夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

やせたい人は、今夜もビールを飲みなさいと教示され、呑兵衛だった私は、驚きながら微笑んで・・。

2016-05-31 16:43:22 | ささやかな古稀からの思い
私は民間の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で直ちに年金生活に入り、現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

こうした中で、純米酒の辛口が好きの私は、晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだりした。

ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
リストラ烈風の中、最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした・・。

この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。
               
  
やがて2008年(平成20年)の秋に健康診断を受診した後、肥満体と診断され、
まもなく市の斡旋の『メタボの研修』を受講した後、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会などに限り、地酒をある程度は呑んだりしたが、
平素は缶ビールの350mlを2本までを殆ど守ってきた。

こうした中、もう少し呑もうかしら、と思うと、
何故かしら優しい保健師の女医さんのアドバイスの笑顔が蘇(よみがえ)り、
缶ビールの350mlを2本までの夜が圧倒的に多かったりした。

やがて翌年の2009年(平成21年)の秋に健康診断を受診した時は、
体重は3キロばかり減少て、75キロとなり、
優しい保健師の女医さんのおかげかしら、と私は微笑んだりした。

そして私は悦びながら、家内に伝えたら、
『あなたの健康にも良いし・・家計費のアルコール代も減りますから・・』
と家内は私に微笑みながら、言われたりした。

この後、私は相変わらず缶ビールの350mlを2本までを守り、
幾たびか旅行を重ねた時、昼はビール、夕食の時は地酒も呑んだりした。

こうした中、日常生活は散策と買物ぐらいの運動不足、その後の猛暑でエアコンの冷風の中で昼寝も多くなり、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、ふたたび78キロに戻ってしまったりした・・。
                                          

この結果、『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記され、私は青ざめ、
翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は定年の5年前の頃から、60代は五体満足で生かしてくれ、その後は余生である、と公言してきたが、
家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。

このような時、家内は旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂いていた場合、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。


やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は晩酌の缶ビールの350mlを2本さえも取りやめて、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

そしてウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりした。

この結果、体重は74キロとなり、4キロばか減少し、
ズボンの腰回りも楽になり、ベルトについている穴も2つばかり減り、
何かしら身体が軽快に成ったと微笑んだりしていた。
                      

この間、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。
                     
そして私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。

かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、
過ぎている・・。

このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となった。

この後、国内旅行で家内と共に各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
         
やむえなく糖分の多い日本酒、ビールとお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックとし、
弱くなったので、少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととして、
5日に一度ぐらい自宅で呑んだりしているのが現状となっている。
                           

こうした中、過ぎし40代前後に弐合徳利、ぐい呑むを幾種類も買い求めて、
晩酌の時に、今宵はどの弐合徳利にしようかしら、と選定しながら夜の友のひとりとしてきたが、
今やガラス戸の棚に、ひっそりと鎮座していることも、忘れていることが多くなっている。

過ぎゆく人生は、無念ながら何かしら断念することもある、と私は微苦笑している。

こうした思いのある私が、先ほどネットで、
【 やせたい人は、今夜もビールを飲みなさい 】と見出しを見て、
本当かょ、と思いながらクリックしてしまった・・。

http://shuchi.php.co.jp/article/1009?
☆【PHP Online衆知】公式サイト==>『生活・健康』==>
安中千絵(管理栄養士、食・健康コンサルタント)『やせたい人は、今夜もビールを飲みなさい―メタボが気になる方に朗報!』☆


私は優(やさ)しそうな安中千絵さんに導かれて、精読した。

やがてビールを呑む時も、食物を頂きながら、談笑しながら呑むことを改めて学んだりした。
こうした中で、
☆1日に飲むビールは、ロング缶(500ml)2本まで。
☆必ず週1日は、休肝日を設定。

これを鉄則とすれば、自宅でビールを復活しても良いかしら、と私は微笑んだりしている。

そして何かと単細胞の私は、オペラは苦手であるがヴェルディ:歌劇『椿姫』をたった一度だけ鑑賞してきたので、
『乾杯の歌』をかぼそい声で唄ったりしている。

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葬式で良い葬儀社を見極める7つのポイントを学び、やがて私は微苦笑させられて・・。

2016-05-30 14:54:14 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
無念ながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身となっている。

そして私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしている。

私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。
こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。

私はサラリーマンを定年退職し、早や11年半が過ぎた年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできたりした。

こうしたことで、遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。
            

こうした中で、家内はもとより、私の兄である夫妻、妹の夫妻、一番下の妹、兄の子供である甥のふたり、
そして家内の妹夫妻、そして家内の母が存命であったら加わって欲しい・・
このくらいの親族の一部の最小限のメンバーで通夜、告別式を執り行って、家族葬の形式と念願している。


このように私が、いつ日にか亡くなった時は、家族葬で執り行って欲しい、
と家内に幾たびか言ったりしているが、新聞、雑誌、ネットなどで葬儀社については、
漠然と読んだり、見たりしてきた。


先程、ネットで【 葬式で重要な葬儀社選び 良い葬儀社を見極める7つのポイント 】と見出しされた記事を見て、
私は精読し、やがて私は微苦笑させられたりした・・。


この記事は朝日新聞社系『dot.』で5月29日に配信されて、
原文は週刊朝日ムック『はじめての遺言・葬式・お墓』(朝日新聞出版)に掲載された一部であり、
無断ながら転載させて頂く。
            

《・・どんなお葬式をするかも大切ですが、希望する葬式を実現できる葬儀社選びも重要です。
週刊朝日ムック『はじめての遺言・葬式・お墓』(朝日新聞出版)で紹介した、
いい葬儀社を見極める7つのポイントをお教えします。監修は葬祭カウンセラーの二村祐輔さんです。
*  *  *
希望する葬式の規模や形態が固まったら、それに沿った葬式が実現できる葬儀社を探します。
葬儀社は、「町の葬儀屋さん」といわれる葬儀専門業者と、
葬儀プランの前払い割賦販売を提供する互助会に二分されます。

ただ近年は自社では施行せず、窓口となって受注し、提携する葬儀社につなぐ仲介業者が増えています。

とりわけ、スーパー大手のイオンが2009年、葬儀仲介に参入し、
店舗内の窓口で一律料金の葬式プランの取り扱いを始めたことは、業界に大きな変化をもたらしました。

たとえば、それまで「ドンブリ勘定」「不明瞭」との批判があった料金が、明確化しつつあります。
その一方で価格競争が激化し、実態の怪しい業者が紛れ込んだり、
格安をうたいながら追加で、高額請求したりするトラブルも発生しています。
            

選ぶ際のポイントはまず、個人情報の取り扱いが万全であることが大前提。
これは事前相談の段階から、氏名、住所はもちろん、本籍やお墓、家計の状況など、
プライバシーに関わる個人情報をかなり渡すことになるからです。

昔はこうした情報が、関連会社の営業の参考資料に使われる例もありましたが、
今は厳重に管理されることになっています。
企業理念や認証マークの有無などで見極めましょう。

また、葬儀社との間で起こりやすいのは、やはり料金トラブルです。
プラン内容が不明瞭だったり、オプションが説明なしに付けられて追加請求されたりして、
最終的に想定より高くなるケースも、少なくありません。

まして、生前予約をしても葬儀社がつぶれては、元も子もありません。

これらを避けるには、経営主体を見極め、明細の付いた見積書を出してもらうこと、
プランの中身やオプションについて納得のいくまで、説明を求めることが肝心です。
さらに、大事な儀式を任せるのですから、スタッフの資質もチェックしましょう。
身だしなみはもちろん、説明がわかりやすいか、疑問に丁寧に答えてくれるかも重要です。(取材・文/塩田真美)
            

【 いい葬儀社の7条件 】
※『遺族のための葬儀・法要・相続・供養』(二村祐輔監修/池田書店)をもとに作成

(1)個人情報の守秘管理が万全
最も大切なのが、個人情報の守秘管理。
葬儀社には死亡届や診断書に記載される個人情報をはじめ、故人や家族の経済状態などプライバシ―に関わる情報がたくさん伝わる。
これを厳重に保管し、拡散、流出させないための方策をもっていることが大前提となる。

※「PIP認証」は信頼の証し
信頼できる葬儀社を選ぶ際の目安の一つとなるのが、「PIP認証」。
PIPとはプライベート・インフォメーション・プロテクトの略で、
一定基準を満たした葬儀社を葬祭情報管理適格事業所として、一般社団法人日本葬祭情報管理協議会が認定、公示するもの。

(2)事前相談のきっかけを提供
チラシやパンフレットによる事前相談募集だけではなく、利用者向けのセミナーを定期的に開催するなど、
ライブで情報発信していれば、自分の目で確かめられて安心。

(3)わかりやすい説明
わかりやすく説明してくれることも大事。
不慣れなことなので、こちらの疑問にも丁寧に答えてもらいたい。
豊富な葬祭の知識と経験をもつスタッフがいると心強い。

(4)言葉づかいが丁寧で、誠実に対応
葬祭業もサービス業のひとつ。
言葉づかいや身だしなみ、接遇マナーが一定水準に達していないと、せっかくの儀式も台無しになる。
しっかりチェックしよう。
            

(5)要望や希望を 受け止めてくれる
葬式の主体は、あくまでも依頼者。
こちらの言い分や要望を的確に理解したうえで、折り合いのつく結論を出してほしい。
自社のパターンに当てはめようとするところは、要注意。

(6)自社の施行写真や記録を提示
相談時に、実際に施行した際の写真などを見せてもらえると安心できる。
返礼品やお礼状なども、カタログだけでなく、実物を手に取って見られるほうが望ましい。

(7)明確な見積書を無料で発行
事前相談の内容を盛り込んだ、わかりやすい書式の見積書が、無料で出せることも重要。
葬儀費用だけでなく、お布施や料理なども含めたトータル費用の目安を提示してくれると安心。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
            

私は、いつ日にか亡くなった時は、遺(の)こされた家内、
或いは私が家内に先立たれた時、葬儀社をこの記事で【いい葬儀社の7条件】を多々教示されたが、
果たして冷静に短時間で選定できるかしら、と微苦笑したりした・・。

そして今後は、葬儀社のチラシ、或いは新聞記事に掲載されていた時、
私たち夫婦はお互いに確認して、平素から心構えを少しでも蓄積しよう、と思ったりしている。

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介護の現実「地域で他人の面倒をみている余裕なんてない」と改めて学び、私は動顛を重ねて・・。

2016-05-29 16:15:56 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
本日の8時半過ぎから小庭の手入れを始めた・・。

快晴に恵まれたが、燦々と照らす中、熱いじゃない、と何かと熱さに苦手な私は苦笑したりした。
少し樹木の枝葉を剪定した後、草むしりをしたりした。

こうした中で、樹の下の周囲にある雑草を取ろうと、地面に這いつくばりながら奮戦すると、
やがて泥まみれ汗まみれとなり、苦笑したりした。

そして体力の衰えた私は、ときおりテラスに於いてある簡易椅子に座り、
冷たい煎茶を飲みながら休憩したりした。

こうしていた時、昨夜、ネットで偶然に読んだひとつの記事が思いだされた・・。

【 介護の現実「地域で他人の面倒をみている余裕なんてない」 】と題された記事で、
『週刊女性PRIME』に2016年04月17日配信されていて、
この記事の原文は『週刊女性』2016年4月26日号に掲載された記事である。

私は何かと介護の世界にも無知な方であり、少し古い記事であったても、
体制には影響がない、と真摯に精読したりし、やがて多く御方にも共有致したく、
無断であるが転載させて頂く。
            

《・・小規模の、通所・短期入所介護などを行うデイサービスや訪問看護から、つぶれ始めている。
そこへ追い打地を掛けたのが'15年4月からの介護保険法改正だ。

介護保険では、介護を必要とする程度の区分を軽度なものから要支援1・2、要介護1~5と認定している。

このうち要支援1・2の訪問介護、通所介護が介護保険サービスからはずされ、
'17年までに市町村が行う『介護予防・日常生活支援総合事業』(総合事業)という新制度に段階的に移行される。

要支援1・2を介護保険からはずし、市町村へ移す総合事業は「施設から在宅へ」という社会保険制度改革の流れを受けたものだ。
住み慣れた地域で、安心して最期まで暮らすという理念自体は素晴らしい。
問題は、それが実現可能かどうか。

介護福祉ジャーナリストの田中元さんは断言する。
「国は、地域の多様な資源を使って、要介護の人を支えると言っていますが、
介護サービスの資源そのものが、絶対的に不足しています。

それに地域といっても、事情はさまざま。
例えば、人口がどんどん減少する地方の介護サービス資源は少なくなり、
若い介護職は仕事を求めて、都市部へ移動する。

かたや都市部では、団塊世代が一気に高齢化。
需要が供給に追いつかない」
            

これを解消するのに、国は高齢者にも“活躍”してもらおうと提案するが、
「今の高齢者は所得格差が広がり、年金が減ることを想定して働き続ける人が多い。
地域で他人の面倒をみている余裕なんてありませんよ」(田中さん)

'15年の介護保険法改正に伴い、介護保険の利用者負担が年金収入280万円以上、所得160万円以上を条件に、
1割から2割に引き上げられた。

田中さんによれば、すでにデイサービスや訪問介護の回数を減らす動きも顕著だという。

どこにも受け皿がなければ、家族がみるしかない。
かくして介護を理由に、年間10万人以上が職場を去っていく。その8割が女性だ。

安倍政権は'20年初頭までに、特別養護老人ホームなど12万人分の介護施設を追加整備、
50万人の受け皿を作るとして“介護離職ゼロ”をぶち上げる。

これに田中さんは「言っていることと、やっていることがバラバラ」とバッサリ。
「施設などのハコモノを作っても、そこで働く人が集まらない。
介護職員の低賃金という事情もありますが、認知症の人の増加や、病院から在宅までの期間が短くなるなかで、
介護に手間のかかる状態の人が増えたことも大きい。
            

一方で、介護職員は減っているから当然、1人あたりにかかる負担は重くなる。
特に中間管理職の疲弊が激しい」(田中さん)

新人が入ってきても、じっくりと教育する余裕が、今の介護現場にはない。

「本来であれば、知識を持って経験を積んで、患者を落ち着かせるという手順があるはずですが、
感情と感情のぶつかり合いになって対応できず、ストレスがたまる。

すると給料に見合うのかなという疑問が出てくるし、よほど志が高くない限り辞めますよ。
人手不足の悪循環に陥っていく」(田中さん)

恐ろしい事態は続く。

「厚生労働省は要介護2以下の人を“軽度者”として、介護保険サービスの対象から一部を除外したり、
地域支援事業に移行させたりする施策を進めようとしています。

そもそも認知症の専門医は少ないうえ、要介護認定が適正に行われているかどうかの問題がある。
要介護1より軽い要支援であっても、認知症で日常生活自立度(記憶障害などで日常生活に支障が出る程度)が
重い人たちも含まれているからです」(田中さん)・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
            

私たち夫婦の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、11年半前より独り住まいとなっている。
やがて昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。

やがて一か月前、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

何かしら身だしなみや掃除などの身の回りの世話に手助けが必要で、
立ち上がり、歩行、移動の動作に支えが必要とする時があり、
排泄や食事は殆ど自分でできるが、問題行動や理解の低下がみられることがある方が対象されている。

こうした状況を家内から教えられた私は、いよいよ老々介護の時代に私たち夫婦はなった、と実感した。
            

過ぎし6年前、私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

私は何かと単細胞でプラス思考であるが、やはり9年後の「2025年問題」を憂いたりしてきた。
            

2025年の日本は、団塊の世代が75歳を超えて後期高齢者となり、
国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上という、人類が経験したことのない『超・超高齢社会』を迎える時代である。

こうした中で、若者が減り、老人が増え、何かを作る仕事に携わる人が減り、介護や葬儀に携わる人が激増し、
国全体が老境に入ってしまったような状態が到来すると伝えられる。

そして現時点でも、軽度のものを含めれば、少なくとも820万人が、認知症を患っているという厚労省のデータがあり、
それに基づけば、2025年には今の1・5倍、1200万人以上が認知症になる、状況が予測されている。

そして全国民の10人に1人がボケていて、特別養護老人ホームには、順番待ちの長い列ができ、
認知症の特効薬ができる気配もない、と報じられてきた。

こうした中、2025年、まず医療がパンクし、
厚生労働省の推計によれば、2025年の医療保険給付は総額54兆円と、現在より12兆円以上増える見通しで、
衰えゆく日本の国力で、とうてい賄える額ではない、と新聞で掲載されたりしている。

そして「破綻シナリオ」を回避するために、国は医者と病院を減らしにかかっていて、
医者がいなければ、治療できない。治療できなければ、医療費が膨らむこともない。
つまり、医療費を抑えるため、医師の数を減らし、病院の数も抑えている、と伝えられている。
                         

或いは介護も難題であり、介護保険制度が設けられた'00年に比べ、
現在、介護関連の職につく人の数は、およそ4倍にも膨らんでいる。
それでもまだまだ、人手が足りそうにない、と報じられてきた。

そしてこれからの日本は、地方の人口は減ってゆきますが、大都市圏では人口はあまり減らず、同時に高齢者が激増し、
首都圏では、高齢者人口はおよそ1000万人にも達する、と専門分野の御方が発言されていた。

そして2025年を待つまでもなく、あと数年で、首都圏の介護施設は足りなくなり、
『介護クライシス』と懸念されている事態が予測される、と補足されていた。

こうしたことを私なりに学んできて、今回の記事と思い重ねて、
やがて『病院迷子』、或いは『介護迷子』の時代到来に、改めて動顛をしたりした。

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つたない人生航路を歩んできた私でも、年金生活の中で、秘かに敬愛している格言は・・。

2016-05-28 17:13:13 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日の朝、洗面した後、いつものように、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。
               

私は曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向って、
何かと気弱な癖に、ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。
     

世の中で著名な相田みつを氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999年〈平成11年〉の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親を誘い、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
               
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。

そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこのお方の名は知っていたのであるが、遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。
               

この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
               
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあり、
私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な平坦の書体で書かれていた。

そしてこの日以来、私はこの御方を秘かに慈父のように人生の師と掲げたりした。
               

私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
長年サラリーマン生活を過ごす中、障害レースのように幾たびかリストラに遭遇して、
何とか乗り越え定年退職を迎えことが出来るまで、何かと卑屈と劣等感を秘めながら、悪戦苦闘が多かったりした。

そして何かと気弱な癖に、ときには自己顕示欲が強く、やがて反省しながら自己嫌悪となったりし、
つたないサラリーマンの人生航路を過ごしたりした・・。

やがて定年後、せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
               

午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。

こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。

このように年金生活を過ごして、早や11年半が過ぎているが、
定年するまでの悪戦苦闘が多かった半生を思い馳せれば、定年後の年金生活は安楽な歳月を享受している。

この間、私は相田みつを氏が遺(のこ)された『じぶんの花を』、『いのちいっぱい』、
『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』などの作品を拝読し、信愛を深めたりしてきた・・。
               


過ぎし年の2014年(平成26年)2月中旬に、私たち夫婦は札幌市の郊外にある定山渓温泉の観光ホテルに、
13泊14日で滞在し、札幌市内、周辺を散策して、遊学してきた。

こうしたある日、小雪舞い降る中、積雪ある定山渓の温泉街を散策をした。

10時過ぎに宿泊している『定山渓グランドホテル端苑』を出て、一時間ぐらい歩いたりした後、温泉町の中心街を歩いていた時、
観光旅館の『ぬくもりの宿 ふる川』で、私が敬愛している亡き相田みつを氏の特有な文体が視え、
          
どうしてなの、と思ったりしていると、
この館内に、氏の展示室があり、この館の了解を得て、拝見することとした。

2階のひとつの大きな展示室には、氏の遺(のこ)された数多くの書跡が掲げられていた。
          


私たち夫婦は5月19日より伊豆七島のひとつ大島に、
樹木葬の墓地(埋葬地)を視察する旅路を一泊二日で行った。

やがて樹木葬の墓地(埋葬地)を私たちは仮予約した後、元町港の街並みを散策した。
こうした中で、街通りに、扁額のような形で表現された文に、私は瞬時に深く魅了された・・。
            

まもなく歩くと、簡素な寺院が視え、浄土宗『潮音寺』ちょうおんじと読め、この『潮音寺』が、
掲げて下さった、と私は理解した。
            
私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                       
                                 
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
                      

私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、今日を迎えているが、
健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ここ3年幾たびか私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。

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『セカンドライフの落とし穴』を学び、年金生活12年生の私は、微苦笑を重ねて・・。

2016-05-27 14:57:08 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後38年の古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で、セカンドライフと称される年金生活を始めて、早や12年生となっている。
            

昨夜、ネットでニュースを彷徨(さまよ)っている中、
【 セカンドライフの落とし穴 】と見出しを見て、どういうことなのょ、好奇心に負けて、クリックしてしまった。

何かしら『NTTiF』に於いて、【セカンドライフの落とし穴】コーナーの連載があり、
第40回のご相談として、『高齢期の格差拡大 ~お金・健康・品性・理解力・満足度~ 』と題して、
ファイナンシャルプランナーの音川敏枝さんが、アドバイスされている内容であった。
http://secondlife-column.net/14/07.html
☆【NTTiF】公式サイト==>【セカンドライフの落とし穴】==>『第40回高齢期の格差拡大 ~お金・健康・品性・理解力・満足度~ 』☆
            

私は昨年の2015年(平成27年)8月下旬に、購読している読売新聞を読み、
何かと苦手な高齢者の経済格差を少し学んだりした。

そして高齢者の所得や資産が過去と比べどう変わってきたか検証し、
バブル崩壊後の低成長などで、生活の苦しい高齢者が増え、世代内で経済格差が広がっている実態を学び、
年金への所得税優遇を縮小すべきだとの声もあるが、高齢者をひとくくりにした税制改正は難しい、と知ったりした。

そして財務省の提出資料によると、一人暮らしの高齢者の33%が、1500万円以上の貯蓄を持つのに対し、
300万円未満の人も26%を占め、高齢者の内実は多様であり、
同じ高齢者といっても恵まれている人と恵まれていない人の両方がいることが゛、改めて学んだりしてきた。
            

今回の記事を読み終わった後、特に私は《・・<健康> 日々の生活習慣がカタチ(身体)にでるのが健康・・》であった。

《・・使わないと体の一部が錆びる、使いすぎると壊れるのが、健康のような気がします。
無理せず 丁寧に体を使ってあげる習慣づくりが、ベストかも知れません。

特に歯の手入れは、高齢者必須です。
と言うより若い時から歯の手入れなどの習慣づくりが歯の寿命、しいては健康寿命を長くさせるコツかも知れません。

食べることは、生きること。
生きることは歯を大切にすることから始まります。

特に判断能力がなくなったと周りが気づくまでの空白期間に、歯の痛みや喪失が相当進んでいる高齢者をよくみかけます。
高齢者の多くは、歯周病にかかっていると言われています。

歯周病は、糖尿病にも影響を与えます。
高齢期に起こりがちな大腿骨骨折ですが、糖尿病が重いと、手術さえできないこともあるそうです。
仮に何とか手術ができても、術後に経過がよくないこともあります。
まさに歯は健康の源なのですね。

健康づくりは「生活のリズムづくり」から始まる。
毎食きちんと食べることは、生活のリズムつくりに欠かせない習慣。
丈夫な自分の歯があればこそ、食事もおいしく食べられるね。・・》

私は定年後の年金生活で、歯科医院で幾たびか治療を受けているので、
そうですよねぇ、と微苦笑しながら同意したりした。
            

そして苦笑させられたは、《・・品性・・》の一節であった。
《・・ある日のバス停の出来事。
激しく降る雨の中、長い間並んで待っていた人を無視し、バス到着と共に
どこからか列に割り込んでバスに乗ろうとした70代の女性たちに、後列の男性が「並びなさい!」と咎めました。

バツが悪そうに薄ら笑いを浮かべた女性たちは、乗車後も大きな声で、はしゃいでいました。・・》

私も稀に路線バスを利用して、同じような状景にあった。
そして貴女方、お孫さんにどのようなしつけをされているんですか、
と何かと気弱な私は、声を上げることができず、心の中で呟(つぶや)いたりした。
            

或いは、《・・品性・・》の一節で、私は怒り心頭で、非国民と感じた一節があった。
《・・「自分は介護の御世話にならないから、65歳からの介護保険料は払いたくない」と言う高齢者。
年金から自動的に天引きされ手取りが減るのが、気に入りません。

厚生年金の保険料を払うと、手取りが減るから厚生年金に加入したくない人。

これまで国民年金の保険料は、ほとんど納付しておらず、
今更厚生年金に加入しても、年金は受給できないことを知っており、
高齢期困れば、生活保護が受けられることを視野にいれた発言です。・・》

国が定めた規約も守らず、責務を逃亡される御方は、
国民として享受する資格はなく、パスポート、運転免許証などは剥奪すべき、と感じ深めている。
            

こうした中で、何よりも深く思案させられたは、《・・<満足度>・・》であった。
《・・貴方は自分の人生を振り返って、自分に満足していますか?
あの時こうしていれば、もっと違った人生だったかも知れないなんて、誰にでもあるでしょう。

でもあのときの選択も、やはり貴方自身がしているのです。
いろいろあったでしょうが、自分の生きてきたこれまでを飲み込んで、未来に進むしかありませんね。

とは言いながら、満足度一つとっても、高齢者で格差が広がっており、生きにくい時代になりました。
たかが相談業務ですが、長く相談を受けているといろんな人に会え、
その人の人生に向きあえ、しらない内に相談者から、素晴らしい贈り物をいただいています。

最近より強く感じるのは、自分の生き様に満足している人は、穏やかに会話ができる人が多いということ。・・》
            

私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。

こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。
            

私は午前中のひととき、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりしているのは、
職業も地位も世情に関係することもなく、しがらみから解放されたように、
巡礼のように歩いたりしてきた。

そして季節のうつろう情景を眺めたりし、過ぎ去った日々に愛惜を感じたり、
この日にめぐり逢えた情景に心を寄せたりしている。

過ぎし或る時、イギリスを代表するロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースの真似事かしら、
と微苦笑したことがあったりした。

ワーズワースは、イングランド北西部にある湖水地方は、氷河時代に形成された湖沼郡が点在し、
その景色はイギリスで最も美しいともいわれている湖水地方の近くに生まれ育ち、
生涯にわたってこの地を散策し続けた、と伝えられている。

私は詩にも素養がなく、ワーズワースも波乱に満ちた人生航路を歩んだと学んだが、
もとより詩に託した才能で、後世にも多くの方に敬愛されている人である。

そして私は《・・ワーズワースは、生まれ育った地で、生涯にわたってこの地を散策し続けた・・》に、
つたない私でも、瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めたのであった・・。

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に、今住んでいる近くに生家(実家)があり、
都心の高校に通学して、都心の底知れぬ魅力に圧倒的に魅了され、通勤を含めて45年ばかり彷徨(さまよ)ったが、
定年後に年金生活を始めて、私の住む3キロ範囲を歩き廻るのが、何よりも心身安らぎを得ている。
            
このような心情を秘めた私は、たとえ時代、住む国と地域、才能も天と地の差があるが、
ワーズワースさんのお気持ち・・少しは理解できますょ、と私は微苦笑を重ねたりしている。
            

そして私のセカンドライフは、『生きがい』が最優先であり、そして『健康』であり、程ほどの『お金』と深く感じている。

ときおり60代の10年間の年金生活を振り返る時は、
ここ7年前の頃から、世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
セカンド・ライフに於いて、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
数多くの知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。
           
そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、
つたない定年まで半生から比べれば、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受し、大病に遭遇せず、70代も継続している・・。

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舛添都知事は、多くの都民から信頼を失くし、都民の無力な私でも、やはり辞任を要望・・。

2016-05-26 15:11:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
本日の朝、配達された読売新聞を読んだりしている中、34面に掲載された、
【 舛添知事 元検事2人選任  政治資金問題 支出調査「厳格に」 】と見出しされた記事を読んだりした。

この後、【 都議会 与党も追及姿勢  野党は「百条委」設置求める 】と見出しされた記事を精読した後、
舛添知事、そして都議諸兄諸姉に私は失望した・・。
この記事を無断ながら、転記させて頂く。
            

《・・6月1日に開会する都議会では、各会派が知事の一連の疑惑に、どこまで斬り込めるか注目される。

相次ぐ疑惑に、知事与党の自民党(56人)と公明党(23人)からも、厳しい意見が相次いでいる。
自民党の宇田川聡史幹事長は25日、「都政に混乱を招いたことは事実。説明責任が果たされたとは思っていない」と語り、
公明党の長橋桂一幹事長も「説明責任を果たすよう追及していく」と述べ、議会で疑惑を問いただす方針だ。

猪瀬直樹・前都知事が医療グループ「徳洲会」側から、5000万円を受け取った問題が浮上した際、
都議会は総務委員会で4日間計20時間の集中審議を行った。

自公も含め、各会派は証言拒否や虚偽答弁などに刑罰が科される「百条委員会」の設置に合意。
その直後に、猪瀬氏が辞職記者会見を開いた経緯がある。

ただ、与党のベテラン都議は「前知事の時とは状況が異なり、今回は簡単に辞職を求めにくい」と明かす。
知事が責任を取って辞職すれば、舛添知事を支援した自公は、参院選(7月10日投開票予定)で逆風を受ける。
舛添知事に代わる知名度のある知事選候補者も、探さなければならない。

ある自民党幹部は「舛添知事の支援を決めたときも、候補者選びで難航した。
簡単に勝てる候補は見つからない」と内情を語る。
4年後の知事選が、東京五輪・パラリンピックと近接することも、懸念材料だ。
            

一方、野党の共産党(17人)は、百条委員会の設置や総務委員会での集中審議を要請するなど、追及姿勢を強めている。
共産党の大山とも子幹事長は「知事は自分で説明することを拒否して、弁護士に依頼した。百条委の設置は必要だ」と語る。

都議会民進党(14人、旧民主)の尾崎大介幹事長は「知事の所信表明や代表質問、一般質問が終わってから判断する」と話した。

高額な海外出張費や公用車での別荘通いも含め、
都庁に寄せられた意見は、24日現在で約1万8800件。
現在も増え続け、大半は批判的な内容という。・・》
            

私は転記し終わった後、舛添知事本人も、都議の与党諸兄諸姉も、
舛添都知事に対して、多くの都民から信頼を失くし、特に女性から険悪な感情があることを認識しているかしら、
と私は苦笑を重ねたりした。

こすからい所業お金の問題をはじめ、結婚3回、離婚2回、子ども2人と愛人の子3人を抱え、
「隠し子の養育費減額をめぐって係争中」と報じられたりしてきた、
そして元愛人の母より『娘をだまし、障害のある自分の子まで捨てた』とも報道された。

こうした舛添要一・東京都知事の人格に欠けた言動を知り、唖然とさせられたりした・・。

私は前回の知事選に於いて、立候補者を見て、舛添要一さん、宇都宮健児さん、細川護熙さん、田母神俊雄さん等の中で、
これからの東京都・・と思いながら、消却法として、舛添要一さんに清き一票を投票した。

私は消却法ながら舛添要一さんに投票したひとりであり、責任を感じながら、
昨今に報じられた舛添都知事の言動に、もとより信頼も失くして、品格の欠如を深めて、軽蔑まで感じることがある。

こうした御方が、聳え立つ都庁で、約13,574千人の都民をあずかる東京都の執行最高責任者として、
そして都の約16万5千人の職員の最高責任者として、昨今より多くの都民から信頼を失くし、
オリンピックに向けても、指揮者のひとりとして無理がある。
            

もとより選挙は、女性票が約半分あり、数多くの女性から険悪されたら、
立候補者は当選できない、と私は近現代史の書物から学んだりしてきた。

遅ればせながら舛添都知事は、都民による都政の信頼を回復する為、一刻も辞任を要望する。

尚、舛添要一さんの政治家として軌跡は、ダイヤモンド・オンラインで 5月17日に配信された、
【舛添バッシングの裏に自民党・都庁職員との“政争”】http://diamond.jp/articles/-/91159
精読したきた上で、無力な私でも舛添要一都知事の辞任を要望する。

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年金、退職金、福利厚生の官民格差、中小業の民間会社を卒業した私は、微苦笑を重ねて・・。

2016-05-25 13:33:16 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住む71歳の身であるが、
今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

やがて東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。

まもなく養成所の演出コースに入所して、アルバイトをしながら映画青年の真似事をしたりした。
その後は講師の知人の新劇のある長老のアドバイスにより、
契約社員をしながら、小説を書き始めて、文学青年の真似事をした。

そして、習作に励んだりし、純文学の新人賞に応募したが、最終予選の6編の直前で3回ばかり落選し、
あえなく敗退し、挫折した。
          
その後は、何とか大手の企業に中途入社する為に、あえて苦手な理数系であるコンピュータの専門学校に一年通った後、
1970年〈昭和45年〉の春、この当時としては大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてこのレコード会社で、制作に直接かかわらない情報畑、
経理畑、営業畑などで奮戦した。
                       

こうした中で、1998年(平成10年)に音楽業界全体の売上げピークとなり、
デパート業界と同様にかげりが見え、この前後に各レコード会社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度により退職が行われた。

私が勤めていた会社でも、先輩、同僚、後輩の一部の人が、 第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出され、
私も出向となり、各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めた。

私が定年を迎える頃まで、いくたびかリストラが実施され、
長年苦楽を共にした先輩、同僚、後輩たちと別れを告げたりした。
そして、出向の物流会社も何度かリストラで、お世話になった方たちの送別会に出たりした。

私は出向先で、リストラ烈風の中、人員削減の荒波から退避したような立場となり、
心身とも辛い日々を過ごしていた・・。

やがて私は何とか2004年(平成16年)秋に、出向先で定年退職時となり、
35年近くの間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えて、定年を迎えることができたので、
敗残者のようなサラリーマン航路を過ごした。
          
このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。
                               
そして60代の10年間の年金生活を過ごして、
一昨年の9月に古稀と称される70歳となり、何とか70代の入門が許されて71歳となっている。
            

昨夜、愛読しているネット『現代ビジネス』を見ていたら、
【 年金も退職金も福利厚生も、公務員だけは安泰!
      サボったもの勝ちの「嗚呼、素晴らしき世界」 役人だけが幸せな国 】と見出しを見て、
私は公務員の世界は無知だった為、好奇心に負けて読んだりしてしまった・・。

この記事の原文は『週刊現代』2016年5月28日号に掲載された記事のひとつであり、
『現代ビジネス』に5月23日に配信されたひとつで、無断ながら転載させて頂く。

《・・民間企業が長引く不況にあえぐなか、公務員との「格差」は、どんどん広がり続けている。
年金・退職金・そして福利厚生ではいかなる差があるのか? 怒りの追及レポート! 

掛け金が少なくて支給額が多い「年金」充実で、公務員の老後だけは安泰です・・。
            

☆月5万円以上も多い

「昨年10月より、サラリーマンの年金制度である厚生年金と公務員の共済年金が一体化されました。
年金の官民格差は、解消されたように見えますが、それ以前に加入していた期間は、旧制度で計算されるので、
年金における公務員優遇はいまだ続いています」

こう語るのは、年金問題に詳しいジャーナリストの岩瀬達哉氏だ。
「共済年金では、厚生年金には存在しない、職域年金という部分がありました。
つまり、公務員は基礎年金(国民年金)+共済年金+職域年金と3階建ての手厚い年金制度を享受してきたのです」(岩瀬氏)

実際、公務員の年金支給額は、民間平均に比べて月5万円以上、年間60万円以上も高い。

'10年度の厚生年金の平均受給額が、16万5000円(基礎年金含む)だったのに対し、
国家公務員共済年金は21万7000円、地方公務員共済年金は22万5000円も支払われている。
加えて共済年金加入者は、厚生年金加入者に比べて、収める保険料も少なくて済んだ。

職域年金という制度は、『民間には企業年金という3階部分があり、それに相当するもの』として説明されてきた。
しかし実際、企業年金があるのは、民間でも一部の優良企業だけだ。

しかも企業年金は、サラリーマンたちが自分たちで、稼いだ金を積み立てて運用している「自前のカネ」。
一方で職域年金の元手は、税金から支払われている。
血税をネコババして、自分たちの年金制度を充実させているわけだから、厚かましいと言うほかない。

制度の一体化で、このような不公平は解消されつつあるとはいえ、
過去に積み上がった官民格差が解消されるようになるには、今後何十年もかかるだろう。
            

また職域年金も、以前よりは給付水準が引き下げられるとはいえ、「年金払い退職給付」と名を変えて存続することになる。

そもそも、厚生年金と共済年金の一体化が、単に官民格差の解消のためだけに、実現したと考えるのは間違いだ。

実は、公務員は若い世代の採用を絞っているため、現役世代が年金受給世代を支えきれない、いびつな人口構造になっている。
共済年金は、現役世代1・52人が1人の年金受給者を支えなければならない(厚生年金では2・32人)。

つまるところ官民格差解消を隠れ蓑にしながら、年金を一元化して、公務員だけでは維持できない共済年金制度を、
民間サラリーマンにも支えてもらおうという魂胆なのだ。

公務員が恵まれているのは、年金制度だけではない。
退職金の官民格差もかなりのものだ。

「民間では、退職金の額を計算するのに、在籍していた全期間の給与額を平均した数値を用います。
しかし、公務員の退職金は退職時の、もっとも給与が高い時期の数値をもとに、計算される。
当然のことながら、民間よりも手厚い額が、受け取れます」(前出の岩瀬氏)

国家公務員が定年まで勤めた場合の退職金は、平均で約2167万円('14年度)。
天下りなどのために早期退職をして、退職金の上積みをした場合は、平均で約2781万円も受け取っている。

一方で、民間はどうか。そもそも4社に1社は、退職金制度自体が存在しない。
従業員10人~49人の中小企業の場合、大卒で約1282万円。
従業員数100人~299人の会社でも、1718万円(大卒)と、公務員とかなりの開きがある。

国家財政の危機を煽りながらも、役人たちは抜け目なく、ちゃっかりと自分たちの老後を安心設計しているのである。
            

☆サボったもの勝ち

「公務員は初年度から年次有給休暇が20日ももらえます。
消化率も民間より高く、好きな時に休みやすい環境にあることは確かです。
なかには、まるまる2週間休んで、海外旅行に出かける『強者』もいましたよ」

こう語るのは、自身も役所勤めの経験があるジャーナリストの若林亜紀氏だ。

ちなみに労働基準法に基づけば、民間サラリーマンが公務員と同じく、
20日の有給休暇の権利を得るためには、6年間も勤務する必要がある。

厚生労働省の資料によると、民間の労働者が取った有給休暇の日数は、年に8・8日('14年)。
一方、国家公務員は、13・1日と4日以上多く休んでいる。

これだけ見ると、それほど大きな差はないように思えるかもしれない。
しかし、実態は違う。

「公務員には20日の有給の他にも、男性育児休暇、夏季休暇、官公署 への出頭休暇、ボランティア休暇、結婚休暇、
保育や子の看護のための休暇、病気休暇と、人生のありとあらゆるリスクに備えた有給休暇制度があるため、
旅行や休息以外のために、年次有給休暇を取る必要がないのです」(若林氏)

たとえば、公務員が病気になると、連続90日まで有給で休むことができる。

民間企業では、たとえ休みが認められても、原則無給なので大違いだ。

このような特別休暇を換算すれば、公務員の休暇取得日数は、優に民間の2倍になる。

給与の面で、「民間準拠」にこだわるのであれば、労働日数の面でも、民間並みに働い てほしいものだ。
            

なかには、このような恵まれた休暇制度を悪用する人間も出てくる。
「昨年度全国で2万3806名の地方公務員が、3ヵ月以上の疾病休職をしました。

うち半数が『心の病』と見られますが、中には診断書のない『自称の病』や休職中に、
スポーツ大会に参加したケースなどもあり、問題になっています」(若林氏)

ジャーナリストの岩瀬達哉氏も、緩い休暇制度が役人のサボタージュの温床になっていると指摘する。
「年金問題で失策続きだった旧社会保険庁には、給料を受け取りながら、長期にわたって欠勤を続ける職員がたくさんいました。
長期休暇は90日を超えると給与が半分になるので、期限が近付くと少しだけ出勤して、
また新たに休暇を取り直すという確信犯もいた。
このようなサボり体質は、社保庁が解体され、日本年金機構が発足してからも、続いています」

恵まれているのは休暇だけではない。経産省OBが語る。
「例えば国家公務員共済組合連合会(KKR)が全国に展開している病院にかかれば、初診料はタダです。
他にもKKRの会員証兼クレジットカードを作ると、旅行代理店、JR、レンタカー、引っ越しなどあらゆる面で割引を受けられます」

破格の値段で入れる官舎も多い。
例えば千代田区の一等地にある三番町住宅は87平方メートルで家賃6万円。
周囲の相場と比較して5分の1程度だ。
銀座からほど近い東雲にも、瀟洒なタワーマンション官舎が建っている。

休暇も福利厚生も信じられない充実ぶり。
まさに一度味わったらやめられない「甘い生活」だ。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は中小業の民間会社を35年近く勤めて、サラリーマンを卒業した身であり、
やはり国家公務員、地方公務員は厚遇されている実態に、驚いたりした。

しかしながら難関の国家、或いは地方試験に合格された方々で、この記事に掲載された不良は少なく、
国家、都道府県、市町村で、責務に基づき奮戦されている方も程ほどに存在する、と私は思ったりしている。

ただ官庁、都道府県庁、市町村庁は、国民の税金に基づいて、予算を立案して、やがて執行される責務で、
民間会社は、あくまで予算、実績、利益で運営し、利益がなければ継続できず、倒産することもあり、
もとより官民格差と記載されても尺度が違い、私は微苦笑を重ねてしまった・・。

そして公務員であれ、民間に勤めた方であれ、退職後のそれぞれのセカンドライフは、
私は『生きがい』が最優先であり、そして『健康』であり、程ほどの『お金』と深く感じている。

ときおり60代の10年間の年金生活を振り返る時は、
ここ7年前の頃から、世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
セカンド・ライフに於いて、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。
            

そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受し、大病に遭遇せず、70代も継続している・・。

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都心の郊外でも真夏日となり、歩くことが何より健康の源であると確信している私は、戸惑いながら・・。

2016-05-24 18:49:00 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
昨日の朝、家内は独り住まいの家内の母宅に、介護に3泊4日で行く日であったので、
私は深夜まで読書していて寝不足であったが、人生は気合だ、と自身を叱咤激励して起きたりした。

そして私たち夫婦は居間で朝食を頂き、
やがて家内は、我が家の近くにある路線バスの始発に乗車する為に、我が家を出たのは6時少し前であった。

私は門扉の近い道路に降り立って、家内を見送りながら、
『お義母(かあ)さんに・・よろしく・・』
と明るく大きな声で家内に言ったりした。
            
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
            

この後、ぼんやりとテレビで天気情報を視聴していたら、
日本列島が高気圧に覆われ、全国的に晴天が広がり、各地では30度を超える所がありますので、
熱中症に注意をしましょう・・。
そして東京都心も30度を超えて、今年初の真夏日が予測されます、と報じていた。

私は都心の郊外に住むが、殆ど都心の気温と同様なので、
5月下旬から30度を超す真夏日を迎えたら、何かと暑さに苦手な私は、この先どうなるょ、
と天上の気候の神々のきまぐれな采配に戸惑ったりした。

やがて10時半過ぎ、いつもようにスーパーに買物に行った後、
その後も、いつもように自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園を一時間ばかり歩いたりした。

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
これ以来、散策して季節のうつろう情景を眺めたりしながら、
歩くことは健康の源(みなもと)と信愛している。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くこと、睡眠、程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として、
年金生活を過ごし、11年半が過ぎている。
            

そして買物とか散策する時、私の容姿は、上半身はスポーツシャツが多く、下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズとなっている。
そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多い。

たまたま昨日は、夏帽子を被り、今年初めて扇子を持ち、ときおり扇(あお)ぎながら歩いたりした。

やがて帰宅後、ガラス戸を開けて網戸越しに外気を取り入れても、居間の気温は30度を超えて、
エアコンは機器を眺めるだけにして、団扇(うちわ)で私は扇(あお)いだりした・・。

まもなく小庭にある少し大きなモミジには、下草として入梅時期に彩(いろど)る半夏生(ハンゲショ)を群生させているが、
地面が乾燥していたので、哀れと思いながら、今年初めての水撒きをしたりした。

やがて暗くなると、雨戸を閉めようとしていたら、午後はガラス戸を開けて網戸越しであった為、
床が少し汚れてしまい、掃除機を取り出して、30分ばかり奮闘していると、汗が流れ出して、苦笑したりした。

そして風呂に入ったりしたが、今年初めての熱帯夜になるかしら、と微苦笑したりした。
            

本日、朝のひととき、テレビで天気情報を視聴していたら、
昨日に続き30度を超える真夏日が予報されていたので、エアコンの自動掃除をしたりした。

やがて我が家より4キロ先にある都立・神代植物園で、バラ園で恒例の『春バラフェスタ』が開催中の為、
地元の田舎者である私は、訪ねた。

バラ園、雑木林を中核に遊学し、そして隣接している水生植物園でハナショウブを鑑賞したりすると、
時が過ぎることも忘れ、4時間ばかり戯(たわむ)れたりした。
            
            
            

やがて水生植物園を辞した後、駅前で夕食の素材を買い求めて、帰宅した。

そして昨日は少し困苦したので、今年初めてのエアコンの冷気にすがった・・。

まもなく本日撮った写真をパソコンで整理していたが、快適な冷気の為か、或いは家事の疲れか、不明であるが、
少し眠くなって、微苦笑をしたりした。

しかしながら、ブログ投稿は一日一善のように、原則として一通は11年半ばかり投稿してきたので、
人生は気合だ、と独りぼっちの老ボーイの私は、何とか書き上げたりした。

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本当は恐くない国民病「認知症」の正体を学び、いつの日にか「認知症」に遭遇しても、光明が・・。

2016-05-23 14:42:20 | ささやかな古稀からの思い
私はゴールデン・イヤーズと称される60代を一昨年の9月に卒業して、
私としてのこれまでの10年は、我が人生として最も安楽な期間を享受できたりしてきた。

そして70代入門の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
       
こうした中で、私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

こうした中で、何よりも怖いのは認知症であり、『要支援』やがて『要介護』になることである。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
            

こうした心情を秘めた私は、ネットで偶然に【 本当は恐くない国民病「認知症」の正体 】と題された記事を読み、
前半は認知症の発見、予防、そして認知症の進行を抑える療法、後半は重度の認知症に対処する療法など、
多々具体的に教示されて、いつの日にか遭遇しても、光明の陽射しを受けたように、大いに激励されたりした・・。

この記事の元は、ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』であり、
私も特集記事に魅了された時に買い求めることもあるので、信頼できる内容が多く、
『プレジデントオンライン 』に於いて5月22日に配信された記事であり、無断ながら転載して頂く。

そしてジャナーリストの相沢光一さんが、下記の御方にインタビューして、綴られた記事である。

鳥取大学 教授 浦上克哉
1988年鳥取大学大学院博士課程修了。2001年より現職。日本認知症予防学会理事長、日本老年精神医学会理事。

東京都健康長寿医療センター研究員 伊東美緒
2008年東京医科歯科大学大学院博士後期課程修了。1999年より現職。

《・・これから高齢者の5人に1人が、認知症になると見込まれている。
徘徊、失禁、暴力。
施設不足のなか、「介護うつ」となるケースもある。
しかし正しい知識で備えておけば、決して恐れることはない――。
            

■「アルツハイマー」は必ず早期発見できる

認知症対策は、国の最重要課題のひとつだ。
2012年時点で約462万人、65歳以上の約7人に1人が認知症と推計されており、
さらに2025年には、約700万人と高齢者の約5人に1人が、認知症になると見込まれている。
政府は「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」を策定し、対策を進めている。

認知症のイメージは悪い。
徘徊、失禁や排泄の失敗、暴力行為、妄想などを引き起こすと思われがちだ。
しかし、そうした症状は、必ず起きるものではない。

認知症研究の第一人者で、鳥取大学医学部の浦上克哉教授は
「本来は穏やかな病気です。早く発見して治療すれば、何も怖れることはありません」と話す。

認知症の原因になる疾患は大きく4つに分類され、そのうち6割以上をアルツハイマー型が占める。
アルツハイマー型認知症は脳が萎縮していく病気だ。

主な原因は「アミロイドβベータタンパク」の蓄積と「タウタンパク」の凝集と考えられている。
            

アミロイドβタンパクは、いわば脳の老廃物だが、加齢によって脳から排出されず、蓄積するようになる。
こうした蓄積は、発症の数十年前からゆっくりと進む。

さらに進行すると、神経細胞の骨格を担うタウタンパクが、
糸くず状に集まり(神経原線維変化)、脳の神経細胞が死滅するようになる。

「症状としては、まず数分前のことが思い出せない『近時記憶障害』が現れ、
さらに月日や時間を把握する『時間の見当識』が失われていきます。
症状の進行は緩やかですが、その分、発見も後れやすい」(浦上教授)

アルツハイマー型認知症の原因であるアミロイドβタンパクの蓄積を調べるには、
脳脊髄液を腰から抜き取る必要がある。

またMRIやCTなどで、脳の状態を診断することもあるが、いずれも負担は小さくない。

そこで浦上教授が提案しているのが、1分間でできる「簡易スクリーニングテスト」(表を参照)だ。
専門知識がなくても、認知機能を簡単にチェックすることができる。
また早期発見のために「物忘れ健診」を行う自治体も増えている。

「アルツハイマー型認知症には、現在4つの薬があります。
服用することで症状が改善したり、進行が緩やかになったりします。

近い将来にはアミロイドβタンパクに直接作用する『根本治療薬』の登場も期待されています。
しかし開発が進んでいる根本治療薬も、あくまで初期の蓄積を解消するものであり、早期発見の必要性は変わりません。

『認知症を認めるのは、恥ずかしい』と思って検査を避ける人もいる。
『心の病』や『不治の病』ではなく、専門医にかかれば十分に対処できることを、より多くの方に知ってほしい」(浦上教授)
            

浦上教授は10年以上前から、鳥取県琴浦町で認知症予防活動を展開している。
65歳以上の町民を対象に、「TDAS」というタッチパネル式の機器を使い、認知機能を点数で判定。
認知症の疑いのある人には、専門医療機関を紹介し、診断と治療を促す。

正常ではあるが、認知症の兆候がある「予備群」には、
生活習慣を指導する予防教室へ通うことを勧め、発症予防に取り組んでいる。

発症予防とはなにか。
浦上教授は「認知症の患者さんに多いのは、テレビを見ながら、うたた寝をする生活。
脳に刺激のない生活は、よくない。
こうした生活習慣をあらためることで認知症を予防できます」と話す。

「調査の結果、認知症になりやすい人と、なりにくい人の傾向がわかるようになってきました。

たとえば知的好奇心の強さ。いろいろなことに関心を持って、常に頭を働かせていると神経細胞が活性化される。
アミロイドβタンパクの蓄積で、脳の神経細胞が壊れたとしても、それを元気な神経細胞が補ってくれる。

頭を使う創造的な行為は、認知症予防に効果がある。
俳句や短歌をつくる、絵を描く、囲碁や将棋もいいでしょう」
            

■「アロマセラピー」で認知機能が改善した

社交的でコミュニケーションが、上手な人も認知症になりにくいという。
外に出て多くの人と語り合うことで、神経細胞が活性化されるのだ。
また、適度な運動も神経細胞への刺激効果がある。

つまりアクティブなタイプほど、認知症になりにくい。
「ただ、ここで気をつけたいのは、こうした行動を楽しんで、自発的にするということ。
楽しくないことを無理にするのでは、ストレスになり、逆効果になりかねません」

生活習慣では、質のよい睡眠も重要になる。
アミロイドβタンパクは、昼間起きているときにつくられ、夜眠っているときに、分解されるからだ。

このほか、認知症の進行を抑える療法には、自分の人生を振り返り再評価する「回想法」、
音楽に親しむ「音楽療法」、動物と触れ合う「アニマルセラピー」などがある。
            

浦上教授が推奨するのは、香りによって心身を癒す療法「アロマセラピー」だ。
「アルツハイマー型認知症では、脳の萎縮が、順を追って進行します。

初期には記憶を司る『海馬』が萎縮して記憶障害が起きるのですが、
それより前に『嗅神経(きゅうしんけい)』の機能が低下することがわかっています。

アミロイドβタンパクの蓄積も、必ずここから始まるのです。
つまりアロマの香りで、嗅神経を活性化させることで、最初の防御ができるわけです」

浦上教授が検証したところ、嗅神経を刺激する効果が最も高かったのが、
ローズマリーカンファー、次がレモンだった。

浦上教授がアルツハイマー型認知症の患者にアロマセラピーを実施したところ、
1カ月後には認知機能が改善した。
一方、アルツハイマー型認知症ではない認知症の患者では、効果は見られなかった。

生活習慣を見直しながら、早期発見に取り組めば、認知症は怖い病気ではない。
正しい知識を身につけ、「国民病」に備えたい。
            

☆----------------------------------------------------------------------------------------------☆

暴言を吐き、周囲に当たり散らし、介護も拒否する――。
重度の認知症では、様々な苦労がつきまとう。

だがそんな認知症患者のケアを“魔法”のように変える技法に、注目が集まっている。
フランスで生まれた「ユマニチュード」である。

元体育教師で長年介護教育に携わるイヴ・ジネスト氏とロゼット・マレスコッティ氏が
30年以上をかけてつくり上げたもので、150を超えるケアの技術からなる。

すでにフランスでは、400以上の病院やケアホームで使われている。
もともとは「相手の人間らしさを尊重する」というフランス語の造語で、英語読みでは「ヒューマニチュード」となる。
            

■魔法のような新技法「ユマニチュード」

日本に持ち込まれたのは、4年前。
国立病院機構東京医療センターの本田美和子医師が、渡仏して学び、日本に持ち込んだ。

本田医師を通じてユマニチュードの存在を知り、
2014年6月に発刊された『ユマニチュード入門』の編集にも携わった東京都健康長寿医療センター研究員の伊東美緒さんは、
「当初は、半信半疑でした」と振り返る。

「ユマニチュードの考え方自体は、特別に目新しいものではありません。

この目で見るまで、どれだけ効果があるのか、疑問でした。
でも、実際にジネストさんたちのケアを見て驚きました。

これまでケアを拒絶していた人と、笑顔で会話が交わせるようになる。
さらには、呼びかけに応えず、寝たきり状態だった患者さんが、自分の足で立ち上がるようになる。
本当に“魔法”のようでした」
            

ユマニチュードの基本は、
(1)見つめる
(2)話しかける
(3)触れる
(4)立つことをサポートする
という4つだ。

些細なことに思うかもしれないが、それぞれの方法について、
具体的なやり方が決められているのが、ユマニチュードの特徴だ。

たとえば「見つめる」。
認知症の人は、注意を向けられる範囲が狭くなりやすい。

目を同じ高さに合わせて、正面から笑顔で近付くことで、相手の視点をつかみにいく。
相手が認識するまで、最短で20センチ程度まで、距離を縮める。
チラッと見るのではなく、0.4秒以上じっと見つめる。

これはお互いの関係が、平等であることを伝える意味がある。
認知機能が低下していても、感情記憶は維持されている。

上から見下ろされれば、否定されていると感じ、ケアを拒否するようになる。
            

ケアに入るときには「話しかける」。
やさしく、穏やかな声を使い、前向きな言葉を選んで、会話を楽しんでいることを伝える。
相手が黙っていても話しかけ、「いまから体を拭きますよ」などと、
自分の行為を実況中継することで、相手を安心させる。

相手の体を「触れる」ときには、ゆっくりと広い面積で、一定の重さをかける。
上からは、つかまない。
下から支えるようにサポートして、相手をいたわっていることを伝える。

そして寝かせたままにせず、「立つことをサポートする」。
自分の2本の足で立つことは、人間の尊厳を取り戻すことになる。

相手の動こうとする意思を最大限に活かし、両ひじを下から支える。
体を持ち上げたり、両わきに手を入れたりしてはいけない。

あくまで自分の力で、立つことを助ける。
日本の介護現場では転倒事故を怖れて、車椅子に頼る傾向がある。

伊東さんも「長年寝たきり状態の方に、立ってもらう必要があるのだろうか」と思ったという。
「ところが、寝たきり状態だった人でも、立つ支援をする、と生き生きとした表情を見せますし、自分で歩き始めることさえある。

行動が自発的になり、症状も改善しやすいのです。
自立という言葉がありますが、立つことが人間の精神を支えるうえで、
どれだけ重要な意味を持つのか、あらためて感じました」
            

■最初は面倒でも結果的に効率よく

ユマニチュードのユニークな点はこれだけではない。
ケアの技術だけでなく、ケアのアプローチとフォローアップについても、具体的な心得がある。
これは大きく5つのステップに分けられている。

まずは「出会いの準備」。
部屋に入る前に、3回ノックをして3秒待つ。
反応がなければ、再び3回ノックをして、また3秒待つ。

それでも返事がない場合には、1回ノックをして、そこではじめて入室する。

入室してからも、ベッドボードや壁をノックして、返事をうながす。
こちらの都合でケアを始めるのではなく、相手の同意を得たうえでケアに入る。

次の「ケアの準備」では、ケアについての同意を得る。
所要時間は20秒~3分。
3分以内に同意が得られなければ、諦める。
            

同意のない「強制ケア」は絶対に避ける。

その際、いきなりケアの話はしない。
「オムツを替えましょう」と作業を伝えるのではなく、「お話に来ました」とかかわりを求めていることを強調する。

了解が得られれば、ケアに入るが、そこで心がけるのは「知覚の連結」。

笑顔、穏やかな声、やさしい触れ方。
この3つを同時に用いて、ケアを受ける人が、心地よく感じられる状態をつくる。

特に「触れる」では、無意識のうちに、効率を重視した動きになりがち。
やさしく触れる技術を体に覚え込ませるのは、時間がかかる。

「ノックをするのも、やさしく触れるのも、最初は面倒だと思われるかもしれません。
介護現場では、『そんな余裕はない』という反応もあります。

でも嫌がる相手に、無理矢理ケアを行うのも大変です。
ユマニチュードをしばらく続ければ、患者さんと信頼関係が構築でき、それからのケアは、グッと楽になります」(伊東さん)
            

ケアの後は「感情の固定」を行う。
すこし大げさに「楽しかったですね」と伝え、いい時間を共に過ごしたことを振り返る。

認知症が進んでも、感情記憶は保たれている。
「名前はわからないけど、いい感情を残してくれる人」という形で覚えてもらえる。

そばを離れる前には「再会の約束」をする。
記憶ができない人だとしても、「この人は、また来てくれるんだ」という感覚を感情記憶に、とどめてもらえる。
その場で具体的な日時をカレンダーに書き込むといい。
            

いま介護現場では、高い離職率が問題になっている。
背景には待遇の悪さや人手不足だけでなく、効率を重視した強制的なケアへの後ろめたさも、あるのではないか。

日本ではまだ始まったばかりだが、フランスではユマニチュードの導入が進んだ結果、
介護職員の離職率も低下したという。

伊東さんは「患者だけでなく、介護者のためにもなる」と話す。
「これまで介護現場では『相手の立場に立つことが重要だ』と言われてきましたが、具体的な方法がわからなかった。
一方、ユマニチュードは、誰にでも習得できる技術。
患者さんからの拒絶に悩んでいる介護者にとって、助けになるはずです」
            

▼「ユマニチュード」4つの柱

(1)見つめる――同じ目の高さで、正面から。認知症の人は視野が狭いため、様子を見ながら20センチまで近付く。0.4秒以上の長さが重要。

(2)話しかける――やさしく、穏やかな声を使う。前向きな言葉で、会話を楽しんでいることを伝える。相手が黙っていても声をかけ続ける。

(3)触れる――広い面積で。ゆっくりと、やさしく、一定の重さをかけて、手の平全体で触る。上からつかんだり、つまんだりはしない。

(4)立つことをサポート――体は持ち上げず、腕もつかまない。自分の力で立つことを助ける。40秒立てれば、清拭など立位でのケアができる。

▼心をつかむ5つのステップ

(1)出会いの準備――まず3回ノック。3秒待ち、再び3回ノック。3秒待ち、1回ノックしてから部屋に入る。返事があれば次のノックは不要。

(2)ケアの準備――目が合ったら2秒以内に話しかける。同意が得られるまでケアの話はしない。3分以内に同意がとれなければ一旦諦める。

(3)知覚の連結――「見る」(笑顔)、「話す」(穏やかな声)、「触れる」(やさしい触れ方)のうちの2つを同時に行う。効率より相手の心地よさ。

(4)感情の固定――「たくさんお話できて楽しかったです」と、すこし大げさによい時間を共に過ごしたことを振り返る。前向きな感情記憶を残す。

(5)再会の約束――「また来ますね」と握手をして別れる。具体的な日時をカレンダーに書き込む。「約束してくれた」という感覚が重要。・・》
            

私は長々とあえて転載させて頂だいたのは、誰しも老後になれば、認知症に遭遇することも多いと思われ、
もとより私も不安を秘めている。

今回の記事を偶然に私は読み、多々具体的に教示されて、
いつの日にか遭遇しても、こうした療法が到来すれば、光明の陽射しを受けたように、大いに激励されたりした・・。

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伊豆大島にある樹木葬の墓地(埋葬地)、私たち夫婦の視察旅行 最終 選定した墓地(埋葬地)は・・。

2016-05-22 17:11:41 | 私の死生観、葬儀、埋葬など
私たち夫婦は、19日に宿泊する『大島温泉ホテル』にチェックインした後、
指定された部屋に入ると、折り紙で作られた幾重かの椿の花に、私たちは微笑んだりした。
            

この『大島温泉ホテル』は、今の時節は数多くのツツジが咲き、のどかでやすらぎを感じる情景であった。
  

まもなく私は大浴場、そして露天風呂から三原山のスロープを眺めると、
私たち部屋から見る景観と同じだ、と私は微笑んだりした。
http://www.oshima-onsen.co.jp/furo.html
☆【大島温泉ホテル】公式サイト==>『三原山温泉』☆

やがて私たちは、夕食を頂いた後、夕暮れの情景に私は瞬時に魅了され、
ホテルの正面玄関先にある庭から、撮ったりした・・。
  

翌日の朝5時過ぎ、私は部屋の窓辺にある椅子に座り、本日訪ねる樹木葬のできる墓地(埋葬地)を思い馳せ、
ぼんやりと眺めたりした・・。
            

私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、分家のような形で、実家の近くに住んでいるが、
実家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、たまたま子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、いつの日にか、私たち夫婦が亡くなった後、長兄の子供である甥っ子ふたりに何かと面倒をかける、
と思いながら、長らく躊躇(ためら)ってきた・・。
            

私が40歳を過ぎた頃の1985年〈昭和60年〉の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。

こうした中で、あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。

その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。

人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。

私は、人が土に還える、とはこうした事だろう、と思い重ねたりした。

こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
            

その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と私は納得しながら、家内に言った。

『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』

お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。


このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
7年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。

その後、千葉県の房総半島の奥地にある寺院で、樹木葬があると学んだが、
我が家から少なくとも3時間は要し、遠方だよなぁ、と私たちは思ったりしてきた。

或いは2年前の頃、我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。

いずれも永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。
            

こうして思いばかり重ねてきたが、私は男性の平均寿命は80歳と認識しているので、
私たち夫婦は元気な今、樹木葬のできる墓地を決断しょう、と思い一年が過ぎている。

こうした中で、私たち夫婦が樹木葬の墓地(埋葬地)として、現在は最有力地として、
この大島にある『千の風 みらい園』に、今回訪ねることとした。

http://www.miraien.jp/00miraien-index.html
☆【千の風 みらい園】公式サイト☆

窓辺から視える情景は変貌して、光明ある日になるかしら、と思い重ねたりした。
            

やがて朝食後、ゆったりとした時を過ごした後、家内が予約していた『千の風 みらい園』の本社スタッフと逢う為、
私たち夫婦は岡田港に路線バスで向かった。

そして岡田港に着くと、案内板をささげている本社スタッフの女性、そして当地の管理を専任されている40代の男性、
お互いに初対面の挨拶を交わした後、社の自動車で元町港の郊外にある樹木葬の墓地(埋葬地)に向かった。

やがて到着した後、管理棟の一室で、本社スタッフの女性から、私たちは樹木葬、埋葬に関することなどを説明を受けたり、
質疑応答を和(なご)やかにした後、埋葬地を歩いたりした・・。
            

里山の傾斜に、それぞれお気に入りの指定した場所・・永眠できる地・・
前方は海が見られ、天候に恵まれれば彼方には伊豆半島、富士山が聳え立つ景観であった・・。

この地球には75億人が生活されているが、私たち夫婦はたったふたりだけで、
いつの日にか、この地で永眠でき、やがて土に還ることは、私は望ましい・・
と思いを深めたりした。

この後、私たち夫婦が埋葬できる指定地を仮予約した後、
管理棟の一室で、本社スタッフの女性から、私たちは補足説明を受けたりした。

やがて『千の風 みらい園』を辞して、本社スタッフの女性が元町港まで送迎して下さった。

そして私たち夫婦は、昼食として近くの寿司屋に入った後、元町の街並みを散策した。

やがて街通りに、扁額のような形で表現された文に、私は瞬時に深く魅了された・・。
            

まもなく歩くと、簡素な寺院が視え、私はこっそりと撮ったりした。
そして浄土宗『潮音寺(ちょうおんじ)』と読め、私の生家(実家)は曹洞宗であるが、
仏門の真意には大勢に影響がないょ、と解釈して、入ったりした。
            

やがて御堂には、扁額のような文をぼんやりと仰ぎ見て、つたない人生航路を歩んできた私は、溜息を重ねたりした。
            

   知足
     足りを知る者は
          こころ豊かなり

   和顔施
     笑顔には
          笑顔がかえってくる

特に私はうなだれたのは、平素は美は断念あり、と表面は公言しているが、
心の片隅には、未だに物欲、金銭欲が捨てきれず、齢ばかり重ねて修業が足りないなぁ、と思ったりした。

やがて私たち夫婦は路線バスに乗車し、岡田港から高速ジェット船に身をゆだねて、都心にある竹芝桟橋に向かった。

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伊豆大島にある樹木葬の墓地(埋葬地)、私たち夫婦の視察旅行 ②三原山の山頂遊歩道は・・。

2016-05-22 08:41:17 | 私の死生観、葬儀、埋葬など
バス停の終点の三原山頂口の近くにある『三原山内遊歩道』の案内板は、
確か6コースが表示されていた。

そして先ほど、『大島温泉ホテル』の麗(うるわ)しき若き女性フロントの御方から、
山頂付近は風が強く吹いていると思われますので、お気を付け下さい、と私は言われたことを思いだしたりした。

こうした中で、最も山頂まで歩きやすいコースは、『山頂遊歩道』と思われ、
体力の衰えた私は、家内に向かって、ボクにぴったりだょ、と微笑ながら言ったりした。

何かしら山頂口から内輪山に向かって舗装された遊歩道が整備され、誰でも安心して歩けるハイキングコースで、
登りは約45分、下山は30分、と私は解釈した。

そして私は、三原山は古くから数多くの島民から、噴火を御神火、火山を御神火様と敬ってきたことに敬意し、
少し歩きましょうか、と私は大きな声で家内に言ったりした。
            

まもなく歩きだして、風もなく晴れ間が見える中、道端から視える情景は、
1986年(昭和61年)に大噴火し、大小の数多くの溶岩石が降れ出した時から、
わずか30年過ぎた今、こうして緑一面に回復した状景に、自然の変貌には驚いたりした・・。
            

そしてご婦人であったなら、低い(ロー)ヒールでも歩きやすい平坦な路を歩きながら、
道端に咲いているツツジの花を私は誉めたりした。
  

やがて溶岩流先端先と明記されたプレートを見た頃から、所々に大きな溶岩が視え、
まもなく急激に風が強く吹く中、上り坂となったりした。
  

そして幾重かのつづら折りの道となり、まるで道が途切れような状景も見られ、
私たち夫婦は、懸命に上り坂を登った・・。
            

やがて15分過ぎた頃、あの大噴火の時に、この場所だけ奇跡的に溶岩流が避けて通り、
厄除け神社と知られている『三原神社』を見ながら、歩いたりした。
            

まもなく噴火口跡が見え、山頂近くに到達し、私は安堵したりした。
  

お互いに何とか登れて良かったねぇ、と私は家内に言ったりした。


まもなく『火口展望台』まで10分、と家内は標識を見て、行きましょう、と家内は私を誘った。

ほぼ平坦な路を歩きだして、そして『火口展望台』に到達すると、
岡田港から路線バスで同乗した欧米人の男女4人グループと偶然に再会し、
写真を撮り合っていた・・。

私も噴火口跡の状景を記念ねぇ、と撮ったりしていた。
            

まもなく家内に、グループの合同記念写真でシャッターを押して欲しい、しぐさを見せた、
と私に家内が言ったりした。

私は微笑ながら、英語の単語を思いだすように三言を言ったりして、
カメラを差し出した長身の男性から受け取ると、
シャッターを押すと、連続撮影がセットされていたので、3枚ぐらい撮れてしまい、私は少し驚いた。

そして私は長身の男性にカメラを返却しながら、リプレイ、と単語を並べながら言った。

まもなく長身の男性は、再生を確認した後、微笑みながら私に御礼の言葉を言われたりした。

やがて私たち夫婦は下山を始めてまもなく大きな溶岩石の間を通り過ぎた。
            

この後、ゆったりと歩きながら、野イチゴを見たりしながら歩いたりした。
  

やがてバス停の終点の三原山頂口の近くに戻ると、近くにある食堂に入り、
窓辺に近い席で、私はビールを飲み、家内はコーヒーを飲み、お互い健闘を称え、談笑をしたりした。

そして窓辺から無念ながら伊豆半島、富士山は霞み、元町港だけは視え、私たち夫婦は微苦笑した。
            

この後、路線バスに乗車して、やがて本日宿泊する『大島温泉ホテル』前で下車し、
まもなくチェックインとした。
                                      《つづく》

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伊豆大島にある樹木葬の墓地(埋葬地)、私たち夫婦の視察旅行 ①大島のささやかな思いは・・。

2016-05-21 14:29:56 | 私の死生観、葬儀、埋葬など
私たち夫婦は19日より、わずか一泊二日で伊豆七島のひとつ大島を訪(おとず)れた。

今回は7年前の頃、伊豆大島にも樹木葬ができる墓地(埋葬地)ができた、と知り、
これ以来、私たち夫婦は注視したりしてきた・・。

これ以前は、1986年(昭和61年)に、伊豆大島は島の中核にある三原山が噴火した時は、
溶岩流が住民が多い元町に向けて流下し、やがて島民全員の島外避難が行われ、帰島は約1が月後になった、
都民のひとりとして学んだりしてきた。

この後、2013年(平成25年)10月、台風が襲来し、観測史上最大の24時間雨量824㎜を記録し、
土砂災害により元町地区を中心に49名の死者・行方不明者を出し、
降水量は観測開始以来最大であった、と報じられた。

そして私たち夫婦が、樹木葬のある墓地を探し求めたひとつが、被害があり、
やがて復興がされた、とニュースで私は学んだりしてきた。

今回、遅ればせながら私たち夫婦は、大島にある樹木葬のある墓地(埋葬地)を確認したく、
視察旅行のような心情で訪(おとず)れた。

伊豆大島は、山手線の浜松町駅に近い竹芝桟橋より、120キロ南下し三原山(758メートル)が聳え立つ島で、
木の葉のような形した島で、北部には岡田港、西部には元町港があり、そして南東部には波浮港がある。

そして周囲には美麗な海、島内は緑豊かな島であり、三原山は遠い昔の約2万年前から現在まで、
100年ないし200年毎に総計100回前後の大噴火が起きたと伝えられ、
古くから島民は、噴火を御神火、火山を御神火様と呼び敬ってきた島でもある。

そして東京の竹芝桟橋より高速ジェット船で、わずか1時間45分で、東京から一番近く、自然が満喫できる島である。
            

私たち夫婦は、一日目は三原山の中腹にある『大島温泉ホテル』に宿泊し、
翌日には元町港の郊外にある樹木葬ができる墓地(埋葬地)を視察する、簡略なプランであった。


19日、山手線の浜松町駅より徒歩10分足らずで、竹芝客船ターミナルに朝の7時少し前に到着した。
私たち夫婦は、過ぎし年に伊豆七島のひとつの新島、その後は小笠原諸島のひとつの父島に訪れた基点であったので、
懐かしきターミナル・ビル内外を散策した・・。

こうした中、東京ベイブリッジ越しの数多くコンテナの稼働状況が視え、
経済活性化のひとつ風景に、私は微笑んだりした。
  

まもなく私たち夫婦が乗船した高速ジェット船は、竹芝桟橋を8時15分に離岸し、
やがて大島の岡田港に着岸したのは、10時であった。
            


この後、私たちは路線バスに乗車して、まもなく三原山の中腹にある『大島温泉ホテル』前に到着した。
そして予定通り、旅行バックなどをクロークに預けて、
この島の中核にある三原山に敬意する為に、三原山をハイキングしょう、と思案していた。

そして再び路線バスに乗車して、やがて終点の三原山頂口に到着した。
少し歩いた先は、三原山が一望できるところであった。
            

『前に来た時は、黒っぽい溶岩が埋め尽くしていたわねぇ・・余りにも変わって・・』
と家内は溜息を重ねて私に言ったりした。

前回、私たち夫婦がこの地を訪れたのは、確か1996年(平成8年)の8月下旬であった・・。

私は現役サラリーマン時代で多忙な時、夏季休暇の旅行は初旬に作並温泉で、3泊4日で滞在した後、
家内は、海を見たいわ、と私は言われて、
8月下旬に2泊3日で熱海のビジネスホテルに宿泊し、『初島』と『大島』を訪れた。

この時に、三原山頂口を訪れたが、1986年(昭和61年)に三原山は大噴火し、溶岩が流れて、
10年過ぎた頃で、溶岩が一面覆い尽くしていた・・。

そして遊歩道は確かにあったが、疲れと暑さで、遊歩道を散策することは断念したりした。

こうしたことを思い馳せながら、少し歩くと近くに『三原山内遊歩道』の案内板があり、私たち夫婦は少し思案したりした。
            

このハイキングの案内板が、明解に解りやすいサイトがあったので、掲載させて頂く。
http://www.oshima-onsen.co.jp/hiking.html
☆【大島温泉ホテル】公式サイト==>『ハイキング・コース』

そして私は、体力の衰えた身ながら、ひとつの『ハイキング・コース』を家内に提案した。
                                      《つづく》

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葬儀は家族葬で、祭壇に花、静かな音楽の中で、談笑してくれれば、と私は願い・・。

2016-05-20 13:24:59 | 私の死生観、葬儀、埋葬など
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
無念ながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身となっている。

そして私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしている。

私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。
こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。

私はサラリーマンを定年退職し、早や11年半が過ぎた年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできたりした。

こうしたことで、遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。
            

こうした中で、家内はもとより、私の兄である夫妻、妹の夫妻、一番下の妹、兄の子供である甥のふたり、
そして家内の妹夫妻、そして家内の母が存命であったら加わって欲しい・・
このくらいの親族の一部の最小限のメンバーで通夜、告別式を執り行って、家族葬の形式と念願している。

昨今、式場の内部が、自宅の居間のような形で、片側に御棺を置き、
広いテーブルで食事やお酒を飲食できる会場もあると知り、私は微笑んだりした。

通夜の日、御棺の周りは幼年期は農家の児として育ち、
日本風土の土に還るので和花を中核として、欧米の書物、映画、音楽も少し愛してきたので、洋花も添える。
この時、和花が高価だったならば、洋花を中心としても差し支えない。
            

大きめのテープルには、食事処から取り寄せた和食、洋食を食べて頂き、
煎茶、コーヒー、紅茶などを飲んだり、ウィスキー、ワイン、日本酒、ビールなど吞んで頂いたり、
私の生前のこぼれ話しをテーマに、談笑して頂く・・。

人は誰しも故人の心の奥に秘めた心は解らないが、とりとめなく話して、
あの時は・・と笑って下されば充分である。

こうした中で、音楽が静かに流れれば、と念願したりしている。
選定する曲としては、今、瞬時に思い浮ぶ曲としては、
唱歌の『ふるさと』、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第8番 『悲愴』、
交響曲第9番の第三楽章、アルビノーニのアダージョ、ショパンの練習曲作品10-3 『別れの曲』・・
この5曲ぐらいは・・と思ったりしている。

翌日の告別式は、このメンバーで自宅の居間のような形の式場に集合し、お線香一本を上げてもらい、
この後は火葬場に行き、ふたたびこの式場で、
お好みの飲み物を吞みながら、食事をして談笑して頂いた後、散会する・・。
            

そして私の生家(実家)は曹洞宗なので、やはり生家(実家)の墓地のある寺院の方に読経して頂くが、
通夜、告別式の5分ぐらいの簡略なお経でよい、と思ったりしていたが、
これらを省略しても差し支えない。

このような葬儀は、私の生家にしても、親戚にしても、前例がなく、
もとより兄妹は大いに戸惑いを重ねる、と想像をする。

なぜ生家の墓地のある寺院の斎場で、通夜、告別式を行わないの、と予測されるが、
水戸黄門の印籠のように、故人の遺志である、と家内が明言し、了解を願いたいのである。

☆この原文は2012年(平成24年)8月31日に投稿したが、この後、私の願いが少し変貌してきたので、
改定版とさせて頂く。

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ささやかな私たちの夫婦の『お墓』は、秘かな願いとして、樹木葬のある樹の下で・・。

2016-05-19 13:35:23 | 私の死生観、葬儀、埋葬など
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身であり、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしてきている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。

その後、四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された家内は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。

この世は予期せぬ出来事もあるので、私が家内に先立たれることもあるが、
この場合も、同じようにご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私は家内から言われたりしてきた。

私の生家は長兄が実家として継いで、確か16代目となって、
祖先代々からの位牌などのある仏壇を守り、
お墓は実家から徒歩で20分ばかり小田急線の『狛江』駅から数分歩いた所の寺院の広い墓地の一角にある。

私たち夫婦も、母の命日、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸に、
長兄宅に寄って仏壇にお線香を捧げた後、長兄夫婦、来宅している叔母、親戚の方たちと談笑したりした後、
お墓参りに行ったりしている。

私は農家の三男坊として生を受け、分家のような形で、実家の近くに住んでいるが、
実家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、たまたま子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、私たち夫婦が亡くなった後のことを配慮し、躊躇(ためら)ってきた・・。
            

私が40歳を過ぎた頃の1985年〈昭和60年〉の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、
私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。

この当時、 私が何かと愛していた『L特急』で、上野駅から上田駅まで利用し、
上田電鉄の別所線に乗り換え、かぼそい2両連結の電車で終点の別所温泉駅に行ったりした。

もとより別所温泉地域は、鎌倉時代には周辺の塩田平地域を本拠とした塩田北条氏が、
建立による国宝八角三重塔を有する安楽寺や北向観音が創建され、
やがて近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が点在する塩田平・別所界隈の様子を鎌倉になぞらえ、
「信州の鎌倉」と称せられるようになった地である。

私たちは、秘かに木造建築の美の結晶のひとつであると私が深く感じた旅館『花屋』に宿泊し、
周辺の名所を散策したりした。

あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。

その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。

人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。

私は、人が土に還える、とはこうした事だろう、と思い重ねたりした。

こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
            

その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と私は納得しながら、家内に言った。

『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』

お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。


このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
7年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。

その後、千葉県の房総半島の奥地にある寺院で、樹木葬があると学んだが、
我が家から少なくとも3時間は要し、遠方だよなぁ、と私たちは思ったりしてきた。

或いは2年前の頃、我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。

いずれも永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。
            

こうして思いばかり重ねているが、私は男性の平均寿命は80歳と認識しているので、
私たち夫婦は元気な今、樹木葬のできる墓地を決断しょう、と思い一年が過ぎている。

☆この原文は2012年(平成24年)8月30日に投稿したが、この後、私の願いが少し変貌してきたので、
改定版とさせて頂く。

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私たち夫婦は、伊豆七島のひとつ大島に、樹木葬のある墓地を視察に・・。

2016-05-18 13:06:25 | 私の死生観、葬儀、埋葬など
私たち夫婦は明日の19日より、一泊二日で、伊豆七島のひとつ大島を訪ねる。

偶然に7年前の頃、伊豆大島にも樹木園ができた、とか学び、
これ以来、私たち夫婦は注視したりしてきた・・。

過ぎし1986年(昭和61年)に、伊豆大島は島の中核にある三原山が噴火した時は、
全島民が1か月にわたって島外避難したことを、都民のひとりとして学んだりしてきた。

そしてネットで見る限り、風光明媚の中、いつの日にか私たち夫婦が、樹の下で安らかに永眠している時、
百年に一度遭遇するか、しないか解らないが、たとえ大海に流されても致しがたい、と思ったりしてきた。

この後、2013年(平成25年)10月、台風が襲来し、観測史上最大の24時間雨量824㎜を記録し、
土砂災害により元町地区を中心に49名の死者・行方不明者を出し、
降水量は観測開始以来最大であった、と報じられた。

そして私たち夫婦が、樹木葬のある墓地を探し求めたひとつが、被害があり、
やがて復興がされた、とニュースで私は学んだりしてきた。

今回、遅ればせながら私たち夫婦は、大島にある樹木葬のある墓地を確認したく、
視察旅行のような心情に秘めて、訪れる・・。
            

私たち夫婦の樹木葬に関しての思いは、
【ささやかな私たちの夫婦の『お墓』は、秘かな願いとして、樹木葬のある樹の下で・・。】
と題した投稿文を、19日に予約投稿をする予定。

そして私の葬儀の願いも、
【葬儀は家族葬で、祭壇に花、静かな音楽の中で、談笑してくれれば、と私は願い・・。】
と題した投稿文を、20日に予約投稿をする予定。

いずれも私たち夫婦のささやかな願いであり、お読み頂き違和感を感じましたら、ご笑話願えば幸いです。

*旅行の準備、これから旅行もあり、当面はコメント欄を閉鎖させて頂きます。

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