住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

『般若心経は間違い?』を読んで3

2007年10月14日 09時16分16秒 | 仏教書探訪
はたして、私たちはこの般若心経をどのように受け取るべきなのであろうか。毎日お唱えしてきた心経が、まったくもって、価値のない経典であったとも言い難い。これからも唱える機会がある。また写経もなされるであろう。

そこで、私がかつて解釈した「般若心経私見」に述べたように、心経は、観音菩薩がサーリプッタ尊者に話された内容であって、私たち凡夫にとっては、空を悟るために、無とされたお釈迦様の根本教説をとても大事な教えとして受け入れるべきではないか。

自らの心を観察し、いかに生きるべきかと教えてくれる大事な教えをそこから展開し学ばせてくれるものと受け取ったらいかがであろうかと思う。「般若心経私見」の最後に私は、以下のように書いた。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~zen9you/pada/singyo.htm

「直観によって覚る、ということは簡単ではないのです。般若経典が成立した時代のインドのように戦乱に生きる民衆の荒廃した心にこそ、それは必要でありました。平和な、いまに生きる私たちにとって、それはとても難しい。

だからこそ、お釈迦様は、様々な手法によって、弟子たちに世の中のことを説き聞かせ諄々と説法を続けられたのではないでしょうか。私とは何か。なぜまわりに流され、落ち着かないのか。人生とはいかなるものか。いまをどう受けとめ、いかに生きるべきか。

このように身近で、なおかつ切実な問題について教えられたのがお釈迦様であり、それが心経で否定された、五蘊、十二処十八界、十二縁起、四諦八正道の教えでありました。

我が国で広く民衆に受け入れられた心経において、仏教の根本的教説が否定されたことにより、私たちはそれらを深く顧みることをしてこなかったのではないでしょうか。そのことによって、仏教とは神秘的直観によって獲得するものと受け取られてきたのではないかと思います。これによって仏教本来の教えを封印してしまった、と言っても言い過ぎではありません。

心経を生んだインドでは、どのようにこのお経が民衆に受け入れられていったのか。おそらく彼らは既にもっていた仏教の素養、自らの心を探究するという姿勢の上に、心経を吸収していったのではないか、と私は思います。

般若心経をいかに読むべきか。私たち凡夫にとって、否定された教説に冠された無の字は、南無の無と受け取っては如何なものかと私は思っています。心経を読誦して満足することなく、それら(南)無と唱える仏教本来の根本教説と向き合い、自ら心の内なるものにたずねいたるために示された教えであると受け取って欲しいのです。

そうして、がんばっている、つっぱっている自分、我を無くしていく、無我を実現していく、つまり自分の心の中に空を実現するための経典として心経を位置づけていきたいと思うのであります。」

最後に、スマナサーラ師が日本の私たち仏教徒にエールを送って下さっているように思える言葉を紹介し、この小論を締めくくりたい。

「それで大乗の世界で何をするかというと、般若心経のように呪文を唱えたり、南無妙法蓮華経と唱えたりするだけで終わってしまうのです。これは、世界宗教として仏教を見ると恥ずかしいことです。世界で太陽のごとく、一切の哲学思想宗教の上に立って、皆に打ち勝って勝利者になるべき仏教が、すごくだらしなくて、コソコソと隠れていなければならない状況に陥っているのです。」

「私たちテーラワーダ仏教徒は、仏教徒であることをすごく自慢して言うのです。その裏にどんなニュアンスが隠れているかとというと、私たちはバカではない。科学的な人間であって、迷信のかけらもない。怖いものはないという誇りなのです。」

「仏教は真理に基づき、どのようにすれば生命が幸せに至るのか、論理的、具体的に説くのです。真理に基づくので、仏教には普遍性があるのです」

「仏道は、自分の心を高める実践です。仏教徒は道徳を守り、慈悲の心で、最高の幸福にチャレンジするのです。本人が精進せずに幸福になるなどという甘い話ではありませんが、苦行の類は一切なく、誰にでも実践が可能です。」

いかがであろう。仏教を信奉する者として日本仏教徒にもその誇りと気概を持てるような教えの説き方をしなければいけないのだろうと思える。「私には仏教がある。そして日々実践している」と思えるだけでしあわせを感じられる日本仏教徒が一人でも多く増えていかなければいけないのであろう。

本書「般若心経は間違い?」は、般若心経を題材に、大乗仏教、日本仏教の問題点を鋭く指摘する指南書であり、同時に、本来の仏教とはいかなるものか、経典とは何か、仏教徒とはいかにあるべきかをやさしく教えてくれている。

他の仏教国に共通する仏教の常識、仏教徒として知らねばならない事々に、私たち日本人は誠に疎いことを知らない。本書は、身近な般若心経を通して、世界基準の仏教とはいかなるものかを学ぶ好著であると言えよう。是非、多くの人にじっくりと読んでいただきたい。

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コメント (9)
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