私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく73歳の身であり、
今朝、小雨が降る中、傘を差しながら、家を出た。
過ぎし7月中旬、市から年に一度の『特定健診』の通知書を頂き、
私は受診する為に、本日に最寄りの内科病院に予約していたので、向かった。
私の住む調布市では、年に一度の健康診断は、
過ぎし平成19年度までは『お誕生日検診』と可愛らしい名称であったが、
この後は、何かしら基本健診に血圧測定、血液検査などが加味され、『特定検診』と改称された。
私は健康診断を受診する時、基本健診としては、
身長、体重、採血、心電、尿検査、血圧測定などが行われた後、最後に医師との問診となっている。
そして希望者には胃がん、大腸がんの検診があり、私は毎年受診している。
こうした中で、大腸がんの検診は事前に検便を指定された容器に前日、当日分として採り、
提出することとなっていたので、予定通り特定健診日に提出した。
私は民間の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で直ちに年金生活に入り、現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。
そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
こうした中で、純米酒の辛口が好きの私は、晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだりした。
ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
リストラ烈風の中、最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした・・。
この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。
私は検診に於いて、何よりも困苦するのは、『胃がん検診』である。
バリウムの白い検査液を飲むのは苦手で、私なりに苦痛のひとときを毎年味わっている。
その上、前夜の夜9時過ぎから水を含めて飲食は避けた上、
そして当日の喫煙、歯磨きはしないて下さい、と制約されていた時代もあった。
やがて6年前の頃から、仲良しとなった40代のなかばの男性の医師からは、
XXさん・・朝方でも少しだけ水を飲んでも大丈夫ですから、
とアドバイスを受けたりしてきたので、微苦笑したりしてきた。
こうしたことで苦手のバリウムによる胃の撮影が終ると、毎年ほっとし、
言い知れぬ解放感を体験したりしてきた。
しかし、12年前に、市で一番大きな総合病院で受診した時、
40代の男性技師のもとで、検査した時、やがて終ると何故かしら首をかしげた後、
私の方に近づいてきた・・。
『本当に申し訳ないのですが・・機械の故障で・・別棟の検査室で、もう1度撮影させて下さい・・』
と云われ、私は40代の男性技師に先導されて、別棟に歩いた後で、
再び苦手なバリウムを飲んだりした。
10年前の時は、30歳前後の若き女性技師で、私としては瞬時に魅了された美しい顔立ちの方が、
『少し仰向けになって下さい・・
位置を変えて・・横向きにうつ伏せ気味になって下さい・・』
と甘い声の指示を聴きながら、私は検査を受けたりした。
私はバリウムさえ飲まなければ、
年金生活の自由な身の私としては、うら若き女性技師と会話できるので、
何時間かかっても良い、と余計なことを思ったりしたこともあった。
私は健康診断を受診する時の下着は、平素と同様に、下半身はパンズ型のトランクスであり、
上半身の方は殆ど袖なしのTシャツを着ている。
この袖なしのTシャツは、ポップス系で若手に人気のあるTOKIOというグループがいるが、
この中のひとり背が高く好男性の長瀬智也さんが、以前ドラマの中で着ていたので、
私は魅了されて、家内に頼んで購入した貰ったのは、確か定年退職の3年前頃であった。
この後も、年金生活に入った後は、自在の服装が出来やすいので、
この袖なしのTシャツを真冬以外は、愛用している。
そして半袖か長袖のスポーツ・シャツを羽織って、
5月過ぎから秋まで買物、散策に出かけることをしてきた。
私は、恥ずかしながら胸毛があり、苦手な加山雄三さんのようにあるが、
65歳の頃から少し白髪が増してきたが、
せめて心だけは、若い方の感性と余り変わらないと思っているので、このような容姿となっている。
確か9年前の総合病院でレントゲンの健診の時、
30歳前後の稀(ま)れな美麗な女性技師の方で、
私は急いで長袖スポーツ・シャツ、そして袖なしのTシャツを脱いで、上半身は裸となった。
『XXさん・・下着は着ていても・・大丈夫ですから・・』
と笑いながら、忠告されたりした。
この後、身長測定のの時、
『はい・・1メートル69.5ですね・・』
とアシスタントの女医さんから云われた。
『齢を重ねると・・少し縮〈ちじ〉むのですねぇ・・』
と私は明るく云った。
『ご年配の方は・・よくある傾向ですわ・・』
と云われた後、私は長い間、1メートル70センチの時代であったが、
0.5センチばかり縮〈ちじ〉んだことに、齢を実感させられ、苦笑したりした。
体重も70キロ代となり、家内と結婚した当時は、56キロの細身体が懐かしく、
『俺も・・71キロかょ・・』
と平素の身勝手な日常を振り返ったりしたりした。
そして、多少太っていても、心身元気であれば良いではないか、
と62歳の自分を慰めていたりした時もあったりした。
このように毎年、私は健康診断を受診をしてきたが、胃がん検診に伴い、
前日の夜からの水分制限、そしてバリウムの白い液体薬だけは、齢を重ねても苦手であるが、
これ以外は楽しい受診のひとときを過ごしたりしている。
そして私は健康診断を欠かさず受診してきたのは、何よりも自身の身体の弱点を知り、
弱点を指摘されれば、ある程度の治療、或いは自助努力で克服できればよい、
と至って常識的な思考の身なのである。
そして健康診断を受診せず放棄している人は、自身の命を粗末にしている、と思ったりしている。
やがて2008年(平成20年)の秋に健康診断を受診した後、肥満体と診断され、
まもなく市の斡旋の『メタボの研修』を受講した後、少し節制したりした。
こうした中、日常生活は散策と買物ぐらいの運動不足、その後の猛暑でエアコンの冷風の中で昼寝も多くなり、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。
私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。
そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。
私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。
このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。
やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。
そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。
この間、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。
こうした中、私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。
かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、過ぎている・・。
このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会の時は例外として、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となった。
この後、国内旅行で家内と共に、各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
やむえなく糖分の多い日本酒、ビールとお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックとし、
弱くなったので、少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととして、
5日に一度ぐらい自宅で呑んだりしているのが現状となっている。
こうした中、過ぎし40代前後に弐合徳利、ぐい呑みを幾種類も買い求めて、
晩酌の時に、今宵はどの弐合徳利にしようかしら、と選定しながら夜の友のひとりとしてきたが、
今やガラス戸の棚に、ひっそりと鎮座していることも、忘れていることが多くなっている。
このように過ぎゆく人生は、無念ながら何かしら断念することもあり、
ささやかな年金生活を継続を望むなら、私の場合は愛飲していた日本酒となったりしている。
そして2013年〈平成25年〉の秋には、何故かしら『胃がん検診』の結果だけは、
『要精検(内視鏡)』に◎印が囲まれていた。
私は担当の医師から、『胃の下腹にあたる幽門部に粘膜面異常が見られますので、再検査をして下さい』
と写真の6枚を見ながら私に説明をして下さった。
『再検査と言いますと・・胃カメラを呑んで・・検査することですか?』
と私は医師に言った。
『代表的な検査としては、胃カメラで検査することが多いですね』
と明るい表情で医師は私に言った。
私はこれまでの胃がん、大腸がんの検診をしてきたが、すべて良好の『精検不要』となっていたので、
生まれて初めて胃カメラを呑んで、再検査かょ、と何かと小心者の私は怯(おび)えた。
この後、この医師に調布市で胃腸科に関して評判の良い病院に紹介書を頂き、
そして紹介先の病院に訪れて、胃の再検査を予約の申し入れて、やがて受診した。
結果として、医師の問診があり、私は医師から検査で写した鮮明な写真を8枚ばかり、
パソコンの画面から解説を受けたりした。
『胃潰瘍・・わずかに見られます』
と医師から私は言われたが、家内に胃潰瘍と診断されたこともあったので、私は安堵した。
そして私は『胃ガンの初期状態は・・?』
と私は医師に問い合わせた。
『現状では、そのような徴候はありませんょ・・』
と医師は明るく私に言った。
一昨年の『大腸がん』の検診で再検査・要と診断された後、晩秋には私の白内障の手術であったりして、
昨年の3月初旬には、内科胃腸専門医院で、大腸の内視鏡の受診した。
生れて初めて、恥ずかしながら肛門から内視鏡で盲腸まで約1メートルを挿入された結果、
内視鏡の検診をして下さった医院長より、大きなポリープはふたつ有り、摘出して傷口は出血防止の為、クリップで縫逢し、
小さなポリープは6ばかり有り、いずれワイヤーで摘出しました、と私に説明して下さった。
こうした中で、悪性腫瘍であれば、癌に進むこともあり、
よくみられるポリープと思われますので・・と医院長より私は言われて、御礼の言葉を重ねたりした。
ここ数年は身長170センチ、体重は76キロ前後が続いていたが、
今年の4月頃、体重が78キロになった時もあり、溜息を重ねたりした。
もとより肥満体は糖尿病になる早道と専門家より公言されているし、
糖尿病から認知症もなることがあると学んだりし、私は認知症だけは困苦するので、
やはり私の場合は72歳の身ながら、日常生活を過ごすのは、おまけながら75キロが理想と思ったりしてきた。
やがて食事対策として、やはりご飯、肉類は食べ過ぎと改めて気付き、
朝食のご飯は、少し減らした0.3合となり、そして昼食は、キュウリ、トマトだけとしている。
そして午後3時のおやつの時には、ヨーグルトを食べたりしている。
やがて夕食は、肉類200グラムを半減し、これ以外は従来通りに賞味してきたが、
こうした関係で、本日の検査で体重は73.6キロと診断され、成果があったよなぁ・・
と私は微笑んだりした。
もとより健康でなければ、私でも日頃のささやかな願いも叶わないので、
これからの自立した健全な生活を継続するには、自助努力が必要、改めて思い重ねたりしてきた。
このように年に一度の健康診断に関して、私は年金生活の13年の中、
涙と笑いを秘めた七転八起を体験してきた私は、いろいろあったよなぁ、
微苦笑を重ねたりしている。
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