「仏像とは何か?」また、何か大上段に振りかぶって大仰なことを、とお思いの方もあろう。しかし、私にとって、これは大いに意味ある大事な問いであって、高野山にいる頃から、なぜ仏像などあるのだろうか。仏像などあるから仏教は堕落したのではないか。そんなことを考えていた。
前回申し上げた高野山の専修学院にいた頃、同じ修行僧にそう言ったところ、何も答えてくれなかった。高野山に修行に来るような信仰心の篤い人には、なかなか私の発した問いの発想は理解しがたいものがあったのであろう。意外と都会のど真ん中で、若い人に問うてみたらおもしろい答えが返ってくるのかもしれない。
後にインド・カルカッタのお寺にあったときも、そんな思いが沸いた。師匠の宗務総長ダルマパル・バンテーに問うと、「仏像があったからこそ、ここまで仏教が広まったのだよ」とだけお答えになった。
確かにそうなのだ、たしか西暦1世紀中頃クシャーン王朝の時代にガンダーラとマトゥーラーでほぼ同時に仏像が造られ始めた。それまでは、お釈迦様の御像を彫刻することは不遜なこと、お悟りになったお方の姿を刻むなどということはできなかった。それで、彫刻の様々な場面でお釈迦様をあらわす場合、菩提樹であるとか、法輪、仏足石を描くことでお釈迦様を表現した。
しかしお釈迦さま滅後500年して、仏像が造られたことによって、インド世界から他の西域、アジア東部へと仏像と経巻が運ばれ瞬く間に仏教が広まった。確かに教えだけでは仏教は無味乾燥なものであったかもしれない。仏像がなければ、僧侶が勉強したり生活する講堂や僧坊だけで、あっても仏塔くらいで、お寺には本堂もなく香も灯明も差し上げず、荘厳する場もなければいわゆる仏教文化の華は咲き誇ることなく終わっていたのかも知れない。
それでも私は、「仏像とは何か?」と問いたい。たとえば、観音様でも、お薬師様でも、沢山おられる。世界中のお寺に、もちろん仏像として。西国などの観音霊場なら、33カ所で33体もの観音様をお参りする。しかし観音菩薩、釈迦如来、阿弥陀如来、ありとあらゆる仏は本来やはりそれぞれお一人なのではないかと私は勝手に思っている。
四国の八十八カ所も本尊は別々かもしれないが、大師堂に祀られた弘法大師像は88体あって、それぞれにお参りする。しかし弘法大師は本当はお一人であって、来世に都卒天に転生して衆生を済度するのだと言われた。
それなのに沢山の弘法大師像を正にそこにお大師様がおられるかのように思い拝む。仏菩薩もありとあらゆる所に祀られているその御像を正に唯一の仏そのものと思い手を合わせるという。しかし私は、いくつおられても、それぞれをその仏菩薩そのものとして拝むという行為は少々受け入れがたい。それはどういう事かとどうしても考えて、私なりの納得をしなかったら、手を合わせるという行為が嘘になってしまう。そう思えたのだ。
これもしばらくペンディング事項で、いっこうに自ら納得できる答えのないまま時間が経過した。そうこうしていたら、ある時、昔子供の頃テレビで見た「タイムトンネル」という番組を思い出した。二人の主人公が、時空を超越した旅に出る。目に見えないスポット(はざま)にはいると時代を超えて、たとえば300年も前の時代にと四次元空間の旅をして、行った先のハプニングに遭遇し、危機に陥るとまたタイムトラベルを繰り返すというSFものだった。
その時閃いたのは、そうか仏像とはそのスポットなのではないかと。つまり、本来一つの仏へ通じる時空を超えた、仏そのものに直結した四次元の空間が口を開けたスポット(はざま)こそが仏像なのではないかと。だから、その本来の一つの仏に向けて、時空を超えて直結するものとして各々沢山の仏像があるのではないか。そんな風に考えれば、それぞれ造形された仏像に開眼供養を施して、礼拝し拝むという行為に一つの意味づけができるではないか。そう私は納得して、それ以来その考えのもとで仏を拝んでいる。
そして、更に言わせてもらえば、私はそのおおもとの、本来一つである仏菩薩、明王などのすべての仏たち、それらも元を正せば一つであり、それらはすべて歴史的背景からしてお釈迦さまの悟りから発生したものであると考えなければいけない。すべてはお釈迦さまの悟りに端を発して時代に応じて様々に発展させてきたものだから。
お釈迦さまの数え切れないほどの智慧、お徳の一つ一つをそれぞれの仏菩薩たちに分担させているものであると言えよう。すべてはお釈迦さまに収斂されるのであって、様々な宗派も、もとは仏も一つ、教えも一つという発想に立ち返る必要があるのではないか。密かに一人そう思っている。
日記@BlogRanking
前回申し上げた高野山の専修学院にいた頃、同じ修行僧にそう言ったところ、何も答えてくれなかった。高野山に修行に来るような信仰心の篤い人には、なかなか私の発した問いの発想は理解しがたいものがあったのであろう。意外と都会のど真ん中で、若い人に問うてみたらおもしろい答えが返ってくるのかもしれない。
後にインド・カルカッタのお寺にあったときも、そんな思いが沸いた。師匠の宗務総長ダルマパル・バンテーに問うと、「仏像があったからこそ、ここまで仏教が広まったのだよ」とだけお答えになった。
確かにそうなのだ、たしか西暦1世紀中頃クシャーン王朝の時代にガンダーラとマトゥーラーでほぼ同時に仏像が造られ始めた。それまでは、お釈迦様の御像を彫刻することは不遜なこと、お悟りになったお方の姿を刻むなどということはできなかった。それで、彫刻の様々な場面でお釈迦様をあらわす場合、菩提樹であるとか、法輪、仏足石を描くことでお釈迦様を表現した。
しかしお釈迦さま滅後500年して、仏像が造られたことによって、インド世界から他の西域、アジア東部へと仏像と経巻が運ばれ瞬く間に仏教が広まった。確かに教えだけでは仏教は無味乾燥なものであったかもしれない。仏像がなければ、僧侶が勉強したり生活する講堂や僧坊だけで、あっても仏塔くらいで、お寺には本堂もなく香も灯明も差し上げず、荘厳する場もなければいわゆる仏教文化の華は咲き誇ることなく終わっていたのかも知れない。
それでも私は、「仏像とは何か?」と問いたい。たとえば、観音様でも、お薬師様でも、沢山おられる。世界中のお寺に、もちろん仏像として。西国などの観音霊場なら、33カ所で33体もの観音様をお参りする。しかし観音菩薩、釈迦如来、阿弥陀如来、ありとあらゆる仏は本来やはりそれぞれお一人なのではないかと私は勝手に思っている。
四国の八十八カ所も本尊は別々かもしれないが、大師堂に祀られた弘法大師像は88体あって、それぞれにお参りする。しかし弘法大師は本当はお一人であって、来世に都卒天に転生して衆生を済度するのだと言われた。
それなのに沢山の弘法大師像を正にそこにお大師様がおられるかのように思い拝む。仏菩薩もありとあらゆる所に祀られているその御像を正に唯一の仏そのものと思い手を合わせるという。しかし私は、いくつおられても、それぞれをその仏菩薩そのものとして拝むという行為は少々受け入れがたい。それはどういう事かとどうしても考えて、私なりの納得をしなかったら、手を合わせるという行為が嘘になってしまう。そう思えたのだ。
これもしばらくペンディング事項で、いっこうに自ら納得できる答えのないまま時間が経過した。そうこうしていたら、ある時、昔子供の頃テレビで見た「タイムトンネル」という番組を思い出した。二人の主人公が、時空を超越した旅に出る。目に見えないスポット(はざま)にはいると時代を超えて、たとえば300年も前の時代にと四次元空間の旅をして、行った先のハプニングに遭遇し、危機に陥るとまたタイムトラベルを繰り返すというSFものだった。
その時閃いたのは、そうか仏像とはそのスポットなのではないかと。つまり、本来一つの仏へ通じる時空を超えた、仏そのものに直結した四次元の空間が口を開けたスポット(はざま)こそが仏像なのではないかと。だから、その本来の一つの仏に向けて、時空を超えて直結するものとして各々沢山の仏像があるのではないか。そんな風に考えれば、それぞれ造形された仏像に開眼供養を施して、礼拝し拝むという行為に一つの意味づけができるではないか。そう私は納得して、それ以来その考えのもとで仏を拝んでいる。
そして、更に言わせてもらえば、私はそのおおもとの、本来一つである仏菩薩、明王などのすべての仏たち、それらも元を正せば一つであり、それらはすべて歴史的背景からしてお釈迦さまの悟りから発生したものであると考えなければいけない。すべてはお釈迦さまの悟りに端を発して時代に応じて様々に発展させてきたものだから。
お釈迦さまの数え切れないほどの智慧、お徳の一つ一つをそれぞれの仏菩薩たちに分担させているものであると言えよう。すべてはお釈迦さまに収斂されるのであって、様々な宗派も、もとは仏も一つ、教えも一つという発想に立ち返る必要があるのではないか。密かに一人そう思っている。
日記@BlogRanking