住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

京都 三千院・寂光院散策3

2007年03月13日 08時09分20秒 | 朝日新聞愛読者企画バスツアー「日本の古寺めぐりシリーズ」でのお話
往生極楽院をあとにして、弁天池を南に進むと、延命水の井戸があり、その先には弁財天が祀られている。弁財天は、インドの河の神サラスワティで、人々に豊饒と実用的な智恵を与える。インドでは学問の神となっている。

庭を回遊して、先に進むと平成元年に建立された大きな金色不動堂が見えてくる。周辺にはしだれ桜、あじさいなどが多く植えられている。弘法大師の甥で天台宗比叡山に入り唐にも行って修学し天台密教を大成した円珍が比叡山で感得して刻んだという金色不動明王立像を本尊とする。木造97センチ。

さらに進むと、一番奥には観音堂があり、その北には来迎二十五菩薩示現の庭がある。また金色不動堂の北には、律川を渡って炭を焼き始めた売炭翁(ばいたんおきな)旧跡と伝えられるところに鎌倉時代の大きな阿弥陀石仏が祀られている。225センチ。

なお、三千院の三千とは、天台宗の教義中にある一念三千という言葉からきているもので、それは、自身のこの一念の中に地獄から仏までのありとあらゆる心が備わっているという教え。

三千院の緑の万華鏡によって醸し出される清浄なる空気を吸い、そして緑の光に照らされ、心を阿弥陀さんの眼差しに留めるとき、私たちは自ずと既に浄土にあるような心地に至るのではないか。

寂光院参拝

次なる目的地、寂光院へは、三千院から呂川沿いに戻り、田園の道を西の山へ向かう。土産店が建ち並び始めたら木々に覆われた高倉天皇皇后徳子陵(大原西陵)と出会う。

皇后徳子とは平清盛の二女で、高倉天皇の皇后として安徳天皇を産んだ建礼門院(けんれいもんいん)のことで、宮内庁が管轄しているが、五輪塔の仏教式で珍しい御陵の一つである。寂光院はこの西に並んで建ち、多くの観光客は、寂光院を目指しここを素通りするという。
 
寂光院は、天台宗の尼寺で、承徳年間(1097~99)に良忍が再興するが、創建は推古天皇(593~618)の時代、聖徳太子が父用明天皇の菩提のために建立したと伝えられる。

初代住職は、聖徳太子の乳母で玉照姫が敏達13年に日本で初めて出家された三人の比丘尼の一人となり、ここ寂光院に住職した。代々高貴な家門の姫がたが法灯を守り続けたと言われる。

寂光院と自然石に刻んだ門から参道石段を上がると、右手(東)の建物は庫裡であろうか。その先左(西)には昨年落慶したばかりの宝物殿があり、右には孤雲と名付けられた茶室が佇む。さらに上がると中門があり、右手は客殿であろうか。

その先本堂手前右側の庭には秀吉寄進の南蛮鉄の雪見灯籠が桃山城から移設されている。本堂左(西)側の庭園には、平家物語に語られるままに、汀の池(みぎわのいけ)と言われる心字池があり、苔むした石、汀の桜、そして樹齢千年の姫子松がある。

この松は、平家物語に建礼門院徳子が、壇ノ浦で滅亡した平家一門と両天皇の菩提を弔うために終生この地で過ごされるが、平家物語のなかで、建礼門院を後白河法皇(夫高倉天皇の父)が訪ね対面するときに登場する松であるという。残念ながら、この松は本堂の火災の折に傷み、平成16年に枯れて、歌碑を建ててご神木として祀られている。

そして、この時法皇が詠われた「池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛りなりけり」に因んで汀の桜、汀の池と名付けられた。汀の池の手前には、平家物語で語られる諸行無常の鐘楼がある。

本堂北側の庭園は、回遊式四方正面の庭で、石清水を引いた三段の滝を「玉だれの泉」と称して、一段一段高さ角度が異なる三つの滝がそれぞれ異なる音色が合奏するかの趣がある。

そして、桃山時代に建立された三間四面の寂光院に相応しい小降りの本堂は、平成12年5月消失後、内陣、柱は飛鳥様式、藤原様式、下陣は豊臣秀頼が修理させたときの桃山様式と消失前の本堂に忠実に復元されたという。往時の姿を取り戻した内陣は、漆塗りの黒い柱に赤、青、金色の極彩色で唐草模様が描かれている。中央には、高さが2mを越える鮮やかな彩色の本尊六万体地蔵菩薩像が安置されている。

火災時に、元のご本尊は本堂の屋根が崩れすべてが焼けてしまった中、全身を焦がしながら凜として屹立していたと言われる。さいわい、像内の願文、経文、小地蔵尊など納入品は無事であったため、今もって重文のまま収蔵庫に安置されているという。

新しい本尊は、国宝修理所の小野寺仏師によって復元制作された。彩色でうつくしく、日本で一番背の高い大きな地蔵尊。他には、建礼門院徳子の像と建礼門院に仕え大原女のモデルとされる阿波内侍(あわのないじ)像が祀られている。

この阿波内侍が里人の貢ぎ物の夏野菜(ナス、キュウリ)を、チソの葉と一緒に漬け込んだ漬物が「しば漬」の始まりとされ、みやげ物として茶店で売られている。

本堂落慶並びに本尊開眼供養は平成17年6月2日に行われた。本堂左(西)側には建礼門院が実際にお住まいになっていた御庵室跡と書かれた石標が立っている。平家物語の里は今も昔の趣のままに私たちを迎えてくれることであろう。


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コメント (1)
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