夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「夫の定年」までに夫婦で合意すべき5カ条、遅ればせながら年金生活12年生の私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2016-08-31 16:07:26 | ささやかな古稀からの思い
本日の昼下がり、私は愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ていると、
【 「夫の定年」までに夫婦で合意すべき5カ条 】と見出しを見て、
遅ればせながら学ぼうとして、こっそりと読み始めた・・。

やがて経済にも疎(うと)い私は、定年前の5年前の頃から、
信愛してきた経済ジャーナリスト・荻原博子さんの寄稿文と知り、精読した。

この記事の原文は、ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の2015年11月2日号に
掲載された記事のひとつであり、関連の『プレジデントオンライン』に2016年8月31日に配信された記事で、
無断ながら転載させて頂く。

《・・「夫の定年」までに夫婦で合意すべき5カ条
            

■借金は夫の定年までになくす

借金を減らして、現金を増やす。
老後の準備は、これに尽きます。
特に夫の定年までに、借金をなくしておくことが重要です。

例えば現在、住宅ローンは70歳まで組めますが、
年金で、毎月、10万円のローンを払っていたら生活できません。

ですから、どんなに遅くとも65歳まで、
可能なら50歳で借金と貯蓄をプラス・マイナス・ゼロにしておけば、大成功の人生ですよ。


なぜなら、あとは貯める一方だからです。
今まで借金返済に払っていた分はもちろん、50歳ぐらいには、子供も手が離れるので、教育費も浮きます。

月に10万円から20万円貯められるようになりますから、
60歳までに1200万から2400万円ぐらい貯まる計算です。

65歳まで稼げれば、その分も上乗せできます。
定年時にそれだけ貯金があれば「勝ち組」です。
            

そのためにも、住宅ローンは、なるべく繰り上げ返済をしていくべきです。
目の前に使えるお金が100万円あっても、消費や投資に回すのではなく、ローンの返済に充てる。

100万円繰り上げ返済したら、利息が100万円減る場合もあります。
つまり100万円が200万円になるわけですから、投資と考えても、こんなに割のいい話はありません。

ですから、まず夫婦で話し合うべきことは、どうやって最低65歳、
できれば50歳までに借金をなくすかという方策です。

その際には、細かなことまで突き詰めないことがポイントです。
細かく話せば話すほどすれ違いが生まれ、溝が深まっていくだけ。

もともと違う人間なのですから、意見が完全に合うことなんてありません。
夫婦の話し合いでは、合わせるのではなく、一緒にやろうという意思が大切です。

例えば、家計を見直す場合にも、夫の視点と妻の視点は違います。
会社でうるさく経費節減を言われている夫は、車のローンや生命保険、通信費など大きな支出の見直しが得意です。

そちらを夫に任せつつ、妻は細かい日々の生活費をしめる。
こうして2人で家計を見直していくと、よりお金は貯まりやすくなります。
            

☆夫婦の協力関係を再確認する

問題は、普段から夫婦で話し合う習慣が、あまりない家庭が多いことです。

子育て期間中は、子供が共通の話題になっていたけれど、
手が離れたらめっきり会話が少なくなったというケースは、よく見られます。

特に、妻が専業主婦の場合、夫婦があまりにも違う環境で生きてきたため、
夫が定年退職すると、うまく生活がマッチングしないことも多いのです。

毎日、夫に家でゴロゴロされても、妻にとっては、うっとうしいだけ。
夫は妻の小言に、辟易する。

そんな老後にならないためにも、夫の定年までに、夫婦が互いに歩み寄れる下地をつくっておくことが大切です。

ひとつは夫が家事を手伝うことです。
これは老後の人生に、とっても大切なことです。

家事ができれば妻が寝込んだり、先立たれたりしても、暮らしていくことができます。
何よりも妻の苦労を知ることになります。
            

家事のなかでも、特に料理がおすすめです。
料理は頭と体、五感を使うからです。

献立を考えるために頭を使い、散歩がてら買い物に行く。
調理は、手先や味覚の訓練にもなる。

ボケ防止や健康にいいことばかりですから、無駄な医療費を抑えることにもつながります。
そして、出来上がった料理を妻や友人にふるまえば、感謝されたり褒められたりして、自分も満足できる。
料理ひとつで、老後の人生が明るくなるわけです。

一方、特に専業主婦の妻には、外で働いてみることをおすすめします。
体が弱くて働けない人もいますから、強要はしませんが、
可能であれば、自分でお金を稼ぐ経験をしたほうがいいと思います。

家計の助けにもなるし、夫の苦労がわかるようになる。
そうすれば、家ではどうしようもない宿六だ、と思っていた夫のことを見直すことになるはずです。
            

☆夫婦円満こそが理想の老後

こうして夫婦仲がよく協力して暮らしていくことが、老後の安心の大前提ですが、
だからといって、何から何まで一緒にやる必要はありません。

よく、「老後の夢は夫婦で旅行三昧」などという話も聞きますが、
1年もやれば飽きるし、足腰も弱くなって出かけるのが面倒になってくる。

それよりも元気なうちに交遊範囲を広げて、生きがいや友達を見つけておくことが大切です。

妻はわりと地域に根付いた生活をしているのでいいのですが、
夫は会社以外の付き合いを広げておかないと、寂しい老後になってしまいます。

会社や仕事の付き合いは、退職したら縁の切れ目。
特に男性は薄情です。

老後の準備というと、お金のことに目がいきがちですが、お金さえあれば幸せなわけでもありません。
確かに生きていくうえで、お金は不可欠ですが、
いくら豪華な料理でも1人で食べたらおいしくないけれど、
友達みんなでワイワイ食べたらオニギリでもおいしく感じるはず。
            

友達が多ければ、お金をかけずに楽しく暮らすことができますし、
いざというときには、助け合うこともできます。

友達づくりのためには、夫も妻も自分の趣味をもつといいでしょう。
それも、できれば人のためになる趣味。ボランティア活動でもいいと思います。

先ほどの料理の話にもつながるのですが、人間は他人から感謝されると、
自分の存在価値を確認することができ、生きるエネルギーになります。

自分だけの楽しみよりも、何らかのかたちで、人のためになるものが老後の趣味としては理想的です。

最後にひとつ。
最近は「定年離婚」も増えているようですが、どうしても嫌で仕方ないとか、
DVで苦しんでいたりしない限り、多少のことには目をつぶって2人で暮らしていくことを考えましょう。

そのためにも、夫の定年までに、夫婦で老後について話し合っておくことが大切。
それを通して互いの理解を深めておけば、定年後にはゴールデン・タイムが待っているはずです。
            

☆夫婦で合意すべき5カ条

1. 借金はできれば50歳までになくす。
2. 家計の見直しは夫婦で協力する。
3. できるだけ夫は家事を、妻は仕事を。
4. 会社以外の友達を増やす。
5. 老後の生きがいを見つける。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私たち夫婦はセカンドライフと称せられる私の定年後の生活の改めて話し合ったのは、
1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。

私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であるので、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったりしてきた。

私は1970年(昭和45年)の春、この当時としては大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてこのレコード会社で、制作に直接かかわらない情報畑、
経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め始めた時であった・・。

こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
                     
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
                                                  

こうしたことを実現するためには、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、
そして年金の推定額も算出し、収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。

そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。

この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は、満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。

そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。

                                                      
こうした中、不慣れな遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたりした。

この間、経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。
                                       

年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
            

午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
            

そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
                                   
         
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
                                    

我が家の年金生活の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。
           
私たち夫婦は年金生活をして12年目となるが、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。

こうして私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしている。
            

私たち両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
独り住まいの生活をされて、早や丸12年近くになっている・・。
       
家内の母は、独り住まいの生活をされた当初は、自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女である家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
11年ぐらいの恒例となっていた。

この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。
                         

平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、
仲良しねぇ、と何かと社交辞令を頂いている私たちでも、
もとより永遠に続く訳ではなく、いつの年にどちらかは片割れとなり『おひとりさま』となるので、
ときおり『おひとりさま』の生活となった私は、特別演習かしら、と思ったりしている。

家内の母は、やがて昨年の5月下旬より、膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。

この間、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

こうした状況となる中、家内は老々介護になってしまったわ、と私に苦笑しながら言ったりした。

そして私としては、我が家で『おひとりさま』の生活が増えたりしてきたので、
これも人生・・と私は微苦笑しているのが実情となっている。

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まもなく防災の日、100円ショップで備える命を守る20品、高齢者の私は多々学び・・。

2016-08-30 14:29:59 | ささやかな古稀からの思い
今朝、きまぐれな進路を取る台風10号の影響で、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む私は、
雨が降ったり止んだり、ときおり風が吹いたりしているので、午前中の買物、散策を中止したりした。

こうした午前中、ぼんやりとカレンダーを見ると、八月も明日で終わり、
九月のカレンダーを見たりすると9月1日は『防災の日』と明記されていた。

もとより『防災の日』は、《 「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、
広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」こととし、
毎年9月1日を中心として「防災思想の普及、功労者の表彰、防災訓練等これにふさわしい行事」が実施される 》
と『防災の日』の創設時の1960年(昭和35年)に公報されている。

私は生家に近いこの地域に住み、結婚前後の5年間を除き、早や67年近く過ごしている。

そして雑木の多い小庭の中で、古惚けた築後38年の一軒屋に、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
          
我が家は防災に関しては、恥ずかしながら確固たる対策をしていない。
          

ただ、漠然と思いながら、東京湾からは40キロ以上離れた地域であるので、津波からは対象外だし、
豪雨による付近の野川の洪水による床下浸水も、高台の住宅街であるので、心配はしていない。
しかし地震については、どのような対策をとったら、と思案したりしてきた・・。

こうした地震については、私たち夫婦が考え始めたのは、
過ぎし年の2011年3月11日の観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、大津波が発生して壊滅的な大惨事となった時からであった。

その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の諸国まで注視された。
そして、私さえも恐れていた周辺の一時避難、その上に農作物、畜産、水産、農地、牧草地、森林、
水の汚染などに影響をもたらした。

こうした中で、私はテレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに身体はもとより心まで震(ふる)えた・・。

この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。
そして特に、行方不明となられた方のせめてご遺体だけは、ご遺族のお手元に、と思ったりしてきた。
                     

この時の東日本大震災の時の我が家は、
古惚けた家の為か、大きく揺れ、こんなことあっていいの、と震度5度ぐらい、その後の直後の余震に、
私たち夫婦は居間で立ちすくんでいた。

そして本棚から10数冊の本が床に落ちたぐらいであったが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。

懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。

この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。
          
             我が家から7分ぐらい歩けば、NTTの研修センターがある。

          
             この場所が、私の住む地域の避難所と公表されている。

そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合い、買い求めたりした。

その後、旅行用の肩掛け、或いは斜め掛けでもできるバックを居間の片隅に置いてある。

この当時、何かしら新聞で、たとえ避難所に行けたとしても、
緊急救援食料は3日間を過ぎた後と知り、私たち夫婦は3日間は自助努力で対処しなければならない、
と学んだりした。

こうした緊急時に、いざ避難所に行く時に、最低限に持って行こう、と互いに決めている。
               
                  私が25年前の頃に買い求めた軽く廉(やす)いナイロン製のバックで、
                  押し入れの中で休眠していたのを、取りだし、再活用とした。                    
                  
この中身は、電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯、電池、タオルを4枚、スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒用として)4枚、
板チョコレートを4枚、食事代わりのラスク6袋、ペットボトル500mlが2本、
百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円とした。

そして私のメガネの予備、タバコ、脇サイドには『調布市防災マップ』が入っているだけである。

無念ながら携帯電話は私たちは互いに使えないので、この程度ぐらいと思っている。
あとは、非常食として、乾パンぐらいは、購入しておかなければ、
と思いながらも、実行していないのが我が家の現状である。
          

このように過ごしてきた間に、この後の2012年1月22日に於いて、
『マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生する』という試算を、
東京大学地震研究所の研究チームがまとめられて、公表された。

私はこの公表された内容を新聞などで知り、
優(すぐ)れた英知結晶である東京大地震研究所のグループの方たちの予測を真剣に受け止めた。

しかしながら、巨大地震が発生しても、その時はその時に対処すればよく、
何よりも肝要の平素の日常生活をたんたんと過ごし、残された人生を過ごせれば、
よいと私たち夫婦は思っている。
                    
この後は、ホームセンターに私たち夫婦は買物に行った時、
防災コナーに寄ったりして、色々とした用具を見たりしてきたが、
そのうちに買い求めようか、と私は家内に言ったりして、結果として今日に至っている。

そして避難所に行く時のバックは、夫婦それぞれのバックとしたり、
私は白内障の手術をした結果、メガネが不要となり、避難バックからメガネを抜き取ったり、
家内が携帯電話を購入したり、食物を年に一度ぐらい、新たな品に代えたりしてきた程度であった。
          
          
先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 100円ショップで備える命を守る20品 】
と題された記事にめぐり合い、どのような品なの・・と思いながら私は記事を精読した。

この記事は、『週刊朝日』に2015年1月23日号に掲載された記事のひとつであり、
【dot.(ドット)】に2015年1月16日配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・100円ショップの商品でもOK。生存率を高める防災グッズ

100円ショップの商品の中から、
都市防災学の専門家の明治大学危機管理研究センター・中林一樹特任教授に監修してもらい、
生存率を高める防災グッズ20を紹介しよう。

「東日本大震災では、発生から3~4日間、被害の大きな被災地に、水、食料などが配給されませんでした。
被災後3日間を生き延び、その後の1週間は自立して生きていけることをイメージしてください」(中林氏)

県や市町村などの自治体には、防災用の備蓄品が保管されているが、
車の台数が足りなかったり、道路が壊れていたりして、運べないことがある。
          

「非常食は、乾パン、氷砂糖のような賞味期限の長いものだけではなく、
ポテトチップスのように、カロリーが高くて塩分多めのものも、
災害の時にはかえってエネルギー源になって良い。
チョコレートやクッキーなどもいいでしょう」

LEDライトだけだと、暗闇を歩くのにはいいが、明るいだけで熱が出ない。
「非常用ローソク」があると、お湯を沸かせたり、暖もとれる。

災害時に困るのはトイレ。
「携帯用ミニトイレ」があれば、個室さえ確保すれば済む。

ライターも必要品の一つ。
昔は喫煙者が大勢いたが、最近はめっきり減っているだけに、ライターを持っている人自体が少ない。

中林氏は「まずは地震の最初の一撃で、死なないことだ」という。
普段から「耐震マット」で家具を固定し、「窓ガラス保護シート」で、ガラスが飛散しないようにしておきたい。

非常用の袋はあるものの、押し入れの奥で埃をかぶっているという家庭も多いのでは?
「袋には、おいしい食料品を入れておいて、毎日食べて、また買ってくればいい。
長期保存というよりも、いつもフレッシュな状態にしておくことのほうが大切です」

100円グッズで命拾いできたらありがたい。
          

■被災後72時間をサポートする10品
【1】ペチャンコ水筒1.2リットル 
【2】氷砂糖 
【3】携帯用ミニトイレ 
【4】5LEDライト 
【5】USBチャージャー 
【6】ホイッスル 
【7】アルミ温熱シート 
【8】携帯用救急セット 
【9】スモークシャットアウト 
【10】防犯アラーム

■自宅や避難所での生活を確保する10品
【1】非常用給水バッグ 
【2】非常用持ち出し袋 
【3】非常用ローソク 
【4】燃料炭 
【5】ポンチョ 
【6】使い捨てパンツ 
【7】アルコール分含有の除菌ウェットティッシュ 
【8】折りたたみ携帯マット 
【9】窓ガラス保護シート 
【10】耐震マット
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

今回の記事に於いて、特に『被災後72時間をサポートする10品』、『自宅や避難所での生活を確保する10品』、
私は読みながら多々の品を真摯に教示された。

そしてこんなに多い品を買い求めて、果たして避難する時は・・と高齢者の体力の衰えた私は、思い馳せたりした。

或いは時代遅れの私は、『5LEDライト 』、『USBチャージャー』、『スモークシャットアウト』などは、
無知であり、どのような品なの、と思ったりした。

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有料老人ホーム入るには65歳で単身1500万~2000万円の貯金必要、私は学び、やがて溜息を重ねて

2016-08-29 16:50:57 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を尊重している。

私たち夫婦は、子供もいないので介護などは頼れる人はいなく、
いつの日にか介護を要する身となった時は、介護施設に入居するか、或いは自宅でするか、
漠然としながらも思案し、ときおり私たち夫婦は話し合ったりしている。

こうした心情を秘めている私は、
ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見たりした。

こうした中で、 【 有料老人ホーム入るには65歳で1500万~2000万円の貯金必要 】と見出しされた記事があり、
私は関心ある有料老人ホーム記事であったが、やがて読み終わると溜息を重ねたりした。
            

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年9月9日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年8月29日に配信されていたが、無断ながら転載させて頂く。

《・・安心した老後を過ごすには、いくら必要なのか

「十分に長く生きた。あとはせめて穏やかに逝ければ」・・・
そんな、ささやかな願いも、カネがなければ叶えられない。

「死に方格差」は拡大する一方で、現役引退後の収入や貯金額によって、
入ることのできる施設、受けられるケア、家族との関係性まで大きく変わってしまう。
            

本当は特養(特別養護老人ホーム)に入れればいいんだが・・・。
都内に住む70代のYさんは、昨年冬に一人暮らしの自宅で転倒し、大腿骨を骨折して都内の総合病院に入院した。

手術を受け、リハビリを続けて症状が安定すると、病院を出なければならなくなった。
しかし自宅へ戻ろうにも、面倒を見てくれる人はいない。
妻には数年前に先立たれ、離れて暮らす息子夫婦も時間的・経済的な余裕はない。

当然ながら、施設への入所が選択肢として挙がったが、民間の有料老人ホームは軒並み月額20万円以上。
年金とわずかな貯金では、とても賄えないし、子供からの援助も期待できそうにない。
一体、どこが終の棲家になるのか──。

収入や貯蓄がどれだけあるかで、その人の「死に方」が大きく変わる。
そうした現実が目の前にある。

本来であれば、公的補助によって整備された特養が、
死に場所を見つけられない人にとっての“セーフティネット”として機能すべき存在のはずだ。

月額8万円程度から利用できる特養であれば、冒頭のYさんのケースでも入居費用はなんとか捻出できる。

ところが、現実には特養に入りたいと申請をしたのに、入居できずにいる「待機老人」が52万人もいる。
入居申請を出さずに諦めてしまった高齢者も少なくない。
実際には特養に入りたくても入れない人が、さらに数万から数十万規模でいると指摘する専門家もいる。

さらに昨年4月には厚労省が「原則として要介護度3以上でなければ、特養に入所できない」との通達を出し、
ただでさえ狭き門はさらに狭まった。

総務省「家計調査年報」(2015年)によれば60歳以上の高齢者(単身無職)の平均収入は毎月約11万5000円。
月額約8万円の特養が順番待ちで入れないからといって、月額約20万円以上の民間の有料老人ホームは、入居先として現実的ではない。

逆にいえば、手元に十分な資金があれば、選択肢は大きく広がるということでもある。
            

前出の「家計調査年報」の示す平均額で見ると、定年退職後は毎月3万円程度の貯蓄を取り崩す生活となる。
そうした貯金を取り崩す生活が10年程度続いた後に要介護になるという前提で試算してみると、
Yさんのように行き場に困る事態に陥らないためには、民間の有料老人ホームに入れる水準、
つまり少なくとも1500万~2000万円の貯金が、65歳時点で必要という結果になった。

介護ジャーナリストの栗原道子氏が指摘する。
「持ち家に住んでいる人の場合、有料老人ホームに入るために、住み慣れた自宅を売る人も少なくありません。
長年住んだ建物にほとんど価値がなく、土地にしか値段がつかないケースも多いですが、
それでも不動産を持っていない人よりは恵まれています。
老後の資金を捻出するために、皆さん苦心しています」・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

この記事は、『おひとりさま』になった単身者の例だったので、夫婦で入所した場合を思い馳せて、
過ぎし4年前の頃に私は読んだ記事を思いだしたりした・・。

やはり『NEWS ポストセブン』で2012年2月4日に、
【有料老人ホーム 平均予算は1人なら1532万円、2人で2310万円】と題された記事で、
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2012年2月10日号掲載された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・ある程度高齢になったら有料老人ホームへの入居を考えている人も多いだろう。

ホームの終身利用権を得るために、契約時に数十万円から数千万円の「入居一時金」がかかり、
入居後は毎月、管理費、食費、光熱費などを含む「月額利用料」を支払うケースがほとんど。
有料老人ホームに入るためには、どうような資金手当をしているのだろうか。

様々な調査の結果をQ&Aで紹介しよう。
            

Q:入居一時金の平均額は?

   A:有料老人ホームへの入居を考えている高齢者への調査では、平均予算額は1人入居で約1532万円、2人入居で約2310万円となっている。

Q:入居一時金の原資は?

   A:実際にホームに入居している高齢者への調査では、「預貯金」が67%と最も多く、次いで「自宅の売却」の33%、「退職金」の10%となっている。

Q:毎月の生活費の平均額は?

   A:ホームへの入居を考えている高齢者の場合、平均予算額は1人入居で約18万円、2人入居で約29万円となっている。

Q:月額利用料の原資は?

   A:実際にホームに入居している高齢者の場合、「年金」が86%と最も多く、次いで「預貯金」の32%となっている。

Q:自宅を売らず、貸さずに入居費用を賄う方法もある?

   A:自宅を担保に公的機関や銀行から資金を融資してもらうリバースモーゲージ(不動産担保ローン)が利用可能。
    死亡後に自宅を売却してローンを返済する仕組み。
    
    利用には「自己名義の一戸建てに住んでいる」、「ローンの契約者が55歳以上、80歳以下」、
    「年収が120万円以上」、「自立生活が可能」などの条件がある。
    月額利用料に充てる場合、長生きして借入金がローンの限度額を超えると融資が止まることもある。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は読み終わった後、夫婦で入居一時金の平均額は、4年前で約2310万円となっていると知り、
現在では少なくとも2500万円、と学んだりした。

そして夫婦の毎月の生活費の平均額は、4年前で約29万円と知り、
現在の物価水準だったら約30万円と思い、やがて命果てるまで費用は要する・・。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしてきたが、
いつの日にか、有料老人ホームへの入居した時、改めてこんなに費用は要する、と学び、
裕福でない私は、溜息を重ねたりした。

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団塊の世代、まもなく70代入門する時代、年男のまもなく72歳になる私は、微笑みながら・・。

2016-08-28 15:22:14 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活し、
恥ずかしながら年男のまもなく満72歳を迎える身である。、

そして私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉9月に農家の三男坊として生を受けた。

こうした中で、長兄は1939年〈昭和14年〉8月、そして次兄は1942年〈昭和17年〉7月に続いて、私は三男として生まれ、
妹はふたりいて1947年〈昭和22年〉1月、そして1948年〈昭和23年〉10月生まれで、
私は兄ふたり、妹はふたりの間で、何かとサンドイッチのように育てられた・・。

そして私の家内は、私より5歳ばかり齢下の1949年〈昭和24年〉12月生まれである。
            

私は東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉秋、満二十歳となり大学2年の時に、
映画の脚本家になりたくて、中退した。
                                
そして専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしている中、養成所の講師の知人の新劇の長老から、
映画で生活をするは大変だし、まして脚本で飯(めし)を食べていくは困難だょ、
同じ創作するなら、小説を書きなさい、このような意味合いのアドバイスを頂いたりした。

まもなく私は契約社員としての警備員などをしながら、文学青年のような真似事をして、
純文学の新人賞にめざして、習作したりしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
          
やがて1970年〈昭和45年〉4月、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたが、大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられた。
      
こうして中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に勤める中、職場で共にしたのが、
新卒の団塊の世代の人も多く、やがて35年近く業界の苦楽の激しい空気を共にした。

このような関係で、私の友人、知人には団塊の世代も多く、
私は時代が流れている中で、何かと団塊の世代の動向を注視しているひとりである・・。
            

もとより「団塊の世代」という用語は、作家・堺屋太一さんが、初めて書かれた小説で、
1976年(昭和51年)から総合月刊誌『現代』に連載した近未来小説の『団塊の世代』に由来している。

そして厚生労働省は、その白書において「団塊の世代」ではなく、
「団塊世代」は「団塊世代(1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)生まれ)」と定義されている。

この3年間の年間出生数は260万人を超え、1947年(昭和22年)生まれは267万8792人、
1948年(昭和23年)生まれは268万1624人、1949年(昭和24年)生まれは269万6638人であり、
3年間の合計出生数は約806万人にのぼる、と公表されている。
            

そして1943年(昭和18年)から1946年(昭和21年)生まれた団塊の世代よりも数年前に生まれた世代に関しては、
住友信託銀行基礎研究所などから、『プレ団塊の世代』」と命名されたりしている。

或いは1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)生まれを『ポスト団塊の世代』と称せられたりしている。

こうした中で、1946年(昭和21年)生まれについては、第二次世界大戦後であるがベビーブーム前であるため、
『団塊の世代』に含める場合と、『焼け跡世代』や『戦中生まれ世代』に含める例がある、表現されていることもある。

私は1944年〈昭和19年〉9月生まれであり、敗戦約一年前に生を受け、
ときおり空襲警報の中、乳児の私は、母や叔母に抱きかかえられて、防空壕に避難した、と後年に教えられてきたが、
戦争を知らない世代と思い深めている・・。
            

私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に勤める中、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
定年前の6年前の頃からリストラ烈風となり、やがて私もあえなく出向となり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起の35年近くのサラリーマン航路を過ごした。

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。
                               
そして私は当初は60歳だったので、遠い親戚の小父さん、近所の高齢者など70歳以上の御方、
或いは書物で70歳以上の作者から、見上げるように多々教示されたりしてきた。
            

やがて2007年(平成19年)の頃から、団塊の世代の知人、後輩から定年退職を迎えた挨拶状、
或いは電話連絡を受けたりした。

この間、不幸にしてリストラで早期優遇退職制度に応じて、やむなく転職した連絡も幾たびも、
私は受けたりした。

こうした中、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代はゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

私も60代の10年間は、定年するまで何かと苦節が多かった半生を振り返れば、
遥かな安楽な年金生活を享受してきた。

やがて私は2年前に、古稀と称せられる70歳となったが、体力の衰えを感じながらも、
人生は気合だ、と自身を何かと叱咤激励して過ごしているので、安楽な60代の続編かしら、
と微笑んだりしている。
            

こうして私はセカンドライフと称される年金生活を甘受する中で、
定年後にまもなくブログの世界を知り、やがて私は殆ど毎日投稿してきた・・。

こうした中、私は数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりした。

そして日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。

そして特に50代から90代の数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、
やがてその御方のブログの愛読者のひとりになってきた・・。
                       

そして果てしない広い世界でも、私が長らく愛読者している数多くのブログを御方には、
お逢いしていないが、シニア世代の十人十色のセカンドライフの過ごし方を多々学び、
感謝を深めたりしている。

こうした中、団塊の世代の先発の1946年(昭和21年)生まれの御方たちが、お誕生日を迎えられると、
長寿と称される現代でも、それぞれの人生航路を過ごされ、古稀入門の70歳になられると私は知り、
英語に苦手な私でも、 Welcome Seventy Years of age、と心の中で呟きながら、
微笑んだりしている。

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認知症予備軍MCIと診断されたら、認知症になるかどうかは5年以内が勝負?、と私は学び、やがて・・。

2016-08-27 15:26:47 | ささやかな古稀からの思い
私は今年の9月に誕生日を迎えると72歳になる身であるが、
私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
      
しかしながら私は、年金生活の中で齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑したりした・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
            

こうした心情を秘めた私は、本日の昼下がり、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 認知症予備軍MCIと診断されたら、認知症になるかどうかは5年以内が勝負? 】
と題された記事にめぐり合い、こっそりさ私は記事を精読した。

この記事は、週刊朝日ムック『すべてがわかる 認知症2016』より抜粋した記事のひとつであり、
中寺暁子さんが取材して記事にまとめられ、【dot.(ドット)】に8月25日配信されていた。
無断ながら転載させて頂く。

《・・物忘れが多くなり、できないことが増えてくると不安になるものです。
近年は医学的に認知症予備軍を診断できるようになり、早期から対策をとれるようになってきました。
週刊朝日ムック『すべてがわかる 認知症2016』で紹介した、認知症を予防する方法を特別に公開します。
            

認知症はある日突然発症するわけではなく、徐々に進行していきます。
このため、まだ認知症には、なっていないけれど、年齢相応の認知機能レベルより低下している時期があります。
こうした健常と認知症の境目にいる時期を軽度認知障害(MCI)といいます。

認知症との大きな違いは、全般的な認知機能は正常で、
日常生活に支障をきたすほど認知機能は、低下していないという点です。

厚生労働省の推計では、MCIの人は約400万人いるとされています。
しかしすべての人が、すぐに認知症へと進行していくわけではありません。

長期間MCIの状態を維持したままの場合や健常に戻る場合もあります。

けれどもMCIを放置すると、5年間で約50%の人が認知症を発症するといわれています。
5年以内に認知症になるのか、ゆるやかに認知症になっていくのか、健常に戻るのか・・・
その分かれ道の一つとなるのが、積極的に予防に取り組めるかどうかです。
            

お多福もの忘れクリニック院長の本間昭医師はこう話します。
「認知症になってからではなく、MCIの段階で診断するメリットは、
本人が病気のことをよりきちんと理解できるという点です。
個人差はありますが、病気を受け止められると、予防に取り組む意欲につながりやすいのです」


認知症を予防する一つの方法が、MCIの人が低下しやすい
「できごと記憶」「注意分割機能」「実行機能」の三つの認知機能を鍛える方法です。

できごと記憶は、体験したできごとの記憶なので、日記をつけることがトレーニングになります。
その日のできごとを日記に書けるようになったら、次は昨日のできごと、
その次は一昨日のできごとというように、難易度を上げていくことがポイントです。

注意分割機能は、複数のことを、注意を配りながら、同時にする機能を指します。
このため右手と左手で違うことをする脳トレや歩きながら会話をするというように、
二つか三つのことを同時にするトレーニングが役立ちます。

実行機能は、段取りを考えて、実行する能力のこと。
架空の旅行の計画を立てる、料理をする人なら季節ごとに新しいレシピを考えるといったことがトレーニングになります。
            

このような認知症予防プログラムは、地域でも実施されています。
MCIの段階で、こうした場に参加して人と交流することは、認知機能を高めることにもつながるのです。

また、高血圧や糖尿病などの生活習慣病は、認知症のリスクを高めることがわかっています。
このため、MCIと診断されたら生活全般を改善することも大切です。

MCIと診断されても、残念ながらそれを治す治療薬は、現在のところありません。
だからこそ、積極的に予防に取り組む意味があります。

MCIの診断や治療は「物忘れ外来」や「認知症外来」などを標榜している医療機関で受けられます。
診断のために必要な検査は、問診や、認知機能低下の有無や程度を調べる認知機能テスト、脳画像検査、血液検査などです。

本人が気になって受診する場合もありますが、まずは家族や周囲の人が
「最近物忘れが多いけれど認知症ではないか」と不安になって、本人を受診させる場合が多いでしょう。
この場合、本人が受診を嫌がることもあります。

「『認知症』や『病気』という言葉を使われると、本人は否定したくなるものです。
『最近物忘れがあるけれど、これ以上ひどくなってほしくないから一度病院に行こう』というように、
認知症や病気という言葉は使わずに伝えることが大切です」(本間医師)・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

そして定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

こうした後、独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりし、
私の容姿は、この晩夏の時節は、夏帽子を被り、半袖のスポーツシャツが多く、下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズとなっている。

そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された状景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
            

ここ数年、私が何よりも恐れていることは、認知症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで認知症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が認知症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。

或いは逆に家内は認知症となり、私が看病する場合も同様である。

認知症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。

こうした思いを秘めて、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩いたり、睡眠、程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として思い、過ごしている。

そして私は日々の思い、或いはボンヤリと思考していることなどがあふれる思いとなり
ブログの投稿文で発露して、殆ど毎日投稿して、早や12年生となっている。

今回の記事を読み、私のこうしたことも、少しは認知症の予防となっているかしら、と微苦笑したりしている。

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10歳若返るために始めるべき5つの新習慣、まもなく満72歳の私は学び、やがて微笑み・・。

2016-08-26 15:35:47 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の年男のまもなく満72歳の身であるが、
昼下がりのひととき、ときおり愛読している小学館のダイム公式サイト「@DIMEアットダイム」を見たりしていた。

こうした中で、【 男性が10歳若返るために始めるべき5つの新習慣 】と見出しを見て、
恥ずかしながらこっそりと読んだりしたが、やがて女性も同じだょ、と微笑んだりした・・。

Rサイエンスクリニック広尾院長の日比野佐和子・医学博士の寄稿文であり、
『@DIME』には2015年8月24日に配信された記事であるが、
無断ながら記事を転載させて頂く。

《・・日頃の“仕事ストレス”も、たまってくるこの時期だからこそ、
チョットした習慣を変えて、元気で若々しいカラダを取り戻そうではありませんか。
カラダや見た目が若返れば、仕事や家庭も、少しずつうまく回り始めるはずです!
            

◎若く見える人は、長生きします

最近、カラダにガタがきたと、感じたことはありませんか? 
人は体力の衰えを目の当たりにすると、若くありたいと願うものです。

そもそも、老化の要因は何でしょう。
赤ちゃんの肌はみずみずしく弾力性に富み、シミひとつありません。

それが成長するにつれ、様々な環境や生活習慣によって、徐々に劣化していきます。
中高年期になると、ホルモンバランスの乱れや内臓機能の低下、ストレスなどが複雑に絡まり、
カラダの内外から、老化が加速していくのです。

老化することを簡潔に言えば、カラダが錆びていくこと。
錆びないようにするには、「体内のコンディションをできるだけ若く保つこと」が大切です。

そしてもうひとつ、「“見た目年齢”を若く保つこと」が最新の医療現場で重要視されています。

2009年デンマークで「見た目年齢が若いと、長生きする」というデータが報告されました。
その後、見た目年齢が認知機能や寿命の回数券といわれるテロメアの長さと関連している可能性も認められています。

加齢を止めることはできません。
しかし、見た目年齢を下げることは可能なのです。
            

10歳若返るための男の新習慣5つの鉄則

◎あきらめは禁物!若返りは可能です

「自分は実年齢よりも若い」と思っている人は、多いと思います。
しかし同時に、何かしらの不調を感じている人も、多いはずです。

あなたの老化度をチェックしてみてください。
各項目は老化と関係ないように思われるかもしれませんが、
いくつも当てはまる場合、残念ながら老化現象の域になります。

例えば「肩凝り」は、デスクワークでも起こる症状ですが、
血管の老化によって首まわりの血液循環が悪くなっている可能性もあります。

「太りやすい」「むくみやすい」「冷え症」「眠りが浅い」「何だかだるい」なども、
複数当てはまる人はイエローカード。
すべて、老化によって基礎代謝が落ちていることが要因です。

「お腹が張る感じがする」のは、老化によって消化器系の機能が、落ちているためです。
            

「腰痛」はお腹まわりの筋肉が落ち、腰骨を支えきれなくなっていると考えられます。
腰痛になると、同時に太りやすくなったり、便秘になったりします。

このように、いくつか当てはまる項目がある場合、それらが相乗してさらに老化を早めるという悪循環に陥ってしまいます。

「肌に張り・ツヤがない」人は要注意。肌は内臓の鏡。
徹夜をした翌日や、お酒を多めに飲んだ翌日は、顔がむくんでいたり肌が荒れていたりすることがあると思います。
それは、内臓のむくみが皮膚表面に出ているためです。

朝、鏡を見て「むくんでいるな」と感じたら、お酒を控えるなどして内臓を休ませてください。
それでも数日間むくみが取れない場合は、別の疾患の疑いがあります。
「太ったせいだ」とやりすごさないで、内科を受診しましょう。

さて、では、どうしたらこれら老化現象にブレーキをかけることができるのでしょうか。
大事なのは、基礎代謝を上げること。

《加齢の原因はこんなにあった!》

●ホルモンの分泌低下
●不十分な食事
●消化器管の障害
●栄養素欠乏
●睡眠不足
●適応能力の欠損・ライフスタイル
●過度なストレス
●運動不足
●環境汚染
●遺伝子疾患
            

《あなたの老化度をCHECK!あなたはいくつ当てはまりますか?》

□肩凝り・筋肉痛がある
□太りやすくなってきた
□お腹が張る感じがする
□カラダがむくみやすい
□腰痛だ
□冷え症
□眠りが浅い
□肌に張り・ツヤがない
□便秘気味だ
□何だかだるい

《チェックの結果、あなたは大丈夫!?》

[0]ノープロブレム! 実年齢よりも若々しく見られているはず。自信を持って、今のライフスタイルを維持していこう。

[1~3]加齢予報。心配はいらないが、自分の体調にもっと敏感になるべし。不調のサインが表われたら見過ごさず、早めに対処しよう。

[4~7]加齢注意報。老化スピード加速中。自分では「まだ大丈夫」と思っていても、お疲れ感が漂っている。早めに対処を。

[8~]加齢警報警戒レベル。老化の渦に巻き込まれている可能性大。全面的なアプローチで、今日からでもカラダのメンテナンスを開始すべし!
                        

◎まずは腸の大掃除から始めよ

老化現象にブレーキをかける一番の方法は、“基礎代謝を上げる”ことです。
柱は「食事・運動・睡眠」の3つです。

中でも、まず最初に行なってほしいのが、「腸の大掃除」。
長年かけて体内にたまった汚れを取るには、腸内をキレイにするといいのです。

誰にでも手軽にできるのは、食生活の改善。
キムチ、納豆、ヨーグルトなど発酵食品を今まで以上に多めに摂取してください。
ナットウキナーゼや乳酸菌には、整腸作用があることが知られています。

また食物繊維の多い野菜や寒天など、それ自体が腸内の掃除をしてくれる食べ物は、
毎日少量ずつでも摂り続けることで、効果が表われます。

腸内がキレイになると、栄養の吸収が良くなり、栄養を運ぶ血管も若返ります。
血行が良くなれば、基礎代謝が上がるのです。


次に、運動について。基礎代謝を上げるためには、筋力アップと筋力保持が必要です。
しかし、仕事で忙しい世代の方が毎日運動を続けようとすると、それ自体がストレスになってしまいます。
ストレス解消のために運動ができる人はいいですが、難しい人は、15分程度でできるストレッチを行なうといいでしょう。
            

3つ目の柱は、睡眠です。
睡眠中は、様々な機能を回復しているだけでなく、成長ホルモンが分泌され、
筋肉のもとになるタンパク質が合成されています。

良質な睡眠が、基礎代謝を上げているのです。
現代はストレス過多などいろいろな理由で眠れない人が増えています。
短時間でも熟睡できるよう、工夫しましょう。

その他、ちょっとした美意識や振る舞いでも「見た目年齢」は変わります。
できることから始めて、心身両面から若返ってください。
            

《若返り5か条》

●発酵食品で腸の大掃除
若さを保つには、腸をキレイに保つことが不可欠。毎日の食生活に発酵食品を取り入れることで、日々腸内デトックスができる。

●“腹六分目”で健康長寿
メタボ解消には腹八分目。健康長寿には腹六分目が新定番。食事の順番を工夫することで、満腹感を得られるようになる。

●1日15分、継続的に運動を
通勤を利用したウオーキング、自宅やオフィスでできるストレッチなど、長く続けられる簡単な運動であることが大事。

●睡眠時間は“1.5の倍数”
浅いレム睡眠から深い眠りに入る前に起きれば、短くても質の良い睡眠が得られる。眠り足りなければ、20分以内の昼寝でカバー。

●オヤジ臭さを徹底除去
加齢臭・口臭のケアはもはやエチケット。弾力のない肌や肩に落ちたままの抜け毛も、オヤジ度を増すので注意したい。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごし、
まもなく私は9月の誕生日を迎えると72歳となり、年金生活も早や丸12年となる。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
            
2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた私は、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めて、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。

帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
        
こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
            

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
                                     

このように年金生活を過ごしているが、私は敬愛しているチャップリンの遺(のこ)された言葉のひとつに、
《 人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー。 》
という名言があり、人生の確かな格言ですねぇ、と程ほどの貯金しかない私でも、信愛しているひとりである。

そして恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活を過ごしている。

今回の記事に於いて、《あなたの老化度をCHECK!あなたはいくつ当てはまりますか?》
こっそりと受験したが、たったひとつだけ、太りやすくなってきた、該当した。

年金生活の当初は170センチ、70キロだった私は、丸12年を迎えると、169センチ、76キロとなり、
定年するまでの半生は、何かと苦節の多い人生航路だったが、年金生活は想定していたより安楽に過ごしてきたので、
やむえないかなぁ、と微笑んだりしている。

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ときおり『おひとりさま』になる私、数多くの書物、ブログから、『おひとりさま』実態を多々教示され・・。

2016-08-25 15:57:16 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の年男のまもなく満72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古惚けた一軒家に住んでいる。

私たち両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
独り住まいの生活をされて、早や丸12年近くになっている・・。
       
家内の母は、独り住まいの生活をされた当初は、自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女である家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
11年ぐらいの恒例となっていた。

この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。
            

平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、
仲良しねぇ、と何かと社交辞令を頂いている私たちでも、
もとより永遠に続く訳ではなく、いつの年にどちらかは片割れとなり『おひとりさま』となるので、
ときおり『おひとりさま』の生活となった私は、特別演習かしら、と思ったりしている。

こうした時に、上野千鶴子さん著作の『おひとりさまの老後』(法研、2007年)を購読して、
本当に『おひとりさま』になったら、大変だ、と動顛させられたりした。

この後、上野千鶴子さん著作の『男おひとりさま道』(法研、2009年)を買い求めて、
多々教示されたりしてきた。

上野千鶴子さん提唱された『男おひとりさま道10カ条』
第1条 衣食住の自立は、基本のキ
第2条 体調管理は、自分の責任
第3条 酒、ギャンブル、薬物などに、はまらない
第4条 過去の栄光を誇らない
第5条 ひとの話をよく聞く
第6条 つきあいは、利害損得を離れる
第7条 女性の友人には、下心をもたない
第8条 世代のちがう友人を求める
第9条 資産と収入の管理は、確実に
第10条 まさかのときのセーフティネットを用意する

こうした根幹を学んだりしてきた。
            

或いは愛妻を亡くされた倉嶋 厚・著作の『やまない雨はない』、
徳岡孝夫・著作の『妻の肖像』、
垣添忠生・著作の『妻を看取る日』、
川本三郎・著作の『いまも、君を想う』、
新藤兼人・著作の『愛妻記』、
それぞれの各氏の愛妻の終末の病状、そして告別の死、
その後の『おひとりさま』の生活状況を多々教示されてきた。
            

或いは私は、定年後まもなくして『ブログ』の世界を知り、
私もブログのサイトを開き、年金生活の中で、感じてきたことや思索していることを
あふれる思いを真摯に、ときには楽しく投稿文を重ねてきた。

そして数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、とご教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を受けてきた・・。
               
こうした中で、『おひとりさま』の男性、女性の投稿文を精読する時がある。
          
そして私が感じるには、何かと残された男性は弱く、女性は強い、と私は確信を深めたりしている。
                       

多くの男性は、一家の主(あるじ)として、家計の収入に長らく責務を果たしながら奮戦し、
妻は料理、洗濯、掃除はもとより、育児、やがて子供の学業などの支援など、
あらゆる面の後方支援となり、家庭の専守防衛長官を果たしてきた人が多い。

そして定年退職後、男性は単身赴任の経験のない多くの人は、
日常の肝要な買物、料理、洗濯、掃除などに関して、未経験の分野で戸惑う方が多く、
妻に何かと頼る状況が多い、と知人からも聞いたりしている。

こうした高齢者65歳以上の男性が、思いもかけずに愛妻に死去された後、
『おひとりさま』の生活は・・何かと楽観的で、グウダラ私でも、考えさせられたりしてきた。
             
その上、妻との苦楽の過ぎ去り日々の出来事などはもとより、
或いは青年期から何人かの交際してきた女性たちで、やむなく結婚に至らず別れた人に、
いまどうしているのかしら、ときおり振り返ったりする男性も多い、と私は学んだりしてきた。

何かしら女性の多くは、クヨクヨと苦悶する時期が過ぎた後、やがて現在の状況に精進し、
多くの方が生き生きと生活をしている、と学んだりしてきた。
                    
こうして『おひとりさま』の男性、女性を考察させて頂くと、女の人は強いよねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりし、微苦笑したりしてきた。
            

家内の母は、やがて昨年の5月下旬より、膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。

この間、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

こうした状況となる中、家内は老々介護になってしまったわ、と私に苦笑しながら言ったりした。

そして私としては、我が家で『おひとりさま』の生活が増えたりしてきたので、
やむえないなぁ・・と私は微苦笑しているのが実情となっている。

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東京都政、敗戦後からのゴットファーザーの変還を初めて学び、無力な私は動顛して、溜息を重ねて・・。

2016-08-24 15:44:06 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、この地に66年ばかり過ごしている。

私は政治にも疎(うと)く、近現代史など歴史に興味あるひとりであり、
ここ20数年は、塩野七生、徳岡孝夫、櫻井よしこ、中西輝政などの各氏を読み、
根幹の私の思想は、塩野七生さんの真似事をすれば、現実的理想主義である、と思ったりしている。

そして政治家は権力と重責が収集するので、一般社会人より遥かに言動が注視され、功罪も追及される人であり、
在任中に功績が7割、罪悪が3割で有ったら、十二分に責務を果たした、と私は評価している。

そして私は25歳の頃から、何かと自民党を信愛してきたひとりであるが、
過ぎし7月31日に都知事選が実施される前、私は戸惑いながら、思案を重ねてきた・・。
            
私は新聞、雑誌、ネットでニュースを読んだり、テレビでニュースを視聴してきたが、
何かしら自民党の都知事の公認候補は、自民党本部ではなく、東京都連が決めると知り、
東京都連の会長は石原伸晃さんであるが、幹事長の内田茂さんが、実質の公認権を持っている、
と学んだりしてきた。
            

こうした中、東京都議会議員をはじめ、更に東京都選出の国会議員の公認権も、
幹事長である内田茂さんが、指示していると知ったりした。

東京都選出の国会議員は、選挙の時は都議会議員の多大な協力を得て、当選できることが圧倒的に多く、
こうした関係で、東京都連の幹事長の内田茂さんが、都政、そして国政の東京都選出の国会議員まで、
多大な権力を収集していると学んだりした。

そして内田茂さんは、幹事長のポストに2005年以来、10年以上もされながら勢力を拡大し、
都知事が交代したとしても、今でも継続していた。

過ぎし日、舛添都知事が辞任された時は、都議会は与党の自民党(56人)と公明党(23人)の議員が圧倒的が多く、
内田茂さんは、都政、そして国政の東京地区のゴッドファーザーだねぇ、と悪しき妄想を重ねたりしてきた・・。
            
つたない私が発想したは、マリオ・プーゾの小説に基づき、
フランシス・フォード・コッポラが監督した映画『ゴッドファーザー』(1972年)で、
名優マーロン・ブランドが扮したゴッドファーザーであり、アメリカの裏社会の実態を表現した作品である。

そして、都知事選に立候補の有力者として、自民党衆院議員の小池百合子元防衛相(63歳)、
自民、公明などが推薦する前岩手県知事の増田寛也元総務相(64歳)、
野党統一候補として擁立されたジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76歳)とされていたが、
私は都政を浄化して下さる御方は、小池百合子さんだけだ、と期待して清き一票を投じた。
            

もとより都知事は聳え立つ都庁で、約13,574千人の都民をあずかる東京都の執行最高責任者として、
そして都の約16万5千人の職員の最高責任者として、都民の安全も責務とされる。

そして都民の有権者から、小池百合子さんが新都知事として選出され、
今後の東京都、そして首都の関係で日本のゆくえに影響するので、
有権者の責任も重いが、何より有権者から託(たく)された小池百合子都知事の言動は重責である。

私は小池百合子さんに清き一票を投じた責務として、無力ながら支援し、
小池百合子都知事の言動に注視している今日である。


昨夜、ときおり愛読しているネットの『現代ビジネス』を見ていたら、
【 東京都政、その「巨大利権」と知られざる歴代のドンたち 小池都知事は本当に切り込めるのか? 】と見出しを見て、
私は必須難題だよねぇ、と思いながら精読した。

この記事は『現代ビジネス』の中で、『ニュースの深層』とし題された寄稿文特集があり、
特に経済事件など詳しいジャーナリストの伊藤博敏(いとう・ひろとし)さんが寄稿文され、
8月18日に配信されていた。 無断ながら転載させて頂く。
            
《・・
☆小池新都知事 vs. 東京都の「ドン」の行方

小池百合子都知事が、都知事選で公約としてきた「都政の利権や闇の追及」が、
上山信一慶応大学教授ら「都政改革本部」のメンバー5人によって、解明されることになった。
当初想定の私的懇談会ではなく、都庁内の正式な組織として立ち上げられ、メンバーは都の顧問となる。

上山信一氏は橋下徹元大阪市長の有力ブレーンとして名を馳せた人。
他に、都知事選で小池氏を支持した若狭勝代議士(元東京地検特捜部副部長)の側近で元検事の坂根義範氏、
債権回収のプロである須田徹公認会計士らも名を連ねており、
かねて指摘されてきた内田茂前自民党都連幹事長らが築いてきた利権構造にメスが入れられる。
            

東京都利権とは何か。
それにはまず、東京都の特殊性を理解する必要がある。

財源が豊かな東京都は、全国で唯一、地方交付税交付金を受け取っていない自治体である。
「ヒモ付きの補助金」に頼らなくて済むということは、
「永田町」と「霞が関」に陳情に行く必要がないし、制約を受けることもない。だから都議が強い。

今回、小池百合子氏の「敵」を仕立て上げる戦略によって『内田茂』という「ドン」が、突然浮上したが、
都政には常に、代議士が束になっても敵わない大物都議がいて、都下の公共工事や大型プロジェクトを仕切ってきた。

内田茂氏の前には、『藤井富雄』氏がいた。
都議会では自民党と並ぶ力を持つ公明党の絶対権力者。

1955年の練馬区議選に初当選して2005年に引退するまで、約50年間も東京都の政治と行政に関与、
しかも暴力団とも渡り合う清濁併せ呑む人柄で、
「藤井先生に挨拶しなければ、都の事業は一歩も進まない」というのが、
都の幹部やゼネコンなど業者の共通認識だった。
            

内田茂氏の浮上は、「藤井引退」を機に都議会の権力構造が変わったためで、
そこには都知事はもちろん、東京都選出国会議員の力も及ばなかった。

1999年の初当選以降、実力と人気を誇った石原慎太郎元都知事だが、
側近の浜渦武生副知事が、公共工事の仕切りに口を挟むようになると、内田氏の怒りを買って百条委員会を立ち上げられ、
2005年、浜渦氏は失脚した。

石原慎太郎都知事の息子の伸晃氏は、長年、都連会長を務めたが、
「神輿に載っているだけの人」というのが、都議会関係者の常識だった。

その源流を遡れば、終戦直後、GHQ(連合国総司令部)から、色街の警護、飲食業界の取りまとめ、
興行界の仕切りを委ねられた『新田新作』氏にぶち当たる。
            

☆「利権」と「人情」

「任侠の世界」にいた新田新作氏は、戦中、日本軍に捕らえられていた米軍捕虜に対して、
持ち前の侠気を発揮、食料面などで、なにかと面倒を見た。

戦後、それがGHQに伝わり、任侠界から足を洗い「新田建設」という土建業を立ち上げていた新田新作氏に、
大量のGHQ関連工事がもたらされて繁栄するとともに、一部の秩序維持が新田新作氏に託された。

新田新作氏は、明治座を再建して社長に就き、元関脇の力道山を抱え込んで、爆発的なプロレスブームの仕掛け人となった。
持っている東京都関連の肩書きは、本人にも覚え切れないほどで、
その力とカネにすがって区議や都議が日参するようになった。

しかし、権力のピークを極めた1957年に死去。

後を継ぐと同時に、新田氏の支配が及んだ世界を、効率的な圧力団体に変え、
自民党都連の最大の集票・集金組織を築き上げたのが、明治座を引き継いだ『三田政吉』氏だった。

料亭「濱田屋」の二代目で、製麺、理容、美容、医療、建設、青果、鮮魚など
あらゆる職種に設立された業界団体を束ね、東京都各種団体協議会世話人代表として君臨した。
 
その三田政吉氏も2006年、95歳で死去。

その数年前まで現役で、「選挙の際、三田さんの所に挨拶に行くのは、自民党議員の常識」とされ、
懐に入った政治家は可愛がったが、筋の通らないことが大嫌い。

その典型が1991年の都知事選で、挨拶なしで元キャスターの磯村尚徳氏を候補者に立てた自民党を許さず、
鈴木俊一都知事の4選を実現させた。
その過程で、当時の小沢一郎自民党幹事長など、どんな大物が懇請しても、三田政吉氏は鈴木俊一支持を曲げなかった。
             

内田茂氏は、そんな東京都政と自民党都連に流れる義理と人情と浪花節の世界で、生きてきた人である。
大切なのは人の縁と、お世話になったら返すという気持ち。
それが政治の役回りと心得ている。

「利権」というと、政治家への請託があり賄賂が発生するイメージだが、
実はその前に、長く結ばれた人間関係と、そこから発生する票と政治活動支援のバーターの歴史がある。

その集積が利権であり、内田茂氏は40年以上の区議、都議の政界歴のなかで、
都政と業界の双方に太いパイプを築き、特にカネと権力を握る幹事長職に居座った10年で、
「ドン」としての器量を備えた。
 
内田茂氏の頭のなかには、かつて「談合のドン」と呼ばれた男たちと同様の政治家と
業者の「貸し借り」が刻まれていて、それは決して表に出せない。
            

☆本気で切り込めるのか

秘すれば華・・それが「ドン」の「ドン」たる所以であり、情報公開とは、最も遠い立ち位置にいる。
その片鱗が伺えるのが、週刊文春が何度も指摘している、
自らが監査役に就いている東光電気工事の東京都関係の連続受注であり、一部の国会議員を上回る資金力である。

石原慎太郎氏以降、猪瀬直樹氏も舛添要一氏も、都知事は内田茂氏との直接対決を避けてきた。
敵に回せばうるさいからで、石原軍団を率いていた石原慎太郎氏は、「内田利権」には手を出さずに“棲み分け”を狙った。

また、今は小池百合子氏の“尻馬”に乗っている猪瀬直樹氏も、現役時代に堂々と反目に回るだけの度胸はなかった。
舛添要一氏に至っては、戦いを最初から放棄、都知事生命の断末魔、延命を内田茂氏に懇請した。

内田茂という政治家は、戦後70年以上、日本をリードする東京が、
理よりも情、そして義理が複雑に絡み合い、それを表に出せない大いなる田舎であることを知らしめた。
本気でめくれば、そこは公職選挙法や政治資金規正法、そして贈収賄絡みの法律違反が陸続と現れる世界である。

現実主義者でもある小池百合子氏は、そこに本気で切り込んでいくのか。
「都政改革本部」という舞台は整い、それだけの能力がある人も集められた。
後は、小池百合子氏の決断次第である。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は都政の都会議員、そして国政の東京都選出の国会議員を実質に支配する『内田茂』さんは、
今年の6月頃から雑誌などから知り、東京都のゴッドファーザーだ、と命名したりした。

しかしながら敗戦後から、今回の寄稿文より、『新田新作』さんから『三田政吉』さん、そして『藤井富雄』さん、
昨今まで『内田茂』さんが、脈々として東京都のゴッドファーザーとして存在していたことに無知であったので、
無力な私は動顛して、溜息を重ねたりした・・。

過ぎし一か月前の頃、それぞれの県でも、やはりゴッドファーザーのような人がいた、と私は学んだりしてきた。
たとえば長野県では石田治一郎さん、島根県では浅野俊雄さん、広島県では日隈健壬さん、茨城県では山口武平さん・・、
と知り、やはりねぇ、と遅ればせながら驚いたりしてきた。

こうしたゴッドファーザーより、強力で権力のある人たち・・妄想すれば、
財務省による税務調査権で、たとえ政治家であっても、自らの政治生命、出処進退に係わるので、
無敵だよなぁ、と思い馳せたりした。

何はともあれ、小池百合子都知事が、選定した「都政改革本部」のメンバー5人によって、
閉ざされた都政浄化を、私は無力ながら支援し、期待している。

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あなたはどちら?ポジティブorネガティブ診断、高齢者の私でも果敢に受診して、やがて微苦笑を重ね・・。

2016-08-23 14:23:53 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、年男のまもなく満72歳になる年金生活の私は、
ネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中で、
【 あなたはどちら?ポジティブorネガティブ診断 】という見出しを見たりした。

『ポジティブ』は、この世の出来事に関して、クヨクヨせずに楽観的に思考する人であり、
『ネガティブ』は、これまで人生経験に遭遇したことを思い馳せ、到来することにも悲観的な思いで思案する人、
と何かと単細胞の私は、思ったりした。

そして診断でどうして判るのょ、と思いながら、好奇心に負けてクリックしてしまった・・。

何かしら初めて見る公式サイトの『MIRRORZ(ミラーズ) 』で、
《 あなたの心を映し出す心理テストメディア  》と明示されていた。
            

そして下段には、《・・あなたは、自分でポジティブだと思いますか?
それともネガティブだと思いますか?
ポジティブネガティブ診断がお答えします。

性格を形作るさまざまな特徴のなかでも、人生に大きな影響を与えるのが「ポジティブさ」ではないでしょうか。
どちらかといえば、ポジティブな方がいろんなことにチャレンジでき、
失敗しても早く立ち直れるため、充実した人生を送りやすいといえるかもしれません。

しかしながら、ネガティブな性格が決して悪いわけでなく、
前向きに人生を楽しむことは可能で、大切なのは自分の性格をよく知っているかどうかでしょう。

このポジティブorネガティブ診断で、あなたがどちらかを知ってくださいね。・・》

読み終わった後、診断&心理テストを誰でもできるサイトと判り、
そして今回は、【あなたはどちら?ポジティブorネガティブ診断】が、無料で受診できると知った。
http://mirrorz.jp/article/positive-negative/
☆『MIRRORZ(ミラーズ)==>【あなたはどちら?ポジティブorネガティブ診断】☆

            

私は少しためらった後、果敢に受診した・・。

最初の質問は、『次のうち、一番ポジティブなイメージを感じる言葉は?』と問いに、
下段には10前後の用語が羅列されていた。
そして私は、この中のひとつをクリックした。

このように確か10ぐらい質問に応じて、これが私の日頃から思ったり、感じていることに、
該当する箇所にクリックした・・。

やがて終了すると、《・・結果発表
あなたは無邪気なポジティブ人間です》と表示された。
            

そして下段には詳細に記載され、恥ずかしながら公開すると下記の通り明記されていた。

《・・あなたは、とてもピュアな人ですね。
心から他人を信頼することができます。

また、「未来は明るい」という確信めいた思いを持っていて、
困難なことにチャレンジするときも、前向きに臨めます。

繊細で傷つきやすい面はあるものの、物事を悲観的に考える傾向は、ほとんどありません。
基本的には、いつも元気いっぱいで、悲しい出来事に遭遇して深く落ち込んでも、しばらく時間が経てばしっかり立ち直ります。

少年少女のように、きれいなハートを持っていて、ある意味では世間知らずともいえるかもしれませんが、
心配性な人よりも、前向きに人生を楽しむことができるのではないでしょうか。

ただ、このタイプは、だまされやすいという欠点も持っています。
世の中は、あくどい人もたくさんいます。人を信じすぎるのは考えもの。
付き合いの浅い人に対してはもう少し警戒心を強くした方が、面倒なトラブルを避けられると思いますよ。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は読みながら、我ながら本当かしら、と微苦笑を重ねたりした・・。

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

そして私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は、次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。

私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心に勝手に感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

やがて1953年(昭和28年)の3月になると、前の年から肝臓を悪化させ、寝たり起きたりした父は、
42歳の若さで亡くなった。

そして祖父も跡継ぎの父が亡くなり、落胆の度合いも進み、翌年の1954年(昭和29年)の5月に亡くなった。

どの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹の二十歳前後の未婚のふたりの叔母、
そして長兄は中学1年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、
家は急速に没落なり、生活は困窮となった。

そして私たち子供は母と叔母に支(ささ)えられ、そして親類に見守り中で、貧乏な生活が始まった。
                                   

この当時も義務教育は中学校までであったが、PTA(授業料)の会費は有償であり、
確か教科書も有償の時代であった。

祖父が亡くなって後、私は担任の先生から母あてに一通の手紙を渡された・・。
帰宅後の私は母に手渡した後、
『PTA会費・・当分・・免除するって・・』
と母は呟(つぶや)くように小声で言っていた。

近くにいた小学5年の次兄は、母の小声の内容を知り、
『いくら貧乏していても・・PTAの会費ぐらいは・・払おうよ・・』
と次兄は怒ったような声で母に言ったりした。

次兄は翌日から下校した後、手入れが余り行き届かない生家の畑で農作物を採り、
程近くに広い敷地にある国際電電公社(現・KDDI)の数多くの社宅に売りに行ったりした。
このお陰で、何とか私は人並みにPTAの会費を支払うことができた。

長兄は旧家の跡取りであったので、亡き父の願い、祖父の遺言もあり、国立大学付属の中学校を通学する中、
たとえ没落しても、冠婚葬祭などは中学生の身であっても、
主(あるじ)の役割として、参列したりしていた。
               
この間、兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等生で、
通信簿を学期末に頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、と担任の女の先生が溜息まじりに言われたりしていた。
            

そして私は学校に行くのが苦手な学童となった・・。
        
この当時の私は、クラスの仲間からは、私を『三原山』とあだ名を付けていた。

何かと平素は無口の癖に、ときたま怒り出し、周囲の多くの同級生が困惑し、
伊豆七島のひとつの大島は、幾10数年ごとに爆発する活火山の由来だった。
                      
        
やがて小学6年生の頃になると、突然に人前でおしゃべりをすることが大好きと変貌して、
見知らぬ小父さん、小母さんと私の方から話すようになり、
母、兄妹、そして父の妹でこの当時未婚だった叔母も驚いていた・・。

これ以来、私はお調子者のひとりとなって、学生時代、社会人のサラリーマンの中、
ときにはトンボのように自由にふるまったり、おだてられると高揚しながら奮闘したりしてきた。
            

この間、私は東京オリンピックが開催された1964年の秋に大学を中退して、映画・文学青年の真似事をして、
やがて敗退し、やむなく民間会社の中小業に中途入社した。

そして幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
定年前の6年前の頃からリストラ烈風となり、やがて私もあえなく出向となり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起の35年近くのサラリーマン航路を過ごした。

こうした中、同じ仕事をするならば楽しく明るくしょうょ、と周囲に言ったり、
或いは、自分の敵は自分だ、と自身を叱咤激励をしたりしてきた。

定年後、多々の理由で年金生活を始めると、
家内はもとより、ご近所の奥様、ご主人など談笑をしたりしている。

そして旅先で、食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
私は話しかけて談笑したりしている。
            
このように私が男の癖におしゃべりなのは、亡き母から色濃く素直に受け継いだ、と確信を深めたりしている。
長兄と妹ふたりと談笑する時、何故かしら私が七割ぐらい話すことが多く、後で微苦笑したりしている。
            

世の中には、沈黙は金、という名言があるが、私に取っては死語だょ、と思ったりしている。

そして怪我(ケガ)は程んど治るが、性格は直らないなぁ、と恥ずかしながら
まもなく満72歳になる私は、今回の診断結果、穢れなき純粋無垢ように診断されたので、苦笑したりしている。

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デジタル終活の到来の時代、遅ればせながら私は学び、やがて思案すれば・・。

2016-08-22 16:33:50 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら、有線の据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
          
このように無線のモバイル情報機器に、遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
                         

世の中は夫65歳以上、妻は60歳以上の夫婦のみの無職世帯は、
高齢夫婦無職世帯と称しているが、我が家も同じだよなぁ、と私は漠然としながらも心の片隅にあるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、息子、娘もいなく、もとより孫もいないので、実感が乏しいが本音である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、昨年の春に遅ればせながら家内専用の携帯電話を買い求め、今日に至っている。

そして私は、過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、
パソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。
            

本日の昼下がり、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】をほ見ていたら、
【 ネット銀行で遺産が横取りされる! デジタル終活のススメ 】
と題された記事に、どのようなことなのかしら、思いながら記事を精読した。

まもなく記事を読み終えた後、ネット銀行は利用していない私でも、
高齢者の私たちは、日頃は何かとデジタル機器を活用しているが、
予期せぬ出来事で不幸にも突然に死去した時、どのように残された人に・・思案させられたりした。

この記事は、『週刊朝日』2016年1月1-8日号に掲載された記事のひとつであり、
朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】に1月2日配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・スマートフォンやパソコン、そしてインターネットの普及で、発見されにくい“遺産”が増えてきた。
不動産や車といった目に見えないものも立派な資産。
もし自分が死んでしまった場合、それらをどうするか具体的に考えている人は少ないはず。
            

「家族に知らせたほうがいい」データの一方で「家族にも知られたくない」データは少なからずある。
アダルト系の画像や映像、不倫の形跡などが、死後に見つかれば、遺族を傷つける恐れもある。

秘密にしたいデータがある場合、死後に自動的に削除してくれるソフトを利用するのもひとつの策。
最近はデータをクラウド上に、保管している人も少なくない。

クラウドとは、データをインターネット上に保存するサービス。
利用者本人による管理が前提のため、突然亡くなった場合などは、ネット上にデータが放置され、流出の危険性もある。

日本最大級のポータルサイトを運営するヤフーは2014年7月、
終活サービス「Yahoo!エンディング」を開始した。

墓探しや葬儀手配に加え、自分の死後、家族や友人へのメッセージ送信、有料サービスの課金の停止などの生前準備をサポート。
さらに、クラウドサービス「Yahoo!ボックス」内のデータを削除してくれる。
事前アンケートで要望が多かった「家族にも見られたくないデータは消去したい」というニーズに応えた。

課題になったのが「死亡をどう確認するか」だった。
「亡くなった後に、指定した連絡先にメールが配信されるサービスはありましたが、
死亡していないのに、送られてしまうトラブルも見受けられたのです」
とヤフーでサービスを立ち上げた高橋伸介さん。

同社では、役所が発行する公的証明書である火葬許可証を遺族に提出してもらい、
生前の登録情報と照合の上、サービスが実行される流れを整えた。

今後は削除したいデータや家族に引き継ぎたいデータを振り分けられる仕組みも検討。
「死亡だけでなく、認知症など病気のケースも視野に入れていきたい」と同社担当者の佐藤和真さん。
            

エンディングノートや終活サービスで生前準備をしていなかった場合、
遺族は故人のデジタル遺品に、どう対応すればいいのか?

「故人の名誉を傷つけず、犯罪に加担させないためにも、
故人が関わったデジタル遺品をもれなく探し出すことが重要です」
と情報セキュリティーの専門家で『「デジタル遺品」が危ない そのパソコン遺して逝けますか?』(ポプラ新書)の著者、萩原栄幸さん。

パソコンやスマートフォンなどの端末、USBメモリーやSDカードなどの外部記憶媒体、
ネット上のクラウドなど、すべてを洗い出す必要がある。

しかし、パソコンやスマートフォンは、起動時にパスワードの入力が求められ、
これを解除できなければ、そもそも何も確認することはできない。
            

そうした場合のサービスが今、注目を集めている。

データ復旧などを手掛ける「データサルベージ」のデジタル遺品整理サービス「LxxE(ルクシー)」は、
故人が利用していたパソコンやスマホのパスワードの解除、アドレス帳の検索、写真の復元に加え、
故人の情報流出を防ぐためのデータの完全抹消やSNSなどのアカウントの削除も手掛ける。

5月のスタート以来、メディアに取り上げられることも多く、相談に訪れる遺族も増えたという。
中でも多いのが、写真の整理だ。

デジカメや携帯で撮影した家族が知らない写真を探したり、
故人の写真集から「家族が写っている写真」などを特定して、抽出したりといったことに対応する。

「亡くなった方の楽しそうな写真、笑顔の写真に救われるご遺族は多いのです」。
そう話すのは、データサルベージ社長の阿部勇人さん。

宮城県出身の阿部さんは、東日本大震災の際、津波で流されたパソコンやデジカメのデータ復旧に尽力。
阿部さん自身も親族を失い、故人の笑顔の写真に悲しみが癒やされたという。

「デジタル遺品の整理は、故人の尊厳を守ることと同時に、
遺族が死を受け入れ、前を向いて未来を生きるために、とても大切な作業なのです」(阿部さん)

技術的には、故人が削除したメールやネットの閲覧履歴の復旧も可能だ。
どんな交友関係があったのか、どんなサービスを利用していたかなどを知る手がかりになる。

解析したデータが証拠資料となれば、遺族による相続紛争の解決に役立つことも。
「ルクシー」は初回が5万円、その後は希望する内容によってさまざまだが、計15万~20万円程度のケースが多いという。
            

法的には、デジタル遺品はどのような扱いになるのか? 
弁護士の千葉直人さんによると「通常の遺品同様、原則的には遺族に相続されます」。

ただし、ここで立ちはだかるのが、第三者によるID・パスワードの不正な使用を禁止した「不正アクセス禁止法」。
「ID・パスワードを使用するサービスの利用契約を家族が相続すれば、
家族は第三者に当たらないと考える余地があります。

しかし、契約を相続できるのかは、約款や規約で規定されるべきことですが、
現段階では明記していないサービスが多いのが実情」と千葉弁護士。

パスワード解除サービスを提供している「ルクシー」でも、
法的な対処については弁護士と相談しながら進めていく考えだという。

また、パスワード解除などでデジタル遺品の内容を確認する場合、
相続人全員の了承を得た上で、開示することが重要だ。

「ネット銀行の口座など資産が見つかることがあり、
見つけた人が、ほかの相続人に報告せずに、勝手に自分のものにしてしまうケースも想定できるためです」(千葉弁護士)

萩原さんは、「デジタル遺品は目に見えないものだからこそ、きちんと整理しておくことが重要」とし、
「何を残し、何を伝え、何を処分するのか。
家族に知られたくないことは、墓場まで持っていく覚悟と責任を持つべきです」とアドバイスする。

思い残すことなく、あの世に行くためにも、家族を傷つけないためにも。
思い立ったが吉日。「デジタル終活」始めてみませんか?・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私が殆ど毎日、ブログの投稿文を綴っているが、家内は興味がなく、
好きな趣味事には熱心にパソコンに向かっているわ、と思っている程度であり、
もとより投稿文の内容も知らない。

或いはパソコンの『ドキュメント』にある私が収集している日本の近代史の出来事なども、
家内は興味がなく、無知である。

そして『ピクチャ』の写真に関しては、私は定年後の年金生活の中で、
殆ど毎日のように散策しているで、魅せられた情景をデジカメで撮ったりしているが、
私たち夫婦の旅行に行った写真だけは、後日に家内に話しかけて、家内は視る程度となっている。

我が家の家計簿に関しては、私たち夫婦は月初めに、
お互いに実態を把握するためにしているが、私はエクセルを活用して5表ばかり作成して、
これだけはお互いに共通認識して、微苦笑したりしている。

このような我が家として、デジタル機器を利用してきたので、
私が家内から見られてほしくない秘密データ、写真などもない。
            

ただ私が心配していることは、家内はパソンコのキーボードが苦手であり、
そのうちに覚えるわ・・と早や10数年が過ぎ、
私が予期せぬ出来事で死去した時、宛名ソフトを利用して、喪中はがきが作成できるか、
このようなことを思案したりした。

いずれにしても、私が近日中、家内にブログ、写真、家計簿など、
パソコン上で見る方法を生前遺言のように伝えることが必要だなぁ、と思ったりしている。

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好かれているジジイ、嫌われるジジイ、調査の結果を読み、年男のまもなく満72歳になる私は、微苦笑を重ねて・・。

2016-08-21 16:11:40 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
昼下がり、 ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見たりした。

こうした中で、 【 日本一好かれているジジイ調査 】と見出しされた記事があり、
どのような人なのょ・・と好奇心に負けて、クリックして精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年9月2日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』に配信されて、無断ながら転載させて頂く。

《・・日本一「好かれているジジイ」、そして「嫌われているジジイ」は、一体誰なのか・・・。

そんな興味から、本誌は「20代」から「60代以上」の5つの年代で、男女各200人ずつ、合計2000人に、
「65歳以上」の著名人で「好きな人」と「嫌いな人」の名前と、その理由を聞いた。
            

調査の結果、栄えある「好きなジジイ」の1位に輝いたのは『ビートたけし』(69歳)。
男女ともに最高得票で、世代を問わず幅広い支持を集めた。
芸人、映画監督、俳優、アーティストなどマルチな才能はもちろん、その人情味あふれる人柄が多くの人に受け入れられている。

「偉ぶらないし、誰にも媚びない。裏表がなく、1本スジが通っている」(男性・41歳・サービス業)
「照れながら“バカヤロー”って言う、あの感じが最高にカワイイです」(女性・21歳・大学生)

2位は、『ビートたけし』とともに「お笑いBIG3」の1人として芸能界に君臨する『タモリ』(70歳)。
20代、30代女性で1位と、若い女性からの人気が高い。

「立場のある人で博識なのに、上から目線じゃない。
『ブラタモリ』でも『Mステ』でも、若い女子アナに対する態度が優しい。
私も一緒に街を歩いてみたい」(女性・35歳・事務)

若者に対しても決して高圧的に接することがない「ふわふわした空気感」が人気の理由のようだ。

3、4位には、『長嶋茂雄』(80歳)、『王貞治』(76歳)の「ONコンビ」が堂々のランクイン。
栄光の巨人軍を支えた説明不要のレジェンドは、彼らの活躍を見続けた中高年から絶大な支持を受ける。

「子供の頃から憧れの存在。脳塞で倒れた後も、キャンプに積極的に足を運んで若い選手に指導する。
いくつになっても野球が好きなんだなと、その姿に感動する」(男性・53歳・自営業)

「王さんの魅力は、いつまでも紳士的なところ。
身だしなみもきちんとしていて、言葉遣いも丁寧で。
ウチの旦那も、ああだったらいいのに」(女性・61歳・主婦)
            

5位の『高田純次』(69歳)、6位の『加山雄三』(79歳)には、
テレビ朝日系の「○○散歩」シリーズに出演していた共通点があるが、
好かれる理由は真逆だ。

芸能評論家の城下尊之氏が考察する。
「高田さんは、適当な軽さで、一緒にいて楽しい身近な存在。
一方、加山さんは“永遠の若大将”で、50代以上の女性にとっては、いまもアイドル。
散歩番組での街の人との接し方も、『大名行列』然としていたが、むしろその変わらない“スター感”が良い」

『加山雄三』は60代以上の男女でともに2位。
今でもシニア男性の憧れなのだ。

意外にも(失礼!)女性からの支持を集めたのが、7位の『西田敏行』(68歳)だ。
『西田敏行』は男性票の2倍以上を女性から獲得している。
要因は「包容力」にある。

「決して二枚目ではないけれど、芝居が上手いのと、お茶目で可愛い。
映画『人生の約束』で演じた街のみんなを温かく見守る床屋のお父さん役にほっこりした」(36歳・女性・パート)

女性は『西田敏行』に「理想の父親」を求めているのだ。

10位の『舘ひろし』(66歳)が、20代女性から多くの票を集めたことは意外だった。
「新垣結衣ちゃんのパパ役で出ていたドラマでの姿が、チャーミングだった。
あんなお父さんが欲しい」(女性・28歳・薬剤師)・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は東京オリンピックが開催された1964年の秋に大学を中退して、映画・文学青年の真似事をして、
やがて敗退し、やむなく民間会社の中小業に35年近く奮戦して定年退職をした後、
多々の理由で年金生活を始めて、早や12年生の身となっている。

こうした敗退し挫折した経験、その後もつたないサラリーマン人生航路を歩んできた為か、
上記のような表面上は人生の勝利者のような著名人には、苦手意識がある。

こうした中で、『高田純次』さんに関しては、好感しているひとりである。

過日、家内が居間でテレビを視聴していた。
何かしらテレビ朝日の『じゅん散歩』という番組であったが、
私は近くにいたので、放送されている声が聴こえ、やがて私も番組を視聴した。

そして私は、『高田純次』さんのしぐさ、言葉、物事の見つめ方・・
このような何気ない感性と言動に瞬時に魅了された。

私は今年の9月に誕生日を迎えると72歳になる身であるが、
そして私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
      
このような私は、『高田純次』さんのこれまで多彩な人生航路を良き意味合いでコヤシにして、
発露されている言動に、瞬時に共感したりした。
            

《・・日本一「嫌われているジジイ」は、一体誰なのかを調査

「定年延長」はサラリーマンの世界だけの話では、ないようだ。
政界、財界、芸能界、どこでも「元気なジジイ」たちが、第一線で活躍している。
しかし老若男女に憧れられる存在がいる一方、「老害」「気色悪い」と疎んじられるジジイがいるのもまた事実だ。

そこで、本誌は日本一「嫌われているジジイ」を、「好かれているジジイ」と同一条件で調査。

「嫌われるジジイ」の1位は、辞任に追い込まれた『舛添要一』前都知事(67歳)。
「人として最低、最悪!」(女性・63歳・主婦)
「お金に汚く、セコすぎる。それでいて好色そうなのが、イヤ」(女性・34歳・営業)
と、スキャンダルそのものの重大さより、「セコさ」への嫌悪が、大勢を占めた。

2位は、東京五輪組織委員長を務める『森喜朗』元首相(79歳)。
政界に居座り、新国立競技場を「私物化」していると批判が集まった。

「知性とか謙虚さを、まるで感じないのに、“何様のつもり”と言いたくなる態度と発言。
あの不遜な笑い方が、生理的に無理」(女性・50歳・主婦)

『小泉純一郎』元首相(74歳)が「実行力」「業績」などに加えて「引退後も未練がましくない」(男性・43歳・財務)と
「好きなジジイ」の11位に輝いたのは、『森喜朗』とは対照的だ。

女性スキャンダルも影響が大きい。
都知事選出馬前はダンディーなルックスで、女性人気が高かったはずの『鳥越俊太郎』氏(76歳)は、不名誉な4位。
「ジャーナリストのくせに、自分のスキャンダルには逃げの姿勢。
情けないし、ずるいし気持ち悪い」(女性・20歳・大学生)

他には6位に、『張本勲』(76歳)、9位に『テリー伊藤』(66歳)と、情報番組のご意見番がランクイン。
理由は「偉そう」という声に尽きる。

「喝!」でお馴染みの『張本勲』には、こんな意見も。
「あなたが喝ですわ!と思う」(女性・40歳・主婦)

長年連れ添った妻には、つい甘えてしまいがちだが、『内田裕也』(76歳)が、
「奥さんを大事にしていない」(18位)、
『中尾彬』(74歳)に対しては「家来のように扱っている」(10位)と、女性は手厳しい。

人の振り見て、我が振り直せ。「嫌われるジジイ」にならぬよう、ぜひ反面教師にしていただきたい。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は「嫌われているジジイ」のそれぞれの御方の寸評を読みながら、苦笑を重ねたりした。
こうした中で、、『張本勲』さんだけは、過日のバンザイ発言は失態であるが、
これ以外は私はスポーツ音痴であるが、『張本勲』さんからは、テレビの番組などから多々学んだりしている。

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ブログの世界でも、私はシニア世代の十人十色のセカンドライフを多々学び、感謝を深めて・・。

2016-08-20 14:54:56 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業に勤める中、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
定年前の6年前の頃からリストラ烈風となり、やがて私もあえなく出向となり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起の35年近くのサラリーマン航路を過ごした。

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。
                               
年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。

そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。
            

こうした定年後の年金生活を始める中で、私はネットの世界に殆ど無知な癖に、ホームページの開設を思案したりしていた。
自身のこれからの日々の思い、或いは過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文で綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
                        
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの多岐な分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人(シロウト)の身としては、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
                                  

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年半が過ぎて、早や12年生となったりしている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                      
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
            

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。    
                                                                              
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは4年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは12年生となっている。
          
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省をしたりしてきた。
                                   

このように私は自身の投稿文も大切であるが、この間、数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりした。

たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、やがてその御方のブログの愛読者のひとりになってきた・・。
            
私のブログ上で左側には『ブックマーク』があり、私が愛読している御方・・50代~90代の諸兄諸姉を
《★下記のブログサイト★ご当人様のご承諾も得ずに、掲載させて頂く・・》と明示し、
未掲載の御方も10数名いる。
            

ここ10数年、特に私よりご年配の投稿文を読ませて頂く中、古稀と称した70歳を迎えると、
或いは75歳の後期高齢者になると、そして80代を迎えると・・
私は年上の御方の投稿文を見上げるように読み、多々教示されて過ごしたりしてきた。

私は高齢者に入門した65歳の頃、作家・渡辺淳一さんが何か随筆で、
その年にならなければ、解らないょ、
このような意味合いの言葉を学んできたので、齢を重ねるたびに気付かされて、
人生体験が豊富なご年配の投稿文を深く読ませて頂いている。

このように私は、ブログの世界でも、シニア世代の十人十色のセカンドライフを多々学び、
私が偶然に魅了されて、長らく愛読している御方には、お逢いしたことがないけれど、感謝を深めたりしている。

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金があるか、ないかで決まる『死に方』格差の時代、気弱な高齢者の私は、溜息を重ねて動顛し・・。

2016-08-19 14:20:59 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
今朝、配達された読売新聞の朝刊を読んでいる中、27面の最下段に、
週刊誌の発売に伴う広告が掲載されていた。

私はぼんやりと見出しを読むと、
【 金があるか、ないかで決まる「死に方」格差
        待機児童より深刻な「たらい回し老人」が激増中!
            「月15万円」を払えない「待機老人」は死に場所すら見つけられない 】
と読んだりし、裕福でない高齢者の私は、溜息を重ねて動顛したりした・・。

この広告は、『週刊ポスト』の2016年9月2日号と判ったので、
現役サラリーマン時代は、素早く業務に取り組んでいた私の習性から、
ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を検索した。

やがて【 待機児童より深刻 行き場を失った待機老人問題 】と見出しを見て、
こっそりと読んでしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年9月2日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、2016年8月19日に配信された記事であり、
無断であるが転載させて頂く。
            

《・・2年前に妻に先立たれ、都内で一人暮らしをしていた75歳の男性Aさんは
昨年夏に風呂場で転倒し、右の大腿骨頸部を骨折した。

最寄りの総合病院に入院したAさんだが、手術後、症状が安定すると、退院を迫られた。

リハビリの必要があるため「介護老人保健施設(老健)」に入所。
しかし3か月経つと、“これ以上、施設は利用できない”と告げられた。
足下にはまだ不安があり、また転倒するリスクを考えると、一人暮らしに戻れる自信がない。

入居できる施設を探そうにも、施設サービス費と居住費・食費などを合わせて
月7万円ほどで、利用できる多床室型の「特別養護老人ホーム(特養)」は、
どこも順番待ちで、いつ空きが出るかわからない。

リハビリのための「介護老人保健施設(老健)」には、月9万円ほどで入れたのに対し、
民間の「有料老人ホーム」は、月20万円以上のところばかり。
月12万円の年金で暮らすAさんには、手が出ない・・。

そんなふうにして、行き場を失う高齢者が増えている。
            

高齢者介護施設に詳しい経営コンサルタント・濱田孝一氏が説明する。
「骨折などをきっかけにした入院が長引くと、体力や認知能力が一気に落ちてしまうことがよくあります。
そうなると在宅で過ごすのは難しくなりますが、いきなり必要になった施設の入居費用が工面できずに
苦労するケースが多いのです」

比較的少ない負担で長期利用が可能な「特別養護老人ホーム(特養)」は、
社会福祉法人や地方自治体などが運営する公的な介護施設で、多額の公的補助が投入されるため、施設も充実している。
ただ、そうした特養に入りたくても入れないのが「待機老人」だ。

厚労省の最新の発表では、全国の特養への入所申込者は約52万人にのぼる(2014年3月発表)。
同省が約2万人と公表する待機児童の数より、はるかに多い数字だが、
NPO法人・社会保障経済研究所代表の石川和男氏は、待機老人の数はもっと多いはずだと指摘する。

「厚労省のいう52万人は、“申し込みをしたのに入居できなかった人”の数です。
問い合わせだけして諦めた人や、最初から入居は無理と諦めた人は、数字に含まれていない。

介護が必要となり、自治体に申請を出して、要介護認定を受けた65歳以上の人は約620万人いますが、
そのうち在宅サービスも施設サービスも受けられていない人が100万人近くいます。

その多くは、特養のような施設の空きを待っていると考えられます。
潜在的な待機老人の数は、役所の発表する数字どころではないのです」・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                                           
                       
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

もとより70代、80代の私より年上の御方でも、心身溌剌と過ごされている方達も、
近所にいる御方、知人に多くいることも、私は知って、少しでも学ぼうとしている。
            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
                         

厚生労働省は、2013年の健康寿命は、男性71.2歳、女性74.2歳、
そして平均寿命との差は男性は約9年、女性は約12年、と公表されているが、
人生の晩秋期は、体調の不安を秘めながら過ごされている、と私は先輩、知人から教えられている。

私より少し年下の団塊世代の方達は、まもなく70代を迎えるが、
やがて不幸にして一部の御方は、介護を必要とするようになり、何らかの介護付き施設に入居する可能性があり、
今回の記事のように、待機老人が加速されるように増大すると、裕福でない私は思い馳せたりすると、涙を浮かべたりしている。

そして65歳以上の高齢者は、無念ながら金があるか、ないかで決まる『死に方』格差の時代が、
到来していると思い重ねたりしている。

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誰もが願う「ピンピンコロリ」に伴うパワースポット巡り、初めて高齢者の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2016-08-18 14:50:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を尊重している。

私たち夫婦は、子供もいないので介護などは頼れる人はいなく、
いつの日にか介護を要する身となった時は、介護施設に入居するか、或いは自宅でするか、
漠然としながらも思案し、ときおり私たち夫婦は話し合ったりしている。
        
ここ数年、私が何よりも恐れていることは、認知症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで認知症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が認知症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。

或いは逆に家内は認知症となり、私が看病する場合も同様である。

認知症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
                                     
このような私の思いから、認知症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
                        

過ぎし6年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
      
そして、いつものように木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。

この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったりしたのである。
                                                           
或いはいつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。

そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。

このような終末期を私は思いめぐらしてきた・・。
            

先程、ときおり愛読しているネットの『NIKKEI STYLE』を見ている中、
【 高齢者、パワースポット巡り
        誰もが願う「ピンピンコロリ」 130万人のピリオド 】と見出しを見て、
パワースポット巡り・・なって知らなかったょ、と思いながら、好奇心に負けて読んだりした・・。

この記事の原文は、『日本経済新聞』2016年8月1日の夕刊に掲載された記事のひとつで、
編集委員の石塚由紀夫さんが記載され、『NIKKEI STYLE 』に配信されていたが、
無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・病に伏せることなく、亡くなる直前まで、元気で過ごしたい。
誰もが願う逝き方だ。

理想の最期をかなえるために「ピンピンコロリ」の御利益がある全国各地のパワースポットが、
高齢者の人気を集めている。
            

長患いによる苦しみから逃れたいだけでなく、
家族ら身内に迷惑をかけまいとする気遣いも、うかがえる。

「毎月1度は、必ず拝みに来るよ」。
長野県の山本邦夫さん(71歳)は笑顔で話し、ぴんころ地蔵尊(長野県佐久市)の前で、手を合わせた。

数年前から、友人と2人で始めた習慣だ。
妻と2人の子どもと4人暮らし。年相応に耳は遠くなったが、それ以外は特に悪いところもない。
「でも、70歳を超えると、いつどうなるか自分でも分からない。
できれば妻や子どもに、迷惑をかけずに死にたい」と言葉をつなぐ。


日本一平均寿命が、長い長野県。その中でも佐久市はトップクラスの長寿を誇る。
『ぴんころ地蔵尊』は、その御利益を多くの人と分かち合おうと、地元商店街有志が2003年に建立した。

昨年の参拝者は、過去最多の約15万人に上った。
有志の一人、市川章人さん(66歳)は「つくるときに仲間と冗談半分で『年間5万人』の目標を立てた。
今は全国から高齢者がやってくる。
まさかここまで人気を呼ぶとは。我々の方がビックリしている」と話す。

お地蔵さんは、朗らかな笑顔で高齢者を出迎える。
群馬県から来たという80代の4人グループは「この年になると、あちこちガタがくる。健康なのは、口だけ」
「やっぱりピンピンコロリが、いいね」と楽しそうに語り合う。
            

日本人の平均寿命は、男女とも80歳を超え、世界でも有数の長寿国だ。
天寿を全うするまで、元気で健康に過ごす高齢者は、限られる。
食べ物や体力づくりに気をつけても、将来は分からない。
そこでピンピンコロリを神仏に願う。

『安倍文殊院』(奈良県桜井市)は、「ぼけ封じ」の御利益で知られる。
本尊の文殊菩薩(ぼさつ)は、知恵を授ける仏様。

そこから派生して1984年に、ぼけ封じ祈願を始めた。
植田俊応貫首は「『せっかく長生きするなら、ぼけずに長生きしたい』といった参拝者の声に応えた」と説明する。

645年創建という日本でも有数の古刹。
もともと参拝者は多かったが、今は認知症予防のために、多くの高齢者がやってくる。
            

◇「ピンピンコロリ」御利益スポット◇

『会津ころり三観音』(福島県)
     弘安寺(中田観音)、恵隆寺(立木観音)、如法寺(鳥追観音)の3寺を回ると「ころり」と大往生できる

『ぴんころ地蔵尊』(長野県佐久市)
     成田山薬師寺参道に鎮座。日本有数の長寿の里・佐久市を記念し建立

『ぼけ封じ近畿十楽観音霊場』(京都、大阪、兵庫、滋賀)
     今熊野観音寺(京都市)や総持寺(大阪府茨木市)など十カ寺で構成。認知症予防に。

『吉田寺』(奈良県斑鳩町)
     通称ぽっくり寺。9月1日の大法要には古くから高齢者が集まった

『大和ぼけ封じ霊場』(奈良県)
     安倍文殊院(桜井市)と、おふさ観音(橿原市)で構成。2つを結ぶ道は「長寿道」と呼ばれる

『嫁いらず観音院』(岡山県井原市)
     嫁の手を煩わせることなく、安らかに往生できると伝わる。8月は17日を除き、閉門
            

『吉田寺』(奈良県斑鳩町)は、通称「ぽっくり寺」。
仏教書「往生要集」をまとめた恵心僧都(源信)が、987年に創建した。
病に伏せた老母に、源信が浄衣を着せると、老母は苦しみもなく、安らかに臨終したという伝説が残る。
これにあやかり、安楽往生の御利益があると古くからいわれている。

奈良県内では、諸々の病気を取り除く『おふさ観音』(橿原市)も人気スポット。

旅行ツアーを企画・運営するクラブツーリーズム(東京都新宿区)は、
『吉田寺』と『安倍文殊院』、『おふさ観音』を1日で回るバスツアーを、大阪発着で実施している。
昨年は年20回の運行だったが、今年は年30回に増やす。「終活ブームなどを追い風に、参加希望者が一段と増えた」(運営担当者)

『吉田寺』の山中真悦住職は、この寺で生まれ育ち、参拝者を長年見てきた。
「昔に比べれば、医療技術が進歩し、仏様にすがろうと切なる信仰心を示す参拝者は減ってきた。
家族や仲間と気軽に参拝する姿が目立つ」と話す。

半面、少子高齢社会の厳しい側面も垣間見る。
「親を見取った後、自分の行く末を心配する独身者。
老親介護でつらい経験をしたので、我が子には同じ思いをさせたくないと強く願う人。
『ポックリ死にたい』は、人間の普遍的な願いなのだろう」と山中住職は指摘する。
            

☆前向きな心、維持を

厚生労働省は、日常生活に制限がない期間を健康寿命と定義し、算出している。
2013年の健康寿命は、男性71.2歳、女性74.2歳。
平均寿命との差をみると男性は約9年、女性は約12年、何らかの不調を抱えながら最晩年を送っている状況だ。

最期まで元気に過ごすには、体力づくりが欠かせない。
ただ「病は気から」といわれるように、心の持ちようも重要だ。

東京都健康長寿医療センター(東京都板橋区)高齢者健康増進事業支援室の大渕修一研究部長らの研究によると、
「(自分は)健康ではない」と思っている高齢者は、「とても健康だ」とする高齢者と比べて、
要介護の発生確率が約70倍も高くなるという。

「同程度の衰えであっても、それをどうとらえるか、個人の主観が心身の健康を左右する。
地域や家庭で役割を持ち、日々に張り合いを持って過ごすことも、ピンピンコロリにつながる」
と大渕氏は助言する。・・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私たち夫婦は、大病に遭遇せずに、いつの日にか、苦しまずに安らかに、逝きたいと願っている。

しかしながら、私は数年前に「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。

がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、
救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、苦笑したりした。
          
そして『急性心筋梗塞』の場合は、《“バットで思い切り、胸を叩かれた感じ”、
“熱した鉄棒を、左胸のあたりに、突き刺されたみたいだった”と口にしていた。
・・手足をバタつかせて、もがきながら、救急車内で搬送中に、心肺停止するケースもありました」・・》
と最近に学び、動顛しながら勘弁してほしい、と瞬時に思ったりしてきた。
            

私は小心者であり、せめて終末期は痛くないように眠るように、この世にサヨナラを願っているが、
こればかりは神様か仏様の采配に寄る世界であるので、果たして・・と思いながらクヨクヨせずに、
前向きのブラス思考で過ごし、人生は気合だ、と心の中で呟(つぶや)きながら、ひたすら歩いたりしている。

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老化の“3大要因”と“老けない体”のつくり方、遅ればせながら私は学び、何よりの朗報と微笑み・・。

2016-08-17 16:18:57 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の年男のまもなく満72歳になる身であるが、
本日もいつもように平素の買物で、今回は最寄のスーパーで買物メール老ボーイの責務を終えた後、
この後、いつもように独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを目指して歩いたりするが、
本日も燦々と陽射しが照す35度前後の猛暑となり、熱中症が怖くて、近廻りして帰宅した。
           
やがて昼食後、居間のクーラーの冷気に身をゆだねたりして、
ときおり愛読しているネットの『PRESIDENT 』を見ている中で、
【 老化の“3大要因”と“老けない体”のつくり方 】と見出しを見て、
体力の衰えを実感している私は、どのようなことですか、と思いながらクリックして読んだりした。

この記事の原文は、『PRESIDENT 』の昨年の2015年11月2日号に掲載された記事のひとつで、
雑誌エディター/ライターの川口昌人(かわぐち・まさと)さんの寄稿文であり、
『PRESIDENT 』の基幹サイトに2016年6月12日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・老後のさまざまな生活設計も、すべては健康であってこそ。
そして、働き盛りのあなたの体の中でも、すでに老化現象は始まっている。
最新の科学的知見に基づいた、今日から始めるアンチエイジング習慣。
            

☆今から努力すれば、老化の進行は止められる

長生きするのもいいけれど、できればお迎えがくる直前まで、元気に活動できる体でいたいもの。
介護を受けたり寝たきりになったりせずに、日常生活を送れる年月のことを、「健康寿命」と呼ぶ。

厚生労働省の2013年の統計によれば、日本人の健康寿命は男性が71.19歳、女性が74.21歳。
平均寿命との差は、それぞれ9.02年と12.4年ある。

具体的にどうすれば、長く元気に生活できるのか。
そもそも、老いという現象を自分でコントロールできるのか。

できる、というのは、日本におけるアンチエイジング医療の草分け、満尾正医師だ。
「老化そのものは、実は20代から始まっています。
そのなかには老眼や薄毛など、努力では止めにくい現象もありますが、
ちょっとした注意や努力で進行を抑制できる部分も大きいんです」。

「40代から60代までの間に体を整え、70代以降はそのおつりで生きていくことを目指しましょう」
と言うのは、日本抗加齢医学会の正会員でもある管理栄養士の堀知佐子氏。

健康運動指導士の菅野隆氏は、
「運動や歩行に問題が出る年齢より前に、筋力トレーニングを習慣化しておくことが必要です」と助言する。

この3人の専門家に、健康寿命を延ばす方法を尋ねてみた。

まずは、満尾正医師に、老化の大きな要因と対策を聞いた。
            

☆老化のしくみを理解し、生活を見直せば、「老けない体」をつくることは可能

健康寿命を損なう病気には、心臓病、脳血管障害、糖尿病、骨粗しょう症など、さまざまなものがあります。
とくに糖尿病は、他の生活習慣病やガン、認知症の発症リスクも高める怖い病気です。
こうした病気の多くは、加齢に伴う身体の「老化」が原因で起きてきます。

老化の進行要因は、以下の3つです。

(1)活性酸素による酸化
       人体は外部から取り込んだ糖質や脂質を酸素と反応させ、エネルギーを取り出しています。
       このとき発生する活性酸素が、細胞を構成する脂質などを傷つけ、「体のさび」が徐々に進行します。
       活性酸素を無害化する酵素も、加齢とともに減少します。

(2)タンパク質の糖化
       生きるために必要なエネルギー源である糖が、体を構成する主成分であるタンパク質を変化させます。
       その結果、細胞や酵素などの働きが悪くなり、体の機能低下につながります。

(3)ホルモン分泌の変化
       若さを保ち、免疫力を維持するDHEA、筋肉量や筋力の維持に関わる男性ホルモン(女性の体内にもあります)、
       睡眠に関係するホルモン(メラトニン、セロトニン)の分泌が、
       ストレスが原因で下がり気味になり、さまざまな不具合が生じます。
            

とはいえ、これらの現象は、日ごろの生活習慣を見直すことで、かなり進行を遅らせることができます。
たとえば、活性酸素による酸化は、抗酸化物質や、SODの材料となるタンパク質や亜鉛を含む食材を意識してとること、
喫煙や暴飲暴食、激しすぎる運動を避けることなどで抑制できます。

糖化の予防には、糖質の多い食材を控えめにすること、
タレを付けて焼いた肉の焦げ目など糖とタンパク質が高温で結びついてできるAGEs(最終糖化産物)の摂取を控えること、
体の満腹サインを受け取れるようゆっくり食事すること、の3点を心がけてください。

ホルモンレベルの維持には、質のいい睡眠の確保が重要です。
人の脳や体は、眠っている間にホルモンの力でメンテナンスされるしくみになっているからです。

どんなに遅くとも夜12時前、できれば11時前には床につくことが望ましいです。
ストレス対策は暴飲暴食ではなく、軽い運動で。
DHEAはサプリメントで補充することも検討してください。

働き盛り世代の老化信号は、体重に出ます。
最近急に体重が増えた方は、とくに注意してください。
BMI(※)が25を超えると、糖尿病をはじめとする生活習慣病のリスクが大きく高まります。

※BMI=ボディマス指数。体重(kg)を身長(m)の2乗で割ったもの。
            

☆知っておきたい老化の3大要因およびその対策

老化のメカニズムが科学的に解明されるにつれ、それを抑制する方法も明らかに。
止められない現象とあきらめず、日々の注意と努力の積み重ねで健康寿命を延ばそう!

[1]活性酸素による酸化
       体内でエネルギーをつくるときに発生する活性酸素が、細胞を傷つける。
       対策:食事の改善。喫煙や暴飲暴食など、体内の活性酸素を増やす習慣を改める。

[2]タンパク質の糖化
       体内のタンパク質が糖によって変化し、細胞や酵素などの働きが悪くなる。
       対策:糖質をとりすぎない。早食いは避ける。AGEsの摂取を控える。

[3]ホルモン分泌の変化
       ストレスが原因で、「若返りホルモン」DHEAや男性ホルモンなどの分泌が減る。
       対策:ストレスを極力避ける。できれば11時前には寝る。睡眠時間は7時間がベスト。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は「40代から60代までの間に体を整え、70代以降はそのおつりで生きていくことを目指しましょう」と読んだ時、
中高年向きの記事かしら、と思いながら、少し遅かったかしらと思ったりしたが、
私は社会人として正社員として勤め始めたのは25歳、結婚できたのも31歳だったし、何かと遅ればせな人生航路だったので、
何かとプラス思考の私は、今からでも遅くない、と多々教示されたりした。

私は過ぎし2010年(平成22年)の秋に、私は健康診断の結果、糖尿病と診断され、青色吐息となり果て、
内科の医師の指導、家内は野菜を多くした料理、そして私はウォーキングをほぼ毎日したりした。

そして翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、
悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はすべて優等生となった。

こうした体験のある私は、原則として殆ど毎日、平素の買物の責務を果たしたり、
そして帰宅後も、独りで自宅から3キロ以内の住宅街、遊歩道、公園をひたすら歩き廻ったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として思い、過ごしている。
            

私は今年の9月に誕生日を迎えると72歳になる身であるが、
そして私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
      
やがていつの日にか、70代か80代か解らないけれど、晩年期が到来した時、
安らかに、逝きたいと願ったりしている。

そして男性の健康寿命は71歳、そして平均寿命は80歳と知り、こればかりは自助努力も肝要であるが、
神様か仏様の采配に寄る世界であるので、果たして・・と思いながらクヨクヨせずに、
前向きのブラス思考で過ごしているが昨今となっている。


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