ある仏教の瞑想法の本に紹介されていたので買い求めた。昨日、空いた時間を費やして読了した。軽快なタッチで読みやすく書かれてはいるが、そこにこめられた意図は計り知れない。より多くの読者に、おそらく哲学書など読むこともない人たちにも手にとって欲しい。そして、恩師が死の床で何を思ったかを多くの人に知って欲しい。そんな著者ミッチ・アルボムの思いが溢れているようだ。
1920年代に生まれ、シカゴ大学で修士と博士号を取ったモリー・シュワルツ先生は、50年代後半から80年代にかけてマサチューセッツ州ウォルサムのブランダイス大学の社会心理学教授であった。多くの学生にその独創的な教育手法によって慕われるが、退官間際にALSという難病・筋萎縮性側索硬化症に侵されてしまう。
ALSとは、日に日に身体の力が失われていく。足の先から次第に運動神経が侵され、ついには自分の意志で動かせる筋肉がすべて動かなくなってしまう恐ろしい病気である。しかし、手や足、腹筋、背中、顔、呼吸筋まで少しずつ動かなくなるのに、感覚や頭脳が侵されることはない。
16年前にモリー先生の教え子で、学生時代、先生と過ごす時間の多かった、スポーツライター、ミッチ・ボルモアは偶然テレビで恩師が難病に侵されていることを知る。直ちに会いに行き、それをたいそう喜ばれたモリー先生が、自ら発案して毎週火曜日、先生とミッチが、「人生の意味」について論じ合った。その様子を綴ったのが本書「モリー先生との火曜日」(別宮貞徳訳・NHK出版)である。
読みながら思わず鉛筆でラインを入れていた。そんな箇所をいくつか紹介しながら本書の要点を述べてみよう。
最初の火曜日。ミッチが行くと先生は泣いていた。病気のことを悲観してかと思ったが、そうではなかった。その日のニュースで、ボスニアの市民が通りを走っていただけなのに銃殺された。それを見て、その場に吸い寄せられるように自分の苦しみのように感じてしまったのだということだった。
その後、先生は、この病気になって一番教えられていることは何だと思うかと問う。それは「人生で一番大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよと」言われる。そして、レビィンという賢者の言葉を付け加える。「愛は唯一、理性的な行為である」と。他者の思い、気持ちをわがことのように感じ取り、それをやさしく思いやることが愛ということなのであろうか。
第二火曜日。先生は、徐々に身体が動かなくなっていくことに悲しみが襲い、朝泣いてしまうことがあることを告白する。しかしそんなとき思い切って泣いて、それから人生にまだ残っているものに気持ちを集中する。二、三粒涙を流して、それで今日一日、さあやろう、と気合いを入れる。ミッチの知人には、目の覚めている間中我が身を哀れんでいる人がいる。それなのに、先生はこんなに恐ろしい病気に罹っているのにどうしてそんなに積極的な考えができるのか、と思う。
それに対し先生は、「おそろしいと思うからおそろしいだけなんだ」「私には、さよならが言える時間がこれだけあるのはすばらしいことでもある、みんながみんなそれほどしあわせってわけじゃない」どんな情況にあっても、どんな苦境にあっても、できることに光明を見出していくことがどれだけ大切なことであろう。救われることであろう。
第四火曜日。先生は死について語る。「誰でも(本当は)いずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない。信じているなら、違うやり方をするはずだ」「(死に直面すれば)よけいなものをはぎとって、肝心なものに注意を集中するようになる。いずれ死ぬことを認識すれば、あらゆることについて見方ががらっと変わるよ」「いかに死ぬか学べば、いかに生きるかを学べる」
第六火曜日。様々な思いからの開放、物や思いに執着しないということについて語る。「それは経験を自分の中にしみこませないことじゃない。むしろその反対で、経験を自分の中に十分にしみこませるんだよ。そうしてこそ、そこから離れることができる。ある女性への愛でも、愛する者を失った悲しみでも、私が今味わっているような死にいたる病による恐怖、苦痛でもいい。そういった感情に尻込みしていると、つまりとことん付き合っていこうという考えを持たないと、自分を切り離すことができない。いつもこわがってばかりいることになる」
「そういった感情に自分を投げ込む、頭からどーんと飛び込んでしまう、そうすることによって、その感情を十分にくまなく経験することができる。痛みとはどういうものかがわかる。愛とは何かがわかる。悲しみとは何かがわかる。そのときはじめてこう言えるようになるんだ。よしこの感情を私は経験した。その感情の何たるかが分かった。今度はしばらくそこから離れることが必要だと」つづく
日記@BlogRanking
1920年代に生まれ、シカゴ大学で修士と博士号を取ったモリー・シュワルツ先生は、50年代後半から80年代にかけてマサチューセッツ州ウォルサムのブランダイス大学の社会心理学教授であった。多くの学生にその独創的な教育手法によって慕われるが、退官間際にALSという難病・筋萎縮性側索硬化症に侵されてしまう。
ALSとは、日に日に身体の力が失われていく。足の先から次第に運動神経が侵され、ついには自分の意志で動かせる筋肉がすべて動かなくなってしまう恐ろしい病気である。しかし、手や足、腹筋、背中、顔、呼吸筋まで少しずつ動かなくなるのに、感覚や頭脳が侵されることはない。
16年前にモリー先生の教え子で、学生時代、先生と過ごす時間の多かった、スポーツライター、ミッチ・ボルモアは偶然テレビで恩師が難病に侵されていることを知る。直ちに会いに行き、それをたいそう喜ばれたモリー先生が、自ら発案して毎週火曜日、先生とミッチが、「人生の意味」について論じ合った。その様子を綴ったのが本書「モリー先生との火曜日」(別宮貞徳訳・NHK出版)である。
読みながら思わず鉛筆でラインを入れていた。そんな箇所をいくつか紹介しながら本書の要点を述べてみよう。
最初の火曜日。ミッチが行くと先生は泣いていた。病気のことを悲観してかと思ったが、そうではなかった。その日のニュースで、ボスニアの市民が通りを走っていただけなのに銃殺された。それを見て、その場に吸い寄せられるように自分の苦しみのように感じてしまったのだということだった。
その後、先生は、この病気になって一番教えられていることは何だと思うかと問う。それは「人生で一番大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよと」言われる。そして、レビィンという賢者の言葉を付け加える。「愛は唯一、理性的な行為である」と。他者の思い、気持ちをわがことのように感じ取り、それをやさしく思いやることが愛ということなのであろうか。
第二火曜日。先生は、徐々に身体が動かなくなっていくことに悲しみが襲い、朝泣いてしまうことがあることを告白する。しかしそんなとき思い切って泣いて、それから人生にまだ残っているものに気持ちを集中する。二、三粒涙を流して、それで今日一日、さあやろう、と気合いを入れる。ミッチの知人には、目の覚めている間中我が身を哀れんでいる人がいる。それなのに、先生はこんなに恐ろしい病気に罹っているのにどうしてそんなに積極的な考えができるのか、と思う。
それに対し先生は、「おそろしいと思うからおそろしいだけなんだ」「私には、さよならが言える時間がこれだけあるのはすばらしいことでもある、みんながみんなそれほどしあわせってわけじゃない」どんな情況にあっても、どんな苦境にあっても、できることに光明を見出していくことがどれだけ大切なことであろう。救われることであろう。
第四火曜日。先生は死について語る。「誰でも(本当は)いずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない。信じているなら、違うやり方をするはずだ」「(死に直面すれば)よけいなものをはぎとって、肝心なものに注意を集中するようになる。いずれ死ぬことを認識すれば、あらゆることについて見方ががらっと変わるよ」「いかに死ぬか学べば、いかに生きるかを学べる」
第六火曜日。様々な思いからの開放、物や思いに執着しないということについて語る。「それは経験を自分の中にしみこませないことじゃない。むしろその反対で、経験を自分の中に十分にしみこませるんだよ。そうしてこそ、そこから離れることができる。ある女性への愛でも、愛する者を失った悲しみでも、私が今味わっているような死にいたる病による恐怖、苦痛でもいい。そういった感情に尻込みしていると、つまりとことん付き合っていこうという考えを持たないと、自分を切り離すことができない。いつもこわがってばかりいることになる」
「そういった感情に自分を投げ込む、頭からどーんと飛び込んでしまう、そうすることによって、その感情を十分にくまなく経験することができる。痛みとはどういうものかがわかる。愛とは何かがわかる。悲しみとは何かがわかる。そのときはじめてこう言えるようになるんだ。よしこの感情を私は経験した。その感情の何たるかが分かった。今度はしばらくそこから離れることが必要だと」つづく
日記@BlogRanking