住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

スマナサーラ師の思い出

2005年04月25日 14時46分41秒 | インド思い出ばなし、ネパール巡礼、恩師追悼文他
十年以上も前のことにはなるが、インドと関わりを持ち、インドの伝統的仏教教団ベンガル仏教会とご縁が出来て、インド僧になった。その比丘になったときの比丘名を、ダンマサーラといった。「法の核心」とでもいう意味。その頃、現在様々なところでご活躍のスマナサーラ師に学ばせていただいており、それと直接のインドの師匠であるダルマパル師の前後をいただいた名となっている。

スマナサーラ師には、インドの比丘になる少し前に、僧侶仲間と共に、その頃まだ方南町のマンションに住まいされているところへお邪魔して数度に亘り随分長時間色々と上座仏教について質問し、感化を受けた。

その一年数ヶ月後、日本に黄色い衣をまとって一時的にインドから戻った際にも南新宿にあった上座仏教修道会のお世話で、師の勉強会に何度も足を運んだ。たまたまその頃茨城県の鹿島の先に修道会の研修施設が出来、そこにスマナサーラ師が住まいされ、そこへも通わせてもらって、お教えを賜った。

同じような袈裟をまとっていても全くその資質が違い、埋め合わせようもない格差に申し訳ない思いを抱いたものだった。その研修所に泊まらせていただいたとき、スマナサーラ師が私と一緒の部屋で寝ると良いことがあるかも知れませんよ、よくスリランカにいる頃は子供たちが自分と寝たがって仕方なかったというようなことを言われた。

どんなことなのかよく分からなかったが、その晩は寝返りもうたずに熟睡できたことだけは良く憶えている。また、朝の瞑想の時間なかなか落ち着いた気持ちになれなかった頃、スマナサーラ師が、一緒にダンマチャッカパバッタナスッタ、転法輪経を唱えてみましょうと言って本を持ってこられ一緒にパーリ語のお経をたどたどしく読んだ。

そして、その後瞑想をしたとき、それまでとは全く違った心の統一感というか、どっしりと地に着いた瞑想が出来、細かい一つ一つのことがはっきりと分かる不思議な感じを味わったことがあった。ヴィパッサナーとはこういう事かとその仏教の瞑想の一端を垣間見る思いがしたものだ。

その後インドに戻り、また阪神大震災のボランティアに出たりと次第に疎遠になり、その後一度だけ日本テーラワーダ協会を結成された頃会にお邪魔したのが最後となった。その後私は日本に復帰してしまい上座仏教の衣を脱いだときにお礼の手紙だけ差し上げた記憶があるが、その後全く不義理にもお便り一つ差し上げていない。

申し訳ない思いのまま今に至っているが、その後先生は、協会での華々しいご活躍に加え様々な書籍を出版されている。一読された方は、これまでの日本の仏教書にない、本当のお釈迦様の教えはこうしたものだったのかとお思いになるのではないだろうか。

まさしく、本当に分かっておられるからこそ優しく分かりやすく書かれている。瞑想実践の裏付け故にその納得感が読まれている人に伝わってくる。是非スマナサーラ師の本を読んで下さることをお勧めする。(最新刊に養老孟司との対談「希望のしくみ」宝島社がある)

私も今日本の寺に住まい住職として役職を全うしている。しかしスマナサーラ師に学んだ仏教の基礎無くして私の仏教理解はあり得なかったと思っている。今もまだ日々学ぶ段階にはあるが、しっかりと基本を身につけさせていただいたお陰で、本筋は間違わずに歩めることを感謝したい。
コメント (5)
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