住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

日本の古寺巡りシリーズ第1回女人高野室生をゆく

2006年11月21日 13時45分42秒 | 朝日新聞愛読者企画バスツアー「日本の古寺めぐりシリーズ」でのお話
昨日、朝6時20分お寺を出て、38名の参加者とともに、室生寺にお参りした。朝日新聞愛読者特別企画『備後国分寺住職と巡る日本の古寺めぐりシリーズ第一回、奈良県女人高野室生をゆく、晩秋の室生寺・松平文華館』。天気が心配されたが、何とか雨も上がり雲の合間から陽の差す空模様。

府中、福山、井原、笠岡と参加者を大型バスに迎え、一路室生寺へ。片道6時間。その間、軽妙な笑いを誘う添乗員さんの話に続き、分かりやすい仏教のお話をとのことで、私のこれまでの歩みなど四方山話をしたあと、坊さんとは何か。お寺とは何か。檀家さんとは何かという話をした。

坊さんは、職業と思っている人もあろうが、もともと職を持たないのが坊さん、僧侶だという話。このブログでは既に語り終わっているテーマではあるけれども、この度の参加者には珍しい語りであったようだ。

僧侶は、インドでは比丘であって、比丘とは食を乞う人のことであり、何も生産的な活動をしないで人様からいただく食で食いつなぎ、自分の悟りに向かって教えを学び坐禅瞑想に励み精進する人のことであると。

だから、坊さんの本来の仕事は、葬式法事等儀式儀礼を執行することなどではなく、やはり教えを学び精進することであって、そこから得たものを周りの縁ある人たちに伝え広めることであると。そんなことを長々と語った。

そして、お寺とは、七堂伽藍と言うけれども、もとは、がらんどうであった。七堂伽藍とは、金堂、講堂、塔、鐘楼堂、僧堂、食堂、経蔵。こんなに揃った姿になったのはずっと後のこと。

伽藍とは、サンガーラーマというインドの言葉が中国で僧伽藍と訳され、単に伽藍と言われるようになった。サンガーラーマとは、僧院のこと、僧侶が修行生活を行う場所のことである。

お釈迦さまの時代、初めて竹林精舎という建物が仏教教団にできたときには、ただ粗末な屋根のある建物に過ぎず、正にがらんどう。それも普段は遊行して歩く習慣のため、雨期の一時期過ごすだけのためのものであった。

それが時代を経て、レンガ造りの僧院ができ、そこには一人一人が瞑想する8畳くらいの部屋が沐浴する井戸を囲み、ロの字に配された建物に発展していく。そして、今私たちはお寺というと仏像を祀る本堂が必ずあると思っているが、それは、お釈迦様滅後500年は無かった。仏像はなくても、仏塔を拝し教えを学び、修行に励んでいた。

今でもミャンマーなどでは、仏塔や仏像を祀った仏殿と僧院とは離れて作られていて、一般の仏教信者が参るところと僧侶の生活する場は別れている。室生寺も昔は、今日歩いて参る伽藍は僧侶の修行の場であったであろう。しかし今ではそこは一般の参詣者に開放され、僧侶は下の本坊などに暮らし修行をする。

だから、お寺というのは、葬式法事をする場所などではなく、本来教えを学び修行する場なのであって、葬式法事という儀式儀礼も、本来それが教えを学び精進修行になるものであるからこそするのであって、だからこそ功徳があるということなのであろう。

それではお寺を護持する檀家さんとは何か。今では、いざというとき、家族の誰かが亡くなったなどというときに連絡するお寺がある家のことだと思っているかもしれない。しかしお寺が本来修行の場であり、教えを学ぶ場であるならば、そうしたお寺の活動に賛同し、御供えし供養する人々が無くてはお寺は維持していくことはできない。

檀家の檀は、檀那の檀であって、檀那は、インド語のダーナーからきていて、施し、布施のこと。そうしたお寺の教えに賛同し学び様々な行事儀礼に参加して施しをする檀家さんは、お寺にとってかけがえのない人たちである。

その人たちの中で、もしご不幸があったならば、その寺の住侶がそれは何を置いても駆けつけてお経を唱え、引導を渡す。それはごく当たり前、自然なことであって、日本仏教は葬式仏教であると揶揄されたりもするが、葬儀法事が悪いわけではない。この関係の順番を間違うからいけないのではないか。

こんな話をし、高野山の声明が流れるビデオを見たり、また、室生寺の解説をして、午後1時前に室生寺に到着。受付を通ると、仁王門の前には見事に真っ赤な色を付けた紅葉が姿を現し、そこに黄色やまだ緑の楓が絶妙のコントラストを興じていた。

鎧坂を登り、弥勒堂、金堂で、お勤め。他の団体や個人参詣者はお経を上げる私たちの団体を何か特別の存在のように取り囲む。私を室生寺の僧と勘違いして何やら尋ねてくる参拝者もいた。勿論丁寧に返答しておいた。

そして、石段を登り、本堂へ。堂内に靴を脱いで上がり座ってお勤め。丁度参拝者が入れる下陣が私たちの団体で一杯になる。ゆっくりとお勤めして、外へ出るとそこは五重塔を上に仰ぐ神秘的な空間。何とも美しい景色にとけ込んだ女人好み。曇り空のためやや晴れやかさを欠いた五重塔ではあったが、その景観は素晴らしい。

上に上がって、礼拝し、その西に位置する如意山を拝み、お勤め。心経一巻とオン・バン・タラク・ソワカ。ここは、室生山の中心。真言宗の最も厳粛なる祭儀である正月の後七日御修法の導師は修法前にここ室生寺の如意山にお参りするという。

それから、自由行動の後、松平文華館を拝観し、帰路へ。この日のために用意をした『モリー先生との火曜日』のビデオを見たり、仏教に関する様々な質疑応答に時間を費やして、一路福山へ帰還した。

参加者からは、「この度は参加して本当に良かった。行きたくて行けなかった室生寺に参れて。そして、いろいろな話を聞けたし、こういう参拝旅行でも帰りに釣り馬鹿日記や寅さんの映画ばかり見せられてきたけれども、今回は映画までとても宗教的な内容で感激しました」との声が聞かれた。企画添乗いただいた倉敷観光金森氏に感謝し、参加された皆さまとのまたの再会を楽しみにしたい。

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