夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて、多くの皆様に感謝を重ねながら、良いお年をお迎え下さい・・。

2011-12-31 09:34:22 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
2004(平成16)年の秋、民間会社を定年退職後、直ちに年金生活にして、
身過ぎ世過ぎの日常生活を過ごしてきたが、
私は随筆、ノンフィクション、歴史書などの読書に続いて、文章を綴るのが好きである。

偶然に退職まもなくして、ブログの世界を知り、ブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入し、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露のあふれる思いで、
原則として少なくとも毎日1通は投稿し、綴ったりしてきた。

その後、2007(平成19)年に【簡単gooホームページ】が9月末で閉鎖と知り、
8月より半ばより、これまで投稿文が移動できる【OCN Cafe】を知り、
一昨年の2010(平成22)年の7月まで加入していた。

この間、このサイト【gooブログ】に加入してきたが、【gooブログ】に専念するために、
昨年の2010(平成22)年の8月より、このサイトに単独とした。

投稿の内容は、定年後の身過ぎ世過ぎの年金生活の日々の思いはもとより、
過ぎ去った幼年期から定年退職するまでを余すことなく綴り、投稿を重ねてきた・・。


このように私はパソコンが故障、或いは国内旅行をしていない限り、
毎日投稿をしてきたので、少なくとも定年退職後の丸7年過ぎた日々の思いは、
私の日常の証(あかし)のひとつでもある。

もとより、人それぞれ誰しもが光と影を持ちあわせているが、
つたない私でも、ささやかな光、秘められた影があるが、余すところなく綴ったりしてきた・・。

ここ数年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くのお方にお読み頂き、感謝の一言です。


何よりも多くの皆様の投稿文を拝読し、
それぞれの人生を過ごされていると改めて感じてながら、多々ご教示を頂いたりしている。

或いは季節感あふれる美麗な写真、詩情あるイラストを拝見し、感銘を受けたり、
そして心の深淵まで描写できる10数人の方の散文に圧倒されたり、
ときには数多く人から励まされたりして、拝読したり、拝見しているのが本心である。
改めて、多くの皆様には感謝する次第です。

そして私が投稿を重ねることが出来たのは、こうした思いを深く感じ、確かな人生の教科書と思い、
支(ささ)えられたことは事実である。


我家では、大晦日の今宵は、お年取りのささやかな酒宴を致しますので、
今年の最後の投稿とします。

今年は、東日本大震災で死者・不明者約2万人、そして福島第一原発事故で深刻な被害など、
余りにも悲惨な出来事が多く、私は動顚したり、憂(うれ)いたりしましたが、
来年こそは、明るいニュースで共に笑いあったりしたい、と祈願しています。

皆様には、良いお年をお迎え下さい。

                  2011(平成23)年12月31日
                           『夢逢人』

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高齢夫婦無職世帯一カ月の平均収支、改めて私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2011-12-30 15:06:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
過日、読売新聞を読んでいたら、隔週に発売されている雑誌の広告として、
      《 金持ち老後、
             貧乏老後 》
と大きく見出しされていたのに、高齢者3年生の私は気になった。

そしてスーパーに買い物に行った帰りに、この雑誌『プレジデント』を買い求めて、
こっそりと精読したりした。
http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2012/20120116/
☆【プレジデント社】ホームページ <== 雑誌『プレジデント』2012.1.16号 目次☆

この雑誌は、特集記事に関心を抱いた時に購読している雑誌のひとつであるが、
今回の《 金持ち老後、貧乏老後 》は、やはり年金生活で、高齢者の我が家としては気になるのである。


私は小・中学生の頃は劣等生のひとりであったが、
小学4年生の頃から映画好きな映画少年、
高校生に突然に読書の底知れぬ魔力に取りつかれて、
やがて大学を中退し、映画・文学青年の真似事をして、4年ばかり奮戦したが、無念ながら敗退した。

その後、やむなく民間会社に中途入社する為に、コンピュータの専門学校に1年学んだ後、
何とか民間会社に中途入社でき、遅れた社会人となったのは25歳の時であった。
そして35年近く勤めて、定年退職を迎え、
直後から年金生活を過ごしてきた偏屈な軌跡を歩んできた。

もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに38年勤め栄進されたエリートとは、
遥かに遠い存在であり、
中小業の音楽業界のあるレコード会社の管理、情報畑などに35年近く勤めてきたが、
中流家庭の多くの方たちが大学卒業後に程ほど民間会社に入社し、
38年勤めて定年退職を迎えるケースの人たちに、
遅ればせながら年収も含めて何とか追いつきたい、と私なりに秘かな願望があり、奮闘した。

こうしたことが根底があったので、年金生活に入る前には、
『厚生労働省のモデル世帯の年金額』などを強く意識させられたのである。


私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活をしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


私の現役時代は、サラリーマンの身であったが、もとより生計の責務もあり奮闘する中、
30代の半(なか)ばに一軒家を建て、
この後3年ばかり家内はデパートなどに勤めて、強力な支援を受けたが、
家内は後方支援として家庭の多岐に及ぶ専業主婦として長らく努めてきた。

私たち夫婦の年金生活の今も、家内は洗濯、掃除、料理などしているのが現状であり、
せめて日常の買物ぐらいは、私がすると自主的に実行している。
こうしたことの背景には、私の現役時代の平日は会社で勤務し、
この間の日中は家内のペースで家事、趣味を過ごしてきた。

こうした家内の生活リズムをできる限り崩したくなかったので、
私は独りで買い物、散策をしている。


年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、本年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

このように私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。

このような状況の生活をしているが、今回の雑誌の特集記事を精読したのである・・。
本誌の31ページに於いて、各表と具体的な金額が明記されて折、無断ながら一部を引用させて頂く。
《・・
◎高齢夫婦無職世帯一カ月の平均収支は?
    収 入・・・22万3757円
         公的年金など・・・20万8080円
         その他・・・・・・・1万5677円
    支 出・・・26万4948円
         税金など・・・・・・3万 393円
         食 費・・・・・・・5万7935円
         住 居・・・・・・・1万4921円
         光熱費・・・・・・・1万9220円
         教養娯楽・・・・・・2万9315円
         保険・医療・・・・・1万4959円
         その他・・・・・・・9万8205円(注・算出)
    赤 字・・・ 4万1191円

     出所・・総務省「家計調査報告」(平成22年)をもとに作成


◎平均的な老後のためにいくら必要か
    60歳~65歳 無年金期間の生活費
         26.5万円x12カ月x5年=1590万円
    65歳~90歳 年金では足りない金額
         4.1万円x12カ月x25年=1230万円
                      計=2820万円
    +もしもの介護や病気に備えるお金
                    200万~300万円
                      
                   総計・・約3000万円
・・》
このように表示されて、この下段には、
◎ゆとりある生活費は月平均36万6000円
◎ゆとりある老後のためにいくら必要か
表示されているが、省略する。

我が家は私は67歳、家内は62歳であるが、
私の現役時代の55歳の時に、音楽業界のリストラ烈風の中、定年の五年前に関係取引会社に出向となり、
この時に、定年後からの老後生活設計を家内と幾たびか話し合ったりした。

どのような生活をしたいか、生活資金のことも含めて概要立案をしたので、
定年退職後の年金生活に於いて、
毎年の予算に対して、生活をしながら実績が計上できるので、少しばかり修正をしている。

もとより《ゆとりある》生活などは際限はなく、
高齢者は確かな《いきがい》を持ち、日々を過ごしているか、何よりも重要と私は微苦笑している。


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年の瀬、昨日より全国的に年末年始の休暇が始まり、東京郊外に住む私でも微笑み・・。

2011-12-30 05:53:48 | 時事【社会】
東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日、家内から依頼でスーパー、専門店などに買物に行ったりしたが、
スーパーの御節料理の関係のコーナーは賑っているが、たまたま入った専門店などは人が少なく、
路線バスの通る大通りも自動車が少なく、年末年始の休暇が始まった、と実感したりした。

一昨日の28日に多くの民間企業は『仕事納め』となり、
昨日の29日より、帰省ラッシュでふるさとに向かい新幹線、在来線の乗客、
或いは自動車で高速道路を利用され帰省される方が多い、ニュースなどで報じていた。

私は昼下がり、ラジオでNHK第一放送をぼんやりと聴いたりしていると、
《・・
年末年始をふるさとなどで過ごす人たちの帰省ラッシュが始まり、
新幹線や空の便、高速道路で混雑が始まっています。

JR各社によりますと、自由席の乗車率は、
東海道新幹線で午前6時に東京を出発した博多行きの「のぞみ1号」が名古屋駅で160%、
上越新幹線で午前9時12分に東京を出発した新潟行きの「とき313号」が100%となるなど、
午前中は東海道新幹線や上越新幹線、それに東北新幹線の一部の列車で混雑しています。

指定席は、東海道・山陽・九州新幹線の、
東京から博多に向かう「のぞみ」や、新大阪から鹿児島中央に向かう「みずほ」や「さくら」が、
29日の一日中、ほぼ満席となっているほか、
東北新幹線と上越新幹線もほぼ満席になっています。

航空各社によりますと、羽田から各地に向かう国内線も午前中から満席の便が多くなっています。

一方、各地の高速道路も混雑が始まっています。
午前11時半現在、東名高速道路の下りは、事故の影響で愛知県の美合パーキングエリア付近を先頭に20キロ、
東名阪自動車道の下りも、事故の影響で三重県の四日市インターチェンジ付近を先頭に11キロ渋滞しています。

東名高速道路の下りでは、夕方にかけて、神奈川県の大和トンネル付近で最大で20キロの渋滞が予想されています。

帰省ラッシュは30日も続き、Uターンで混雑するのは、年明けの来年1月2日と3日となる見通しです。
・・》
このように報じていた。


私のふるさとは、今住んでいる近くが生家の実家なので、
帰省の方たちを見かけると、少し羨(うらや)ましいのが本音である。
過ぎし一年の思いを秘めて、ふるさとの親、親族、そして友人たちに再会して、共に語る合う情景が浮かび、
どうかご無事で行かれ親愛を深めて下さい、と祈願したりしている。

そして、日本の各地、或いは海外に旅行される方たちにも、
せっかくの年末年始の休暇を楽しまれて下さい、と思ったりしている。

或いは自宅で年末年始を過ごされる方たちには、
昨日よりご家族で大掃除、買物などをされ、ゆったりと新年をお迎え下さい、
とニュースを聴きながら思ったりしている。

そして、年末年始も仕事で業務に携(たずさ)わる方たちには、
大変ですね、お身体を程々にご自愛して下さい、と心を寄せたりしている。


我家は、私の定年退職後は、独り住まいの家内の母を大晦日の数日前に迎え、
新年の4日まで私達夫婦と3人で生活を共にする恒例となっている。

ここ1週間は家内の孤軍奮闘の大掃除、年末年始の料理等であり、
私は齢ばかり重ねた買物のメール・ボーイとなり、
幾度なく家内の指示された買物に通ったりしていた。

一昨日の28日に家内の母が来宅され、私達3人は、夕食を兼ねてささやかな酒宴をし、
互いに談笑を重ねたりしている。

たまたま昨夜の場合は、夜の9時過ぎに酒宴を終り、
私は寝室で布団にもぐり読書をしているうちに眠ってしまい、早朝の4時に目覚めてしまい、
昨夜は少し早く寝すぎたかしら、そして早寝早起き元気な児かょ、
と微苦笑をしたりしている。

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おせち料理も100均で揃う!と学び、年金生活の私は時代の変貌に驚き、ため息を重ね・・。

2011-12-29 06:57:49 | 時事【社会】
昨夜、ネットでニュースを見ようと、【YAHOO! JAPAN】を開いた後、
ぼんやりと【雑誌】コーナーを見ていたら、

《 おせち料理も100均出そろう!「豪華おせちは無駄遣い」とFP 》

と見出しされた記事を見て、どういうことなの、と思わずクリックした。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111228-00000020-pseven-bus_all
☆、【YAHOO! JAPAN】
       <==【NEWS ポストセブン 】《 おせち料理も100均出そろう!「豪華おせちは無駄遣い」とFP 》☆

《・・不況で給料も下がり、なんとかお金をセーブしたいこのシーズン。
一体どのようにして貯めればいいのか? 
そんな疑問に応えてくれるのが、ファイナンシャル・プランナーの伊藤亮太氏である。

伊藤氏は、デパートに行けば豪華絢爛なおせち料理の予約販売がおこなわれており、
ネットでも手軽に高級おせちが購入できる時代に、
「そんなおせち料理は無駄遣い」と異議を唱える。・・》

この後に、伊藤亮太氏は、具体的に解説されているので、
無断ながら転載させて頂く。

《・・
某有名百貨店のホームページを見てみると、
ピンからキリまでではあるものの、数万円~数十万円で販売されていた。
明らかに高くないだろうか。
ブランド好きで、おせちもブランドをという人は別かもしれないが、
これこそ一般的には無駄遣いといえるだろう。

ネット上では、安いものであれば8千円前後から購入できるものもあるが、一段重である場合が圧倒的。
果たしてこの価格は適切だろうか?
原価を考えたことはあるだろうか?
田作り、黒豆、かまぼこ、いか、海老、なます、栗きんとん、伊達巻・・・。

二段重であっても、どう考えても1万円以上払わなくても、購入できそうな気がしてならない。
人件費や加工費、送料等がかかるといっても、数万円するのはおかしいと思わないか?
箱代などにお金をかける必要性は全くないし、
値段の高い食べ物といえば、数の子ぐらいではなかろうか。
しかも数の子もスーパーで購入する500円分も入っていればいいところだろう。

ここで、サラリーマン家庭でも、可能なおせち料理を安く済ます方法を考えてみた。
はっきり言ってしまえば、買わない・作らない。
これが最もお金のかからない方法である。

しかしそれでは正月気分にもなれないという方は作ればよい。
家族で作れば、「絆」も深まるしコストも安く抑えることができる。

でも面倒だから作りたくないというあなたには、
スーパーでおせち用のパックを購入し、ちょっと立派なお弁当箱に詰めるパターンをおススメする。

さらにいえば、100円ショップなどで買えるものは、
100円で買うことも視野に入れるとおせちは相当安く作れる可能性がある。

例えば、こんな具合にである。
筆者は、ローソンストア100のホームページを見て愕然とした。
おせち用として下記の単品がすべて105円で発売されるとのこと。

【いつでも発売されているもの(全国発売)】
・黒豆  ・たまご焼き  ・栗甘露煮  ・焼豚

【数量限定。一部店舗にて取り扱い】
・野菜のうま煮  ・里芋の煮っころがし  ・わさび本漬

【12月26日(月)より発売】
・伊達巻  ・蒲鉾(紅・白)  ・昆布巻さけ  ・昆布巻にしん  ・なます漬け
※なます漬けは東北・関東地区のみ販売とのこと

【12月28日(水)より発売】
・炸肉丸子(シャーロウワンズ)

なんと全部購入しても1470円(税込)である。
人によっては好き嫌いもあるだろうし、地区によっては入れないものもあるであろうから、
10品選んだとするとたったの1050円で一段重ができてしまう。

これで足りなければ、あとはスーパーでパック入りのものを購入すればよい。
3000円もあればおせち料理は簡単に作れてしまう時代なのだ。

有名料理店のおせち料理にお金をかけるぐらいならば、
100円ショップをうまく活用したりスーパーでおせちパックを買うことで節約すべし。
1年に1回しかないものの、場合によっては数万円節約できるかもしれない。

その分、浮いたお金で旅行などに行った方が合理的だ。
ただし、節約したお金をすべて使ってしまうのも問題。
少しは蓄えて将来の備えにすべきであろう。

NEWS ポストセブン 12月28日(水)16時6分配信
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳となった身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私が東京郊外の調布市の長兄宅の実家から離れたのは1972(昭和47)年で、
神奈川県・川崎市の登戸でアパート経営をしながら住んでいる母の宅に同居した後、
千葉県・市川市の国府台で賃貸マンションで新婚生活を2年ばかり過ごし、
実家の近くに一軒屋を構えたのは1978(昭和53)年の春であった。

家内は中学生の時から茶事を学んできたので、私は33歳の若さで世間知らず、
気負いもあり住居の中で茶室を設けたりした。
しかし作庭費用に困り果て、やむえず雑木主体の庭とした。
何より困窮したのは、色々な面で想定した価格より遥かに高く、すべてのローンは多額の借金となり、
月々、ボーナス時の返済は、私が孤軍奮闘しても赤字が多かったのである。

まもなく家内は、パート、契約社員などで、5年ぐらい援軍を受けたりした。

そしてクリスマスの頃になると、家内は御節料理の素材を付近の専門店、スーパーなどで買い求めていた。
栗、黒豆、田作りなどの材料であり、
たとえば栗は丹波の栗、といったように家内は茶事で学んだ体験を生かし、
程ほど高価な品を選定していた。

家内は大掃除、お節料理などで奮闘し、茶室の床飾りとして『結び柳』などをし、
私は28日頃に仕事納めをした後、翌日頃から我が家の庭の手入れをしていた。

大晦日の昼過ぎ、家内が御節料理の完成を告げた後、
独り住まいの母用に、三段のお重に風呂敷でしっかりと結び、
私は独りで母の所に届けたのである。

そして、途中で酒屋に寄り、地酒の四合瓶を買い求め、母の所に行ったのである。
その後、母のところで、出前のお寿司を食べながら、私は持参した地酒を呑み、
母とふたりだけで他愛のない話を数時間を過ごしたのである。

こうしたことは、母の亡くなる1998(平成10)年の新春の前の年まで、
20年間続けた。

そして、新年の2日の私の実家の長兄宅の『新年の祝い』に於いて、
家内は9時前に長兄宅に行き、長兄の奥方と共に、料理の仕上げ、席の準後などをしたり、
私は新年会の始まる30分前頃まで長兄宅に行き、
長兄の家族はもとより、叔父、叔母さんなどに新年の挨拶をしたりした。
この間、母、次兄、妹の家族も加わり、11時頃から新年会となった。

そして、3時頃に散会し、家内は長兄の奥方と共に後片づけをしたりしている間、
長兄、長兄の子供らと私は茶の間で談笑したりした。

こうした長兄宅での新年会は、母の亡くなる前の年まで続いた。


私達夫婦が1978(昭和53)年の春に新居を構えた後、
1980(昭和55)年の大晦日に家内の両親に来宅して貰い、『お年取り』を復活させた。
私は家内の父と心身の波長が合うので、程々に遠慮なく、食べたり、呑んだりし、
私達4人ながら心身盛り上がったりしたのである。

そして宿泊して頂き、元旦の新年を迎え、昼下がりに家内の両親は帰宅されたのである。
その後、家内の弟が加わったり、家内の妹夫婦に宿泊してもらったりし、
家内の父の体調が悪化するまで、20年ぐらい、続いたのである。
                           

1998(平成10)年の新春に私の母は死去した後、
晩秋に喪中の葉書を関係者に送付したりした。

年末年始、喪に服するのは戸惑いを覚え、
何よりも母親の死去で失墜感、空虚感が私にはあったのである。
世間の人々は残された息子は幾つになっても、父親の死より、母親の死の方が心痛と聞いたりしていたが、
私の場合は父は小学2年に病死され、もとより母、そして父の妹の叔母に育てられたので、
50歳を過ぎた私でも心は重かったのである・・。

このような私の感情を家内は察して、
『年末年始・・どちらかに旅行に行きましょう・・』
と私に云った。

そして私たち夫婦は、私の定年退職する2004〈平成16〉年の前年まで、
年末年始の休暇を利用して、国内旅行に行ったりしていたので、
もとより御節料理は我が家では、お休みとなった。


家内の父が2004(平成16)年の秋、私の定年退職時の直前に病死し、
家内の母は独り住まいとなったので、
私達夫婦は年末年始の期間は我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から恒例のようなこととなっている。

ほぼ毎年、28日の夕方に来宅して貰い、年末を過ごし、
新年を迎え、4日の午前中に帰宅する。

我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室と書棚の3畳のスペースで休んで頂く。

こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節料理の単品の数々を頂いたりし、
テレビを視聴したりして過ごすことが多いのである。

御節料理といっても恥ずかしながら、駅前、最寄りのスーパーで単品を買い求め、
私の母が生前した時のように黒豆の素材を買い求めて、家内が3日ぐらいで仕上げるようなことは略して、
店頭の完成品の黒豆を購入したりしている。

過日、私たち夫婦はスーパーで単品を選定する前の時、
年金生活だから、紀文のメーカーの品であったら充分だょ、
と私は家内に言ったりしている。


そして家内の母が亡くなり、私たち夫婦だけになった時、
私たち夫婦も齢を重ねるばかりで、もとより高齢者で身体も衰えるのであり、
デパートかスーパーで、数万円の御節料理セットにしょうか、
と私は家内に言ったりしている。

このような我が家の実情なので、今回のこの記事を読み終わった後、
御節料理の変貌に、デフレ経済が長らく続く中、100円均一も世の中にでたのか、
と驚きながら、ため息をしたりしている。


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読売新聞の『2011年 読者が選ぶ10大ニュース』国内編、私が選定すれば・・。

2011-12-28 15:36:02 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、
遅ればせながら『2011年 読者が選ぶ10大ニュース』を見たりしていた・・。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/2011news10/list_j.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==国内編『2011年 読者が選ぶ10大ニュース』☆

私は読みながら、少しボケてきたのか、あのような出来事もあった、
と改めて思い浮かべるように教示されたり、
今でも心の片隅に強く残っている出来事も思いだされたりした。

そして今年の2011〈平成23〉年に、さよならと別れを告げる前、
今でも心の片隅に強く残っている出来事を、あえて10ばかり選定する。

◎東日本大震災、死者・不明者約2万人

◎福島第一原発事故で深刻な被害

◎節電の夏、37年ぶり電力使用制限令

◎電力不足により1都8県で計画停電実施

◎サッカー「なでしこジャパン」世界一

◎オウム真理教裁判が終結、死刑判決13人

◎大阪ダブル選、「都構想」で共闘の橋下氏が大阪市長、松井氏が府知事に初当選

◎小沢民主党元代表を強制起訴

◎菅首相が退陣表明後も居座り混乱

◎新首相に野田佳彦氏

尚、私がまったく興味も関心もない出来事は、

◎上野動物園にパンダ復活

◎大相撲で八百長発覚、春場所中止に

◎島田紳助さん引退、暴力団と交際で

このように列記したが、私は卑屈で劣等感を秘めている上、独断と偏見を多々あるので、
ご容赦の程を願いたい。

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歳末が近づき、愚図〈ぐず〉の高齢者の私でも、何かと慌〈あわ〉ただしく・・!?

2011-12-27 18:06:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
過ぎし20日より、ある有力な旅行会社が団体観光滞在プランを利用して、
家内と共に北海道の十勝平野の中の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして奥地の大雪連峰の東部の糠平〈ぬかびら〉温泉に2泊して、4泊5日の初冬の旅をした。

帰路のとかち帯広空港から羽田空港に向かう機中、私は少しばかりプレッシャーを感じることがあり、
思案をしていたのである。

恥ずかしながら年賀状が旅行前にも一切書いていなく、
私の住む調布市の郵便局の管轄に於いて、
25日まで郵便ポストに投函して下されば、新年の元旦に配達致します、
と通知を受けていたのである。

私は齢を重ねるたびに、年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。

元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。

そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。

一番困るのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。

例えば、

 賀正
本年もよろしくお願い致します


  謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます

 
私はこうした年賀状を拝読すると、がっかりしたりしている。

たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、
何か創意工夫が必要である、と思っているのである。


私は小学生の時、『習字』の授業は怠けていたので、毛筆で達筆は遥かに遠い夢の世界であり、
『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目である。
或いは、デジカメでその人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが技量がなく、断念している。

やむえず、私なり散文で綴っているが、
独創性のある文体で、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案しているのである。

この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分けているのである。
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、
私なりに工夫した文面を作成している。

古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にできない習性となっている。


このような心情なので、機中で文面を思案していたのである。

帰宅の翌日の午前中、私は久々にプレッシャーを感じて、
パソコンに向い文面を思案したが、満足できるような文が浮かばないのである。
やむなくテラスに下り立ち、煙草を喫いながら、小庭の樹木を眺めたりした・・。

そして拙〈つたな〉いなりに脳裏から言葉が舞い降りて、
パソコンに向い、キーインして、数回修正して、新年度の年賀の挨拶状とした。

この後は、プリントをし、私は最寄りの郵便ポストに投函したのは、
昼下りの2時であった。

その後は、日常買物の専門者の私は、スーパーに2店ばかり駆け巡り、
職務を果たしたりした。

この間に、このサイトの投稿文を書いたりしていたので、
新聞も精読できず、もとより読書の時間もなかったのである。


昨日の26日の午前中に、家内が美容院と年末・年始の買い物に行っている間、
久々に読売新聞を精読していたり、このサイトの投稿文を書いたりしていた。

そして家内が昼過ぎ2時に帰宅すれば、
これから数店、買い物に行きましょう、と明言された。
こうした時は、私はボディガード兼お供、そして荷物持ちの重責となるので、
ハイ!、と明るく大きな声で応〈こた〉えた。

もとより年末・年始の買い物であり、最寄りのスーパーに行き、帰宅後、
再びスーパーとドラッグ・ストアーに買い物をした後、帰宅。
その後、駅前のスーパーに2店、そして洋菓子店を廻って、帰宅したのが夜の7時半過ぎであった。


本日の日中のひととき、私は庭を掃き清め、
私の住む調布市は、『燃えるゴミ』の収集は30日に備えた。
しかしながら、モミジの樹は4本ばかりあるが、
この中の2本の葉は、3割方が枝に残っているのである。

平年ならば12月初旬に、たわわな葉は地上に吹き寄せのようになり、
掃き清めているが、今年は晩秋も暖かく、いまだに枝に名残りおさそうに残っている。
私は微苦笑しながら、枝を少し揺すって葉を落としたが、二割ぐらい残っている。

もしかしたら新年まで残っているのかしら、と朱紅色のたわわな葉が
気になったりしている。


このように20日過ぎ下旬に旅をすると、
歳末が近づく昨今、愚図〈ぐず〉の高齢者の私でも、何かと慌〈あわ〉ただしい日々を送っている。


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蒼穹&みゆき舞い降る初冬の十勝地方 ふれ逢い旅【11.12.20.~12.24.】 最終回

2011-12-27 11:04:51 | 
          最終章  旅の終わりは、メークイン

旅の最終日の24日、私たち一行は宿泊した『糠平館 観光ホテル』のご厚意で、
午後一時発のホテルの送迎バスで、とかち帯広空港まで送って頂けることとなっていた。

私は近くの『ひがし大雪博物館』に30センチぐらいの積雪の中を向かい、
小雪舞う中を歩いたりした。

私は旅をする時、その地の民族館などを鑑賞する習性があり、
もとより風土、文化などを教示されるためであった。
今回の『ひがし大雪博物館』は、動植物、土壌など多々学び、
特に数多くの樹木の特徴、盛衰、推移、
そしてアイヌ民族の長き歴史に及ぶ日常生活の変貌を教示させられたりした。

館内は、私たった独りで鑑賞したが、このようなことは初めてであった。


ホテルの前を午後1時少し前に送迎バスは出発し、雪道の中を上士幌、士幌を通り過ぎると、
路面は除雪した雪は消え、周辺は大雪原の中、小雪も止み、まばゆい晴れ間と変貌した。

ときおり微風が吹くと、大雪原の粉雪が吹き飛ばされて、道路に吹雪のような情景となり、
以前に観た道路際の風雪避けが、こうした時に大いに威力を発揮するが、
広い北海道の大地では限りある、とも感じさせられたりした。

やがて帯広市の郊外、やがて高速道路を疾走し、空港までは送迎バスは走ったが、
100キロぐらいの道のり、1時間半ばかりであったが、
改めて殆ど周辺の情景は大雪原であったので、やはり広い十勝平野を実感させられたのである。


とかち帯広空港発の午後4時の便であったので、それまでの待ち時間は家内がお土産を購入した後、
私は家内を誘い、レストランに入店した。
私たち夫婦は、旅の現地の最終には、食事処を利用することが多く、
私は地酒かビールを吞みながら軽食を頂くことが圧倒的に多いのである。
そして旅先の余情、そして旅先のこぼれ話を家内と談笑したりしている。

今回はレストランに入店すると、ビールとお徳用のつまみセットで1200円くらいを配慮していたが、
この時節はなく、やむなくメークインがふたつ蒸かしてある食べ物を指定した、
そして北海道だからサッポロビールの『クラシック』の銘柄と何かと優先していたが、
この店にはなく、サッポロビールの『生』の瓶ビールとした。

私はここ10数年、アサヒ、キリンは大手で成功しているビール会社で、
何かと劣勢なサッポロを応援したくなる性格であり、
特に北海道を旅する時は、サッポロビールの『クラシック』の瓶ビールであると公言し、
ほぼ実行を重ねてきたのである。

このたびは、やむなくサッポロビールの『生』の瓶ビールを吞みながら、
温かなメークインに少しバターをのせて頂いたのであるが、
ビールと波長が良く、家内に絶賛した、

そして家内から笑われてしまい、もとより私の独断と偏見の性格を発露したので、
あなたのとめとめない悪い性格が始まったわ、
というしぐさをまじえてである。


今回の旅先でも、私は地元の高齢者の70代の女性、60代の男性の3名、
そして中学生の男女の5名と談笑を重ねたりした。

旅のさなかに帯広の郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、
大地は凛とし、果てしなく青空が観える蒼穹(そうきゅう)の情景に、
亡き作家の立原正秋(たちはら・まさあき)氏を思い馳せたりした。

そして一時時期に過ごされたシンガーソングライターの中島みゆきさん、
或いは亡き作家の福永武彦〈ふくなが・たけひこ〉氏にも思いを重ねたりした。

このようなことを思い、みゆき舞う情景も共に過ごせたのであり、
私にとっては限りなく贅沢な旅であった、と実感したりした。

この後、空港の待合室で、旅を共にした方たちと談笑し、
またお逢いしたいですねぇ、とそれぞれのご夫妻に私たち夫婦は言葉を交わしたりした。

                              《終わり》

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蒼穹&みゆき舞い降る初冬の十勝地方 ふれ逢い旅【11.12.20.~12.24.】 第4回

2011-12-26 22:43:33 | 
          第三章 糠平(ぬかびら)温泉、そして周辺は

帯広市の郊外にある十勝川温泉の筒井地域にある観光ホテルに連泊した後、
22日の11時過ぎにホテルの送迎バスの乗車し、次の宿泊地の糠平温泉郷に向い、
小雪舞う中を北上し、士幌、上士幌を通り、一時間ほとで、
積雪20センチぐらいの宿泊地の『糠平館 観光ホテル』に到着した。

http://www.nukabirakan.com/
☆『糠平館 観光ホテル』ホームページ☆

私たち夫婦は、レストランで昼食を頂いた後、
周辺を観光しょうと、フロントでタクシーを依頼し、最寄りのタクシーは士幌から着たが、
迎えの料金メーターは既に7000円を超えていたので、
やはり北海道は広いなぁ、と私は苦笑したりした。

その後、糠平湖の周囲を廻って頂こうとしたら、
小雪が降る中、この時節は氷結前であるので歩いても湖畔にも近寄れず、
周辺の道路からも霞〈かす〉んで視界が悪く、
やむなくダムの近場で湖の情景を眺めて、デジカメで10数枚撮って、帰館した。

そして指定された部屋に入り、浴衣に着替えて、風呂に入った。

http://www.nukabirakan.com/spa/
☆『糠平館 観光ホテル』ホームページ <== 温泉のご案内 ☆

このサイトで紹介されている通り、
大浴場は『木』と『岩』のふたつあり、それぞれ内湯と露天風呂がある。
私は内湯で身体を温めた後、前にある露天風呂に入った。
目の前は傾斜地で針広樹の森となり、下方は小さくなった川が流れ、
そして前方は丘陵に幾重かの樹木が観える景観の良い所である、

露天風呂の屋根は半分ほどで、私は前の方で入浴していると、
雪が強く降り変わり、頭の毛や顔も雪を受けたりした。

そして後方の屋根から、ときおり雪が落下してきたのに驚いたり、
私の在る所の上は、大きな樹木の枝葉に雪が積もっているので、
いつ雪が落下してくるのかしら、と時折不安げに見上げたりした。


或いは下方に川べりの付近には、『仙郷の湯』と称された露天風呂の館があるが、
私が入浴している場所からは、大浴場の入口の横の通りを少し歩いた後、
木の階段を40段ぐらい降り、館にたどり着く状態となっている。
雪は降る中、階段は積雪となっているので、滑らないかしら、と眺めたりした。

この後、小雪になった時、私は下方の川べりの露天風呂に挑戦した。
浴衣姿でこの40段ばかりの階段を下りたが、
足元は積雪で不安定、ときおり微風が吹くと、浴衣の裾は捲れ上がり、
寒い上に風吹くのは勘弁ねぇ、と心の中で叫びあげながら下ったのである・・。

何とか無事に館に着き、簡素な脱衣所で脱ぎ捨て、お湯に身をゆだねた。
男女混浴と称されているが、誰もいなく私は独り占めとなった。
積雪は30センチくらいで小雪が舞う中、
目の前の清流を眺め、川べりの樹木の情景に見惚〈みと〉れたりした。

私は齢を重ねても男女混浴は苦手である。
私の若き40代の半ばの頃、別所温泉に行った時、ある由緒ある観光旅館に宿泊し、
誰もいない大浴場で、ゆったりと身をゆだねていた時、
40歳前後の女性3人が入ってきた。
『あらぁ・・男の人・・独り入っているわ・・
でも・・あたしたち三人だから・・』
と悠然と入浴してきたので、私は圧倒されて、慄〈おの〉のいて片隅に移動したりした。

こうしたささやかな体験もあるので、たとえ同性であっても、
大浴場、特に露天風呂は静けさの中で、身も心も湯にゆだねたいのである。

たまたま今回は小雪舞い降る中で露天風呂は独り占めの贅沢なひとときを過ごしたが、
冬の旅を重ねてきたが、10回目ぐらいかしら、と指を折りながら微笑んだりした・・。


この糠平湖の周囲は、山なみが迫る地域で、大雪山連峰の東部に属し、
この時節でも雪が降り、ときおり止むといった状況であった。
私は小学校に入学した幼年期より、みゆき舞う情景に魅了されているので、
部屋の窓辺、ロビー、レストラン、大浴場などで、飽きずに見惚れたりしていた。

                              《つづく》

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蒼穹&みゆき舞い降る初冬の十勝地方 ふれ逢い旅【11.12.20.~12.24.】 第3回

2011-12-26 10:36:44 | 
          第二章  『十勝川 国際ホテル筒井』に再訪、そして郊外を散策すれば

20日の午後3時20分に予定通り『とかち帯広空港』に着陸した私たち一行は、
宿泊先の帯広市の郊外にある十勝川温泉の筒井地域にある観光ホテルの送迎バスの乗り込んだ。
ここで初めて私は、今回の旅を共にする方たちのメンバーを知った。

羽田空港で旅行会社の方に参加最終チエックしたが、お互いにフリーの状況であり、
ただ航空便が指定されただけであったので、参加メンバーは不明であった。

私たちは送迎バスの車内で、60代、70代前半の夫婦が多く、
後で知ったのであるが独りで参加される男性5名、女性1名で、総勢23名であった。

私たち夫婦は、この後の宿泊地の食事処、ロビーなどの館内で、
共に旅する70代前半の3組の方たちを中心に、さりげなく談笑を重ねたりした。
そして現地にお住まいの方たちとも、私は何かと教えを受けながら、
ひとときを言葉を交わし、一期一会を享受した・・。

夕暮れが山なみに染め、そして大地は雪原の広大の情景を観ながら、
一時間ばかり車窓から鑑賞し、宿泊地の『十勝川 国際ホテル筒井』に到着した。

http://www.tutui-h.com/
☆『十勝川 国際ホテル筒井』ホームページ☆


この観光ホテルは、私が定年退職の翌年の2005年5月下旬に、
知床観光船で早朝にウトロから出航し、日の出の頃に洋上から知床岬を観る貸切クルーズに魅了され、
団体観光周遊ツアーに参加した3泊4日の中で、たまたまこの観光ホテルに宿泊した体験があったので、
6年ぶりの再訪となった。

しかしながら、忘却とは忘れる事なり、と名言されたれ菊田一夫〈きくた・かずお〉氏の通り、
《 日本随一 天然植物性 モール温泉 》で、
《 肌にしっとりとなじみ、湯上りに肌がしっとりツルツル効果を実感する美人の湯 》
と明記されたポスターを見た記憶だけが鮮明に残っている。

その当時の私は、入浴後にポスターを見ながら、家内たちの女性なら喜ばしい限りであるが、
年金生活の駆け出し私は、温まればどうでもよいわ、と苦笑したりしていた。


再訪した観光ホテルは、リニューアルされて、
《 真心美人のおもてなしの宿 》と称されて仲居さんの30数名を見かけたが、
男性の私としては、ひとりの小柄な黒髪の仲居さんに見惚〈みと〉れただけであるが、
全般としては溌剌と笑顔を浮かべながら、健気に動く感じは好感させられた。

私は早寝早起き元気な児に徹し、入浴後はビールを吞み、
持参した新書本の二冊を布団の中で読んだり、まどろみながら昼寝をしたりした。
そして、この間のひととき、この周辺をマイナス数度ぐらいの中、
5キロぐらいを歩き廻り、帯広の郊外の情景を観て、思索を重ねた・・。

シンガーソングライターの中島みゆきさんが、
小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされた情景に思いを馳せたりした。

或いは亡き作家の福永武彦(ふくなが・たけひこ)の遺〈のこ〉された作品を思い浮かべたりした。
私は若き20代の前半に、文学青年の真似事をしたことがあり、
氏の作品に魅了されたひとりであった。

たまたま『草の花』を読みだして、圧倒的に魅了された後、
『風土』、『夜の時間』、『冥府・深淵』、『愛の試み』、『心の中を流れる河』、『 世界の終り』、
『廃市』、『告別』、『忘却の河』、『海市』、『死の島』などを精読したりした。

氏は敗戦後の1945年、治療と疎開のため北海道帯広市に移り、
3か月ほど滞在したのち一時東京に戻るが、
翌年り1946年に再び帯広に渡り、帯広中学校(現在・柏葉高校)の英語教師として赴任する。
その年に処女作「塔」を発表された後、冬に肋膜炎を再発し、
1947年秋に手術のため上京し、清瀬の東京療養所に1953年まで入院した。
そして後年に、『心の中を流れる河』の作品は帯広を舞台に綴られている。

このようなことを思い馳せながら、
遠方の2000メートル級の山なみが雪で光輝き、高い大空は青い空が果てしなき拡がる蒼穹(そうきゅう)、
そして大雪原は陽射しを受けて、まばゆい光を帯びている中、
歩いたりした。

家内と共に歩いたりした時は、頬が寒いわねぇ、と家内は言ったりしていたが、
凛とした冷気の中、私は微苦笑をしたりした。

夜のひととき、中島みゆきさんの学んだ高校は、時代こそ違うが、
福永武彦さんが一時時期に英語教師をされていた高校と同じと思われ、
中島みゆきさんも『草の花』、『心の中を流れる河』、或いは『告別』を読まれた、
と私は確信を覚えながら、ぼんやりと思ったりした。

                              《つづく》

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蒼穹&みゆき舞い降る初冬の十勝地方 ふれ逢い旅【11.12.20.~12.24.】 第2回

2011-12-25 17:14:46 | 
          第一章 壮大なる十勝平野の中、一部に心を寄せて

今回の旅で十勝平野の中、帯広空港から帯広市の郊外にある十勝川温泉の筒井地域にある観光ホテルの送迎バスの乗り、
宿泊地の筒井地域を散策し、
その後は糠平温泉郷に向い、送迎バスで士幌、上士幌を通り、宿泊地の糠平温泉の観光ホテル周辺を散策した後、
帰路は一路南下して帯広空港のコースであった。

20日より北海道の十勝平野の中の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして奥地の大雪連峰の東部の糠平〈ぬかびら〉温泉に2泊し訪れ、4泊5日の旅をした。

このようにわずかな旅路であったので、もとより壮大な十勝平野は、ほんの一部となる。

2000メートル級の山なみが聳える西方の日高山脈、北方の石狩山地、そして東は白糠丘陵に囲まれ、
平野の中を十勝川を中核とした札内川、戸蔦別川、岩内川、帯広川、売買川、ウツベツ川などの幾重の川が流れ、
中心地にはは帯広駅があり、明治の中期の頃から碁盤目状の大きな区画が四方に広がり、
この間には防風林が設けられている。

こうした壮大な十勝平野は、大豆、小豆、甜菜、じゃがいもなどの畑作を広い耕地、
或いは広大な酪農がされている情景が誰しも感じると思われる。


訪れた今回のこの時節は、この農地や酪農地は30センチ前後の大雪原に変貌し、
快晴の時は、遠方の山なみが雪で光輝き、高い大空は青い空が果てしなき拡がる蒼穹(そうきゅう)となった。
そして大雪原は陽射しを受けて、まばゆい光を帯びていた。
こうした時は、朝の6時はマイナス12度前後、昼下がりはマイナス4度前後、
そして夜の6時はマイナス6度前後となった。

或いは小雪が舞い降ると、天上から地表まで、みゆきの世界に変貌し、
ときおり風が吹けば、吹雪となるが、
寒さはマイナス7度前後で、雪が降る時は暖かく、
私は未知の大陸の北中国、朝鮮半島に近い気候かしら、と微笑んだりした。

尚、『みゆき』という表現は、もとより雪のことであり、
万葉集の頃は美由伎、私の敬愛しているシンガーソングライターの中島みゆきさんの本名は、
美雪だったかしら、と思いながら、私の好きな言葉のひとつである。

                              《つづく》

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蒼穹&みゆき舞い降る初冬の十勝地方 ふれ逢い旅【11.12.20.~12.24.】 第1回

2011-12-25 07:06:20 | 
          序 章

私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであり、特に雪の舞い降る情景に魅せられて、
この時節になると、雪恋し、心情となり、
20日より北海道の十勝平野の中の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして奥地の大雪連峰の東部の糠平〈ぬかびら〉温泉に2泊し訪れ、4泊5日の旅をした。

私たち夫婦は何故かしら北海道の風土に魅せられて、幾たびか訪れてきたが、
無念ながら帯広の地域は、二度ばかりしかない。
最初は周遊観光で晩秋の時に、道東めぐりの2泊3日の最終で十勝地方を観たりし、
その後は、5月の知床半島のクルーズに魅了された後、旅の終わりとして十勝川温泉に宿泊したが、
いずれも雪のない時節であった。

たまたま今回の旅の企画は、ある有力な旅行会社が団体観光滞在プランとして、
11月中旬の頃に新聞に掲載されていた。
家内が見て、十勝川温泉と糠平温泉の特色ある旅程に、
この時節は交通機関のことを配慮すれば、私たち夫婦の個人型の旅としては困難さが予測され、
何よりも旅行会社まかせで、旅費も驚くほどに格安であり、
私たち夫婦は瞬時に魅了されて、この団体観光滞在プランに参加した。


私の心の奥底には、この十勝地方の帯広の冬のイメージは、
郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、蒼穹(そうきゅう)の情景である。
厳冬の晴れ間の中、大地は凛とし、果てしなく青空が観えるのが、蒼穹(そうきゅう)の言葉に何よりも相応しい、
と思ったりしている。

私が今でも敬愛している亡き作家・立原正秋〈たちはら・まさあき〉氏の随筆から、
私が30代のなかばの昭和55年(1980年)10月の初旬に遅ればせながら
蒼穹(そうきゅう)という言葉を学んだ。

この中の随筆のひとつとして、知人が古美術店を開き、命名を頼まれ『蒼穹』と氏は名付けられた。
氏の発想の根源は、もとより氏は朝鮮半島で生を受けられたので、
大陸性の気候の中、冬の晴れ間の凛とした情景を思い浮かべて、
蒼穹(そうきゅう)という言葉を思い重ねただろう、と私なりに解釈した。


そして帯広市は、シンガーソングライターの中島みゆきさんが、
小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされた、
と私は25年前に学んだりした。
私は中島みゆきさんを秘かに女神のように信愛し、
このお方の幾つかの歌に支えられて、この人生の難局を乗り切ってきたひとりである。

このような蒼穹(そうきゅう)の情景、そして中島みゆきさんが一時時期過ごされた地域を
私なりに少しでも学びたい心情があった。

糠平〈ぬかぴら〉地域に関しては、
一昨年の2009年2月にNHKテレビの『生活ほっとモーニング』を視聴していたら、
『糠平湖』の冬の情景の数々が映しだされ、
『一度は・・行った観たいわ・・』
と家内が私に言ったりしていた。


このような単純明快な発想で、この時節はマイナス10度前後、
烈風か寒気団が襲来すればマイナス20度前後と予測される地域を体感しながら、
多くの方とふれ逢いながら、旅をしてきた。

                              《つづく》

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蒼穹(そうきゅう)の大雪原の帯広、そして厳冬の糠平に、東京郊外の田舎者が訪ね・・。

2011-12-19 22:30:06 | 旅のあれこれ
私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであり、特に雪の舞い降る情景に魅せられて、
この時節になると、雪恋し、心情となり、
明日の20日より北海道の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして未知の糠平〈ぬかひら〉温泉に2泊し訪れる。

私たち夫婦は何故かしら北海道の風土に魅せられて、幾たびか訪れてきたが、
無念ながら帯広の地域は、二度ばかりしかない。
最初は周遊観光で晩秋の時に、道東めぐりの2泊3日の最終で十勝地方を観たりし、
その後は、5月の知床半島のクルーズに魅了された後、旅の終わりとして十勝川温泉に宿泊したが、
いずれも雪のない時節であった。

私の心の奥底には、この十勝地方の帯広の冬のイメージは、
郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、蒼穹(そうきゅう)の情景である。
厳冬の晴れ間の中、大地は凛とし、果てしなく青空が観えるのが、蒼穹(そうきゅう)の言葉に何よりも相応しい、
と思ったりしている。


私が今でも敬愛している亡き作家・立原正秋〈たちはら・まさあき〉氏の随筆から、
私が30代のなかばの昭和55年(1980年)10月の初旬に遅ればせながら
蒼穹(そうきゅう)という言葉を学んだ。

この中の随筆のひとつとして、知人が古美術店を開き、命名を頼まれ『蒼穹』と氏は名付けられた。
氏の発想の根源は、もとより氏は朝鮮半島で生を受けられたので、
大陸性の気候の中、冬の晴れ間の凛とした情景を思い浮かべて、
蒼穹(そうきゅう)という言葉を思い重ねただろう、と私なりに解釈した。

そして帯広市は、シンガーソングライターの中島みゆきさんが、
小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされた、
と私は25年前に学んだりした。
私は中島みゆきさんを秘かに女神のように信愛し、
このお方の幾つかの歌に支えられて、この人生の難局を乗り切ってきたひとりである。

このような蒼穹(そうきゅう)の情景、そして中島みゆきさんが一時時期過ごされた地域を
私なりに少しでも学びたい心情があった。


今回の旅は、このような思いで帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊した後、
いつに日か訪れることを夢にみていた山奥の糠平〈ぬかぴら〉温泉の厳冬地に行く。

いずれにしても地域でも、マイナス10度前後、烈風か寒気団が襲来すればマイナス20度前後と予測して、
防寒着で身を固めて散策する予定であるが、
旅の間に寒いと感じたら、昨今流行〈はや〉っている中島みゆきさんの『荒野より』の歌を、
心の中で唄えば、私は励〈はげ〉まされて身も心も暖かくなる、と思ったりしている。


糠平〈ぬかぴら〉地域に関しては、
一昨年の2009年2月にNHKテレビの『生活ほっとモーニング』を視聴していたら、
『糠平湖』の冬の情景の数々が映しだされ、
『一度は・・行った観たいわ・・』
と家内が私に言ったりしていた。

今回は帯広に行く勢いで訪ねることとなったが、
170センチ、73キロ前後の老いぼれた熊のような容姿で、この周辺を私はうろつき廻る。
寒さより難敵なのは、本物の熊に出逢うことである。

私は5年前の晩秋に、知床半島の小路、その後に阿寒湖の湖畔の小路を独りで歩いていた時、
熊に遭遇してほしくないので、亡き伊藤久男さんの『イヨマンテの夜』の歌を
音痴のことも忘れて、大声で唄ったりした。
もとより熊祭りの歌であり、熊も東京郊外の田舎者に逢いたくないと思ったのか、
お互いに避け合った成功体験があった。

今回も熊には遭遇したくないが、万一出逢った時は、
どうして冬眠していないのょ、不眠症なの、と私なりに驚いてしまうが、
対処方法を少しボケた脳裏で思案している。


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『AKB48』、『なでしこジャパン』、そして『中島みゆき』に、高齢者の私でも、何かと励まされて・・。

2011-12-19 10:04:15 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の高齢者の身であるが、
今朝いつものように読売新聞を読んでいたら、
ひつとのニュースに思わず微笑んでしまった。

38面の『社会』面にある小さな記事のひとつに、

《 AKB48トップ5独占 》

と見出しされた記事であり、やはりねぇ、と微笑んだのである。

無断であるが、この記事を転記させて頂く。

《・・
オリコンは18日、2011年のCDなどの売り上げ年間ランキングを発表した。

シングル部門では、アイドルグループ、AKB48が史上初のトップ5を独占、
1位の「フライングゲット」(158・7万枚)から5位「桜の木になろう」まで5作品がミリオンセラーという新記録を達成した。
年間シングル総売り上げは、734・6万枚に達し、こちらも新記録となった。

アルバム部門は、嵐の「Beautiful World」が90・8万枚を売り上げて1位だった。

(2011年12月19日  読売新聞 朝刊)
・・》
注〉記事の原文にあえて改行を多くした。


私の現役時代は、たまたま音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めた身であり、
ここ1998年にCDを中核とした売上がピークとなった後、長らく低迷期が続いている。
私も2004年に定年退職した後、やはり音楽業界の動向が気になり、
ときおりネットで検索したりしている。

こうした昨今、昨年の春の頃から、アイドルグループの『AKB48』に注視し、
けなげな若き女性のグループに、何かと励まされたりした。

読書好きな私は、本屋に寄ることが多いが、
このの街の本屋の一角に、数々の本などのコーナーが設置され、売れ行きは好調ですょ、
と店員さんから私は教えられたりした。

そして今年もシングルをほぼ2か月ごとに発売され、破竹の勢いですべての作品が
100万枚を超えるミリオンセラーとなり、
私の勤めたレコード会社でないが、『AKB48』は音楽業界に活性をもたらし功績ある、
悦んだひとりである。

このような思いがあるので、このニュースを微笑んで読んだのである。


そして私はサッカーに無知であったが、3月11日に東日本大震災が発生した後、
私は東京郊外に住む私でも、大いに戸惑いながら重苦しい閉塞感につつまれていた・・。

初めて『なでしこジャパン』の存在を知ったのは、
何かしら「FIFA女子ワールドカップ ドイツ 2011」がドイツで行われ、
大会3連覇を狙う開催国ドイツに、延長戦の末1-0で勝利した、
とNHKのテレビ・ニュースで知ってからである。

そして準決勝は背の高い選手が揃っているスウェーデンと対戦することになり、
できたら日本は奮戦して勝って欲しいけれど、無理だろうと、と私は思っていた。
しかし、NHKのテレビ・ニュースで、
何か得意のパスサッカーで3-1で快勝して、決勝進出を果たす、
と知り、驚いたりした。

その後、決勝は世界ランキング1位のアメリカで、日本はこれまで1度も勝利できなかったことを知り、
これまで『なでしこジャパン』は、良く奮戦してくれた、
とサッカーに無知な私でも、秘かに感謝をした。

そして『なでしこジャパン』は、終始アメリカの猛攻にさらされながらも、
延長戦に持ち込み、先行された延長も残り4分、澤選手の同点弾で2-2となり、
PK戦の末、無敵のアメリカに対し初勝利の偉業を達成した、
とNHKのテレビ・ニュースのダイジェトで私は知った・・。

何かしら日本のサッカーの世界で、男子チームを含めて、
日本代表としては初のFIFA主催の世界大会優勝という快挙を成し遂げた、
とニュースは伝えていた。

私はサッカーに無知であったが、こうした熱戦の末、『なでしこジャパン』の各選手の奮闘に、
圧倒的な感銘を受けた・・。


最近の私は、昨今流行〈はや〉っている中島みゆきさんの『荒野より』の歌を、
心の中で唄っていることが多いのである・・。

確か10月中旬の頃から、家内はテレビのドラマで『南極大陸』を居間で視聴しているが、
私は犬も猫も苦手なので、このドラマのテーマ音楽の『荒野より』が聴こえると、
思わずテレビの画面に目が移るぐらいである。

私は中島みゆきさんに関しては、かっては物狂いのような心酔した熱愛者となり、
40代の前半は、出勤や退社後もCDウォークマンで聴いたり、
帰宅後も毎晩アルバムの数々を聴いていた時期もあった。

私は25年近く中島みゆきさんを女神のように信愛し、
このお方の幾つかの歌に支えられて、この人生の難局を乗り切ってきたひとりである。

その後は幾分平熱になってきたが、敬愛するひとりであり、、
この話題の概要も知っていたし、テーマ曲も馴染んできている。

無念ながら体力は衰えてきたが、10歳ぐらい若いと近所の奥様方の評判のある私であるが、
この秘かな源泉は、やはり中島みゆきさんの歌かしらと思いながら、
昨今は思わず『荒野より』の歌を唄ってしまうのである。


このように今年の私は、圧倒的に突出した『AKB48』、『なでしこジャパン』、そして『中島みゆき』に
何かと励まされて、人生は気力だょね、と心の中で呟(つぶや)きながら過ごしている。


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麗〈うるわ〉しき若き女性が、サンタの容姿になれば、高齢者の私でも微笑みながら・・。

2011-12-18 11:39:29 | 時事【社会】
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
麗〈うるわ〉しき若き女性がサンタクロースに扮した容姿の写真が添付されていた記事があり、
高齢者の私は何の記事かしら、と思わずクリックしてしまった。

《 華やかサンタ40人、買い物呼びかけ…福岡 》

と見出しされた記事であり、無断であるが記事も転載させて頂く。

《・・
クリスマス前の街を盛り上げようと、福岡市・天神で17日夕、
周辺の百貨店の従業員ら約40人がサンタクロースの格好で街を練り歩いた。

まちづくり団体「We Love天神協議会」が主催。
天神地下街や博多大丸など10施設が参加した。
サンタクロースやトナカイの衣装に身を包んだ女性たちが、
通行人にお菓子を配りながら天神での買い物を呼びかけていた。

参加した地下街の販売促進担当の女性(36)は
「少しでも楽しい気持ちになってもらえれば」と話していた。
クリスマス・イブの24日も午後4時から同様のイベントが行われる。

(2011年12月18日09時09分 読売新聞)
・・》
注〉記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111218-OYT1T00163.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==《 華やかサンタ40人、買い物呼びかけ…福岡 》☆

私は改めて添付された写真を拝見しながら、
東京郊外の調布市に住む私は、無念ながら福岡市の繁華街の天神地域は未知の世界であるが、
《 サンタクロースの衣装に身を包み、街行く人にお菓子などを配る百貨店の従業員ら 》の情景に、
高齢者67歳の私でも微笑んでしまった。

そして私は家内と共に都心のデパートに買い物に行く時は、殆ど新宿の街であり、
こうした時に、この時節に麗〈うるわ〉しき若き女性がサンタの容姿で、
お菓子などを頂いたならば、三丁目の『伊勢丹』、南口の『高島屋』、西口の『小田急』、『京王』、
いずれのデパートに買い物に行くと思われる。

小心者の私は、お菓子などを無料で頂き、何かしら申し訳なく、
『XXちゃん・・何かデパートで買い物を行こうょ』
と私は家内に言いながら、少なくともマフラーなどを買い求めて、デパートに行くと思い馳せたりした。


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中島みゆきさんの『荒野より』の歌を心の中で唄いながら、この冬一番の寒さを迎えて・・。

2011-12-17 12:02:27 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日の日中は、家内のボディ・カード兼お供で、5時間ばかり買い物に行ったりしたが、
風もなく穏やかな冬晴れの12度前後の中、スーパー、専門店に歩き廻ったりした。

帰宅した後、まもなく北風が吹き、庭の朱紅色に染められたモミジは、
枝葉を震〈ふる〉わせて、やがて幾重の葉は空中に彷徨〈さまよ〉った後は、ゆるやかに地上に落下した。
我が家の住む地域は、晩秋も暖かな陽差しに恵まれて、平年よりも3週間ぐらい遅く、
今年初めてモミジの葉が地上に散乱したのであった。

深夜まで読書をした為、今朝は7時過ぎに起床し、
まばゆい陽射しを受けたテラスに下り立つと、モミジの葉は半分ぐらい散り、
樹木の周囲に落ち葉となり、朱紅色の落ち葉となって彩〈いろど〉っていた。
そして家屋の片隅に吹き寄せのように落ち葉が重なっていた。

庭の黒土は白いベェールのような霜〈しも〉となり、モミジの枝葉は陽射しを受け、
美麗な情景に見惚〈みと〉れていたが、寒いじゃないの、と感じた。

そして私は、昨今流行〈はや〉っている中島みゆきさんの『荒野より』の歌を、
心の中で唄っていたことに気付いた・・。


私は25年近く中島みゆきさんを女神のように信愛し、
このお方の幾つかの歌に支えられて、この人生の難局を乗り切ってきたひとりである。

確か10月中旬の頃から、家内はテレビのドラマで『南極大陸』を居間で視聴しているが、
私は犬も猫も苦手なので、このドラマのテーマ音楽の『荒野より』が聴こえると、
思わずテレビの画面に目が移るぐらいである。

もとより私は中島みゆきさんに関しては、かっては物狂いのような心酔した熱愛者となり、
40代の前半は、出勤や退社後もCDウォークマンで聴いたり、
帰宅後も毎晩アルバムの数々を聴いていた時期もあった。

その後は幾分平熱になってきたが、敬愛するひとりであり、、
この話題の概要も知っていたし、テーマ曲も馴染んできた・・。


私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであり、特に雪の舞い降る情景に魅せられて、
この時節になると、雪恋し、心情となり、
今年の12月は、20日より北海道の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして未知の糠平〈ぬかひら〉温泉に2泊し訪れる。

私たち夫婦は何故かしら北海道の風土に魅せられて、幾たびか訪れてきたが、
無念ながら帯広の地域は、二度ばかりしかない。
最初は周遊観光で晩秋の時に、道東めぐりの2泊3日の最終で十勝地方を観たりし、
その後は、5月の知床半島のクルーズに魅了された後、旅の終わりとして十勝川温泉に宿泊したが、
いずれも雪のない時節であった。

私の心の奥底には、この十勝地方の帯広の冬のイメージは、
郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、蒼穹(そうきゅう)の情景である。
厳冬の晴れ間の中、大地は凛とし、果てしなく青空が観えるのが、蒼穹(そうきゅう)の言葉に何よりも相応しい、
と思ったりしている。

こうした光景の中、中島みゆきさんが、小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされ、
やがて札幌市の女子大学の文学部国文学科に入学するまで、この帯広市で生活された時期もあり、
私なりにの情景を少しでも学びたい心情もあった。

もとより中島みゆきさんのご自身の随筆、そして中島みゆきさんに関しての書物は、
数多く読んできたし、祖父・中島武市で帯広市の議会議長なども歴任されたことも学んできた。


今回の旅は、このような思いで帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊した後、
いつに日か訪れることを夢にみていた山奥の糠平〈ぬかぴら〉温泉の厳冬地に行く。

いずれにしても地域でも、マイナス10度前後、烈風か寒気団が襲来すればマイナス20度前後と予測して、
防寒着で身を固めて散策する予定であるが、
旅の間に寒いと感じたら、昨今流行〈はや〉っている中島みゆきさんの『荒野より』の歌を、
心の中で唄えば、私は励〈はげ〉まされて身も心も暖かくなる、と思ったりしている。


このような心情を重ねてきた私は、昨今は何気なしに中島みゆきさんの『荒野より』の歌を、
心の中で唄うことが多いのである。

そして、先ほど私の住む地元の天気情報を見たら、
朝の6時はマイナス2度、昼下がりは8度前後、夜の6時は4度前後で冬晴れの一日、
帯広市の郊外の音更町の十勝川温泉観光協会のホームページを見ると、
朝の6時はマイナス15度、昼下がりは4度前後、夜の6時はマイナス6度前後で冬晴れの一日、
と表示されていた。

私は、やはり凛とした蒼穹(そうきゅう)の情景である、と微笑んだりしている。

尚、私は蒼穹(そうきゅう)という言葉を遅ればせながら知ったのは、
昭和55年(1980年)10月の初旬で、私が30代のなかばであった。

敬愛していた作家・立原正秋〈たちはら・まさあき〉氏が亡くなり、
遺稿エッセイ集として立原正秋・著の『冬の花』(新潮社)から発刊されて、
私は発刊日を待ち焦がれて、買い求めた一冊である。
この中のひとつに知人が古美術店を開き、命名を頼まれ『蒼穹』と氏は名付けられ、
その後に私は喚起させられた情景が上記に認〈したた〉めた心象である。

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