先程、ヤフー・ジャパンより配信されたニュースを見ている中、
『 伊集院静氏 27歳で亡くなった元妻・夏目雅子さんへの思い
「凄く大事な人って夢に出てこない」と話す理由 』、
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市に住む年金生活の77歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
いつの日にか、まさかの出来事で、家内が私を残してあの世に旅立ち、
私は独りぼっちの『おひとりさま』になるが、
健康の場合は、我が家の古ぼけた家で過ごすと思われる。
こうした時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。
そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、 70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、 やがて同世代の女性からでも、 XXちゃん、
或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。
この後、コーヒー代、昼食代を支払い、800円前後が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、
談笑できるので安らぎのひとときと思える。
やがて帰宅後は、自宅付近の遊歩道、公園を散策した帰路、
この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物して帰宅する。
その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。
この間、料理、掃除、洗濯は、相変わらず初心者マークであるが、
同じするなら明るく楽しく・・私が現役サラリーマンで指針にしてきたことを思い重ねて、
日々実践ねぇ・・と自身を叱咤激励すると思われる。
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような駅前の居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。
こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。
このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
ときおり寂しさは感じても、孤独は無縁だよねぇ・・と思い馳せたりする時もある。
こうした深情のある私は、作家の伊集院 静さんが、亡き愛妻に、
《・・「凄く大事な人って・・夢に出てこない」・・》、
と発言されていたこと、驚きながら、記事を読んでしまった。
この記事は、公式サイトの【 スポニチアネックス 】に2月28日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・
作家、伊集院静氏(72歳)が、27日放送のTBS系「日曜日の初耳学」(日曜後10・00)に出演。
元妻の夏目雅子(享年27)さんについて語った。
【写真】美しい…若くして急逝した夏目雅子さん
1985年に急性白血病のため亡くなった、
元妻の夏目さんについて、
「気立ての良いね、まっすぐな人だった」と話す伊集院氏。
「今でも気を遣ってくれてるしね。夢に出てこないからね」と切り出し、
「もの凄く大事な人っていうのは夢には出てこない。
やっぱり、本人は悲しませたくないからでしょ」
と自身の考えを口にした。
また、「良い方向へ良い方向へ物事を考える生き方をした方が良いと思うね。
雅子さんはそういう人だったからね」と回顧。
最後には「人生っていうのは、あっちでぶつかり、こっちでぶつかり、
ちょっと涙したりこっちで倒れたり・・・
そういう遠回しになるような人生の方が豊か」と語った。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私たち夫婦は、過ぎし年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきたが、
やがて2019年は予告もなく私は、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。
この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。
やがて私の住む地域の都立の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。
そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。
もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。
そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。
やがて手術後、半年の検査で転移がなく、
少しは安堵を私はしたが、やはり5年過ぎるまで、どのような病状が変貌するか、
判らない・・。
このように私は、入院生活を2回も体験し、
そして家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑をしたりした・・。
こうした中、家内の母のお世話は、近くにいる家内の妹に依頼して、
やがて家内の母は『要介護・3』となり、やむなく介護施設に入所し、
月に数日だけ、家内の母は自宅に帰還し、家内の妹がお世話しているのが、
実態なっている。
このようなに体験を私たち夫婦をしながら、
一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
私は友達、知人は自身が選ぶことができ、こうした中で悪感情の末、疎遠になったり、解消できるが、
家族の親子、兄妹は、たとえ愛憎、確執があっても、一生つきまとい、手を切ることができない間柄となっている。
しかしながら血は、水より濃いと称されるように肉親、夫婦、親子、兄妹だけが
知りえる互いの喜びがあり、互いに共有してるのが家族である。
このように家族に対しては、私はブラス思考となっているひとりである。
こうした考えをぼんやりと思い馳せると、モーリス・メーテルリンクさんの童話『青い鳥』のように、
幸せな『青い鳥』は、人誰しもそれぞれのお住まいの身近な所にいる、と私は確信を深めたりしている・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。
そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。
こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして人だれしも長所、短所はあるが、
私は短所の方が多いので、家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、
ボタンの掛け違いのように差異が発生し、険悪になることもある。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、
私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。
このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
やがて2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ・・』と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、『ボケチィンねぇ・・』とか、
ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
私たち夫婦は年金生活を過ごして、丸17年が過ぎ、早や18年目になっているが、
45年ばかり寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
ここ17年過ぎた年金生活は、定年退職するまで何かと悪銭苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽の日々を過ごしてきた。
私より家内があの世に旅立った後、私が独りで散策とか、食事の時など、
家内の容姿、しぐさ、言葉づかい・・など蘇ったり、
夢の中でも・・と思ったりしている・・。