呉市(くれ・し)仁方(にがた)本町の呉線踏切近くに建立されている「相原巌翁頌徳碑」です。
※碑に刻まれた「巖」は巌の旧字で、旧字を採用していますね。
*この碑を(駅近くになってスピードを落とした)電車の中からみて、何の碑かなと思ったのが、
ここ(呉線)JR仁方駅付近をぶらり散歩するきっかけになったのです。
*このブログで、既に「相原環翁頌徳碑」(長男)「相原正敏翁頌徳碑」(四男)を紹介してきましたが、
ここで取り上げた相原巖翁が父だったのです。
賀茂(かも)郡仁方村の初代村長だった相原巖翁だったのです。
(裕編集の)相原巖翁頌徳碑
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社会学者の日高六郎さん(1917-2018)昨日亡くなったことを報道で知りました。
今朝、中國新聞・天風録で日高さんのことを取り上げていました。
読んでいると大正元年生まれと書いてあった。
大正6年生まれの間違いであるので訂正したらと云ってもすぐには訂正できないのが新聞ですね。
昔を考えた時キジ原稿は手書きで「六年」と書いていてもその原稿を読む校正者が「元年」と読み違えることもあるかと思ったりしましたが、いまはPCを活用しているのでしょうから筆者の間違いかな?
※碑に刻まれた「巖」は巌の旧字で、旧字を採用していますね。
*この碑を(駅近くになってスピードを落とした)電車の中からみて、何の碑かなと思ったのが、
ここ(呉線)JR仁方駅付近をぶらり散歩するきっかけになったのです。
*このブログで、既に「相原環翁頌徳碑」(長男)「相原正敏翁頌徳碑」(四男)を紹介してきましたが、
ここで取り上げた相原巖翁が父だったのです。
賀茂(かも)郡仁方村の初代村長だった相原巖翁だったのです。
(裕編集の)相原巖翁頌徳碑
6月8日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
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社会学者の日高六郎さん(1917-2018)昨日亡くなったことを報道で知りました。
今朝、中國新聞・天風録で日高さんのことを取り上げていました。
読んでいると大正元年生まれと書いてあった。
大正6年生まれの間違いであるので訂正したらと云ってもすぐには訂正できないのが新聞ですね。
昔を考えた時キジ原稿は手書きで「六年」と書いていてもその原稿を読む校正者が「元年」と読み違えることもあるかと思ったりしましたが、いまはPCを活用しているのでしょうから筆者の間違いかな?