今日は、先日案内を書いた、「新宿西口プロムナードでチェルノブイリ無料写真展(中筋純)」に行って来ました。
場所は、西口地下広場を左手に行ったイベントコーナーの奥。
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と言う感じで、歩いていくと正面にチェルノブイリの老女がジャガイモを手に凛と立っているのが見えました。
もうチェルノブイリを訪ねるのも6回目という中筋さん。写真展は過去の写真も含めて展示されてありましたが、立ち入り禁止区域の村に戻った人たちの表情に、いろいろな思いがよぎりました。
放射能は目に見えないことが何よりも恐ろしいと感じる。
開園を前に爆発が起こり、誰も遊ぶことのなかった観覧車。
文化的な暮らしに笑い声が響いていたであろう様々な場所。それが、あの事故で一変し、放置されて朽ちていくしかない。人が戻れない場所になってしまった。
そんな人間の愚かな行為と無関係なように、木は茂り、命がうまれ始めている不思議。
でも、高濃度の放射能汚染があり黄色い花と間違われるほどに立ち入り禁止の標識が立っている事実。
見えないからいいのではない。見えないことが怖いことなのだ。
チェルノブイリや福島の汚染を元に復元する力をもたない無力な人間が、なんでまだ原子力発電の再稼働をできるとこの地震多発国で言えるのか。大震災の時のあの底知れない放射能汚染への恐怖、忘れてはいけないと思う。
こわいこと、見たくないことに目をそむけるのは簡単だが、それでは1歩も前へは進めない。
平和憲法の問題にしても、目をそむけていては、知らない間に歴史を後戻りするような事態に人々がまきこまれることになる。大変なことになってから慌てても、体制を止めることはできない。
歴史がそう語っている。間違った動きは、初動段階でとめることが大切なのだ。
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新宿の写真展を一人でも多くの人が見て、原発が引き起こす悲劇を心に焼き付けてほしい。