夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

大腸の内視鏡の検診、気弱な私が、昨年の早春に生れて初めて受診した、ささやかな思いでは・・。

2017-06-30 14:07:23 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であり、
一昨年9月中旬、市から年に一度の『特定健診』の通知書を二が月前に頂き、
私は最寄りの内科病院に受診した。

私の住む市では年に一度の健康診断は、
過ぎし平成19年度までは『お誕生日検診』と可愛らしい名称であったが、
この後は、何かしら基本健診に血圧測定、血液検査などが加味され、『特定検診』と改称された。

私は健康診断を受診する時、基本健診としては、
身長、体重、採血、心電、尿検査、血圧測定などが行われた後、最後に医師との問診となっている。
そして希望者には胃がん、大腸がんの検診があり、私は毎年受診してきている。

こうした中で、大腸がんの検診は事前に検便を指定された容器に前日、当日分として採り、
提出することとなっていたので、予定通り特定健診日に提出した。

やがて2週間が過ぎた頃、『特定健診』の結果の問診を受けたりした。
そして齢相応の結果であり、微苦笑した後、大腸がんの検診に伴う検便に関しては、
二つのうちにひとつが少し血が混じっている、と私は担当医師から告げられた。

そして《大腸の内視鏡の検診》を受診して下さい、と私は担当医師から告げられたが、
風の噂で《大腸の内視鏡の検診》は、肛門から内視鏡で盲腸まで約1メートルを挿入すると聞いてきたので、
勘弁してほしい、と思いながら、もう一度を検便の検査を受けさせて下さい、と私は医師に懇願した。
            

そして数週間過ぎた頃、再挑戦したが、やはり二つのうちにひとつが少し血が混じっている、と判定された。

こうした中で、私は白内障の左眼、右眼の手術が迫ってきたので、
《大腸の内視鏡の検診》は、来年にしょうと決意した。

やがて昨年の一月下旬、『特定健診』を受けた医院長より、紹介状を頂いた上、
最寄駅の近くにある胃腸科病院を訪れて、大腸の内視鏡の依頼した。

まもなく担当医師に、検便の状況を報告し、問診を交わした後、
この後、40代の顔立ち綺麗な女性の看護師さんより、私は質問された。

『検査前には腸内を空にする必要がありますので、検査日の当日の朝に来て頂いて、検診されますか?』
と看護師さんは優しく私に言った。

『午前中に何かしら下剤を飲み、腸が綺麗になった後に検査ですので、短期決戦のようですねぇ・・』
と私は看護師さんに言ったりした。

『この他には検査前と致しましては、前日より下剤をお飲み頂く方法がありますょ』
と看護師さんは優しく私に言った。

『高齢者にやさしい検査前の方法で、ソフト・ランディグですねぇ・・』
と私は看護師さんに微笑ながら言ったりした。

『・・』
看護師さんは私の顔を見ながら微笑んだりした。
          
『私は気弱い身ですので、短期決戦のハード・ランディグより、ソフト・ランディグでお願いします』
と私は微苦笑しながらながら看護師さんに言ったりした。
          

この後、看護師さんは具体的に検査前日の食事、下剤薬の説明をして下さった。

◎2月29日(月)・・検査2日前
食事は普段通り。
就寝前に、『下剤(プルゼニド)』を2錠呑む。

◎3月1日(火)・・・・検査前日
便やカスを腸内に残さないように、参考メニューを受けた。
朝食・・おかゆ(練り梅、卵雑炊風、鮭雑炊風に味付け。ただし、ネギなどの繊維質は避ける)
    うどん(素うどん)
    味噌汁、スープ、澄まし汁などは、具を少しにする。

昼食・・朝食と同様

間食・・ビスケット、クラッカーなど5~6枚
    アメ、ガム、氷砂糖
    水分(お茶、炭酸飲料、粒の入っていないジュース、砂糖湯)

夕食・・形のある食べ物は絶対に避ける。
    スープ(具の入っていないもの)

夜9時頃、『下剤(プルゼニド)』を2錠呑む。そして粉末【下剤(マグコロール)】を水150mlに溶かして飲む。

◎3月2日(水)・・・・検査当日
食事は摂(と)らない。
朝7時頃、粉末【下剤(マグコロール)】を水150mlに溶かして飲む。

    水分(お茶、炭酸飲料、粒の入っていないジュース、砂糖湯)
    アメ、ガム、氷砂糖は可。

内視鏡の検査・・・午後1時30分~

このように40代の顔立ち綺麗な女性の看護師さんより、私は説明をして下さった後、
『下剤(プルゼニド)』を2錠の2セット、そして白い粉末の入った2セットと紙コップを私は手をされた。
            


やがて私は、この検査前の指示書に基づき、何かと小心者の私は忠実に守り、
食事、、『下剤(プルゼニド)』の錠剤、或いは白い粉末の【下剤(マグコロール)】を水150mlに溶かして飲んだりした。

そして白い粉末の【下剤(マグコロール)】は、年に一度の『特定健診』の胃の検査で飲みバリウムより、
ジュースのような味が加味されて飲みやすかった。

そして検査日の当日は、前日の
夜は夕食も摂らず、白い粉末の【下剤(マグコロール)】の効果の為、
早朝4時、やがて10時、12時と三度ばかりトイレに行き特別便となったが、
宿便はとれたかしら、と私は微苦笑した。

やがて最寄駅の近くにある胃腸科病院に予約時の午後一時半前に、到着して待合室で待機していた。
まもなく60歳前後の女性の看護師さんより、上は作務衣風、
下半身は検査の為、レインウェア風の生地で御尻だけが開けようになっていたので、
私はもっともだよねぇ、と心の中で呟きながら微苦笑した。

そして予定時に40代の顔立ち綺麗な女性の看護師さんより、血液検査の注射、
肩の近くに大腸を静止させるの注射をして頂き、何かと単細胞の私は麻酔を素直に効果して、
この後の肝要の大腸の内視鏡の検診は、気を失って眠っていた。
            

目覚めると60歳前後の女性の看護師さんより、検査は終わりましたので、
水分補給を中核とした点滴をしたが、一時間近く要した。

この間、私は下腹部が張り、こうした状況を60歳前後の女性の看護師さんに尋ねると、
水分不足でおならを出せば、解消するはずです、とアドバイスされて、
私はこっそりと点滴を右腕の手首に受けながら、腰と足を動かして、10回くらいおならをすると、
確かに楽になったりした。

やがて大腸の内視鏡の検診をして下さった医院長より、
大きなポリープはふたつ有り、摘出して傷口は出血防止の為、クリップで縫逢し、
小さなポリープは6ばかり有り、いずれワイヤーで摘出しました、
と私に説明して下さった。

こうした中で、悪性腫瘍であれば、癌に進むこともあり、
よくみられるポリープと思われますので・・と医院長より私は言われて、御礼の言葉を重ねたりした。

そして、今後一週間はおかゆ、うどん、スープなどの消化の良いを食べて下さい、
と教示されたりした

この後、受け付けて精算した後、内視鏡検査(病理検査)の結果は10日過ぎた頃に来院して下さい、
と私は言われたりした。

今回のポリープ摘出費用は、院内の告知表で、一割負担で10、000円前後、
3割負担で25、000円前後から30、000円前後と明記されていたので、
私は二割負担の身であり、多くポリープがあっても20、000円で済み、
私は微笑ながら胃腸科病院を辞したのは、午後5時であった。
 
こうした中、私は一番戸惑ったのは、食事を一時的に断食することであった・・。
今回の場合は、検査の前日の夕食より、検査日の夕方まで、ほほ24時間を断食し、
検査の前日の昼食前まで、或いは検査後の夕食以降も、おかゆ、うどん、スープなどを私は食べたりしてきた。

平素の朝食は、五穀米の入ったご飯で、一汁七菜を愛食し、
夕食は鶏肉、豚肉、牛肉など大好きな私は食べていたので、大きく変貌し、
歌を忘れたカナリアのような心情となったりした。
やがて内視鏡検査(病理検査)の結果を聞くために、私は検査を受けた病院に訪れた。

まもなく大腸の内視鏡の検診をして下さった医院長より、
摘出したポリープを専門検査する処で精密検査された表を見ながら、
緊張している私に言ったりした。

『特に悪質な状態は見られないですが・・、
貴方様が心配されている癌などは・・こればかりは予見できなく、稀に発達した人もありました。
今後、血の混じった便・・或いは大腸が異常と感じられる場合、来院して下さい』
と医院長は微笑みながら、私は少しばかり安堵した。

やがて70歳以上の人の高額療養費の限度額の特権として、
一か月自己負担上限額『一般』1万2000円に基づき、私の住む調布市から、還付連絡を頂き、
いずれも樋口一葉さんのお札に満たない額を返金された。
 
 
そして昨年の秋、毎年の健康診断の『特定検診』を受診する中で、
いつもように大腸がんの検診を受け、やがて2週間後に、『異常なし』と診断された。

私は微笑みながら、大腸も70数年休みなく働いて下さっただから、
金属疲労のようなポリープが出来る場合もあったんだよなぁ・・と思い馳せたりして、
安堵を重ねたりした。

このような気弱な私が、昨年の早春に生れて初めて、大腸の内視鏡の検診を受診したこと、
思い浮かべたりして、微苦笑したりしている。
 
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<コンビニ>進化するイートイン、時代遅れの老ボーイの私は学び、やがて時代の変貌に溜息を重ねて・・。

2017-06-29 16:06:42 | ささやかな古稀からの思い

 

 昨夜、ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げ、
私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているので、
トピックス・ニュースが表示される中のひとつには、
【 <コンビニ>進化するイートイン 】と見出しがあった。

私の住む家の近くにコンビニの『セブン・イレブン』と『ファミリーマート』があるが、
少し歩いた先の食品スーパー、或いは10分ばかり歩いた食品スーパーに行くことが圧倒的に多い。

或いは駅前にあるスーパー、専門店に、15分ばかり歩いて買物に行ったりしている。

もとより働いて下さる方は多忙で、身近なコンビニ活用は理解できるが、
私は年金生活の身であるので、時間は自由となり、少し遠いスーパーでも苦にならず、歩いたりしている。

こうした中、平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求め、
買物メール老ボーイとなっている私でも、ときおりコンビニに行ったりする。
             

私は18歳の大学一年生の山歩きのワンダー・フォーゲル部に加入して、
夏季合宿以来、タバコを喫う愛煙家のひとりとなっている。

定年後の年金生活を始めると、自主的に室内禁煙と家内に宣言して、蛍族となり、
私は少しボケた脳の活性化と思い、一階のテラスとか玄関の軒下で、
携帯灰皿を持ちながらタバコを喫ったりしている。

日々の外出先では、所定の喫煙所とか人影のないベンチで喫ったりしているが、
街中とか住宅街でタバコをポイ捨てする恥知らずの御方は、
タバコを喫う資格はない、と憂いたりしている。

こうした中、タバコ臭さ、そして老人特有の口臭を老ボーイの私は気になり。
コンビニで見かけた『スピードブレスケア』を秘かに愛用している。

プチッとはじける液体ミントで、可愛らしいケースに小粒が30粒ほど入って、
特に心清らかなご婦人とお話しする時、私は事前に3粒ほど口に含み、やがて談笑したりしている。
             

こうした関係で、私はコンビニでは定期的にタバコと共に口臭剤の『スピードブレスケア』、
そして総合月刊雑誌『文藝春秋』を買い求めたり、散策の時に煎茶のペットボトルを買い求めている。

或いは私はスーパーで買物を終えて、帰宅する途中で、コンビニに寄り、
家内から依頼されたスィーツなどを買い求めたりしている。

これくらいしかコンビニを利用していない私は、今回の見出し『<コンビニ>進化するイートイン 』と表示され、
イートインって・・なんなょ・・、と買物メール老ボーイの私は気になり、こっそりと読んでしまった。

 
この記事は、毎日新聞がネツトに配信された記事のひとつで、
『<コンビニ>進化するイートイン 「自宅以上外食未満」の今』と題された記事で、
統合デジタル取材センターの小国綾子・記者が綴られ、6月28日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・<コンビニ>進化するイートイン 「自宅以上外食未満」の今

街のコンビニに、店内で買った物を飲食できるイートインスペースが増えている。

商談、昼寝、受験勉強、デートの待ち合わせから「ちょい飲み」まで、使われ方はいろいろ。
しかも都会と地方、ビジネス街と住宅地でまったく違う進化を遂げつつある。
「自宅以上外食未満」のイートインを歩いてみると・・・。


◇「ちょい飲み」OK

「これ全部で、2人で2600円。他で飲む気にならない安さでしょ」。
常連の男性会社員(64歳)のテーブルには、焼き鳥、チキン南蛮、野菜サラダに
白菜の一夜漬けのつまみ4品と赤ワイン1本、ビール2缶が並ぶ。

つまみは、店のスタッフが温め、食べやすく切り、皿にきれいに盛りつけてくれる。
グラスは冷えている。生ビールもある。


飲酒を禁じるイートインが多い中、
ここ、ミニストップの新業態「cisca(シスカ)」は、あえて「ちょい飲みコンビニ」をうたう。

営業は午後10時まで。現在、東京都内に5店舗ある。
1号店の日本橋本町店はカウンターとテーブルの17席。

安さと手軽さが好評で、午後7時を待たずもう満席だ。
数人のグループでワインを何本も空ける客もいれば、生ビール1杯で帰っていく1人客もいる。


ミニストップは1980年創業。業界では後発だったため、
当初から全店舗に、イートインを設置し差別化を計った。

2014年開業のシスカは、他社がイートインに力を入れ始める中、
あえて「ちょい飲みOK」を掲げ、さらなる差別化を狙った形だ。


前出の男性は「スーパーやディスカウントショップで酒を買い、
家で飲む方が安いけれど、居酒屋よりは、ここが安い。
家と居酒屋の『中間地点』かな」。つまり「自宅以上居酒屋未満」ってわけ。


せっかくなので、私も飲んでいくことにした。
クラフトビール1缶と、肉売り場でソーセージ3本。
ソーセージは温め、切り、盛ってもらって、ビールは冷えたグラスに。
これで500円でおつりが。なんかうれしい。


「今夜は満席かあ。次は予約してきまーす」。
店をのぞきこんだ5人グループが、そう言うと帰っていく。
予約できるコンビニ、って初めてかも。



◇都心では商談も


今、コンビニ各社がイートイン拡充に、力を入れている。

ファミリーマートとローソンは、事情が許す限り、新規出店の全店舗に導入する方針。
セブンイレブンは「最初にイートインありきではない」と前置きながらも、
「お客様のニーズがあれば導入していく」。

大手3社の全国約5万店舗中、既に3割近い店にイートインがある計算だ。


ところでコンビニのイートイン、立地によって使われ方や雰囲気が全然違う。

まずは都心。東京・赤坂のファミリーマート日枝神社前店は、
2階建ての2階フロア全部が、イートインスペースだ。
2人席を中心に席は37人分。見た目は、もはやカフェである。


平日午後に訪ねれば、一人でランチ、一人で昼寝、一人で仕事、一人でスマホ・・・
客のほとんどが「お一人様」。

半分は女性。無料の電源コンセントや無線LANが使えるので、仕事をする人も多い。
会社員風の男性2人がやって来るなり、名刺交換を始めた。
100円コーヒー片手に商談か。

スーツ姿の男性が現れ、ノートパソコンを開いて、
一人で仕事中の女性に「◯◯さんですか?」。
こちらもコンビニで仕事の打ち合わせらしい。


商談の隣では、若い女性がテーブルにカバンを置き、その陰に隠れるように寝息を立てている。

商談と昼寝が隣り合わせる昼下がり。
お互いのことに構わないのがルールみたいだ。



◇寝やすいですか?


都会では、昼下がりのカウンター席には、たいてい昼寝客がいる。
女性が3人並んで寝ていたり、求人雑誌を枕に男性が3時間寝ていたりするのを見たこともある。


コンビニって、そんなに寝やすいですか?
勇気を出して聞いてみた。

20代の女性は「だって男性は、職場や喫茶店でも寝られるけど、女性には無理。
でも、コンビニでは、なぜか周囲の目が気にならないんです。
知り合いがいないし、1人でいても変じゃない場所だからかな」


イートインのカウンター席の間隔は、せいぜい70センチ。
男性トイレの小便器の快適な間隔は、ひじを広げられる75~90センチというから、
それより狭いくらいだ。

それなのに人々は、まるで個室にいるかのように、周囲を気にせずくつろいでいる。


繁華街の別の店では、デートの待ち合わせに使うカップルや、
「予備校の自習室より落ち着く」と勉強する浪人生も見た。


たいていの店は、飲酒や喫煙のほか、飲食品の持ち込みを禁じているが、
持ち込み禁止の表示のない店舗では、小さな紙パックの野菜ジュースを一つだけ買って、
堂々と持参した大きな保温式弁当箱を広げる若い男性を見たこともある。

のんびりスマートホンをながめながら弁当を食べる男性の隣で、
思わずそっと弁当箱をのぞき込んだら、おいしそうな卵焼きや唐揚げが並んでいたのだった。



◇小学生からお年寄りまで


東京から電車とバスで2時間近く。埼玉県日高市の広大な団地の中に、
ファミリーマート飯能日高団地店はある。

2014年開店の店には、ソファなど4人掛け中心に22席のイートインがあり、
一見ファミリーレストラン風。

平日午後2時前、30代の女性3人が、アイスコーヒーで談笑中。
幼稚園バスのお迎え前の井戸端会議だという。


「ほかにも近所の自治会の会合でも、よく利用します。
誰かの家を訪ねるより気楽ですから」。
まるで公民館かコミュニティーセンターのようだ。


午後3時ごろ、小学6年生の女の子が2人がやってきて、ソファ席でおにぎりをむしゃむしゃ。
「コンビニに行く、と言ってママからお金をもらった」という。

「4年の時に、この店ができて以来ずーっと来てる。週2回ぐらい。
友だちとおしゃべりするの。宿題することもあるよ」。

物騒な世の中だから、母親だって我が子が公園で遊ぶより、
コンビニ店内にいてくれた方が、ずっと安心なのかも。


夕方は、散歩帰りのリタイア組男性が、ちらほら。
1人客だが、近所の知り合いを見つけると、話しかけたりもするみたい。

近所に暮らす従業員女性(66歳)が、1日の風景を教えてくれた。
「朝は、夫婦や親子がここで食事し、出勤・通学する姿を見ます。
お昼は近所のお母さんたちが待ち合わせて、思い思いのコンビニ弁当を買ってランチ。
夜になるとペットボトルの飲み物1本で黙々と受験勉強している高校生も」。

ここで食べれば、ゴミも出ないし、食器洗いもいらない、と老夫婦が夕飯を食べていくこともある。


昼寝する人を見かけませんねえ、と尋ねたら、女性従業員に大笑いされた。
「そりゃ、ご近所の目がありますからね」



◇雑誌売り場→イートイン


なぜ都心と地方で、こんなにも違うのか。

ファミリーマート広報室の津瀬暁子さんは
「地方では都心と違うサービスをしないと、シニア層や女性客を引きつけられない」という。

「ソファ席を増やしたり、キッズスペースを設けたり、コミュニティーの拠点になる場所を目指しています」とも。


各社が貴重な売り場面積を削ってまで、イートインを導入するのは、
集客率アップや「ついで買い」効果が期待されるから。
「女性・シニア層の来店動機にも結びつくようです」と津瀬さんは説明する。


コンビニの、道路に面したガラス張りのスペースは、
かつて、立ち読み客のにぎわいを外に見せるための雑誌置き場だった。

今は次々にこのスペースが、イートインのカウンター席に変わりつつある。
食事を取る女性客が外から見えることが、女性客やより幅広い年齢層の客の入りやすさにつながるからという。



◇糖質制限ダイエットにも


健康志向のイメージで、女性にも人気の「ナチュラルローソン」のとある店舗では、
週5回、平日は毎日そこで昼食を食べる、という女性(25歳)にも会った。


「普通の飲食店で外食すると、炭水化物中心のメニューが多いし、1人で入りにくい。
コンビニは入りやすく、しかも、総菜だけ食べれば、炭水化物を抑えた食事ができるから。
毎日ここでも飽きません」


わかる。かくいう私自身、仕事でバタバタしていて、昼食を食べ損なった昼下がりは、
会社1階のコンビニのイートインに向かう。
たいてい、野菜ジュースと海草サラダと野菜の煮付け・・・。


コンビニのイートインは、「糖質制限ダイエット」にも格好の場所なのだ。

コンビニが素材になる小説や漫画が増えている。
昨年はコンビニでアルバイトをしている女性を主人公にした小説「コンビニ人間」(著・村田沙耶香さん)が芥川賞を受賞した。


月刊少年マガジンに連載されている「コンビニお嬢さま」は、
京都市の漫画家、松本明澄(あすむ)さんの初連載作品だ。
主人公は深窓のお嬢様。しつけが厳しくコンビニでの買い食いを許してもらえないが、本人はコンビニが大好き。

それでこっそり買い物しては、家に持ち帰り、自宅でアレンジ料理を試みる、というコンビニグルメ漫画。
例えば、コンビニで買った茶わん蒸しとサケおにぎりを土鍋で煮れば、絶妙な味の雑炊のできあがり・・・という具合だ。


松本さん自身、「イートインはよく利用します。
外で1人で食べ歩きするのは、人目を気にしてしまうタイプなので、
店内でゆっくり食べられるスペースはありがたい。電源完備の所が多くて便利ですね」。

同作品にイートインの場面は登場しないが
「買い食いを禁じられている主人公の夢の一つは、買ったものをすぐにイートインで食べること」(松本さん)だとか。
少年誌の連載ながら、女性読者の方が多いという。



◇「ながら食べ」の受け皿に?


20年間、食卓と家族の研究を続けてきた岩村暢子・日本能率協会総合研究所客員研究員は
「コンビニが一般家庭の食卓の一端をすでに担っているとまでは、言えないと思います」と前置きしつつも、
「ここ数年は、レストランでも自宅でもない場所で、食事をする人が増えている」と指摘する。


「会社の自席でパソコンを見ながら、移動の車中で、時には歩きながら。
忙しかったり、家庭で食事が用意されなかったりして、移動の途中で、食べる人々が増えているんです」。


家族が違うものを、違う時間に違う場所で、食べる傾向も進む。
しかも、日によって家族の予定もばらばらだ。

「夕飯に皆で、つつく卓上料理や出来たての料理を用意する家庭が減っている。
朝ご飯はもはや『家で食べるもの』ではない。家庭で用意するには、効率が悪いからです。
しかも、食事だけのために時間を使わない『ながら食べ』も増えている」と岩村さん。

コンビニのイートインの増加について、
「移動途中で食べる層や『ながら』食べの受け皿になっている可能性が十分にあります」と語る。


そういえば、コンビニで食事する人々のほとんどが、スマートホンをいじっていたっけ。

コンビニのイートインをのぞき見れば、その街と人々の暮らしが見えてくる。・・》
 
私は民間会社中小業で、1970年(昭和45年)の春より、
定年退職した2004年(平成16年)の秋まで、サラリーマン生活をした身である。

今回の記事を読みながら、幾たびも時代の変貌に溜息をさせられたりした。
 
私たち夫婦は、無念ながら子供に恵まれなかったが、
我が家で食事は、私が深夜まで奮戦したり、ときには徹夜になった時もあったが、
平常時の時は、朝食、夕食を家内と共に頂いていた。

そして勤務中の昼食時は、付近にある食事処、
或いは会社に配達して下さる日替わり弁当などを私は職場の友と食べたりしていた。
やがて昼食後は、職場の友と、付近にある喫茶店でコーヒーなどを飲みながら、
談笑したりしていた。
 
私たちが過ごしてきた昭和の時代は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、
そして家族で明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。

こうした中で、私たち年代を含め多くの先輩、後輩の男性は、
一家の主(あるじ)、或いは夫として、もとより家計の責務で奮闘して働いていた。

そして妻の多くは後方支援となり、育児、料理、掃除、洗濯、交際など専業主婦として奮戦し、
昭和妻の責務を果たしてきた。
            
やがてバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
まもなくソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変した。

そして世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などに国際競争力に敗退し、かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。
          
そして殆どの民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
やがて私は確か5年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。

私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
 
周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。

そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

或いは国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、やがて10年過ぎた平成26年には415.0万円と知ったりした。
                   
こうした過酷の中で働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、このように熾烈な状況の中で奮戦する中、
「世代間扶養」の原則に基づいて、保険料のひとつ『厚生年金』を支払って下さり、
数多くの私たちの年金生活は支えられている現実がある。

更に私は、昨今学んだことは、《・・年収700万円世帯の手取り収入は、15年前に比べて50万円も減った。・・》
こうした現実に、無力な私は、瞼(まぶた)が熱くなってしてしまった。

このような社会の変貌により、殆どの家庭は、夫、妻と共に働く時代となり、
《・・家族が違うものを、違う時間に違う場所で、食べる傾向も進む・・》時代到来に、
私は溜息を重ねて、無力な私でも憂いたりしている。
 
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高齢者が配偶者に先立たれて『高齢独身』まもなく激増する時代、私は動顛しながら学び、やがて溜息を重ねて・・。

2017-06-28 16:05:15 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン』を見ていた中、
【激増の高齢者孤独が「7割が男」という現実
        ~既婚者でも「妻が看取ってくれる」は大間違い~】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、いつの日にか、どちらかが亡くなり、遺(の)された方が、
『おひとりさま』になることは、漠然としながら私たちは話し合うこともある。

このような心情を秘めた私は、記事を精読してしまった・・。

この記事は、博報堂ソロ活動系男子研究プロジェクト・リーダーソロ男プロジェクト・リーダーの荒川 和久さんが、
寄稿された文で、『東洋経済オンライン』に6月28日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・2017年4月、国立社会保障・人口問題研究所が、
2065年までの日本の将来推計人口を公表しました。

それによると、総人口は、2065年には8808万人に減り、
65歳以上の高齢者の構成比は38.4%に上昇すると推計しています。
つまり、人口の約4割が高齢者になるわけです。


こうしたニュースは、少子化の問題と相まって世間ではいつも大きな話題となります。
もちろん高齢化社会は憂慮すべき社会的課題です。

しかし、それと同様に深刻なのは、日本のソロ社会化です。
以前、「2035年『人口の5割が独身』時代がやってくる」という記事に書きましたが、
たとえ結婚しても、離婚や死別などで、誰もがソロに戻るリスクがあるということが忘れられています。

 ■2035年には「ソロの国・ニッポン」になる

国立社会保障・人口問題研究所が2012年に出した配偶関係別人口推計をひもとくと、
2035年には有配偶男女と独身男女の比率が、ほぼ同数になるだけではなく、
高齢者男女3740万人に対して、独身者約4800万人と、独身の数のほうが上回ります。

つまり、高齢者の割合が高いだけでなく、高齢者以上に、独身者が多い国に日本はなります。
まさに「ソロの国・ニッポン」になるわけです。

世帯別の推計でも、2035年には単身世帯がほぼ4割に達し、
最も多い世帯形態になることが予想されます。

「夫婦と子」というかつての標準世帯も、子どもが独立して、
新たに核家族を作れば、高齢の夫婦だけの世帯へと戻ります。

そして、熟年離婚は増加しており、仮に添い遂げたとしても、
最終的には配偶者のどちらかの死によって、すべてが高齢単身世帯に帰結していくのです。



■47都道府県別に見る「高齢独身者」の実態


離別・死別を含むこうした高齢独身率については、生涯未婚率や若年層の未婚率が注目される一方で、
あまり触れられてきていません。

そこで、2015年の国勢調査を基に、都道府県別の高齢(65歳以上)独身者の実態を見てみましょう。

男女とも高齢独身率が高いエリアは、青森を別格とすれば、
鹿児島、高知、長崎、福岡などの九州地方に集中しています。

興味深いのは、「未婚男が割を食う『バツあり男』の再婚事情」という記事で、
再婚数の上昇率ランキング1位だった滋賀県が、
この高齢独身率では男女そろって下位に来ているということです。


■20の都道府県で女性の独身率が5割超え

しかし、何より驚愕するのは、女性全体の高齢独身率の高さではないでしょうか。
トップの青森55.10%を筆頭に、50%を超える県が20もあります。
全国平均でさえ49%に近い数字です。

もはや高齢女性の半分は、ソロになるというわけです。


2035年の将来推計人口でも、高齢独身女性は約1200万人に対し、
高齢独身男性は半分以下の約500万人であることからも、
長寿の女性は、それだけ人生の終末に、ソロに戻る確率が高くなります。

だからといって、既婚男性も安心は、できません。
「妻が最後を看取ってくれる」というわけではないのです。

独身の内訳構成比を見ると、女性は未婚9%、死別80%、離別11%と、
圧倒的に死別が多いのですが、
男性も未婚27%、死別51%、離別22%と離別・死別によるソロ率が7割以上を占めているのです。


いつまでも結婚しようとしないソロモンに対して、
「結婚しないと、孤独死するぞ」という言い方をする既婚者が、いまだに多くいます。

ただ、正しくは「結婚したとしても、孤独死になる可能性はある」ということを認識すべきです。



たとえ子がいても、同居するとは限りません。
結婚して子どもを産み育て、家族という共同体を作れば安心・安定だった時代は、
残念ながら過ぎ去りました。

言うまでもなく、結婚や家族それ自体を否定するわけではありません。
が、ソロに戻るリスクは、全員にあるのです。

「孤独死」とは、一般的には、「一人暮らしの人が自宅で、
自殺や他殺以外によって、誰にも看取られずに亡くなる」こととされ、
親族がいる場合でも、死亡時に誰もそばにおらず、一人で死亡した場合を指します。

しかし、実は、「孤独死」に対して法的に明確な定義はなく、
警察庁の死因統計上では、変死に分類されています。

その名称も「孤独死」のほか、「孤立死」や「独居死」などまちまちです。
そのため、「孤独死」を明確に定義づけた国としての統計は存在しません。

ここでは、東京都福祉保健局が発表している
「東京都監察医務院で取り扱った自宅住居で亡くなった単身世帯の者の統計(異常死数)」

「東京都23 区における孤独死統計(平成15~19年)世帯分類別異状死統計調査」
東京都監察医務院編2011年]を参考に、その実情を把握していきたいと思います。
なお、対象範囲は東京23区内のみ、単身世帯の実績だけを抽出しています。

 ■孤独死は男性が女性の2倍

これによると、直近2015年の実績では、男性3292件、女性1398件。
12年前の2003年実績では、男性1985件、女性876件でしたから、
男女ともに約1.6倍に増えています。

また、男女比は、男性の構成比がつねに、およそ7割近くを占め、
圧倒的に男性が多いことがわかります。


年代別に見ると、2015年実績では、65歳以上の高齢者の比率が男性で6割、
女性では8割を占めており、やはり高齢者の「孤独死」が多いことは事実です。

2003年と比較すると、男性では60歳以上、女性では70代後半以上の発生件数が
大幅に増加していることがわかります。

東京都の例でいえば、死後半月以上発見されなかった「孤独死」が、
女性に比べて、男性は2倍近くあります(男性23%、女性12%)。

いかに男性が「人とのつながり」を失っているかがわかります。
むしろ、こうした「人とのつながり」を遮断した時点から、
人は「孤独死」への道を突き進んでいると言えるのかもしれません。


当然、経済的な貧困問題もあるでしょうが、決してそれだけではありません。
物理的な「孤独」が問題なのではなく、心理的な「孤立」こそが問題です。

そういう意味では、個人的には「孤独死」というより
「孤立死」という呼称のほうがふさわしいと考えます。

心理的に「孤立」してしまうことは、例えその時点で身体は生きていたとしても、
心はすでに死んでしまっているのです。




ただでさえ、男性は定年退職などで長年勤め上げた職場を離れると
「人とのつながり」を失いがちです。

そんな中、妻だけに依存してきた夫が、その後、万が一妻と死別や離別してしまうと、
虚無感に支配され、引きこもってしまうことも多いのです。

普通の日常生活を営もうとする意欲や生活能力を喪失し、
自己の健康・安全を損なうことを「セルフネグレクト」といいます。

内閣府が2011年にまとめた調査では、
そんな状態にある高齢者は、全国で推計1万人以上いるとされています
(内閣府経済社会総合研究所「セルフネグレクト状態にある高齢者に関する調査」)。

行政や自治体、地域などでは、見守り活動など各種支援を展開してはいますが、
そうした「周囲の支援をかたくなに拒否する」という例も多いと聞きます。
誰かに頼るということが、できなくなっているのです。


ゴミだらけの部屋の中で、死後腐敗した状態で発見される人の中には、
部屋の中に「自分を管理する」など自己を律する張り紙があることも珍しくありません。
本人はその状態を脱しようという意思があるのです。

しかし、問題は、すべてを自分だけで、なんとかしようという別の意思が、
皮肉にも本人を追い込んでしまうのです。

ただでさえ、男は誰かに頼ることを恥だと思いがちです。
愚痴や泣き事を言うだけでも、いいのです。
誰かとのつながりを遮断してはいけません。

■自立心は「頼れる先を複数用意」して生まれる

誰にも頼らず生きることは、決して自立ではありません。
自立心は、誰の力もいっさい頼らないことではなく、
頼れる依存先を複数用意できることで生まれるもので、
依存先が1つしかないという状況のほうこそ、憂うべきなんです。

拙著『超ソロ社会』で書いた「ソロで生きる力」も、
まさにそうした選択可能な依存先を用意できるよう「人とつながる」ことが
大切であるとしています。


人は皆死にます。どういうふうに死ぬかはわかりません。
重要なのは、「どう死ぬか」ではなく「どう生きるか」のほうです。

未婚も既婚も関係ありません。
誰もがソロになるという認識と覚悟を抱いて、
若いうちから生きるうえでの自分のネットワークをつくり続けていくことが必要です。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた。

そして私は、いつの日にか私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身であり、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしてきている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。

その後、四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された家内は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。

こうした中で、家内には自宅を処分して、マンションの小さな部屋を買い求めて、
生きがいとして趣味を強くして、老後を過ごして欲しい、と私は幾たびも言ったりしてきた。

 
そして我が家は、ここ数年、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、
家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしたりしている。

こうした時、年に数回ぐらい、この世は予測できないことも多々あり、
まさかの出来事で、家内に先立たれることも考えられるので、
私が『おひとりさま』になってしまうことを思案する時もある。

しかしながら、この世は予期せぬことがあり、家内に先立たれて、
私は『おひとりさま』になってしまうこともある。

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、愛惜感もあり、苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。

やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。
 
                                                             

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                                             
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。

こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。

         

或いは私が心も身も溌剌であった時は、古惚けた我が家で住むことも思案したりする。

過日、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私は聴こえてきた・・。

やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・ああした地域福祉センターで、
私は定期便のように通うと思うょ・・』
と私は家内に言ったりした。

私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。

            

私は音楽業界のあるレコード会社に勤め、定年退職の5年半前、リストラ烈風の中、
各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流センターに出向となり、
センター長をはじめ私も含めて5人の正社員の基で、パート女性30代~40代が多い130名前後、
そして契約社員、アルバイトの男性20代が多い10名前後の職場に勤めたりした。

こうした中で休息時間、或いは懇親会などで談笑を重ねて、多々学び、貴重な体験をしてきたので、
数多い人の中でも、公明正大に談笑ができるタイプてもある。

もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。
            

私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。

そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、やがて同世代の女性からでも、
XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。

この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。

やがて帰宅後は、この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物した後、
自宅付近の遊歩道、公園を散策する。

その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。

このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
心身のバランスが保てる、と微笑んだりしている。

                        

今回の記事を読み多々教示され、私は『おひとりさま』になってしまった時、思案を重ねたが、
こればかりは、
その時になって動顛しながら、戸惑いながら実感されことだよねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

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帯津良一さん、幸福は人生の後半で「老いの幸せ」、私は学びながら、瞬時に魅了されて・・。

2017-06-27 16:30:39 | ささやかな古稀からの思い

             

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】を見ている中、
【 幸福は人生の後半に? 帯津良一が「老いの幸せ」説く 】と見出しを見てしまった。

私は過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。

《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。
                                                

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》
                                   

このような深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動に注視して、信愛を重ねている。


このような心情のある私は、今回記事を読んだりした・・。

         
この記事の原文は『週刊朝日』の 2017年6月30日号に掲載された記事のひとつであり、
朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】に2017年6月27日に配信されて、
無断ながら転載させて頂く。

《・・西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、
人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。
帯津氏が、貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。

*  *  *
【貝原益軒 養生訓】
老後は、わかき時より、月日の早き事、
十ばいなれば、(中略)余日(よじつ)を楽(たのし)み、いかりなく、
慾すくなくして、残躯(ざんく)をやしなふべし。
(巻第八の4)

残躯(ざんく)とは、老いぼれて、生き残ったからだのこと。

伊達政宗(1567年~1636年)の晩年の五言絶句に、
「残躯天所赦(残躯は天の赦[ゆる]す所)」
というものがあります。

老後は、天も赦してくれるだろうという意味です。

益軒は老後について
「わかき時より、月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、
一月を一年とし、喜楽して、あだに日をくらすべからず。
つねに時日をおしむべし」(巻第八の4)と説いています。

年老いてからの時間を無駄にするなというのです。

85歳(数え年)まで生きた益軒は、老境を十分に楽しみました。
酒をこよなく愛し、22歳も若い愛妻と添いとげ、晩年になって200冊もの著作をものにしたのですから、大したものです。

「老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。
老後の一日、千金にあたるべし」(同)をまさに実践しました。

益軒は、幸福は人生の後半にあるという考えの持ち主で、
「余日を楽み、残躯をやしなふべし」と語ります。



私事にわたって恐縮ですが、私も今年、満81歳になりました。
幸い現役の医者として仕事を続け、残躯という余裕はないのですが、
老境の素晴らしさというものを感じるようになってきたのは間違いありません。

振り返ってみると、60代になって1年余りが過ぎた頃、
「なんといい時代だろう。60代こそ、人生の華だ」としみじみ思いました。

知力、体力ともに衰えず、酒量も落ちない。
仕事も思い通りこなせて、その上に急に女性にもてるようになったのです。なぜかはわかりません。

でも以前、対談した筒井康隆さん(当時76歳)も
「今が一番もてる」と話していました。
もてるようになって、こちらも急に女好きになりました。これぞ、わが世の春です。

70代になって、他人(ひと)の名前が、急に出なくなることが多くなりましたが、
それを除けば、ほかのことは、ほとんど変わりませんでした。

そして、いまや80代。その風光やいかにといったところです。
60代が人生の華だと思いましたが、70代もなってみると、いいものなのです。
そして、80代になってみたら、これが、またいいんですね。

もちろん、そのためには、備えも怠ってはいけません。
養生訓の研究家である立川昭二先生によると、
老いても豊かに生きるためには、「一に生活費、二に健康、三に生きがい」が必要だということです。
蓋(けだ)し名言ですね。

益軒はこう語ります。

「年老(おい)ては、わが心の楽(たのしみ)の外、万端、心にさしはさむべからず。
時にしたがひ、自(みずから)楽しむべし。
自(みずから)楽むは、世俗の楽(たのしみ)に非(あら)ず。

只、心にもとよりある楽を楽しみ、胸中に一物一時のわづらひなく、
天地四時、山川の好景(こうけい)、草木の欣栄(きんえい)、是又、楽しむべし」(巻第八の23)

年老いたら、自分の本来の心の楽しみだけに専念して、
四季や山川の景色、草木の繁るのを楽しめというのです。
そういう老後を、迎えたいものです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始め、早や13年生となっている・・。
            
             
    
私は無念ながらイギリスの湖水地方には訪れたことはないが、確か20年前の頃、
NHKのBSに於いて、湖水地方について連続番組を視聴し、少しだけ情景は学んだりした。

そして肝要のイギリスを代表するワーズワースには、何かと海外文学に苦手な私は、
詩にも素養がなく、恥ずかしながら無知なひとりである。

たったひとつ記憶しているは、私が高校2年生の下校時、映画館に立ち寄って観た作品からであった。

エリア・カザン監督の『草原の輝き』(1961年)で、ナタリー・ウッドが扮する高校女学生が、
教室で詩を朗読するシーンであった。

草原の輝き
花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘めたる
力を見出すべし

私はストリーに涙ぐみ、そしてこの詩には瞬時に魅せられ、そして二回目を見て、
字幕スーパーを薄暗い座席でノ-トに書き留めて、
詩を創られた御方が、ワーズワースと知り、私は17歳の時であった。
            
私は後年になると、ワーズワースも波乱に満ちた人生航路を歩んだと学んだが、
もとより詩に託した才能で、後世にも多くの方に敬愛されている人である。

そして私は《・・ワーズワースは、生まれ育った地で、生涯にわたってこの地を散策し続けた・・》に、
つたない私でも、瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めたのであった・・。
             

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に生を受けて、
やがて都心の高校に通学して、都心の底知れぬ魅力に圧倒的に魅了され、通勤を含めて45年ばかり彷徨(さまよ)ったが、
定年後に年金生活を始めて、私の住む3キロ範囲を歩き廻るのが、何よりも心身安らぎを得ている。
           
そしてここ8年、デパートに買物、懇親会、冠婚葬祭などで都心に出れば、
人出の多さに疲れ果て、やがて我が家の最寄駅のひとつ『成城学園前』駅に降り立つと、
何故かしら安堵している。

このような心情を秘めた私は、たとえ時代、住む国と地域、才能も天と地の差があるが、
ワーズワースさんのお気持ち・・少しは理解できますょ、と私は微苦笑を重ねたりしてきた。

そして私は、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園、住宅街を歩いたりし、
ときには45分ばかり歩くと深大寺があり、隣接した処に都立・神代植物園があり、平年以上に尋ねたりしてきた。
             

それぞれに彩(いろど)り花、花木には、改めて見惚れたりしてきた。

こうした中で、あまたの雑木が冬木立から、芽吹き、そして新緑、深緑と多彩に変貌し、
やがてあまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始める錦繍(きんしゅう)の情景となり、
私は幼年期は農家の児として育てられたので、小躍りしながら歩きまわったりした。


私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは遊歩道、公園などで、見知らぬ男性、女性でも私は話しかけたり、
ときには女性グループから話しかけられたりして、談笑を重ねたりしてきた。
               

このように私は、たまたま年男の今年を過ごしたりしてきたが、進歩なく過ごしてきたかしら、
と独り微苦笑したりしている。

やがて次の年男は84歳となるので、何かとプラス思考の私でも、健康寿命で迎えることは、
無理だろうなぁ、と溜息をしたりした。

そしていつの日にか、この世とお別れするまで、何とか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇しないように、
もとより自助努力も大切であるが、こればかりは神様か仏様の采配と思い、秘かに祈願したりしている。

今回の記事で、多々教示されて、富も名声に無縁な私でも、私なりの山川草木ように生活が継続できれば願い、
人生の後半戦、ささやかな倖せを享受している。

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毎日 ラジオ体操は 高齢者に負担、私は初めて学び、やがて微苦笑をさせられて・・。

2017-06-26 15:11:17 | ささやかな古稀からの思い

                          

昨夜、ネットでニュースを見ている中、画面の横に『科学トピックス』のニュースの見出しが掲載されていて、
何気なしに視ると【 毎日ラジオ体操 高齢者に負担 】と見出しがあった。

もとよりラジオ体操は、心身の健康を保つひとつなので、高齢者に負担なんて、
本当なの・・と思ったりした。

私はラジオ体操に関しては、小学生の夏休みに近所の学童と共に、お寺の境内に集会して、
行ったぐらいで、年金生活の今は時折思いだすように身体を動かす程度であった。

そしてやはり気になるラジオ体操であり、クリックして記事を開いたりした。

医師が警告!ラジオ体操は「膝」と「腰」を痛めます 簡単な運動、と甘く見てはいけない』と見出しが表示されたりした、
何かしら原文は『週刊現代』2017年6月24日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの『現代ビジネス』に6月24日に配信されたいた。

そして記事の最下段に関連した記事が羅列されて、この中のひとつには、
『 《図解》ラジオ体操 』と見出しがあり、無念ながらラジオ体操の動作、順序も忘れてしまったので、
クリックして、お勉強ね・・、と思いながら、長らく読んだりした。

 http://www.jp-life.japanpost.jp/aboutus/csr/radio/abt_csr_rdo_dai1.html#infoBlock1
☆かんぽ生命:公式サイト:==>『 《図解》ラジオ体操 』
                         

やがて60年ぶりにラジオ体操の復習を終えた私は、本題の記事を読み始めた。

《・・・医師が警告!ラジオ体操は「膝」と「腰」を痛めます 簡単な運動、と甘く見てはいけない

学校で、職場で、地域のイベントで・・・実に60年以上も親しまれてきた「国民的体操」。
だが「簡単な運動」と甘く見ていると、ふとした動作で思わぬ負担を身体にかけ、大ケガのもとにもなるのだ。

☆「飛ぶ」のが危ない

「毎朝6時から、夫と一緒に地域のラジオ体操に参加していました。
体操をやっている公民館までは、徒歩20分。
朝の運動として、ラジオ体操と散歩のルーティンをもう10年近く欠かさず続けていました」
こう語るのは、栃木県に住む川口恵美さん(72歳・仮名)だ。

しかし川口さんは、昨年から膝の痛みに悩まされるようになり、現在は朝の運動を控えている。

「最初はなんとなく膝が痛いな、と違和感を覚える程度でしたが、
年のせいか、と特に深刻に受け止めていませんでした。

日課のラジオ体操にも、いつもどおり通っていたんですが、だんだん膝の痛みが強くなり、
下半身を動かす体操で、きちんとできないものが増えてきてしまって・・」

さすがに様子がおかしい、と不安に感じた川口さんが、病院で診断されたのは、
変形性膝関節症。膝の軟骨がすり減り、神経を圧迫していたのだ。

骨と骨のつなぎ目には軟骨があり、そのあいだにクッションの役割を果たす半月板がある。
膝の軟骨がすり減っていくのは、加齢とともに起こる症状だ。

それが進行すると、軟骨と半月板のかみ合わせが悪くなり、半月板がバラバラになってしまう。
これが膝の関節をつなぐ側副靭帯を圧迫して痛むのだ。

ちなみに60代女性では40%、70代女性では実に70%が、変形性膝関節症であるといわれている。

実は川口さんの膝に思わぬ負担をかけ、関節痛を悪化させていた一因が、
「健康のために」と熱心に通っていたラジオ体操だったのである。
             

南新宿整形外科リハビリテーションクリニック院長の橋本三四郎氏は次のように語る。
「特に跳躍を伴うラジオ体操の動作は、膝に不安のある人には、向いていない動きといえます。
加齢によって脚部の筋肉量が落ちてくると、うまく飛べず、着地するときに、膝を深く曲げる傾向があります。
実はこのとき、膝に大きな負担がかかっているのです」

ラジオ体操第1と第2には、「両脚で飛ぶ運動」があり、
また第2には、同様に跳躍して身体を動かす「片足飛び」の動作が盛り込まれている。

膝に痛みがあったり、筋力が落ちていたりすると、ジャンプで前に転倒する恐怖心から、
実際には、膝を軽く曲げて跳躍している真似にとどめてしまいがちである。

この動作が膝や股関節といった下半身の関節可動部を痛めることに直結しているのだ。

前出・橋本氏が続ける。
「高齢者の運動障害で一番多いのは、膝です。
半月板がもろくなっている高齢者は、たとえば身体をひねっただけでも、損傷してしまうこともあります。

場合によっては、骨挫傷と呼ばれる、レントゲンやCTでは、出てこないような骨の症状が出てくることがあります」

              

☆実はかなりハードな体操

ちなみにラジオ体操のなかには、きちんと身体を使わなければ、あまり効果がない動作もある。

たとえば、体操第1の「身体を横に曲げる運動」は、
しっかりと背骨まで曲げず、肘だけを曲げて身体を傾いているようにしているだけでは、背骨を柔軟にする効果がない。

また体操第1の「身体をねじる運動」も、
腕をしっかりと振り上げることができなければ、代謝を促進することにはならない。
筋肉量が落ちたり、痛みがある部分があったりすると、ついごまかしながらやってしまいがちな動作なのである。

そもそも現在のラジオ体操第1・第2の放送がはじまったのは1951年(昭和26年)のこと。
この年の平均寿命は、男性60.8歳、女性64.9歳だった。
つまり、そもそもラジオ体操の中身は、60歳以上の人が、毎日行う前提では作られていないのだ。
             

また、60代の平均的な肥満度も、当時は男女ともに21前後だったのが、
いまは男性24、女性23程度とやや増えている。
体重が増加しているぶん、下半身への負担の程度も大きくなっている。

現在放送されているNHKのラジオ体操では、
「ラジオ体操の前に、筋肉をほぐすウォーミングアップ体操を行いましょう」と推奨している。

つまり、高齢者にとってラジオ体操は、手軽な運動ではなく、
準備体操を要求するほどハードなものと捉えたほうがいいのだ。

そして特に60歳以上の人の場合、運動する「時間帯」にも気を配ったほうがいい。
著書に『やってはいけないウォーキング』(SB新書)がある、東京都健康長寿医療センターの青冶幸利氏は、
「朝の運動は、注意するべき」と指摘する。

「朝は、脳卒中や心筋梗塞の発症率が、一番高い時間帯といわれています。
人間は眠っている間に、発汗や呼吸をすることで、かなりの量の水分を失っています。
つまり寝起きは、血中の水分量が少なくなり、血液がドロドロになっている状態なのです。

加齢とともに動脈硬化も進み、血管が詰まりやすくなっていますから、
水を飲まずに、運動をしはじめると、命取りになりかねません。
少なくとも水を飲んでから30分以上は、汗をかくような運動はしないほうがいいのです。

また朝は、まだ体温が上がりきっていないので、筋肉がこわばった状態になっています。
そのようなタイミングで無理な動きをすると、重大な疾患を引き起こすこともある、と考えたほうがいいのです」

同様に、前出・銅冶氏も早朝の運動には、リスクがあると語る。
「早朝にラジオ体操をされる方が多いと思いますが、できれば避けたほうがいいでしょう。
というのも、朝は椎間板が寝ている間に水分を含み、めいっぱい空気を入れたタイヤのように膨れた状態になっているからです。
ここで無理な動きをすると、椎間板を痛めやすくなってしまいます」
             

☆運動するなら夕方がいい

それでは、いつ運動するのが理想的なのか。
前出・青冶氏は、もし身体を動かすならば、「夕方」であるとアドバイスする。

「夕方に運動をすることによって、身体のバイオリズムを改善することができます。
適度に身体を使うことで、夜よく眠れるようになりますし、
睡眠の質がよくなれば、脳の活性化を促し、ひいては認知症の予防にまでつながるのです」

もちろん、ラジオ体操すべての動きが、身体に支障をきたすわけではない。

前出・橋本氏は次のように語る。
「もともとは、きちんと考えて作られているものですから、ラジオ体操には健康上のメリットも当然あります。
適切な動作をすることで、血圧や血行を改善したり、仲間と運動することで爽快感を得ることもできる。

ただ、立ってするのが危なければ、座ってやる、
肩が上がらなければ、痛みが出ないところまで、と自分の限界を知っていくことが大切です」

そのようなことを考慮してか、1999年からNHKで放映が開始された「みんなの体操」は、
運動量がラジオ体操よりも少なく、また立った状態で行うものと、座って行うものと2通りの方法がある。
より身体の負担に配慮したメニューになっているのだ。

「高齢者の方が、一度膝や腰を痛めてしまうと、急に行動量が減り、
運動で血圧や血糖値をコントロールすることが難しくなってしまいます。

昨今の健康ブームによって、筋力トレーニングや長時間のウォーキングに挑む人もいますが、
『健康のため』と思ってやっていると逆効果になる。

万人に合うような体操や運動というものはありませんから、
身体が動けなくなるような部位に関しては、特に気をつけてほしいと思います」(前出・青冶氏)

いくつになっても同じ運動が、身体のためになるとは限らない。
加齢とともに自分に合った動きをよく見極めるのが肝心だ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
                          

私は年金生活の72歳の身であるが、定年した60歳より多々の理由で年金生活を始め、

自主的に平素の買物担当となった私は、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
             
帰宅後、やがて独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりしている。
             

こうした中で、昨年の熱い時節になると、私の容姿として制服のようになった半袖のスポーツシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしてきた。
         
しかしながら燦々と陽射しが照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落ちる・・。
          
やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。
                          

そしてコンビニなどで、ベットボトルの煎茶を買い求めて、
小公園にある大きな樹の下で、水分補給をしながら休憩をしたりしている。
                       
しかしながら35度前後の猛暑の時は、最寄駅から利便性ある路線バスに乗車して、
バス車内のエアコン冷風に甘えて、甘享したりしてきた。

或いは猛暑の時の散策は、自宅の近くにある遊歩道を少しばかり歩く程度となっていた。

こうした根底には、熱中症で倒れて、目覚めたら病院のベッドだったことは困苦するので、回避してきた・・。
             

             
このような軟弱な私は、今回の記事で、《・・高齢者にとってラジオ体操は、手軽な運動ではなく、
準備体操を要求するほどハードな運動・・》など多々教示された。

そして私は72歳の体力の衰えた身であり、無理は禁物だなぁ、と微苦笑したりした。

せめて殆ど毎日、歩くだけは実践している。

もとより健康でなければ、私でも日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

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60歳から74歳の15年間は、「黄金の15年」、そして75歳からは悠々自適、私は教示され、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-06-25 15:53:06 | ささやかな古稀からの思い

先程、私は愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ている中、
【 定年後の自由時間「立ち往生」しない方法 】と見出しを見たりした。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、予測した以上に安楽な生活を過ごしている。

人それぞれ定年後の軌跡は、私の友人、知人でも
差異があるが、
やはり定年後の自由時間には、私なりに関心があり、記事を精読してしまった。

この記事の原文は、人事コンサルタントをされている楠木新(くすのき・あらた)さんが、
『定年後-50歳からの生き方、終わり方』(中公新書)を上梓されて、
の中の一部を『人生は後半戦が勝負』と題して『プレジデントオンライン』に連載されている中、
今回の『定年後の自由時間「立ち往生」しない方法』は、 2017年6月3日に配信されていた。

無断
ながら転載させて頂く。

・・定年後の自由時間「立ち往生」しない方法~75歳までの「黄金の15年」~

☆会社人生には、前半戦と後半戦がある

定年になった時点から眺めてみると、
長い会社人生を同じペースや、同じ心情では走り通せないことがよく分かる。

もし自らの会社員生活を直線的な上昇イメージの連続でとらえようとすれば、
いずれ自分の老いや死の現実にたじろがざるを得なくなってしまう。

そういう意味では、年代に応じた見方が必要になってくる。
今回、『定年後―50歳からの生き方、終わり方』(中公新書)を書くに際しても、人生のライフサイクルの変化にポイントを置いた。

「定年後」を見る前に、その前段階の会社員時代の検討から始めてみよう。
定年後は在職中からすでに始まっているからだ。

会社員が越えるべき通過儀礼から見るとおおまかには2つの段階から成り立っている。
入社してから組織での仕事を通じて、成長・自立していく段階と、
組織での仕事に一定のめどがついてから自分の今後の在り方を考える時期の2つである。

前者は、仕事仲間や顧客に役立つ自分をどう作り上げていくかということが課題である。
一言でいえば、「一人前になる」ということだ。

一方、後者は、老いることや死ぬことも意識して組織との距離感をどのように測っていくのかがポイントになる。

会社員へのインタビューを繰り返していると、会社組織に適応している社員でも
40歳を過ぎたあたりから仕事中心の働き方の一面性に疑問を感じ始める人が多い。
このあたりに2つの段階の境目がある。

40歳は会社員生活の折り返し地点であると同時に、人生80年の中間地点でもあるというのが興味深い。
そういう意味では会社員の人生は前半戦と後半戦に分かれる。

昇進や専門性の向上に力を入れて一定のポジションを確保しても、
それと同じやり方では「定年後」も含めた人生80年を乗り切れないと多くの会社員が感じている。

若いときには「収入を増やそう」「技能を高めよう」「家も建てよう」「役職も上がっていこう」
というように成長していく気分が強い。

しかしそれをそのまま延長できないことは、誰もがなんとなくわかっている。
そして生活が安定して家を取得したりすると、気持ちがふと心の方に向かう。

今まで自分を支えてきたものが、今度は重荷になってくるのだ。
くわえて組織の中で長く働いていると飽きるということもある。
この会社員人生の後半戦は、長い「定年後」につながっていくのである。

ここで「定年後」の意味合いを会社員当時の労働時間との比較で勘案してみよう。

それではライフサイクル上の「定年後」をどのように把握すればよいだろうか。
よく引用されるのは平均寿命、平均余命、健康寿命などの概念である。

ある年の男女別にみた年齢別死亡率が、将来もそのまま続くと仮定して、
各年齢に達した人たちが、その後平均して何年生きられるかを示したものを平均余命(よめい)といい、
出生時、つまり0歳時の平均余命を特に平均寿命という。

「平成27年簡易生命表の概況」によると、2015年の男性の平均寿命は、80.79歳、女性は87.05歳である。
60歳時の平均余命で見れば、男性は23.55歳、女性は28.83歳になっている。

男性はおおよそ85歳近くまで、女性は90歳近くまで生きることになる。
また健康寿命という概念もある。

平均寿命のうち、健康で活動的に暮らせる期間である。
ただ平均数値をとると必ずしも標準的な層を示さない場合もある。
また寿命という年数だけでなく生活の質的な情報もほしいところである。

☆75歳までは介護なしの自立生活が可能

東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子特任教授は、
「長寿時代の科学と社会の構想」(『科学』2010年1月号)の中で、長年携わってきた全国高齢者調査の結果を紹介している。

この調査は、全国の60歳以上の男女を対象として、20数年にわたり加齢に伴う生活の変化をフォローしている。
約6000人の高齢者が対象である。

図は、お風呂に入る、電話をかける、電車やバスに乗って出かけるといったごく普通の日常生活の動作を
人や器具の助けなしでできる、
つまり自立して生活する能力が、加齢によってどう変化するかを示している。

これを見ると、男性には3つのパターン、女性には2つのパターンがあり、
総括していえば、男女とも8割を超えた人が、いわゆる後期高齢者に該当する70代半ばから、徐々に自立度が落ちてくる。

逆に言えば、大半の人は75歳近くまでは、他人の介助を受けずに自立して生活することができる。

今回の執筆をする際に話を聞いた70歳前後の人たち、ほぼ全員がこれに同意してくれた。

75歳以降の後期高齢者は、それまでとはライフステージが変わると言ってよい。
介助を受けながら生活することは、それまでの生活や仕事の形と明らかに一線が引かれるからだ。
そこでは他人の助けを借りながら、どのようにして生き生きと暮らすかの知恵が試される。

また誰もが、亡くなる直前まで元気に活動するピンピンコロリ(PPK)の最期を望むだろうが
親の世代を見ていてもそう簡単ではない。
最期の迎え方もまた違ったステージにあると言っていいだろう。

そういう意味では、「定年後」は、60歳の定年から74歳までと、75歳以降の後期高齢者の時期、
それに最期を迎える準備期間の3つに分けることが妥当である。

そして私が特に強調したいのは、60歳から74歳の15年間は、
家族の扶養義務からも解放されて、他人の介助を受けずに、自己の裁量でもって好きなように生きることができる最後で
最大のチャンスだということだ。

今回の『定年後』(中公新書)で、この期間を「黄金の15年」と名づけてみた。
悠々自適は75歳を超えた後期高齢者になってから考えればよいと私は思っている。


60歳で定年退職して、日々の睡眠、食事、入浴などの必要な生活時間を除いて考えると
自分の自由になる時間は、1日11時間程度とみていいだろう。
私の実感でもこのあたりだ。

75歳を超えると介助を受ける立場にもなるので、自由時間は半分の5.5時間、
75歳から残り10年を生きると仮定して、定年後の自由時間を計算してみる。

男性では、11時間X365日X15年(60歳から74歳まで)+5.5時間X365日X10年(75歳から84歳まで)≒8万時間になる。
女性ではそれよりももっと長い(そのうち黄金の15年は6万時間)。

一方で厚生労働省の資料で、所定内労働時間と所定外労働時間を合わせた年間の労働時間は、
1783時間(「毎月勤労統計」、事業所30人以上)。
21歳から60歳まで40年間勤めた総労働時間は、8万時間に満たないのである。

☆8万時間の自由、不自由

50代にもなると、先が短いと思っている人もいるが、
若い時から定年まで働いてきたすべての労働時間よりも、長い自由時間が待っているのである。
これほどの裁量のある時間を持つことができるのは、歴史上もなかったことだろう。
まさに「黄金の15年」なのだ。

しかし現実には、長い自由時間の中で立ち往生してしまっている人も少なくない。
使いこなすのに苦痛と感じる定年退職者もいるのである。

しかしそれを会社のセイや社会のセイにはできない。
もしそうしたとしても、そこから解決策は見いだせないだろう。

他方でイキイキしている人を見ていると、
定年後の特権は、なんといっても時間を自分のために、たっぷりと使えることだと感じる。
この両者の差はとても大きい。やはり「人生は後半戦が勝負」なのである。


黄金の15年を生かすという観点に立てば、60歳での定年時に、退職するか、
65歳までの雇用延長を選択するかは、重要なポイントになるだろう。
黄金の15年の3分の1にあたる期間を今までと同じ会社で働くかどうかの選択である。

定年後は思い切って裸一貫からでもやっていこうと思えば、雇用延長に手を挙げるという選択はないだろう。
一方で定年退職すれば孤独な日々になることが予想されるのであれば、
とりあえずは雇用延長に手を挙げておくという判断もある。
また経済的な面も考慮には入れておく必要があろう。

☆50代から「定年後」を検討せよ

個人的に気になるのは、会社での仕事を苦役だと考えている人が少なくないことだ。
その苦役な仕事をさらに5年間延ばすことは得策ではないだろう。
いずれにしても諦めずにチャレンジする気持ちは持っておきたいものだ。

それでは、定年時の選択において最も大切なことは何か。

多くのイキイキした定年退職者を見ていると、
人生の後半戦を「どのように過ごしたいか」という主体的な意思や姿勢が重要だとわかる。

そこが分岐点のような気がしている。
そう考えると、やはり50代のうちから「定年後」を検討することが求められる。

漫然と何も考えていなければ、黄金の15年をふいにしてしまうかもしれない。
せっかく生まれてきたのだから、自らの人生を大切にしたいものだ。・・》

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であり、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住んでいる。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や67年が過ぎている。

過ぎし12年半まえ、年金生活を始めた当初、
常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。


午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。


このような年金生活を過ごしているが、いつの日にかどちらがが介護の身となると思われ、
こうしたことは私たち夫婦は、漠然と人生の晩秋期を話し合う時もある。

今回の記事を読み、多々教示され、60歳から74歳の15年間は、「黄金の15年」、
そして75歳からは悠々自適・・学んだりした。

しかしながらプラス思考の私でも、これまで友人、知人が大病して、
やがて死去されたことを幾たびも体験させられ、今でも心身痛みとして心の片隅に残っている。

こうしたことを根底に秘めて、私は人生の後半戦を明るく振舞いながら、年金生活を享受している。

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「一生太らない」魔法の食べ方 基本ルール、遅ればせながら私は学び、多々教示されて、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-06-24 14:56:30 | ささやかな古稀からの思い

             

昨夜、ネットでニュースを見たりしていた中で、
右側の画面に【「一生太らない」魔法の食べ方 基本ルール 】と見出しを見てしまった。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、予測した以上に安楽な生活を過ごしている。

こうした中、定年退職した当時は、身長170センチ、体重は70キロで、サラリーマン生活を卒業したが、
ここ数年は身長170センチ、体重は76キロ前後が続いていたが、
二が月前に体重が78キロになった時もあり、溜息を重ねたりした。

もとより肥満体は糖尿病になる早道と専門家より公言されているし、
糖尿病から認知症もなることがあると学んだりし、私は認知症だけは困苦するので、
やはり私の場合は72歳の身ながら、日常生活を過ごすのは、おまけながら75キロが理想と思ったりしている。

こうした心情を秘めた私は、こっそりと『「一生太らない」魔法の食べ方 基本ルール 』の記事を読んでしまった。
                        

この記事の原文は、『日経ヘルス』の2016年6月号に掲載された記事のひとつであり、
身体にもたらす食品に精通されている大学教授3名に、白澤淳子さん、中野恵子さんが取材されて、
纏められた記事であり、関連の『日経ウーマンオンライン』に6月23日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・「なに」を「どのくらい」食べればいいの?
ダイエットでは、食事の「内容」と「量」に気をとられがち。

しかし、最近明らかになってきたのは、食事の「時間」と「順序」の重要性。
「いつ」「どう」食べるかも大切です!

「ベジタブルファーストこそ、太らないために最も重要な食べ方」というのは、
愛媛大学医学部の伊賀瀬道也特任教授と、
ダイエット支援サイト「あすけん」の管理栄養士・道江美貴子さん。

野菜から先に食べ、最後に、ご飯やパンなどの炭水化物を食べることで、
食後の血糖値の上昇をゆるやかにする“太りにくい”食べ方だ。

最近は、野菜ではなく、肉や魚を先に食べても、血糖値が上がりにくくなったという研究もあるが、
「野菜の量を減らさないために、野菜が先、と意識することが大切」(伊賀瀬特任教授)。

この食べる順序に代表されるように、「いつ」「どう」食べるかが、ダイエットに関わると注目されている。


例えば、セカンドミール効果。
「水溶性食物繊維のβ-グルカンを含む大麦やキノコ、大豆には、その食事だけにとどまらず、
次の食事の血糖値上昇を抑える効果が期待できる」と静岡大学農学部の森田達也教授。

このメカニズムから、会食などの前の食事で、工夫する、というのも手だろう。

また、食事をとる「時間」もカギだ。
国立病院機構京都医療センターの津崎こころ研究員は、
「日本人の摂取エネルギー量が減っても、肥満が減っていないのは、夕食を食べる時間の遅さが一因。
夕食が遅い人には、夕方におにぎりを、帰宅後に春雨ヌードル、または野菜とヨーグルトを薦めている」という。

食事にかける「時間」も大切だ。
「最新の研究で、食事自体をゆっくりかんで食べることこそが、食後のエネルギー消費を上げるとわかった」
と東京工業大学の林直亨教授はいう。

☆食事の「時間」

●夜遅く食べると太る原因に 【時計遺伝子】

時計遺伝子の発現の増減が、生体リズムの周期を作っていることがわかっている。
「主な時計遺伝子は4つ。

Clock、Bmal1が生体リズムの波を大きくし、Period、Cryが抑制して、バランスがとられている。
これらはエネルギー代謝にも関わっており、夜遅くに食事をすると、
Bmal1遺伝子の働きで、脂肪細胞へ脂肪がたまりやすくなるとわかっている」と津崎さん。

●時間をかけて食べればダイエットに 【スローチューイング】

同じ食品を早く食べるより、ゆっくり食べるほうが、食後の消費エネルギー(食事誘発生熱産生=DIT)が高くなる。
その効果の源は、咀嚼回数とされてきた。

しかし、食後にガムをかんでもらい咀嚼回数を増やした研究では、
DITは上がったものの、食事自体をゆっくり食べるほどは高くならなかった。
「味わって食べることが大切」(林教授)。

【ゆっくり食べれば、エネルギー消費が高まる】
12人にパスタ、ヨーグルト、オレンジジュースを食べてもらう実験。
早く食べる早食い試行(平均約5分)、よくかんで食べる遅食い試行(平均約10分)を行った。

加えて食後にガムを15分間、かむときとかまないときとを試した。
結果、遅食いのほうが、DITが高かった。
また、15分間のガム咀嚼は、食べる早さの違いを埋めるほどの効果はなかった。(データ:林教授)

 

☆食事の「順序」

●野菜を最初に食べて太りにくく 【ベジタブルファースト】

野菜⇒肉や魚⇒ご飯やパン、の順に食べる方法。
野菜を先に食べてから、たんぱく質をとり、最後に血糖値を上げやすい炭水化物を食べる。

その結果、糖の吸収を抑え、食後の血糖値の上昇を抑える。
同じ食事内容でも、順序を変えるだけで、太りにくくなる。
アンチエイジングの面でも効果的な食べ方。

●食べ過ぎる前に調整できる!? 【セカンドミール効果】

1食目に食べたものが、2食目の血糖値に影響すること。
大麦では3食目にも、その効果が及ぶことが知られている。

「全粒粉、玄米も2食目の血糖値をゆるやかにする可能性がある。
消化されない部分や、大腸で発酵する要素があるものが、セカンドミール効果につながる」と森田教授。

朝食にセカンドミール効果のある食品をとっておくと、昼食で“やせ効果”が期待できるというわけだ。

【朝の大豆菓子が昼食の血糖値を抑えた】
男女8人が、朝食に大豆菓子、米菓子、何も食べないときの3パターンを試し、
3時間後の昼食に共通の食事をした。

1食目に大豆菓子を食べた場合、ほかのときと比べ、2食目の食後の血糖値が抑えられた。・・》

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は健康診断の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。


私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。

このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

この間、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。


これ以来、食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯を半合ばかり盛ったお茶碗、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、シラス干し、福神漬けを必須として、これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを
加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。
 

昼食は私はホット・コーヒーを飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしていたが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。
しかしながら昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。

                                                               

やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など200グラム程度に、いずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

こうした中で、5日毎にウィスキーの濃い水割りを飲んだりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような食事内容が、真実一路のように変化がなく、ここ三年は変わらず続いてきた。

          
こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。
             
          
私はスポーツもしなく、これといった運動もしない老ボーイであり、日頃は歩く程度となっている。
過ぎし12年半まえ、年金生活を始めた当初、 日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
                          

こうした食事、散策をしてきたが、やはりご飯、肉類は食べ過ぎとなり、体重が増えてしまい、
ここ一か月の頃から、大幅に変わっている。

朝食のご飯は、少し減らした0.3合となり、そして昼食は、キュウリ、トマトだけとしている。
そして午後3時のおやつの時には、ヨーグルトを食べたりしている。

やがて夕食は、肉類200グラムを半減し、これ以外は従来通りに賞味してきたが、
こうした関係で、2キロばかり減少し、体重は75キロ前後となっている。

もとより健康でなければ、私でも日頃のささやかな願いも叶わないので、
これからの自立した健全な生活を継続するには、やはり体重が大切なこと、改めて思い重ねたりしてきた。

今回の記事を読み終わった後、遅ればせながら多々教示され、
特に基本として、野菜⇒肉や魚⇒ご飯やパンの順には、そうですよねぇ、
と私は微苦笑をさせられた。


そして拙(つたな)い私は、歩くこと、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
新たにセカンドライフの私なりの健康体と思いを重ねたりしている。

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ときおり体力の衰えた私でも、家内のボディガード、お供そして荷物持ちをして、早や12年半が過ぎて・・。

2017-06-23 15:48:33 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、家内と共に夕食を頂いた後、いつものように茶坊主の私は家内用のコーヒーを淹れて、
居間の食卓テーブルの前の椅子に座っている家内の片隅に置いた。

『明日、ホームセンターで色々と買いたい物がありますから、よいかしら?・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。

『了解しました・・行きましょう・・』
と私は若き自衛官に負けないように、明るく大きな声で応(おう)じたりした。

私は2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
私は自主的に買物専任者として宣言し、平素の日々の買物は、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、家内が駅前のスーパー、ホームセンター、専門店などには3週間に一度ぐらい、
或いは年に4回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急などのデパートに買物、
そして人影も少ない遊歩道を歩いた先で歯科医院で治療を受けたりする時は、
老ボーイの私は、家内のボディガード、お供そして荷物持ちをしている。

そして本日、家内と共に我が家より15分ばかり歩いた先のホームセンター『ユニディ』に、
入店した。

今回は、衣料の収納、整理として、押し入れ用の衣裳ケース、そして日用雑貨品を
買い求めることであった。

以前、このホームセンターで押し入れ用の衣裳ケースを8ケースばかり買い求めて、
何かと利便性があり、我が家としては成功体験を実感してきたので、
追加分として6ケースを買い求めことであった。

しかしながら、家内が気に行ったメーカー品がなく、
家内は落胆していたので、もう一軒のホームセンター『島忠』に行こうょ、
と私は家内に励ますように言ったりした。

この後、店内で日用雑貨品を買い求めて、いつものように我が家に配達依頼をした。


やがて路線バスに私たち夫婦は乗車して、京王線の『仙川』駅に近いホームセンター『島忠』に、
入店した後、私たちは衣裳ケース売り場に行き、幸運にも家内が好感しているメーカー品があり、
私たち夫婦は安堵した為か、疲れに気付いたりした。

まもなく2階にある食事処が集約されているフードコートの中で、
家内が『モスバーガー』があるわ、と言いながら私を誘った。

こうした店は私は苦手であったが、熱さの中を歩き廻ったり、
そしてホームセンターの2店の店内を歩き廻ったりしていた為、瞬時に妥協してしまった。

そして不馴れなメニュー表を見て、紅茶の冷やしたアイスティー、
生れて初めて『モス野菜バーガー』を賞味したりした。

家内はブレンドコーヒーとトマト&レタスと思われるバーガーを
美味しそうに食べりしていたので、私は微笑んだりした。

やがて、店内で日用雑貨品を買い求めて、我が家に配達依頼をした。

この後、スーパーの『西友』、『京王』で食料品を買物した後、やがて路線バスに乗車して帰宅したのは、
午後2時過ぎであった。

 こうして私たち夫婦は、4時間ばかり買物したが、
ホームセンターに一日で2店行ったのは初めてだったよねぇ、
と私は家内に微笑みながら言ったりした。

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“野菜”販売の最前線、買物メール老ボーイの私は、戸惑いながら学び、やがて微苦笑して・・。

2017-06-22 15:11:03 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】を見ている中、
【 スーパーもなくなる? アマゾン参戦で激化する“野菜戦争” 】と見出しを見てしまった。

私は年金生活の72歳の身であるが、定年した60歳より多々の理由で年金生活を始め、
自主的に平素の買物担当となった私は、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、スーパーの野菜コーナーで、この時節は、キャベツ、セロリ、ホウレンソウ、コマツナ、
ピーマン、タマネギ、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、トマト、キュウリ等を買い求めている。
 
今回の【 スーパーもなくなる? アマゾン参戦で激化する“野菜戦争” 】は、
のようなことなょ、と思いながら、この記事を精読してしまった。
         
この記事の原文は『週刊朝日』の2017年6月30日号日号に掲載された記事のひとつであり、
朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】に2017年6月21日に配信されて、
無断ながら転載させて頂く。

《・・生鮮野菜までネットで買えるサービス『アマゾンフレッシュ』を始めたアマゾン。
4月開始からわずか2カ月で対象地域を広げるなど、「順調に増加している」という。

驚きと警戒感が広がる流通業界。
そしてネット通販拡大で小売店はどう対抗するのか。
今、食をめぐって大きな変化が起きている。


「アマゾンは、本気で日本の市場をねらっている。
スーパーなどは店頭での品ぞろえや価格で対抗できず、厳しい戦いになる」(ネット通信販売会社の幹部)

“黒船来航”に農業関係者も注目する。東京都多摩地域で野菜をつくる50代男性はこう話す。

「本を売っているアマゾンが、野菜まで扱うなんて考えていなかった。
われわれは都心に近い利点を生かして、JAの直売所などで新鮮な野菜を販売してきた。

ネットだと買い物に出かける手間が省けるので、若い客層が取られてしまう。
『顔が見える』野菜を売ることで対抗するしかない」

ネット通販の成長で、スーパーが閉店し、店頭で野菜を買えなくなる。
こんなことが絵空事とは言えない状況が、米国ではすでに起きつつある。

『アマゾンフレッシュ』は2007年に米シアトルでサービスを始め、ニューヨークなど主要都市に広げた。
米国では自宅から遠い大型スーパーへ、車で買い物に出かける家庭が多い。
食材をまとめて自宅まで届けてくれるサービスは好評で、利用者が急増している。

あおりを受けたのが、小売り世界最大手『ウォルマート・ストアーズ』。
大型スーパーなど全米に5千超の店舗網があるが、昨年1月に154店を閉じるリストラ策を発表した。
ネット通販に顧客を奪われ、採算性の悪化が背景にある。

日本でも通販に押されて書店が減ったといわれるように、小規模な小売店は淘汰(とうた)が進む。
野菜・果実小売業の事業所数の推移をみても、個人の事業所は右肩下がり。
大型店やネット通販との戦いに敗れ、街の小さな八百屋さんは、次々と消えている。

寂しさも感じるが、小売業は競争が特に激しい。
消費者から支持されないと、生き残ることはできない。


ネット通販の分野では、国内勢も元気だ。

家電量販店のヨドバシカメラは昨年9月、都内23区などで『ヨドバシエクストリーム』サービスを始めた。
注文商品を配送料無料で、最短2時間半以内に届ける。

家電や日用品だけでなく、お菓子やインスタント食品も買える。
生鮮野菜はエクストリームサービスの対象外だが、「将来的には考えている」という。

『イオン』や『イトーヨーカドー』など大手小売業もネットスーパーを強化している。

生鮮野菜を産地から届ける宅配事業も成長分野だ。
『らでぃっしゅぼーや』(東京)は会員数が20万人弱で、この10年で2倍以上に伸びた。
売上高は約200億円で業界トップクラス。

昨年12月から利用している都内の30代の主婦は、共働きで子育て中の家庭にとって便利だという。
「3歳の娘がいて、スーパーでの買い物が大変だったので、家まで届けてくれるのがありがたい。

安くはないが、安全、安心をうたっていて、おいしいので満足。
いまはスーパーでの買い物は、ほとんどしない。
ママ友も野菜をネットで買う人が多い」



『オイシックス』(東京)は、会員数が14万人弱で、売上高は約230億円。
野菜の宅配事業の草分け的存在である『大地を守る会』(千葉市)と10月に合併する。

『オイシックス』の会員で都心に暮らす40代の夫婦は、季節感のある野菜が食べられることを評価する。
「素材にこだわろうと、利用するようになった。
月に3万円ほどかかるが、野菜の季節感を知ることは、子供にとっても勉強になる」

JA全農はネット直販サイト『JAタウン』を運営する。
野菜や果物などを扱い、2016年度の全体の売り上げは、前年度より3割増えた。
野菜の買い方が多様化するなか、「ネット通販のプラットホームを提供し、新たな販売チャネルの創出をめざしている」という。

うどんチェーン「丸亀製麺」を運営するトリドールホールディングス(神戸市)は、
子会社の『バルーン』(東京)を通じて新規参入した。
2月から有機野菜のセットなどを販売。20年3月末までに、売上高100億円をめざす。

『バルーン』の志水祐介社長はこう話す。
「食材関連の通販は、家電や書籍に比べて規模がまだ小さく、成長力がある。
『アマゾンフレッシュ』によって、ネットで食品を買うことの抵抗感が少なくなり、市場の活性化も期待できる。
外食企業として、その場で料理をつくることの臨場感や体験価値を、ネットの世界でも実現していきたい」


ネット通販は、若年層を中心に広がるが、高齢者にも便利な面がある。
足腰が弱って、買い物がおっくうになり、インスタント食品や缶詰に頼りがちな人こそ、使い出があるかもしれない。

活用術は、いろいろある。
通販は大量に買う必要があるとのイメージだが、ほとんどの会社は「にんじん1本」など、少量から注文を受け付けている。
一人暮らしでも、自分の必要な分だけを買える。
配送料がかかる場合もあるが、買い物の手間やコストを考えれば、必ずしも高くないとも言える。

ネット通販は、注文者の住所と届ける場所が、違っていても構わない。
買いたいとき、離れて住む子や孫に欲しいものを伝えて、注文してもらうこともできる。
頼むついでに、家族との会話を楽しめるかもしれない。

最近は大手だけでなく、地域のスーパーも宅配を強化している。
使い慣れたスーパーに、一度確認してみるといいだろう。
普段は店舗で買い、体調の悪いときや雨の日は届けてもらうこともできる。

『らでぃっしゅぼーや』は、70代以上の顧客も多い。
ネットを使いにくい人向けに、カタログを配り、電話注文も可能。
自社配送のため、基本的にいつも同じスタッフが届けてくれて安心だ。

野菜セットを定期的に届けるサービスも、各社が展開する。
ネットが使える人に、一度設定してもらえば、後は受け取るだけでいい。


野菜は種類が豊富で食べたことがないものもあるが、調理法はネットで紹介されている。
『オイシックス』は「20分で主菜と副菜が作れる」というレシピ付き献立キットも販売している。

ネット通販の今後の成長は間違いないが、小売店側も頑張っている。
イオンなど大手は農業に参入し、自ら野菜を育てる。
深夜営業する食品専門の小型スーパーを都市部に出して、若い世代を取り込む動きもある。

コンビニエンスストアも、野菜が買える場所になっている。
価格はスーパーよりも高めだが、必要なときにいつでも買いに行ける。

『セブン-イレブン』や『ローソン』は、ほとんどの店で野菜を扱う。
『ファミリーマート』は8割の店で扱い、一部では低価格で「特売」もする。

JA全農と連携し、農産物直売所との一体型店も全国に約50カ所ある。
24時間、地元の野菜を買える。

野菜の買い方は、一変しつつある。
消費者からすれば、ネットでも店頭でも、買いやすくなるのは、うれしいこと。
いつでもどこでも野菜を買えるのが、当たり前の時代が、訪れている。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であり、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住んでいる。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や67年が過ぎている。

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所でもある。
                             


私は民間会社の中小業のある会社で35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めたが、平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして確か翌年の2005年(平成17年)の6月初旬の頃、
トマトを買い求めた当初は、苦い失敗談があったりした。


たまたまスーパーの店内に於いて、野菜売り場の近くにトマトの販売コーナーがあり、

家内はトマトが好きであり、少し高い値段であったが何より新鮮であったので、3つばかり買い求めたりした。

帰宅後、家内に手渡すと、
『わぁ・・立派なトマト・・美味しいそうだわ・・』
と家内は微笑みながら言ったりした。

やがて家内から、値段を訊(き)かれて、私は応(こ)えた。

『でもねぇ・・高過ぎるわょ・・我が家は年金生活ですから・・程ほどにして下さい・・
貴方は幼年期の頃、農家の児だったでしょう・・トマトの見極めぐらいは解っているでしょう・・
私は長い間、程ほどの品をお廉(やす)く買い求めてきたわ・・』と私は家内から叱咤されたりした。

『XXちゃんさぁ・・専業主婦25年選手でしょう・・ボクは買物一年生だょ・・気を付けますょ』
と私は家内に抗弁したりした。

これ以来、私は野菜、果実(くだもの)は、新鮮さを見極めながら、
程ほど品を廉(やす)く買い求めたりしてきた。


我が家はネットで買物したことはない時代遅れとなっている。
ときおりスーパーで買物をして、多めになった時は我が家に配達をしてもらったりしてきた・・。

特に野菜、果実(くだもの)に関しては、スーパーの店内で、新鮮で程ほどの価格を確認して、
買い求めている。

今回の記事を読み、“野菜”販売の最前線を学び、多彩な販売方法で、
“野菜”を買い求めることが出来ると知ったりした。

しかしながら我が家では、私が歩いて買物に行けるまで、従来通り、
店内で、新鮮で程ほどの価格を確認して買い求めるだろう、と思ったりした。

やがていつの日にか、私が体力が衰えた時は、スーパーにネット注文をして、配達して頂く・・
こうしたことを思い重ねて、独り微苦笑したりしている。

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毎日”紅茶”を飲むべき、13の理由、老ボーイの私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2017-06-21 14:06:47 | ささやかな古稀からの思い

先程、ネットでニュースを見ている中で、
【毎日紅茶を飲むべき、13の理由】と見出しを見たりした。

そして私は、紅茶かょ・・、と思いながら過ぎし年に思い馳せたりした。

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
やがて父、その後に祖父が病死する1954年(昭和29年)の春まで、農家の児として育てられた。

こうした中、お茶の樹が程ほどにあり、家族、親戚で一年間を飲む為に、
毎年5月初旬に、お茶を摘み、蒸して、やがて煎茶まで作って保存して、何かと家族で愛飲していた。

やがて私が都心の高校に入学した頃から、実家では紅茶ティーバッグの日東紅茶かリプトンがあり、
ときたま私は少し砂糖を加味して飲んだりした。

この後、私が20代の後半、新宿の紀伊國屋書店の確か2階だったと記憶しているが、
紅茶専門の喫茶店があり、何かと私は愛飲したりしてきた。

この当時の私は、イギリス歴史に関心があった頃で、紅茶の歴史を少しは学び、
イギリスで古くから愛される喫茶習慣でもあるアフタヌーンティーことも知ったりしていた。

こうした中、私はひとりの女性と交際していて、
この紅茶専門の喫茶店で待ち合わせをしたりしていた。

私は母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
『紅茶はイギリスの文化のひとつです・・』
と私は好感を増した女性に言ったりした。

やがて私は失恋してしまったが、若き青年時代の苦い想いでとして、
この紅茶専門の喫茶店が心の片隅に残ったりしている。

このような紅茶にささやかな思いがあり私は、
今回の『毎日紅茶を飲むべき、13の理由』を読んだりしてしまった。

この記事の原文は、海外のサイト UK版『グッド・ハウスキーピング』で掲載されたものの翻訳版で、
世界46の国と地域で刊行されている女性誌『エル(ELLE)』連携の公式サイト【エル・オンライン】が、
6月20日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・
☆紅茶のパワーは魔法レベル!?

お酒の力を借りたい日もあるけれど、朝でも午後でも紅茶の癒し効果に頼ってみては? 
お金をかけずに手軽に一息つける紅茶には、まだまだ知られざる魅力がいっぱい。
今すぐ紅茶が飲みたくなるうれしい秘密をチェックしていこう!

☆世界のNo.1ドリンク!

「ナショナルジオグラフィック」によれば、世界中で水の次に多く飲まれているのが、紅茶なのだそう。
コーヒーが登場する3000年も前、紀元前2700年に中国で茶葉の栽培が始まった紅茶は、
全世界でコーラやビールよりも選ばれているのだ。

☆カラダが喜ぶ健康飲料

休憩時間に自販機で飲み物を買うなら、ぜひ紅茶をチョイスして。
「ダイエットドリンクではありませんが、
無糖の紅茶は、砂糖がたくさん入っているジュースや炭酸飲料と比べて、

まったく太りませんし、水分補給にもなります」
と「グッド・ハウスキーピング研究所」の管理栄養士、ジャクリン・ロンドンさん。

 
☆茶葉に宿るパワーの秘密

どうして紅茶がすごいって言われているのか知ってる? 
それは紅茶の茶葉に含まれる植物性ポリフェノールに強い抗酸化作用があるから。

「心臓病やがん、糖尿病のリスクを減らすなど、さまざまな健康効果に関連しています」とロンドンさん。
 

☆脳の老化にストップをかけて!

1日1杯の紅茶が、認知症予防に役立つ!? 
そんな研究結果が、シンガポール大学によって明らかになった。

高齢者の認知力低下が50%軽減され、遺伝的にアルツハイマーにかかりやすい人においては、
86%も軽減されたのだとか。

 
☆長寿の秘訣にも?

2014年の研究では、紅茶が人間の寿命を延ばす可能性があることがわかったそう。
「ヨーロッパ心臓病学会」によると、紅茶を飲むことで
心臓マヒや脳卒中といった心血管疾患以外の死亡率を低下させる効果が期待できるという。

紅茶を飲む人は、そもそも健康的なライフスタイルを送っている人が多く、
「コーヒーを飲む人はもちろん、どちらも飲まないという人にも、ぜひ紅茶を飲んでほしい」
と研究者は提言している。

 
☆読書タイムには、紅茶が欠かせない!

リラックスした読書タイムには、濃い目の紅茶がぴったり。
「グッド・ハウスキーピング研究所」では、ティーバッグではなく、高級茶葉を使うのをすすめている。
茶葉を湿らせるようにお湯を注ぐことでおいしさがアップし、抗酸化物質も増えるそう。

 
☆鼻風邪にはカモミールティーを

「アメリカ化学会」の調査によれば、軽度の体調不良には、ハーブティーが効果的だそう。
風邪薬もあるに越したことはないけれど、政府が支援するその他の研究でも、
フラワー系の飲み物が、免疫力を高めてくれることがわかっている。

 
☆緑茶で記憶力アップ

人間の脳には、緑茶がいい・・・。
昔からたびたび言われていることだけれど、2014年のスイスの研究によって、
緑茶には意思決定や論理的思考をつかさどる脳の機能を強化する働きがあることが明らかになったそうだ。

 
☆おしゃれな紅茶缶を再利用

デザイン性に優れた、おしゃれな紅茶の空き缶を捨てられなくなる人って多いはず。
使ったあとは花瓶にしたり、手作りキャンドルのホルダーにしたり、使い道はいろいろ。
飲めばヘルシーになって、お花も活けられるなんて、紅茶ってすばらしい!

 
☆言うまでもないけれどやっぱりカフェイン

月曜の朝は、カフェインなしでは始まらない。
「ジョン・ホプキンズ大学」と女性の健康イニシアチブ「WHI」の専門家によると、
カフェインには、覚醒作用以外にも、脳の働きを高める効果があるそう。

だからといって、エナジードリンク代わりに、がぶ飲みするのはNG!

 
☆歯の健康を保つ

緑茶に含まれる抗酸化物質には、歯と歯茎の両方を健全に保つ効果があることが、
歯周病学雑誌の2009年の研究でわかっている。

総合歯科の2006年の研究でも、歯を蝕むのは、炭酸飲料やオレンジジュースで、
緑茶や紅茶では、そのような害は見られなかったという。

 
☆ハイビスカスティーで血圧を下げる

高血圧の予備軍や中程度の高血圧で悩む人は、真っ赤なハイビスカスティーを飲むと良いことが、
アメリカ農務省の研究で明らかに! 

アメリカ疾病予防管理センターによると、
成人の3人に1人がこの危険ゾーンに入っているそうなので、今すぐ飲み始めて!

 
☆お菓子を焼きたくなる

アフタヌーンティーには、シンプルに焼き立てスコーンが食べたくなるけけれど
(本場イギリス流なら、クロテッド・クリームを添えて!)、
せっかくだから紅茶風味のパンを焼いて、ティーペアリングを楽しんでみない?・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

こうした中、飲み物に関しては、私は煎茶を一日中、ときおりコーヒーを愛飲し、
家内はコーヒーを一日中、ときおり煎茶を愛飲している。

そして家内は専業主婦の延長戦として、相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれている。
私は買物メール老ボーイとして、殆ど毎日のように、
日常の買物に関しては家内から依頼された品を買い求めている程度である。

こうした事情で、私はせめてと思いながら、家内がコーヒー、煎茶を飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

私は都心で、青年時代のコンピュータ専門学校、そしてサラリーマン時代の懇親会の時は、
少し早めに出かけることが多い。

こうした時は、街中の喫茶店とかホテルのロピーに近い喫茶コーナーで、
殆ど紅茶を飲んだりしている。

或いは家内と共に、国内旅行で観光ホテルなどで滞在旅行を幾たびか重ねてきた。
こうした朝食の時は、バイキング形式が多く、食事が終わった後は、
家内はコーヒー、私は殆ど紅茶を愛飲している。

平素の日常生活は、煎茶ときおりコーヒーを飲んでいる私は、
ときには特有な香(かぐわ)しい紅茶も良いかなぁ、と飲んだりしている。

今回の『毎日紅茶を飲むべき、13の理由』を読み終わった後、多々教示されながら、
私が思っていた以上に、身体にも心にも効果がある、と微笑んだりした。

そして今後、スーパーに買物に行った時、紅茶の手軽なティーバッグを買い求めようかしら、
独り微笑んだりした。

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頭を打った時、救急車は必要? 4時間内の意識悪化や嘔吐に注意、高齢者の私は多々教示されて・・。

2017-06-20 15:10:05 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、ネットでニュースを見ている中で、
【頭を打った時、救急車は必要? 4時間内の意識悪化や嘔吐に注意】 と見出しを見たりした。

私が中学2年生の時、1959年(昭和34年)の時、富士山で下山の時に、
火山岩に足をとられて、もんどりひっくり返って、転げた体験がある。

長兄の知人で、実家は御殿場地域で、地元の高校に通っていた時代に、
ボッカと称した荷上げてのアルバイトをして、
幾たびか夏季の時に、御殿場の新2合目より山頂まで登り下りをしていた人がいた。

 
この御方に引率されて、私の次兄が高校一年で山岳部に所属し、山歩きをはじめた頃で、
私は低山の高尾山をハイキングした程度であった。

この当時の1959年(昭和34年)の頃は、御殿場口、須走口からの登山口は、
私の記憶に間違いがなければ、夏季の登山シーズンに限り、
御殿場駅から新2合目まで路線バスがあった。

そして、登りは須走コース、下りは御殿場コースと決め、
この御方に導かれて、次兄と私は歩き出したりした。

おぼろげな記憶をたどれば、
確か夜の6時過ぎに須走口の新2合目から登りはじめて、山頂の早朝時を目指した。

私は山歩きは、まったくの未経験者であったので、ひたすら付いて歩いているうちに、
何とか無事に山頂にたどり付いたりした。

そして、ご来光の時には少し過ぎていたが、快晴に恵まれ、
7月下旬でも寒いくらい涼しかったのが、心の片隅に残っている。

やがて下山の時、御殿場コースを下りはじめた時、
私としては、急斜面で黒い砂粒の厚く積もった砂走りと称された下山の路で、
不安であったが、10分ぐらいすると、5歩、6歩進めて、足元でくい止める方法に馴れた感じをした。

その後、9合目を下って、まもない時、
私は5歩、6歩進めて、足元でくい止めるようとしたが、足元が砂で滑り、止まらなかったしまった・・。

私の身体は、急斜面を走るかのように下りはじめ、
足元を踏ん張ろうとし、幾度も試みたがくい止めるこどできなかった・・。

やむえず横にコースを取れば、斜面は並行となり、もとより下ることはないので、
咄嗟(とっさ)に横に方向したが、下山の路から外れて、
黒い砂粒から爆発時の岩の痕跡となった黒い岩の大小が数々観られたりした。

こうして私は、斜面の横を自身の意思とは違い、踏ん張って止めようとしたが、
一向に止まらず、失速し、私はあわてふためいたりした・・。

そして、動顛した為か、何故か下りに進路を変えたのである。
足速は益々早くなり、失速しながら下った時、
死ぬこととは、こうしたことなのか、
とスローモーションのように実感しながら下った・・。

まもなく、私は大きな黒い岩につまずいて、
背負い投げを受けたかのように、地面に叩きつけられた。
そして、横に転がりはじめ、わずかな草の群生したひと株を、私は握り締めたりした。

そして、上の方から、この御方と次兄が、
大丈夫か、という叫び声を、私はぼんやりと聴こえたりした・・。

私は呆然としながら、ノロノロと起き上がると、
何故か6畳ぐらいの平地で、草がわずかに生えていた。
そして下る方向の数メートル先は、切り落とされたかのような崖となり、
遙か彼方の下界となっていた。

そして私は自分の手足、身体をおそるおそる触れ、
軍手を外し、手は砂粒と黒い岩でわずかに切り、穿(は)いていたバスケット・シューズは所々擦り切れ、
おでこに少しかすり傷ぐらいであった。


この後の私は、この御方と次兄に守られるように下山をふたたび始めて、
この御方の知人が8合目で山小屋を経営しているので、
この御方が、少し休息しょうと、この山小屋に寄ったりした。

私達3人は、お茶を頂ただいたのであるが、
『先ほど・・上の方で・・もんどりひっくり返って転げたひとりを見たが・・ありやぁ・・死んだよ』
と山小屋の主人は、この御方に云ったりしていた。

『あのぅ・・叩きつけられて・・転んだのは・・僕です・・』
と私は元気のないかぼそい声で云った。

『お前さんだったのかぁ・・よく助かったなぁ・・
岩に足を取られて・・もんどり返った時・・偶然に俺は見ていたが・・あれで死んだと思ったょ・・
まして、その先は、千メートルぐらいの崖下となっているし・・』
と私は山小屋の主人に教えられて、私は改めて恐怖で、少し震えたたりした・・。

こうした私は苦い体験を秘めている。

ここ年金生活の中でも、ときおり小庭の手入れをしたりする時、
樹木の枝に頭を打ったりする時もあり、或いは樹木の下草を這いつくばって取った後、
やはり枝に頭を打ったりしたことがあった。

こうした時は、10数秒痛みを感じたりし、やはり頭を打つと大変と思ったりしてきた。 

 このような心情を秘めた私は、今回の記事を精読してしまった。


この記事は日本脳神経外科学会専門医の重松秀明(しげまつ・ひであき)さんが寄稿文であり、
『山陽新聞デジタル』に6月19日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・頭を打った時、救急車は必要? 4時間内の意識悪化や嘔吐に注意

皆さんのお子さんや家族の方が頭を打った時に、
「救急車を呼ぼうか、呼ぶまいか」と迷われることが時々あると思います。

頭部外傷により脳が損傷を受ける病態は、大きく分けて二つあります。
一つは外力が直接脳にダメージを与える場合で、「直撃損傷」と言います。

器物等で打撲した部位が骨折したり、脳損傷をきたす場合です。
特に小児は直撃損傷により頭蓋骨骨折を起こしやすく、骨折に伴い「急性硬膜外血腫」が起こることがあります。

急性硬膜外血腫は受傷直後はほとんど症状がありませんが、
徐々に意識障害や麻痺(まひ)が発生し救急搬送されることがあります。


もう一つは「対側損傷」と言います。
これは受傷した部位と反対側の脳が損傷した状態です。

これに回転性の外力が頭部に加わると、脳表静脈の断裂をきたし「急性硬膜下血腫」が起こります。
急性硬膜下血腫は重篤になりやすく、死亡率は55%に達します。
最近では中学生が柔道の練習中に投げられ、急性硬膜下血腫で死亡する例が社会的問題となりました。

頭部外傷を受けた場合に救急車を呼ぶべき症状としては
(1)意識レベルの悪化
(2)麻痺や失語症の出現
(3)嘔吐(おうと)
(4)痙攣(けいれん)発作等が挙げられます。

急性硬膜下血腫や脳挫傷は、外傷直後より意識障害を起こすことが多いのですが、
急性硬膜外血腫は、発症より数時間して意識障害を起こす例があります。

しかし、いずれにしても外傷後4時間以上経過して、急性期の頭蓋内出血を起こす事は、
高齢者以外ではあまりありません。

ですから皆さんのお子さんや家族の方が頭を打った時には、4時間は気をつけてあげてください。
4時間以内に意識が悪化したり嘔吐する場合には、
直ちに脳神経外科があり、頭部CT等の検査が行え、処置が可能な病院の受診をお勧めします。

また、外力の受け方も頭蓋内出血には、大事な要因です。
先述のように急性硬膜外血腫は「硬い床に高い所から転落し頭部を直撃した」
「バット等の器物で頭を殴られた」時などに起こりやすいと言われています。

これに対して急性硬膜下血腫は「柔道で内股をかけられ頭から落ちた」場合などに起こると言われています。
また、交通事故を含め、頭部に大きなエネルギーを受けた場合には、直ちに頭部の精密検査を受けましょう。

高齢者では、頭部外傷後24時間以上経過して、少しずつ脳挫傷をきたしたり、
軽微な外傷後1か月から2カ月経過して起こる「慢性硬膜下血腫」という病態があります。

このような場合は、一分一秒を争う手術が必要な事は少ないのですが、
「最近おじいさんに、認知症の症状が出てきた」
「左の方に傾く」等の症状があれば、頭部CT等の検査を受けてください。

早く診断し治療を開始すれば、ほとんど症状を残さずに回復することもあります。
おかしいと感じたら、速やかに脳神経外科のある病院を受診してください。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



過ぎし2014年12月中旬から、我が家では独り住まいの家内の母が、
年末年始に来宅して宿泊しているのが恒例となっている為、
陽当たりの良い洋間で、早めに布団を干している。

こうした中で、家内は2階から布団を持ちながら階段を下りる時、誤って滑り転げるように落ち、
やがて病院で精密検査を受けた、
苦い思い出がある。
 
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
この日の朝の7時半過ぎ、家内は2階の和室の寝室と洋間を整理をしていたので、
私は一階の雨戸を開けた後、家内が居間の二階に上がり付近で、うつぶせになって倒れていた。

私は近づいて聞いた所、2階から階段を降りる時、滑って転げるように落ちてしまった、
と途切れながら、私に言った。

何か頭も打ったりし、手首の近く、左足も打ったり、全身が・・と家内は私に言ったりしたので、
『救急車を呼んで、病院に・・』
と私は言ったりした。

しかし家内は、
『ネットで『救急車を呼ぶ前に』を調べて下さい』
と私に言ったので、私は検索した。

そして指定された電話番号先に、家内は現状の原因と状況を伝えた結果、
近くの大きな大学病院を指定されて、9時より診察開始時間に電話連絡した上、
精密検査を受けて下さい、と家内は言われたりした。

そして応急的にお互いに衣服を整えて、自動車がない我が家として、
私は近くのタクシー会社に連絡したが、空車がないと断られしまった・

やむなく路線バスで私たち夫婦は、指定された大きな大学病院に向かった。

やがて病院に到着すると、電話で指示された救急受付に行き、
まもなく家内は、各箇所の精密検査を受けたりした・・。

私は検査治療室の前の椅子に座り、待機したりした・・。

     

やがて1時間半過ぎた頃、家内は若き女性の看護師に導かれて車椅子に乗って現れた時は、
私は動顛したが、安静第一ですって、と家内は私に微苦笑しながら言ったので、少し安堵したりした。

そして30分過ぎた後、担当医師から精密検査の結果、今後の要注意点を
私たち夫婦は説明を受けたりした。

結果的には脳、首回り、手足の関節などは異常はないが、各箇所で打撲されているので、
数日は痛みを感じるので、痛みを感じたら痛み止め薬を飲んで下さい、
そして打撲された箇所は冷やして・・、と私たち夫婦は言われたりしたので、安堵したりした。

私たち夫婦は、最初の9時より診察開始時間に電話連絡した時、
検査の状況により数日前後は入院して頂く場合があります、と家内は言われたりした。

私たち夫婦が何よりも心配していたことは、
脳、そして関連した神経で手足などの影響のことなどあったので、
安堵しながら、お互いに微苦笑しりした。

やがて私たち夫婦は、帰路のタクシーの中で、
お互いに若くないので、ちょっとしたことも油断大敵・・と私は家内に言ったりした。
 
このような家内も苦い体験をしてきたので、今回の記事で、頭を打つ、身体にダメージを多々学び、
お互いに齢を重ねている中、気を付けなければ、命に係わることもある、
と改めて深く感じさせられたりした。


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介護保険を利用し、施設に入居すると毎月いくらぐらいかかるの? 様々な施設サービスの月額利用費を学び、やがて溜息を重ねて・・。

2017-06-19 15:03:18 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【マネーポストWEB】の『暮らしのマネー』コーナーを見ている中で、
『 介護保険を利用し、施設に入居すると毎月いくらぐらいかかるの? 様々な施設サービスの月額利用費を教えます。 』
と題された見出しを見た・・。

私は年金生活の72歳の身であるが、5歳若い家内と共に過ごしているが、
私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、早や年金生活13年生となっている。

しかしながら日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの平成27年には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中、『健康寿命』と『平均寿命』の間は、介護を要する人も多くなり、誰しも難題と思い深めたりしている。

私たち夫婦は、子供に恵まれなかったので、頼れる人もいなく、
やがていつの日にか介護・要となった時は、やむなく介護施設に・・ときおり漠然と話し合ったりしているが、
具体的には解らないことが多く、今回の記事を精読してしまった。

             

この記事の原文は、ケアマネージャーを7年経験して、
現在は現役で老人ホームの施設長を務める介護に精通されている佐々木政子さんが、
『マネーポストWEB』に連載されている寄稿文のひとつである。

そして今回の記事は、『マネーポストWEB』に2017年1月13日に配信されていたが、 無断ながら転載させて頂く。

《・・介護保険を利用し、施設に入居すると毎月いくらぐらいかかるの? 様々な施設サービスの月額利用費を教えます。

高齢化社会を迎えた日本。
特に介護保険を利用しサービスを受けられる方が増えてきています。

最近、テレビで取り上げられるようになってきた、老後にかかるお金。
特に介護が必要になってきた時に必要な金額を皆さんご存知でしょうか?

☆介護保険利用負担費(長い名前)

まず、基本となるのが介護保険利用負担費です。
介護保険利用負担金は、介護サービスを利用した場合の利用者負担になります。
介護サービスにかかった費用の1割を利用料として支払います。(一定以上の所得者は2割)

利用できるサービスの限度額は、要介護度別に決まっています。
もし、限度額を超えて利用してしまうと超えた分は、全額自己負担になりますので注意が必要です

今回は施設に入居したら、どの位かかるのかを見ていきましょう。



1. 特別養護老人ホーム

特別養護老人ホームの費用は、入居者本人と扶養義務者が、負担することになります。

本人と扶養義務者の所得によって金額が変わりますが、5万~15万と格安で入居できます。(地域別で金額は変わります。)
格安のため待機者が多いのが、長年続いている状況です
個室や多床室でも金額が違います

多床室は2~4人の相部屋というタイプになるので、少しお安くなります。

月額利用費は、
◎介護保険利用者負担費+食費+居住費=合計
になります。 

食費・居住費は施設によって多少違います。

食費は朝、昼、おやつ代、夕食と別れて料金設定がされていて、
食べた分だけ実費負担になりますので、事前に確認しましょう


また、医療費・散髪費等の日常生活費も実費負担になります。

2. 介護老人保健施設

介護老人保健施設の費用は、世帯収入や課税状況によりますが、8万~17万程度と特別養護老人ホームより高く設定されています。

ただ、こちらは終身の施設ではないので、退居しなければならないこともあります
こちらも 月額利用料等は特別養護老人ホームと同じ計算方法になります。

3. 各種老人ホーム

一番費用がかかるかもしれませんし、計算方法が厄介です

まず、入居一時金が必要な場合があります。

金額もその施設で違うため、0~100万の所もあります。
居室費や食費もそれぞれの施設で差があります。 

※介護付き有料老人ホーム

【月額利用費】
◎介護保険利用者負担費+食費+居住費
 

※住居型有料老人ホーム

【月額利用費】
◎居住費+食費等 

介護サービスは、外部の事業所を利用します。

月額利用費以外に利用した介護サービスの事業所に、介護保険利用者負担費を支払います。
課税状況や世帯収入での月額利用費の減額は無いところが多いです。

4. グループホーム

1ユニット5人~9人で共同生活する介護福祉施設です。

地域密着型サービスになるため、施設と同じ地域に、住民票がなければ入居できません。

入居一時金については、設定している施設もありますが、一般的に有料老人ホームほど高額ではありません。

入居費用については利用する施設の地域や認定されている要介護度によって変わります。
都心にあるほど若干高額にはなりますが、だいたい1か月10万円から20万円程度となっています。

また、利用できる付加サービスや設備の充実の違いでも利用料金がかわります。
事前に利用できるサービスや料金についても詳しく確認しておきましょう。

施設のスタッフも料金についての説明は慣れているものですから、
遠慮はせず気になることは、何でも確認する姿勢を心がけておきましょう。

【月額利用費】
◎介護保険利用者負担費+居住費+食費+オムツ代等

施設によっては 一時金や保証金が必要な場合有り。


まとめ

今回は色々な施設サービスの月額利用費を見ていきました。

安い所もありますが、ひと月に10万を超える所が多いのが現状です。

本人や家族だけで探してしまうと考えていたのと違う、予算オーバーになって、
生活が苦しくなってきた等のトラブルが起きることがあります。

介護保険を利用しているなら、担当のケアマネージャーに相談しながら、施設選びをする方がいいでしょう。

施設は増えてきていますが、金額に対するトラブルも増えてきています

また、特別養護老人保健施設・介護老人保健施設・介護付き有料老人ホーム・グループホームは待機者が多く、
すぐに入居出来なくなっています。

豆知識

介護保険負担限度額認定証

一定の条件を満たすことで、居住費や食費の減額が受けられる制度が始まりました。

条件として
(1)世帯の全員が非課税
(2)預貯金が一定額以下

・ 配偶者がいない場合1,000万円以下
・ 配偶者がいる場合 2,000万円以下

課税年金収入額と非課税年金収入額と合計所得金額の合計額により、負担段階が決まります。

該当しそうな時は一度、ケアマネージャーに相談してみましょう。(執筆者:佐々木 政子)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私たち夫婦はあの世に行くまで、大病に遭遇せずに自宅で暮らしを続けられれば最良であるが、
いつの日にかどちらかが介護要になった時は、介護する方が心身の負担が多く、
やむなく介護施設にお世話になる、と漠然としながらも思い深めたりしてきた。

過ぎし日に介護に関して、どれくらいのお金が必要になるのか、少しばかり学んだりしてきた。

★介護の長期化なども考えておきたい

老後に入る最もポピュラーな施設としては、特別養護老人ホームがあります。
俗に言う「特養」です。


☆特別養護老人ホームとは・・。

現在は要介護3以上で、自力で着替えができなくなったり、寝返りを打つにも手伝いが必要という方が入れます。

費用は、施設・部屋のタイプにもよりますが、介護保険課を使えるので食費も含めて、月に1人9万円から13万円程度。
13万円というのは、要介護5で寝たきりになった状態の方です。
             
厚生労働省のデータによると、「特養」の平均在院日数は約4年(1405日)です。

1人9万円なら、2人で入所しても18万円ですから、年金の範囲内でなんとかなります。

寝たきりになると、もう少しお金がかるので、
仮に2年間は寝たきりで、2人で月26万円かかったとすると、2年間で約100万円が必要になります。



☆年金の支給額が減っていくことが予想されます

例えば、月に5万円減っていくとしたら、
そのぶんを200万円くらいは、見ておかなくてはならなくなります。

また、「特養」に入れず、もっと値段の高い施設に入ることになってしまったら、
そのぶん月に1人5万円として、2人で500万円くらい余計にかかるかもしれません。

ここでは平均値の4年を基準にしていますが、入所期間がさらに伸びるケースも考えられます。

そのぶんを200万円とすると、夫婦2人の合計で1000万円くらいは、
介護にかかるお金を見ておきたいということです。
             

            
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
          
         
私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、やむなく介護施設に思っているが、
介護施設に入居して、平均5年ぐらいで、亡くなる方が多いと学んできた。

そして要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。

しかしながら、特別養護老人ホーム(特養)の入居は競争が激しく、
厚労省の調査によれば、2009年12月時点の入所希望者は42万人。

やがて団塊の世代が介護される時代を迎え、要介護の高齢者は増え続けるので、
抜本的な待機者解決策は難しく、現在よりも深刻な状況になる可能性が高い、と学んだりしてきた。
             

こうした中で、私はやむえず有料老人ホームを思案したりした。

そして東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかり、入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ・・と読んだ時、
裕福でない私は溜息を重ねたりした・・。

或いは地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件がある、と学んだりしてきた。

我が家は無念ながら程ほどの貯金しかなく、高価な有料老人ホームには、とても・・と思ったりしている。

そして程ほどの介護施設に入ったとしても、永らえば、やがて貯金が底をつく、と思い憂いたりし、
やはり私の晩年期の最大の難題と思いを深めたりし、溜息をしたりしている。


今回の記事で、介護施設は特別養護老人ホーム(特養)の入居を例題にしているが、
入居できる御方は、幸運な人と思え、参考にはならないなぁ、と私は微苦笑をしたりしている。

 そして私は年金生活の13年生であるが、やはり健康でなければ、ささやかな日常生活の願いが叶えられないで、
いつの日にか介護・要、そして認知症、或いは脳梗塞などに遭遇したら、困窮するので、
殆ど毎日のように自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

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宅配便値上げには、様々な割引制度を利用しては!、私は多々教示されて、やがて微苦笑して・・。

2017-06-18 15:08:09 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの『 朝日新聞デジタル』を見ている中、
【宅配便値上げには様々な割引制度を利用しては!】と見出しを見たりした。

我が家は私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であるが、
年金生活を12年半ばかりしてきた中、幾たびも国内旅行をしてきた。

そして6泊7日前後の観光ホテル、旅館、リゾートホテルに滞在する旅路は、
旅行スーツケースを我が家と宿泊先を宅配便を利用して往還させたりしてきた。

或いは独り住まいの家内の母宅に、衣服、食料品などを宅配便を利用して、
幾10数回も活用してきた。

そして私は、宅配便の利用者として、様々な割引制度を利用して、とフレーズに誘惑されて、
こっそりと記事を読んでしまった。

この記事は、経済にも疎(うと)い私は、信愛している経済ジャーナリスト・荻原博子さんが、
朝日新聞デジタル「&M」に於いて、【荻原博子の闘う家計術】連載記事と思われ、
この『 朝日新聞デジタル』に6月18日に配信され、無断であるが転載ささせて頂く。

《・・10月からヤマト運輸が、宅急便の取扱料金を値上げします。
値上げ額は荷物の大きさや地域によって異なりますが、原則140~180円。
ただ、集配の効率化につながる利用方法については、様々な割引制度も導入されるので、賢く使って対応しましょう。

まず、ヤマト運輸直営店の店頭端末「ネコピット」で、発行したデジタル送り状を利用すると、
「デジタル割」として、荷物1個につき50円割引になります。

また、クロネコメンバーズという会員になって、
直営店に荷物を持ち込むと、さらに1個につき50円の割引になります。

実は、今でも、様々な割引があります。
まず、クロネコメンバーになっていて、カードについている電子マネーで支払いをすると、
料金が10~15%の割引になります。

さらに、持ち込み割引といって、
宅急便の取扱店やコンビニ、直営店に自分で持ち込むと、100円の割引。
10月からはメンバーになっていると、さらに50円割引されるので、150円の割引ということです。

ちなみに、ヤマト運輸では、宅急便では送れない大きな荷物や、
1件あたりの総重量が25キロを超える荷物を「ヤマト便」で配達しています。

こちらも、営業所や取扱店に持ち込むと、30kgまでは120円、50kgまでは140円、
100㎏迄は230円がそれぞれ割引になり、以降50kg増すごとに割引額が90円加算されます。

持ち込みで割引をしているのは、クロネコヤマトだけでは、ありません。
郵便局のゆうパックは、荷物を自分で、郵便局などに持ち込んで送料を払うと、
荷物1個につき120円を割引してくれます。

また、ゆうパックを利用してから1年以内に、同じ宛先にまた荷物を送る場合、
前に送った時の控えを提示すれば、荷物1個につき60円割引になります。
ただし、この場合には、受取人払い、着払いにはできません。

提示割引は、荷物を自宅まで取りに来てもらった場合でも有効です。
つまり、郵便局に持ち込みして、過去1年以内の利用控えを提示すれば180円の割引になるので、
都会にいる子供に食料品などを頻繁に送るという方は、上手に利用しましょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

我が家は、ヤマト運輸の宅配標準に適応した段ボールをホームセンターで買い求めて、
やがてヤマト運輸の御方に自宅で集荷して頂き、独り住まいの家内の母宅に、送付している。

或いは旅行に際しては、旅行スーツケースを自宅で集荷して頂いていることが多い。

私は高齢者の身であり、定年後まもなく自動車の運転免許書を更新を取りやめ、自動車もなく、
近くのコンビニ、郵便局に配送する荷物を持ち込むこと、
或いは2キロ先にヤマト運輸の配送センターがあるが、持参するには困難となっている。

こうした事情から、今回の様々な割引制度を学んだりしたが、我が家は無理だよなぁ、
と微苦笑したりした。

余談であるが、昨年の晩秋、能登半島にある和倉温泉に滞在旅行をした時、
いつもように旅行スーツケースを自宅から宿泊先に送付した料金、

そして宿泊先から我が家に送った時、たまたま宅配便の会社が違い、
確か500円ぐらい差異があり、こんなことあるの、と私は家内と苦笑したこともある。

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ペットボトル 早く飲みきらないと、1日で雑菌天国、高齢者の私は真摯に学び、やがて微苦笑させられて・・。

2017-06-17 16:18:07 | ささやかな古稀からの思い

 

先程、ときおり愛読しているネットの【NIKKEI STYLE】を見ていたら、
『ペットボトル 早く飲みきらないと、1日で雑菌天国』と見出しを見たりした。

私は年金生活の72歳の身であるが、午前中のひととき、殆ど毎日のように
自宅から3キロ範囲にある住宅街、遊歩道、小公園を歩き廻っている。

特に熱い時節には、コンビニなどで冷えた煎茶のペットボトルを買い求めて、
木陰にあるベンチに座り、水分補給を兼ねて休憩することが多い。

そして私は、ペットボトルは開栓したら、なるべく早く飲んでねぇ、と家内から言われているが、
具体的なことは解らず、今日に至っている。

こうした心情の私は、今回の記事を読んだりした。

この記事の原文は、「NIKKEIプラス1』の2017年6月3日に於いて、
若山友佳・記者が綴られた記事で、関連の【NIKKEI STYLE】に6月14日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・ 「開栓後は、すぐにお飲みください」。
ペットボトル飲料の注意書きには「すぐに」や「早め」の言葉が並ぶ。

記者はペットボトルに直接口をつけて飲んでいる。
いつまでに飲みきれば安心か。

 「口をつけて飲む場合は、その日のうちに飲みきって」。
サントリー食品インターナショナルに聞くと、こんな答えが返ってきた。
ペットボトル飲料をじか飲みすると、口内の菌などが逆流。
菌が増えれば、食中毒の恐れもあるためだ。

開栓すると、中身が空気に触れ、雑菌などが入る。
口をつければ、なおさらだ。
「口をつけない場合でも、開栓後は蓋をしっかり閉めて冷蔵庫に保管。
2~3日を目安にできるだけ早く飲んで」と同社は呼びかけている。



日本コカ・コーラも、じか飲みについてはやはり、その日のうちに飲みきるよう説明する。
直射日光を避けて、保存することも大事だ。

では飲みかけのペットボトル飲料の中には、どのくらい菌がいるのか。
微生物の試験を行う衛生微生物研究センター(東京・葛飾)で実験を試みた。

そろえたのは、ペットボトルに入ったミネラルウオーター、緑茶、牛乳入りの甘いコーヒー飲料の3種類だ。

ペットボトルに口をつけてひとくち飲み、それぞれを6度、20度、32.5度の温度で保存した。
冷蔵庫内、常温、炎天下を想定した。

それぞれ口をつけた直後と3時間後、9時間後、そして24時間後の菌の数を測り経過観察した。

どれくらい菌が多いと、食中毒になるのか。
李新一主任研究員は「菌の種類にもよるが、1ミリリットルあたりの生きている菌の数が
100万個を超えると、食中毒の可能性が高くなる」と説明する。

そもそも口内の菌の数は、体のほかの部分に比べかなり多い。
「手のひら全体で数十~数千個強といわれるが、
口内は唾液1ミリリットルあたり100万~1千万個」(李さん)。

じか飲みを通じて無菌だったペットボトルに菌が入り込むのだという。


数日後、実験結果が送られてきた。
ミネラルウオーターの菌の数は、32.5度下の場合、
直後が100戸で24時間後は300個。

データ上は「菌の数は位が変わらない限りは誤差の範囲」(李さん)のため変化なしとの結果に。
他の温度や緑茶も同様だった。

一方でコーヒー飲料は、いずれの温度でも、菌の増殖が確認できた。
32.5度下に置いたコーヒー飲料は、24時間で食中毒の危険水準を突破したことになる。
9時間以内で飲むのが安心のようだ。

菌が増える条件には、複数ある。
糖分などの栄養素はその一つだ。
糖度が高いコーヒー飲料は栄養素がたっぷりあった。

コーヒー飲料以外にも、ジュースや甘みがある飲料は、菌が繁殖しやすい。
一方で、菌が育つために必要な栄養素がミネラルウオーターと緑茶にはなかったようだ。

温度も重要だ。
「30~35度は、菌が一番活発になり、増殖しやすい温度」(李さん)。
炎天下の屋外では、ペットボトルの温度は上がりがち。
冷蔵庫でも増殖が抑えられるだけだ。

口内の状況や開封時の環境で、入り込む菌の種類や量は異なる。
食事時には、口内の菌に加え食べ物が逆流する場合もある。

コーヒー飲料に比べると、ミネラルウオーターや緑茶は菌が繁殖しづらいが、
過信せず1日で飲みきろう。

500ミリリットルなどの小型サイズが約20年前に登場後、ペットボトルの市場は急拡大した。
かつては全飲料に占める容器別生産シェアは半数弱だったが、15年以降は7割超に。
生活に欠かせないだけに安心な飲み方を知るのは大事だ。

もちろん、じか飲みによる菌の繁殖リスクは、ペットボトルに限らない。
水筒や飲み物を移したコップなども注意が必要だ。
飲み物を持ち歩く機会も多い夏、安全に気をつけながら正しく飲みたい。

■見た目変化なくても用心

日にちがたったペットボトル飲料の見た目やにおいは、どう変わるのか。
記者は自宅で実験を試みた。

ミネラルウオーター、緑茶、コーヒー飲料をひとくち飲み、蓋を閉めて、常温で放置。
朝と晩、においや見た目を観察した。

1週間後、驚いたことに、いずれにも目立つ変化はなかった。
コーヒー飲料はコーヒーの香りが強く、変化がわかりづらい。
見た目も白い牛乳の成分が少し分離したくらい。

衛生微生物研究センターの李さんに聞いた。
「1ミリリットルあたりの菌が1000万個を超えると、においが変わったり飲料が濁ったりするなど変化が表れるが、
それより少ないと見分けるのは困難」。

日ごろ、いつ口をつけたか忘れがち。
「まあいいか」で済ませてはいけない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
我が家では、首都圏大震災などに備えて、大きな2リットルの煎茶ペットボトルを6本保存している。

そして4月頃、暖かい時節になると、散策で汗ばんだ私は帰宅すると、煎茶を淹れる代わりに、
の2リットルの煎茶ペットボトルを一本取り出して、飲むことがある。

こうした後、殆ど残った2リットルの煎茶ペットボトルを冷蔵庫に保存するが、
気温が安定しない時節なので、忘れてしまい、結果としては4日以内に飲んだりしてきた。

今回の記事を読み終わった後、多々教示され、やはり開栓後は早めに飲もおう、
と思ったりした。

この後、ぼんやりと若き日、学生時代に私はワンゲル部に所属して、
先輩に導かれて3泊4日前後の山岳で、テントで睡眠をとったりした。

こうした中で、水場がないコースの時は、水道水を大きなポリタンに入れて、
横長ザックのキスリングに入れて、飲み水、食事用に活用していた。

こうした合宿の場合は、もとより3日過ぎても、担ぎ上げた水を使用していた。
そして先輩はじめ私たち一行は、誰しも体調は崩したことはなかった。

こうしたことを思い重ねて、余りペットボトルの飲水には神経質にならなくとも・・
と思ったりして、微苦笑をしたりした。

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医師・作家の鎌田實さんの軽度認知症予防のためにできること、私は学び、瞬時に賛意して・・。

2017-06-16 15:28:49 | ささやかな古稀からの思い

 

私は先程、ネットでニュースを見たりした中で、
【鎌田實の軽度認知症予防のためにできること】と見出しを見たりした。

私は年金生活の13年生の身であるが、幸いにも入院するような大病には遭遇せず生活をしてきたが、
これから認知症は何よりも怖いと思っているひとりである。

年金生活のささやかな願いも叶えられなくなるので、
聡明なお人柄の医師・作家の鎌田實(かまた・みのる)さんから学ぼうと思い、
こっそりと読んでしまった・・。

この記事は、日刊スポーツに於いて、『鎌田實の健康で幸せに生きるための技術』連載記事で、
今回、第20回として、『軽度認知症予防のためにできること』2017年4月29日に掲載され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
☆自己チェックしよう

認知症の患者が今460万人、予備軍が400万人いるといわれている。

予備軍ともいわれている軽度認知症(MCI)を早期に見つけて運動療法などの治療を始めると、
30~40%の人は健康な同世代の人と変わりない認知機能を取り戻すことができる。

ぼくは「検査なんか嫌いだ」(集英社)という本を書いた。
検査は嫌いだけど、上手に利用するようにしている。

その中の1つに軽度認知症(MCI)発見のためのセルフチェックがある。
3つ以上該当すると軽度認知症(MCI)の可能性があるといわれている。

(1)何度も同じ話をする
(2)水道の水が出しっぱなし
(3)同じ商品を買っていた
(4)「あれ」「これ」で話す
(5)外出が減った
(6)服装などに無頓着
(7)趣味が楽しめない
(8)家電操作にまごつく
(9)会計時に小銭を使わなくなった
(10)日付が出てこない。

☆散歩は認知症予防になる

軽度認知症(MCI)は、日常生活に支障がないため、見逃しやすい病態だ。

ぼくは68歳。自分でもセルフチェックをしてみた。
水の出しっぱなしが、たまにある。

イラクの難民キャンプに行くときは、必ず詩集を持っていくのだが、
あまり有名でない詩人の同じ詩集を3回も買ってしまった。

歌手の名前が出てこないことがある。
小銭はあまり使わなくなった。

4つもあるのだ。
「あれ、あれ」は、おっさん病の代表的な症状だ。

軽度認知症(MCI)予防のためにも、本をたくさん読み、家に閉じこもらないようにしている。
若者と「地域包括ケア研究所」というのを作り、よく議論している。

1日20分間、週4回散歩をするだけでも、40%認知症の発症が減るというデータもある。
時間があると、スキーに行く。
ノンストップで3キロを3本滑る。

閉じこもらず、外へ出ていくことが、おっさん病予防には大事だ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は読み終わった後、オバマ大統領の名言のひとつ「Yes We Can!」を真似事をして、
「Yes
Can!」(イェス・アイ・キャン・僕だって出来るょ)と心の中で呟きながら、
鎌田實さんの今回の記事に、瞬時に賛意したりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

日中の午前中は、年金生活を始めた当初から、私は自主的に平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を求めて、独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

やがて買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

                                                      

午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

このように私は過ごしてきたが、私は70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。

今回の『軽度認知症(MCI)発見のためのセルフチェック』が掲載されていたので、
こっそりと私は受診した。

結果として、二つ該当した。
(3)同じ商品を買っていた
私は読書好きで、12年前にある作家の単行本を買い求めて、
5年前に本屋で、魅せられた文庫本を買い求めて、やがて数ページ読んだりした後、
あれぇ・・と思いながら、居間にある本棚に行って見ると、以前に単行本を買い求めたと気付いたりした。

(4)「あれ」「これ」で話す
私たち夫婦は結婚生活40数年過ぎている為か、或いは高齢者夫婦になった為か、
主題が抜けて、いきなり内容のことを話し、ときおり互いに戸惑うこともある。

こうした体験があり、私は微苦笑をしたりしている。

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