夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

5月も終え、私の心の収穫は・・♪

2008-05-31 17:20:00 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であるが、
5月の日常生活の多くは、読書をしたり、
落葉樹の萌黄色から緑色に深められた移ろいを眺めて過ごしたりしてきた。

そして、別ブログの【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に
今まで書き散らかした投稿文3000通前後を整理、統合したりしている。

本格的に4月19日から開始し、この間は1500通前後の投稿をしてきた。
まだ道なかばであり、本日は90通ばかり投稿した。

このように私が熱中させているのは、
私が幼少時代から年金生活までの生きてきた心の軌跡であり、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからである。


そして、何より思いがけない2つプレゼントを頂いたのである。

ひとつは、富山市の呉羽山に温泉滞在をした旅行の時、
高速道路にあるサービス・エリアで、


♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ
 大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから

【『帰りたくなったよ』 作詞・水野良樹 】


水野良樹と山下穂尊、そして同級生の妹・吉岡聖恵によるスリーピース・バンドで、
『いきものがたり』というバンド名で、
『帰りたくなったよ』という曲を知ったことである。

吉岡聖恵の若き女性の歌声に魅了され、
一昨年の秋、綾香ちゃんの『三日月』以来、
夢中に聴いたりしている。


もうひとつは、美術館の出入り口に掲載されたポスターの一枚である。

http://corot2008.jp/

絵心のない私さえ、思わず瞬時に奥深い美を感じ、
私は魅了させられたのである。


このように明確に根拠のない独断と偏見の多い私であるが、
つたない感性だけを頼りに、この5月も過ごしてきた。
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『風』、若き天才たちの残された歌・・♪  《初出2007.10.27.》

2008-05-31 16:54:06 | 音 楽
家内と共に遅い昼食を頂いた後、
家内は独りで台所でラジオを掛けながら、皿洗いなどをしていた時、
ラジオからひとつの歌が聴こえてきた・・。

私は居間で雨の降りしきる庭の樹木を眺めていたのであるが、
ラジオから流れる歌に聴きはじめた・・。


♪人は誰も ただ一人旅に出て
 人は誰も ふるさとを振りかえる

【『風』 作詞・北山 修  作曲・端田宣彦 】


私は年金生活の63歳の身であるが、
ときおり、この歌を聴くたびに、この歌がヒットした昭和44年の頃を思い出す・・。

この頃の私は、大学を中退し、映画青年、文学青年の真似事をした後、
コンピュータの専門学校で学んでいた時期である。
何とか技術を習得した上で、民間会社に中途入社をしょうとした時であった。

この歌が街に流れていたのを何気なし最初に聴いた時は、
うまく人生を切取った歌と感心しながらも、
作詞、作曲の両氏が20代の前半で私と同世代あったことに、
驚いたのである。


♪ちょっぴり淋しくて 振りかえっても
 そこにはただ風が 吹いているだけ
    人は誰も 人生につまずいて
    人は誰も 夢破れ振りかえる


その後、私は昭和45年に何とか企業に中途入社するのであるが、
この歌に関して、遅ればせながら知った時である。

昭和43年に、北山 修、端田宣典、加藤和彦の3人で
作られた『帰って来たヨッパライ』の空前の大ヒットをしたが、
端田宣彦が作曲として、この歌以前の19歳の時に初めて作曲された歌が『風』であった。

そして、この歌の後に、北山 修が作詞されて、
はしだのりひことシューベルツのグループで、世に出され、大ヒットした。

人生に於ける40代の半ばで、過去の人生を表現された作品は数多くみられるが、
20代の前半で作詞、作曲をされた両氏は、
天才という賞賛の言葉がが相応しい、と思ったりした。

この私なりの評価は、40年近く過ぎた今でも、
決して変わらないのである。


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遥か先人の風景に思いを馳(は)せる・・♪ 《初出2007.10.27.》

2008-05-31 16:51:46 | 旅のあれこれ
東京の郊外は、昨日の早朝から小雨が降りだし、ときおり本降りとなって折、
今朝は強い雨が降って、朝を迎えている・・。

静寂な主庭を眺めていると、昨年の10月下旬に釧路湿原の情景が思いだされた・・。

葦(ヨシ)の一帯の下草が枯れて、
朱色、黄色、薄緑色に染められて、草紅葉となっていた。

この葦の一帯の中で、落葉を終えた榛(ハン)の木が所々ポッンと観られた。

NPOのガイドさんの解説に寄れば、
その昔、本州の各地で開墾前はこのような情景であり、
温暖な本州の一部で開墾が進められて、
水田になったり、やがて田畑になった。
釧路の周辺は、余りの寒さで、長い歳月放置されていたので、こうした景観が残った・・。

私はこうした解説を聴くと、遥か彼方の縄文時代の頃からの先人を想像しながら、
日本の原風景を観られた、と感銘を受けたりしていた。


東京の郊外の降り続ける情景を眺めていると、
遥か日本の原風景に思いを重ねたりしている。


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秋の雨、肌寒く、人恋しい夕暮れ時は・・♪  《初出2007.10.26.》

2008-05-31 16:49:11 | 食べ物、お酒
東京の郊外は、早朝より小雨が降りつづいて折、
ときおり本降りとなっている・・。

秋の深まる時節、何かと詫びしさがつのる時は、
夕暮れ時に早めに入浴する。

心身ほぐれ、身体も温まり、心もすっきりする。

その後、私は弐合徳利に純米酒を入れ、人肌に温め、
この日の好みに応じたぐい呑みで頂く。

そして、長年に於いて寝食を共にし、この世で一番安心できる家内と、
語り合いながら夕食を頂くのに限る。

ここ30数年、苦楽を共にした家内を私は、
戦友のようだね、
と云ったりすると、
家内は少し照れたようなしぐさをする。

尚、平日の夕暮れに家庭風呂に入れるのは、
現役時代の時は夢のひとつでもあった。

このような我儘なことが出来るのは、
サラリーマンを卒業した年金生活の4年生の特権かしら、
と微苦笑している。



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洋画の美女を思い浮かれれば・・♪   《初出2007.10.26.》

2008-05-31 16:47:06 | 読書、小説・随筆
東京の郊外は、小雨が降り、ときおり本降りの日中となっている。

1時過ぎまで、外出していたので、
遅い昼食後、沖縄関連の本を探していた時、
一冊の文庫本を書庫で読みはじめてしまった・・。

作家・森 瑤子・女史の『美女たちの神話』(講談社文庫)であり、
1993年の頃に買い求めた文庫本である。

初出誌は女性向けの雑誌の『With』
1985年から翌年に掲載された作品である。

私は若き頃の1時時期、映画青年の真似事をした時があったので、
邦楽、洋楽問わず数多くの映画を鑑賞していた。

この文庫本の購入した動機は、
解説文を見て、読んでみたい、と思っていたのであった。

解説文は思わず買わずに入られない魅了ある文章なので、
無断であるが転記させて頂きます。


美しい女性(ひと)が美しい人生を送るとは限らない。
ヴィヴィアン・りー、イングリット・バークマン、マリリン・モンロー、グレース・ケリー、
シンプソン夫人、フランソワーズ・サガン、ココ・シャネル、エデット・ピアフなど
15人の美女たちの愛と哀しみに彩られた生のドラマを華麗な筆で綴る。
写真多数掲載。

以上、解説文を転記させて頂きました。


私は、書庫の隅で、最初に見たのは、
カトリーヌ・ドヌープであった。

私の二十歳の頃、イングリット・バークマンの愛の軌跡に魅了されたが、
表面は理知的であるが、燃え上がった恋に家庭、名声、財産等の何かも捨て、
恋する男の下に駆けつける行動する女性は、
受け止める男は大変だなぁ、と思ったりして、ため息をしたりしていた。

その後、カトリーヌ・ドヌーブの映画を数多く鑑賞し、
このお方の略歴には驚嘆したりした。

このような私なりの20代の頃からの思いがあったので、
懐かしく再読をカトリーヌ・ドヌーブから読んだのである。

私はオードリー・ヘップバーンに関しては、
10作品前後を鑑賞しているが、日本でも人気は高い女優さんであるが、
私は一番苦手な人である。

スクリーンを通しても、女性の匂いが言葉、しぐさから感じることが出来ないので、
細身のお人形さんみたいと、今でも思っている。


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秋の静寂な雨を迎えて・・♪   《初出2007.10.26.》

2008-05-31 16:45:08 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、早朝から小雨が降りだしてきた・・。

ここ数日、雨の降る日が続くと、天気予報は報じていた。

秋日和に恵まれた日々が続いたので、
秋の深まる中、ときには小雨も良いかしら、と思ったりしている。

秋の小雨は、肌寒く、人と恋しい情感をもたらす、
と静寂な主庭を眺めている。


私は日中、『誕生日健診』で病院に寄り、散髪屋(理容店)、そして買物と、
私なりに忙しい日を迎える。



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日本は、世界の大国から嫌われる・・!!  《初出2007.10.25.》

2008-05-31 16:43:06 | 時事【政治・経済】等
私は年金生活の四年生の身であり、
少しボケはじめ、政治に疎(うと)い私さえ、特に最近は憂いているひとりである。

昨夜、NHKのニュースを視聴していたら、
思わず赤面し、恥じてしまい下を向いてしまったのである。

アメリカのシーファー・駐日大使が、
インド洋に於ける海上自衛隊の給油活動の中断化の問題について、
『中断が実施した時は、
国際社会とテロリストに悪いメッセージを送ることになる。
日本は対テロから離脱する印象を与える』
と懸念をされていた。

私は日本は貿易大国として、世界の国々から多大な収益を上げ続け、
日本の国民は世界の人々から羨(うらや)むような豊かな生活を享受している。

国際協調の一環として、テロ対策に離脱した場合、
責務を放棄した日本は、世界の大国から険悪される、
と直感して、恥じたのである。

私は野党の議員の方々が、
日本の給油した油が、たとえアメリカ軍がイラク作戦に転用しても、
日本の国益を配慮すれば、ささいなことであると確信している。

敗戦後の日本は、アメリカの国益の総合施策の中で、
防衛はアメリカに頼り守って貰い、経済立国として躍進してきた事実からすれば、
真の日本の国益を考えれば、ささいな事であることは明白である。

今回の政局で給油問題で質疑応答の混迷を見ている限り、
日本の内外に重要課題が数多く山積している現在、
国家議員の諸氏は、真剣に日本の現状と将来の課題を懸案しているのか、
疑わしい限りである。

山積する難問を出来るだけ延期し、
単に表面上の大衆送迎ばかりの問題を国会質疑で時間を潰しているのは、
限りある貴重な時間の無駄であり、国家的な損出である。

国家議員は多大な特権と国民から信任され当選された身であるので、
少なくとも国民が安心して暮らせる総合施策で導く責務がある。

このようなことを考えていたら、浅い眠りとなって、
目覚めてしまったのである。

尚、給油が中断した場合、
日本は洞爺湖のサミットを辞退するのか、
或いはサミット期間中、日本の首相は下を向いたままなのかしら、
と余計なことを思っているのである。

世界の大国の中で、権利と責務は一体化であり、
責務を忘れた日本は、世界の国々から嫌われ、衰退の一歩になるかしら、
と憂いているのである。


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嬉しい限りであるが、困る時・・♪   《初出2007.10.24.》

2008-05-31 16:33:21 | 定年後の思い
午前中のひととき、私は『誕生日健診』の帰路、
何時ものように家内から手渡されたスーパーのチラシで、
家内の赤丸のチェックした品々に基づいて、
何時も利用しているスーパーに寄った。

私は胃がんの健診で苦手なバリウムを飲んだ身であり、
お腹の具合が不安定なのであったが、私なりの年金青年の責務のひとつとして、
何時ものように買物をした。

ティシュ・ペーパー5個入りでワンパックを2パックを含め食料品等を買い求めた後、
レジ売り場で、
『2000円以上、お買い上げの方は・・
あちらで抽選会をしていますので・・どうぞ・・』
と云われた。

私は抽選会の場所に行き、私の前の若きご婦人が、
手で回転させる抽選器具を回転させて、ひとつの玉が出てきた・・。

『奥様・・残念でした・・』
と店員さんから、ポケット・ティシュを手渡しされていた。

私の順番になると、
『4000円以上・・お買い上げですので、
2回・・廻して下さい・・』
と店員さんは私に云った。

私は一回目を廻し終えたら、先程のご婦人と同じような色の玉であった。

そして、二回目はどうした訳か判らないけれど、
違った色合いの玉が出てきた。

店員さんは微笑みながら、
ポケット・ティシュをひとつ、そしてティシュ5個入りのワンパックを手渡たされた。

私は籤(くじ)運は弱い方であり、最低賞から幾分上の賞で幸運と思ったが、
ティシュ2パック買い求めた上、1パックを抽選で頂けたが、
3パックを手持ちするには多すぎるのである。

私は左手に食料品など、右手には3バックのティシュ・ペーパーを提げて、
午前中のおだやかな秋日和を陽射しを受けながら帰宅した。

『XXちゃん・・健診の帰りの買物・・
思いがけない品を頂いたよ・・』
と家内に苦笑しながら云った。

家内は私が提げてきた3パックで計15ケースのティシユ・ペーパー箱を見て、
最初は驚いていたが、
私の事情を聴くと、
『それは大変でしたね・・でも、助かるわ・・』
と声を上げながら、笑っていた。

尚、抽選の特等賞は、新米10キロと明示されていたが、
万一、該当したら、持ち帰るのは非常に困るので、
人生はたえず適度な微笑みがある、と私は思っているのである。


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されど、誕生日健診・・♪   《初出2007.10.24.》

2008-05-31 16:31:15 | 時事【社会】
私の住む調布市では、満60歳以上になると、
毎年、健康診断が行われる。
誕生日の月と翌月までの診察可能な期間であるので、
『誕生日健診』として親しまれている。

基本の健康診査として眼底検査、血液検査、胸部のレントゲン撮影、心電図の検査等である。

そして、希望者に限り、胃がん、大腸がんの検診を受けられ、
女性の場合は子宮がん健診も受けられる。

60歳未満の市民は、5年間毎となっている。

私は昨年の62歳より、この市の『誕生日健診』を受診して折、
それ以前は会社に勤めていた健康診断を利用していた。

私が受診の際、胃がんの健診が最も苦手である。
前夜の9時過ぎから、飲食は禁じられているので、水分が取れないのが辛いのである。

そして、バリウムによる胃の直接撮影なので、
バリウム自体美味しくなく困るのである。
その上、診察台に乗り、仰向け、うつ伏せ、と云われても、
幼児の頃から苦手な私は戸惑うのである。

年に一度なので、軽い拷問と思い、何より自分の身体の健診なりで、
何とか耐えているのが正直な時である。

今朝から私は病院で受けてきたが、
胃がんの健診を終えた後、
口の周辺がバリウムの白さで少し汚れていた・・。

私は幾つになっても馴染めない検査であるが、
病院に関しては、余りお付き合いしたくない、というのが本音である。

こうして綴っていると、女医のアシスタントの若き女性の微笑と淡いピンク色の制服が浮び、
容姿も素敵だった、余計なことを思ったりしている。


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『十三夜』の前のひとときは・・♪   《初出2007.10.23.》

2008-05-31 16:28:40 | 小庭の情景を眺めながら
西の空に太陽が丸い光芒を放ち、
陽光は周囲の雲を橙色に染めていた。

周辺の蒼い空は、次第に水色となり、
やがて薄紫色となり、そして色合いを深めて、暗さを増した中、
陽は名残りおさそうに沈んいった。

東南の空は青い空の中で、ほのかに月が見えて、
淡さを増した空は水色となり、ゆっくりと満月の輪郭を現(あら)わした。


秋の夕暮れのひととき、
私は煙草を喫いながら、たそがれの情景を眺めたりしていた。

私は小学生頃、いじけた幼年の劣等生であったが、
夕暮れの情景がこの世で一番綺麗な光景で、
思わず涙をためる多感な少年でもあった。

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今宵は、月を眺めば『十三夜』・・♪   《初出2007.10.23.》

2008-05-31 16:26:40 | 小庭の情景を眺めながら
古人の人々から、秋の夜の満月を誉(ほ)めたたえる『中秋の名月』の十五夜、
そして10月の十三夜は、幾千年多くの人達の心を和(なご)ましてきた。

『中秋の名月』に関しては、私はこのサイトで9月25日於いて、
『『中秋の名月』の想いで・・♪』で綴ったので省略するが、
たまたま今年は今宵が十三夜となる。

幼年期に思いを馳(はせ)せると、
収穫された小豆(あづき)を供(そな)え、
そして栗の実を数多く供えられていたことを想いだすのである。

十三夜に曇りなし、と古人から伝えられているので、
限りなく美しい日本の風土の各地に満月が照らされ、
それぞれの人のさりげない願いを託(たく)すには、
今宵は最良の日になれば、と祈願している。

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月を眺めれば・・♪   《初出2007.10.22.》

2008-05-31 16:24:25 | 小庭の情景を眺めながら
明日の夜は、満月の『十三夜』であるので、
先程、月をほめに、庭に下り立った・・。

私の住む東京の郊外では、
月は恥らうように曇り合間に見え隠れたりしている。

都心の多くの女性は何かと忙しく喧騒にまみれ、
昨今は謙虚な会話も少なく、そして羞恥心の余裕もなく、日常は過ごされているのか、
と年金青年の私は、余計なことを思ったりしている。

さて、地方のお住まいの50、60代の女性に対し、
日本の女性の美徳である羞恥心を秘めたしぐさ、謙虚なことば、そしてほのかな妖艶さは、
私はわずかに望みを託しているひとりである。

改めて月を眺めれば、この幾千年、変わらぬ微笑を浮かべているので、
現世は夢幻のひとときかしら、と微苦笑している。


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年金生活4年生になれば・・♪   《初出2007.10.22.》

2008-05-31 16:22:44 | 定年後の思い
私は民間会社のサラリーマンを定年退職して、数日前に丸3年が過ぎて、
4年目となった。

当初の予定通り、年金生活をして、私と家内はそれぞれの趣味を主体に、
ときおり共通の国内旅行で四季折々各地を訪れている。

定年退職の直前に家内の父が死去したので、葬儀などの関連と、
私の退職の手続き、程々の金融資産に伴い銀行、郵便局の各所に行ったりして、慌しい日々が続いた。

家内の父の四十九日で納骨を済ませ、
家内の母と3人で、墓地の近くの温泉地に3泊4日で観光ホテルに滞在した折、
のんびりと周辺を散策した時、
こんなに日中気ままに過ごしてよいのかしら、
と少し後ろめいたような感じをしていた。

12月の下旬、家内と土湯温泉に3泊4日で滞在した時、
歳末に近く何かと慌しい世間を見ながら、私達はゆったりと時を過ごした・・。

こうして、サラリーマンの多忙だった時間帯の生活から、
心身吹っ切れた、と感じたりした。

この頃の私なりの思いは、このサイトにすべて綴っているので、省略する。

昨今、曜日の感覚が薄れ、カレンダーなどで確認し、微苦笑したりしている。


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ときには、早寝、早起きは、元気な子!?  《初出2007.10.22.》

2008-05-31 16:20:50 | 定年後の思い
東京の郊外は、眩(まぶ)しい朝を陽射しで、おだやかな週明けの月曜日を迎えている。

ここ数日、朝の6時頃は13度前後で、
私は長袖のスポーツ・シャツにカシミヤの袢纏(はんてん)と容姿となり、
日中は23度前後の秋日和の陽射しを受けて、
袢纏を脱いで、長袖のスポーツ・シャツで快適となっている。
庭に下り立つ時は、冬の時節以外は、素足で下駄である。

昨日の日中のひととき、庭の手入れを夕方の4時過ぎに終えて、
入浴した後、家内がお風呂に入っている間、このサイトの投稿文を綴ったりしていた。

この後、ビールを呑みながら、寿司をつまみ、
庭にある雑木の春から秋の移ろいを家内と話し合ったりしていた。

6時半になると、庭の手入れの疲れか、ビールで心地よくなったかは判らないが、
眠くなったので布団にもぐった。

目覚めた時は、深夜の1時半であったので、
鴨下信一・編『忘れられた名文たち』(文春文庫)を読んだりしで、4時過ぎまで過ごした。

私は日中と夜と狂いだしてしまうので、文庫本を閉じ、眠ることにした。

朝の6時に起きだして、身体の全体がだるいので苦笑している。
私は運動不足なので、庭の手入れなどを多少すると、
ここ数年、筋肉痛となっている。

このような状況であるが、少し清々しくなった庭を見つめて、微笑している。

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この人生に微笑みを・・♪   《初出2007.10.21.》

2008-05-31 16:17:04 | 定年後の思い
私は、日中は庭の手入れをしていて、
落葉樹の伸びた枝の剪定をしたり、草取りをしていた。

歩道に面した庭は、秋海棠の明るい朱色が満開となり、群生している。

私はこの周辺の落葉樹の廻りを草取りをしながら、鼻歌を唄いながらしていた。


♪白い花が 咲いていた
 ふるさとの 遠い夢の日

【 『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙 】


私は人影を感じ、鼻歌を止めた。

ひとりの若い女性が小道にたたずんでいた・・。

『ご免なさい・・
秋海棠の花が余りにも・・綺麗だったから・・
見惚れていました・・』
と若い女性は私に会釈した。

私はうら若き乙女の方だったので、
『そぉ・・夏から秋にかけて・・よく咲きますよ・・』
と私と警戒心を解くように、微笑みながらは云った。

『小父さんの歌・・よく内(うち)のお祖父さん・・歌っていますわよ・・』
と若き女性は言った。

『貴女のお祖父さん・・心の清き方と・・思いますよ・・』
と私は照れながら云った。

若き女性は、こっくりとうなずきながら、微笑み、そして黙礼をし、立ち去った。

私はふっくらと健康そうな若き女性の後ろ姿を見送った・・。



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