夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

本年も偏(ひとえ)に数多くの諸兄諸姉に感謝を重ね、改めて諸兄諸姉は良きお年をお迎え下さい!!

2016-12-31 14:36:12 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であり、
民間の中小業の会社を35年近く奮戦して,2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
私の半生は、何かと劣等感と屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・と思いながら
定年後は年金生活を始めた・・。

年金生活を始めて、まもなく偶然にブログの世界を知り、
2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、この日から4364日が過ぎている。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
        
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸12年が過ぎて、早や13年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                                            
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                    
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
                                                                 
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは5年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
               
ここ5年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くのお方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
                                   

こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ7年ぐらい殆どの方が、心ある写真を添付されたりしてきた。

そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。

特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。

過ぎし2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。
               
                 
私は特に数多くの50代以上の諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。
                            

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。

或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。

何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。
                             

今年も社会に於いては、余りにも悲惨な出来事が多く、私は悲嘆したり、憂(うれ)いたりしましたが、
来年こそは、明るいニュースで数多くの方と共に微笑んだりしたい、と祈願しています。

改めて諸兄諸姉に感謝を重ね、諸兄諸姉は良きお年をお迎え下さい。

                  2016年(平成28年)12月31日
                               『夢逢人』

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年の瀬、つたない老ボーイの私、この一年を振り返り、やがて独り微苦笑して・・。

2016-12-30 14:06:09 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの72歳の身であるが、
一昨日の28日の水曜日は、『官庁御用納め』と知り、働いて下さる多くの諸兄諸姉は、
年末年始休暇は29日の木曜日から新年の1月3日の火曜日までかしら、と思ったりした。

そして私は現役サラリーマン時代は、民間の中小業に勤めていた時は、
『官庁御用納め』に準拠し、『仕事納め』となったりすることが多かったが、
外資系の為か年の決算月もあり、疲れ果てながら大半は30日頃まで奮戦することが多かったりした。

昨今の民間サラリーマン諸兄諸姉の多くは、短期に成果が問われる時代で、
更に常時リストラの過酷な時代の為、せめて年末年始の時ぐらいは、
愛する妻と可愛いお子様とゆっくりとお過ごし下さい、と諸兄に無力な私でも祈願した。
                               
今朝、ぼんやりとテラスに下り立ち、まばゆい陽射しを受けたりし、
この一年は、どのような心情で過ごしてきたかしら、と振り返ったりした・・。
             

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、相変わらずお互いの趣味を互いに尊重して、
ささやかな年金生活を過ごしてきた。

こうした中で、私たち夫婦が長年念願してきた樹木葬が執うことが出来る埋葬地の墓地を、
5月中旬に視察した後、やがて契約した。

或いは独り住まい家内の母は、5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

こうした状況下で、家内は整形外科でリハビリとか内科、眼科など付き添う為に、
家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
         
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
             

こうした時の私は、平素より散策する時間が多くなったりしてきた・・。

過ぎし5月10日に通販として大手旅行会社のクラブツーリズムより、
定期月刊誌の『旅の友』5月号が郵便受入箱に入っていて、家内が見たりした後、私は翌日に読んだりした。

私たち夫婦の共通趣味は、国内旅行であり、温泉地とか観光名所地に滞在して、周辺を遊学することを好み、
私たち特有コースを立案した旅程を駅前にある旅行代理店に依頼して旅路を重ねたりしてきた。

或いはクラブツーリズムの長期フリープランを年金生活の中、10数回ぐらい活用し、
ときには自動車の免許書も定年後の更新時に、破棄したので、辺鄙な名所めぐりは、
クラブツーリズムの観光めぐりなどを利用して、私たち夫婦は遊学したりしてきた。

この時の『旅の友』5月号を私は読んだりしている中、海外テーマ特集のひとつとして『上手にリフレッシュ』を主題に、
【名作を生んだ散歩道の風景】と題された記事があった。

『音楽』、『絵画』、『詩』として三つ記事が掲載されていたが、この中のひとつの記事を読み終わった後、
つたない私でも、瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めた・・。
             

私が魅了されたのは『詩』として紹介された、『イギリス・湖水地方詩人が称えた湖畔の水仙』であった。
無断であるが、転記させて頂く。
            
《・・ベートーヴェンと肩を並べるほどの散歩好きで知られているが、
イギリスを代表するロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースだ。

イングランド北西部にある湖水地方は、氷河時代に形成された湖沼郡が点在し、
その景色はイギリスで最も美しいともいわれている。

湖水地方の近くに生まれ育ったワーズワースは、生涯にわたってこの地を散策し続けたことから、
『湖畔詩人』とも呼ばれている。

谷また丘の空高く
ひとり漂う雲のごと
さまようわれのふと見しは
群れ集いたる黄水仙
湖水のほとり木々の下
風にひらめき踊るなり

これはワーズワースの代表作『水仙』の一節。

緩やかな谷と丘が連なる湖水地方の、アルズウォーター湖付近を妹のドロシーと散策していた時、
黄金色に輝く水仙の花の群れと出会った瞬間の感動を綴った名詩だ。

彼は山や湖畔の小道、小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたという。
                          

そぞろ歩きをしながら周囲の自然と心を通わせて、詩を作っては、
あとで書き留めるために必死で暗誦していた。

『序曲』(1805年)の中で、 「・・毎日毎日私は、さまよい歩いた。
安んじてもの思いにふけることができる道を」

と散歩へ愛を語ったほどで、雨の日には傘を持ち、濡れにくい道を足早に行ったり来たりしていたという。

悠久の時を超えて美しい風景と出会える湖水地方の山々や湖沿いの小道は、
彼が情緒豊かな詩を生み出すアイデアの宝庫だったのだろう・・》
                         

私は無念ながらイギリスの湖水地方には訪れたことはないが、確か20年前の頃、
NHKのBSに於いて、湖水地方について連続番組を視聴し、少しだけ情景は学んだりした。

そして肝要のイギリスを代表するワーズワースには、何かと海外文学に苦手な私は、
詩にも素養がなく、恥ずかしながら無知なひとりである。

たったひとつ記憶しているは、私が高校2年生の下校時、映画館に立ち寄って観た作品からであった。

エリア・カザン監督の『草原の輝き』(1961年)で、ナタリー・ウッドが扮する高校女学生が、
教室で詩を朗読するシーンであった。

草原の輝き
花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘めたる
力を見出すべし

私はストリーに涙ぐみ、そしてこの詩には瞬時に魅せられ、そして二回目を見て、
字幕スーパーを薄暗い座席でノ-トに書き留めて、
詩を創られた御方が、ワーズワースと知り、私は17歳の時であった。
            
私は後年になると、ワーズワースも波乱に満ちた人生航路を歩んだと学んだが、
もとより詩に託した才能で、後世にも多くの方に敬愛されている人である。

そして私は《・・ワーズワースは、生まれ育った地で、生涯にわたってこの地を散策し続けた・・》に、
つたない私でも、瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めたのであった・・。
             

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に生を受けて、
やがて都心の高校に通学して、都心の底知れぬ魅力に圧倒的に魅了され、通勤を含めて45年ばかり彷徨(さまよ)ったが、
定年後に年金生活を始めて、私の住む3キロ範囲を歩き廻るのが、何よりも心身安らぎを得ている。
            

そしてここ8年、デパートに買物、懇親会、冠婚葬祭などで都心に出れば、
人出の多さに疲れ果て、やがて我が家の最寄駅のひとつ『成城学園前』駅に降り立つと、
何故かしら安堵している。

このような心情を秘めた私は、たとえ時代、住む国と地域、才能も天と地の差があるが、
ワーズワースさんのお気持ち・・少しは理解できますょ、と私は微苦笑を重ねたりしてきた。

そして私は、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園、住宅街を歩いたりし、
ときには45分ばかり歩くと深大寺があり、隣接した処に都立・神代植物園があり、平年以上に尋ねたりしてきた。
             

それぞれに彩(いろど)り花、花木には、改めて見惚れたりしてきた。

こうした中で、あまたの雑木が冬木立から、芽吹き、そして新緑、深緑と多彩に変貌し、
やがてあまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始める錦繍(きんしゅう)の情景となり、
私は幼年期は農家の児として育てられたので、小躍りしながら歩きまわったりした。


私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしているが、
ときおり私は、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしていると、何故かしら長話になったりする時もある。

或いは遊歩道、公園などで、見知らぬ男性、女性でも私は話しかけたり、
ときには女性グループから話しかけられたりして、談笑を重ねたりしてきた。
               

このように私は、たまたま年男の今年を過ごしたりしてきたが、進歩なく過ごしてきたかしら、
と独り微苦笑したりしている。

やがて次の年男は84歳となるので、何かとプラス思考の私でも、健康寿命で迎えることは、
無理だろうなぁ、と溜息をしたりした。

そしていつの日にか、この世とお別れするまで、何とか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇しないように、
もとより自助努力も大切であるが、こればかりは神様か仏様の采配と思い、秘かに祈願したりしている。

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年金生活の我が家でも、12月28日より1月3日まで、年末年始特別休暇となり、老ボーイの私は微苦笑を重ねて・・。

2016-12-29 12:16:32 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私の父は私が小学2年生の時に病死され、母は私が54歳の時に病死され、
無念ながら天上人となった。

家内の父は私が定年退職した2004年(平成16年)の秋の直前に病死し、
家内の母は我が家より遠方で、一軒屋に独り住まいとなった。

そして私は定年後に多々の理由で年金生活を始めてまもない時、
私たち夫婦は家内の母に、せめて年末年始の期間は、我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から丸12年が過ぎ、早や13年目を迎えている。

今年も家内の母には、28日の夕方に来宅して貰い、私たち夫婦と3人で年末を過ごし、
新年を迎え、3日の午前中に帰宅される予定となっている。

世の中では、官公庁は今年は12月29日より1月3日まで、年末年始休暇と知り、
民間会社の大半は、官公庁に準拠して年末年始休暇かしら、
と私は民間の中小業に勤めていた体験を思い馳せて、微笑んだりした・・。
               

我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵(こたつ)で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。

そして家内は、高齢者の母を案じて、布団はマットレスを敷いた上に、敷布団を2枚敷たりしてきたが、
確か5年前から膝(ひざ)を悪化してきたので、ベットの代わりに敷布団を8枚ぐらい敷き、
この間にホームセンターで買い求めた堅牢な戸板を入れて安定させて、休んで頂ただいてきた。

しかしながら一昨年の12月下旬、家内は二階に干した敷布団を一階に降ろす時、
階段を踏み外して一階までの17段を転落し、私たち夫婦はお互いに動顛した苦い体験もあり、
再発防止、そして体力の疲労も配慮し、簡易ベットにしょう、と私たちは話し合ったりしてきた。

やがて新聞の折込チラシに、我が家では初めて知る『ニトリ』で、廉(やす)いベットが掲載され、
少し大きめのベットを買い求めたりしてきた。

こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。
               

このようなことをする準備として、家内は一週間前から室内の掃除をしたり、
やがて奥の6畳の和室、居間の炬燵など孤軍奮闘され、ノロマの私は補助役程度であった。

我が家は年末になると、家内は簡素であるが御節(おせち)料理の真似事をするので、
家内の要請のひと声に基づき、買物メール老ボーイの私は、
駅前のスーパー、専門店に出陣回数が多くなっている。

或いは家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、駅前に買物に幾たびか同行するのが、
毎年の習(なわ)しとなっている。
                          
私の母が亡くなる1998年(平成10年)の新春の前の年までは、
家内は黒豆、栗などの素材を吟味して買い求めて、
そして御節(おせち)の品々を3日ぐらいで仕上げたりしていた。

やがて独り住まいの私の母用に、我が家用、家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
それぞれ三段のお重を20年間ばかり料理してきたが、
お互いに齢を重ねてきたので、御節(おせち)料理は簡略となっている。

ここ10数年は駅前、最寄りのスーパーで五店ぐらい廻り、
伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻、酢蛸(スダコ)などの単品を買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。

そしてここ10年、通信販売の盛況の中、我が家も遅ればせながら5年前からは、
製造元の現地などの販売所に連絡して、ホタテ、数の子などを購入したりしている。

結果として、我が家の食卓は、御節(おせち)料理の単品を中心に、各自が好みの品を食べたり、
朝食は元旦の朝から定例のお雑煮となっている。
               

家内の母は、私より14歳ばかり齢上で、今や86歳の身となっているが、
80歳を過ぎた頃から、膝(ひざ)が悪化して、杖(つえ)を突く身となった。

こうした事情から、家内の母が炬燵(こたつ)に入いる時、膝(ひざ)に負担がないように、
私たち夫婦は椅子を探し、そして料理を食べやすいように炬燵(こたつ)のテーブルの上に、
簡易な食卓テーブルを買い求めたりしてきた。

こうした家内の母が椅子に座り、簡易な食卓テーブルで料理を食べたりすると、
私たち夫婦は炬燵(こたつ)に入ると、家内の母に対して見上げるようになり、
家内の母からすれば、私たち夫婦を見下ろすような状態となり、従者を従えているような状態となった。

私は当初、家内の母のこうした状態に、畏(おそ)れ多くも昭和天皇の皇后陛下様のように、
思い重ねて微苦笑したりした。

ここ数年の私は、畳とか座布団に座ることに、膝(ひざ)に負担を感じることとなり、
こうした時は炬燵(こたつ)に入らず、私たち夫婦が食事などを頂いている居間の食卓テーブルにある椅子に座り、
炬燵(こたつ)に入っている家内と家内の母に向かって、明るく大きな声で談笑したりしている。
               

昨日の28日、家内の母は家内の妹に引率されながら、定例の病院でリハビリ、そして我が家の最寄駅まで来て頂いて、
料理をしていた家内が最寄駅に出向き、家内の妹から引き継いで、我が家に予定通りに到着した。

やがて夕食の家内たちはビールを呑み、私はウィスキーを濃い水割りとして、
御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、二時間ばかり談笑を重ねたりした。

そして私は母と娘で話すこともあると思い、9時過ぎに寝室に行き、
布団にもぐり本を読んだりして、まもなく寝付き、今朝の29日は4時に目覚め、
早寝早起き元気な児かょ、と思いながら起床した。

このような状態が、家内の母が帰宅する前夜まで毎年続いてきたので、
平素の我が家ペースとは大幅に違うよなぁ、と微苦笑したりした・・。

こうした中で、大晦日(おおみそか)の夜に年を取ることを祝って行う儀式の『お年取り』をしたりしてきた。
しかし殆どは、酒宴の真似事と同じだ、と私は微笑んだりしている。

私は結婚する前は、私の生家は大晦日の夜は『年越し蕎麦』の習わしであったが、
家内の実家が『お年取り』をされていたので、私たちが新婚の頃、家内の実家に招待されて、
数多くの料理を食べながら、お酒を呑み、談笑を重ねたり習慣に、私は最初の頃に驚いたりした。

やがて我が家でも、大晦日の夜は『お年取り』をして、早や30数年が過ぎている。
               

私たちの28日から新年の2日までの酒宴の真似事は、
家内の母は86歳、私は72歳、そして家内は67歳となった今、
それぞれ高齢者の身であるが、この一年のその人なりのささやかな出来事を話したりする。

家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。
             
やがて整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
           
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。

家内の母はこうした体験談を微苦笑しながら、改めて私たち夫婦に語ったりすると、
泉のように話題が尽(つ)きないことも多い。

しかしながら家内の母は、我が家に滞在中は、昼下がりに3時間ぐらい昼寝をしているので、
毎夜の酒宴の真似事の時は、元気溌剌で応答し、私たち夫婦は戸惑いながら微苦笑を重ねたりしている・・。
               

このように我が家は、今年も年末年始は齢を重ねても、酒宴の真似事が続き、老ボーイの私は微苦笑している。

そして何よりもお互いにボケずに、こうして談笑ができれば、ささやかながら倖(しあ)せだねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりしている。


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コンビニ総菜 存在感が増す昨今、ときおり『おひとりさま』になる老ボーイの私は、こよなくスーパーの総菜を愛食して・・。

2016-12-28 12:56:06 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活13年生の身であり、
昨日の朝、いつものように配達された読売新聞を読んだりした中、経済面に於いて、
【 コンビニ総菜 増す存在感
          手軽で便利味 レベルアップ 】
と大きく見出しされた記事があり、やがて読み終わった後、微笑んだりした・・。

無断であるが、読売新聞45年ばかり購読しているよしみに甘えて、記事を転記させて頂く。

《・・総菜市場で、コンビニエンスストアの存在感が高まっている。
自宅近くに店舗がある便利さや品ぞろえが増えたことで、総菜専門店やスーパーから、客を奪っている。
仕事を持つ女性や高齢者世帯が増え、手軽に利用できる総菜は伸びが見込めるため、販売競争は熱を帯びている。
             

『ローソン』は、冬場に女性の間で人気が高いスープ類の品ぞろえを、前年の2倍近い計9商品に増やした。
今年3月からは、自主企画商品の総菜などを毎月下旬に1割引きにするなど、ライバルとの差別化を進めている。
竹増貞信社長は「独自性のある商品を投入して来店動機を高めたい」と語る。

『ファミリーマート』も、9月から煮物やサラダなどの副菜を中心に、商品数を前年比で3割増やした。

『セブン―イレブン・ジャパン』は、秋冬の商戦を見据え、
9月にグラタンやドリアのトッピングのエビを増量したほか、ホワイトソースを改良した。

日本惣菜協会によると、2015年の総菜全体の市場規模は、9兆5880億円(見込み)で、
5年前の1・2倍に伸びた。

このうちコンビニでの販売は、2兆9451億円と1・4倍の伸びとなり、総菜専門店を上回ったとみられる。
「店舗数が増えていることに加え、味などのレベルが上がっており、
コンビニの売り上げは今後も伸びる」(関係者)との見方もある。

スーパーでも、地域の食材や調味料などを使った総菜類を増やしたり、
できたての総菜を食べられるイートインコーナーを拡張したりして、需要の掘り起こしに力を入れる。
市場の拡大を受け、工夫を凝らした商品の投入が増えそうだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

この記事に日本惣菜協会の『惣菜白書』から公表された2015年の販売見込みとして、
専門店・・・・・2兆9451億円、
コンビニ・・・・・2兆9023億円、
食品スーパー・・2兆4511億円、と図表で明記され、やがて私は微苦笑した。


私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしているが、
夕食の時だけは、料理ができない私は、大幅に変貌している・・。
             

我が家の近くに『セブン・イレブン』と『ファミリーマート』があるが、
私は少し歩いた先のスーパー、或いは15分ばかり歩いた食品スーパーに行くことが多い。

もとより働いて下さる方は多忙で、身近なコンビニ活用は理解できるが、
私は年金生活の身であるので、時間は自由となり、少し遠いスーパーでも苦にならず、歩いたりしている。

こうした中、平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求め、
買物メール老ボーイとなっている私でも、お惣菜(総菜と同意語)売場の創意工夫ある食物に、
齢を重ねるたびに、感心させられてきた・・。

※煮物・・・煮しめ、甘露煮、湯煮、うま煮、煮豆等
※焼物・・・いため物、串焼、網焼、ホイル焼、かば焼等
※揚物・・・空揚、天ぷら、フライ等
※蒸し物・・・しゅうまい、茶わん蒸し等
※和え物・・・胡麻あえ、サラダ等
※酢の物・・・酢れんこん、たこの酢の物等

こうした食品を私は見ながら、『おひとりさま』になった時は、数品を買い求めて、今宵の夕食の友としている。
             

私はコンビニのお総菜に関して、家内から要望されない限り、避けているが実情となっている。
そして、ときおり『おひとりさま』になる老ボーイの私は、こうした時には、
スーパーは食物が多彩の上、更に御値段も廉(やす)く、何かとケチな私は魅了されて、こよなく愛食している。

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『脳の老化を99%遅らせる方法』の"5つの処方箋"、多々教示され、やがて秘かに祈願を重ねて・・。

2016-12-27 14:03:04 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活13年生の身であり、
昨夜 出版社の幻冬舎の公式サイト『幻冬舎plus』を見たりしている中、
【 脳に効く一番の運動は、もっとも手軽にできるアレ!<脳の老化を99%遅らせる方法> 】
と見出しを見たりした。

私は、年金生活の中で齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
       
しかしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

たとえば祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っている・・。

ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、確か私が小学3年生の頃、
亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんの『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、収容できずオバー・フローになり、
忘れてしまうことで、悩が適度な記憶量に調整を図っている、と無念ながら思ったりしている・・。
            
こうした心情を秘めた私は、<脳の老化を99%遅らせる方法>を真摯に学びたく、精読してしまった。
             

この記事の原文は、日本認知学会専門医・指導医で、おくむらメモリークリニック院長・奥村 歩さんが、
『脳の老化を99%遅らせる方法』を上梓され、編集部が簡潔に纏(まと)められた記事であり、
この『幻冬舎plus』サイトに2016月12月26日に配信され、 無断であるが殆ど転載させて頂く。

《・・脳に効く一番の運動は、もっとも手軽にできるアレ!<脳の老化を99%遅らせる方法>

「あれ?  いま何をしに、ここに来たんだっけ?」
「あの同僚の名前……顔は思い浮かぶのに名前が出てこない」
「最近、デパートの駐車場で、どこに車を停めたかすぐ忘れてしまう」

・・・よくありがちなこういった「もの忘れ」。
働き盛りの30代、40代の人にも心当たりがある方が、多くいらっしゃるのではないでしょうか。

じつはこの「もの忘れ」は、放置しているとうつ病や認知症へとつながっていく、
危険を知らせる大事なサインなのです。

これまで10万人以上の脳を診断し、「もの忘れ外来」を開院されている奥村歩先生の新刊『脳の老化を99%遅らせる方法』では、
この「もの忘れ」の意外なカラクリと、すぐに実践できる対処法がわかりやすく解説されています。

本連載では、そのエッセンスを「試し読み」の形で、「つながりのいい脳をつくるために必要な"5つの処方箋"」について、
詳しくご説明をしていきたいと思います。

具体的にどんなことを生活習慣として、取り入れるとよいかについても、いくつかご紹介します。
             

処方箋 5

日々の生活習慣を整える

近年、認知症の発症に、生活習慣病が大きく影響していることが、わかってきました。

みなさんもよくご存じのように、生活習慣病は一朝一夕に起こるわけではなく、
長年にわたる”悪い生活習慣”の積み重ねで、少しずつ進行していくもの。
ですから、将来、認知症になるのを回避するには、若いうちから生活習慣病を予防しなくてはなりません。

なお、数多くの生活習慣病の中でも、脳を老化させないために、とくに予防に注意を払うべきなのが、
『糖尿病』『高血圧』『脂質異常症』『脳卒中』の4つの疾患です。

この中でも糖尿病は、脳老化への影響が非常に大きく、
「糖尿病の人は、アルツハイマー型認知症になるリスクが糖尿病でない人に比べて、2倍以上になる」
という調査結果も報告されています。

さらに、この4つの疾患は、いずれも脳血管を障害することにつながります。

つまり、人間が脳の機能を保つには、絶対に脳血管を弱らせてしまっては、ダメなのです。

ちなみにみなさんは、あらゆる動物の中で、脳卒中になるのは。人間だけだということをご存じでしたか? 

人類の祖先はおよそ700万年前にアフリカで誕生したわけですが、
その当時のヒトの脳重量は、チンパンジーと同じ500グラム程度でした。

ただ、その後の数百万年の間に人類は、飛躍的な進化を遂げ、脳重量をおよそ3~4倍にまで増やして、
多くの文明をつくり出すようになりました。

つまり、人類は、とんでもないスピードで劇的に巨大化した脳に、血液を供給するための血管を、
かなりの突貫工事でつくらざるを得なかったのです。

これにより、わたしたち人間は、脳に運ばれる莫大な血液量に比して、
相対的にもろい脳血管を持つという宿命を抱えてしまいました。

だから、サルや犬は脳卒中を起こさず、脳血管のもろい人間だけが、脳卒中を起こすようになったのです。

ですから、わたしたちは、若いうちから脳血管を弱らせないように、
日々、食事、運動、睡眠などの生活習慣をしっかり整えて、”脳血管を弱らせる病気”にならないように注意しなくてはなりません。
そうすることによって末永く脳の機能を健康に保ち、”脳血管がもろい”という宿命を跳ね返していかなくてはならないのです。
             

処方箋 5 のニューロビクス
“脳にいい食事””脳にいい運動””脳にいい睡眠”を習慣づけよう

※『ニューロビクス』とは、アメリカの研究者がつくった造語。
ニューロン(脳神経細胞)とエアロビクスを足してつくった言葉で、脳を鍛える健康習慣を指しています。

脳を老化させないために生活習慣病の予防が欠かせません。
では、いったいどんな点に気をつければいいのか。
ここでは、食事、運動、睡眠など、脳を健康に保つためのニューロビクスについて取り上げていきます。
             

◎運動は脳を成長させる”肥料”だと心得る

脳を鍛えるためにもっとも有効なニューロビクスは、”適度な運動”なのかもしれません。
そう言っても差し支えないほど、近年、「運動は脳に好影響を与える」という研究報告が増えてきているのです。

たとえば、運動をして筋肉を動かすと、
脳内で『BDNF(Brain Derived Neurotrophic Factor /脳由来神経栄養因子)』という物質が、
分泌されることがわかっています。

この『BDNF』は、わかりやすく言えば、神経細胞の”肥料”となる物質です。
すなわち、運動をしてこの”脳の肥料”が増えてくると、脳細胞の勢いが増して回路を成長させやすくなるということ。
だから、脳回路を成長させるためには、せっせと体を動かして”肥料”を与えるべきだというわけです。

適度な運動は、体の健康をキープするだけでなく、脳の健康をキープするためにも不可欠な習慣なのです。
             

◎やっぱりウォーキングは脳に効く! 

脳のコンディションを良好に保つには、ウォーキング、ジョギング、水泳などの有酸素運動を習慣にするのがおすすめ。
そして、有酸素運動の中でも、もっとも気軽に取り組めてひときわ高い健康効果をもたらしてくれるのが、ウォーキングです。

ウォーキングのように一定のリズムを刻みながら体を動かす運動には、脳のセロトニン分泌を促進する働きがあります。
セロトニン不足が、うつ病を招くことは広く知られていますが、
普段からウォーキングでセロトニンの分泌を高めていれば、脳の状態を安定させてうつ病のリスクを低下させることにつながるわけです。

また、ウォーキングは、うつ病だけでなく認知症予防にも効果があるとされています。
さらに、動脈硬化予防、高血圧予防、心肺機能アップ、肥満予防、血流アップといった健康効果も期待でき、
脳血管を健康に保つのにも頼もしい働きをしてくれます。

このように、さまざまな効果をもたらしてくれるウォーキングを、ニューロビクスとして導入しない手はありません。
ウォーキングは、週3回、1回30分程度のペースで続けるのがベスト。
より効果を引き出すには、息が切れない程度の早歩きで、少し汗ばむくらいを目安にするといいとされています。

なお、先述のように、ウォーキング中には、デフォルトモード・ネットワークも稼働しやすくなります。
”歩く”というシンプルな運動を続けていると、大脳の意識的活動が沈静化して”ぼんやり機能”が台頭してくるのです。

ですから、ウォーキングを習慣にしていれば、デフォルトモード・ネットワークを太くして、
脳回路のつながりを向上させることもできるでしょう。

ぜひ、日々歩くことによって脳に刺激を送り、脳の老化を防ぐようにしましょう。
             

◎”ココナッツオイル”にも”、イチョウ葉エキス”にも頼らなくていい

脳を健康にするのに、特別な食事は必要ありません。
1日3食、いつも決まった時間に、栄養バランスのとれた食事を摂る。
量は食べすぎないように”腹八分目”に抑えておく。

なるべく間食はしない。こうした”基本”さえ守れていれば、それで十分です。

ココナッツオイルもイチョウ葉エキスも必要なし。
それよりも先に述べた”基本”を徹底することのほうが、ずっと大事です。
             

◎ぐっすり寝て脳をしっかりメンテナンスする

脳の機能をいつまでも維持したいのなら、睡眠は絶対におろそかにしてはいけません。
そもそも、夜間の睡眠中の脳内では、疲労物質を代謝したり、脳細胞を修復したり、
といったさまざまなメンテナンス作業が行なわれています。

しかも、最近の研究では、認知症の原因物質となるアミロイドβを除去する作業が、
寝ている間に進められていることもわかっています。

ですから、睡眠が不十分だと、こういったメンテナンス作業が終わらないまま、
整備不良の見切り発車状態で、1日をスタートしなくてはならなくなるのです。
そういう日が何日も続けば、脳に疲労などの悪影響がたまっていくのは目に見えていますよね。

毎日ぐっすり快眠を習慣にして、脳の力を十分に発揮していきましょう。
             

◎昼寝には、認知症を予防する効果が認められている

脳機能を末永く維持していくには、”短時間の昼寝”を習慣的に取り入れるのもおすすめです。
さらに、昼寝はビジネスシーンにおいても、”脳の疲れを短時間でリフレッシュさせるメソッド”として、
注目されるようになってきています。

ただ、昼寝の時間は、”30分以内”が原則。
それ以上寝てしまうと、夜の睡眠に影響することもあります。

昼寝での”寝すぎ”を防ぐには、コーヒーを飲んでから、昼寝をするといいでしょう。
そうすれば、ちょうど20~30分後にカフェインが効いてきて、すっと起きられるようになるはずです。

 
さあみなさん、「5つの処方箋」を軸にして、日々よりよく脳を使っていきましょう。
そして、いくつになっても脳が健やかに、成長するいい流れをつくっていきましょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私の平素の散策、食事、睡眠などは、昨日に投稿した、
『健康寿命を延ばす専門家の三人の思い、真摯に私は学習した後、やがてダラシがない我が身は・・。』
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/7b717b5653701110c3e542dbdb12b3cf
に於いて明記してきたので、今回は省略する。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。


今回の記事を読み終わった後、私は少し微笑んだりした・・。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そしていつの日にか、この世とお別れするまで、何とか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇しないように、
自助努力も大切であるが、秘かに神様とか仏様に祈願しているが、
果たして・・と思ったりしているのが、昨今の私の本心である。

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健康寿命を延ばす専門家の三人の思い、真摯に私は学習した後、やがてダラシがない我が身は・・。

2016-12-26 14:22:10 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活13年生の身であり、
今朝、家内と共に朝食を頂いた後、パソコンを置いている机には脇机があり、
この脇机の中に、私は雑誌、新聞で気になった記事を茶箱に入れ保存しているが、少し整理しょうと思い立った・・。

数多く切り抜いた記事を見たりしている中、【 [論点スペシャル]健康寿命を延ばすには 】
と見出しされた記事があり、やがて読み始めた。

この記事は、読売新聞の朝刊で、時の難題をそれぞれの分野で活躍されている三名の専門家に、
読売新聞の専門記者がインタビューされ、それぞれの思いを発言して頂く定期連載で、
担当された記事を纏(まとめ)る形式となっている、

そして今回の記事は、2016年12月21日に掲載されていた。
  
無断であるが、読売新聞45年ばかり購読しているよしみに甘えて、記事を転記させて頂く。

《・・高齢化が進む中、幸せで活力のある社会を維持していくためには、
一人ひとりが健康を意識して、自立して暮らせる「健康寿命」を延ばしていくことが大切だ。

生活習慣の基本である運動や食事、睡眠に気を配りながら、サプリメントなどの健康食品を活用する人も増えている。
健康寿命を延ばすために、何を心掛ければよいのか、専門家などに聞いた。
             

☆自ら行動 「虚弱」防ぐ・・・東京大学高齢社会総合研究機構特任教授・辻哲夫(つじ・てつお)氏

日本は世界で最も高齢化が進んでいる。
65歳以上の割合は、26・7%(2015年)で、4人に1人が高齢者だ。

医療や介護などにかかる社会保障費は、年々増加している。
団塊の世代(1947~49年生まれ)が全員75歳以上になる2025年以降は、現役世代で支えられなくなる恐れがある。

この難局に、どう対応するかが大きな課題だ。
大切なことは、一人ひとりが健康に気を配り、なるべく病気や要介護にならないようにして、
自立して暮らせる「健康寿命」を延ばすことだ。

介護が必要な状態になるのには、大きく二つのルートがある。

一つは生活習慣病だ。
典型的なのは脳卒中で、ある日突然、自立した生活を送れなくなる。

もう一つは「フレイル(虚弱)」だ。
フレイル(虚弱)は、筋力や活動が徐々に低下して、要介護になる手前の状態を言う。

生活習慣病を予防するには、ウォーキングなどの運動と、適切なカロリーでバランスのとれた食事が大切だ。
国はすでに、生活習慣病の対策を進めている。

その一つが、私も制度設計に関わった特定健診だ。
糖尿病などになるリスクが高い人を見つけて、生活習慣の改善を促す特定保健指導を行っている。

今後は後者のフレイル(虚弱)の予防が極めて大事になる。

フレイル(虚弱)の予防の基本も、
〈1〉肉などのたんぱく質と野菜をしっかりとる
〈2〉運動する
〈3〉閉じこもらずに社会参加する――ことだ。
特に社会参加が大切だ。

私が所属する東京大学高齢社会総合研究機構は、千葉県柏市で、フレイル(虚弱)を予防するプロジェクトに取り組んでいる。

その柱がフレイル(虚弱)チェックだ。
両手の親指と人さし指で輪を作り、ふくらはぎの一番太い部分を囲む「指輪っかテスト」で、
隙間ができると、筋肉量が減ってフレイルになっている可能性がある。

次に、食習慣や運動、社会参加などの状況を詳しく調べて、自分の弱いところに気付いてもらう。
フレイル(虚弱)チェックは、高齢者が中心の市民サポーターが手伝っている。

全国の自治体でも、運動教室など、社会参加を促し、介護の状態になるのを防ぐ事業は、たくさん行われている。
フレイル(虚弱)チェックが普及すれば、参加者も一層増え、町全体が元気になる。 

生活習慣病とフレイルで共通しているのは、自らの努力と行動によって、予防し、健康状態を改善できるという点だ。

予防しやすい社会環境を整えることは、もちろん必要だが、
一人ひとりが自らの健康や社会参加の状況などについて気付き、考え、行動することが重要だ。(医療部 加納昭彦)
             

☆人生の夢 力くれる・・・登山家 三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)氏

健康寿命を延ばすために一番必要なものは、人生の夢。
いくつになっても「そこへ向かうんだ」という強い意志だ。
そして、運動で体に負荷をかけ、バランスの良い食事で栄養を取ること。

70歳でエベレストに初登頂するという目標を立てた時、
一番の課題は“メタボ退治”で、日頃から健康を維持する大切さを痛感した。

1985年、53歳で7大陸最高峰からのスキー滑降を達成した。
しかしその後、目標を失って、日課だった10キロのランニングやウェートトレーニングもしなくなり、
不摂生な生活を送り始めた。

63歳の頃、病院で検査を受けると、身長1メートル64に対し、体重は約90キロ。
運動していた頃より、約10キロ増え、血圧は190近くで、血糖値も糖尿病になる寸前。
完全なメタボリック(内臓脂肪)症候群で、医師から「余命3年」と言われた。

どうせ余命3年なら、死んだ気になってエベレストに登ってやろうと思った。
試しに標高約530メートルの藻岩山もいわやま(札幌市)に登ってみたが、
狭心症の発作を起こして、途中でのびてしまった。

肉、魚、野菜、海藻など、バランスの良い食事を心がけていたつもりだったが、
食べ過ぎていたと反省した。

朝食は生卵とヨーグルト、納豆。
欧米人に負けない体を作ろうと、30歳代の頃から飲んでいたビタミン剤などのサプリメントは、
食事をサポートするものとして、体調に合わせて使っている。

体内に発生する有害物質や活性酸素を取り除くというサプリも長く愛用し、
疲れがたまりにくい作用を実感。
精神的にも「これが体のどこかの隅に効いているんだな」と思うと、活力がわいてくる。

自己流で「攻めの健康法」も実践。
足首に重りを付け、外出時にはナップザックに重りを入れて歩くようにした。

少しずつ重くして、70歳でエベレストに初登頂した頃には、
足に10キロの重りを付け、ナップザックには30キロの重りを入れていた。
「どうしてもエベレストに登るんだ」という強い思いもあり、膝や腰の痛みは次第に消え、足腰は強くなった。

その後、75歳と80歳の時にもエベレストの登頂に成功。
80歳の時には、体重を約80キロまで絞り込んだ。

運動と食事とサプリは、基礎的な知識を学んだ上で、自分に合った方法を見つけることが大事。
今の目標は、再来年にヒマラヤのチョオユー峰(8201メートル)の山頂から、スキーで滑り降りることだ。
エベレストを見ながら、滑ってみたい。(社会部 木村雄二)
             

☆「機能性」食品 上手に活用・・・大阪大学教授 森下竜一(もりした・りゅういち)氏

健康寿命を延ばす基本は、食事や運動などの生活習慣に気を付けることだ。
ただ、分かっていても、なかなか実践するのは難しいので、きっかけを作ると取り組みやすくなる。

食事に関しては、昨年4月に制度が始まった機能性表示食品を活用することが、一つの手段になるだろう。

機能性表示は、科学的な根拠を示せば、食品が持つ健康によい作用(機能性)を表示できる制度で、
食育ともつながっている。

バランス良く食べて、健康になるには、食品にどんな成分が含まれ、どんな機能があるか理解することが大切だ。
そうした情報を学ぶ良いきっかけになる。

食品の機能性の科学的な根拠は、企業が自分の責任で、消費者庁に届け出る。
試験方法や生産体制が開示されることになり、安全性や透明性は高まった。

国が審査する特定保健用食品(トクホ)に比べ、研究コストも許可に必要な時間もかからないため、
制度開始から1年半で500食品を超えている。
まだ数は少ないが、みかんやもやしなどの生鮮食品でも機能性を表示したものが出始めている。

機能性表示食品の半数近くを占めるのが、サプリメントだ。
明確な定義はないが、特定の健康によいとされる成分が濃縮された錠剤やカプセル状の製品を指す。
サプリは、一般的な食品と違い、食事から十分な栄養が取れれば必要がなく、本来、飲まなくてもいいものでもある。

飲むからには、自分に必要かどうかを判断し、含まれている成分やその機能性を理解することが大切だ。

実際、鉄分がたくさん入ったサプリを飲んで体調が良くなった女性が、
夫に勧めたところ、肝機能が悪化したケースもある。

貧血気味の女性には効果的だったが、そうではない夫は、鉄分が過剰となり、悪影響が出た。
人それぞれで必要とするものは違ってくる。

機能性を表示できる食品であれば、臨床試験のデータが公開されているので、
どれくらいの量をどれくらいの期間、飲めばよいのかを確認し、納得した上で購入してほしい。

サプリを始めるのなら、併せて体重を管理しよう、食事に気を付けよう、少し歩いてみようと、
生活習慣の改善にも、前向きに取り組んでみよう。

ただ、病気を治療するのは薬で、サプリはあくまで健康を維持、増進するためのもの。
健康じゃないと感じたら、医療機関に相談してほしい。
形状が薬のように見えても、薬の代わりにはならないことは大前提だ。

それらを正しく理解した上で、体調を管理するきっかけとして、
サプリを含む機能性表示食品を活用することが大切だ。(医療部 森井雄一)
             

☆「健康」と「平均」の差 10年

高齢化が進む中、政府も健康で自立的に生活できる「健康寿命」を延ばす取り組みを進めている。

厚生労働省によると、2013年の男性の平均寿命は80.21歳で、健康寿命は71.19歳、
女性ではそれぞれ86.61歳と74.21歳だった。

平均寿命と健康寿命の差は、介護などを必要とする期間を意味しており、男女とも10年前後に上る。

厚労省はこの差を縮めることを目指し、12年7月に公表した国民の健康づくりの目標「健康日本21(第2次)」に、
「平均寿命の延びを上回る健康寿命の延長」を盛り込んだ。

また、政府は2014年7月、「健康・医療戦略」を閣議決定し、2020年までに健康寿命を1歳以上延ばす目標を掲げた。
「元気で長生き」を支える産業を創出し、経済成長につなげたい考えだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

このような記事であり、私は一時間半ばかり転記しながら、改めて多々教示された・・。
しかし齢ばかり重ね意志薄弱な私は、そうですか、と学ぶばかりで、実行には程遠いなぁ、と苦笑したりした。

私は2004年(平成16年)の秋に民間会社を定年退職した後、多々の理由で年金生活を始めたが、
何かとスポーツが苦手で、やむなく散策する程度となっている・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭となっている。

私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
せめて退職後の年金生活に於いては、日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

帰宅後も私は独りで外出して、自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。
             

食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

昼食は私はホット・コーヒーか煎茶を飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

そして昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
                                                               
やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。
                           

睡眠に関しては、ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡していて、
やがて朝食の時に家内から教えられ、微苦笑することが多くなっている。
            
このように私は過ごしているが、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

しかしながら今回、専門家の三名より多々教示されても、意志薄弱で、何かとダラシがない私は、
健康寿命に対しても落第生だなぁ、と微苦笑したりしている。

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親が元気なうちに始めたい「介護の予習」 何に一番困るか、ご存知ですか?、高齢者の私でも多々教示させられて・・。

2016-12-25 15:45:03 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
昨夜、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 知らないと後悔する!
     親が元気なうちに始めたい「介護の予習」 何に一番困るか、ご存知ですか? 】 
と見出しを見たりした・・。

私は72歳、家内は67歳になる身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
お互いに体力は衰えて、心持ちは溌剌としているが、
いつの日にか介護にお世話になる、と漠然としながらも思ったりしている。

もとより日本人の平均寿命は男性80歳、女性87歳と公表され、
健康寿命は男性71歳、女性74歳と明記されたりしている。

そして男性80歳、女性87歳時点で、半数が死亡し、 男性71歳、女性74歳時点で、
半数がやむなく介護を必要とする状態になる可能性が高い、と私は学んだりしてきた。

こうした心情を秘めている私は、今回掲載されている記事を精読した。


この記事の原文は、東田勉さんが親を持つ子世代へ向けた『親の介護をする前に読む本』が上梓され、
編集部が紹介する記事で、【現代ビジネス 】に12月24日の配信された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・知らないと後悔する! 親が元気なうちに始めたい「介護の予習」 何に一番困るか、ご存知ですか?
             

親の介護を終えた後、後悔に浸る子が多いという事実をご存じだろうか? 
看取った後になって、「私に十分な知識がなく、無知だったことが悔やまれます」と嘆いているのだ。

知識がなければ、もうけ主義の劣悪な介護事業者に出会ったとしても、それに対抗する術がない。
また、高齢者を食い物にする無慈悲な医療の罠にも落ちてしまう。

そんな折、高齢の親を持つ子世代へ向けた『親の介護をする前に読む本』が出版され、話題になっている。
本作の著者・東田勉氏が、「日本は世界一の長寿国であるのに、介護にまつわる落とし穴が多い」と警鐘を鳴らす。


☆なぜ、「介護の予習」をする人が少ないのか

「介護」と聞くと、誰もがいいイメージを持たないだろう。
できれば、することもされることもなく、人生を終えることができたらいいと思っている。
亡くなる直前まで、元気に活動する「ピンピンコロリ」を願う人は多い。

しかし、平均寿命は延びても、健康寿命(制限なく健康な日常生活を送ることができる期間)は、なかなか伸びてくれない。
両者の差は、女性で12.8年、男性で9.5年もあるのだ。

つまり、日本人は平均して、これだけの期間介護を受けることになる。

健康寿命は、女性74.21歳、男性71.19歳(2013年)だ。
あなたの両親は、この年齢を超えては、いないだろうか。

もし超えているとすれば、いつ要介護状態に陥ったとしても不思議ではない。
まだ介護の予習をしていないあなたは、介護の負け組になる可能性に直面している。

多くの人が介護のことを考えたがらないのは、
「いつか身に降りかかるにしても、イヤなことは考えたくないから、後回しにしよう」と思うからだ。
ところが介護は、始まってから、いきなり立ち向かえるほど、甘くはない。

準備の第一歩は、「その日がきたら、どうしたいか」を親から十分聞き出しておくことだ。
特に、「在宅か施設か」「延命を望むか、望まないか」の聞き取りは欠かせない。

しかしながら日本人は、親にも子にも「まだその時期ではない」
「元気なうちから、そんなことを聞くなんて失礼だ」
「縁起でもない」と、深刻な話題を避ける傾向がある。
             

☆介護はどのように始まるのか

多くの場合、介護は次の二つのどちらかで始まる。

一つ目のきっかけは、入院だ。
退院の時期を迎えても、在宅復帰できない場合、老健(介護老人保健施設)などでリハビリをして、心身の向上を図るが、
それでも元へ戻らないお年寄りは多い。
入院が「要介護状態の入り口」になるのだ。

二つ目のきっかけは、「在宅で自立できなくなったとき」だ。
ただし、これはなかなか発見されにくい。

よくあるのは、①加齢によって虚弱になり、食事、排泄、入浴が、自力でできなくなった場合と、
②認知症が進行していることに周囲が気づき、慌てて受診させた場合だ。

①と②が同時に起こったケースを見てみよう。

田舎に住む80代の両親が虚弱になってきたので、都会に住む娘夫婦は、
毎年のように帰省しては「そのうち引き取らないといけないね」と話しながらも、
同居のタイミングを計りかねていた。

何とか老親が暮らしていけたのは、田舎の人間関係が濃密で、親切な地域住民の手助けを得ていたからだった。

ところがある年の帰省で、娘は電気釜にびっしりとカビが生えているのを発見した。
浴室を調べると入浴の形跡はなく、家中のいたるところに、排泄を粗相した跡があった。

ご近所に尋ねたところ、家の中が荒れていることを恥じたのか、
老親は半年ほど、前から隣人たちの手助けを拒んでいるという。

危ういところで、都会の娘夫婦の家に引き取られた老夫婦は、「このまま死ぬのかと思っていた」と述懐した。
しかし、この話はハッピーエンドに終わったわけではない。
             

☆いちばん何に困るのか

福祉や介護の制度について、まったく知識がなかった娘夫婦は、
その後、老親を引き取ったことを後悔するようになる。

結果として、父親はうつ病を発症して亡くなり、母親は認知症が重くなって徘徊を始めた。
老親はわずかばかりの年金しかもらっていなかったので、娘夫婦が生活の面倒をみている。

「田舎で生活保護を受けさせて、施設入所させたほうがよかった」
というのが、現在の娘夫婦の思いだ。

「呼び寄せ介護」の典型的な失敗ケースである。

介護を始めるときに欠かせないのが、お金の知識だ。
多くの場合、親の介護は親の年金で賄うので、親に十分な年金や貯蓄があれば、問題は少ない。

「問題はない」と言い切れないのは、介護が始まると、予定外の出費が、かさんで、
多くの場合家計が、逼迫するからだ。

不足分を貯蓄で補填していくと、10年、20年と経つうちに、貯蓄も底をつく。
育児と違って、介護は何年かかるか、わからないのだ。
             

介護の入門書を書くときに困るのは、いきなりお金の話から入れないことだ。
そうしたくても、まず「在宅と施設の違い」「介護施設の種類」「介護保険制度」を理解してもらわないと、
いきなりお金の話をしても、さっぱりわからないだろう。

困ってしまうのは、前提となるこの三つの話が、サラッと済ませられるほど簡単ではないことだ。
介護保険制度一つをとっても、ゆうに一冊の本が書けるほど複雑極まりない。

介護が始まると、家族介護者はまず、介護保険制度の複雑さを知って気が挫けそうになる。
2000年度から始まった介護保険制度は、3年ごとの改正をくり返し、
現在5回目の改正介護保険が施行されているが、複雑化の一途を辿っているのだ。

そのため介護職と一般人との間に大きな知識格差が生まれ、
介護が始まってから出会う介護業界の人と、まともに対峙できない家族介護者が大半となった。

だからといって、プロは「介護がわかっている」
自分たちは「介護を知らない」と思ってはいけない。

プロは何千人の要介護老人を見てきたかもしれないが、目の前にいる「私の親」のことは知らない。
介護で必要なのは、個別性への対応なので、「この人には何が必要なのか」をいちばんわかっているのは家族なのだ。

介護を始める家族にとりあえず必要なのは、「この人を守る」という強い覚悟である。
             

☆介護と医療、どちらにもある落とし穴とは

介護保険は、「健康保険」「年金保険」「雇用保険」「労災保険」に次いで
スタートした5番目の公的保険だ。

これほど大きな制度をつくったにもかかわらず、国は自らの予算で、施設や事業所をつくらない。
既存や新規の施設や事業所を、介護保険用に「指定」して運用させている。

介護保険事業には、民間の営利企業が多数参入してきたが、
現在介護保険サービスを提供しているのは、いずれも指定された事業者だ。

ここが、北欧や西欧の福祉大国と日本が決定的に異なる点である。

彼の国では公的機関が介護を担い、介護職は公務員だ。
したがって、モラルハザードが起こりにくい。

日本の場合、違反が発覚すれば「指定取り消し」というペナルティを受けるが、悪質な事業者は後を絶たない。

利用者の要介護度が重いほど料金が高くなるので、お年寄りを寝たきりに追い込む事業者さえいる。
施設従事者による高齢者虐待の件数も、過去最多を記録した(2016年に発表された2014年度の数値)。
             

医療にもまた、落とし穴が多い。
特に目立つのは「認知症医療」と「終末期医療」だ。

認知症医療においては、1999年に初の抗認知症薬アリセプトが発売され、
2011年には、さらに3種類の抗認知症薬が追加承認されたことから、薬害が蔓延している。

抗認知症薬は興奮系の薬であるにもかかわらず、既定の用法用量が多すぎるため、
徘徊、暴力、不眠、昼夜逆転、妄想、幻覚、介護抵抗などの行動・心理症状が出るお年寄りが増えた。
それを抑え込むために、抗精神病薬が投与される。
一気に廃人へと進む悪いパターンだ。


☆終末期医療もまた、看過できない。

口から食べられなくなると、病院では胃瘻を勧めてくる。
家族が躊躇すると「では点滴だけで、看取りに入りますか」と二者択一を迫られるのだ。

「食事介助をしてほしい」という家族の望みは、「誤嚥性肺炎を起こすので危険」と拒絶される。

痰の吸引などの医療行為が必要なケースでは、食事介助をしてくれる特養(特別養護老人ホーム)があったとしても移れず、
お年寄りは行き場を失う。

このように、家族介護者が良質な介護と医療の現場を探すのは、きわめて難しい現状がある。
             

☆後悔しないために私たちができること

筆者は、長年介護ライターとして介護や医療の現場を取材してきた経験から、
どうすれば後悔のない介護と看取りができるかを考え続けてきた。

過去に取材して得た体験と、専門家から教わった知識を、
介護家族向けに凝縮したのが、このたび上梓した『親の介護をする前に読む本』だ。

本書は、介護のことを学ぼうとする人が、「最初に読むべき本」として企画された。
しかし、フェイスブックで拡散されつつある読後感によると、
「親の介護には、間に合わなかったが、自分が介護を受ける前に、読む本としてとても役立つ」
「利用者を劣悪な介護や医療から守るために、介護職こそ読むべき本だ」といった声が広まっている。

特に、「良心的な介護施設をみつける方法」「医師は教えてくれない認知症医療の真実」などの章は、
一般的な介護の入門書ではありえないほど、介護業界、医療業界の裏側をえぐっている。

これを知っているのと、知らないでいるのとでは、
介護から看取りに至る道筋をたどるにあたって、灯りを持つか、真っ暗な中を歩むかぐらいの違いが出てくる。

究極のところ、介護がうまくできるかどうかは、テクニックやスキル(個人の能力)の問題ではない。

気持ちに余裕があれば、誰でもある程度は、できるものだ。
逆に追いつめられると、相手の存在自体が、イヤになる。
介護を長続きさせるには、いかに介護をする人が、余裕を持てるかが、成功と失敗を分けるカギと言っても過言ではない。

そのために、家が汚くても、ニコニコできるならそれでいいし、たまには食事で手抜きをしてもいい。
それよりも介護者は、仕事や趣味を手放さず、
自分の時間も大切にして、とにかく余裕をつくることだ。

本書を手にすることは、介護者にとっていちばん大切な「余裕をつくる」手助けとなるに違いない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に、家内の父に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で、家内の母は独り住まいの生活をされて、早や13年目となっている・・。
       
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例となっていた。

こうした中、家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
                          
                                     
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。
             

やがて整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
           
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。

このように家内は老々介護をしているが、お義母(かあ)さんは娘ふたりに介護されていいよなぁ、
と私は家内に言ったりしたことがあった。

しかしながら、家内も家内の妹も高齢者であるので、果たしていつまで・・と私は深く感じたりしている。
             

私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、やむなく介護施設に思っているが、
介護施設に入居して、平均5年ぐらいで、亡くなる方が多いと学んできた。

そして要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。

しかしながら、特別養護老人ホーム(特養)の入居は競争が激しく、やむえず有料老人ホームを思案したりした。

そして東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかり、入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ・・と読んだ時、
裕福でない私は溜息を重ねたりした・・。

或いは地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件がある、と学んだりしてきた。

そして殆どの人は、長生きすればするほど、お金が程ほどにあっても
永らえば、やがて貯金が底をつく、と学んだりしてきた。
             

我が家は無念ながら程ほどの貯金しかなく、高価な有料老人ホームには、とても・・と思ったりしている。
そして程ほどの介護施設に入ったとしても、永らえば、やがて貯金が底をつく、と思い憂いたりし、
やはり私の晩年期の最大の難題と思いを深めたりしている。

平素の私は、殆ど毎日のように独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、何よりもいつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

このように裕福でない私は、せめて健康寿命を少しでも長く願い、歩いたりしている・・。

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サンタクロースの小父さん、雪がなく橇(そり)にも乗れず戸惑う、と老ボーイの私は夢想を重ねて、微苦笑して・・。

2016-12-24 15:46:53 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
いつもように平素の買物で家内から依頼された品を求めに、
本日は駅前のスーパーに買物メール老ボーイの身の私は、向かった。

歩いていると雲ひとつなく澄み切った冬晴れで、ときおり風が吹く程度で、散歩代わりには良いょなぁ、
と私は微笑んで、空を見上げたりした・・。
             

私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけ家庭で、
年金生活13年生となり、ともすれば曜日感覚が薄らいでいる。

やがて本日は、クリスマス・イブの日かょ、と遅ればせながら気付き、苦笑したりした。

私の生家は仏教の曹洞宗であり、キリスト教には関係はないが、
やはり私は世間の風潮には弱く、やはりサンタクロースの小父さんが一年に一度だけ、
大活躍する日だなぁ・・と思ったりした。

もとよりサンタクロースの小父さんは、純白トリミングのある真っ赤な服、
そして真っ赤なナイトキャップ姿で、白ヒゲを生やして、大きな袋を背にしている。

こうした中、積雪のある中を橇(そり)に乗って、それぞれの清らかな心を秘めた子供のいるご家庭を廻るが、
都心の郊外のように、雪がなくサンタクロースの小父さんは、橇(そり)にも乗れず戸惑うよなぁ、
と私は夢想をしたりした。
             

やがて私は駅前のスーパーで買物を済ませた後、駅ビルの前で、人通りの多い中
ふたりの高校らしい女学生が真っ赤なナイトキャップ姿で、
『クリスマスケーキ・・いかがですか・・幾くも種類もあります・・お買い上げ下さい・・』
と大きな声で健気に叫んでいた・・。

私は近寄ると、駅ビル内に出店している洋菓子店が、本日に限り駅ビルの前で、即売していると解り、
買物予定にはなかったが、ケーキ大好きな家内を思い、選定して買い求めたりした。

やがて私は、左手にはスーパーで買い求めたレジ袋、右手にはクリスマスケーキを提げて、
20分ばかり歩いて、我が家に向かった。

そして私は現役サラリーマンの大半は、勤務地が六本木であった為、洋菓子店の『クローバー』、
この後は最寄駅のひとつ、小田急線の成城学園前の近くにある洋菓子店の『アルプス』で買い求めたりしてきた。

やがて年金生活をすると、何かしら最寄駅のひとつ、京王線の仙川にもある洋菓子店の『コージーコーナー』などで、
買い求めたりしてきた。

そして恥ずかしながら年々、買い求めるお値段が下がっているなぁ、と苦笑したりした。

やがて帰宅すると、まもなく家内はクリスマスケーキに気付き、
開けた後、『子供ぽぃ・・クリスマスケーキね』と微笑んだりした。
             

私は洋菓子には苦手であるが、平穏な年金生活を過ごす中、
ときおり家内にショートケーキを買い求めたりして、ささやかな彩(いろど)としている。

そして今宵はクリスマス・イブであるが、平素より一品ぐらい料理が多い中、
私はウィスキーに氷片を入れたオンザロック、家内はビールを飲みながら、
いつものように一時間ぐらい談笑する程度と思われる。

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近年の相続、揉めるのは身内ではなく、銀行員と学び、私は動顛しながら、やがて溜息を重ねて・・。

2016-12-23 14:53:21 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
昨夜の9時過ぎ、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 ああ、相続で銀行員にダマされた!【怒りの実例集】 いまや揉めるのは身内ではなく銀行員  】 
と見出しを見たりした・・。

私は相続は兄弟、親族間で揉めるのは、幾たびか聞いたりしたり、私自身も少しばかり体験してきたが、
どうして銀行員なのょ、と思いながら精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊現代』の2016年12月24日号に掲載された記事のひとつであり、
【現代ビジネス 】に12月21日の配信された記事のひとつであり、無断ながら転載させて頂く。

《・・ああ、相続で銀行員にダマされた!【怒りの実例集】 いまや揉めるのは身内ではなく銀行員

相続で揉めるのは、身内と相場が決まっていた。
だが近年、その相続の場で、銀行員がトラブルを起こしているという。
アコギな金融商品を売りつけて、手数料を荒稼ぎ。その驚愕の実態をリポートする。
             

☆霊柩車を追いかけろ!

銀行の支店にいる営業マンの朝は、新聞に掲載された訃報に、目を通すことから始まる。
取引先の不幸に同情して、お悔やみを伝えるためだけではない。
新聞に訃報が載る名士の場合、まとまった額の資産を相続する遺族が、存在するからだ。

「外回りの最中に、町で霊柩車を見かけたら、ついていくこともあります。
亡くなられた方の名前と住所を確認し、お通夜、葬儀に顔を出し、お悔やみに伺う。

もちろん、名刺と営業用の商品パンフレットを持って。
当日は取り込んでいますから、その日はすぐに失礼しますが、
四十九日の法要が終わった頃を見計らって、再び自宅を訪ね、相続に関する営業をかけるのです」(元大手銀行員)

銀行員は相続した遺産を自行に預けてもらい、預金額を増やしたいわけではない。
肉親を失って心にぽっかり穴が空いたり、冷静な判断ができなくなったりしているところに、
金融商品を売りつけて、手数料を稼ぐのが、本当の目的だ。
             

本来、銀行は預金を集め、それを融資して、金利を得ることで稼いできた。
だが、現在の銀行は、そんなビジネスモデルとは程遠いと、金融商品に詳しい弁護士の本杉明義氏は話す。

「銀行が販売する金融商品で、トラブルが後を絶たない最大の原因は、
銀行が手数料ビジネスに、大きく舵を切ったことが挙げられます。

メガバンクなどは、手数料が稼げるという理由から、かつては考えられなかったようなリスクの高い商品を
販売するようになっています。

しかし、金融知識の豊富な人や判断力の高い人は、
銀行に勧められても、簡単にはリスクの高い商品を購入しないので、
銀行は高齢者や金融知識の乏しい人に、リスクの高い商品を推奨する傾向があります。

たとえば、相続で思わぬ大金を手にした遺族や、
夫を亡くしたりして一人暮しをしている高齢の女性などは、被害に遭いやすいですね」
             

例えばこんな具合だ。

神奈川県に住む小島薫子さん(67歳・仮名)は、7歳年上で元会社役員の夫を亡くした。
遺産分割協議書を銀行に持っていき、亡くなった夫名義の銀行預金を妻名義の口座に振り替えた。
相続した現金は約3000万円。

翌日、その銀行の営業担当が自宅を訪ねてきた。
「奥様名義の預金残高が大きくなりましたが、これはどのように運用するご予定ですか」

薫子さんは運用など考えておらず、定期預金にでもするつもりだった。

そう告げたが、銀行員は一歩も引かない。
「今は預金では、利息も付きませんし、奥様がこれから長生きをされますと、必要なおカネは増えます。
何かで運用しないと、年を取ってから、お子様に迷惑をかけることに、なりかねませんよ」

「皆さん買ってますよ」
銀行員は、国内外の株や債券で運用する投資信託と、一時払いの外貨建て変額個人年金を勧めてきた。

それまで投資や運用の経験がない薫子さんは、商品の内容をほとんど理解できなかったため、
「自分には、何がなんだかわからない。損をすることは、ないのか」と尋ねると、

銀行員は、
「この投資信託は、過去の利回りが、年利5%以上なんです」と繰り返し強調し、

個人年金については、
「5年間据え置き型の個人年金保険は、5年満期の定期預金のようなものです。
定期預金の場合は、今の低金利では預けた額とほとんど変わりませんが、こちらは十分に増える可能性があります」
と説明。

話がうますぎる気がしたが、迷う薫子さんに銀行員はこう畳みかけた。
「預金と違って、リスクはありますが、多くのお客様がこの商品を買っていますし、
うちの銀行では、売れ筋の商品なんです」

それを聞いた薫子さんは、みんなが買っているなら安心だろうと思って、それぞれの申込書類にサインをした。
             

ファイナンシャルアソシエイツ代表の藤井泰輔氏は、銀行の勧める投資信託を買うべきではないと断言する。
「販売実績やこれまでの利回りを強調する投資信託には、要注意です。
過去の実績は、将来の利回りを保証するものではありません。

最近は円安になっているので、銀行は外貨建ての投資信託を勧める傾向にありますが、
今後、反転して円高になる可能性は十分にある。
そのときは為替と価格変動のダブルリスクがあることを肝に銘じてください」

そもそも、銀行が勧める投資信託は、手数料が高すぎる。

ファイナンシャルプランナーの紀平正幸氏が解説する。
「海外で運用する投資信託は、国内の株や債券だけで運用する投資信託に比べて、手数料が非常に高い。
販売手数料は3%以上で、それ以外に信託報酬が毎年2%もかかる。
これだけのコストを差し引いて、安定的に運用益を出せる可能性は、少ないでしょう」

また、一時払いの外貨建て変額個人年金保険も、「年金保険」という名前とは裏腹に、
遺された人間の老後資産として、相応しい金融商品ではない、と紀平氏は言う。

「販売時にかかる手数料が7%で、運用期間中も1・5~2%の運用手数料を取られます。
これは5年間で、計15%程度の手数料がかかる計算です。
しかも、5年以内に解約すると、8%程度を別に取られるペナルティもあります。

相続した人が病気になった場合など、一時的にまとまった現金が、必要になる可能性もありますが、
そうした時に解約すると、損が出る可能性が高い。
こういった商品を『定期預金のようなもの』と説明することは悪質です。

定期預金は、絶対に元本割れをしないのですから。

夫を亡くした女性が、これだけリスクの高い金融商品で、運用しなければいけない理由は、どこにもありません」

結局、薫子さんの虎の子の3000万円は、わずか2年間で1000万円以上の含み損を、
抱えるようになってしまった。

異変に気づいた息子が、リスクの高い商品をすべて解約。
弁護士を通じて銀行に損害の賠償をするように交渉した結果、和解が成立し、損失の8割を取り戻したという。
             

☆銀行は絶対に損をしない

銀行は、常にあなたの銀行口座を監視している。
誰それが死亡したという情報を知れば、相続で、何か儲けられないかと考える。
金融に無知な遺族にしてみれば、ハイエナのような存在といっていいかもしれない。


別の元大手銀行員が振り返る。

「まとまった土地などの不動産を相続した人には、アパート経営を勧めてきました。
アパートを建てるための資金を融資するのです。
『毎月安定した収入になる』といって、銀行員に勧められるままにアパート経営をする人が増えています」

都内に住む深田隆史さん(55歳・仮名)も80歳の父親を亡くし、
相続した土地に6000万円の融資を受けて、アパート経営に乗り出した。
当初は満室になり、月々のローン返済も順調だった。

しかし、1年もすると、近隣には続々とアパートが林立するように。
入居者が新しいところへ引っ越ししてしまい、家賃を下げざるをえなくなった。
銀行が当初描いたような家賃収入にならず、ローンの返済のために、結局、自分の貯金を取り崩すことになった。

「仮にローンを返せなくなれば、担保の不動産が手に入りますし、順調であれば、金利が入る。
銀行は、どっちに転んでも、損をしない仕組みなのです」(元大手銀行員)
             

自分が死んだ後、遺族が相続で銀行にダマされるのが心配だ。
そういった生前の悩みに対しても、銀行はつけこもうとしている。

それが最近、各行が力を入れている「遺言信託」だ。

相続に詳しい行政書士の寺田淳氏が解説する。
「遺言書作成への助言や遺言書の保管から、相続発生時の諸手続きの執行までのサービスです。

とくに執行手続きに関しては、近親者のしがらみがないので、
確実に遺産の分配も行えるし、相続財産が知らないうちに使い込まれる危険もないというのが
セールストークになっているようです。

それ自体は、間違いではないのですが、一方で遺言信託にかかる手数料は、決して安いとは言えません。
ある大手信託銀行の場合、申し込み時に32万4000円かかり、その後も毎年6480円の遺言書保管料を取られます。
その上、相続が発生した時点で、最低でも108万円の遺言執行報酬がかかるのです」

仮に1億円の相続資産があり、遺言信託をしてすぐに亡くなった場合だと、
実に222万円が銀行の手数料として、持って行かれるのだ。
             

「遺言信託を利用するのは、自分が死んだ後に、相続人の間で争いが起こらないようにするのが、目的だと思います。
しかし、そこまでの費用をかけて、利用する価値はあるのでしょうか。
費用対効果の面から十分な検討が必要です」(寺田氏)

残念ながら銀行員も、ノルマに追われるサラリーマンにすぎない。
あなたが相続した遺産を、大事に守ってくれるなどと考えないほうがいい。

前出の紀平氏が総括する。
「遺された家族にすれば、これから先の暮らしを考えただけで、不安な状態になります。
到底、冷静な判断はできません。

そんなときに、複雑な金融商品を売り込まれても、理解できるはずがない。
言葉は悪いですが、そうした状態につけこんで、セールスをしているとしか思えないのです。

投資をするのは個人の自由だし、銀行が運用商品を勧めるのも、一概に悪いとは言えませんが、
少なくとも夫を亡くした直後の妻など、特別な状況にある相手を、
狙い撃ちにするような営業は、するべきではないでしょう」

笑顔の銀行員が、亡くなった親族の代わりに、あなたの人生を本気で考えてくれるわけではない。
相続をしたからといって、銀行の言うがままに金融商品を購入するのは、やめたほうがいい。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は投資信託、据え置き型の個人年金保険に準拠した少しささやかな思いでを秘めている。

過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職し、年金生活を始めた直後、私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約を始めた・・。

こうした時、ある銀行の窓口で私の退職金を引き出した時、支店長から応接間のような広い部屋に招待され、
支店長から『一時払い終身保険』を私たち夫婦に説明して頂ながら、勧誘させられたりした。

しかし10年間の運用利回りが良いと言われても、長期に及び資金が固定されてしまうので、
魅力は感じることなく、対象外とした。

この直後、支店長から3分の2はある投資信託で高い金利、残りの3分の1を安全利回りで運用されれば確実に増えます、
と勧誘するようにアドバイスを受けたりした。

そして支店長が自分もしていますよ、と自身の投資額と金利の推移表のカードを
私たち夫婦に見せて、先月は5万少し・・と提示して、微笑みながら勧誘した。

しかし私たち夫婦は、もとより金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、
悪化しマイナスになった場合は、残された人生に狂いが生じるので、
結果的には、国債の元本保証プラスわずかな金利とした。

私は気弱のせいか株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクで、
残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも心身によくないと思ったりした。

そして、貯金関係も定期貯金の元本保証プラスわずかな金利に選定した。
                                                                       
こうした私たち夫婦の根底には、バブル期の終了まじかに、投資信託に失敗したことがあったことが主因であった。
バブル期、私は現役のサラリーマンであり、同僚たちが盛んに株の売買で、高揚していた。

そして私は基本的な私たちの生活資金として、この当時は預貯金は1000万に到達していない上、
小心者の為か株のハイリターン、ハイリスクは避けて、ボーナスを頂くたびに定期貯金に加算したりしていた。

やがてある証券会社より、投資信託の勧誘のパンフレットが郵送され、
何かしら四半期毎に8%~12%の利回りがあった、と直近の四半期実績推移表が添付していた。

こうした中で、私は天下のXX証券が、世界中の資金を運用するプロの集団だから、と信頼して、
取りあえず100万円だけ、我が家は投資した。

やがて一年過ぎた頃、結果として元本の100万円の消えて、精算は85万円にお詫び状が付いていた。

そして我が家は少なくとも15万円も損失したので、これ以来どのような証券会社、銀行より勧誘が来ても、
無視をしたりして、ここ数年も銀行より幾たびか勧誘があっても、微苦笑しながら断(ことわ)っている。

我が家は国債に関しては、程ほどに所有しているが、絶対的に大丈夫、と問われれば、
『国債が駄目になった時は、日本が滅びる時である・・その時は私たちの生命財産はもとより保障されないので・・』
と私は今でも公言をしている。
                                               
このように我が家は預貯金に関しては、元本保証プラスわずかな金利主義となっている。
                                               

「遺言信託」に関しては、遅ればせながら10年前 の頃に知ったりしたが、
我が家は無念ながら裕福でないので、 代わりに遺言書を公正証書としている。

母が亡くなる前に、親戚の誰それの家は相続で裁判になった、と相続の難題を教えられてきた。
やがて私の母は、婦人系の癌で1998(平成10)年1月中旬に亡くなり、私は53歳の時であった。

そして母は、自助努力で幾ばくか財産を残され、相続人の私たち兄妹で話し合ったが、少し長引いたりした。

やがて私は相続に関して、私が亡くなった後に、家内、私の兄妹の間で、揉めることなく的確にしたい為に、
私たち夫婦は、公正証書の遺言書を作成できる処に出向いたのは、年金生活を始めて、まもない時であった。
             

このように私は小心者の為か、こうした対処をしてきたが、
近年の銀行の悪しき風潮を学び、動顛したりした後、微苦笑を重ねたりしている。

そして国債の金利以上の投資信託の商品には、
世界の金融事情の中、たとえば無理難題を超すリーマン・ショックのような波乱に満ちたこともあり、
私は何かしら落とし穴がある、と小心者の私は思い、年金生活を13年ばかり過ごしている。

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プライドを上手にくすぐって、昭和型亭主を“カジ(家事)夫”に!、年金生活13年生の老ボーイの私は、微苦笑を重ねて・・。

2016-12-22 15:14:34 | ささやかな古稀からの思い
いつもように本日の午前中は、平素の買物で家内から依頼された品を求めに、
最寄のスーパーに買物メール老ボーイの身の私は、帰宅後に付近の小公園を歩いたりした。

やがて帰宅後に、家内と共に昼食を頂いた後、まもなくニュースをネットで読んだりしている中、
【 プライドを上手にくすぐって、昭和型亭主を“カジ夫”に!、】
と題された見出しを見て、“カジ夫”って、家事のことかしらと思い、
何かと好奇心ばかり強い私は、精読してしまった。

この記事の原文は、『女性自身』の編集部がエッセイストの小川有里さんにインタビューされて、
編集部が纏(まと)められた記事と思われ、関連の光文社の公式サイトに、
本日12月22日昼に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・プライドを上手にくすぐって、昭和型亭主を“カジ夫”に!
             

「家事力とは、生活力ですから、夫が家事をすることは、先々の夫のためともいえるでしょう。
とくに定年後、役割を失ってしまった夫にとっては、家庭内で役割=居場所が見つけられることにもなります」

こう話すのは、定年後の夫のしつけ直し、『定年オヤジのしつけ方』の著書もある、エッセイストの小川有里さん。
小川さんは「夫が家事をすることは、おだやかな老後の夫婦生活には、不可欠」と語る。

「そもそも『男は仕事、女は家庭』という昭和型の夫が、家事をしないのは、
『男は家事などしなくていい』と言われて育っており、
『俺には関係ない。だから、やりたくない』と思っている。

そして実際やっていないので、『できない』のです。
そして、そういう夫の妻に限って、マメな女性が多い。
自分でやったほうが早いと、家事を一手に引き受けてきたのです」

その繰り返しの賜物が、夫の「お殿様」化だ。
そこで、昭和型の亭主を妻とともに、家事をする夫=「カジ夫」にするために大事なのが、
上手にプライドをくすぐることだと小川さんは言う。
             

「このタイプの男性は、命令口調を嫌がるので、『一緒にやりましょう』とうまく頼むこと。
そして、やってくれたらおだててほめれば、『またやろうかな』という気にもなってくれます。

もしどう頼んでもダメな夫だったら?
そのときは、『自分の家でしょ。少しはやらなくちゃ!』と、多少強気にいきましょう。

または『手伝ってくれると、とてもうれしいの』と、甘えてみるのもとても有効です」

そして最後に、小川さんが昭和型夫婦のカジ夫化計画について、こんな心得を伝授してくれた。

「夫婦の間に、以心伝心はありません。
言わずもがな、は期待せず『言ってやってくれる』ができれば及第点!

愚痴をためないためにも、やってほしいことは、きちんと口に出して言いましょう。
そして、昭和型の夫に家事を教えるのは、妻の務め。

『やってみせ、言ってきかせて、させてみせ……』の精神で」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めて、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

午前中の殆どは、平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求め、
買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。

こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな憩(いこ)いひとときなどを過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
         
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーか煎茶を飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。

このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。
                                           

しかしながら、年金生活を始める直前に家内の父が病死され、
家内の母は我が家から遠方で独り住まいとなってしまった・・。

こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行き始めた・・。

こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしているが、
当初は私は少し戸惑ったりした。
          
平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしているので、
恥ずかしながら、いつまでも初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行っているのが、実態となっている。

                             
こうした中で、平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良し恋し、
と何と社交辞令を頂いている私たちでも、いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。

そして残された方は落胆し寂寥感を深める中、強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなると思い、お互いの趣味の時は大切にしている。

こうした中で、まさかの予期できごとで、家内に先だたれた場合は、
残された私は、もとより食事、掃除、洗濯などは困苦するので、真似事をしてきた・・。              
             

私たち年代を含め多くの先輩、後輩の男性は、一家の主(あるじ)として、もとより家計の責務で奮闘して働き、
女性の多くは後方支援となり、育児、料理、掃除、洗濯、交際など専業主婦として奮闘されてきた。

過ぎし年の1989年(平成元年)の頃に、評論家・樋口恵子さんが、
定年後に家でゴロゴロしていて、地域活動なとで忙しい妻に、まとわりつく夫の社会風潮を憂い、
掃いてもへばり付いてくる状態をたとえて、『濡れ落ち葉』と的言された。

或いは過ぎし年の2007年(平成19年)1月下旬の頃、私は読売新聞の新刊本の広告を偶然に見て、
小川有里さんの著作の『定年オヤジのしつけ方』(講談社 定価1470円)の広告記事は、
定年直後の男性の一部の人達にとっては、この世で最も恐い本のひとつ、と確信を深めながら、
微苦笑したことがあったりした。

《・・ああ、うっとうしい! 毎日家にいる夫。
   家庭内2007年問題を解決する痛快エッセイ!

   「定年迷子」をかかえた妻たちよ。 今立ち上がれ!

【定年オヤジの特徴!】
①テレビがお友達
②お昼は作ってくれるものと思っている
③毎日、ごろごろ居間にいる ・・》

このように綴られていて、定年後の迷子のような心が定まらない男性を正鵠に把握していると思い、
微笑んだり、苦笑したりしてきた。
             

セカンドライフを過ごされる男性は、それぞれの趣味を深めて過ごされれば、
目に輝きがあり、溌剌と過ごしている方が多い。

そして不幸にも、たとえ最愛の妻に先立たれて、おひとりさまになっても『生きがい』があれば、
その後の人生も溌剌と生きられる、と私は思ったりしている。

こうした中で、日常生活を過ごすには、食事、掃除、洗濯などは欠かせないので、
家事一切が出来ない諸兄・・妻が元気でいる中、少し真似事で覚えた方が自身の為でもある、
と今回の記事を読み終わった後、老ボーイの私は、微苦笑を重ねたりしている・・。
             

しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

私はダメオ(駄目夫)クンという言葉は実戦してきたが、今回の“カジ(家事)夫”は、
初めて知ったよなぁ、と苦笑したしている。

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『50代からのいい言葉、いい人生』、この人生は人それぞれ海より深く、空より果てしなく広い、と私は思い深めて・・。

2016-12-21 15:02:25 | ささやかな古稀からの思い
ここ数日、私はPHP研究所から発刊されている『PHP』2月増刊号で、
『50代からのいい言葉、いい人生』と題された特別増刊号を読んだりしている。

一昨日、いつもように家内から依頼された品を求めに、スーパーに行った買物メール老ボーイの私は、
2階にある日常雑貨フロアーで、洗剤を買い求めた後、雑誌コナーに立ち寄った。

ときおり私は本屋で買いそびれた総合月刊誌『文藝春秋』、『新潮45』などを買い求めたりしているが、
何気なしに見たりしていると、『50代からのいい言葉、いい人生』と大きな字で明記された本に、
瞬時に魅了され、手に取ったりした・・。
                 

そして目次を開き、少し見たりした後、買い求めることとした。

佐藤愛子さんの『巻頭インタビュー この世で起こることは、すべて修行』、
そして曽野綾子さんの『いい人生を生きるヒント 自分をよく知り、長所を伸ばす 』
或いは玉村豊男さんの『今日よりよい明日はない』などの心を発露された思いを学びたく、
読んだりしている。

私は少なくとも人生を深く生きている御方に、秘かに敬愛を重ねたりしている・・。


私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、                           
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えてきたが、
最後の5年半は、この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となったりした。

そして各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め、
何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
                           
このようにつたない定年までの半生を過ごし、せめて残されたセカンドライフは、
多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
             

こうした中、私は読書好きで、単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
年金生活を始めた中で、特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は47年ばかり購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は、購読したりしている。

年金生活を始める直前に家内の父が病死され、家内の母は我が家から遠方で独り住まいとなってしまった。

こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行き始めた・・。

こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしているが、
当初は私は少し戸惑ったりした。

こうした時、敬愛している作家の曽野綾子さんの随筆を読んだりしていた・・。
             

私は遅ればせながら曽野綾子さん・著作の『近ごろ好きな言葉 ~夜明けの新聞の匂い』(新潮文庫)を読み、
多々教示を受けたが、この中のひとつに定年後の男性の生活者としての在り方について、
明記されていたので、私は微苦笑させられながら、読んだひとりである。

本書の初出は、総合月刊雑誌の『新潮45』で、この内容は『暗がりの夫族』と題された一部であり、
掲載されたのは、1995年(平成7年)8月6日である。

《・・(略)・・私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。
私は毎年恒例になっているイスラエル旅行にでかけたが、
その年は大学の同級生の一人がボランティアに来てくれた。

旅の途中で、彼女は、今、真剣に夫に家事をしこもうと思っている、と言った。
もうこの年になると、どちらが先にどうなるかわからない。
死なないまでも、長期入院ということになったら、家に残った方が、一人で生活しなければならない。
             

彼女の家ではまず子供たちが、お父さんにエプロンを贈った。
長いこと社長業をしていたような人で、台所に入ったらどういうことになるか想像がつかない。
優しい子供たちは、何とかそれをユーモラスな出発として励ますことができないかと考えたようだった。

私は彼女の賢明さに打たれた。
もういいの悪いのという選択をしている時間がない。
明日にも、夫婦は一人で生きて行く必要が生じるかもしれない。
配偶者が入院したらその日から、或いは死亡したらその夜から、誰がご飯を作るのだ。
                        

息子や娘たちは皆忙しい年齢である。
離れて住んでいるケースの方が多いだろう。
嫁にご飯を作りに来いなどと呼びつけられると思ったら、それは大変な時代錯誤というものだ。
(略)
私たちの世代の夫族の中で、どれほど生活者として無能な人がいるか、
長い間、私たちはそれこそ笑いの種にして来たのである。

妻がでかけようとすると「何時に帰る?」と聞く。
愛しているから、妻が誰と会うのか、どこへ行くのが心配なのではない。
心配の種は「俺の夕飯はどうなるのだ」ということだけだ。

大学を出ている癖に、夕飯を作る能力も、出前を取る才覚もないから、
奥さんが少し遅れて帰ってみると、電気もつけない薄暗がりの中でじっと座っている。

と言って皆笑うのである。
これはどうしても侮蔑の笑いてしかない。

暗がりの夫族の中には、東京大学の出身者、ことに法学部の卒業生も多かったので、
私たちは自分たちの出身校が秀才校でもないのを棚に挙げて、改めて幼稚な優越感を覚えることにした。
(略)
どうして秀才の夫たちは、ああも能がないのか。
今どきは、炊いたご飯そのものだって、「大盛りですか、普通ですか」という感じで
マーケットで売っているではないか。

デパートや商店街のおかず売り場で、適当に焼魚と野菜の煮ものでも買えば、
それほど栄養が偏(かたよ)るということもなくて済むのに、それができないのである。
             

昭和初年代の夫族の中に、おかずも自分の靴下も買ったことのない人は結構いるのは、
彼の母の責任だろうかそれとも妻の責任だろうか。

台所に入っても、お湯の沸かし方一つ手順がわからないからうろうろしている。
薬罐(やかん)がどこにあるかも知らないのだ。
洗濯機のボタンを押したこともないし、炊飯器の目盛りの読み方など、わかるわけもないから、
ご飯ぐらい炊けるでしょう、などと言われると、恐怖で不機嫌になる。
(略)
しかし彼らが、人間としたら、生存の資格に欠けていることには間違いがないのである。
つまり自分はご飯の心配もしなくて生きることが当然と思うのは、
実はとんでもない不遜な男かもしれない。

それは「お前作る人、俺は食べる立場」みたいな男女の性差別を容認し、
自分はそういう仕事をしなくて当然の、もっと高級な人間だと思い上がっている証拠なのだ、
と私もこのごろ悪意に解釈することにした。・・》
注)329ページ~332ページから抜粋。原文にあえて改行を多くした。
                       

本書は曽野綾子さんの定年後の男性の生活者としての命題のひとつのテーマであるが、
この作品は1995年(平成7年)8月に公表され、
《 私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。・・》
と綴られて、私たちの世代より15歳前後、ご年配の人たちとなる。

曽野綾子さんご自身は、聖心女子大学を1954年〈昭和29年〉に卒業された方であるが、
あの当時に女子大学を通うことができたのは、若き女性のほんの一部であり、
クラスの同級生の多くは、中央官庁、大企業のエリート、そして中小業の会社を創業された成功者、
或いは老舗の商店などに嫁がれた方が多いと思われる。

こうした嫁ぎ先のご主人が、第一線を退かれて、関係先の要職を務めて、第二の人生を歩み、家庭人となった現状・・。
このようの中で、一部の人は現役時代の栄誉も、食事のことで困惑する状況を的確に表現されているが、
私たちの世代、そして私のような中小業で奮闘した身となれば、苦笑してしまう。

しかし、私の場合も、まさかの予期せぬ出来事で、家内に先立たれて、本当に『おひとりさま』になることもあるので、
単純に笑ってばかりは、いられない時もある。

これ以降、私は何かと『夫族の中で、生活者として無能な人がいて・・』と銘言を学び、
家内が里帰りした時、『おひとりさま』となった私は、叱咤激励されながら原動力となり、過ごしてきた。
                        

今回、『50代からのいい言葉、いい人生』、それぞれの分野で、ご活躍されている御方の心を発露された思いを読みながら、
そうですよねぇ・・と同意しながら微笑んだり、私にとって未知のことを多々教えられたりして、
この人生は人それぞれ海より深く、空より果てしなく広い・・と改めて私は思い深めたりしている。

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認知症は予防可能!? 有酸素運動や折り紙など知的活動に注目、遅ればせながら私は学び、やがて微笑み・・。

2016-12-20 15:03:17 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、家内と共に夕食を頂きながら一時間ばかり談笑した後、
『みんなで考える、家族のこと、自分のこと』と明記された公式ネットの【介護セブンポスト】を見たりした中で、
【 認知症は予防可能!? 有酸素運動や折り紙など知的活動に注目 】
と題された見出しを見たりした。

私は過ぎし13年前、年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、何よりもいつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

こうした中でも、やはり認知症にならない予防対策ニュースが気になり、機会があれば学んできたが、
今回も《・・認知症は予防可能!?・・》のフレーズに、どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。
             

この記事の原文は、『女性セブン』の2015年12月3日号に掲載された記事のひとつであり、、
関連公式サイトの【介護セブンポスト】2016年7月27日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・認知症は予防可能!? 有酸素運動や折り紙など知的活動に注目

年をとるにつれて物忘れも増え、「いつか私も認知症になるのでは」と不安を覚える人は多い。
だが、最新の研究では、「認知症は予防できる」ことが明らかになってきた。

全国に約500万人いる認知症患者は、2025年に最大730万人に達する。
10年後には65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症となる―─
厚労省は2015年初め、そんな試算を発表して、世間に衝撃を与えた。

どんどん日本人の平均寿命は延び、誰もが認知症のリスクに直面する中、
NHKスペシャル『シリーズ認知症革命』が大きな話題になっている。

「ついにわかった! 予防への道」と銘打たれた第1回放送(2015年11月14日)では、
いったん発症すると治療は困難で、投薬によって進行を遅らせることしかできない認知症が、
早期診断により、未然に「予防」することが可能であると明らかにされた。

その認知症予防の重要なカギを握るのが、「MCI(軽度認知障害)」だ。
             

番組にも登場していた、認知症予防の第一人者で、日本認知症予防学会理事長の浦上克哉鳥取大学医学部教授が解説する。

「MCIとは、記憶力や注意力といった脳の認知機能が、正常より低下しているが、
認知症のレベルには至っていないグレーゾーンを指します。

私たちの脳内では、さまざまな部位が結びつき、多様な『脳内ネットワーク』を形成しています。
ところがMCIになると、このネットワークの結びつきが弱くなり、
認知機能の低下などの各症状をもたらすと考えられています」

MCIと診断されると、12%の人が1年以内に、半数が5年以内に認知症を発症するという研究がある。

MCIとは、いわば認知症の「予備軍」なのだ。
日本では65歳以上の高齢者の4分の1がMCIで、計400万人いると推定されている。
             

☆今なぜMCIが、注目されるのか。

従来、認知症というと、遅いか早いかという差はあるものの、進行を止めることはできず、
悪化への「一方通行」とされてきた。

しかし、MCIの段階で対策を講じることで、認知機能の低下が回復したり、
認知症の発症を防げることが、世界中の研究で明らかになりつつあるからだ。

MCIで早期診断できれば、まだ「後戻り」ができるというのだ。

漫画家でタレントの蛭子能収さんは、ある時から物忘れがひどくなり、
孫や息子の嫁、マネジャーの名前が出てこず、前の日に食べた夕食が、思い出せなくなった。

そんな頃にあるテレビ番組の企画で、医師の診断を受けると、MCIと診断された。

MCIは、老化による物忘れとの区別が難しい。
蛭子さんのケースのように認知機能が低下しても、判断力や方向感覚には問題がなく、
日常生活に不自由がないどころか、仕事にも大きな支障をきたさないと、なかなか気づくことができない。

さらに認知症と違い、脳の画像や血流量からは診断できないことも難点だ。
             

☆MCIの人は、歩行速度が遅く歩幅が狭くなる

そんなMCIをどうしたら発見できるのか。

「女性の場合は『料理』をする場面に、注目してください。
料理は複雑な作業を同時進行で行うため、『脳内ネットワーク』の衰えの影響が出やすいんです。

たとえば、いつもと味が変わってきたら、
何か手順を忘れていたり、何度も同じ調味料で、味付けをしていることが考えられます。

また、レパートリーが減ったり、家にあるのに、同じ食材を買ってきてしまったり、
水を出しっぱなしにすることが、多くなったりしたら、MCIが疑われます」(前出・浦上教授)


米・ニューヨーク州のイェシバ大学の研究チームは、
世界17か国の「認知症ではない60歳以上の男女」約2万7000人を対象に調査した。
その結果、MCIの人は歩行速度が遅く、歩幅が狭くなることが明らかになった。

歩くという行為は、とても単純そうに思えるが、実は「脳内ネットワーク」をフル活用している。
視覚で周囲を捉え、状況を理解し、障害物がないか、地面に段差はないかなどを判断し、
リズミカルに足を出すことが、求められる。

脳内ネットワークが衰えると、それがスムーズにいかなくなる。

1分あたりの歩行距離が、おおよそ60mになると「遅い」と判定されて、
認知機能低下のリスクが高まり、1分あたり36mになると「明らかに異常」とされるという。

よく不動産物件の広告に使われる「徒歩○分」は、「1分あたり80m」で計算されるというから、
「駅から徒歩5分」の物件に7分かかると「遅い」、12分以上だと「明らかに異常」となる。
             

最近では、画期的なMCI検査法『MCIスクリーニング検査』が、
バイオベンチャー企業MCBI社によって開発された。

「昨年7月から検査を開始しました。
検査方法は被験者から採血した7ccの血液を2週間ほどかけて分析し、
80%の精度でMCI発症のリスクを判定します。

一度の採血ですむので、体への負担が少ないことが特徴です。
50~60代の検査希望者が多く、保険適用外なので、費用は2万~3万円です。
現在、全国約700か所の医療施設で検査を受けることができます」(MCBI社担当者)
             

☆吊るした折り鶴

MCIと診断されたら、どうすればいいのか。

前出のNHKスペシャルで大きく取り上げられていた予防策は、
「早歩き」という、驚くほど簡単なものだった。

「『脳内ネットワーク』が弱る一因は、
脳内の細い血管が壊れて、微小出血を起こすことにあります。
そこで、脳内の血管を強くすることが、認知症の発症を防ぎます。

ウオーキングなどの有酸素運動を1日30分、週3~4回行ってください。
遅く歩くと効果がないので、散歩よりもややキツく感じ、少し息が上がるぐらいの早足がいいでしょう。

そうすると、脳内で傷ついた血管の代わりに、新しい血管が作られるように促され、
さらに新しい神経細胞のシナプスも生み出されるので、
一度衰えた『脳内ネットワーク』を強化することができるのです」(前出・浦上教授)
             

効果は、それだけではない。
認知症のなかで最も多い「アルツハイマー型認知症」は、
脳内に特殊なたんぱく質(アミロイドβペプチド)が、蓄積して発症するとされる。

有酸素運動は、このたんぱく質の蓄積を防ぎ、脳内で記憶をつかさどる海馬の働きを、
活性化する効果があるとされる。

「付け加えるなら、認知症予防のポイントは、もう2つあります。
1つは食事。
脂っこいもの、塩分の強いものは控え、青魚や野菜、果物を積極的に摂取しましょう。

もう1つは知的活動です。
パズルや折り紙、麻雀や囲碁、将棋などがいい。
ひとりでやるより、大人数でワイワイと楽しんでやることも『脳内ネットワーク』によい影響を与えます」(前出・浦上教授)

最近では意外な嗜好品が、認知症予防に有効という報告もある。

イタリアのバーリ大学などの研究チームが、今年7月に発表したところによると、
習慣的にコーヒーを飲む人は、飲まない人と比べ、MCIになりにくかった。

コーヒーを飲まない人に比べ、発症リスクが1日1杯で半分、1日1~2杯だと3分の1まで減少したという。

まずは意識して、ちょっと早足で歩いてみること。
そこから始めてみては、どうだろうか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

今回の記事で、遅ればせながら私が学んだことを列記すると、下記の通りとなる。

☆MCI(軽度認知障害)検査法『MCIスクリーニング検査』が、
     全国約700か所の医療施設で、費用は2万~3万円で検査が受診できる。

☆MCI(軽度認知障害)と診断された場合、予防策は「早歩き」を実施する。
     具体的にはウオーキングなどの有酸素運動を1日30分、週3~4回行ってください。
     遅く歩くと効果がないので、散歩よりもややキツく感じ、少し息が上がるぐらいの早足がよい。

☆結果として、脳内で傷ついた血管の代わりに、新しい血管が作られるように促され、
     さらに新しい神経細胞のシナプスも生み出されるので、一度衰えた『脳内ネットワーク』を強化することができる。

☆更に認知症のなかで最も多い「アルツハイマー型認知症」は、
     脳内に特殊なたんぱく質(アミロイドβペプチド)が、蓄積して発症する。

☆このように有酸素運動は、このたんぱく質の蓄積を防ぎ、脳内で記憶をつかさどる海馬の働きを、
     活性化する効果がある。

☆認知症予防として、食事は脂っこいもの、塩分の強いものは控え、青魚や野菜、果物を積極的。

☆或いはパズルや折り紙、麻雀や囲碁、将棋など、大人数でワイワイと楽しんでやる知的活動は『脳内ネットワーク』によい。

☆習慣的にコーヒーを飲む人は、MCIになりにくい。
             

私は、殆ど毎日ひたすら歩くことが多いので、微笑んだりした。

しかしながら私は、パズルや折り紙も苦手であるし、麻雀や囲碁、将棋など団体競技は苦手となっている。
私は現役サラリーマン時代、中小業で団体チームブレーに35年近く奮戦してきたので、
せめて年金生活の中で、団体行動は勘弁してほしいと思ったりしている。

たとえば共同ボランティア、歩こう会、野花を愛でる会、読書サークルなどは、
私はその御方自身の思いで、自在に深めれば良い、と思いながら苦手となっている。
             
そして《・・大人数でワイワイと楽しんでやる知的活動・・》は、思いながら私は、やがて微苦笑したりした。
             

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
            
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

こうしたことも、楽しんでやる知的活動だょねぇ、と私は微笑返し、
何かとプラス思考の私は、自助努力だ、と思い深めて、歩く準備をしたりしている。

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高齢者ほど薬漬けに!? 処方で見分ける「良い医者」3つの条件、高齢者の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2016-12-19 15:58:25 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、私の時間を愉しむ実用情報誌の『一個人』の公式サイト『BEST TIMES』を見たりしていた中で、
【 高齢者ほど薬漬けに!? 処方で見分ける「良い医者」3つの条件
                    ~薬のオモテとウラ~ 】と題された記事を見た。

私は過ぎし2010年(平成22年)の秋に、私は健康診断の結果、糖尿病と診断され、青色吐息となり果て、
内科の医師の指導、家内は野菜を多くした料理、そして私はウォーキングをほぼ毎日したりした。

そして翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、
悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はすべて優等生となった。

この後は、4週間於きに定期検査日、次回は検査結果日、と四週間ごとに通院している。
そして血圧、脈拍などを受け、問診したり、検査日には血液検査、検尿などをしてきた。

そして隣接した薬局で、血糖を下げる薬、インスリンの分泌を促す血糖を下げる薬、
動脈硬化を防ぐコレステロールを下げる薬、いずれも錠剤の3種類を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。

このような薬を飲んだりしているで、どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。

この記事は、新潟大学名誉教授、水野介護老人保健施設長などをされている岡田正彦さんにインタビューされて、
内山賢一さんが纏(まと)められ、『一個人』2016年11月号に掲載された記事のひとつであり、
『BEST TIMES』に2016年10月19日配信され、無断であるが転載させて頂く。
             

《・・高齢者ほど薬漬けに!? 処方で見分ける「良い医者」3つの条件~薬のオモテとウラ~

薬を飲むとその成分が、小腸などで吸収され、血液によって、全身に分布。
成分が肝臓を通ると酵素によって代謝(無毒化)され、腎臓から排泄される。

ところが、年齢を重ねると、こうした代謝が鈍くなり、体内に薬が残りやすくなるので、副作用も出やすくなる。
介護老人保健施設長をつとめる医学博士が、多剤投与の危険性に警鐘を鳴らす。

体調を崩して病院へ行くと、まず薬が処方される。
では、別の症状が出たらどうするか。
もちろん病院に行って、また新たな薬をもらう。

年齢を重ねるとこうした傾向は強くなり、
外科に内科、整形外科、泌尿器科など、複数の医師にかかり、
10種類以上の薬を処方されている人も少なくない。
なかには20種類近い人も・・・。

そんな状況を見て、高齢者への予防医療を指導している医学博士の岡田正彦さんは、
「多くの患者が薬漬けにされて、健康を害しているのではないか」
と考えるようになったという。
             

「症状、病気に合わせて薬を出すのが、西洋医学の原則です。
しかし、さまざまな症状、病気を同時に、抱えている人もいる。

そうなると原則がいろいろな弊害を生んでしまう。
もっとも目につくのが、薬の出しすぎ、飲みすぎです」。

なかでも、岡田さんが危惧するのが、薬の飲み合わせだ。
「一つひとつの薬は、効果・安全の保証はされています。

しかし、2種類の薬を一緒に飲んだ場合、
効果は弱まらないか、副作用はないのか、そうしたデータは、まずありません。

3種類以上の組み合わせなら天文学的数字になり、
製薬会社でも、膨大な組み合わせの結果をすべては把握していません。

調べてみると、一緒に使ってはいけないはずの薬を併用していたり、
長期間使い続けると、ひどい副作用があるという薬を処方しているケースもありました」。

岡田さんは患者に対して1~3種類を目標に、できるだけ減薬へ向けた指導をしているという。
             

「最新のエビデンス(科学的根拠)を勉強していない医師、
勉強していても正しく理解していない医師は、少なくありません。

しかも、いわゆる新薬は長期使用した場合のエビデンスがまだない。
本当に良いものなのか、実は医師にもわかっていないことが多いのです。

それでも、薬の効用とリスクについて正直に話してくれるほうが、
説明もなく安易に多くの薬を出す医者よりも、信じていい医者だといえます」。

【薬の処方で見分ける「良い医者」】
1 処方する薬が少ない
2 新薬をあまり処方しない
3 副作用について説明する

処方する薬の種類が多かったり、安易に新薬を処方する医者は、要注意。
効果と副作用がはっきりしている既存薬を柱とする医師は、安心できる。
また、副作用を説明されると、患者も薬に対する意識が変わるきっかけにもなる。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私が通院している内科専門医院は、私が過ぎし13年前の定年退職後に多々の理由で年金生活を始めて、
まもなくE(電子)メール、ネット検索を急激に始めた為か、眼が充血してしまった。

そして最寄の眼科医院で診察を受けた後、内科専門医院に精密検査を進められて、
今、通院している内科専門医院で検査を受けて、やがて異常なし、と診断された。

こうした中で、更に精密検査を受診を希望されるなら、大学病院を進められて、
CTスキャンなどあらゆる内科に関する検査をして、やがて異常なし、と私は診断された。

こうした間に、この内科専門医院の医院長と問診を重ねたりし、
私は医院長の言葉、しぐさに安心させられて、信頼を増したりしてきた。

やがて私は、2010年(平成22年)の秋に、私は健康診断の結果、糖尿病と診断されたが、
この医院長の指示を的確に学び、実行した結果、翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
糖尿病の範囲の対象から克服できたりした。

これ以降、4週間於きに定期検査日、次回は検査結果日、と四週間ごとに通院している。
そして血圧、脈拍などを受け、問診したり、検査日には血液検査、検尿などをしてきた。

こうして現代に至っているが、この内科専門医院は、平素な時から私の健康管理のアドバイスを頂き、
いざという時には、あらゆる選択枝の中から最善の医療を指示して下さる主侍医のような御方となっている。
             

処方する薬の種類が多かったことに関しては、家内の母は体験してきた・・。
過ぎし6年前、家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。

こうした中で、整形外科、内科、眼科に通院していたが、薬の種類が多くなった。
家内は危惧して、すべて家内の母が服用している薬一覧表を作成して、
内科の医師に、的確な指示をお願いしたりした。

やがて薬の数は半減したが、それでも多いわ、と家内は私に苦笑しながら言ったりしている。

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83歳の男性、将来を悲観して認知症の愛妻と心中・・、72歳の私は学び、動顛し、やがて涙を浮かべて・・。

2016-12-18 16:54:04 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活12年生の身であり、
今朝、いつもように配達された読売新聞の朝刊を読んだりした。

そして34ページの『社会』面を見たりすると、
【 「子に迷惑」独り苦悩
           将来悲観 妻と心中図る 】と見出しを見たりした。

この記事は、『孤絶 家族内事件』と題した連載記事であり、こうした中で、
今回は『第一部「介護の果て」』の記事である。

私は72歳、家内はまもなく67歳になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれず、たった2人だけの家庭であるが、
健康寿命と称されている健康上の問題なく、日常生活が制限されることなく年金生活をささやかに過ごしている。

しかしながら、日本人の平均寿命は男性80歳、女性87歳と公表され、
健康寿命は男性71歳、女性74歳と明記されたりしている。

そして男性80歳、女性87歳時点で、半数が死亡し、 男性71歳、女性74歳時点で、
半数がやむなく介護を必要とする状態になる可能性が高い、と私は学んだりしてきた。

こうしたことで、私たち夫婦は、どちらかがいつ日にか介護施設にお世話になる、
と思いを深めてきたので、今回掲載されている記事を精読した。

そして動顛し、やがて読み終わった後、私は涙を浮かべていた・・。
             

無断であるが、読売新聞45年ばかり購読しているよしみに甘えて、記事の大半を転記させて頂く。

《・・『孤絶 家族内事件』<8> 第1部「介護の果て」

子供に頼るのは、よくない。
今の高齢者世代のそうした意識が介護殺人などを誘発している現実がある。
今年10月、横浜地裁で象徴的な裁判があった。

「私にも子供がいますし、迷惑をかけたくないという気持ちは、分かります。
でも私たちに、頼る勇気を持ってほしかった」
10月11日、証人として出廷した幸田栄二郎被告(83歳)の長女は、父に訴えかけるように言った。

被告は5月、認知症で寝たきりの妻・冴子さん(当時84歳)の首をロープで絞めるなどして殺害。
自分の腹部もナイフで刺していた。
             

5年前、夫婦で月額計30万~40万円の老人ホームに入所し、冴子さんは施設による「全介助」を受けた。
幸田被告は、会社の代表取締役を務めたことがあり、十分な年金と資産があった。

なのに、健康への不安から
「自分が先に死んで、妻が95歳まで生きたら、入所費が足りなくなる」
と悲観し、ホームの自室で無理心中を図ったのだ。

長女の証言によると、事件前、「きょうだい3人で、費用は何とかする」と父を励ましていた。
長女はホームにもよく顔を出した。

だが父は「心配しなくていい。あんまり来るな」と言うばかりだったという。
             

内閣府の調査によると、高齢者が介護を頼みたい相手(複数回答)は、
1997年には「子供71%、配偶者53%」だったが、
2012年に「配偶者63%、子供56%」と逆転した。

介護について子供に経済的な援助を期待する人も、調べ始めた2008年は11・3%、2012年は9・7%と減少傾向だ。

「今の高齢者の世代には、介護保険が始まる前の時代に、親の介護に大きな犠牲を払った人が多い。
同じ思いを子供にさせたくない気持ちが強い」。
野々山久也・甲南大名誉教授(家族社会学)は指摘する。


横浜地裁の法廷で、長女は、幸田被告が子供たちの協力を断る一方、
冴子さんの髪をとかしたり、毛布の端を縫ったりしていたと話した。

「私の祖母は父が引き取り、ずっと母が介護した。
その苦労への償いをしていたのでしょう」


証言の最後では、涙を流した。
「父を許してください」。

幸田被告は、ハンカチを目に当て、うつむいた。
             

10月12日、幸田被告は被告人質問で、
「できれば迷惑をかけないようにしたい。2人とも死ぬのが本来の姿」
と語り、死んで謝罪したいという気持ちを明かした。

5日後の判決は、厳しかった。

長女がホームを頻繁に訪れていたことなどに触れ、
「介護の環境は良好だった。
将来を悲観した心情は理解できるが、差し迫った状況ではなかった」
として、懲役3年の実刑を選択した。

ただ、裁判長は判決後、「裁判員・裁判官から」と前置きして、こんなメッセージを読み上げた。
〈私たちは、死んでおわびをするというのは、正しい責任の取り方ではないと思います。
冴子さんの命が尊いように、栄二郎さんの命も尊い〉

〈お子さんたちもいるわけですから、自分だけで頑張ろうとせず、
天寿を全うして、冴子さんの供養をしていってほしいと思います〉

幸田被告は深くうなずき、閉廷した。

弁護人が控訴し、裁判は続いている。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

当時、83歳の幸田栄二郎さんは、認知症で寝たきりの愛妻・冴子さんを
5年前、夫婦で月額計30万~40万円の老人ホームに入所し、冴子さんは施設による「全介助」を受けた。

推察すると有料老人ホームと思われるが、高額であり、やがて幸田栄二郎さんは、財力もあったが、
ご自身の健康への不安から、「自分が先に死んで、妻が95歳まで生きたら、入所費が足りなくなる」
と悲観し、ホームの自室で無理心中を図った・・。

私は介護施設に入居して、平均5年ぐらいで、亡くなる方が多いと学んできたが、
幸田栄二郎さんは、会社の代表取締役を務めたことがあり、十分な年金と資産がある御方であっても、
ご自身の健康への不安、そして長期に及ぶ愛妻が「全介助」の状況で95歳まで生きたら、入所費が足りなくなる・・。

私は民間の中小業のサラリーマンを卒業した身であるが、いつの日にか介護施設に入居する時、
我が家は程ほどの貯金しかなく、高価な有料老人ホームには、とても・・と思ったりしている。

そして程ほどの介護施設に入ったとしても、永らえば、やがて貯金が底をつく、と思い憂いたりしている。


私は裁判の判決、懲役3年の実刑、幸田栄二郎さんは、余りにも過酷と瞬時に感じた。
                          

私は新聞を読み終わった後、やがて小庭の草むしりをしたが、
この間、幸田栄二郎さんの心情を長らく思いを馳せたりした・・。

この世に、贖罪という言葉があれば、せめて執行猶予で、ご高齢の幸田栄二郎さんは、
服役がないような判決が妥当、と思いを深めたりした。

そして幸田栄二郎さんのお人柄を私は推察させて頂くと、
愛妻が眠る墓地に、頻繁(ひんぱん)に行かれ、愛妻を供養される御人、と私は思いを深めたりした。

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2016年にシニアが面白いと感じたドラマ・映画は?、古き良き時代の映画の愛好者の老ボーイの私は、苦笑して・・。

2016-12-17 14:37:39 | ささやかな古稀からの思い
先程、 『Yahoo!JAPAN』に於いて『雑誌』コーナーがあり、私はぼんやりと見たりしていた中で、
【 2016年にシニアが面白いと感じたドラマ・映画は? 大河ドラマが急浮上! 】と題された記事を見た。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
何かと好奇心が強く、最近のシニアの方たちは、どのようなドラマ・映画を鑑賞されているか、
と思いながら精読してしまった。

この記事は、話題の情報を発信するサイトの『OVO(オーヴォ)』であり、
2016年12月16日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・2016年にシニアが面白いと感じたドラマ・映画は? 大河ドラマが急浮上!

2016年も話題のテレビドラマや映画がたくさんあったが、
世代によっては“おもしろい”と感じた作品は異なるようだ。

高齢化が進むこれからの時代、シニアの“好み”でヒットするかどうか、左右されるかもしれない。
大和ネクスト銀行が全国の50歳~79歳の男女1000人を対象に実施した調査で、
今年おもしろかったドラマや映画はというと・・・。
             

まず、ドラマ編。
今年、面白いと感じたドラマを聞いたところ、1位「ドクターX ~外科医・大門未知子~ 第4シリーズ」、
2位「真田丸」、3位「とと姉ちゃん」、4位「相棒 season14」、5位「相棒 season15」となった。
シリーズ化されたドラマの人気が目立っている。

シニアに人気と言えば、大河ドラマが“定番”となりそうだが、
今年は2位にランクインしながらも、昨年は10位だっただけに、
「大河なら何でも」というわけではなく、作品によって視聴する、しない──が決まるようだ。
             

一方、同じように映画を聞くと、
1位『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』、2位『シン・ゴジラ』、3位『君の名は。』、
4位『ハドソン川の奇跡』、5位『007 スペクター』の順となった。

男女で好みが異なり、男性は、1位『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』、2位『シン・ゴジラ』、3位『007 スペクター』と、
人気シリーズの最新作がトップ3に。

一方、女性のトップ3は、1位『君の名は。』、2位は同率で『母と暮せば』と『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。
『君の名は。』は、ヤングに人気だったと言われているものの、
どっこい、シニアの女性にも、ハマった人が少なくないようだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は記事を読み終わった後、微苦笑させられてしまった・・。

私はテレビの番組は、NHKのニュース、ドキュメンタリーを視聴する程度で、
ドラマは殆ど視聴はしないひとりである。

しかしながらテレビ・ドラマで、倉本聰さん、向田邦子さん、山田太一さん、橋田壽賀子さんが書かれたドラマだけは、
殆ど視聴したりして、人生の機敏など多々教示され、敬愛を重ねたりしている。

こうした中で、過ぎし2年前の頃、家内から進められて『相棒』を視聴して、
私は瞬時に魅せられて、殆ど視聴している・・。

そして再放送もあり、ときおり視聴してきた。
こうした中で、水谷豊さんが扮する杉下右京(すぎした・うきょう)の相棒となる方は、変節するが、
私としては初代相棒に扮した寺脇康文さんが、最も魅了されている、

このお二人の絶妙なしぐさ、言葉に瞬時に魅了され、好感したりした。
そして、私はこの『相棒』を視聴している中、
過ぎし1989年2月に公開された映画『ダイ・ハード』に思いを重ねてしまったりした。

ブルース・ウィリスが扮するニューヨーク市警察のジョン・マクレーン部長刑事が、
ロサンゼルスで事件に遭遇して、レジナルド・ヴェルジョンソンが扮するロサンゼルス市警察の警察官のアル・パウエルが協力して、
やがて解決していく絶妙なコンビであった。

こうしたことを重ねると、歴代の相棒役としては、初代相棒の寺脇康文さんは突出していると、私は絶賛してきた。
             

映画に関しては、ここ10年、映画館から遠ざかっている。
私は若き時期のひととき映画青年の真似事をしたこともあったので、
読書が最優先であるが、ときおり居間にある映画棚にあるビデオテープ、DVDを取り出して、
テレビ画面を通して視聴している。

そして私なりのつたない鑑賞歴でも、魅了された作品は、何回でも観るタイプである。

例えば邦画の場合は、『二十四の瞳』、『東京物語』、『浮雲』、『雨月物語』等である。

洋画に関しては、『街の灯』、『市民ケーン』、『第三の男』、『逢びき』、『ライムライト』、
『ジョニーは戦場に行った』等は、10年ごとに観たりしている。

或いは最初の一ヶ月に於いて、少なくとも10回以上熱中して観る映画もある。
邦画の『七人の侍』、『用心棒』、『駅~STATION~』、
洋画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ディア・ハンター』、
『ゴットファーザ Ⅱ』などが鮮明に記憶に残っている。
               
このように若き時代の一時には、映画館に通ったりして、程ほどに映画作品を鑑賞してきたので、
1966(昭和41)年頃までに上映された作品は知っているつもりであるが、
その後は数多くのサラリーマンと同様に多忙な時代を過ごしたので、余り鑑賞する機会がなくなった。
             

定年後は年金生活をして、ときおり居間の映画棚に保管してあるビデオテープ、DVDの1000作品ぐらいを
居間のテレビを通して鑑賞したりしている。

しかしながら、2000年(平成12年)の頃までに制作された作品が圧倒的に多いので、
古き良き時代の映画の愛好者のひとりかしら、と微苦笑する時もある。

そして私は、その時に観たい映画作品は、何故かしら、やはり季節に応じて観てしまうのである。
          
冬の季節の時などは、『アラビアのロレンス』、『プラトーン』、
『イングリッシュ・ペイシェント』等の砂漠、荒野、ジャングルの背景が多くなるのである。

そして夏の時節は、『ドクトル・ジバコ』、『カサブランカ』、『かくも長き不在』等の
寒冷地、静寂な戦争を背景にした選定が多くなるのである。

不思議なことであるが、猛暑の夏の時、『アラビアのロレンス』の砂漠、
『戦場にかける橋』の熱帯林の背景は、暑くて落ち着かないのである。

かといって、居間を寒いぐらいに冷房を冷やして、
鑑賞するのは映画の内容からして、おかしな事と思ったりしている。

このようにして私は鑑賞しているが、1950年代、1960年代の公開された作品が圧倒的に多く、
ときおり私は、どうしてかしらと微苦笑したりしている。
             

そして私の拙(つたな)いなりの観賞歴であるが、過ぎし年に私はベストテンを勝手に選定している。

映画専門雑誌の名高い『キネマ旬報』の1999年10月上旬特別号 として、
『映画人が選んだオールタイム・ベスト100の外国映画編』を購読し、
私なりに喚起させられて、まもなく選定した私の洋画のベストテンである。

①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』セルジオ・レオーネ監督(1984年)
②『ディア・ハンター』マイケル・チミノ監督(1979年)
③『イングリュシュ・ペイシェント』アンソニー・ミンゲラ監督(1979年)
④『ピアノ・レッスン』ジェーン・カンピオン監督(1993年)
⑤『かくも長き不在』アンリ・コルピ監督(1961年)
⑥『街の灯』チャールズ・チャップリン監督(1931年)
⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)
⑧『自転車泥棒』ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1948年)
⑨『ジョニーは戦場へ行った』ドルトン・トランボ監督(1973年)
⑩『逢びき』 デイヴィッド・リーン監督(1945年)

数多(あまた)の感動をもたらしてくれた作品の中より選定するのが、
もとより酷な作業で、『時』が人生にもたらす影響をヒントに選定したが、
いずれがベストワンになっても良い作品とも思ったりしている。

そして選定の際に於いて、 『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)、
『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)、『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)、
『許されざる』クリント・イーストウッド監督(1992年) 、『カサブランカ』マイケル・カーチス監督(1943年)等は
最後まで検討させられた作品でもある。 《1999年9月29日、私の日記より》

そして小説、映画、音楽などの選定する時は、その人の性格、人格、思想を表わす、と改めて気付かされたりしている。
             

この後も、キネマ旬報』の1999年10月下旬特別号として、
『映画人が選んだオールタイム・ベスト100の日本映画編』を購読し、
私なりに喚起させられて、まもなく選定した私の邦画のベストテンである。

①『駅 STATION』降旗康男 ・監督(1981年)
②『用心棒』黒澤 明・監督(1961年)
③『人間の條件(全六部作)』小林正樹・監督(1959~61年)
④『東京物語』小津安二郎・監督(1953年)
⑤『七人の侍』黒澤 明・監督(1954年)
⑥『浮雲』成瀬巳喜男・監督(1955年)
⑦『雨月物語』溝口健二・監督(1953年)
⑧『飢餓海峡』内田吐夢・監督(1964年)
⑨『切腹』小林正樹・監督(1962年)
⑩『砂の器』野村芳太郎 ・監督(1974年)

洋画と同様に、【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定したが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品でもある。《2003年8月16日、私の日記より》

こうした選定作業の時、その人の人生を歩いてきた思考の全てが反映する、と改めて感じたりした。

このように当時の私は選定したが、邦画に関しては、ここ数年は、
小学5年生の時に、独りで映画館で観た『楢山節考』木下恵介・監督(1958年)が、
私のベストワンだ、と思い返したりしている。
             

このようなことを思い返して、せめてテレビ・ドラマ、そして映画作品は、時流に流されたくない、
と私は恥ずかしながら気弱な癖に、頑固な面がある。

こうした列記した作品を幾たびも鑑賞していると、
年金生活でも昨今のテレビ・ドラマ、そして映画作品を鑑賞するには、
時間に余裕がなく、殆ど視聴していないのが実態となっている。

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