがちなのが、難聴(聴力の低下)だという。
 
「聴力の低下によって、脳に情報が入りにくくなります。
聞こえづらくなったらきちんと補聴器を使うようにして、
ふだんから大音量の音楽をヘッドホンで聴きすぎないように、
耳をいたわることも大切です」

 

■40〜50代はメタボ対策、60代以降は小太りを目指す
肥満や代謝異常のある人は、脳の老化が早く進行してしまうという研究結果がある。

しかし、過度なダイエットは、タンパク質をはじめとした栄養素の不足を招くことに。
 
「食事量と運動量が同時に減ると、筋力が減ったサルコペニアの状態を招きます。
60代以降は、少し太めくらいの体形がちょうどよいでしょう」
 
また、健康診断で気になる項目があれば、放置してはダメ。
 
「高血圧症と診断されたら、まず食事を見直すとともに、
運動によって血圧を下げる努力が必要になりますが、
改善しない場合は降圧剤を使います。

また、女性は閉経を迎えるころから代謝が悪くなり、太る人も出てきます。
太りすぎ、またやせすぎに気をつけましょう」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は記事より多々教示され、やがて
微苦笑を重ねたりした・・。

                 
過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。 

 私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、 
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。 

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、 
 体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

 私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。 
このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
 私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。 

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、 軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。 

この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、 
これ以来、朝夕頂いたりした。 

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

          


こうした中、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、 
 糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、

日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。


しかしながら家内は、糖尿病の予備群ですから、程々に注意して下さい、と言われる時もある。
   
そして私は、身長は169センチ、体重は73キロ前後であるが、
今回の《・・少し太めくらいの体形・・》のサンプルかしら、
と微苦笑をしたりした。



お酒に関しては、60歳までの現役サラリーマン時代は、
辛口の純米酒が大好きな呑兵衛のひとりであったが、
ここ10年はウィスキーの濃いめの水割りか、ビールを冠婚葬祭、懇親会、旅行以外は、
5日ごとに我が家で呑んでいるのが実態となっている。

そしてタバコに関しては、昨年の新年早々心臓の悪化で、入院して、

大学1年の夏の合宿以来、長年の愛煙家のひとりであったが、

断腸の思いで、タバコにお別れして、今日に至っている。

このように何かと拙(つたな)い私でも、齢を重ねるたびに、
何かを断念しないと、人生の晩秋期を迎えられない、と心も身も鍛えられ、微苦笑を重ねたりしている。




こうした中、亡くなってしまった知人、友人には、申し訳けないが、
私は多くの御方に助けられて、ささやかな願い事もかなえられてきたので、
多くの御方に感謝を重ねてきた・・。

もとより健康寿命を保てば、ささやかな願いごとも叶うので・・
あと4年・・何とか80歳の誕生日を健康寿命で迎えられたら・・と念願している。

しかしこればかりは、自助努力も大切であるが、
神様か仏様の采配する世界だよなぁ・・と微苦笑をしている。
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平均寿命100歳に潜むウソと罠 ~老人が乗り越えられない“試練”とは?~、私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2020-09-16 14:14:16 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している【 文春オンライン 】を見ている中で、
『 平均寿命100歳に潜むウソと罠 ~老人が乗り越えられない“試練”とは?~ 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住んでいる年金生活のまもなく76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、 程ほど貯金を取り崩しながら、 
ささやかに過ごしている。

私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
 身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、
定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
                               
こうした中、数年前より新聞、雑誌、そしてテレビの番組などに於いて、
『人生100年』の公言されて、戸惑ったりしてきた・・。



こうしたこともあり、《・・平均寿命100歳に潜むウソと罠 ~老人が乗り越えられない“試練”とは?~ 》、
遅ればせながら学ぼうと思い、記事を精読してしまった。
 
この記事は、バラエティ番組『ホンマでっか!?TV』などでも活躍する生物学者・池田清彦氏が、
『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)を上梓され、
アルツハイマー病、がんなどの病気について本音で解説した一部の記事である。

そして【 文春オンライン 】に2020年1月16日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・平均寿命100歳に潜むウソと罠 ~老人が乗り越えられない“試練”とは?


☆老人の病気は自然選択の枠外

50歳代までは、不治の病気になるのも、交通事故に遭うのも、
本人にとっては青天の霹靂みたいなもので、
本人でない多くの人は自分でなくてよかったと思い、
親しい人は首尾よく回復してくれればよいのにと思い、
中にはザマア見ろと思う人もいるかと思うが、どのみち稀な出来事であることは確かである。

それが60歳を過ぎる頃から、がんになるのも、痴呆になるのも、
脳梗塞になるのも、むしろ当たり前の出来事になってくる。
 
しかしこの頃から、体や頭の具合の良し悪しは個人差が大きくなり、
 特に痴呆に関しては70歳頃には、すっかり呆けてしまう人もいれば、
90歳や100歳になってもしっかりしている人もいる。



認知症の割合は、65歳から69歳までは約3パーセントだったものが、
年齢が5歳増すごとにほぼ2倍ずつ増加して、
85歳から89歳までは40パーセント、
90歳から94歳までは60パーセント、
95歳以上は80パーセントになる。

不思議なことに、痴呆率は80歳代までは女性の方が多少高いくらいであるが、
90歳代になると、女性の方が圧倒的に高くなり、
男性の痴呆率は90歳代を通してほぼ50パーセントなのに対し、
女性は90歳から94歳まで65パーセント強、
95歳以上は84パーセントに激増する。
 
なぜ女性の方が、痴呆率が高いのか不思議な気がするが、
男性は90歳を過ぎて認知症になるとすぐに死んでしまうが、
女性は痴呆になってもしぶとく生きているのかもしれない。

平均寿命と健康寿命の差すなわち死ぬまでの要介護の年数は、
2016年の統計で男性が8・84年なのに対し、
女性は12・35年ということも関係しているのであろう。



団塊の世代がすべて75歳以上になる2025年には、
65歳以上の高齢者の19パーセントが、痴呆になるとの推計もある。

高齢になるほど認知症の割合が増えるので、
当然、超高齢化社会の日本の全人口に対する認知症の割合は、
OECD加盟国一で、2017年の統計では2・33パーセントであった。

年金の財政が破綻することが分かっている政府は、
平均寿命が100歳になるとウソをついて、高齢者を働かせようとしているけれど、
認知症の人を働かせるのは難しい。

 

☆有効な治療法もなければ、有効な予防法もない

認知症のなかで一番多いアルツハイマー病は、
有効な治療法もなければ、有効な予防法もない。

90歳過ぎてもアルツハイマー病にならないで、
生き続けられるのは、余程の僥倖である。

生物としての人間の繁殖可能年齢は大体50歳なので、
50歳を過ぎてから子孫を残すことはまずない。

繁殖期が終わるまでに身心の具合が悪くなる遺伝的な性質は、
直接的な遺伝病でなくとも、特定の病気にかかりやすい性質といったものも含めて、
自然選択による淘汰圧がかかり、人類の集団から除去されてきたと考えられる。

(略) 自然選択は老人の病気を減らすことに何の味方もしなかったので、
老人になって、あちこち体や頭の具合が悪くなることは仕方がないのである。

遺伝的な組み合わせが、たまたまいい人だけが、
致命的な疾患にならずに、長生きができるのである。(略) 
 
普通の人は90歳を過ぎて、4時間半しか眠らせてもらえなかったら、
死んでしまうと思う。

私は毎日8時間くらい眠らないと具合が悪い。
 


☆歳をとれば、がんが発症するのは仕方がない

歳をとったら、うまいものを食って今日明日の楽しみだけを考えて、適当に生きているのが一番幸せで、
死病になったら諦めるほかはないと思う。

そうは言っても、煩悩に支配された凡人は、なかなかそうもいかないことは、
私も凡人の一人としてよく分かっているが、
歳をとれば、がんが発症するのは仕方がないのだ。

毎年、律義にがん検診を受けて、
がんが発見されると、医者の言いなりに治療を受けても、
生き延びられるとは限らない。



☆私はもう20年以上、がん検診を受けたことはない。

近藤誠の言うように何もせずに放置しておいた方が、
長生きできる場合も多いと思う。

前立腺がんの治療を受けた後の5年生存率は、
98パーセントを超えるという。

30年程前までは、この率は50~60パーセントくらいだった。

早期発見、早期治療で予後が良くなったと思われるかもしれないが、
 その間、同様に早期発見、早期治療が進んだ大腸がんの5年生存率は、
ほとんど変わらない。

前立腺がんの場合は、放っておいても死なないがんもどきを
見つけて無理に治療をしているのだ。

それで見かけ上の5年生存率が上がったわけだ。
欧米では前立腺がんは、無理に発見しようとしないで、
発見してしまった場合も、無治療で様子を見るのが一般的だ。

日本のように無理やり治療に誘導するのは、医者の利権である。



☆乗り越えられない試練もある

年寄りになってからの全身麻酔を必要とする手術は、
痴呆を加速させることが多い。

体は元気になりましたが、頭は呆けました、
というのが一番始末が悪い。

完全に呆けてしまえば、本人は苦しくないかもしれないが、
介護する家族は大変である。

それで、元気なうちに老人ホームに入居しようか、
ということになるのだろう。

完全に呆けてしまえば、無敵になってしまうのかもしれないが、
呆け始めたことを本人が自覚していると、
かなり恐ろしいらしい。

特に、若年性アルツハイマーの発症期は、
本人にとっては、相当な恐怖であるようだ。

つい最近まで、何気なく出来たことが、どうも上手く出来ない。
近くのスーパーから自宅への帰り道が、分からなくなった。

今日が何曜日かよく分からない。
こうなると、頭が真っ白になって、
気が狂いそうになるというのはよく分かる。

最近も、呆けてしまった妻の呆け始めた頃の手帳を見たら、
子供の名前や孫の名前を、毎日毎日書いていたという話を聞いた。

少しでも呆けを遅らせようと、涙ぐましい努力をしていたのだと思うと切なくなる。
 
しかし、残念ながら努力をしても、アルツハイマー病の進行を止めるのは難しい。

白血病を発症した若い水泳の選手が
「神様は、乗り越えられない試練は与えない」
との聖書の言葉を引用して話題になっている。

この選手はまだ若く、恐らく治癒すると思うし、
治癒してほしいと思う気持ちに偽りはないが、
乗り越えられない試練もあるのだ。

特に歳をとってからの試練は、はっきり言って十中八九は乗り越えられない。

この世で乗り越えられない試練でも、
神や仏を信じて、あの世に行けば乗り越えられると思って、
心の平穏を得る人は、幸せで羨ましい限りであるが、
神も仏もあの世も信じていない私にも、死期は刻々と近づいてくる。(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


ここ数年、経済誌などを読んだりすると、 政府は2018年10月、
「70歳までの就業確保」を企業に求める方向で検討を始めた、 と学んだりしてきた・・。

こうした根底には、 今は法律で「65歳まで」が企業に義務付けられているが、
健康な人にはもっと長く働いてもらい、年金を受け取らずに制度を支えてほしい、
という明確な目的も教示させられてきた。

こうしたこともあり、人生100年、と声高に叫ばれてきたのかしら、 と私は微苦笑したりしてきた。

               

私は年金に関しては、少子高齢化が加速される中、
働いて下さる方が減少して、 受給者の私たち高齢者は増加するので、
やむなく年金額は、やがて10%前後は減少すると思われるが、 年金制度は崩壊しない、 と書物から学んできた。

こうした中、平均寿命に関しては、『人生100年時代』は、
男性では100人に1~2人、女性で10人に1人弱、 実像である、
と私は一昨年の11月上旬で学んできた・・。



 これに関しては、沢田 浩さんの寄稿文が【 現代ビジネス 】に配信され、この一部を転載させて頂く。
《・・(略)・・安倍内閣の「人生100年時代」も、鵜呑みにはできない。
100歳以上の人生を生きる人たちが、今後増えることはよくわかった。

そのうえで肝は、「どのくらいの確率で、私たちが100年を生きられるか」ということである。
厚労省や、総務省の公表資料からひも解くと、
2018年に100歳を迎える人は、 3万2241人(男性4453人、女性2万7788人)。

いずれも、1918年生まれの人たちだが、その年の出生数179万1992人から導くと、
実際に100年を生きる人の確率は、実に1.8%。 うち、男性は0.49%。
つまり、1000人に4~5人しか、100年を生きられないということだ。

3万人近くが100歳を迎えた女性の場合でも、3.167%。
多いといっても、100人に3人ほどである。




現在の日本の総人口1億2600万人に対する構成比では、100歳以上はわずかに0.1%である。
日本の将来人口推計では、この比率が2040年には、0.3%と3倍となる。

その推移からすると、2040年に人生100年を迎えるであろう人も、現在の3倍くらいにはなるだろう。
男性では100人に1~2人、女性で10人に1人弱。
これが「人生100年時代」の本当の実像のようである。・・》

こうしたことを私は学び、 現代の平均寿命は、男性約81.1歳、女性約87.3歳(2017年)であるが、
やがて10数年後の2030年の前後の頃は、プラス5歳前後が、
平均寿命の実態になるかしら、と私は思案させられてきた。

                            

このようなことを学んできた私は、「人生100年時代」には、戸惑いながらも微苦笑させられた。

いずれにしても、私としては、16年前の年金生活を始めた頃は、
男性の平均寿命は約78歳であったので、私は漠然としながらも、平均寿命に準拠するように、
この世とサヨナラすると思ったりしてきた。




やがて昨今の男性の平均寿命は約81歳と学び、
永らえば永らえるほどに、老後資金を再修正する必要があり、苦笑したりしている・・。

そして私は何よりも、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 ときおり願いながら歩いたりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、

季節のうつろいを享受している。

               


何かと単細胞の私は、ここ数年、私が意識的に深めていることは、
 日本は長寿国であり、 介護などの必要がなく、 日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」をみると、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。

こうした中で、約10年もの間、何らかの介護支援が必要となる、 と改めて教示されて、
動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。

いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
何とか人に頼よる介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。 


このように心情を重ねていると、「人生100年時代」・・、
テレビ、新聞、雑誌などで、 盛んに明言されているが、
ほんの一部の幸運な御方だけ100歳の御誕生日を迎えられる・・ と私は微苦笑している。
           

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