住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

放生寺へまいります

2005年04月17日 18時50分13秒 | インド思い出ばなし、ネパール巡礼、恩師追悼文他
明日朝一番の飛行機で東京に行き、早稲田の高野山真言宗準別格本山光松山放生寺ご開帳法会に出仕します。

放生寺は、放生会寺というのが正式名で、徳川三代将軍家光公が鷹狩りの際立ち寄り、放生会を盛大に行っていることをお聞きになり寺号を定め、葵の御紋を寺紋とすることを許し、徳川宗家の祈願寺の一つとされた由緒あるお寺です。

私が坊さんになりたくて訪ねていったお坊さんがこの放生寺のお弟子さんで、以来お世話になり、高野山から戻った際には2年ほど役僧として住み込んだお寺でもあります。

実は、このお寺の向かえに早稲田大学文学部の門があるのですが、私が大学2年生の秋、早稲田祭の晩に高校時代の友達2人とその門前で待ち合わせ、その晩四方山話に花を咲かせている内に、私はなぜか、何か東洋の思想を学びたくなり、その後手にしたお釈迦様の本がきっかけで仏教の道を歩むことになりました。

そのことを高野山で一年間の専修学院という僧侶養成期間を終えて戻り、役僧として放生寺の本堂の床を拭いていたとき、その7年も前のことに気付き、その場所が自分にとってとても意味のある場所であったと知りました。そして、正にその時、仏教でいう縁起ということが実感として一瞬のうちに閃き明らかになりました。

それからしばらくの間、全てのことがみんなとても有り難く思え、全てのことが今のこの一瞬に結実している。全ての物事の因と縁の織りなす交差点として今その時にその場がある。そのことが正にあるべくしてある。偶然なんていうことはあり得ない。全てのことがあるべくしてそこに存在し現象しているということが分かりました。

その後物わかりの良いご住職のお陰で翌年インドに行き、その数年後には、インド僧として日本で過ごす間居候をさせていただいたりと、この放生寺さんのお陰で私の今があります。そのありがたい観音様のご開帳に明日まいります。その様子は、また後ほど。
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