毎朝、朝日新聞に目を通す。この備後地域では、圧倒的に中国新聞が読まれている。その次が朝日新聞ではないか。毎日、読売は余り聞かない。友人に毎日の記者があるので当初毎日新聞を取ってみたが、何ともページ数が心許なく、情報量の多さで今は朝日新聞を購読している。
昨日22日の朝日に、「失速小泉改革-中-増殖する隠れ公務員」と題する記事があった。小泉首相には官僚主導の中央集権の本質を変える気持ちはない。確かに公務員の定員は01年に84万人だったものが、今年3月で、33万人まで減ったという。だが、定員の外側で、独立行政法人、国立大学法人、特殊法人の職員が、計67万人もいるのだそうだ。そしてこの独立法人化によって天下りポストは逆に増えてしまっている。
何のための行政改革であろうか。先だって、外務省の公報だっただろうか、シニア海外ボランティアの募集があった。また、定年後は四国遍路という人も多くなってきたという。そうした定年後の時間を自らの技術を生かし人様のために生きよう、功徳を積んで来世のために生きようとする人が多くなってきたということかもしれない。
そこで、海外シニアボランティアなどというありがたいご提案をなさるのなら、官庁を定年なさる皆様が先んじて、自らその精神を体して事に当たってはいかがかと思う。
つまり、天下るのは良いが、そこで高給高額退職金をもらうのではなく、これまで培ったノウハウをボランティアでお国に恩返ししていただいたらよいのではないか。功成り名遂げた皆様に定年してまでお金のために働いていると世間から思わせるのは大変失礼なことでもある。
財政破綻状態にもかかわらず、国連常任理事国入りのためにさらに海外に沢山のお金を必要としているようだ。これから貧しい国民にも重税が予想されているのだから、是非とも官僚の皆様にも国民に強いるだけでなく、ボランティア精神を大いに発揚していただいて、無給ないし必要経費のみにて特殊法人などへ天下っていただく制度を作っていただくべきではないかと思う。
何を詰まらぬ事を。一人愚痴ていろと思われる方も多かろう。しかし、こうしてこれを読んで共鳴してくださる方があれば、次第にそうした雰囲気が出来上がろう。そして、そうした声が上がってきて、当たり前になってこなければ何一つ先に進まない。
つまりは、私たち一人一人が様々なことに知悉して考え、共鳴していかなければ世の中は変わらないのではないか。新聞テレビマスコミの情報を鵜呑みにすることなく、その先に一人一人がものを考え意見を持つことが大切なのではないか。
昔インドの列車で夜中に乗り合わせた人たちが大声で政府の乱暴な施政方針を非難し合い、ときに反駁し様々な情報を口角泡を飛ばして言い合っていた光景を思い出す。お陰で既に横になっていた私は睡眠時間をかなり制限されてしまったのだが。それでも日本ではまずお目にかかれない光景を、つまり興奮して自分たちの生活のことを真剣に論じ合う人々を羨ましく思えた。
私たち自身が変わらなければ何も変わらないことだけは確かなのだと思う。
昨日22日の朝日に、「失速小泉改革-中-増殖する隠れ公務員」と題する記事があった。小泉首相には官僚主導の中央集権の本質を変える気持ちはない。確かに公務員の定員は01年に84万人だったものが、今年3月で、33万人まで減ったという。だが、定員の外側で、独立行政法人、国立大学法人、特殊法人の職員が、計67万人もいるのだそうだ。そしてこの独立法人化によって天下りポストは逆に増えてしまっている。
何のための行政改革であろうか。先だって、外務省の公報だっただろうか、シニア海外ボランティアの募集があった。また、定年後は四国遍路という人も多くなってきたという。そうした定年後の時間を自らの技術を生かし人様のために生きよう、功徳を積んで来世のために生きようとする人が多くなってきたということかもしれない。
そこで、海外シニアボランティアなどというありがたいご提案をなさるのなら、官庁を定年なさる皆様が先んじて、自らその精神を体して事に当たってはいかがかと思う。
つまり、天下るのは良いが、そこで高給高額退職金をもらうのではなく、これまで培ったノウハウをボランティアでお国に恩返ししていただいたらよいのではないか。功成り名遂げた皆様に定年してまでお金のために働いていると世間から思わせるのは大変失礼なことでもある。
財政破綻状態にもかかわらず、国連常任理事国入りのためにさらに海外に沢山のお金を必要としているようだ。これから貧しい国民にも重税が予想されているのだから、是非とも官僚の皆様にも国民に強いるだけでなく、ボランティア精神を大いに発揚していただいて、無給ないし必要経費のみにて特殊法人などへ天下っていただく制度を作っていただくべきではないかと思う。
何を詰まらぬ事を。一人愚痴ていろと思われる方も多かろう。しかし、こうしてこれを読んで共鳴してくださる方があれば、次第にそうした雰囲気が出来上がろう。そして、そうした声が上がってきて、当たり前になってこなければ何一つ先に進まない。
つまりは、私たち一人一人が様々なことに知悉して考え、共鳴していかなければ世の中は変わらないのではないか。新聞テレビマスコミの情報を鵜呑みにすることなく、その先に一人一人がものを考え意見を持つことが大切なのではないか。
昔インドの列車で夜中に乗り合わせた人たちが大声で政府の乱暴な施政方針を非難し合い、ときに反駁し様々な情報を口角泡を飛ばして言い合っていた光景を思い出す。お陰で既に横になっていた私は睡眠時間をかなり制限されてしまったのだが。それでも日本ではまずお目にかかれない光景を、つまり興奮して自分たちの生活のことを真剣に論じ合う人々を羨ましく思えた。
私たち自身が変わらなければ何も変わらないことだけは確かなのだと思う。