先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見たりしていた。
こうした中で、『 安倍氏、ユーミンら昭和29年生まれは「ファーストペンギン」 ・・』
と見出しを見たりした。
私は昭和19年生まれであるが、私より10歳お若い御方が、
「ファーストペンギン」・・というのは知らず、
どのようなことで・・知的好奇心に負けて、記事を読んでしまった。

この記事の原文は、『女性セブン』2020年10月8日号に掲載された記事のひとつで、
関連の【 NEWSポストセブン 】に9月29日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
俳優の石田純一、フレンチシェフの三國清三さん、これらのメンバーの共通項。
それは、昭和29年(1954年)生まれであることだ。
そして、彼らは昭和29年生まれが集う「29年会」のメンバーでもある。
そのほかにも。作家の林真理子、女優の秋吉久美子なども、昭和29年生まれである。

浮き沈みの激しい時代を泳ぎながらもファッションを楽しみ、
「ゴーイングマイウエー」を貫いてきた昭和29年生まれ。
新型コロナウイルスで世の中が一変したいまこそ、
彼らの姿勢に学ぶときなのではないか。

ライフシフト・ジャパン取締役CROの豊田義博さんが言う。
29年生まれは、やはり団塊の世代の学生運動の挫折とオイルショックの影響が大きい。
この世代は、20歳前後で世の中の大きな変わり目を経験して、
新しい価値観を受け入れる素養が生まれました。
例えば、それまでの女性シンガーは、男性が作る世界をなぞっていたけれど、
ユーミンは、まったく新しい世界を切り開いたし、
林真理子さんもそれまでにいなかったアバンギャルドな書き手です。
29年生まれは彼女らのように、
本人の生き様や考え方を表に出して、表現する人が多い。
前の世代には『はしたない』と眉をひそめる人もいたけど、
同世代には応援と共感で迎えられました」

昭和29年生まれの3学年下にあたり、
女性セブンで『いつも心にさざ波を!』の連載を持つ「オバ記者」こと野原広子さんは、
昭和29年生まれは「人のいいファーストペンギン」と説く。
「18歳で上京したとき、道に迷ったら、
ちょっと年上のイケてるお姉さんに聞くと決めていました。
大学生でも、勉強よりファッションに興味がありそうな軽めのお姉さんで、
ハマトラを着ていたら間違いなく29年生まれ(笑い)。
年下のほっぺの赤い田舎娘に、やたら親切でたくさん助けられました。
私の同学年の友人も、
『上から目線の団塊の世代と違って、集団でなく個人で考える人たち』
と評します。
29年生まれは、好奇心の翼をいっぱいに広げて、個人で生きる、
人のいいファーストペンギン。
時に批判を受けるのも、未開の地に飛び込んで行こうとしているのだから
致し方ないことだと思う」(野原さん)

常に新しい道を切り開いてきた1人が片岡鶴太郎だ。
芸能活動のかたわらプロライセンスを取得し、
40歳になる手前に、絵を描き始め画業の道へ。
さらに還暦近くでヨーガ、瞑想を始め、毎朝5時間のヨーガルーティンを続ける。
「ぼくがやったことといえば、ボクシングに絵画、ヨーガ、それと離婚(笑い)。
ぼくだけじゃなく、29年会の人は、
志を持ち、好きなことを突き詰めています。
ぼくらの世代は、個々が楽しみながら一生懸命、
“鼻歌交じりの命がけ”で頑張るんです」(片岡鶴太郎)

「恥」とすらささやかれた離婚を一般的かつ前向きなものに変えたのも、
この世代の特徴だ。
石田純一も秋吉久美子も離婚を経験しており、
片岡鶴太郎は離婚後も家族と良好な関係を築いていることを明かしている。
自分の気持ちに素直になって行動し、その結果を受け入れ、
たとえ険しい道だったとしても鼻歌を歌いながら歩いて行く。

豊田義博さんは、昭和29年生まれは、
シニアの在り方についても、新たなムーブメントを生むのではないかと分析する。
70歳かそれ以上まで働くのが、当たり前になったはじめての世代です。
それも、金銭面など必要に迫られてではなく、
社会への興味や自己実現のためといった理由が多い。
そういった意味でも、彼らの生き方が、
今後も世の中の大きな流れを作って行くのではないかと思います」(豊田義博さん)

秋吉久美子も、年を重ねるのは悪いことばかりじゃないと言う。
昭和29年生まれは、今年66歳を迎える。
この年になってから急にわかることもあるんです。
例えば、昔は真意がわからなかった石田純一くんの発言とかね・・」
1990年、ドラマで共演していた石田純一が、
撮影の合間に秋吉久美子にこう告げた。
女の子に花の名前をつけると、不幸になるっていう人もいるけれど、
不幸も運命のうちと思ってさ》
何を言っているのかとびっくりしたけれど、
自分が66歳になったら、『幸も不幸も交ぜて人生なんだ』って思えるようになった。
すると石田くんの発言が何十年もの時を経て、急にストンと腑に落ちた(笑い)。
彼は何も考えていないように見えて、実は深く考えているんじゃないかな」
石田純一と言えば、永遠に語り継がれるだろう「不倫は文化」騒動のほか、
今回のコロナでも舌禍騒動があった。

秋吉久美子も1979年に最初の結婚をした際、
「子供はタマゴで産みたい」
と発言してバッシングを受けた過去がある。
この発言の背景にも「熟考」があったと振り返る。
主演女優が出産で休んだら迷惑がかかるし、
もし私が男だったらこんなことにはなっていなかった。
そのやるせなさや申し訳なさを冗談交じりに、オブラートに包んで発言したら、
言葉だけ先行してしまった。
私なりに考えての表現でしたが、なかなか意図を汲んでもらえませんでした」(秋吉久美子)
だが、世の中の全員にわかってもらう必要なんてないからと
秋吉久美子は続ける。
それはそれで気楽で楽しいじゃない。そう思って生きています」

「ゴーイングマイウエー」を貫く29年生まれは、今後どこへ向かうのか。
楽しげな、でもしっかりした足取りから、これからも目が離せない。・・》

記事を読みながら、多々教示されたりした。
《・・29年生まれは、好奇心の翼をいっぱいに広げて、個人で生きる、
人のいいファーストペンギン。
時に批判を受けるのも、未開の地に飛び込んで行こうとしているのだから
致し方ないことだと思う・・》
こうしたことに昭和19年生まれの私は、驚きながら学んだりした。
私は東京オリンビックの開催された1964年(昭和39年)の秋、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。
そして養成所に入門しながら映画青年の真似事、やがて文学青年の真似事をしたが、
やがて敗退してサラリーマンに転身し、民間会社に中途入社した。
やがてあるレコード会社に長らく勤めて、
職場の机を並べたのは団塊世代の新卒が多く、こうした世代と業界の空気を共にした・・。
こうした関係で、団塊世代の御方とは交遊してきたが、
今回の10歳下の世代とは、職場のうわべ程度であったので、
内面の心情はわからない面もあり、今回多々教示されたりした。

年金生活の今、年金生活17年生の私としては、
昭和29年の66歳の御方が、年金生活に関することは、
多少ながら私は良きこと悪しきことを多々体験してきたので、
無力ながら知恵のアドバイスだけ出来るよなぁ・・と微苦笑している。