住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

リストカット

2005年04月15日 11時25分49秒 | 様々な出来事について
先日、昔一緒にヒンディ語を勉強していた友達が東京からやってきた。ご多分に漏れずリストラの憂き目にあって、そのお陰で遠くまで旅する途中寄って下さった。

貿易事務の資格があり長く会社勤めをしてこられたのだから、何か個人貿易でもして、それこそネット販売したらどうかなどとこちらは気楽に話も弾んだ。それからおもむろに実は姪が手首を切ってしまってと話し出された。

リストカットというよく思春期の女性にある自虐行為だ。一人の心に閉じこもっていたたまれずに起こす自己確認行為というか、周囲に対する異常発信ということもあるようだ。とにかく気付いて欲しいということではないか。

自分にもよく分からないが、他を受け付けない周りの家族や友達とも上手くうち解けられない。自分一人の殻にこもって苦しくなり、気がつくと手首を切っていたりする。思い悩んでいるよりは手首を切っているときの方が心が楽になるものらしい。それを周囲の誰かに気付いて欲しい、何かを訴えていることもある。

その子の場合は、お父さんが全く頭ごなしにものを言ってその子の人格を認めてくれなかったようだ。それでも外では明るくしていたが、中学校で担任の先生から、周りのことを考えて行動しなさい、というようなことを言われてから人柄が変わってしまったのだという。

その子にしてみたら家の中での満たされない自分を無理にも外で発散していたのだろう。それが時には周りからはしゃぎすぎ、行き過ぎだと思われ、担任の目に余る行為となっていたのではないか。その子の家庭での外で見せない素顔を担任が把握していたら、もう少し言い方も変わっていたであろうものを。

結局、手首ばかりか手の甲まで傷つけてしまった。これから高校に上がるのに、水泳はおろか、夏服になったら隠せなくなってしまうとその友人も嘆いていた。友人がそのことを知ったのは、リストラで会社を辞めてから、お姉さんの家に泊まりに行ったとき、その子が、ほらっ、という感じで見せたのだという。

きっと、友人をその子も頼りにしているのだろう。親にも打ち明けられないことをその友人に言って楽になりたいのではないかと話した。その子にとって親にも言えないことをとにかく言えるのは叔母さんである友人しか居ないのだ。そういう人が近くにいるだけその子は恵まれているのかも知れない。

とにかく、生きるというのはみんな大変なことなんだ。自分だけじゃない。私も大変なんだということを言ってください。自分も学生の時大変なことがあったけど、今となったら何でもないことに思えるものだから。だけどみんなそうやって成長し大人になっていくんだということを話してください。そんなことを言って友人を励まし、見送った。一人で悩んでいる人には、みんなそうなんだよ、一人だけじゃないんだ、ということを話してあげてほしいと思う。
コメント
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