夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

今年初の夏日を迎え、都心の郊外に住む私は、戸惑いながら微苦笑して・・。

2024-03-31 13:46:44 | 喜寿の頃からの思い


私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

【速報】東京都心で今年初の夏日 午前中から25℃超えで3月として記録的な暑さ予想(ウェザーマップ) - Yahoo!ニュース

【速報】東京都心で今年初の夏日 午前中から25℃超えで3月として記録的な暑さ予想(ウェザーマップ) - Yahoo!ニュース

 きょう31日(日)午前10時過ぎ、東京都心の気温は25.2℃まで上がり、今年初めて25℃以上の夏日となった。なお、このあと東京都心の最高気温は26℃まで上がる予想で、もし3月に2...

Yahoo!ニュース

 

《・・

ウェザーマップ


☆東京都心は午前のうちに25℃超え


☆週明けは暑さ落ち着き過ごしやすい陽気

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


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脳梗塞の疑いで、救急車を呼ぶとき、家族が準備すべき「3つ」、私は多々学び・・。

2024-03-30 16:14:14 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【AERA dot. (アエラドット) 】を見ている中で、
『 脳梗塞の疑いで救急車を呼ぶとき家族が準備すべき「3つ」のものとは? 
   おくすり手帳、診察券、あと1つは〈季節の変わり目気をつけたい健康〉 』、

と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院した、苦い体験がある。

そして幸運にも、この後は再発はなく、今日に至っている。



こうした体験のある私は、知人より『脳梗塞』の場合は更に大変だょ、
と教えられてきた。 

今回、改めて学びたく記事を読んでしまった。

脳梗塞の疑いで救急車を呼ぶとき家族が準備すべき「3つ」のものとは? おくすり手帳、診察券、あと1つは〈季節の変わり目気をつけたい健康〉 | AERA dot. (アエラドット)

脳梗塞の疑いで救急車を呼ぶとき家族が準備すべき「3つ」のものとは? おくすり手帳、診察券、あと1つは〈季節の変わり目気をつけたい健康〉 | AERA dot. (アエラドット)

季節の変わり目は何かと健康に注意が必要だ。脳梗塞は、早期に適切な治療をすることでかなり症状を改善できる数少ない病気だそう。だからこそ、いざという時に落ち着いて行...

AERA dot. (アエラドット)

 
  季節の変わり目は、何かと健康に注意が必要だ。
脳梗塞は、早期に適切な治療をすることで、かなり症状を改善できる数少ない病気だそう。

だからこそ、いざという時に落ち着いて行動できるように、
覚えておきたいことを過去の記事から振り返る。
(「AERA dot.」2023年3月23日配信の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)

【イラスト図解】脳梗塞5大症状はこれだ!

フォトギャラリーで全ての写真を見る

*  *  *

 脳の血管が詰まる脳梗塞。
薬で血栓を溶かすt−PA治療や、カテーテルで血栓を除去する血栓回収療法など治療法は進歩している。

ただし、できる治療は発症後の時間により異なり、
有効な治療を受けるには、「時間との勝負」となる。

脳梗塞は、血管の詰まり方により、
「ラクナ梗塞」、「アテローム血栓性脳梗塞」、「心原性脳塞栓症」の3タイプに分けられる。

からだの片方のまひやしびれ、ろれつが回らないなどの5大症状がみられたら、
軽くても、すぐに救急車を呼ぶことが必要だ。



その理由を、横浜新都市脳神経外科病院院長の森本将史医師は、
「症状が軽い=軽症とは限らないため」と話す。

「ちょっと言葉が出にくい、足が動かしにくいなど軽い症状の場合、
小さい脳梗塞だからということもありますが、
大きな血管が詰まりかけていて、前兆として軽い症状が起こっていることもあります。
放置したことでその後、大きな症状が起こることも少なくありません」

家族に脳梗塞を疑う症状がみられて救急車を呼んだ場合、
到着までに準備してほしいものとして、東京慈恵会医科大学病院脳神経内科教授の井口保之医師は、
(1)おくすり手帳
(2)かかりつけ医療機関の診察券
(3)発症時刻(症状に気づいた時間)のメモを挙げる。

「昨日の夜寝るまでは元気で、今朝起きたら症状があった」という場合は、
「前夜寝た時間」と「今朝起きた時間」でいいという。

「神経が障害される病気の多くは、
治療しても発症前のように症状を完全になくすことは難しいのですが、
脳梗塞は、早期に適切な治療をすることで、かなり症状を改善できる数少ない病気といえます。

ただし、そのためには一分一秒でも早く治療を開始することが必要で、
この三つは、その重要な情報となります。

いざというときは、慌ててしまうことも多いため、
落ち着いて救急隊や医師に伝えてください」(井口医師)




■薬で血栓を溶かす治療法を検討

脳梗塞は、「発症後の時間」により治療法が異なる。
そのため脳梗塞の疑いがある場合、病院到着後すぐに診察と検査をおこなう。
検査ではとくに、脳の状態をみるMRI検査と、脳の血管をみるMRA検査が重要となる。

脳梗塞データ
脳梗塞データ

「MRIでは、起きたばかりの新しい脳梗塞だけを映し出す方法で、
急性期の脳梗塞かどうかを調べます。

血管が詰まりかけている、あるいは詰まったばかりで、
神経細胞が完全に壊死していない場合は、
ダメージを最小限におさえるため、すぐに血流を再開通させる治療を始めます」(森本医師)

急性期の脳梗塞の治療は、薬で血栓を溶かす「血栓溶解療法」と、
器具で血栓を取り除く「血栓回収療法」が主となる。

血栓溶解療法では、組織型プラスミノゲン・アクティベーター(t−PA)という薬を点滴し、
血栓を溶かす。
ただし、この治療は、発症から4・5時間以内に限られる。

「脳梗塞を起こして時間が経つと、その血管はダメージにより、血管壁がもろくなります。
t−PAで血栓が溶け、血管が再開通すると、もろくなった血管から出血するリスクがあるため、
発症後4・5時間を過ぎたらt−PAは使用できません」(同)

また、以前は就寝中などに発症した発症時刻が、不明の人には治療できなかったが、
2019年に適応が拡大された。

MRIでは、起こったばかりの変化を描出できる画像(DWI)と、
描出するまでに3~6時間かかる画像(FLAIR)があり、
DWIでは脳梗塞がみられるものの、FLAIRではみられないというミスマッチが生じた場合、
4・5時間以内に発症したと判断できる。

「発症時刻がわからない人でも、
2種類のMRI画像で4・5時間以内かを判断した上で、血栓溶解療法ができるようになりました。
これまで治療できなかった人が、t−PAにより救われる可能性が広がったといえます」(井口医師)

発症後4・5時間以上経過した場合や、
出血しやすい病気があるなどの理由でt−PA治療ができない場合、
血栓が大きく溶かしきれない場合は、血栓回収療法をおこなう。

カテーテルを挿入して、血栓を取り除く治療法で、
専用の器具で血栓を絡めとる方法と、血栓を吸引する方法がある。

この治療は原則として発症後24時間以内ならできるが、
細い血管にカテーテルを通すため、出血のリスクを伴う。
技術を要する治療であり、実施できる病院は限られる。

脳梗塞の種類
脳梗塞の種類


「治療しなければ、ほとんどの人が寝たきりになってしまうような閉塞でも、
経験豊富な医師のいる病院であれば、この治療により血栓の約9割は回収できます。

治療後、早くからリハビリをすることで、
そのうち半数の人は、歩いて自宅に帰れるほど元気に回復します」(森本医師)

森本医師は、いざというときに備え
「脳梗塞の治療に強い病院を調べておくと安心」と話す。

血栓回収療法を実施しており症例数が多いこと、
日本脳神経血管内治療学会の専門医が複数いること、
厚生労働省の認定する脳卒中専門の集中治療室「SCU(Stroke Care Unit)」があることなど、
病院のホームページで確認できることも多い。

SCUには「24時間専門医が常勤」、
「患者3人に対し看護師1人以上を配置」などの認可基準がある。

「脳梗塞は、、症状の急激な変化が多い病気です。
SCUでは、手厚く患者さんをみることができ、
神経症状の変化などにも素早く対応できる強みがあります」(同)


■ためらわずに一刻も早く救急車を

現在は、血栓回収療法を実施できる病院は、都市部に集約されている傾向があるが、
急性期脳卒中の診療体制を整えている地域や病院は増えていると井口医師は話す。

「救急車を呼んだ後のことを心配するより、早く救急車を呼ぶことが大事です。
優れた治療法があっても、24時間以内に治療できるのは3割以下。
時間オーバーで治療できないという事態を減らすためにも、まずは一刻も早く救急車を呼んでください」(井口医師)

(文・出村真理子)

※週刊朝日2023年3月31日号より・・》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


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NHK総合テレビ番組、初回4月6日「新プロジェクトX」、79歳の私は期待して・・。

2024-03-29 12:58:36 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
昨夜、NHK総合『MUSIC SPECIAL 中島みゆき ~映像に命をふきこむ歌~』、

《・・「地上の星」、「ヘッドライト・テールライト」をはじめ、
映像メディアに提供した中島みゆきの歴代の名曲を、
NHKのアーカイブや貴重なコンサートの映像で紹介。 

曲目「地上の星」、「ヘッドライト・テールライト」、「麦の唄」、
「空と君のあいだに」、「銀の龍の背に乗って」 他・・》
と解説されていた。



たまたま私は、ヤフージャパンより配信された記事の中で、
『「新プロジェクトX」
    主題歌は中島みゆきの「新・地上の星」に決定 
           初回放送は「東京スカイツリー」』、
と見出しされた記事を読んだりしていた。

 

「新プロジェクトX」主題歌は中島みゆきの「新・地上の星」に決定 初回放送は「東京スカイツリー」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

「新プロジェクトX」主題歌は中島みゆきの「新・地上の星」に決定 初回放送は「東京スカイツリー」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

 NHKは13日、東京・渋谷の同局で定例メディア総局長会見を行い、4月6日スタートの「新プロジェクトX 挑戦者たち」(土曜後7・30)の主題歌が中島みゆきの「新・地上の星」...

スポニチ Sponichi Annex

 
NHKは13日、東京・渋谷の同局で定例メディア総局長会見を行い、
4月6日スタートの「新プロジェクトX 挑戦者たち」(土曜後7・30)の主題歌が
中島みゆきの「新・地上の星」に決まったと発表した。

オープニングが「新・地上の星」で、エンディングが「ヘッドライト・テールライト」となる。
いずれも中島が作詞・作曲を手掛けた。


「プロジェクトX」は、2000年3月28日から
2005年12月28日まで放映されたドキュメンタリー番組。

メインテーマとなったのは「戦後復興」と「高度成長」。
戦後の焼け野原から、メード・イン・ジャパンというブランドを築き、
先進国の仲間入りを果たすまでの物語が中心。



今回のテーマは「失われた時代の挑戦」がテーマ。
バブル崩壊以降、日本は失われた時代と言われることが多いが、
平成から令和への30余年に改めて目を向ければ、
無数の挑戦と快挙が、綺羅星の如く生まれている。

その裏には、かつてと同じように、知られざる情熱と秘話が隠されているはず。
そんな現代の挑戦者たちを追う。


キャスターは「ニュースウオッチ9」など担当していた有馬嘉男記者と、森花子アナウンサーが担当。
語りは旧シリーズでもおなじみだった俳優の田口トモロヲが務める。
番組の復活の発表から、主題歌の行方も注目されていた。


旧シリーズに続き、中島が担当することになったテーマ曲は、新たに録り直したもの。



中島がコメントを寄せ、
「『プロジェクトX』が最終回を迎えたのは、ずいぶん遠い日のことだったような気がします。
『もう何処にも、地味な人生を見守ってくれる人は、居なくなったのかなぁ』と、
寒々とした気持ちになったものでした。

日々を重ねながら、記憶に刻まれていくものといえば、
より華やかに目立つ人々の名前ばかり、それが当然のことと、
理解はするものの、心のどこかで探し続けていたのは、
たとえば『まなざし』といったような何かだったのでしょう。

私にとってのそれは、まさしくあの最初の出会いの日に
受け取った新番組企画書という分厚い書類の束でした。

どんなに時は流れ、どんなに地図は塗り替わっても、
どこかの片隅で着実に人間を支え続けている人間たちを、
この『新プロジェクトX』がこれからも見守ってくれることを、信じたいと思います」とした。


初回4月6日は「東京スカイツリー 天空の大工事~世界一の電波塔に挑む~」、
第2回4月13日は「弱小タッグが世界を変えた~カメラ付き携帯 反骨の逆転劇~」、
第3回4月20日は「約束の春~三陸鉄道 復旧への3年~」を放送する。(略)・・ 》


注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


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世界的ピアニスト、M.ポリーニさん御逝去、ささやかな私の想いで・・。

2024-03-28 16:20:19 | 喜寿の頃からの思い
 
先程、ときおり愛読している【 読売新聞オンライン 】の記事の中で、
 
マウリツィオ・ポリーニ氏(2002年11月15日)
マウリツィオ・ポリーニ氏(2002年11月15日)


ミラノに生まれ、10代から国際コンクールで頭角を現した。
1960年のショパン国際ピアノ・コンクールで1位となり、
卓越した技巧は、審査委員長だった大ピアニストのルービンシュタインから称賛された。

60年代末から本格的な活動を始め、
研ぎ澄まされたタッチと楽譜を深く読み込んだ解釈で、名声を確立した。

レパートリーは、バッハ、ベートーベンからショパン、シューマン、ドビュッシーまで幅広く、
ブーレーズなど第2次大戦後の現代作品も得意とした。
正確無比で優れた録音にも定評があった。

1974年以来、たびたび来日公演を行い、
自ら企画したシリーズ演奏会を行うなど多くのファンに親しまれたが、
2018年の来日が最後となった。

    【 読売新聞オンライン 】エンタメ・文化 

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
昨日の午前中のひととき、私は主庭のテラスに下り立ち
樹木、草花を眺めながら、煙草を喫っていると、
近所のお宅からピアノの音色が聴こえてきた・・。

女の子の弾くのは、バイエルの何番かしらと思ったりした・・。

私は小説、随筆などの読書、居間で映画を観たりしているが、
ときおり音楽も聴いたりしている。


音楽に関しては、小・中学期の音楽の通信簿は『2』の劣等性であり、
音譜も読めない素養のない身である。

25歳の時に、民間会社に中途入社した時、この中の音楽事業本部に要望し、
この中のひとつの大手レーベルが、まもなくレコード会社として独立され、
私も配属されて30数年勤めたのであるが、
私自身は管理畑で情報部門を大半を所属した身であるが、
職場上は音楽が流れたりしていたので、何かと音楽の数々を聴く機会が多かった。

これまでの私は、二十歳の頃に偶然に、
モーツァルトの《ピアノ協奏曲 第20番》に魅了されたぐらいで、
クラシックの名曲を殆ど知らなかったひとりであった。

こうした中で、業務上の関連として音楽の曲の話題になると、
恥をかくことが多く、無邪気な私であったが、
それなりに各分野の曲を平然と聴いたりしていたが、
いまだにオペラとジャズは苦手である。


私が昭和48年前後の頃、ある休日の時に、
ショパンの『12の練習曲 作品10』を聴き、瞬時に魅了された・・。

ピアニストのポリーニのレコードであり、

私は熱愛し、半年ばかり殆ど毎晩聴いたりした・・。

その後、『25』も発売されて、私なりに愛聴した。

そして10数年後、CDの時代となり、レコードと同じ録音であるが、
たった一枚で『12の練習曲 作品10、25』が収録されているので買い求めたりした。


年金生活の今、各分野の音楽をその日の心情で聴いたりしているが、
クラシックのピアノの名曲の中で、
最も聴くことが多いのは、2枚のCDである。

小説の世界にたとえれば、
長編小説としては、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第20番』で、
短編の小説を集めたれたのが、ショパンの『12の練習曲 作品10、25』であり、
私としては、最上の作品として、愛聴している。


つたない感性から選定したのであるが、
具体的に何が良いのか、と問われれば、
ご自分の愛している女性のどこが良いのか、
と同様な質問と思われるので、明記しょうがないのである。

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シニア世代は要注意! <災害時の行動と対策>やってはいけない6つのこと、私は学び

2024-03-27 15:50:21 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【介護ポストセプン』の『暮らし』記事の中で、

☆もしものときに「やってはいけない」行動もある

もしも今、自分が住んでいる地域で震度7の地震が発生したら、
「あれをやっておけばよかった」と、後悔することはないでしょうか。

今年は元旦に「令和6年 能登半島地震」が発生しました。
遡ると震度7以上の地震は、以下の通りです。

2011年「平成23年 東北地方太平洋沖地震」

2016年「平成28年 熊本地震」

2018年「平成30年 北海道胆振東部地震」

つまり、震度6以上で考えると、さらに多くの地震が発生しています。
入り組んだ断層の上にある日本は、いつどこで地震が発生してもおかしくない国なのです。


今回は、今からでもできる地震対策についてご紹介します。

→シニア世代におすすめ<災害時の備え>「毎年同じ月に備蓄を見直す1年ストック法」家事アドイザーが解説



☆倒れそうな家電や家具を押さえに行ってはいけない

【対策】家具やテレビなどはあらかじめ固定しておこう

 地震が発生すると、家具やテレビが倒れ、
 物が破損するだけでなく命に関わる怪我をする可能性もあります。
 本棚やタンスなどはL字型の金具で壁に固定したり、
 最近では、震度7程度に対応できるという耐震マットを家具の下に入れるという方法もあります。

 薄型テレビであれば、背面をワイヤーで固定するアイテムも市販されているので、
 それらを利用し倒れてくるものがないようにしておくようにしましょう。

 実際に地震が発生して、眼の前で揺れているものがあると、
 人は「押さえる」という行動に出たくなります。
 しかし、自分の押さえる力以上に揺れている大型の家具や家電の力は大きく、
 倒れてきたら怪我をしてしまいます。

 先に倒れない対策をしておき、押さえる行動に出ないようにすることが大切です。

 炊飯器や電気ポット、電子レンジなどの家電も、
 ジェルシートタイプの耐震マットを底に敷いておくと、
 地震があったときに、動きづらくすることができます。

 また、大きな揺れがあると、食器棚から食器が飛び出して割れ、怪我の元となります。
 食器棚の扉を固定するアイテムは、100円ショップでも買うことができるので、
 是非取り付けておきましょう。

 日頃使うときに、留め具を開くというアクションが増えますが、
 いざというときには効力を発揮してくれます。


☆家具が倒れてきそうな場所で寝てはいけない

【対策】就寝は安全な場所で、靴を備えておく

 平均的に1日の3分の1は寝ているので、安全な場所で寝るようにすることも重要です。
 家具の固定は必須ですが、さらに家具が倒れてくる可能性がある場所で、
 寝ないようにしましょう。

 タンスの前よりは、タンスの横など自分の部屋の中での工夫が必要です。

 また、寝ている場所に、靴を1足置いておくこともおすすめします。
 地震が発生し、割れたり倒れたりしてきたものの中を、歩いて外に出なくてはならないとき、
 裸足よりも、靴があることで怪我を避けることができます。


☆お風呂の残り湯を捨ててはいけない

【対策】お風呂の残り湯は次を入れるときまでとっておく

 断水時にお風呂の残り湯は、さまざまな使いみちがあります。
 お風呂が終わったら、すぐに捨ててしまうのではなく、
 次の日に新しいお湯を入れるときまで前日の残り湯をとっておき、
 浴槽には、常に水が入っている状態にしておくことが理想的です。


☆寒さ対策をおろそかにしてはいけない

【対策】防寒具を食料とともに用意しておこう

 災害への備えや防災グッズなど、いろいろと用意するものはありますが、
 極論を言えば、命に関わってくるのは、食料、飲料、そして寒さ対策です。

 食料や水の備蓄とともに、寒さ対策となる厚手の衣類やカイロ、
 100円ショップでも売っているアルミの保温シートなども、用意しておくといいでしょう。

☆非常用のお金は小銭を忘れてはいけない

【対策】非常用持ち出し袋にお金(小銭も)と口座情報のメモを

 大きな災害では、どのような状況になるか分からないので、
 現金も非常用持ち出し袋に入れておくと安心です。
 その際は、紙幣だけでなく、小銭も用意しておくと安心です。

 また、災害の大きさによっては手元に通帳や印鑑がなくても、
 お金をおろせる場合があります。

 そのときのために、身分を証明できるもののコピーや、
 口座番号などを控えたものを持っておくことも重要です。
 非常用持ち出し袋に入れておくと良いでしょう。



☆地震の停電時、灯りには注意して

【対策】ろうそくより、ランタンがおすすめ

 地震での停電のときはとくに、ろうそくは危険が伴うことも。
 余震でろうそくが倒れると、火事が発生するおそれもあります。

 懐中電灯だと正面しか照らせないので、ランタンタイプのものがおすすめです。

ランタン

 長く停電が続くことも考えて、乾電池タイプであれば、
 乾電池の予備も準備しておく必要があります。
 また、太陽光で充電できるタイプのランタンもあると良いでしょう。

 災害に備えることはまだまだ他にもありますが、今すぐできることはたくさんあります。
 災害はいつやってくるか誰にも分からないものです。
 ぜひ今日から対策をはじめてください。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


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私のパソコンの愛機、故障に伴い再度修理して、久々に我が家に復帰して・・。

2024-03-26 16:26:52 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

私のパソコンの愛機、再び入院となり、私は落胆して・・。

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健診のメジャー項目「尿酸値」、79歳の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2024-03-25 15:19:49 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されている記事を見ている中で、
『  健康に良かれと思ったら逆効果!? 
      健診のメジャー項目「尿酸値」が上がりやすい人の特徴
 』、
題された見出しを見たりした。

☆「美味しいもの」ほど危ない

☆血液を弱アルカリ性に保つ食事

☆患者の95パーセントは男性。最近は20代の発症も

☆尿路結石と合併すると、我慢の限界を超える痛みが


☆発作が起きるかどうかは体質次第だが……

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


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IT技術で高齢者サポート、「エイジテック」が急速拡大、79歳の私は学び・・。

2024-03-24 13:02:42 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されている記事を見ている中で、
『  スマホで眼科受診・転んでも骨折しない床・・・
   IT技術で高齢者サポート 「エイジテック」が急速拡大 
     100歳時代の歩き方 
 』、と題された見出しを見たりした。


注)記事の原文に、あえて改行など多くした。




加齢で発症リスクが高まる白内障に関しては、
過ぎし71歳の2015年の晩秋、白内障の手術を受けたりした。

私は高校生より何かと酷い近眼で、劣等感のひとつであった。
結果的には、近眼のメガネが不要となり、
たとえ今回の多焦点眼内レンズの効力であっても、
これ以上の吉報はないかしら、と悦んだりしてきた。



高齢者の転倒による骨折に対処した、独自開発した床材「ころやわ」は、
転倒して衝撃が加わった瞬間だけ、たわんで骨折リスクを減らす。
こうした優(すぐ)れたことには、驚きながら微笑んだりした。

或いは、
歩行者並みの速度で歩道を走行できる電動車両「セニアカー」、
徒歩や自転車での外出が難しい高齢者の買い物などでの移動を想定し、
運転免許なしで乗車できる。

こうした優(すぐ)れたことには、驚きながら微笑んだりした。

いつの日にか、心身衰えて、要介護『3』以上になってしまった時、
やむなく老人施設にお世話になる、と私は思っている。
こうした時は、この利便性にお世話になると思われる。

しかしながら、それまではできる限り、自身の努力、工夫で、
生活したいので、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をする。

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認知症予防、脳を衰えさせない習慣は3つ、79歳の私は学び、微苦笑して・・。

2024-03-23 15:58:17 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されている記事を見ている中で、
『  認知症予防の最前線。脳を衰えさせない習慣は3つ。
     運動、知的活動、コミュニケーション  』、
と題された見出しを見たりした。

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



私は年金生活の2004年の晩秋の当初から、我が家の平素の買物に関して、
自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで週に数回、スーパーなど歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

やがて私は我が家の買物の責務を終えて帰宅した後は、
やはり独りで自宅周辺の3キロ範囲を歩くことが多くなっている。

           

こうした中、付近に流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いたり、
或いは小公園、小学時代に通学した旧市道を歩いたりしている。

ときには最寄駅の商店街に立ち寄り、知人と談笑したり、
都立の神代植物公園に遠征したりすると、中学時代の同級生に逢う時もある。

こうした時、偶然だよねぇ・・、とお互いに再会を喜びながら、
過ぎし中学時代のそれぞれの同級生のことを話したりすると、長話になったりする時もある。



           


そして私は、亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、
見知らぬ男性、 女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、歓談したりしている。



           

或いは私が勤めていたあるレコード会社のOB会と称せられる懇親会に出席したりすると、 
上司だった御方たち、或いは同世代の数多くの人と談笑したりしている中、
数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は社交辞令のお世辞を頂くこともある。

或いは女性グループの中で談笑している中、たまたま音楽の話題となり、
他社の『いきものがかり』を定年後に偶然に聴き、
何かと吉岡聖恵(よしおか・きよえ)ちゃんの歌声に、励まされていますょ、
特に『YELL(エール)』は、高齢者の私でも心身のビタミン剤ですょ、と私は言ったりした。




こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

このように平素は過ごしている私、「」は、きまぐれに散策しているし、
そして「」は、近代現代史を独学で学んでいる以外は、
欠落しているので、苦笑した・・。

しかしながら

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『ちょこっと共済』、私たち夫婦の外出の時の『お守り』代わり、19年を迎えて・・。

2024-03-22 16:27:44 | 喜寿の頃からの思い
私より5歳若い家内と2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。

こうした中、私たち夫婦は本日、最寄りのある都市銀行に定期の件で立ち寄り、
この後、令和6年度の『ちょこっと共済』の掛け捨ての保険の申請をしたりした。

この『ちょこっと共済』は、私と家内のふたり分で年2000円を支払い、
手続きを完了させたりした。
ちょこっと共済 ::: 東京都市町村民 交通災害共済 :::

ちょこっと共済 ::: 東京都市町村民 交通災害共済 :::

「ちょこっと共済」は、東京都の全市町村がその住民の方々を対象に、共同で実施する公的な交通災害共済制度です。東京都全市町村の住民の皆さんが会費を出し合って会員とな...

ちょこっと共済 ::: 東京都市町村民 交通災害共済 :::

 


          

私は年金生活を始めた2004年(平成16年)の秋の翌年に、
この『ちょこっと共済』を偶然に知り、これ以来、私たち夫婦は加入してきた・・。

当初、最初に加入した当時の私の記憶をぼんやりと浮かべると、
《 みんなで一緒。ちょこっとサイズのたしかな安心
                 小さな交通事故もカバーします! 》
と明示されていた。

たとえばひとり年額1000円の保険料で
不幸にして最悪の死亡となった場合の『1等級』の場合は、
300万円の見舞金が受け取れる保険である。
 
そして各等級別に見舞金が違い、最下位として、
実治療日数10日未満の傷害の『6等級』の場合は、
4万円の見舞金が受け取れる保険である。



私は2004年(平成16年)定年退職後は、多々の理由で年金生活を始めた。

私の住んでいる所は住宅街で、殆どの御宅は自動車があるが、
我が家は自動車も所有できない稀(まれ)な家となっている。

若き独身時代の時、生家の自動車を盛んに運転をし、ドライブをしていたが、
その後に結婚したり、定年前の30年間はペーパー・ドライバーとなり、
定年退職後は自動車をを購入して、ゆったりとドライブするのも、
ひとつの楽しみと思ったりした・・。
 
しかし、無念ながら齢を重ね感覚が衰えているので、自身の過ちで事故を起こした場合のことや、
何より人様に対して人身事故で傷つかせたりした場合を考慮すると、
単なる保険の支払いで済まなくなるので、自制し、
退職後まもない更新時に免許書を破棄することにした。
 
このように我が家は自動車も所有できないが、
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
小田急、京王バスの路線バスが頻繁に走行し、
小田急、京王の私鉄路線も公共交通機関に恵まれた処となっている。

私は
歩くことが健康の源〈みなもと〉であると確信している私は、
買物、散策などは、出来る限り路線バスにも乗らず、歩いたりしている。


そして冠婚葬祭、都心で懇親会、国内旅行、緊急の用事などは、
タクシーを利用したりしているが、
昨年も月平均は、福沢諭吉さんのお札を超えることなく今日に至っている。

 

こうした中、年金生活を私が始めた当時より、
大通りの歩道を自転車で疾走する登下校時の学生、買物の主婦など、
中には携帯電話を話したり、見たりする方たちがいて、
ここ8年ぐらいはスマホを眺めたりして、何かと前方を不注意の方も見かけたりした・・。

或いは、我が家の近くの大通り、そして住宅街でも、
特に高齢者の方が覚束ない自動車を運転される方たちを見かけたりしてきた。

こうした状況を見かけて危惧してきた私は、
万一、交通事故に事故に遭遇した時の用心として、
この後に、『ちょこっと共済』加入した。

                

そして、私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味のひとつなので、
旅行先で万一交通事故に巻き込まれた時のことを配慮したりした。

私たち夫婦は、それぞれが毎年1000円ほどの掛け捨て保険をして、
確かに若き時代よりも、身体は衰え、少しボケてきたと感じる時もあり、
外出の時のお守り代わりに加入して、早や19年を迎えている。

この間、『ちょこっと共済』のお守りの効力の為か、
幸いにして私たち夫婦は、交通事故に遭遇しないで、無事に今日に至っている。



尚、この『ちょこっと共済』は、それぞれの都道府県別の自治体で、
運営管理されている、と私は保険に詳しい友人から教えられている。
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『ブログ開設から7000日』、偏(ひとえ)に多くの皆様に感謝を重ねて・・。

2024-03-21 12:34:09 | 喜寿の頃からの思い

昨夜、私が所属しているブログの【 goo blog 】に於いて、
『 ブログ開設から7000日 』と表示され、我ながら驚き、微苦笑したりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
私より5歳若い家内と雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、
ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や19年半となっている。


             

私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
この後の年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。



過ぎし年金生活を始めた当時、ネットの世界は私は殆ど無知な癖に、
この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げようと思ったりした。

そして自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを
出来うる限り随筆風の散文を綴り、公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、
無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。


この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。


                         
           
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、経済、社会、文化などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来してきた・・。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、
雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、
記事を投書できる範囲であり、
何よりも掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露できる上、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後は、
2つばかりの10万人ぐらい加入していた小さなブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ= goo blog 】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、
たまたま昨日で7000日となったりした。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
        
このような軌跡で、ブログの世界を知って18年半が過ぎて、早や19年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。



                         
               
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどが
心の叫び、思いがあふれ、
心の発露の表現手段として、
ブログの投稿文を綴ったりしている。

                                                 
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。



こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、ありのまま数多くの投稿文を綴ってきたりした。

そして70代になると、無念ながら自身の体力の衰えを実感した為か、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、
独り微苦笑する時もある。

                       



こうした中で、私は投稿文に関し、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、

投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは10年前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。


ここ10数年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになり、
数多くの皆様に支(ささ)えられて、私がブログが継続できたこともあり、
偏(ひとえ)に感謝の一言です。

             
                      

こうした中で、数多くの皆様の投稿文を読ませて頂くと、
ここ13年ぐらい殆どの方が、心ある写真を添付されたりしてきた。

そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。

特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。

過ぎし2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら微苦笑したりしている。
               
                 
こうした中、私は特に数多くの50代以上の皆様の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、それぞれ生を受けた環境も違い、
その後に育った状況、学歴、その後の社会人として職業、結婚生活・・、
やがてシニア世代となり、それぞれの生活をしていて、
もとより誰ひとり、同じ人生航路を歩んできた人はいないのである。


その上、人それぞれ思考、信条、性格なども違うし、この広い世界で同じ人はいなく、
男性グループのSMAPの唄った『世界に一つだけの花』のような存在でもある。
                    


そして人は誰しも光と影を有している中、
日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、

圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、つたない私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。



或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

または言霊を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。


          


こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に心の中の琴線(きんせん)が静かに奏(かな)でり始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。

或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。

何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない御方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。

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『春分の日』、私たち夫婦は長兄宅で談笑した後、お墓参りをして・・。

2024-03-20 14:08:55 | 喜寿の頃からの思い
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、私より5歳若い家内と2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後46年の古ぼけた戸建て住んでいる。

こうした中で、毎年『春分の日』の日は、私たち夫婦は、
私の生家の実家となっている長兄宅に行き、

仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っているのが、恒例のようになっている。

私はお墓参りに関しては、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親、祖父、親族、祖先のお陰で、私がこうして生きていられるので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、この日の『春分の日』、『お盆の日』、『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。



今朝、快晴に恵まれた青空の中、9時過ぎに長兄宅に行き、
長兄夫婦と1時間ばかり談笑したりした。

こうした中で、今年の誕生日を迎えと長兄は85歳、義姉は77歳となり、
私も80歳、家内は75歳を迎えることとなるので、
お互いに無理しないで過ごしましょう、と語り合ったりした。

何かしら昼過ぎには、処により雷雨が予測されていたので、
お墓参りの最中に遭遇したくないので、少し早めに長兄宅を辞したりした。

そして私たち夫婦は小田急線の『狛江駅』まで路線バスで行き、そして徒歩5分ぐらいにあるお寺まで行ったりした。

いつものように山門から私たち夫婦は入り、


☆昨今プライバシー(個人情報)の保護に伴い、
       たまたま一週間前に散策に私は訪れて、撮った☆






寺院の境内は、大きな樹木が数多くあり程広く、ご家族連れが多く、にぎわう中、
私たち夫婦はお墓に向った。



この後、私たちは私を育ててくれた祖父、父、母、次兄などが永眠しているお墓の墓石を水で清め、
駅前で買い求めた生前の母が好きだったお花を奉(ささげ)後、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が立ち昇る中、祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、
改めて私は見守られて日々を過ごしている、

と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。

こうした思いを重ねたりした後、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。

私の場合は、父が私の小学校の2年の時に病死され、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。

こうした確かな記憶の片隅から、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
表情、言葉づかいが想いだされる・・。


そして生前の母と家内は、お互いにある程度の遠慮があった上、
何かと心身の波長が合っていたらしく、私は家内、母に秘かに、
今でも感謝している。



まもなく青空の中、お線香の煙が芳香を残して、
澄み切った空の中にゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。

やがて寺を辞した後、現実の身過ぎ世過ぎの生活に帰った。

そして駅前のスーパーで、昼食代わりに季節にふさわしい華やいだお弁当を買い求めて、
駅前より路線バスに乗車して、帰宅したのは午後1時過ぎであった。

尚、幸運にも雷雨にも遭遇せずに帰宅でき、良かったねえ、
と私たち夫婦は、お互いに微笑んだりした。

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我が家が長年愛用している文明堂のある店が閉店となり、私たち夫婦は戸惑い・・。

2024-03-19 15:50:30 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、


     
私が専門店で買い求める品は、和菓子にも拙〈つたな〉い知識しかない私が、
ここ40年前後、新年、春のお彼岸、お中元、夏のお盆、秋のお彼岸、お歳暮などの時、
実家、知人宅に選定している和菓子は、文明堂の三笠山であり、
この詰め合わせを愛用している。


三笠山を中核に、ゆず、白桃、あんず、抹茶、栗などの風味の品が、
それぞれの季節に応じてあるので、私なりに調和して詰め合わせにして、
進呈しているのが、
ここ40数年の習わしのようになっている。

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「商品情報」箱サイズ:332×277×72耳がとじられ、山に見立てた形のどらやき。みずみずしい粒あんは、北海道産大納言小豆をふっくらと炊き、小豆の風味を活かした甘さです。...

Yahoo!ショッピング

 

このような品 ネットより拝借した



もとより味覚も良く、色合いも良く、そして日持ちも良いのである。
その上、高齢者から幼年者まで、どなたでも賞味できるので、
我が家が愛用している品のひとつとなっている。



たまたま明日は、春分の日であり、こうした日には、
私の実家である兄宅に行き、仏間にこの詰め合わせをささげ、
そして兄夫婦と談笑する。

やがて兄宅を辞した後、お墓参りするのが、
私たち夫婦の習わしとなっている。

こうした関係で本日は、文明堂の三笠山の詰め合わせ、
買い求める為にが、

工事中の対象と知り、私たち夫婦は戸惑ったりした・・。

そして数分後、調布駅の近くに東急ストアー店の中に、

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認知症に備え「エンディングノート」に記入しておくべき内容は?、79歳の私は学び・・。

2024-03-18 12:06:54 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフー・ジャパンより配信された記事を見ている中で、
『  認知症に備え「エンディングノート」に記入しておくべき内容は? 』、
と題された見出しを見たりした。

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


 
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ワイモバイルが超おトクです!、私たち夫婦は勧誘されて・・。

2024-03-17 20:48:24 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。





本日、私たち夫婦はある家電量販店に行った。
過日、エアコン、電気冷蔵庫を買い求めたが、電気冷蔵庫は少しキズが見つかり、
現品を確認してほしい、と電話連絡を頂き、私たち夫婦は10時過ぎに出かけた。

やがて担当者から、手違いで倉庫に置いてある、と私たち夫婦は知らされ、
結果的には値引きを提示され、解決とした。



この後、家内のスマホ、ワイモバイルが超おトクです!、
と私たち夫婦は勧誘されたりした・・。

やがて説明、手続きを受けたが、スマホに無知な私は戸惑い、
家内は数多く質問したりして、想定した以上に時間を要して、
帰宅できたのは夜の7時過ぎで、私は疲れ果てている。

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