以下の写真と文章の全ては中筋純さんのFacebookのココより、転載したモノです。Facebookをしていない方にも、とても大事なメッセージだったので読んで頂きたく、ここに転載させて頂きました。
*口頭弁論期日集会が、ココのyoutubeから実際の映像がみられました。
Nakasuji Jun
「visible」or「invisible」
311子ども甲状腺がん裁判の第4回口頭弁論に行ってきた。
今回は昨年夏の「もやい.next」でMariko Gelmanさん作品に自らのチラージン薬剤のパッケージとメッセージを封入してくれた、「原告7」ことりょうちゃん(仮名)の意見陳述だ。一連の口頭弁論で初の遮蔽板無しでの意見陳述に挑む彼女の決意は「invisible」が「visible」になる瞬間だ。
チェルノブイリ事故で同じ境遇を持つMarikoさんが長い沈黙のあと、ガラスブロックの作品「Transparency」の制作を通じて自らの存在をあらわにした瞬間と重なった。
「invisible」から「visible」へ。
それは甲状腺がんが長い沈黙をへて突如発症、いわゆる「visible」になる変えがたい事実を再認識させると共に、それを患った若者たちが不条理な攻撃を避けるため「invisible」でいなくてはならないという社会の不寛容さも浮き彫りにする。
彼女の意見陳述は、裁判官3名の実名を呼びかけて結ばれた。原告と裁判官ではなく、人と人として向き合わないかとう彼女からの招待状のように思えた。
翌日浪江町に行った。
ミズアオイのタネをもう少し手に入れておくためだ。
2021年夏、浪江小学校解体を密着撮影して重機の轟音とともに150年の歴史が葬り去られる過程を目の当たりにしていた時に、雨水が溜まった水田跡で突如眠りから覚め咲き誇る花々は気持ちを癒してくれた。
原発事故から10年。その場所はかつての黄金波が、泡立草が咲き誇る荒地となり、黒き放射性廃棄物置き場となり、そして群青のミズアオイの群落となった。
水田の雑草だったミズアオイは、農薬、生活排水をはじめとした水質の環境変化には弱く、原発事故の前から駆逐され姿を消していたはずだったのだが、よりによって放射性廃棄物の黒い袋が去った後に再び姿を現した。
その昔、彼らの命をつなぐため土中に落とされた種が長く地中で眠りについて発芽のタイミングを虎視眈々と狙っていたのだろう。まさに「invisible」な種という存在が原発事故から時を経て花という「visible」な存在になった瞬間だ。
ここは聖地かもしれない。
そこに咲く群青の花々は僕らに
「見えざるものを見よ!」
と語りかけてくれているようだった。
だが、久しぶりに訪問した僕の小さな聖地は、キャタピラの足跡が縦横無尽に残るただの造成地になってしまっていた。訊けば新産業を研究するための施設、福島国際研究機構が造られるのだそうだ。人のやることの無粋なことよ。
浪江の方のご自宅の解体現場を幾度も記録させていただいたが、その無念さの核心が初めてわかったような気がしている。
昨年の夏、採取しておいた数輪の花からとった種は、Marikoさん作品で使う予定だった予備のガラスブロックの中で保管してある。人の手によって再び「invisible」とされた無念の存在が、今年の夏に再び「visible」となって、その命を繋いでいく端緒となればいいと願っている。
甲状腺がんに苦しむ若者と再び眠らされたミズアオイ。
「見えざるもの」
そう「invisible」な存在にこそ、真理が存在していることを広く世に伝えて行ければと思っている。
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