夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

第二の人生を楽しく過ごす秘訣は、ただひとつ、と私は深めて・・。

2014-09-26 14:20:41 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
まもなく誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、早や実質として年金生活は丸10年が過ぎている。

こうした中で、第二の人生と称せられる年金生活を過ごしてきた中、
この残された長い人生を楽しく享受できる秘訣は、ただひとつかしら、と微笑んだりしている。

多くの殆どの方は70代となれば、体力の衰えを実感して、
75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では、何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。
           

そして心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命を保った後に、
悩ましい介護・要か大病などを得て、平均寿命まで長い困苦する時期がある。

最近の厚生労働省から、あくまで平均であるが、下記のように公表されている。
男性・・健康寿命(70。42歳)・・・平均寿命(79。55歳)・・・この間の期間(9。13歳)
女性・・健康寿命(73。62歳)・・・平均寿命(86.30歳)・・・この間の期間(12。68歳)

そして、この悩ましい期間はそれぞれの方は、どのように過ごされるか、
中には稀に心身ともに自立し、溌剌と長寿をされる方もいる。

或いは人生設計が大幅に変貌して、不幸に『3B』と称せられる『ぼっち(孤独)』、『貧乏』、『ボケ(認知症)』、
に苦難されるかも知れない。
          

確かに日本の現状として、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
         
その上、経済は都心の一部は活性化しているが、地方は未(いま)だに低迷している現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
        

こうした中で、公的年金制度は現役世代の納める保険料で、その時の高齢者に年金を支払う仕組みであり、
支え手の現役世代が減り、支えられる側の高齢者が増える少子高齢化は、年金財政に大きな影響を与えている。

そして年金の水準を先に決め、それに必要な保険料を集める仕組みの下では、
少子高齢化が進むと保険料が上昇し、現役世代の負担が重くなり過ぎてしまう悩ましい最大の難題となっている。。

もとより政府は、借金に頼らず税収で賄える国と地方の基礎的財政収支を2020年度に黒字化し、
借金が膨らみ続けている長年の流れに歯止めをかけようとしているが、
最大の脅威は社会保障費の増大、と的言している。

そして毎年1兆円規模で増える医療や介護、年金などの支出で、
保険料(64.1兆円)があるが、年金(56.0兆円)、医療(37.0兆円)、介護・福祉その他(22.2兆円)(うち介護は9.5兆円)、
総計の給付費として115.2兆円、と2014年度の予算ベースとなっている。
          

          
過ぎし日に麻生財務相が記者会見で発言され、
『世界に冠たる皆保険と言うが、保険料だけで給付を賄いきれていない。
公費負担に4割を依存としており、給付と負担をバランスさせなければならない』と明言されたりしていた。

もとよりこうした背景には、今後の2025年までに『団塊の世代』が75歳以上となり、
社会保障給付の増大が財政の健全性に脅威となり続ける、と警鐘している。
          
           

こうした難題が山積する中、働いて下さる現役の諸兄諸姉はもとより、
高齢者の殆どの多くの人たちは、どのようになるの、と不安げに感じる方も多いと思われる。


我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした山積する難題、そして私たちの健康などを漠然と思案したりする時は、
プラス思考、が解決の早道であり、そして第二の人生を楽しく過ごす秘訣と思っている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ定年退職した直後から、10年近く毎日ブログの投稿文を書くのか、と我ながら微苦笑して・・。【下】

2014-09-25 18:56:03 | 定年後の思い
しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったりした。
このことは私の人格さえも問題視されることで、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては、綴れなかったことがある。

たとえば、皇室の問題であり、天皇陛下、皇后陛下は限りなく敬愛しているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻に憂うことも感じたりしている。

或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近くの中で、秘めたる事柄は、
守秘義務もないが、退職後の10年生となった今でも、心の礼節として綴れない。

そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。
          

         
私はこのサイトに於いて、政治、経済、軍事、社会を含めて、
専門知識のない感情だけで吐露(とろ)し、独断と偏見で、直球とかカープで余すことなく
筆力が乏しいまま発露してきたこともあったが、
ここ3年ぐらいは反省をまじえて減少しているが、ときおり余りにも心の節度が欠けた事件に、
いたたまれず投稿する時もある。

        
         
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは2年近く前から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは10年近くが過ぎている。

          
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
                    
       

こうした中で、数多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしている。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られたそのお方の人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深め教示されている。

このように読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりする時もあり、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら年金生活を過ごしたりしている。

          
       
或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、単なる絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊(ことだま)を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。

          
こうした中、数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、ときおり
そのお方にコメントをしたりしている。
               
      
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
秘かに感謝したりしている。

そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
何よりも数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、
私は人生の励ましを感じたり、ときには微笑んだりして過ごせてきたので、改めて感謝している。
          


こうした中で、数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人からの便りを受けたりしてきた・・。

私の長き人生に於いても、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。

そして70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、果たして認知症にかからず、
心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命を保ちながら、
ブログの投稿文が続けられるかは未定であるが、出来る限り投稿文を重ねて生きていたい、と念願している。
          

余談であるが、私は半年の前の頃、認知症専門医の長谷川嘉哉・医学博士の寄稿文のひとつには、
《・・(略)・・「ずっと脳に与えられてきた刺激が突然途絶えるのも、認知症のトリガー(注・要因)になります。(略)
かように、脳は絶え間ない刺激を求めている。・・(略)・・

読書や映画観賞によっても扁桃核は刺激されますが、重要なのはその刺激をアウトプットすること。
感想を人に話すのもいいですが、ブログに書くのはさらに効果的。

ブログを書くことの利点は、次なるネタ探しのためにインプット用のアンテナが立つことで、
このスパイラルが脳に効くんです。
ツイッターでさらっと流すだけでは、こうはいきませんよ・・(略)・・」》
          
このような《ブログを書くことの利点》を学び、ブログを書き続ければ認知症になりづらい、
と私は解釈して、微笑んだりしてきている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ
 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ定年退職した直後から、10年近く毎日ブログの投稿文を書くのか、と我ながら微苦笑して・・。【上】

2014-09-25 11:11:39 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由により年金生活を始めて、まもなく10年となる中、古希と称される70歳を迎える身である。
          
        

私は定年退職した時、この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

          
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、専門知識がない私でも、政治、経済、社会などの難題を私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
        

そして私は、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、ほぼ9年半が過ぎている。

      
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
          

  
 
   
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          

私は心の思いの表現手段としては、文章で綴ることもひとつと思い、
ブログの世界を知る前に日記形式で綴っていた時もあったしたが、日々継続できず、
きまぐれに綴っていた時期があったりした・・。

若き20代の頃は、原稿用紙のように升目のある分厚い日記帳、
その後は原稿用紙のノート型で綴ったりしていたが、いずれも手書きであった。

やがて40代の頃からは、自宅に備えたワープロで入力し、フロッピー・ディスクに記憶させたりしていた。

これ以前として、私が初めてパソコンを購入したのは、 確か1983年(昭和58年)の頃であったと思われ、
NECのPC8801だったと記憶している。
そしてベーシック言語でプロクラムを書いたりして、この当時はネットの世界が一般の方に普及していなく、
独学の勉強のひとつとして、新古今和歌集を入力したりしていた。

         
やがて1998年〈平成10年〉夏に、会社と自宅で使う為にパソコンを買い改めたりした。
ノートパソコンで『ウィンドウズ 98』の基本ソフトであり、この当時は付属の記憶装置はフロッピーであった。
そして自宅の居間で、表計算ソフトを活用して、会社の資料を作ったり、
或いは『日記』専用のソフトを買い求めて、私自身の日記を書いたりしていた。
                    

しかしながらこの『日記』専用のソフトは、ハードディスクに記憶されて、
無念ながらバックアップの方法は、私は無知であった。
          
こうして3年過ぎた頃、このノートパソコンのハードディスクが壊れて、
修理に出したが、無念ながら修整不能となり、やむなく新品のハード・ディスクに交換した。

この間、私は過ぎ去った日々の思いの散文が消え去ってしまったことに、茫然とした・・。
あの日のあの時の思いを真摯に綴ってきたのに、どうしてくれるのょ、と自身に対して、じくたる思いであったりした。

          
もとより私はハードディスクは故障することもある、と知ったりしていたが、
まさか我が身のノートパソコンが・・と思いで、後悔を重ねたりした。

         
こうした苦い私の出来事があり、インターネットの中に於いてのブログの世界は、
私が数多くの投稿文を重ねても、プログを管理して下さる処理先のサーバーで記憶しているので、
たとえ私のパソコンを買い替えても、投稿文の先のサーバーで保管されているので、簡単に復旧でき安心である。

しかし年に数度は、ネットの世界は不可解な出来事もあり、
プログ管理側のサーバーが万一故障し、修整不能となった場合に備えて、
私は加入ている【gooブログ】のバックアップ機能を活用し、バックアップをしたりしている。

こうした心情の根底には、10数年前に『日記』専用ソフトが消えてしまった苦い体験から、
保険代わりに実施したりしている。
          
         

私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。

従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
          
しかし誰しも、この人生を歩み中は光と影を有しているので、つたない私でも光と影があり、
特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。

たとえば、私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、
私たち五人の子供は成人したこと。

又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる薬物を飲み自裁して、自室で亡くなったこと。

そして私自身の場合は、大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、やがて敗退したことや、
定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。

このように私はこれまでの人生の歩みの中、心のわだかまりを吐露(とろ)しなければ、
この先の人生を生きて行くことはできない、と思い発露してきたのである。

こうした私なりに屈折した出来事を余すことなく投稿してきたが、
小心者の私としては匿名であることで、初めて発露できたことである。
          
          

このような心のうめきごとは、リアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。

小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションとして読者は受け止めることができるので、
ブログの匿名で公開する内容も、ある意味合いに於いては同じかしら、と思ったりしている。

このような理由も重ねて、私はここ7年、発信名は『夢逢人』と命名したのである。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。
             
                                 《つづく》

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳を若く保つには運動、食事、レジャーが重要、そして温泉や読書も大切と学び、微苦笑させられて・・。

2014-09-24 14:58:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。
                     

先程、私はネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中で、
《 脳を若く保つには運動、食事、レジャーが重要 温泉や読書も 》
と見出しを見て、どういうことなのょ、と思いながらクリックした。

そしてこの記事は女性専用誌の週刊誌の『女性セブン』の10月2日号に掲載された記事ひとつ
と解り、少しためらったりしたが、何よりも知らないことは謙虚に学ぶことをモットーに生きてきた私は、
精読して多々教示されたりした。

そして関連の【NEWS ポストセブン 】から 9月24日(水)7時に配信された記事であり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・高齢化社会の日本にとって、認知症予防は重要な問題だ。
できるだけ、脳年齢を若く保つためのトレーニングをする必要もある。

アメリカ国立衛生研究所(NIH)は、頭の働き(認知機能)の低下を予防するためには、
頭をしっかり使うだけではなく、運動や食事、レジャーも欠かせない大切な要素だとしている。

諏訪東京理科大学教授・篠原菊紀さんはこう話す。
「有効な運動は、有酸素運動や筋トレです。
ウオーキング、ジョギング、サイクリングなど、気軽にできるものから取り入れましょう。

食事は、野菜や青魚を中心に鶏肉、くだもの、木の実などをオリーブオイルで調理する“地中海食”をすすめています。
伝統の日本食にオリーブオイルをプラスと考えたらいいでしょう。
なお、青魚はDHAやEPAといったオメガ3脂肪酸を豊富に含み、生活習慣病を防ぎ、
脳の活性化をはかり、記憶力をアップする効果が期待できます。

レジャーといえば、旅行やハイキングなど、何か特別な行事と考えがちですが、
心から楽しみリラックスできるのであれば、家にいてするゲームでも、本を読むのでも、
温泉でぼーっとするのでも何でもいいんです。

脳を若々しく保つためには、定期的にほどよい運動をし、バランスのいい食事と趣味を楽しみ、
そして、脳をしっかり鍛えることが大切です」・・》
注)記事の原文にあえて改行をした。
          

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で直ちに年金生活に入り、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
          

私はこれまでの60代の10年の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、糖尿病と診断され、
翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。

この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私はウォーキングをほぼ毎日し、汗をかきながら最低30分は歩き廻ったりした。

やがて翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に3週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となった。

この後は、4週間毎に定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
        
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。

こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
          

我が家の朝食は、私は五穀米が入った白米のご飯、ワカメの味噌汁、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、
海苔(ノリ)、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰などを食べたりしている。

こうした理由として、幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』が、
何かと心身の波長に合うのであるので、頂いたりしている。

そして家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、コーヒーを飲みながら頂いたりしている。

昼食は蕎麦(そば)或いは素麺(そうめん)が多いが、
私はフランスパンを三分の一を食べることもあり、家内はケーキのような菓子パンを食べたりする時もある。

そして夕食は、牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など、その日に応じて、
家内が料理して頂いたりしていることが多い。

          
こうした中で、朝食と夕食の前に私は、大皿にキャベツを中心の前菜を欠かせなくなっている。
普通サイズキャベツを四分の一ぐらい千切りし、
その脇にセロリ、トマト、ニンジン、キュウリなどの季節物を大皿に盛り合わせて、家内がしてくれる。
そして婦女子の野菜の盛り合わせの量からは、少なくとも4人前ぐらいかしら、と私は思いながら頂いている・・。

こうした根底には、私は幼年期に農家の児として育ち、その上に遠い30年前の頃に、
今は亡き俳優の森繁久弥さんが、胃腸薬のキャベジンの宣伝に出演していたので、
キャベツの多大な効力を信愛してきたので、こよなくキャベツは盛大に頂いている。

このような思いから、我が家は栄養不足はなく、過ぎし初夏の時節の頃からでも、
我が家は食欲がないことは死語となっているが、
今回の記事で指摘された青魚は、我が家として少ないと私は苦笑したりした。
          
          
レジャーに関しては、私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、新婚時代から幾たびか旅路を重ねてきた。

現役サラリーマン時代は、殆ど2泊3日ぐらいの日程であったが、
年金生活を始めると日程の制約から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなっている。

こうした中で家内は源泉かけ流しの温泉を要望され、
私たちは観光ホテルなどに滞在して、周辺の山里、遊歩道、街並みの中をひたすら歩き、遊学したりしてきた。

そして観光ホテルに帰館すれば、心身共に解放感が満たされる露天風呂、大浴場に入り、
享受したりしてきた。
そして早朝、夕食前など時に広い露天風呂などで、たったひとり身を預けたりすると、
更に心も身も解放された上、四季折々の中のひととき景観を観ながら、圧倒的に充たされたりしてきた。
          

私は定年後の年金生活を始めた当初から、自主的に日常の買物の専任者となり、
家内から依頼された品を求めて、殆ど毎日行ったりしている。

最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりしていることが多い。
          
この後の居間で過ごしたりすることが多く、
随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読んだりしている。

或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を居間で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。
          

私の定年退職までの半生は何かと悪戦苦闘が多かったが、
このように60代の年金生活10年間は、長き人生の中で、一番良き時期を過ごし享受してきたと思いながら、
今回の記事、脳を若く保つには運動、食事、レジャーが重要、そして温泉や読書も大切、
と学び、そうですよねぇ、と共感し、微苦笑したりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋日和の中、私たち夫婦は恒例のように、お墓参りを重ねて・・。

2014-09-23 14:35:31 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であり、
今朝、さわやかな15度前後の快晴の朝を迎えて、
やはり寒さ暑さは彼岸まで、と古人から伝えられている通り、
おだやかな『秋分の日』の朝を迎え、暑さに何かと苦手な私は微笑んだりした。

もとより『秋分の日』は、『祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日』と称せられ、
私たち夫婦も、毎年この日は私の実家の長兄宅に行き、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、辞してお墓参りに行く。

その後は、お寺の境内、墓地は、過ぎし『春分の日』と同じように墓参の人々で多くの方が訪れる。
          
           ☆今回、掲載した下記の写真も含めて、私が散策した昨日の時に撮ったものである☆

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
生を受け、まぎれなく両親、祖父、叔父、叔母、そして祖先のお陰で、私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、『春分の日』、『お盆の日』、この日の『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをし、
私の母が亡くなって16年目となるが、これ以来毎年の習わしとなっている。
                    

このような心情を私は重ねてきたが、
今朝いつものように朝の9時半過ぎに、私たち夫婦は私の実家の長兄宅に行くと、
いつもは親戚の叔父、叔母さんとは談笑を重ねてきたが、めずらしく来宅されておらず、お逢いできなかったが、
長兄も小用で不在で、長兄の奥さん(義姉)と、私たち夫婦は長らく談笑したりした。

まもなく世田谷区に住む従弟(いとこ)の62歳が来宅され、私はまもなく古希と称される70歳となり、
長兄の奥さん(義姉)は68歳、家内も今年の12月に高齢者入門の65歳となる中、
65歳時に『高齢者』に伴い介護保険、世田谷区と調布市の福祉関係の話題などで長らく談笑したりした。

                    
この後、私たち夫婦も長兄宅を辞した後、少し熱さを感じる快晴の中、
私たち夫婦は小田急線の『狛江駅』から徒歩数分にあるお寺に向う途中の花屋さんで、
買い求めて、20分ばかり歩いて着いた。
          
          
寺院の境内は広く大きな樹木が数多くあり、秋のお彼岸の中日にふさわしく、ご家族連れが多く賑(にぎ)わい中、
ときおり夏の香りを残すように蝉(セミ)が鳴いていた・・。
やがて私たち夫婦は隣接しているお墓に向った。

お墓を少し清めた後、墓石を水で清め、
途中で買い求めた生前の母が好きだったお花を4束のお花が奉(ささげ)、お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が晴れ渡った空の中を立ち昇る中、
祖先はもとより、亡くなった祖父、父、母、次兄などから、改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。
          

こうした思いを重ねた後、母のおもかげがよぎっていった。

生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。

私の場合は、農家の三男坊として生を受けたが、やがて父が私の小学校の2年の時に病死され、、
その一年半も過ぎない時に祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
そして私は実家から分家のような形で、実家の近くに住んで早や38年が過ぎている。

やがて私が54歳の時に母は亡くなわれたが
ときたま今でも生前の母のちょっとしたしぐさ、言葉づかいが想いだされる・・。

そして秋日和の中、お線香の煙が芳香を残して、
空中の中をゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。
          

この後、私たちは駅前の近くのスーパーで、秋味の整えた具材のあるお弁当を昼食代わりに買い求めて、
運動不足の為に20分ばかり歩いて帰宅したのは、午後1時過ぎであった。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民健康保険の『高齢受給者証』、私は初めて見ながら微苦笑を重ねて・・。

2014-09-22 13:28:33 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の69歳の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊6重して、日常を過ごしている。

昨日の日曜日の午後、我が家の門扉に近くにある郵便受け箱に、たった一通の封筒が入っていたので、
何かしらと私は思いながら、玄関の軒下で見ると、
調布市の保険年金課から『高齢受給者証』と略称された『国民健康保険高齢受給者証』在中と明記され、
居間に戻った後、開封した・・。

この中のひとつには、『国民健康保険 高齢受給者証』の送付について《ご案内》と題されて、
このたび、70歳になられた方に、国民健康保険 高齢受給者証を送付します。

このような文面で始まり、まもなく下旬の誕生日を迎えると、古希と称される70歳になるので、
こうした『高齢受給者証』は、私は生まれて初めて見るので、微苦笑をしたりした。

そして『国民健康保険高齢受給者証』と共に、可愛いらしい『70歳からの医療ガイドブック』の小冊子があり、
私は読んだりし、要約させて頂ければ下記の通りである。
              

◎負担の割合
    前年の平成25年度の収入に基づき、算出される、と学んだ。
  
    〇収入が383万円以上の現役並みの所得者・・・『3割負担』
    〇収入が383万円未満の一般者・・・・・・・・『2割負担』
    〇このほかに、住民税非課税の人などの低所得者

このように学んで、私は公的年金の厚生年金、企業年金などであったので、
『高齢受給者証』の一部負担金の割合の欄には、『2割負担』と指定されていた。

この後、70歳から74歳までの被保険者・被扶養者の方が窓口で支払う一部負担金の割合は、
平成20年度以降、軽減特例措置により1割となっていたが、平成26年4月1日以降は見直された結果、
    ○昭和19年4月1日以前に生まれた70歳~74歳は引き続き・・『1割負担』
    ○昭和19年4月2日以降に生まれた70歳~74歳は・・・・・・『2割負担』

このように明記されていたので、私の場合は昭和19年9月生まれなので、
たった半年遅れで、『2割負担』になってしまった、と驚いたりした。

しかしながら国民健康保険の財源は、逼迫している現状であるので、やむえないなぁ、と苦笑したりした。

やがて私が75歳の後期高齢者に入門できた時は、『後期高齢者医療制度』に基づき、『1割負担』となるから、
と微苦笑を重ねたりした。

この他の特典としては、例えば入院した時の食事代が、私のように『一般者』は、
一食当たり260円の負担をして下さることなど多々特典が明記されている。
          

このように今回、『高齢受給者証』を受け取ることが出来た私であるが、
私の世代、この後の家内と同様な団塊の世代の方たちは、
超高齢化時代の今日、少子高齢化の中、果たして医療制度は改定することなく、このままで継続できるかしら、
と何かと無知な私でも、漠然と危惧したりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の季節に愛惜を秘めながら別れを告げて、秋日和の陽射しに微笑んで・・。

2014-09-21 11:33:18 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であり、
まもなく下旬の誕生日を迎えると、恥ずかしながら古希と称される70歳となるが、
ここ4日は朝夕が肌寒く戸惑ったりしてきた。

過ぎし6月の梅雨の時節の頃から、私は平素の買物、散策に行くときは、
半袖のスポーツシャツとかアロハシャツで来て、長ズボンのストレッチパンズで颯爽と歩いてきた。

やがて学童が夏休みに入った7月下旬には、
更に夏の帽子を被り、そして扇子を煽(あお)ぎながら、汗を流し、
燦々と照らす33度前後の中、何かとの熱さに苦手な私は、ときには冬の寒さを思い馳せて、
気力で遊歩道、公園などを歩き廻ったりした。
          

こうした時は、大きな樹の下の緑陰の路を歩きながら、ときおり微風を受けると心地よく、
微笑みながら歩いたりしてきたが、
緑陰が途切れると、炎天下の熱い陽射しの中を歩き、
人生の苦楽と同じだよねぇ、と心の中で呟きながら歩いたりした。

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した2004年(平成16年)の秋から、
多々の理由で年金生活をして、60代の10年の日々を過ごしてきたので、
今年は60代の最後の夏・・と感じながら過ぎ去った幾たびの夏の季節に思い重ねたりし、愛惜が深めてきた。
          

ここ4日は朝夕は半袖のスポーツシャツで家の中にいると肌寒く、
日中に買物、散策に行く中、陽射しの中でも半袖はベストだねぇ、と微笑んだりしてきた。
そして何故かしら、緑陰を道を避けて、陽射しのある路を選んで歩いて、
我ながら身勝手な身だよねぇ、と微苦笑したりした。

そして古人から、熱さ寒さ彼岸まで、の名言を思い浮かべて、
確かにそうですよねぇ、と微笑んだりした。


今朝、居間に陽射しが射し込み、私は心地よく、秋日和の到来の季節になったのかしら、
と微笑んだりした。

そして地元の天気情報を視聴すれば、朝の6時は15度、昼下がりは24度前後、
夕暮れの6時は21度前後、と明示されて、
晴れ時々曇りの過ごしやすい日中となります、と報じていた。

やがて私は、冷房も暖房も不要な時節だよねぇ、と家内に言ったりした。

この後、私は半袖のスポーツシャツに別れを告げて、スリー・シーズンの長袖を着た後、
そして私は最寄りのスーパーに買物に向かう中、足早に歩くと熱さを感じたが、
腕まくりすると心地よく、過ごしやすい季節になった、と独り微笑んだりした。
          

帰宅後、家内は押し入れにある幾つかの衣装ケースを出して、
スリー・シーズンの衣服を出したりしていた。

そして夏用はすべて洗濯して収納しますから、と家内から私は言われて、
いよいよ私の好きな秋日和の日を迎える、と思いながら微笑んだりした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小庭の手入れ、体力の衰えた老兵の私は昼食抜きで奮戦し、やがて・・。

2014-09-20 17:19:59 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であり、
まもなく下旬の誕生日を迎えると、恥ずかしながら古希と称される70歳となるが、
65歳の高齢者入門が許された頃から、体力の衰えを実感し、老兵のように感じてきた。

こうした中で、我が家の小庭の手入れは、現役サラリーマン時代から私の責務であるが、
何よりも暑さに苦手な私は、夏の間は涼しい時に・・と何かと順延しサボり果ててきた・・。

我が家の敷地は変形の為、家屋を建てる当時から玄関庭と主庭に別れているが、
樹木の枝葉は伸び放題、草も茂って純白のタマスダレの花、淡紅色の秋海棠(シュウカイドエ)の花も、
雑草の中で咲いているような状態となっている。

こうした状況の中で、一番喜ぶのは鈴虫(スズムシ)、蟋蟀(コオロギ)かしら、
と私は微苦笑を重ねたりしてきた・・。
          

過ぎし13日は何とか玄関庭は終えたが、残りの主庭の手入れを本日決行した。

朝の9時前に庭に下り立ち、ストレッチパンズの長ズボン、着古したワイシャツ、ウォーキング・シューズで、
帽子を深く被り、滑り止めの軍手をして、そして剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしたりした。

そして曇り空の20度前後の中、樹木の枝葉を高枝鋏(たかえだばさみ)で切り落としたりした。
やがて切り落とした枝葉を整理したりしていると、薄らと汗をかいたりしたが、
夏の燦々と照らす30数度の熱さと違い、この20数度の気温だったら、快適なハイキングと同じようだ、
と独り微笑んだりした・・。

          

こうした中で、ときたまテラスに置いた簡易椅子に腰かけて、
少し休憩ねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
こうした私の情況を見た家内は、料理と掃除の手を休めて、ときおり冷茶を運んでくれたりした。

この後、草むしりをしていると、特にドクダミの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥まみれとなったりした。

しかしながら入梅時とか初夏の時は、汗がしたたり落ちて、汗まみれ泥まみれとなったりしてきたが、
単なる泥まみだけであったので、体力の衰えた私でも、
今しなくて何日(いつ)するのよ、と叱咤激励しながら孤軍奮闘した。

やがて昼食の時になると、泥まみれの私の容姿を家内が見ると、
テラスでパンでも食べますか、と私に言ったりした。

私は草むしりをした処が小奇麗になっているので、
今、食べたりする集中力が切れるから、と私は家内に言ったりした後、
園児のように夢中で雑草の草むしりに専念した。
          

やがて疲れも余り感じなく、この調子だったら、夕暮れの少し暗くなる5時半ぐらいまで出来きそう、
と思いながら、快調に草を取ったりした。

そして何かと暑さに苦手な私は、こうした曇り空の20数度の中で、
庭の手入れはベストだ、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

やがて樹の下をもぐるように草を抜いていた時、雨脚の音が聴こえ、
樹の下んら抜けだすと、雨が降っている・・。

そして家内から、お止めになったら・・、と私は中断した。
私は恨(うら)めしげに、5分ばかり庭に降る雨を眺めて、
本日はここまで・・と私は家内に言ったりは午後3時過ぎであった。

やがて私はお風呂で身体を清めて、温めた後、
居間から庭を眺めたら、なぜかしら雨が上がっていた。

そして庭の半分ぐらい小奇麗になり、達成率は50%かょ、と苦笑したりした。
やがて天上の気候の神々は、老兵の私にドクター・ストップの代わりに、通り雨を降らせてくれたのかしら、
と私は独り微苦笑をしたりした。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年に一度の『特定健診』の検査結果を受けて、やがて微苦笑を重ねて・・。

2014-09-19 14:15:24 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
まもなく下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となる。

私の住む調布市から2か月前に、年に一度の『特定健診』の通知書を頂き、
この健康診断は、以前は『お誕生日検診』と平成19年度まで称されていたが、
何かしら基本健診に血圧測定、血液検査などが加味されている。

そして私の受診する基本健診としては、
身長、体重、採血、心電、尿検査、血圧測定などが行われた後、最後に医師との問診となっている。
そして胃がん、大腸がんの検診である。
          

昨夕、過ぎし16日に年に一度の『特定健診』を受診して、
この検査の結果の為に、最寄りの内科病院に訪れた。

やがて担当の医師から、基本の受診した採血、心電、尿検査、血圧測定などの結果を解説を受けた後、
大腸がんの検診の結果、異常はありませんでした、と医師から言われたりした。

その後に胃がん検診した時に、バリウムの白い検査薬を呑んだ状況の撮影された幾つかの断面図を
デスィスプレーに映し出され、詳細に解説して頂いた。

そして私は真剣な表情で聴いていたが、異常なし、と医師から言われた時は、眼だけは笑ってしまった・・。


私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている中、
この年に一度の『特定健診』の検査を毎年受診してきたが、66歳の時は糖尿病と診断されて、
青色吐息の中、食事の改善、ウォーキングを積極果敢にして、
何とか糖尿病から半年後に卒業できた苦い体験があった。

そして昨年は、何故かしら『胃がん検診』の結果だけは、『要精検(内視鏡)』に◎印が囲まれていた。
                    
私は担当の医師から、
『胃の下腹にあたる幽門部に粘膜面異常が見られますので、再検査をして下さい』
と写真の6枚を見ながら私に説明をして下さった。

『再検査と言いますと・・胃カメラを呑んで・・検査することですか?』
と私は医師に言った。

『代表的な検査としては、胃カメラで検査することが多いですね』
と明るい表情で医師は私に言った。

『そうですか・・』
と私は呟(つぶや)くように言いながら、落胆した。

私はこれまでの胃がん、大腸がんの検診をしてきたが、すべて良好の『精検不要』となっていたので、
生まれて始めて胃カメラを呑んで、再検査かょ、と何かと小心者の私は怯(おひ)えた。
                    

この後、この医師に調布市で胃腸科に関して評判の良い病院に紹介書を頂き、
そして紹介先の病院に訪れて、胃の再検査を予約の申し入れをした。

やがて評判の良い病院の医師から、梅毒があったら困るので血液検査、そして血圧検査をします、
と私は言われて、女優・島田陽子さんが20代の時のようなだった容姿端麗の看護婦さんから、
血液検査、そして血圧検査を受けたりした。

しかしながら気弱で品行方正な私に、梅毒があったら困るので・・と医師は明言され、
私は苦笑しながら微笑み返しをしたりしたが、何よりも美麗な看護婦さんのお逢いができた上、
検査日は10月24日の午前10時からと決定し、再会できる喜びもあった。


やがて検査日の前夜の9時過ぎからは、コップ半分ぐらいの水に耐えて、
当日の9時半に、この病院に着いた。
やがて島田陽子さんの容貌に似た若き看護婦さんから、何かしら体重測定、そして血圧検査を受けたりした。

そして水飴(みずあめ)のような液体を小さじに頂き、
『口の中で含み、絶対飲んだりしないで下さい・・5分ぐらいは我慢して下さいね』、
と若き看護婦さんから優しく私は言われたりした。

私は幼年期から女性に憧憬する癖がある上、
特に魅了された方には、何かと心も清らかな方と思ったりしてきたので、
『はい! 了解致しました』
と私は従順となり、明るく応(こた)えたりした。

その後、若き看護婦さんから私はベットに横身になるように言われた後、
眠くなりますが、と言いながら私の腕に注射をした。
そして口の周りにプラスティクの円形を絆創膏で固定した・・。
          

何かしら深い眠りから私は目覚め、そして口の周りにあった円形プラスティクもなくなり、
あれぇ・・検査終わったのかしら、とぼんやりとしながら感じたりした。

しかしながら眠りの感じが強く、ウトウトしていたら、
若き看護婦さんが近寄ってきた、検査は終わりましたが、隣のベットで一時間ぐらい、
横たわって下さい、と私に言った。

私は半分眠っているような状態で、隣室のベットに横たわった。

やがて医師の問診があり、私は医師から検査で写した鮮明な写真を8枚ばかり、
パソコンの画面から解説を受けたりした。
『胃潰瘍・・わずかに見られます』
と医師から私は言われたが、家内に胃潰瘍と診断されたこともあったので、私は安堵した。

そして私は『胃癌の初期状態は・・?』
と私は医師に問い合わせた。

『現状では、そのような徴候はありませんょ』
と医師は明るく私に言った。
          

帰路、駅前で家内からの依頼品を買い求めた後、
『胃がん検診』の再検査で、生まれて初めて胃カメラを吞んで受診したが、
恥ずかしながら私は眠っている検査をして下さったのだから、予期した以上に安楽だったなぁ、
と私は微笑んだりした。

そして帰宅後、家内に報告した後、
『胃潰瘍になる人は、何かとストレスの原因が多いらしいわょ』
と家内は私に教えてくれた。

私は現役時代のサラリーマンの時代は、職責を果たす業務の多忙の中、
プレッシャー、ストレスを感じてきたが、
年金生活の今、安楽な生活を過ごしているが、誰しもこの世で悩みの一つや二つぐらいはあるょ、
と微苦笑しながら、心配していた胃癌の初期状況でなくて、安堵したりした。
         

このように60代の10年間の中、二度ばかり障害を越えてきたりし、
身長は170センチが168.5センチと、1.5センチ縮〈ちじ〉んでしまったり、
体重も70キロから76キロと太ってしまったが、
多少太っていても、心身元気であれば良いではないか、と微苦笑を重ねたりとている。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人週間の中、昨今の社会状況に、ささやかな願いを秘めて・・。

2014-09-17 13:48:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。

こうした中、一昨日は『敬老の日』を迎え、『老人の日』とも別称されて、
この日から21日までの1週間は『老人週間』と制定されている。

私はまもなく70歳となるが、『老人』は後期高齢者と称せられる75歳以上の方と思っている。
そして75歳以上は1590万人、8人に1人となり過去最高となっている。

もとより敗戦後の荒廃した日本を、少なくとも世界の主要国の中でも、
有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
日本に住む私たちがこうして生活を享受できているので、尊敬の念を抱(いだ)いている。
            
   
何かしら『全国社会福祉協議会』に於いては、
①国民の間に老人の福祉への関心と理解を深める。
②老人が自らの生活に努める意欲を促す。と明示されている。
提唱されているが、老人の方にとっては余計なお節介かしら、と私は漠然としながらも感じたりしている。

それぞれの老人は、自助努力で『健康』と『生きがい』を保持し、そして悩ましい『預貯金』を崩しながら、
大半の方たちは堅実に晩年期を生活されている、と感じたりしている。

確かに老人は身体は衰えているが、心は健(すこ)やかなであり、何より知恵がある。
そして私たち世代、団塊の世代はもとより、若い諸兄諸姉の世代の人は、
こうした人生の知恵を学べは良い、と思ったりしている。
          

私はまもなく70歳となる身であるが、若い諸兄諸姉の世代の人に期待するのは、
言葉づかいと動作の粗雑であることにつきる。

そして働いていて下さる諸兄諸姉は短期に成果を問われる難題の中、、
街中でスマートフォンを歩きながらは危険であるし、まして自転車に乗りながら視ることは、
論外と確信している。

もとより学生の一部の方も含まれ、私は憂いたりしている。


私は買物などで狭い歩道を歩いたり、街中で先代の諸兄諸姉とすれ違う時、
たとえ両手に重い荷物を持とうが、道を開ける。

或いは公園などでポッンとベンチに座っている方を見かけると、最低限として挨拶程度の言葉をかけたりしてきた。

こうしたことは、少なくとも先代の諸兄諸姉に対して、礼節と思っている。
          

しかしながら私は65歳以上の高齢者全般の方たちに困惑することもある。
たとえば、公共の場で恥知らずな言動をするグループを見かけると、老害と思っている。
特にご婦人の方に多いのは、女性にいつまでも憧憬(しょうけい)している私としては、
はなはだ残念と思ったりしている。

あなた方の持っていた羞恥心という美徳はどうされたのですか、人前でご迷惑を感じていないのですか、
そして、お孫さんに恥ずかしくないのですか、と私は憂(うれ)う時もある。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敬老の日を迎え、少額の医療費の方こそ感謝状が肝要と、願いを深めて・・。

2014-09-15 12:12:50 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。


昨夜、ネットで総務省が公表された高齢者の実態を『朝日新聞デジタル 』読み、学んだりした。
《・・総務省は14日、「敬老の日」に合わせて15日現在の高齢者の人口推計を公表した。
65歳以上の高齢者人口が3296万人(総人口の25・9%)、
75歳以上が1590万人(同12・5%)となり、いずれも過去最高。
「団塊の世代」の1949年生まれが65歳になったのが一因で、4人に1人が高齢者、8人に1人が75歳以上となる。

男女別では、男性の高齢者が1421万人(男性人口の23・0%)、女性が1875万人(女性人口の28・7%)。
そして年齢別では、70歳以上が2383万人(総人口の18・7%)、80歳以上が964万人(同7・6%)。

また、5年ごとに行われる住宅・土地統計調査(2013年)によると、
高齢者のいる世帯は2086万で、初めて2千万世帯を超えた。うち高齢者の単身世帯は552万世帯に達した。・・》
          

この後、私は内閣府が昨年に公表された『高齢化の現状と将来像』の中で、
65歳以上の高齢者人口の推移として、昭和25年(1950年)には総人口の5%に満たなかったが、
昭和45年(1970年)に7%を超え(国連の報告書において「高齢化社会」と定義された水準)、
さらに、平成6年(1994年)にはその倍化水準である14%を超えた(「高齢社会」と称された)。
高齢化率はその後も上昇を続け、現在、25.1%に達している。

そして肝要な生産年齢人口(15~64歳)は、
平成7年(1995年)に8726万人でピークを迎え、その後減少に転じ、
平成25年(2013年)には7901万人と昭和56年(1981年)以来32年ぶりに8000万人を下回った。
          

この後の私は、65歳以上の高齢者人口と生産年齢人口15~64歳の生産年齢人口の比率を見たりし、
昭和25年(1950年)には1人の高齢者に対して12.1人の現役世代(15~64歳の者)がいたのに対して、
平成27年(2015年)には高齢者1人に対して現役世代2.3人になると予測された上、
今後も高齢化率は上昇を続け、現役世代の割合は低下する、と学んだりした。

こうした中で、我が国の平均寿命は、平成24年(2012年)現在、男性79.94年、女性86.41年となり、
65歳時の平均余命は、昭和30年(1955年)には男性が11.82年、女性が14.13年であったものが、
平成24年(2012年)には男性が18.89年、女性が23.82年となっており、
男性、女性とも高齢期が長くなっている。

こうした社会状況の人口構成が、時代と共に大きく変貌してきた現状を学びながら、高齢者の私でも少し憂鬱になりながら、
微苦笑を重ねたりした・・。
         


確かに日本の現状として、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
         
その上、経済は都心の一部は活性化しているが、地方は未(いま)だに低迷している現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
           
          

こうした中で、公的年金制度は現役世代の納める保険料で、その時の高齢者に年金を支払う仕組みであり、
支え手の現役世代が減り、支えられる側の高齢者が増える少子高齢化は、年金財政に大きな影響を与えている。

そして年金の水準を先に決め、それに必要な保険料を集める仕組みの下では、
少子高齢化が進むと保険料が上昇し、現役世代の負担が重くなり過ぎてしまう悩ましい最大の難題となっている。。

もとより政府は、借金に頼らず税収で賄える国と地方の基礎的財政収支を2020年度に黒字化し、
借金が膨らみ続けている長年の流れに歯止めをかけようとしているが、
最大の脅威は社会保障費の増大、と的言している。

そして毎年1兆円規模で増える医療や介護、年金などの支出で、
保険料(64.1兆円)があるが、年金(56.0兆円)、医療(37.0兆円)、介護・福祉その他(22.2兆円)(うち介護は9.5兆円)、
総計の給付費として115.2兆円、と2014年度の予算ベースとなっている。
          

          
過ぎし日に麻生財務相が記者会見で発言され、
『世界に冠たる皆保険と言うが、保険料だけで給付を賄いきれていない。
公費負担に4割を依存としており、給付と負担をバランスさせなければならない』と明言されたりしていた。

もとよりこうした背景には、今後の2025年までに『団塊の世代』が75歳以上となり、
社会保障給付の増大が財政の健全性に脅威となり続ける、と警鐘している。
           

私は平均寿命に関しては、あくまで平均であり、
私の現役サラリーマン時代の58歳の時に同僚の死去に接したり、
2004年に多々の理由で年金生活を始めて数年過ぎる中、先輩、同僚だった人たちの死去を知り、
余りにも若き60代なのに、と戸惑いながら、ご冥福を祈ったりしながらお通夜に参列したりした。

或いは私の住む近所には、90代の御夫婦が心身共にご健在で、ときおりお逢いした時は、
私は挨拶を交わしたりしている。

こうした体験をしてきたので、私は平均寿命については、
その年に生まれた子供が平均で何歳まで生きるかを予測した数値であり、
たとえ長寿世界一になっても、人それぞれの平均値である。

私は平均寿命よりは、何よりも健康寿命こそが肝要であると、深く確信しているひとりである。
          
               
もとより健康寿命は、心身ともに自立し、健康的に生活できる期間、と世界保健機関が提唱して以来、
いかに健康に生活できる期間を伸ばすかに、ここ10数年関心が高まっている状況となっている。

悩ましきは平均寿命と健康寿命との差てあり、衰弱・病気・痴呆などによる介護期間であり、
もとより日常生活に制約される苦汁の期間となる上、医療費の増加の主因となっている。
          


『敬老の日』に於いては、私の住む地域の自治会、或いは調布市でも、
後期高齢者の75歳、85歳、100歳などの方に金一封を備えたり、後期高齢者を対象に敬老会が開催されたりしている。

こうしたことに私は苦笑して、国の財源が逼迫し余裕のない現状、そして今後の状況を配慮すれば、
寿命が永らえた人の敬老会、金一封などは廃止する代わりに、
高齢者で少額の医療費の方こそが、医療費の高騰の中で、自助努力と幸運で医療費の抑制に貢献してきた人なので、
国の厚生労働省から発令して、自治体を通して、それぞれ金一封を備えで感謝状を送る時代が到来している、
と深く念願している。
          

たとえば年に一度の健康診断以外は、医療費は不要の人で、
こうした溌剌の方は、自治体の公報で『感謝コーナー』を新設し掲載して、やがて多くの方が増えることを願ったりしている。

余談であるが、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、
悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はすべて優等生となっているが、
そして隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、日々朝食後に呑んでいるので、
毎月自己負担だけでも総計4000円前後を支払っているので、無念ながら対象外である。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リバースモーゲージ、おひとりさまの家内の母も活用して、老後を享受し・・。

2014-09-14 12:00:21 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。
          

私たち夫婦と同様な夫65歳以上で妻60歳以上の2人暮らしで共に無職と称される『高齢夫婦無職世帯』は、
総務省の2013年(平成25年)に於いて、ひと月当たりの収入は、公的年金を入れて21万4863円、
支出は27万2455円、そして赤字は5万7592円、と公報されている。

こうした中で、60歳以上の家庭は、89%が持ち家と報じられ、
昨今は自宅を担保を高齢者家庭は融資を受けられる『リバースモーゲージ』が活用されている、
と最寄の銀行の担当者から、ここ6年前頃から私たち夫婦は聞いたりしてきた・・。


『リバースモーゲージ』は高齢者が戸建て(一部地域はマンションも適用)の自宅を担保にした年金制度の一種。
自宅を所有しているが現金収入が少ないという高齢者世帯が、
住居を手放すことなく収入を確保するための手段として用いられる。

自宅を担保にして銀行などの金融機関(一部の都道府県の社会福祉協議会)から生活資金を借金をし、
その借金を年金という形で受け取る。
受け取る金額は年月と共に増える借金が死亡時に自宅の評価額と同じになるように調整され、
死亡時に金融機関が契約者の自宅を引き取る。

もとより貯金などで返済できれば自宅を売却せずに済む。

リスクとしては年金が満額になる時点を越えて長生きする、と説明を受けたりしてきた。
          

我が家の両親は、私の父は私が小学2年の時に病死され、母は私が54歳の時に病死し、
家内の父は私が定年退職時の2004年〈平成16年〉の秋の少し前に、病死されたので、
家内の母だけとなっている。

独り住まいとなった家内の母は、千葉県の八千代市に一戸建てに住み続けて、
年金を頼りに程ほどの貯金を崩しながら、おひとりさまの生活をしている。
          

確か5年前の頃だったと記憶しているが、
年金は月平均14万円で貯金を少しづつ崩しているが、長生きを考えると心ぼそいわ、
とこのような意味合いの言葉を長女の私の家内に言った。

そして私は家内から聞いて、毎月少し融資を受けられる『リバースモーゲージ』を本格的に調べて、
やがて家内は孤軍奮戦して、家内の母の住む八千代市の社会福祉協議会より、
家内の母は、毎月3万円の融資を受けている。

この間、社会福祉協議会より一戸建ての査定をして、相場の70%前後の融資総額となり、
家内の母の相続人の長女の家内、そして次女、長男の承諾書を提出したりしてきた。

家内の母は、家内に、お父さんの遺(のこ)された一戸建て・・私の老後で喰いつぶしてしまうけれど、
とこのような意味合いの言葉を家内に言った、と後日に私は家内から聞いた。

私は家内に、お義父(とう)さんとお義母(かあ)さんが築きあげてきた財産に関して、
どのようにお使いになっても・・と私は結婚してまもない時に家内に言ってきた。

こうした私の根底には、亡き私の母が生前の私が結婚する時、
男子たる者は、奥さんの実家の財産をあてにするのは、最低の男だから、
と私は叱咤激励されたので、もとより家内の母のいつの日にかの遺産は、あてにしてこなかった。


やがて家内の母は、年金に毎月3万円頂くので助かるわ、と家内に言ったと、
と私は家内から聞いたりして、悦んだりした。

そして家内の母は、自身の葬儀代にと家内に程ほどの金額を振り込んだ、
と私は家内から聞いたりして、私は微苦笑しながら、お義母(かあ)さんらしいねぇ、と家内に言ったりした。
          

家内は、家内の母が独り住まいとなった当初から、
安否を含めて、殆ど毎晩30分前後ぐらい電話連絡をしたりしている。
そして私たち夫婦は年に数回は国内旅行に誘い、
やがて、家内の母の『母の日』には、やはり温泉ね、と要望され温泉滞在旅行が多かった。

家内の母は、平素は女友達のグループで小旅行をしたり、街歩きをしたり、
或いは独りで実家の上越市に訪れたりすることが多い。

しかしながら、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で年に5回ぐらい母宅に泊りがけで行っている。

この間、私は『おひとりさま』の生活となっているが、
いずれは私たち夫婦は片割れとなり『おひとりさま』となるので、 特別演習かしら、
と思いながら私は過ごしている。

こうした中、家内の母は2年前に膝(ひざ)を悪化して、
市の福祉サービスより『要支援の2』と認定をされている。

そして私たち夫婦は、やむなく温泉滞在旅行の代わりと思いながら、
お醤油、ソースなどの調味料、洗剤、雑貨品などの重い品物と感じられる品の数々を、
積極的に宅配便を活用して送付したりしている。
          

こうして家内の母は、独り住まいとなって早や10年を迎える中で、
私は家内の母に対して、たったひとつだけ困惑することがある。

今年のお正月も独り住まいの家内の母に年末に来宅してもらい、
私たち夫婦と共に新年を我が家で過ごした・・。

こうしたある日、居間の炬燵に入り、食事をしたり、談笑したりすることが多かったが、
ある時、家内の母が、
『あたし・・やっぱり・・百まで生きたいわ・・』
と呟(つぶや)くように家内に言ったりした。

私は69歳で今年の9月下旬には古希と称される70歳となり、
家内は今年の12月下旬の誕生日を迎えると65歳を迎えるので、
もとより家内の母が100歳になる事は、私は86歳、家内も81歳の高齢者となるので、
これを聞いた私は困り果てて、勘弁してょ、と心の中で思いながら、笑ってごまかしたりした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小庭の手入れ、秋の装(よそ)いにと体力の衰えた私が孤軍奮闘しても、あえなく敗退・・。

2014-09-13 15:15:09 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であり、
まもなく下旬の誕生日を迎えると、恥ずかしながら古希と称される70歳となるが、
65歳の高齢者入門が許された頃から、体力の衰えを実感してる。

こうした中で、我が家の小庭の手入れは、私の責務であるが、
何よりも暑さに苦手な私は、サボり果ててきた・・。

我が家の敷地は変形の為、家屋を建てる当時から玄関庭と主庭に別れているが、
樹木の枝葉は伸び放題、草も茂って純白のタマスダレの花、淡紅色の秋海棠(シュウカイドエ)の花も、
雑草の中で咲いているような状態となっている。

こうした状況の中で、一番喜ぶのは鈴虫(スズムシ)、蟋蟀(コオロギ)かしら、
と私は微苦笑を重ねたりしてきた・・。
          

過ぎし去りし8月、小庭では朝に於いては鈴虫(スズムシ)が鳴いて、蝉(セミ)も負けじと盛んに鳴いて二部合唱となり、
日中の暑い中は、蝉(セミ)が独壇場のように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように鳴き響いてきた・・。

こうした中で、鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、と私は解釈したりしてきた。

そして夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える・・。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
きっと鳴き疲れてお休みの睡眠時間になったと思ったりしてきた。

鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型、と少しボケた私でも理解は出来るが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、何故かしら耳をすませないと聴きもらす・・。

夜のひととき、鈴虫(スズムシ)の盛大な合唱の中、
定年退職後に何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているのである。

そして私は愛(いと)おしく、少し哀れな蟋蟀(コオロギ)であるが、
やがて初秋になれば、蝉(セミ)は消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。

やがて鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と私は秘かに願ったりしてきた。

    
このように思いながら過ごしてきたが、 昨夜、玄関の軒下に下り立つと、
微風が吹く中で、心も身もゆだねると心地よく、夏は過ぎ去り秋の時節になった、
と実感を深めたりした。
          

今朝、4時半に目覚めて、ぼんやりと秋の装(よそ)い小庭の手入れしょうと、思い立ったりした。
そして体力の衰えた私は、玄関側は何かと人が来客するので、せめて玄関側の小庭の手入れを、
と7時半過ぎに下り立った。
  
そしていつものようにストレッチパンズの夏用の長ズボン、着古したワイシャツ、ウォーキング・シューズで、
夏用の帽子を深く被り、滑り止めの軍手をして、そして剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにして、
薄曇り空の中、樹木の枝葉を高枝鋏(たかえだばさみ)で切り落としたりした。

               
やがて切り落とした枝葉を整理したりしていると、まばゆい陽射しが小庭を照らし、
夏の香りが残された少し熱くなった中、孤軍奮闘をした。
          

その後、草むしりをしていると、汗がしたたり落ちてきた。
特にドクダミの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥まみれとなったりした。

そして草むしりに熱中していると、塀際に睡眠中の鈴虫(スズムシ)は驚き、眠そうにノソノソと移動し、
蟋蟀(コオロギ)は元気そうに退散して行った。

やがて私は、これからの鈴虫(スズムシ)と蟋蟀(コオロギ)の住まいとしてねぇ、と畳み2枚ぐらい雑草を残したりした。

こうした中で、無念ながら体力の衰えた私は、ときたま玄関の軒下で簡易椅子に腰かけて、
少し休憩ねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
こうした私の情況を見た家内は、掃除の手を休めて、幾度か冷茶を運んでくれたりした。

そして陽射しが燦々と照らす中、草むしりに奮闘していると、汗まみれ泥まみれとなったりしたが、
今しなくていつするのよ、と自身を叱咤激励をしたりした。

しかしながら簡易椅子を木陰に移動させて座っていると、
微風を受けたりすると心地よく、やはり夏の熱い季節は過ぎ去った、と微笑んだりした。

やがて12時半が過ぎた頃、体力の限界を感じて、本日はここまで・・と断念し、風呂場に向かったりした。
          

疲労感を感じる今、若き40代のサラリーマン時代だった頃は、休日の時に真夏の炎天下の中でも、
7時間ぐらいは気力で、庭の手入れをしたりしたが、
あの頃の自分の若さには適〈かな〉わない、と体力の衰えた私は苦笑したりした。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知症予防にチョコ、カレーが良いと、高齢者の私は学び、微苦笑させられ・・。

2014-09-12 12:50:40 | 定年後の思い
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で直ちに年金生活に入り、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
          

私はこれまでの60代の10年の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、糖尿病と診断され、
翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。

この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私はウォーキングをほぼ毎日し、汗をかきながら最低30分は歩き廻ったりした。

やがて翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に3週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となった。

この後は、4週間毎に定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
          

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。


こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
          

昨夜、私はネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中で、
《 認知症予防にチョコ、カレー…専門家が教える意外な方法 》
と見出しを見て、どういうことなのょ、と思いながらクリックした。

そしてこの記事は『女性自身』と明示され、確か女性専用誌の週刊誌と解り、
少しためらったりしたが、何よりも知らないことは謙虚に学ぶことをモットーに生きてきた私は、
精読して多々教示されたりした。

この記事は関連の『光文社オフィシャルサイト』の2013年10月3日で配信された記事と解り、
今回も無断ながら記事の大半を編集して、転載させて頂く。

《・・(順天堂大学教授の小林弘幸先生)寄れば、
実際、いま認知症の検査としておこなわれているSPECT(体内に注入した放射性同位元素の分布状況を断層画面で見る)検査は、
脳のどの部分の血流が低下しているかを見ることで診断につなげている。
脳の血流低下を防ぐことは、認知症予防にもつながっていくという。

「しかし何もしないでいると、私たちの脳の血流は加齢とともに低下。
男女ともに70歳になると、脳の血流は15歳のときと比べ、30%以上減少するといわれているのです。
高齢になると認知症を発症しやすくなるのは、加齢によって血流が低下するからなんですね。
でも、あきらめるのはまだ早い!生活習慣を変えることで、脳の血流は改善できます」
          
                    
認知症予防につながる『ボケない血流』の作り方のポイント

【有酸素運動】
「まずは1日30分程度の有酸素運動。
脳を含めた全身の血流をスムーズにするのはもちろん、高血圧や糖尿病など生活習慣病を予防して、
血栓や血管のダメージを防ぎます。
ウオーキングや水泳など、無理のない範囲で体を動かしましょう」

【α波】
「脳からα波が出ると、脳の血流が30%増加するという報告も。
α波が出るのは瞑想時やリラックス時。川のせせらぎなど、自然の音を聞くのもいいでしょう」

【チョコレート】
「チョコレートのフラボノイドが血管のこわばりを和らげ、脳の血流を改善するといわれています」

【カレー】
「カレーを食べたあとは脳の血流が増加。
これはカレー粉に豊富に含まれるスパイスのおかげですが、とりわけカルダモンに血流アップの作用があるとか。
カルダモンは香辛料としてだけでなく、生薬、漢方として日本はもちろん、北欧など世界中で愛用されています」・・》


このような記事を読みながら、【有酸素運動】と【α波】に関しては、
毎日のように独りで平素の買物に行き、時折ご婦人のしぐさに見惚(みと)れたり、
その後に散策して、樹木、草花などに季節のうつろいを享受している私は、及第点と感じている。
          

【チョコレート】
私は何故かしら、街中のスーパーにある板チョコレートが、好きである。

私が1954年(昭和29)年の小学3年生になったばかりの時、私を可愛がってくれた祖父が死去した。
前年に祖父の長兄だった父が亡くなり、跡継ぎを失くし、
その上に祖父は病気となり、落胆した表情が少年の私さえ感じていた。

そして祖父、父が中心として、程ほどの広さの田畑を耕し、
多忙な時期は小作人だった人たちの助けも借りて農業をしていたが、
大黒柱の2人を失った生家では、長年の農業の技量の伝承が絶たれてしまったので、没落しはじめた・・。

こうした中で、母、父の末妹の叔母、長兄、次兄、私、そして妹のふたりが残された家族となり、
生活は困窮し始めた・・。
          
このような状況下の時、祖父の妹に当たる祖母のような心優しい人が、
何かと不憫に思い心配されて、とても私たちが日常生活で買い求めることのできない菓子などを持参してくれた。
その上、妹の2人には、何かと品を頂き、ときにはお揃いの洒落た下駄などを頂戴した。

この人が帰路する時、私は駅までの15分ぐらいの町道をこの方と共に歩いて、駅で見送った。
この少し前、このお方は私に、
『チョコレートでも買ってねぇ・・』
と私に百円玉ひとつを手渡して下さった。

この後、私は小汚い身なりであったが、駅前の商店街の菓子屋に行き、
まばゆい包装紙に包まれた一枚の板チョコレートを買ったりした。

そして私は駅前から急いで帰宅し、妹のふたりと割って食べたりした。

しかし恥ずかしながら告白するが、正確には私は少し大き目の3分の1であった・・。

あの家も貧乏になった、と少年の私さえ、近所の人たちの風の噂を聴こえたりしていたが、
この時ばかりは妹2人と食べあった板チョコは、この時は何かしら貧乏のことも忘れさせてくれた。

こうした体験を秘めた私は、たった一枚の板チョコレートであるが、
ここ10年前の頃からのベルギー産の高級品、宇治抹茶生チョコなどのチョコレートより、遥かに美味しく感じられるのである。

そして私にとっては、たった一枚の板チョコレートでも人生観を変えることがある、
と思ったりしている。

このような私の秘めたる想いがあるから、家内は少し高価なチョコレートを食べたりしているが、
ここ数年の私は、明治製菓の『ブラック・チョコレート』を月に一度ぐらい、
スーパーで80円前後で買い求めて、食べたりしているが、
今回、この記事から喚起させられて、週に一度ぐらいにしょうかしら、と思ったりしている。
          

【カレー】に関しては、週に一度ぐらい愛食している。

スーパーで買い求めた豆腐の半丁ぐらいの大きさの『絹美人』と名付けられた豆腐があり、
皿に載せて電子レンジで少し温める。

それと並行するように、レトルト・カレーもお湯で温め、
やがて豆腐の上にかけるだけのこの世で一番簡素な手抜き料理であるが、
こうしたカレーを私はここ10年ぐらい美味しく頂いている。

このように今回の記事から、私は多々教示させられて、
ひたすら歩き、チョコレートとカレーも愛食するから、認知症は勘弁して下さい、
と懇願しているひとりである。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「散骨」、「永代供養墓」を望む女性は男性の約2倍、と高齢者の男性の私は学び、微苦笑させられ・・。

2014-09-10 12:51:31 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。
          

先程、何か愛読してきた総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていた時、
《 「散骨」を望む女性は男性の2倍以上 男女で大きく異なるお墓への意識 》
と見出しを見て、どういうことなの、と思いながらクリックした。

記事の本文は好評の『ザ・世論~日本人の気持ち~』のコーナーのひとつの記事であり、
プレスラボ取締役の小川たまかさんが編集され、寄稿された記事で、9月9日に配信されいる。
今回、無断ながら転載させて頂く。
          

《・・自分が死んだあとのことは、なかなか想像できないし、したくないもの。
あなたは自分の墓について考えたことがあるだろうか。
「まったく決めていない」という人も多い一方で、「散骨」を望む女性は男性の2倍以上――。こんな調査結果が発表された。

男性より女性の方が「散骨」、「永代供養墓」を望む傾向

調査は楽天リサーチが行ったもの。調査対象は全国に暮らす20~60代の男女1000人。
調査期間は8月17日~18日。

この調査によれば、「自分の埋葬方法の希望」について聞いた質問で男女の回答に差が出た。
男性の場合の回答は、多いものから順に「先祖代々のお墓」(36.6%)、「まったく考えていない/決めていない」(29.2%)、
「自分や家族などが新しく用意するお墓」(14.0%)、「散骨」(11.2%)、「永代供養墓」(7.4%)、「その他」(1.6%)。

女性の場合は、「まったく考えていない/決めていない」(28.6%)、「先祖代々のお墓」(22.4%)、「散骨」(22.0%)、
「永代供養墓」(14.0%)、「自分や家族などが新しく用意するお墓」(10.8%)となった。
          

自分自身が希望する将来の埋葬方法は?

男女ともに「まったく考えていない/決めていない」を選んだ人がある程度多いのは、
20代、30代といった比較的若い層もアンケートに答えているからかもしれない。
これ以外の回答結果を比べると、「先祖代々のお墓」を選んだ男性に比べて女性は14ポイントほど少ないこと、
「散骨」を望む女性は男性の約2倍いること、同じく「永代供養墓」を望む女性も男性の約2倍の数であることがわかる。

女性が男性より「散骨」や「永代供養墓」を望む理由については、もう一つの質問が鍵となる。
「お墓参りに関する意識」について当てはまるものを複数回答で聞いたところ、
男女ともに最も多かったのは「将来、自分の『お墓』のことで子や孫に迷惑をかけたくない」(85%)。

ただし男女差があり、男性は80%程度、女性は10ポイント高い90%程度だった。

このほか男女差があったのは、「自分が『お墓』を守らなければいけないという責任を感じる」(男性約50%、女性約40%)、
「自分が入る『お墓』のことを考えると憂鬱(ゆうつ)な気持ちになる」(男性約25%、女性約35%)という回答だ。

現代においては男性が家を継ぐことが多く、「先祖の墓を守る」という意識も男性の方が高い。
その一方で、墓のことを考えると憂鬱になるという意識は女性の方に多い。
金銭的な事情や、生家ではない家の墓に入るという事情などから、
「憂鬱」に感じ、「散骨」や「永代供養墓」を望む人も多いのかもしれない。
          

自分の墓は「決めていない」 でも、墓参りは欠かさない

また、現代では墓参りの文化が薄れつつあると思われがちだが、実際はそうでもないようだ。
「今年のお墓参り頻度」を聞いたところ、1回以上墓参りをした人は全体で65%。
年代別にみると、20代=54%、30代=58%、40代=70%、50代=71%、60代=72%と、
20代でも半数以上が墓参りを行っている。

葬儀関連の疑問解決サイト「エンディングパーク」が30~40代の子育て世代に聞いた調査(※)では、
78%が年に1回お墓参りに行くと回答している。
小さな子どもがいる世帯は仕事・プライベートともに最も忙しいと言われるが、
それでもお墓参りは大事と考えられているようだ。
家族で出かける先としてふさわしい場所という理由もあるのだろう。

恐らく、墓参りは欠かしたことがなくても、自分の墓は「いらない」「子どもや孫に負担をかけたくない」という人もいるだろう。
時代の流れに伴い、「墓」に関する習慣や意識は、今後どのように変わっていくのだろうか。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、生家も近く、
結婚前後の5年を除き、65年近く住んでいる。

私の生家は長兄が実家として継いで、確か18代目となって、祖先代々からの位牌などのある仏壇を守り、
お墓は実家から徒歩で20分ばかり小田急線の『狛江』駅から数分歩いた所の寺院の広い墓地の一角にある。

私たち夫婦も、母の命日、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸に、
長兄宅に寄って仏壇にお線香を捧げた後、長兄夫婦、来宅している叔母、親戚の方たちと談笑したりした後、
お墓参りに行ったりしている。

私は農家の三男坊として生を受け、分家のような形で実家の近くに住んでいるが、
生家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、たまたま子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、私たち夫婦が亡くなった後のことを配慮し、躊躇(ためら)ってきた・・。

何よりも長兄の子ども、私にとっては甥っ子であるが、後々も迷惑、負担をかけたくない、
と漠然と思ったりしていた・・。
                    

私が40歳を過ぎた頃の1985年〈昭和60年〉の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。

私がこの当時何かと愛用していた『L特急』で、上野駅から上田駅まで利用し、
上田電鉄の別所線に乗り換え、かぼそい2両連結の電車で終点の別所温泉駅に行ったりした。

もとより別所温泉地域は、鎌倉時代には周辺の塩田平地域を本拠とした塩田北条氏が、
建立による国宝八角三重塔を有する安楽寺や北向観音が創建され、
やがて近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が点在する塩田平・別所界隈の様子を鎌倉になぞらえ、
「信州の鎌倉」と称せられるようになった地である。

私たちは、秘かに木造建築の美の結晶のひとつであると私が深く感じた旅館『花屋』に宿泊し、
周辺の名所を散策したりした。

あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。

その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。
人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。

私は、人が土に還える、とはこの事だろう、と思案したりした。

こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。

その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と納得しながら、家内に言った。

『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』

お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。
          

このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
6年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。

或いは我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。

そして永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。


私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身の為か、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花を中核に洋花も配し音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ10数年言ったりしている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。
その後、四十九日の納骨が終われば、
何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された人は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。
          

このような思いが私たち夫婦にあるで、今回の記事に微苦笑させられながら、
私にもお気持ち解ります、と感じ深めたりしている。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする