私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であり、
民間の中小業の会社を35年近く奮戦して,2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
私の半生は何かと屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・と思いながら
直ちに年金生活にして、身過ぎ世過ぎの日常生活を過ごしてきた。
そして私は随筆、ノンフィクション、近現代史などの読書に続いて、文章を綴るのが好きである。
退職してまもなくして、偶然にブログの世界を知り、丸10年が過ぎて、早や11年生に進級した。
そして結果的には、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
ここ5年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くのお方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ6年ぐらい殆どの方が心ある写真を添付し、
いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまう私なりに憂慮してきた。
そして 特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。
過ぎし一昨年の2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。
或いは何よりも数多くの50代以上の諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、私は励まされたり、微笑んだりして、年金生活を過ごしたりしている。
そしてコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。
何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった二人だけ家庭であり、
家内の父は過ぎし2004年(平成16年)の秋、私の定年退職時の直前に病死し、
家内の母は独り住まいとなったので、
私たち夫婦は年末年始の期間は我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、この年から恒例のようになっている。
今年も家内の母には、28日の夕方に来宅して貰い、私たち夫婦と3人で年末を過ごし、
新年を迎え、3日の午前中に帰宅される。
我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。
こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。
こうした中で、我が家では大晦日の今宵は、『お年取り』のささやかな酒宴を致しますので、
今年の最後の投稿とします。
『お年取り』は大晦日(おおみそか)の夜に年を取ることを祝って行う儀式と伝えられているが、
我が家でもビールや日本酒を呑ながら、御節料理の単品の数々を頂いたりし、談笑を重ねたりしている。
今年は安倍政権の基で、デフレ脱却を果たし経済復興をめざす様々な施策が実施され、
国民のひとりとして無力な私でも、戸惑いながら思案して、やがて明るい日本に期待している。
こうした中で、社会に於いては余りにも悲惨な出来事が多く、私は悲嘆したり、憂(うれ)いたりしましたが、
来年こそは、明るいニュースで数多くの方と共に微笑んだりしたい、と祈願しています。
改めて諸兄諸姉には、良いお年をお迎え下さい。
2014年(平成26年)12月31日
『夢逢人』
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村
民間の中小業の会社を35年近く奮戦して,2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
私の半生は何かと屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・と思いながら
直ちに年金生活にして、身過ぎ世過ぎの日常生活を過ごしてきた。
そして私は随筆、ノンフィクション、近現代史などの読書に続いて、文章を綴るのが好きである。
退職してまもなくして、偶然にブログの世界を知り、丸10年が過ぎて、早や11年生に進級した。
そして結果的には、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
ここ5年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くのお方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ6年ぐらい殆どの方が心ある写真を添付し、
いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまう私なりに憂慮してきた。
そして 特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。
過ぎし一昨年の2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。
或いは何よりも数多くの50代以上の諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、私は励まされたり、微笑んだりして、年金生活を過ごしたりしている。
そしてコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。
何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった二人だけ家庭であり、
家内の父は過ぎし2004年(平成16年)の秋、私の定年退職時の直前に病死し、
家内の母は独り住まいとなったので、
私たち夫婦は年末年始の期間は我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、この年から恒例のようになっている。
今年も家内の母には、28日の夕方に来宅して貰い、私たち夫婦と3人で年末を過ごし、
新年を迎え、3日の午前中に帰宅される。
我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。
こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。
こうした中で、我が家では大晦日の今宵は、『お年取り』のささやかな酒宴を致しますので、
今年の最後の投稿とします。
『お年取り』は大晦日(おおみそか)の夜に年を取ることを祝って行う儀式と伝えられているが、
我が家でもビールや日本酒を呑ながら、御節料理の単品の数々を頂いたりし、談笑を重ねたりしている。
今年は安倍政権の基で、デフレ脱却を果たし経済復興をめざす様々な施策が実施され、
国民のひとりとして無力な私でも、戸惑いながら思案して、やがて明るい日本に期待している。
こうした中で、社会に於いては余りにも悲惨な出来事が多く、私は悲嘆したり、憂(うれ)いたりしましたが、
来年こそは、明るいニュースで数多くの方と共に微笑んだりしたい、と祈願しています。
改めて諸兄諸姉には、良いお年をお迎え下さい。
2014年(平成26年)12月31日
『夢逢人』
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村