次の日もAさんがお供して下さった。太龍寺の麓から10キロほどの道のりを歩く。途中薄暗い竹藪の中の道を抜ける。光が竹の葉に透けて、きれいな黄緑色の空間を醸し出していた。幾重も落ちた竹の葉の感触も柔らかい。思わず寝転がりたくなる衝動を抑え、心持ち軽快に足が前に進んだ。
22番平等寺は、山裾に位置しているため山門を入ると正面に長い石段が目にはいる。本堂はずっと上だ。山号を白水山と言い、お大師様がお参りのみぎり、五色の雲に乗って薬師如来が現れ、祈祷するため井戸を掘ったところ乳白色の水が湧き出たという。その水は今でも滾々と湧き出て、その水で入れたお茶をお接待にいただいた。
昔は遍路宿を経営していたのではないかと思われる家並みを抜けて、先を歩く。途中小さな森の中に番外の札所であろうか。お大師様を祀ったお堂があった。そこを抜けると国道に出る。Aさんと、とぼとぼ歩く。すると一台の新車が私たちの少し前に止まった。運転席から背広姿の初老の男性が降りてきて、「どうぞお乗り下さい」と言う。
Aさんと顔を見合わせ、乗り込む。聞くと、いま車屋さんから受け取ったばかりの新車で、どなたかお遍路さんを乗せたかったのだと言われた。丁度次の薬王寺近くの高等学校まで行くらしい。そこの校長先生であった。
渡りに船。初心者遍路にとっては特に有り難いお誘い、お接待である。新車にお遍路さんを乗せて接待し、それを交通安全の祈願にするというのか、それとも新しい新車で共々功徳を積むことで、縁起の良い新学期をスタートさせたいということであったのか。とにかくも、何ともありがたいお接待であった。
23番薬王寺は、国道沿いの入り口から石段を幾重も上がっていく。平安の昔から厄落としの寺であったと言われ、女厄坂33段、男厄坂42段の石段の脇には小銭が沢山置かれていた。本堂前まで来ると、視界が開け、後ろには日和佐の海が一望できる。ウミガメの産卵でも有名なところだ。本尊さんは薬師如来。ゆっくりと理趣経を上げる。右手山上には瑜祇塔が美しい。多宝塔の屋根の中心と四方に五本の瑜祇五鈷を乗せた姿をしている。
この日も多くの参拝者が後先にお参りしていた。夕刻が迫っていたが、まだ日も高く先に歩を進める。そろそろAさんとも3日目。Aさんもいつまで一緒に歩いていいものか思い計っているようでもあった。心なしか口数も減ってきた。
私が衣を着込んだ僧侶ということもあって、お昼の食事から宿代までご面倒を掛けていた。国道をとぼとぼ歩きながら足が次第に楽になってきた分、明日のことを考え、また今日の宿のことを考えていた。普通はその日の宿くらい電話を入れておくのがマナーというものだろう。しかし歩き遍路はこの日の車の接待のように、どうなるか分からない。だからこそおもしろいし、出会いの妙がありがたい。
日和佐を出て、牟岐の街まで来たところで夕刻になり、日が傾いてきた。JRの駅を過ぎて左に入った宿に入る。「私はこの先でどこかに寝袋を広げますから・・・」と言うのに、Aさんが「今晩までお接待しますから」と言われるので、厚かましいかとは思いながらもお供させていただいた。同じ関東出身で巡り会わせた機縁、励まし合いながら手探りのAさんとの三日間であった。

22番平等寺は、山裾に位置しているため山門を入ると正面に長い石段が目にはいる。本堂はずっと上だ。山号を白水山と言い、お大師様がお参りのみぎり、五色の雲に乗って薬師如来が現れ、祈祷するため井戸を掘ったところ乳白色の水が湧き出たという。その水は今でも滾々と湧き出て、その水で入れたお茶をお接待にいただいた。
昔は遍路宿を経営していたのではないかと思われる家並みを抜けて、先を歩く。途中小さな森の中に番外の札所であろうか。お大師様を祀ったお堂があった。そこを抜けると国道に出る。Aさんと、とぼとぼ歩く。すると一台の新車が私たちの少し前に止まった。運転席から背広姿の初老の男性が降りてきて、「どうぞお乗り下さい」と言う。
Aさんと顔を見合わせ、乗り込む。聞くと、いま車屋さんから受け取ったばかりの新車で、どなたかお遍路さんを乗せたかったのだと言われた。丁度次の薬王寺近くの高等学校まで行くらしい。そこの校長先生であった。
渡りに船。初心者遍路にとっては特に有り難いお誘い、お接待である。新車にお遍路さんを乗せて接待し、それを交通安全の祈願にするというのか、それとも新しい新車で共々功徳を積むことで、縁起の良い新学期をスタートさせたいということであったのか。とにかくも、何ともありがたいお接待であった。
23番薬王寺は、国道沿いの入り口から石段を幾重も上がっていく。平安の昔から厄落としの寺であったと言われ、女厄坂33段、男厄坂42段の石段の脇には小銭が沢山置かれていた。本堂前まで来ると、視界が開け、後ろには日和佐の海が一望できる。ウミガメの産卵でも有名なところだ。本尊さんは薬師如来。ゆっくりと理趣経を上げる。右手山上には瑜祇塔が美しい。多宝塔の屋根の中心と四方に五本の瑜祇五鈷を乗せた姿をしている。
この日も多くの参拝者が後先にお参りしていた。夕刻が迫っていたが、まだ日も高く先に歩を進める。そろそろAさんとも3日目。Aさんもいつまで一緒に歩いていいものか思い計っているようでもあった。心なしか口数も減ってきた。
私が衣を着込んだ僧侶ということもあって、お昼の食事から宿代までご面倒を掛けていた。国道をとぼとぼ歩きながら足が次第に楽になってきた分、明日のことを考え、また今日の宿のことを考えていた。普通はその日の宿くらい電話を入れておくのがマナーというものだろう。しかし歩き遍路はこの日の車の接待のように、どうなるか分からない。だからこそおもしろいし、出会いの妙がありがたい。
日和佐を出て、牟岐の街まで来たところで夕刻になり、日が傾いてきた。JRの駅を過ぎて左に入った宿に入る。「私はこの先でどこかに寝袋を広げますから・・・」と言うのに、Aさんが「今晩までお接待しますから」と言われるので、厚かましいかとは思いながらもお供させていただいた。同じ関東出身で巡り会わせた機縁、励まし合いながら手探りのAさんとの三日間であった。
