夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

中川恵一医師が提唱する『 がんにならないための生活習慣 20 』、何かと気弱な私は学び・・。

2022-08-31 14:58:04 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 NEWSポストセブン 】を見ている中で、
『 「コーヒ1日5杯以上」「貧乏ゆすり」など 
          がんにならないための生活習慣20  』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸18年近く過ごしてきた。

そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。




過ぎし日に、厚生労働省の公表によると、2016年(平成28年)の時点で、
日本人の健康寿命は、男性が72.14歳、女性が74.79歳と推計され、
平均寿命と健康寿命の差は、男性約9年、女性約12年と報じられている。


もとより「健康寿命」は、日常的に介護を必要としないで、
自立した生活ができる期間であり、私は今年の9月で、満78歳となり、
何んとか男性の健康寿命の延長戦の最中かしら、と思ったりする時もある。

しかしながら私の友人、知人の7人は、すでにあの世に旅立っているし、
或いは私より8歳ご年配の知人は、心身溌剌とされている御方もいて、
あくまで健康寿命も男性の平均であるよなぁ・・と思ったりしている。


こうした深情には、が体調を崩して内科を検診した後、
やがて私の住む地域の都立の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。

こうした体験のある私は、せめて家内は退院から5年まで転移ないと願い、
安静した生活ができるようにするのが、私の責務と思い、何とか80歳までは元気でいて、
家内を見守りたいことも根底にある。




こうした深情のある私は、何かと気弱な私でも、真摯に学びたく記事を読んでしまった・・。

この記事は東京大学医学部附属病院特任教授の中川恵一医師が提唱された記事で、
週刊ポスト』に於いて、2022年9月2日号に掲載され、
関連の【 NEWSポストセブン 】の『ライフ』に8月23日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。



戦後77年が過ぎ、日本人の健康状態は飛躍的に向上した。
それを端的に示すのが平均寿命だ。

戦後間もない1947年時点では、日本人男性の平均寿命は50・06歳だったが、
2021年には81・4歳と、30年以上延びた(女性は87・5歳)。

その寿命は今、医療技術の進歩などによってさらに延び、
「人生100年時代」ともいわれる。
しかし、ここで新たな問題が生じてきている。

東京大学医学部附属病院特任教授の中川恵一医師が言う。
「今問題になっているのは、平均寿命と健康寿命の差です。
その差は女性が約12年間、男性が約9年間と大きい。

これまで日本では、生存期間を延ばすことを重視する傾向がありました。
しかし欧米では、基本的にQOL(生活の質)を重視し、
(延命措置としての)胃瘻などは、行ないません。
QOL(生活の質)を左右するのは、健康寿命と言えるからです」(以下、「」内同)


日本人男性が、いま自立して暮らせる健康72・68歳だが、
人生100年時代となればそれを20年、30年と延ばしていく必要があるのだ。


治療や介護が必要になってからの長期間、
辛い思いをして晩年を過ごすケースは少なくない。

なかでも多いのが、日本人の2人に1人が罹患する「がん」との闘いだ。2000年の29万5484

日本では罹患者とともに、がんによる死亡も増加し続けている。
がん死亡数は、右肩上がりを続け、2000年の29万5484人(全部位、男女計)が、
2020年には37万8385人(同)に増えた
(国立がん研究センター運営のサイト「がん情報サービス」より)。

がんは、再発リスクが高いほか、
治療に用いられる抗がん剤や放射線は副作用による身体的負担も大きい。

つまり“がんにならない期間”が長いほど、健康寿命を長く保つことができる。
がん専門医の中川医師の監修のもと、そのための20の生活習慣を別表に示した。



☆健康サプリの“罠”

自らもがん闘病の経験があり、
『知っておきたい「がん講座」リスクを減らす行動学』の著書がある中川医師は、
がん予防の重要性をこう説く。

「予防のためには、がんに関する正しい知識を身につけることが大切。
自分が、“がん家系”かどうかよりも、
まず、がんの原因の5割程度と考えられている生活習慣について気をつけるべきです」

中川医師が薦めるのは、がん情報サービスで示されている「がんの要因」として
割合が高い順に取り組むことだ。



例えば喫煙は、日本人男性の発がん要因の23・6%を占めている。飲酒は同8・3%。

つまり、タバコを吸わないことや、酒を1日1合に控えることが、
がん予防の基本となるのだ。

「食生活で、がんを予防できると思っている人は多いが、
食物や栄養の予防効果に関するエビデンスは、それほど高くありません。

例えば喫煙者が、いくら野菜を摂っても、がん予防にはほぼ意味がない。
飲酒の目安は、日本酒なら1日1合、ビールなら大瓶1本まで。
また、飲酒で顔が赤くなる人は、食道がんのリスクが非常に高まります。

私のように目安以上の量を飲んでしまう場合は、
食道がんのリスクを下げる野菜を摂るようにして、
熱い飲食物は少し冷ましてからにします」(同前)

“健康のために”と摂取しているサプリメントの飲みすぎも、要注意だ。
「緑黄色野菜に含まれるβカロテンは、がん予防に効果的ですが、
サプリとして服用すると、
逆に肺がんのリスクが高まるとの研究結果があります。

また同じ食品を食べ続けることもよくない。
身体によいとされる食べ物でも、摂りすぎはダメで、
あらゆる食品をバランスよく食べることが大切です」


一方で、ぜひ取り入れてほしい食生活がコーヒーを1日5杯以上飲むだ。
「肝臓がんのリスクが、4分の1に低下するとの研究結果があるほか、
口腔・咽頭・食道がんのリスクが5割程度低くなったとの調査結果もあります」



運動などの「身体活動」はどうか。
「運動不足は、日本人男性の発がん要因の1・0%と無視できない。
 1日1時間以上の運動や、長時間座り続けないことが重要です。

特に今はコロナ禍で在宅勤務が普及し、
会社員の8割が座る時間が増えたそうです。

座る時間が長い人は、短い人に比べて82%も、がん死亡リスクが高くなります」

がんにならない習慣として意外なのが、貧乏ゆすりをすることだ。
「運動する時間がない人は、座ったままでもできる貧乏ゆすりだけでもいい。
筋肉を動かし続けることでエネルギー消費を高め、股関節の老化防止効果も期待できます」


病気を避けることは難しいが、“その時”を遅らせることが、
晩年を幸せに過ごす鍵となる。・・ 》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



今回、中川恵一医師が提唱する「がんにならないための生活習慣」20
》、

多々教示されたりした・・。










2019年は予告もなく私は、
新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、 心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、

 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

こうした入院する前の私は、若き大学一年の夏季合宿にタバコを喫い始めて、
長年こよなくタバコの愛煙者だった・・。

この後、映画、文学青年の真似事をしている時、
やがて敗退した後のサラリーマン時代に於いて、
タバコを喫いながら、物事を思案したり、思考したりしてきた・・。

こうした習性が55年以上続き、タバコを喫煙したならば、
言葉とか文章が、脳裏より舞い降りて、こなくなるかもしれない、
と危惧したりした。

そして私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりし、
これを機会にタバコにお別れとなったりした。


こうした根底には、やはりタバコは身体に良くないと、担当の医師から進められて、
何かを断念しなければ、この先はないと思い、断腸の思いで禁煙したのは本音であった・・。




ここ半年、高齢者専門の精神科医の和田秀樹さんの書物を購読し、
《・・85歳を過ぎると、脳にアルツハイマー型の変性がない人、
体内にがんがない人、動脈硬化が生じていない人は一人もいない
・・》、
と震撼しながら学んだりした・・。

やがて私は生かされれば・・、と空を見上げたりして・・
この先の明日、来年、再来年・・、未知の世界だから・・
判らないよなぁ・・と心の中で呟(つぶや)いたりしている。
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終活、私たち夫婦は少しづづ話し合い、未決な事項もあり・・。

2022-08-30 14:02:08 | 喜寿の頃からの思い
が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の都立の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の死を想定したりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。




こうした体験のある私は、50代からも輝く女性に・・Webの【 ハルメク 】に於いて、

『終活の4つのメリット』を学んだりした。

この記事は、相続・終活コンサルタントされている明石久美さんの寄稿文で、
2021年9月6日に配信され、少し古い記事であるが、
人生の晩年期、誰しも最大の難関のひとつであると思われ、
無断であるが、記事のある部分を転載させて頂く。


《・・最期まで幸せに過ごせる、終活の4つのメリット


◎家族に迷惑をかけない

   1つ目は、前述の通り、家族や周囲の人が、思い悩む負担を軽減できるということです。
   家族や周囲の人は、たとえあなたが意思を伝えられなくなったとしても、
   あなたの希望をできる限り叶えたいと考え、心を砕くでしょう。

   そのときに、「こうしてほしい」という事前の意思表示があれば、
   家族の負担を軽減できるのです。
   また、あなたの死後、家族はのこされた物の処分や死後の手続きに取り組むことになります。
   終活として、事前に大切なものや重要な書類の整理を行っておくことで
   家族への負担を減らすこともできます。



◎想いや理想を実現できる

   2つ目は、あなた自身の「想いや理想を実現できる」ことです。
   
   老後を迎えるにあたって、終末期をどこでどう過ごすか、
   延命治療はどうするか、葬儀やお墓はどうしたいか、財産を誰にどう残したいかなど、
   漠然とではあっても何かしらの想いや理想があるのではないでしょうか。

   終活をすることで、それを実現できる可能性が高まります。




◎見られたくないものを処分できる

   3つ目は、遺族などに「見られたくないものの処分ができる」ことです。
   若い頃の手紙や日記、写真など、見られたら恥ずかしいものは、
   誰にでもあるでしょう。

   メールやSNSへの投稿などにも、そういったものがあるかもしれません。

   終活をすることで、それらを整理することができます。



◎今をより良く自分らしく生きられる

   4つ目は、「終活が余生の充実につながる」ことです。

   家族や周囲の人に、自分の希望を伝えておくことで、
   入院中や介護中でも安心して過ごせます。

   また、事前に資産を洗い出し、
   今後の生活費や入院、介護にかける費用についても決めておけば、
   お金についての心配も減らせるでしょう。
   このように、終活は、のこされた人の負担を減らすのと同時に、
   自分らしい人生をイキイキと過ごし、最期を迎えられるというメリットがあるのです。・・》


このように記載されて、私は多々学び、
激励されたように微苦笑をしたりした。


過ぎし16年前の頃、
親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは御自身の意思はなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、 自分で食物を口に運び、食べられなかったら、
もとより延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、
と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・ と私に言ったりしている。

このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。

結果としては、それぞれ延命治療は断念して、
「延命治療は望みません。痛み止めだけは処置をお願いします」
と明示するために、
私たち夫婦は、それぞれ『日本尊厳死協会』に入会したりしている。



こうした中で、家内がこの世を去り、私が『おひとりさま』の生活になってしまった時、
やがてボケることが日常で見られる時、
最大の難題は、『任意後見制度』であったりした。


もとより《・・人の判断能力があるうちに、将来判断能力が低下した場合における
財産管理や介護サービス締結などに関する事務手続きについて
信頼できる人に依頼し、引き受けてもらうものです。・・》

この『任意後見制度』で、兄妹、或るいは公的の第三者に指名するか、
私たち夫婦は話し合ったりしてきた。




このように今回の終活に関しても、未決な事項もあり、
もしも認知症になってしまった場合でも、困苦しながらも、安心して生活できるように、
終活の多岐の項目も決めることが肝要だよねぇ・・と改めて深く感じている。
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アマゾン、遅ればせながら我が家も活用して、微苦笑して・・。

2022-08-29 14:21:15 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、我が家の平素の買い物に関して、年金生活を始めた当初より、
私は自主宣言をして、家内から依頼された品を求めて、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店に独りで行っている買物メール老ボーイとなっている。

しかしながら一昨年の2月に新ウィルスコロナの烈風後は、
感染が怖くて、『三密(密集、密接、密閉)』に伴い、
3日に一度ぐらいに集約してきたが、

ここ半年は2日に一度サイクルで、素早く店内の品を確認し、買物をしている・・。



私はある民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めたりした・・。


そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。

          

平素は、朝食後に家内は、いつものように新聞に添付されているスーパーのチラシを見た後、
赤のサインペンで丸印を付けたりする・・。

やがて私は手渡されて、赤丸が付いたのが本日の買物の対象品であり、
そして私が店内で魅せられた品を追加するのが、我が家の鉄則となっている。


このような年金生活をしている私は、
スーパー、コンビニ、専門店のドラック・ストアー、そして本屋に立ち寄って買い求めたりしている。

そして年に数回、家内に引率されて、都心のデパートに行ったり、食事処に寄ったり、
冠婚葬祭、懇親会などホテルなどを活用してきたが、
新ウィルスコロナの烈風後は、『三密(密集、密接、密閉)』に伴い、延期となり、
寂しい日々を感じる時もある。




こうした中、買い物で通販を利用される御方が多く、

我が家は苦手意識があり、今年の5月まで極力さけてきた・・。

確か30年前の頃、最寄り駅の近くにある本屋が3店あったりしたが、
2店が、閉店となったりした。

私は風の噂として、アマゾンが書店サービスを開始して、
顧客からの注文を受けて、ある指定の本屋の卸店より、
直接に配送され、あわれ中小の本屋さんは廃業された、と聞いたりした。

街に本屋があることは文化のひとつと思っている私は、
憂い悲しんできた・・。

その上、アマゾンは日本で売上げても、法人税を回避して、
本国のアメリカで調整していると風の噂で知り、
日本で売上、利益はアマゾン・ジャパンが申告するのが、
企業としての心の節度として望ましい、と思ったりしてきた・・。

このような心情のある私は、アマゾンは天敵と思い、避けてきた・・。

我が家は家電に関しては、『ヤマダ電機』か『ビックカメラ』、
デジカメは『ヨドバシカメラ』に行き、
現品を確認した上で、配達をして頂いた。




確か今年の6月、30数度の熱い日、たまたま『電子レンジ』が故障した・・。
確か20年ぐらい愛用してきたが、やむなく買い改めようとした・・。

私たち夫婦が、たとえば最寄りの『ヤマダ電機』か『ビックカメラ』のお店に行くのは、
我が家より路線バスを利用して、お店で現品を確認して、買い求めてきたが、
高齢者の私たち夫婦が熱い中を出かけるのは、人出の多い中、感染も怖い上、
熱中症になったら大変・・と思案したりした。

そして家内の妹が家内に通販は便利ょ・・と話してきたことを思いだし、
やむなくアマゾンの公式サイトを開き、家内に機種を選定してもらい、
まもなく発注した。

やがて翌日の午前中に、我が家に配達され、
私たち夫婦は、通販の利便性に微笑んだりした・・。




そして今年の夏は、35度前後の猛暑日も多々あり、
『扇風機』、『掃除機』、『物干しスタンド』など買い改め、
アマゾンで活用してきた・・。

我が家は、今年の春まで、アマゾンの活用は考えたこともなかったので、
我が家の今年の10大ニュースに於いては、
早くも『アマゾン、遅ればせながら我が家も活用を始めて・・』、

第二位の有力候補だ、と私は家内に言ったりしている。

余談であるが、我が家の今年の10大ニュースの第1位候補は、
『浴室』、『洗面所』、『トイレ』をリフォームしたことかなぁ・・、
微苦笑したりしている。


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齢を重ねた男性、『説教』、『昔話』、『自慢話』は、いけないと教示され、私は微苦笑を重ねて・・。

2022-08-28 09:16:31 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。





私は、東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉秋、
満二十歳となり、まもなく大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、その後に文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、
困苦することも多かったが、卒業した。
        
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられたりした。

こうした中で、制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を
20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年から各社がリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。




このように私のつたない35年近いサラリーマン時代となり、
もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったした中、
この当時は大企業も盛んにリストラが実施されていた。

こうした中で、私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまい、
定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

                          
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。




昨夜、敬愛している和田秀樹・著作の『老いの品格』(PHP新書)を購読している中、
齢を重ねた男性、『説教』、『昔話』、『自慢話』は、いけないと教示されたりした・・。


《・・歳をとるほど常識的なことを言いたがる傾向がありますが、当たり前のこと。
常識的なことをいっているかぎりは「おもしろい老人」にはなれません。
常識的、あるいは道徳的な高齢者こそが「品のある人」だと思われがちですが、
それは「ただの人」です。

あとで述べますが、私が常識にとらわれなく生きている老人のイメージとしているのが、
タレントの高田純次さんです。

この高田さんが、毎日放送「情熱大陸」(2015年7月放送)で、
こんなことを話していました。
「歳とってやっちゃいけないことは『説教』と『昔話』と『自慢話』」
けだし名言というべきです・・》

注)引用元・ページ86、87



これまでの私は人生航路のなかで、何かと拙(つたな)い言動の中、
『説教』、『自慢話』できるほど栄進したこともなく、
退職後の年金生活でも、偉そうな上から目線の言動は見苦しく、
心の節度が欠落していると思えて、もとより避けてきた。

しかしながら、『昔話』に関しては、自身の自己形成上、
不可欠なことであり、
幼年期より今日まで、脚色もなく、たとえばブログの投稿文で幾たびか発露してきた。

このような私は、今回のことに微苦笑したりしている。



尚、和田秀樹氏が採りあげた『昔話』は、誰しも成功体験、失敗体験があるが、
ともすれば成功体験ばかりの『自慢話』が含まれた要素があるので、
 避けた方が望ましい、と私は解釈している。

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まもなく78歳なる私、10年後の私自身を思い馳せて、独り微苦笑をして・・。

2022-08-27 15:16:21 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
本日の午前中のひととき、いつものように独りで散策した。

たまたま市内にある都立の『神代植物公園』を向かったりした・・。

そしていつものように京王線の『つつじが丘』駅前より、路線バスに乗車し、
 やがて『調布市総合体育館前』で下車し、総合体育館の広い自由広場の周辺を歩いたりし、
閑静な中を歩き、夏の終わりを感じ始めたりした・・。





この後、隣接している都の各地域の植物が見られる『植物多様性センター』に、
寄ったりした。

この『植物多様性センター』は、遅ればせながら確か6年前の頃に気付き、
四季折々の情景に魅了されている所である。









やがて『神代植物公園』に入園し、土曜日なのに閑散として、
戸惑ったりした・・。



確かこの地域の学童たちの夏休みは、8月31日で終わりとなるので、
宿題をサボってきた学童は、懸命にしている最中で、
公園などで遊ぶ暇(ひま)はないのかしら・・、
と私自身の学童時代を思い浮かべて、微苦笑したりした。

まもなく園内を歩くと、待ち焦がれた花にめぐり逢えて、
悦びに満ち溢れたりした。



この後、周辺を歩き、四季折々の情景を確認するように遊学した・・。









やがて、水分補給をする為に、ベンチに腰掛けたりした。
そしてコンビニで買い求めたペットボトルの煎茶を飲んで、一休みとした・・。




こうした中で、ぼんやりとしていたら、
10年後、生かされていたら、どのような日常生活のふるまい・・
しているのかしら、と夢想したりした・・。

10年後の私は87歳となり、体力は益々衰える中、物忘れも多くなると思われるが、
何よりも家内が健在でいるか・・いないか、
こうしたことは日常生活に於いて、何よりのキー・ポイントだょなぁ・・
と思い深めたりした・・。

家内は過ぎし3年前に大病しているので、
無念ながらあの世に旅立っていると思え、
私は『おひとりさま』の勝手気ままな生活を過ごしているだろう・・。

















2019年の新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
 心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、

 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。




このように予期せぬ出来事を体験してきた私は、
10年後の自身のふるまい・・思い馳せても、
せんなきことだよなぁ・・微苦笑したりしている。
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古ぼけた我が家、少しばかり『リフォーム』して、やがて私は困惑して・・。

2022-08-26 14:08:57 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、

そして私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、

古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
我が家は1978年(昭和53年)の春、一戸建てを新築し、
今住んでいる処は、私の生家も近くにあるので、
私自身としては結婚前後の5年を除き、 この地域に住んで、早や73年近くとなっている。

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、 たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。


 

過ぎし5月、後44年が過ぎて、老朽化なった浴室、洗面所、トイレを、
リフォームしょうと私たち夫婦は話し合ったりした・・。

もとより私たち夫婦は高齢で、いつの日にかあの世に旅立つ、
その前に介護施設になった場合、いずれ今の家に住めなくなるので、
 最小限のリフォームをして、程々快適に過ごしたい、主旨であった。

このような思いで、リフォーム会社をネットで調べて、
やがて3社より見積りの概要を頂き、そして2社に絞り、
我が家に来宅を願い、リフォームの処を総合確認したりした。

結果的には、TOTO社の浴室、洗面所、トイレを中核に、
パロマ社のガス給湯器、そして床、壁、天井など実施する事にした・・。

まもなく私たち夫婦は、リフォーム会社を選定して、
7月下旬より8月上旬まで、多岐な業者に来宅して頂き、
大幅に改善して頂いた。

やがて8月12日に完了したが、
この間、35度前後の猛暑日が多く、多岐な業者の御方には、
御気の毒と思い、ささやかな寸志を家内は手渡したりしていた。

或いは、この間はお風呂が入れない日があり、
私たち夫婦は、近くにあるクアハウスに3回ばかり通ったりした。

こうした中、私の妹の夫が亡くなり、コロナ禍の中、慌ただしく葬儀が施行され、
参列してきた。



新しくなった浴室、洗面所、トイレに、私たち夫婦はそれぞれ利用してきたが、
私は困惑することがあったりした・・。

浴室、洗面所は、私たち夫婦は旅先のリゾートホテル、シティホテルを幾度に体験してきたので、
違和感はなく、やっと我が家も世間並みになった・・と私は思ったりしたが、
トイレだけは戸惑ったりした。



トイレの蓋(ふた)は、トイレの入り口に立つと、
自動的に蓋(ふた)が開いたりした・・。
そして使用後は、蓋(ふた)が閉じる・・。

こうしたことに、過剰サービスだょ・・微苦笑したりした。


もとより指示パネルには、『便ふた開閉』、『便座開閉』、
『eco小』、『流す小』、『流す大』、
それぞれの機能を使えば、充分だょ、と私は苦笑したりした。




そしてパネルの指示板には、もとより女性用の『ビデ』もあるが、
『おしり洗浄』、『やわらか洗浄』、『温風乾燥』、
そして『位置』、『水勢』の調整が付いていた。

私は家内から、トイレット・ペーパーを使うのは結構ですが、
いつの日にお尻に手が廻らくなることがあるので、
『おしり洗浄』の機能など・・いまから練習するのも大切ょ・・、
と家内は私に言ったりしている。

こうした家内の根源には、家内の母は私より14歳ご年配の93歳であるが、
 80歳を過ぎた頃より、『おしり洗浄』の機能に救われた、
と私の家内に微笑みながら打ち明けたりしてきた・・。

こうした事情を私は家内から聞いたりしたが、
今から日に一度の定期便で、『おしり洗浄』の機能を使うのは・・
困惑しているのが実情となっている。

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和田秀樹・著作の『老いの品格』、まもなく78歳になる私、多々教示されながら・・。

2022-08-25 15:13:45 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、



たとえば『80歳の壁』(幻冬舎)、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社)、
『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』(マンジンハウス)など購読してきた。

或いは【プレジデント・オンライン】に配信された氏の寄稿文など、
数多く読み、
体力の衰え、ときおり物わすれもある私は、多々激励を感じて、
何とか健康寿命が保持できている。

過ぎし一昨日、駅ビル内にある本屋で、
和田秀樹・著作の『老いの品格』(PHP新書)を見かけて、
遅ればせながら学ぼうと思い、購読した・・。



先程、PHPのホームページに於いて、本書の解説文が、
掲載されて、読みながら微笑(ほほえん)でしまった・・。

《・・長年、老年精神医学に携わり、6,000人以上の高齢者を診てきた著者は、

いい歳のとり方をする人と、そうでない人がいることを日ごろ実感している。

いい歳のとり方をしている人は、老いを素直に受け入れ、

老いの現実にジタバタしたりビクビクしたり、
あるいは何かに固執したりすることなく、老いそのものを楽しもうとする。

本書では、そうした魅力的な理想の老人を、
「品のある老人」
「賢い老人」
「おもしろい老人」という三つのカテゴリーに分けて解説し、
それらを備えていることが「老いの品格」であるとする。

そのようなすてきな老人になるためにはどうすればよいか。

著者は、「知識に経験を交えながら議論する」
「いつまでも現役の消費者でいる」
「墓より金より名前を残す」など、具体的なヒントを提示している。

70代、80代を安心して快活に生きる方法を説く本。

老いることに勇気が湧き、老いを楽しみたくなる!・・ 》

私は本書を読書中で、三分の一ぐらいであったが、
確か氏の発露された御言葉・・確か学んできたような・・
と思いながら、やがて微苦笑してしまった・・。



過ぎし6月4日、プレジデントオンライン 】に於いて、
和田秀樹さんの著作の『老いの品格 品よく、賢く、おもしろく』(PHP新書)の一部を
再編集された記事で読み、私は喚起されて下記の投稿文を認めた・・。


高齢者医療の専門医より、確かな晩秋期の心構えの6箇条、私は学び、光明を受けて・・。 

このようなことを思い出して、私も少しボケたなぁ・・と苦笑したりした。



しかし体力も衰え、ときおり物わすれすることのある私は、
本書の良き教訓・・何度も読んでも・・復誦(ふくしょう)して、
実践できれば何よりも嬉しきこと・・と微笑んだりしている。
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10年ひと昔・・年金生活の我が家でも変貌して、微苦笑を重ねて・・。

2022-08-24 13:21:08 | 喜寿の頃からの思い
先程、体力の衰えを実感している私は、
ぼんやり『10年ひと昔』と称せられる10年前の頃、
どのような心情ですごしていたか・・思い馳せたりした・・。

私は日常の心情など記載したブログの投稿文を、
原則として毎日綴ってる。

そして10年前の頃、2012年8月24日に於いて、
『年金生活の我が家、『三種の神器』は何かしら、思い浮かべれば・・。』
と題して投稿していたので、読み返したりした・・。



《・・私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
 私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨夜、講談社・編集の『暮らしの年表 流行語』を開いていた時、
 たまたま『三種の神器』という事項を読んだりし、
何事も好奇心旺盛の私は、ネットで調べたりした。

《《・・1950年代後半、神武景気の頃、豊かさやあこがれの象徴として
「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が、「三種の神器」と呼ばれた。

高度成長期となった1960年代半ばには、
「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー〈自家用車〉)がこれに代わった。

平成の今、デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型大型テレビのデジタル家電が
「新・三種の神器」と呼ばれている。

家事労働の軽減から余暇の充実へと、あこがれの質の変化が製品を通してうかがえる。
・・》
このように『知恵蔵』2012年版で、
多摩美術大学教授・武正秀治さんが解説されていた。

もとより『三種の神器』は、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた鏡・剣・玉のことであるが、
数多くの国民が熱望してきた商品を
どなたかが大衆の『三種の神器』と命名されて今日に至っている思われる。

ぼんやりと私は我が家にとっては、『三種の神器』は何かしら、と思い浮かべたりした。



『カー〈自家用車〉』
若き独身時代の時、生家の自動車を盛んに運転をし、ドライブをしていたが、
その後に結婚したり、定年前の30年間はペーパー・ドライバーとなり、
定年退職後は自動車をを購入して、ゆったりとドライブするのも、ひとつの楽しみと思ったりした。

しかし、無念ながら齢を重ね感覚が衰えているので、自身の過ちで事故を起こした場合のことや、
何より人様に対して人身事故で傷つかせたりした場合を考慮すると、
単なる保険の支払いで済まなくなるので、自制し、
退職後まもない更新時に免許書を破棄することにした。

このように我が家は自動車も所有できず、私は根がケチにせいか、路線バスにも乗らず、
平素は我が家の周辺数キロの範囲をひたすら歩いたりしている。

そして冠婚葬祭、国内旅行、緊急の用事などで、タクシーを利用したりしているが、
昨年も月平均は、福沢諭吉さんのお札を超えることなく今日に至っている。



『携帯電話』
私は携帯電話に興味がなく、今日まで至っているが、
数年前の頃から、私たち夫婦のどちらかが、ボケる前には、
迷子のように、私はどこにいる・・と確認できるGPS機能の携帯電話が必要と思ったりしている。

新聞に添付されるチラシの一部に、携帯電話の各社の広告が入っているので、
ときおり私たち夫婦は見たり、ときには販売店でお互いに戸惑いながら見たりしている。

そしてここ数年、スマートフォン(多機能携帯電話)が急速に普及してきているが
我が家は、世の中の時流から取り残されていると微苦笑しているのが、昨今である。



このように無念ながら我が家は、『三種の神器』にも無縁なのかしら、と落胆していたが、
しばらくすると私は微笑んだのである。

『電気冷蔵庫』
我が家は結婚して36年目となっているが、電気冷蔵庫は三代目となっている。

確か10年前頃に買い改めた冷蔵庫は、上部から冷蔵庫、野菜室、製氷室とパーシャル、冷凍室に、
大きく分かれている。

この中の冷蔵庫の下部は加工食品、肉や魚などのファインフレッシュルームとなっているが、
この左横には、自動製氷のプラスチックの専用ケースがあり、
この専用ケースに水道水を入れておけば、
やがて適度な大きさの氷が、コトリと優しい音を立てながら、下段にある製氷室に山積みとなる・・。

何よりも昼下がり、夜のしじまの静寂の時などに、居間に私がいても、
台所の冷蔵庫から10メートル離れていても、コトリと音色が聴こえ、賢明に働いている自動製氷機能に、
過ぎし現役時代のサラリーマンだった私の奮闘した状況に思いを重ねて、微笑んだりしている。

この時節、私は冷茶とアイスコーヒーを愛飲しているが、
アイスコーヒーに、この新たなる氷を五つばかり入れて、飲んだりしている。

或いは、ときにはウィスキーに氷を入れただけのオンザロックを吞む時、
この氷を入れて、過ぎし日に愛惜を重ねて、吞んだりする。



乾燥機能付きの『洗濯機』
過ぎし2010(平成22)年の1月初旬に、我が家としては通常の洗濯機を二度ばかり買い改めてきたが、
無念ながら故障して、乾燥機能付きの『洗濯機』に新調した。

家内は原則として洗濯物は日々完遂するタイプであり、
洗濯の干し竿に吊るして陽射しの下で乾燥させているが、冬の陽射しの乏しい時、
梅雨の時節もあり、こうした時はガスファンヒーターの暖気で補足してきた。

私は家内に20年前の頃から、喉に良くないから、乾燥機を購入するように進めてきたが、
たまたま洗濯機を新調する機会に、乾燥機能付きとしたのである。

この乾燥機能付きの『洗濯機』は、いじらしい程、健気(けなげ)に乾燥機能が働き、
私は思わず微笑んだりすることが多い。



『エアコン』
我が家は居間と寝室にエアコンを設置しているが、原則として冷房機能として利用している。
寒い時節は、我が家はガスファンヒーターを活用している。

我が家は、6月の梅雨入りの前の頃から秋のお彼岸の頃まで、
簾〈すだれ〉を各部屋に掛けているのが、ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。

そして居間を中心に、和室、洋室、茶室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。

朝涼(あさすず)が残る朝の9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾(すだれ)にして、庭越しの風を通したりしている。

その後、家内は室内の掃除が終えて、居間のエアコンが静かに作動し、冷気になっているのが、
私が年金生活を始めて以来の習性となっている。

そして私は午前中に買い物、散策を終えた後、居間で過ごしたりすることが多い。
随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読んだりしている。
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を居間で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この映画などを鑑賞するテレビにしても、昨年の夏頃にアナグロテレビ放送は廃止と知り、
やむなく昨年の5月に、デジタル対応の薄型テレビの51インチ、
ブルーディスクの500キガの録画機を買い求めたりした。

そして冷気の中で、ときたま簡易ベットを敷いて昼寝をしたりしている。



このような我が家の『三種の神器』を思い馳せたりしたが、
数多くのご家庭からは、このようなことは時代遅れで『三種の神器』じゃないわょ、
と言われそうでもあり、やむなく私は苦笑を重ねたりしている。・・》》

このような投稿文に、10年ひと昔・・って、
我が家は余り変わらないなよなぁ・・と微苦笑したりした。

この後の私はパソコン、デジカメを買い改めたり、
家内は確か8年前の頃、携帯電話を遅ればせながら購入し、
やがて今年の春にスマホとなったりしてきた。

あとは乾燥機能付きの『洗濯機』を買い改めたりした。

このように我が家は、余り変わらないなぁ・・と微苦笑したりした・・。



この後、私たち夫婦は、お互いに心も身も、大いに変貌してきたこと思い馳せ、
齢を重ねれば・・時として変貌するよなぁ・・と微苦笑をしたりした。

私たち夫婦は、過ぎし2018年までの年金生活14年間は、
幸運にも大病に遭遇せずにきたりした。

しかしながら2019年は予告もなく私は、

新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、 心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、

 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。



             

この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。 


                     
もとより、この間は、最悪の場合を想定することもあったりして、
私たち夫婦は激しく揺れ動いたりした・・。





このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
 家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。

そして家内の退院後の定期検査のたびに、転移されていないか、
私たち夫婦は、心の底におびえ、何とか今日まで、

幸運な神様か仏様に支えられて過ごしたりしている・・。

こうした中、私は亡き母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。





私はあと2年少しで、生かされていれば満80歳となるが、
何とか健康寿命で迎えたい、秘かに念願している・・。

もとより私の自助努力は大切であるが、
私の友人、知人の多くが、この世を去った今、
こればかりは仏様か神様が采配して下さる世界・・と思い深めたりしている。
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『処暑』を迎え、都心の郊外でも、夏の終わりを感じ始めて・・。

2022-08-23 14:24:19 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを眺めると、
二十四節気のひとつの『処暑』と明示されていた。

もとより『処暑(しょしょ)』は、暑さが収まるころ、落ち着くころ、
と古来から伝えられている。

私の住む地域は、今年の夏は35度前後の日が多く、
熱さに苦手な私は困苦してきたので、これから涼しい日が続くことを、
こっそりと願ったりした。

このように思ったりしていると、市内にある都立の『神代植物公園』も、
四季折々の情景を魅了されてきた私は、
午前中のひととき出かけてみよう・・と思い立ったりした。

そしていつものように京王線の『つつじが丘』駅前より、路線バスに乗車し、
 やがて『調布市総合体育館前』で下車し、総合体育館の広い自由広場の周辺を歩いたりし、
閑静な情景に、夏の終わりを感じ始めたりした・・。




☆今回、掲載した写真は、本日の午前中に遊学した一部である☆


この後、隣接している都の各地域の植物が見られる『植物多様性センター』に、
寄ったりした。

この『植物多様性センター』は、遅ればせながら確か6年前の頃に気付き、
四季折々の情景に魅了されている所である。







やがて『神代植物公園』に入園し、夏の終わりの情景を実感したりした・・。
















平日の『神代植物公園』を幾度に入園してきたが、
いつもより閑静で、夏の花は終末の情景となっていた・・。

私は夏のスポーツシャツを着て、28度前後であったが、
湿度が高かった為か、汗ばんだりしていたが、
夏の花は、香りを残して、終わりを告げていた・・。

少しの寂しさがあるが、私の好きな初秋、秋のおとずれを待ち焦がれていたので、
微苦笑を重ねたりした・・。



このように2時間半ばかり歩いて遊学したが、
無念ながら疲れを感じ、自分の敵は自分だ、と叱咤激励をしている。
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蓮(ハス)、そして湧水(わきみず)、齢ばかり重ねた私でも、愛惜感を秘めて・・。

2022-08-22 10:35:45 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き、73年ばかり住み、
戦後から今日まで急速に変貌してきたことに、何かと心を寄せたりして愛惜感もある。

私は今住んでいる近くに生家があり、

1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

そして兄2人、そして妹二人の間(あいだ)で、サンドイッチのように育ったが、
何故かしらいじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。




私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、

程々に広い田畑を耕したりしていた。

そして母屋の宅地の外れには土蔵、納屋小屋にあったりし、

周辺には竹林、雑木林に囲まれた農家であった。
 
こうした中、この当時の周辺の情景は、京王腺の駅付近には商店街があるだけで、
周辺は田畑、竹林、雑木林など拡がり、緑豊かな村里の情景であった。
       
このような状況で、私が小学生の前半までは、父、祖父が病死されるまで、

農家の児として育てられた。



私は地元の小学校に入学した頃は、独りで下校する時が多かったりした。
       
こうした時、通学路から外れて、田圃の畦道を歩いたりし、
ある日、小雨に降られた後、七色の虹が視えて、
この世でこんなに綺麗なことがあるの・・と長らく見惚(みと)れたりした。

或いは通学路を下校する時、祖父の知人宅に寄り、
70歳ぐらいの小父さんに、白い梅の花、桜より好きです、と私は言ったりして、
変わった児だねぇ、と私は言われたりした。

或いは祖父が所有していた田んぼの中には、小川に流れたり、

ある処には湧水(わきみず)があったり、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。



          
私は何かと湧水(わきみず)に魅せられて、
夏の季節であっても、冬の時節に於いても
コンコンと湧き出る水を、どうしていつまでも湧いてくる、

と不思議そうに眺め、飽きることがなかった。

そしてこの湧水(わきみず)は、田んぼの中央に流れる小川に流れていった。

初夏になると湧水(わきみず)の周辺は、

夏のお盆に使う紅紫色したミソハギの花が咲いたりしていた。
          
           

後年、私が結婚した後、家内と湧き水を観に旅行をしたりした。
富士山の伏流水が湧き出る三島市の郊外の柿田川、

或いは忍野八海の湧き水を観に行ったりした。

そして伊豆地方の湯島に宿泊した時、湯ヶ島にある山葵(わさび)が植えられている処があり、
杉木立の斜面の外れに湧き水があった。


小さな湧き水が四箇所あり、コンコンと湧き出て、やがて小川となっていた。


蓮(ハス)専用の水田に関しては、7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
やがて8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。

そして私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて独り楽しんでいた・・。

そして泥だらけの中で、どうしてあんなに綺麗な白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。


          

やがて生家のお盆は、古来より8月1日は『お盆の日』となっている。

そしてお盆の迎え火は、7月30日の夕方に行われるが、
この日の午前中には、仏間にある仏壇から位牌と仏具一式を取り出した後、
仏壇の扉は、このお盆の期間だけ閉じられていた。

この前に畳一帖ぐらい台に盆棚と称せられたこのお盆の時だけの棚が設置された後、
この盆棚に移された。

そして盆棚の中央の奥に位牌を置き、周辺に野菜、果物を供えられ、
胡瓜(キュウリ)に割り箸のような足を付け馬を見立て、
茄子(ナス)も同様な形で牛に見立てたものを飾っていた・・。

後年になると、叔父さんから、馬は祖先の霊に乗って、この世に戻り、
牛はお墓に戻る時に乗って帰られる、と私は教えられたりした。

台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉に茄子を小さく刻んだのを浮べ、
淡い紅紫色のミソハギを小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。


そして台の左右に、この時節の百合の花などの草花を飾り、この中で蓮(ハス)の花が中核となっていた。
          


やがて夏休みが終わった頃、蓮(ハス)の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。

数週間過ぎた頃、この実を採り、少し剥(むく)とどんぐりのような形した白い実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。

やがて蓮(ハス)の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
青果市場に父は出荷した後の残りが、生家の食卓を彩(いろど)った。

私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間の多くの人が言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。

このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時とか、
名所と知られているある寺の観せる美麗な蓮(ハス)は、
あれは単なる鑑賞専用の蓮(ハス)であって、私が愛惜を秘めている蓮(ハス)じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。


          

定年退職した2004年(平成16年)の翌年の夏、
ある書物で、黒羽山の大雄寺の高僧が、蓮(ハス)のことについて、綴られているのを知った。

《・・泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮(ハス)の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。

泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。

このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。・・》
このようなことを遅ればせながら学んだりした・・。

私の生家は仏教の曹洞宗で、齢ばかり重ねた私は、何かと無知なことが多いが、
蓮(ハス)は泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるのに、
圧倒的な思いで魅了されている・・。

改めて蓮(ハス)の純白の花を眺めたりすると、
何かと定年退職するまで卑屈と劣等感の多かった半生の歩みを、
浄化してくれる随一の花と思っている。
          


このように私なりに深い思いを秘めているが、
私が小学生2年に父が病死し、この翌年に祖父も死去し、
生家は衰退したが、私の住む周辺は1955年(昭和30年)の初めに頃になると、
田畑、雑木林は急速に消え、もとより蓮(ハス)の水田も消え去り、やがて住宅街に変貌した・・。

そして、この間に曲がりくねっていた近くに流れる野川も、本格的に大きな川として護岸工事の上、
整備されたり、遊歩道や小公園も新たに設けられたりした。

こうした中で、私が農家の児として育った原景は、殆ど消え去ってしまった・・。

そして私は家内と共に国内の旅行をした時、
旅先で偶然に、田んぼある蓮(ハス)の花を見かけたりすると、
しばらくのあいだ見惚(みと)れながら、まぶたが熱くなってしまうことが多くなっている。


                  
     
こうした思いのある私は、愛惜を重ねるように、都立『神代植物公園』の園内を歩き廻ったり、
雑木林、かえで園の数多くのモミジ林などに、身に心も安らぐひとつとなっている。

或いは近くにある『水生植物園』に行ったり、田んぼの情景、湧水を眺めたりして、
私が育った小学の低学年の頃までの情景を思い重ねて、見たりしている。
          


このような心情を秘めた私は、都立の神代植物公園こそが私の心の第二の故郷(ふるさと)として、
少なくとも四季折々に訪ねて、園内を歩き廻ったりしている。
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ブログの世界でも、シニア世代の十人十色のセカンドライフ、私は多々教示されて、感謝を深めて・・。

2022-08-21 08:47:39 | 喜寿の頃からの思い
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、

定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。




過ぎし年金生活を始めた当時、ネットの世界は私は殆ど無知な癖に、
この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げようと思ったりした。

そして自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを
出来うる限り随筆風の散文を綴り、公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。



                         
           
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来してきた。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露できる上、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。




そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後は、
2つばかりの10万人ぐらい加入していた小さなブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、
この日から6423日が過ぎている。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
        
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸17年が過ぎて、早や18年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

              
                                              
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)として残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                    
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの投稿文を綴ってきたりした。

そして70代になると、自身の体力の衰えを実感した為か、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。                                                                    

               
                                                  
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは9年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
               
ここ10年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになり、
数多くの御方にお読み下さり、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。

                                   

こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ11年ぐらい殆どの方が、心ある写真を添付されたりしてきた。

そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。

特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。

過ぎし2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。



               
                 
こうした中、私は特に数多くの50代以上の皆様の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその御方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。


こうした中、特に私自身が古稀と称した70歳を迎えた頃より、
私はご年配の御方の投稿文を見上げるように読み、多々教示されて過ごしたりしてきた。

私は高齢者に入門した65歳の頃、作家・渡辺淳一さんが何か随筆で、
その年にならなければ、解らないょ、
このような意味合いの言葉を学んできたので、齢を重ねるたびに気付かされて、
人生体験が豊富なご年配の投稿文を深く読ませて頂いている。

このように私は、ブログの世界でも、シニア世代の十人十色のセカンドライフを多々学び、
私が偶然に魅了されて、長らく愛読している御方には、

お逢いしたことがないけれど、感謝を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、つたない私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。

                            

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に心の中の琴線(きんせん)が静かに奏(かな)でり始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。

或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。

何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない御方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。
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平素おとなしい私でも、ときには物狂いのようになる時期もあり、独り微苦笑して・・。

2022-08-20 12:20:58 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
私は年金生活の18年生の中では、散策をしながら、四季折々の情景享受している。

こうした中、ともすれば魅了された情景を忘れてしまうこともあり、
 記憶のかたみとして、デジカメで撮ったりしている。

 

そして随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などを読んだり、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい名作を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴いたりして、独りを愉しむ時を過ごしている。

このような平穏な年金生活で過ごしているが、
過ぎし年までは、物狂いのようになっていた時期もあったりした。




何かと単細胞の私は、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
これまでの人生の軌跡を思い馳せると、拙(つたな)いなりに当っている面もあるよなぁ、
と苦笑したりしてきた。

年金生活18年生の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもある。


そしてこれまで歩んできた人生の中で、

ときには熱病のように無我夢中となったりする時があったりした。

大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりしてきた。



たとえば音楽の場合は、1971年(昭和46年)に、

偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界に熱愛した・・。

そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、

少なくとも週2回ぐらい退社後に通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。

こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、

この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を自室で擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。



やがて1989年(昭和64年)に、
遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。

『エレーン』の歌であり、この当時の私はあるレコード会社の情報畑で、
奮闘していた時代であった。

こうした中、消費税実施が翌年の4月から実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたりした・・。。

その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたりした。

この後、リストラ烈風の中、あえなく出向した中、『ヘッドライト・テールライト』が
心の支えとなってきた。

この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読したり、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、

今でも私の秘かな女神となっている。



やがて1997年(平成9年)の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。

この後の数年間は、物狂いのように熱愛し、殆ど毎晩CDで聴いたり、
ビデオテープ、DVDの映像作品を視聴したりした。
そして定年後の年金生活の今でも、ときおり聴いたりしている。
                    


私は幼少の頃から、根は単細胞の性格のためか、

ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。

少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋の方が多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、

恋い焦(こ)がれて時もあった。
         
私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ともすれば食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。




恥ずかしながら齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることもある。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの・・、
と思ったりする時もある。
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葬儀は家族葬で、祭壇に花、静かな音楽の中で、談笑してくれれば、と私は念願して・・。

2022-08-19 13:30:00 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身の為か、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、
和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
と20年前の頃から言ったりしている。

これまでの私は、父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、
或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。

こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。


私はサラリーマンを定年退職した引退の年金生活18年生の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできた・・。

そして遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。

こうした中で、家内はもとより、長兄夫妻、長女の妹の夫妻、次女の妹、長兄の子供である甥のふたり、
そして家内の妹夫妻、そして家内の母が存命であったら加わって欲しい・・
このくらいの親族の一部の最小限のメンバーで通夜、告別式を執り行って、家族葬の形式と念願している。


確か10年前の頃、式場の内部が、自宅の居間のような形で、片側に御棺を置き、
広いテーブルで食事やお酒を飲食できる会場もあると知り、
私は微笑んだりした。

通夜の日、御棺の周りは私は幼年期は農家の児として育ち、
日本風土の土に還るので和花を中核として、欧米の書物、映画、音楽も少し愛してきたので、
洋花も添える。

テープルには、食事処から取り寄せた和食、洋食を食べて頂き、
煎茶、コーヒー、紅茶などを飲んだり、ウィスキー、ワイン、日本酒、ビールなど吞んで頂いたり、
私の生前のこぼれ話しをし、談笑して頂く・・。

人は誰しも故人の心の奥に秘めた心は解らないが、とりとめなく話して、
あの時は・・と笑って下されば充分である。


こうした中で、音楽が静かに流れれば、と念願したりしている。

選定する曲としては、今、瞬時に思い浮ぶ曲としては、
唱歌の『ふるさと』、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第8番 『悲愴』、
交響曲第9番の第三楽章、アルビノーニのアダージョ、ショパンの練習曲作品10-3 『別れの曲』・・
この5曲ぐらいは・・と思ったりしている。


翌日の告別式は、このメンバーで自宅の居間のような形の式場に集合し、お線香一本を上げてもらい、
この後は火葬場に行き、ふたたびこの式場で、
お好みの飲み物を吞みながら、食事をして談笑して頂いた後、散会する・・。

そして私の生家は曹洞宗なので、やはり実家の墓地のある寺院の方に読経して頂くが、
通夜、告別式の5分ぐらいの簡略なお経でよい、と思ったりしている。

このような葬儀は、私の実家にしても、親戚にしても、前例がなく、
もとより兄妹は大いに戸惑い、
なぜ実家の墓地のある寺院の斎場で、通夜、告別式を行わないの、と予測されるが、
水戸黄門の印籠のように、故人の遺志である、と家内が明言し、了解を願いたいのである。



このような思いを10年前の頃、思い深めていたが、
ここ数年は、少し修正を思案してきた・・。

私の親族関係者は御歳を重ねてきたので、通夜、告別式で、
二日間参列して頂くことに恐縮し、
昨今、『一日葬』を学び、これだったら高齢者にピッタリかしら、
と私は微笑んだりした。

何かしら火葬場もあり大きな斎場で、朝の10時半頃に集会し、
ある指定ホール場所で『告別式・出棺』して、
火葬場に移動して『火葬・お骨上げ』した後、
再び指定ホール場所で『精進落とし』した後、散会する。

このようにすべて大きな斎場の館内で施行できるので、
参列して下さる高齢者の御身体にご負担が少ないと思ったりしている。



いつの日、家内より私が亡くなった時は、このように念願しているが、
家内に先立たれ、私が『おひとりさま』の生活した後、急死した時は、
果たして葬儀の形態は・・と思ったりしている。
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熱い夏の季節、年金生活の我が家、私たち夫婦の最良の避夏地は、変貌して・・。

2022-08-18 12:18:24 | 喜寿の頃からの思い
今朝、ぼんやりとカレンダーを見つめると、
世の中は『お盆休み』も終わり、8月も2週間を残すばかりかょ、
と心の中で呟(つぶや)いたりした。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活のまもなく78歳を迎える身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後44年の古ぼけた一戸建てに住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。


          

世の中の多くは、特に学童たちが夏休みの期間の7月、8月は、
家族で国内や海外に旅行されたり、或いは行楽地に行かれたり、

お盆休みに実家に帰省されたりした情景、
テレビのニュースで視聴しながら微笑んだりしてきた。

私も現役のサラリーマンだった時代は、夏季休暇を利用して、
家内と国内にある温泉地にある観光ホテル、旅館に、

2泊3日前後で滞在し、周辺の観光地を遊学したりしてきた。

或いは、人の混雑を懲(こ)りて、小庭の手入れをしたりして、

汗まみれ泥まみれになりながら専念したりした。



私はある民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。
        
私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味であり、

結婚以来、四季折々国内の各所を幾たびも旅行を重ねてきたが、
私は何よりも暑さに苦手な身で、この熱い季節には数えるばかり少ない。

年金生活をしてから18年目になるが、

夏の季節に旅をしてきたのは・・と思い馳せ、
過ぎし年の記憶があいまいとなってきたので、
やむえず私のブログのカテゴリーの『旅』の欄を読んだりした・・。

そして短絡的にメモれば、下記のような状況となった。


★2006年8月4日~6日 『秋田竿燈』、『青森ねぶた』祭り
    家内は祭り見物が好きで、ある旅行会社の団体ツアーに於いて、
    秋田市内のホテルに宿泊~白神岳の麓(ふもと)にある十二湖を散策~、青森市から夜行で帰京。

★2006年9月Ⅰ日~2日 『おわら風の盆』
    ある旅行会社の団体ツアーに於いて、おわら風の盆を鑑賞した後、
    深夜に金沢のシティホテルで宿泊した後、五箇山などを鑑賞して、帰京。

★2007年8月7日~10日 館林市の郊外の城沼で『蓮の花』
    私は幼年期から蓮の花に魅了されているので、家内の母を誘い、
    私たち3人で城沼に隣接している観光ホテルに3連泊して鑑賞。

★2008年8月3日~6日 佐渡・『秋津温泉』滞在
    家内の母が、佐渡の賽(さい)の河原を見たい、要望により、
    私たち3人で、観光ホテルに3連泊し、周辺を遊学。

★2009年7月15日~17日 京都の『祇園祭』
    市内のシティホテルに連泊して、祇園祭を鑑賞

★2010年8月30日~9月4日 『浄土ヶ浜』~鶯宿(おうしゅく)温泉
    家内が浄土ヶ浜の蒼い洞窟が観たく、浄土ヶ浜のホテルに3連泊した後、
    盛岡市の奥地にある鶯宿温泉に連泊し、帰京。
    
    この翌年の3月、東大日本震災で訪れた三陸の浄土ヶ浜の過酷で悲惨な状態に動顚したりした。

これ以降は、夏の旅路は皆無となっている。


私は熱さの季節は、人出の多い先は齢を重ねるたびに苦手意識が増して、
私たち夫婦は何かと雪舞い降る冬の旅路が、圧倒的に多くなったり、

夏季以外の季節の旅路となっている。

こうした中、熱い夏の季節の私の最良の避夏地は、と振り返ったりした・・。
          



私の午前中のひととき、平素の我が家の買物専任者であり、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしてきた。

その後も私は独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
夏のうつろい情景を享受してきた。

私は夏用のストレッチパンズの長ズボンの数種類、アロハシャツかスポーツシャツの半そで、
そしてウォーキング・シューズとなり、夏用の帽子を深めにかぶり、サングラスをして、
扇子〈せんす〉を扇〈あお〉ぎながら、颯爽と歩くことが多い。

そして紳士用の小物入れのショルダー式バックを斜め掛けをし、
買い物したり、散策したりしている。
          
しかしながら燦々と照らす道を歩いたりすると、汗がひたたり落ちることが多い・・。
やむなくハンドタオルで顔などを拭(ぬぐ)いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも気合いを入れて、足早に歩いているのが実情である。

こうした中で、暑さに負けそうと思う時、

何かと単細胞の私は、冬の寒さの情景を思い浮かべて、歩いたりしている。

そして喉の渇きを感じたら、最寄りの自動販売機で、冷たい煎茶を買い求めたりしている。
或いは疲れを感じたら、大きな樹の下の付近のベンチに腰掛けて、

緑陰に心も身も寄せたりしてきた。
          


この熱き時節、我が家では、簾〈すだれ〉を各部屋に掛けている。


洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸、そしてカーテンを外して簾〈すだれ〉とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾〈すだれ〉としている。

そして陽射しを更に遮断する為に、簾〈すだれ〉の上に薄い布地を下ろしたりしている。




朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾〈すだれ〉にして、風を通したりしている。
             


帰宅後、居間の冷気の中で私たち夫婦は、お互いに好みの昼食を食べたりした後、
私はブログの投稿文を綴った後、愛読している数多くの方の投稿文を読ませて頂くことが多い。

やがて私は居間の片隅に簡易ベットに敷いて、夏掛けの布団を掛けて横たわりながら、
好きな本を読み、ときには昼寝をしたりしてきた。

やがて目覚めれば、冷茶かアイス・コーヒーを飲んだりしている。

そして簾(すだれ)越しのほのかな暗さを通して、小庭の樹木、草花を眺めたり、
ときおり元気のある蝉(セミ)の鳴き声を聴こえたりしてきた。
             


家内は、この季節は早朝の4時少し前より洗濯を開始し、
やがて日の出と共に外干すの竿(さお)に干したりしている。
その後も掃除をしたり、料理に孤軍奮闘している。

昼下がり、家内は居間のソファに座りテレビを視聴したり、

雑誌を読んだりすることが多いが、
さすがに疲れ、居間の片隅で古びた布団を敷いて、

夏掛けの掛け布団を掛けて床に横たわっている。

そして、本棚が6冊ばかり雑誌を取り出して枕代わりし、

ときには軽い寝息をしたりしている。

午後の4時過ぎに、お互いに起き上がり、整理をするが、
家内の仮枕の雑誌を見ると、私はいつも微苦笑させられる・・。

総合月刊雑誌として名高い『中央公論』、『文藝春秋』であり、
日本広しといえ、この雑誌を枕代わりにしているのは、

我が家の家内ぐらい、と思っている。

このように私たち夫婦の夏の季節の最良の避夏地は、

冷気のある居間となっているのが、実情となっている。



この後、ここ4年は旅行をしていないことに、苦笑したりした・・。

過ぎし2019年に、私たち夫婦はお互いに予期せぬ大病で入院した後、
翌年の2月初旬より、新コロナウィルスの烈風に伴い、
世の中は一変してしまった・・。


やがて新型ウィルスの烈風が終息化となり、
こうした中で、マスクもはずして、旅先で見知らぬ御方でも、
お互いに談笑でき、旅行に行けるといいよなぁ・・
と空を見上げながら、祈願しているのも本音でもある。

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骨の老化を防ぐ最強の食品ランキング12、私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2022-08-17 13:59:14 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 介護ポストセブン 】を見ている中で、
『 骨の老化を防ぐ最強の食品ランキング12
   「1位は納豆、12位はハナビラダケ」専門家が解説  』、  
と題された見出しを見たりした。





こうした中、私の平素の朝食に関しては、幼年期に農家の児として育ったので、
齢ばかり重ねた今でも、 朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた
庶民の一汁三菜(いちじゅうさんさい)の真似事をしている。  

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、わずかにミツカンポン酢をかけて、
大きめの皿で盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯を半合ばかり盛ったお茶碗、
調味料を加味しない納豆、そしてコブの佃煮などを必須として、
これ以外はピーマンのミソで炒めたもの、ゴボウかハス、そしてシラタキのお醤油で炒めたもの、
食べたりしている。

そして私は魚介類が苦手で、やむなく瓶詰のシャケ、ときには缶詰のサバの味噌煮、
食べたりしている。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、呑むヨーグルトを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。  
                                                                        


やがてお互いに制約しないフリーの昼食として、
昨今の私は、ところてんをひとつ、トウモロコシの缶詰をひとつ、
食パンをハムで挟んで一枚・・
足りないと思ったら、焼き肉のタレで炒めたコンニャクを食べたりしている。
           

やがて夕食の時は、キャベツ、そしてニンジン、ピーマンを千切りにして、
大皿に盛ったのを、電子レンジで温めて、そしてソースを少しかけて、盛大に頂いている。

まもなくロースト・ビーフか牛肉、豚肉、鶏肉など、その日に応じて200グラム程度を食べたりして、
モヤシの炒めものを食べたりしている。

こうした中、お酒は缶ビール500mlを5日毎に、たった一本となっているが、
かっての呑兵衛だった私は、不思議なことに充分に満足となり、
歌を忘れたカナリヤのようになっている。

こうして中で、家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。




このような食事内容は、ここ一カ月は、ほゞ変化がないが、
食べる歓びを感じたりしている。
     
このような私は、恥ずかしながら食欲旺盛の食事の実態であるが、
自分の好きな食べ物を、自分で口に運べて、味あいながら食べることが、
いつまでもできたら、これ以上の倖せはないよなぁ・・、と独り微笑んだりしている。

しかしながら、ときおり家内より、果物が少ないですょ、と私は叱咤されたりしている。




このように私の好きな食べ物ばかり愛食しているが、
今回、《・・骨の老化を防ぐ最強の食品ランキング12・・》って、
 どのような食べ物なの・・と少し気になり、記事を読んでしまった・・。

この記事は、『女性セブン』の2022年8月18・25日号に掲載された記事で、
関連の【 介護ポストセブン 】の『健康』の『予防』に於いて、
8月16日に配信されていた。

無断であるが、記事の大半を転載させて頂く。



《・・ 筋トレにスキンケア、ダイエットなどアンチエイジングの方法はさまざまだが、
いま取り組むべきは「骨の若返り」だった! 

骨折や骨粗しょう症予防はもちろん、顔のたるみやしわを予防するには、
どんな食品を摂ったらよいか。
食と健康の専門家に聞いた。

いつまでも健康で若々しい体を保つために、摂りたい食品は何か。


☆コロナ禍で骨の老化に悩む人が増えている

新型コロナ第7波の拡大が不安な夏休み、外出予定をキャンセルし、
 ステイホームで過ごしている人も少なくないだろう。

しかし、知らず知らずのうちに“コロナ以外”で、
体が蝕まれている可能性がある。

川崎医科大学総合医療センター特任部長の太田博明さんが警鐘を鳴らす。
「感染対策はもちろん重要ですが、
その一方で家に閉じこもり運動不足になった結果、
足腰の衰えを発端に、骨の老化に悩む人が非常に増えており、
特に年を重ねた女性に顕著です。

もともと女性の方が小柄で骨量も少ないうえ、
閉経後は骨の代謝にかかわっている女性ホルモンのエストロゲンが減少するため、
骨の老化が急速に進む。

実際に骨粗しょう症の患者や骨折者の8割は、
女性だといわれています」

蝕まれるのは、体の健康だけではない。
「骨の老化は、“老け顔”にも影響します。
顔の土台である『顔面骨(がんめんこつ)』が老化してやせ細ると、
 その上を覆う筋肉や皮膚がたるみ、下まぶたや顎のラインが緩み、
 頰が垂れたりしわができたりします。

特に顎の骨は、40代から減り始めるため、
早めに老化対策することが肝要です」(太田さん)

健康と美容の大敵である骨の老化を防ぐために、
積極的に摂るべき「最強食品」を専門家に取材し、ランキングにまとめた。




☆骨の老化を止める・若返らせる食品ランキング1~12位
以下、20人の「食と健康の専門家」に「骨の老化を防ぐ最強食品」を挙げてもらい、
1位を5点、2位を4点、3位を3点、4位を2点、5位を1点として集計。

5点以上を獲得した食品を掲載した。
専門家のみなさん(省略)
《順位(点数)/肉の種類/コメント》


☆12位(5点):小松菜
   「『カルシウム』と『ビタミンK』を豊富に含有する。
   おひたしにして、『ビタミンD』たっぷりのしらす干しや
   干しえびをのせればパーフェクトな一品に」

☆12位(5点):ししゃも
   「骨を作る重要な栄養素である『たんぱく質』、『カルシウム』、
   『ビタミンD』を含み、可食量あたりのカルシウム含有量はトップ」

☆12位(5点):ハナビラダケ
   「酵素たっぷりの“スーパーフード”として認定されている。
   女性ホルモン『エストロゲン』の補給ができるのもうれしい」

☆12位(5点):さんま
   「さんま一尾が含有する『ビタミンD』は14.9㎍。
   1日の摂取目安量をはるかに超える」

☆12位(5点):うなぎ
   「身の部分にはビタミン類やたんぱく質が豊富であるうえ、
   皮にも骨と関節を守る役割を果たす『コンドロイチン』がたっぷり」

☆12位(5点):煮干し
   「100gあたりのカルシウム量は2200mgにのぼる。
   魚一匹丸ごと食べられるためほかの栄養素もバランスよく摂ることができるうえ、
   『ビタミンD』が多いのも推奨ポイント」

☆12位(5点):レバー
   「骨のコラーゲン生成に欠かせないヘム鉄、たんぱく質、亜鉛を含むうえ、
   ビタミンBやビタミンDも豊富なまさに“最強食品”」


☆10位(6点):いわし
   「『カルシウム』と『ビタミンD』を含んでいる。
   丸干しがおすすめ」、

   「生よりも天日干しの方が、ビタミンD含有量が多い。
   骨を構成する際に必要なミネラル類がバランスよく含まれているのもポイント」

☆10位(6点):さば缶
   「骨の生成に必要な『ビタミンD』と『カルシウム』はもちろん、
   良質な脂質の『DHA』や『EPA』もたっぷり。
   常備しておきたい一品」、

   「生の魚と違い、骨ごと食べられるのが推奨ポイント。
   ただしさば缶が含有する栄養素は空腹時に摂取すると吸収率が低いため、
   食事の際におかずとして一緒に食べるようにしてほしい」


☆9位(8点):豆腐
   「良質なたんぱく質が豊富なうえ、
   原料の大豆が含む『イソフラボン』は女性ホルモンと似た働きをし、
   骨粗しょう症を予防してくれる」、

   「そのままでも加熱しても食べられるバラエティーの豊富さが魅力。
    冷や奴やみそ汁の具など温冷どちらのレシピも楽しんでほしい」

☆7位(10点):しいたけ
   「豊富に含有する『ビタミンD』は脂溶性のため、
   炒め物などにして油と一緒に摂ると効果的」、

   「しいたけは干すことでビタミンDが倍増。
   天日干しなどの干ししいたけがおすすめ」

☆7位(10点):干しえび
   「骨の原材料となる『カルシウム』と吸収率を高める『ビタミンD』が豊富」、

   「少量でたくさんカルシウムが摂れる。
   炒め物やご飯、みそ汁などに"ちょい足し"を」


☆6位(15点):チーズ
   「おすすめは『パルメザンチーズ』。
   『カルシウム』の含有量がチーズの中で最も高い」、

   「カルシウムや良質なたんぱく質が豊富。
   『ビタミンK』や『マグネシウム』などの栄養素も含まれる」、

   「カルシウムの吸収率が高いうえ、手軽に取り入れられるチーズは魅力的。
   毎日食卓へ」

☆5位(16点):ヨーグルト
   「骨の原料である『カルシウム』はもちろん、
   乳酸菌やビフィズス菌を配合したものもあり、
   腸内環境にとっても魅力的な一石二鳥の食品」、

   「カルシウムの吸収は空腹時と夜に高くなるため、
   夕食1時間後または就寝の1時間前に食べるといい」、

   「1カップで10g以上のたんぱく質が摂れる『高たんぱくヨーグルト』や
   ビタミンDが添加されているタイプのものも。賢く選びたい」


☆4位(21点):しらす
   「老けない骨を作るために必要な『カルシウム』『ビタミンD』、
   『マグネシウム』をバランスよく配合する」、

   「選ぶなら日光をたっぷり浴びたしらす干し一択。
   ビタミンD含有量が格段に増える」、

   「ご飯のお供や野菜と和えるなど、
   手軽にいろいろな料理に加えられるのもいい」、
 
   「たっぷりのカルシウムが魅力だが乳製品に比べると吸収率が低い。
   梅干しやお酢など吸収を促す食品と一緒に摂りたい」


☆3位(26点):鮭
   「カルシウムの吸収を助ける『ビタミンD』と、
   骨の土台となるたんぱく質が豊富。低カロリーなのもうれしい」、

   「特にビタミンDの含有量はダントツ。
   鮭一切れ(80g)で、1日の必要量を賄える」、

   「おすすめは鮭缶。老化予防効果のある『アスタキサンチン』も含まれて、
   生の切り身よりも栄養素が濃縮されている」、

   「鮭の赤みのもととなる色素成分『アスタキサンチン』は、
   抗酸化力が強く、骨の老化予防にぴったり」



☆2位(36点):牛乳
   「コップ1杯200gで約220mgと『カルシウム』の含有量が非常に多い。
   1日コップ1杯飲むことを心がけてほしい」、

   「小魚や野菜などほかの食品よりもカルシウムの吸収率が、
   約4割と非常に高く、最も効率的」、

   「カルシウムを効率よく摂れるのは乳製品。
   特に牛乳は手軽に手に入り取り入れやすい」、

   「シチューやスープなど料理に使うことで、
   自然に摂取量が増やせるのでおすすめ」、

   「カルシウムに加え、良質なたんぱく質も含んでいる。
   不眠解消に役立つ『トリプトファン』も含有するため、
   寝る前に飲むのがおすすめ」


☆1位(43点):納豆
   「骨作りに必要な三大要素である『カルシウム』『ビタミンK』、
   『たんぱく質』をバランスよく含有している」、

   「ビタミンKにはカルシウムの吸収・定着を促してくれる役割があり、
   両者を同時に摂れる納豆は効率的な食品」、

   「脂肪分の少ない良質なたんぱく質を摂ることができる」、

   「カルシウムは夜の方が吸収率が高まるため、
   夕食に一品足すのがおすすめ」、

   「女性ホルモンと類似した成分である『イソフラボン』も、
   摂取できることも推奨ポイント」



☆強い骨を作るトライアングル

骨を強化し、若返らせるために、まず取り組みたいのが食生活の改善だ。

田中病院院長の田中優子さんが解説する。
「骨の老化を食い止めるために、最も重要なのは『骨量』そのものを増やすこと。

若々しく強い骨を作るための栄養素を重要度順に挙げると、
カルシウム、ビタミンD、ビタミンK、たんぱく質、ビタミンBになります。

特に最初の3つ、つまり骨の原料となるカルシウムと
その吸収を促進するDとKは“ゴールデントライアングル”と呼ぶべき大切な成分。
定期的な摂取は必須です」

上記のランキングを見渡せば、
食品のほとんどにこれらの栄養素が含まれている。

特に1位の「納豆」は、
カルシウム、ビタミンK、さらにたんぱく質を一度に摂れることから、
多くの専門家が一票を投じた。

「それら3つの成分を効率よく手軽に摂取できる食品は、納豆だけ。
 1日1パックを目安に食べる習慣をつけてほしい」(医学博士の佐野こころさん)
 “ちょい足し”で、さらに効果は高まる。

そしがや大蔵クリニック院長の中山久徳さんが言う。
「ビタミンKは水に溶けにくく油に溶けやすい脂溶性のビタミンです。

少量のオリーブオイルやアマニ油などを垂らすことで、
吸収率がぐんと上がります」


 “トライアングル”のもう1つの栄養素が、
カルシウムの吸収を高めるとともに骨の石灰化を促すビタミンD。

効率的な摂取のために専門家が推奨するのは、
日光を浴びて乾燥した“干し”食品だ。

佐野さんは使い勝手のいい「しらす干し」をすすめる。
「しらすは生や茹でた状態でもカルシウムとビタミンDが豊富ですが、
太陽の光を浴びることで後者の量はぐんと増える。

天日干しされた、しらす干しやちりめんじゃこは骨の強化のために常備しておきたい一品です。
ふりかけのような形でご飯やみそ汁に“ちょい足し”できるのもポイントです」(佐野さん)

管理栄養士の中沢るみさんが一票を投じたのは、12位の「煮干し」だ。
「煮干しは100gあたりのカルシウム量が
2200mgとほかの食品と比べても群を抜いて多いうえ、
魚一匹を丸ごと食べられるので、
ビタミンDや良質な油分であるEPAやDHAもふんだんです。

そのまま食べてもいいですが、
さらに効果的なのは煮干しをお酢に漬けて作る『煮干し酢』です。
軟らかくなって食べやすくなることに加え、
酢のクエン酸がカルシウムの吸収を補助してくれます。
お好みで三杯酢やりんご酢を使うのもおすすめです」

美容皮膚科医の柴亜伊子さんも、丸ごと食べられる魚の利点をこう語る。
「一匹丸ごと食べられる魚はどんな種類であろうと、栄養価が高い。
 日光をたっぷり浴びて乾燥させた干しえびもおすすめ。

たんぱく質やカルシウムをはじめとしてヘム鉄や亜鉛、
ビタミンDがバランスよく含まれます。

干しえびはもちろん、オキアミやしらす干しなど用途や好みに応じて使い分けてほしい」



ランキングを参考に、バランスのいい食卓を作ってほしい。
管理栄養士の金子あきこさんは、食べるべき食品を取り入れる一方で、
避けるべきものも知ってほしいとアドバイスする。

「インスタント食品をはじめ、さまざまな加工食品に含まれる『リン』は、
過剰摂取によってカルシウムの吸収を阻害します。
くれぐれも摂りすぎには注意してほしい。

骨を丈夫にするために必要な栄養素という観点からも、
『主食+主菜+副菜』のバランスの整った食事を心がけてください」・・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




今回、 《・・骨の老化を防ぐ最強の食品ランキング12・・》、

多岐に及ぶ食べ物・・記事を読みながら多々教示され、微苦笑を重ねてしまった・・。

我が家では、ときおり家内から、好き嫌いが多いわねぇ・・、と言われる時もある。

今回の食品ランキング12に於いて、『小松菜』、『ししゃも』、
  『ハナビラダケ』、『さんま』、『うなぎ』、『煮干し』、『干しえび』などは、
一年に一度ぐらい食べるか、食べない程度となっている。

こうした中、
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