住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

四国遍路行記8

2005年12月05日 18時50分37秒 | 四国歩き遍路行記
徳島市内の中学校の駐輪場で目を覚ます。この時まだ寝袋の下に敷くマットも用意が無く、コンクリートの上に新聞紙を敷きそこへ寝袋を広げた。おかげで、夜中深々と冷えてきて、身体に当たるコンクリートの堅さにろくに眠ることが出来なかった。

それでも明け方眠りについたのであろう、白々と夜が明ける頃目を覚ました。夜暗くなってから入り込んだので、守衛さんにも告げずに寝てしまったことに引け目があり、見つかる前に出かけようと、急いで荷物をまとめ歩き出す。

裏通りから国道に出る。まっすぐ東に向かう。朝から、右足の足首辺りに痛みを感じながら歩く。途中市庁舎や駅前を通る。県庁舎の前を通り、道が南に向く。この辺りから足が動かなくなり、通り沿いの喫茶店に入った。温かいココアを注文して暫し休息。

右足の足首ジンジンしてきて、さすってみる。少し膨らんでいるようにも思えた。しかし小一時間休んで、また歩き出す。街路樹のツツジが鮮やかな赤紫色をして目を楽しませてくれているのだが、そんなときに限って薄曇りの天候ということもあり一向に気分が乗ってこない。

小松島辺りで国道から右手に入り山沿いの道へ。恩山寺の看板が目にはいる。足を引きずるように何とかなだらかな山道を登り境内へ。母養山恩山寺という。かつて弘法大師がここで修行中に、母玉依御前が訪ねてこられ、女人禁制を大師が解いてお参りさせ、そこで母は髪を切って出家なされたとの言い伝えから、このような山号と寺名になったという。

本堂まではさらに石段を遙か上まで上がらねばならなかった。薬師如来。伝行基作。椅子があるので坐って理趣経一巻。足が痛み歩くよりお経を上げている時間の方がホッとする。大師堂は下。また石段を下りてお参りする。隣には玉依り御前像を祀ったお堂があった。

上ってきた道を降り境内を後にする。すると初老の一人歩きの女性から話しかけられた。白装束を身につけ運動靴を履き杖をつく姿は私と同じ歩き遍路の初心者を思わせた。聞くと千葉県から一人で出てきて歩いているという。私が足を引きずるのを気の毒に思ったのであろう、Aさんはゆっくりと歩いて下さった。

田圃沿いの車が良く通る小道の脇を歩く。何を話したのだったろうか。おそらく、私のそれまでの歩みを語ったはずである。インドで四国の歩き方を教えてもらったことも。Aさんは、少し話をしたら、「それでは」と言って先を行かれるのだろうと思ったのに、なぜか、わざわざ遅い私を気遣いついてこられる。

歩き遍路というのは不安なもので誰でも同じ志の人と歩くだけで安心するところもある。そんな初心者としての心理からだろうか。あれこれ話をしている間に橋を渡り平地にある19番立江寺までご一緒した。そろそろ夕方だった。

「本堂で長くお経を上げますからお先に」と言ったのに、それでもまだ何かご覧になり待って下さった。暗くなりかけていたこともあり、「寺務所に本堂のひさしの下で寝かせてもらえないか」と頼みに行った。すると「歩きですか。それなら、どうぞ宿坊を御接待します」と言うではないか。早速Aさんもお誘いして二人共々大部屋に向かうことになった。
つづく
コメント
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