住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

世の流れ

2005年12月15日 07時26分33秒 | 様々な出来事について
この季節になると町のあちこちにクリスマスのツリーがお目見えし、所々家の庭先は電飾で飾られている。来年合併する福山市の市庁舎にも大きなツリーが作られ世界の平和を祈るのだという。そのことに誰一人として疑問を呈することもない。全く嘆かわしいこの国の現状ではないか。

かつてインドの田舎に一年暮らしたとき、この季節誰一人といって、また町の中に一切こうした飾り付けも言葉も目にすることはなかった。誠に健全な自国の文化宗教に誇りを持つ国民性に感激したことがあった。

勿論、わが国でこのような状態になってどのくらい経つのだろう、最近のことでも無かろう。私の子供の頃には既にクリスマスのプレゼントやケーキに幻惑される時代であった。

小学校から小さなケーキをもらって帰った記憶もある。しかし今思えば背筋の寒くなる思いがする。なぜこうも私たちは宗教に鈍感無知、いい加減な国民なのかと。何も目くじらたてずに世界の偉人を讃えるものとして祭りを楽しめばいいと言う方が大人の見解というものだろうか。

しかし、このクリスマスの習慣が、単に商売の促進とか人々の心を楽しませるために自発的に始まったものならそれでも良かろう。しかし、戦後の進駐軍による巧妙な日本人洗脳の一環として、天皇現人神で一丸となる国民性、一途になる宗教的性質を解体する目的から導入され宗教観を崩壊させたものであるなら、いかがであろうか。

かつて種子島にポルトガル人がやってきて、その6年後にザビエルがやってきた。彼の所属するイエズス会は、鉄の軍団とも言われる反プロテスタントの闘士たちで宣教師の次には商船がそして軍隊がやって来るというものであった。

彼らは猛烈に布教し、それと同時に貿易が始まり、キリシタン大名が領土の寄進をするに当たって、秀吉がその意図に気づき追放した。そうしなければインドやフィリピンなど他のアジアの諸国のように植民地と化していたであろう。

とき既にまるでアメリカの植民地と化したような状況にある今の日本で、私たちはもっと冷徹に自らの現実の有様を見つめる必要があるのではないか。気がつけば憲法改定が、皇室典範の改正が着々と進んでいる。

その真の目的について思索する必要があろう。益々国民のなけなしのお金がアメリカに上納されていく。わが国の銀行や誇るべき優良企業が外資に買いたたかれていく惨状を知らねばならない。

コメント (1)
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