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英国のオックスフォード大学出版に『A Very Short Introduction』という新しい分野を学ぶ人のためのガイダンスとなるシリーズがある。新書版程度の大きさで130ページ程度にコンパクトにまとめられた本ではあるが、その中に、Damien Keown氏の「ブッディズム」があることを知り、早速取り寄せてみた。
1 Buddhism and Elephants
2 The Buddha
3 Karma and Rebirth 業と再生
4 The Four Noble Truths 四聖諦
5 The Mahayana 大乗
6 Buddhism in Asia
7 Meditation 瞑想
8 Ethics 倫理道徳
9 Buddhism in the West 西洋における仏教
と9章まであり、誠にバランスよく仏教の何たるかが説かれている。Keown氏は、ゴールドスミス大学、ロンドン大学で仏教の教授をされている仏教学の先生。
Wikipediaより転載
Damien Keown is a prominent bioethicist and authority on Buddhist bioethics.[1] He currently teaches in the Department of History at the University of London. Keown earned a BA in religious studies from the University of Lancaster in 1977 and a DPhil from the Faculty of Oriental Studies at Oxford University in 1986.
Keown's most important books include The Nature of Buddhist Ethics (1992) and Buddhism & Bioethics (1995). His most widely read book is Buddhism, A Very Short Introduction (Oxford University Press).
転載終わり
ここでは、最終章の「西洋における仏教」を少し紹介してみたい。
『Buddhism -A Very Short Introduction Damien Keown』
Chapter 9 Buddhism in the West より
交流のはじめ
アジアに浸透していった仏教ではあるが、現代まで仏教は、実質的には西洋では知られていなかった。西側の国々にアショカ王が使節を派遣したことも結果を残すまでのことがなく、古代インドへの訪問者たちも歴史にわずかな足跡を残したに過ぎない。
紀元前4世紀にアレクサンダー大王が現代ではパキスタンにあたるインダス河まで軍隊を率いてきたが、程なく引き返し間もなくバビロンで彼は亡くなった。そのアレクサンダー帝国の東部地域の後継者であるセレウコス・ニカトゥールはインドでマウリア王朝と武力対立して、その後平和条約に合意し、マガステーネスという名のギリシャ人大使がマウリア朝の首都パータリプトラでアショカの祖父チャンドラ・グプタの宮廷を訪ねている。
その最初のコンタクトによって、ジムノソフィスト(裸行者の苦行を実践するヒンズー教の宗派の一員)としてギリシャで知られるインドの聖人の話などが古代ギリシャ世界に伝わり始めた。だが、インドの宗教についての詳しい情報などは希薄で、自分の腕に頭を抱えて歩く人といった奇譚話がほとんどであった。そのため仏教が実質的に古代世界に知られることはなかったのである。
13世紀には、マルコ・ポーロが中央アジアを通って中国に旅した、そして、その旅は彼に仏教の中でも大乗の教えとの接触をもたらした。仏教について彼は「確かに彼はキリスト教徒に洗礼を施した。彼は我々の聖なるイエス・キリストと並び称される偉大なる聖者であろう」と書いた。その時代、Barlaam and Josaphatという仏陀のクリスチャンバージョンの話が中世で最も人気のある物語になった。しかし、中世の読者たちは、それが千年も前のインドで造られた仏陀の生涯をベースにしたものとは知らなかったようだ。Josaphatは菩薩という言葉を置き換えたものである。
1498年にポルトガルがインドへの海上ルートを発見するまで、東西の接触が継続してなされることはなかった。しかしアジアの繁栄した国からの訪問者や遠く離れて知られていないところからやってきた人にはヨーロッパの人たちは余り興味を示さなかった。アジアへのヨーロッパからの訪問者の興味は異教徒の宗教について学ぶよりも金を発見したり、キリスト教徒への改宗の方に注がれた。しかし、16世紀に中国や日本で偶然仏教と出会うことになるイエスズ会士たちはそれに興味をそそられたのだが、仏教への真剣な関心が注がれ、その教えの詳しい知識が入手可能になるには19世紀中葉まで待たねばならなかった。
仏教の知識は、主に3つのチャンネルからもたらされた。①西洋の学者の努力、②哲学者、知識人、作家、芸術家の仕事、③アメリカ、ヨーロッパへ様々な仏教をもたらすアジアの移住者たち。
学問的な研究
仏教の学問的な興味は、植民地時代に始まった。多くが熟練した素人の学者たちであったヨーロッパの官吏がアジアの各地に配置された。最初に研究された仏教文献は、英国人居住者だったB.Hホッグソンによって蒐集された大乗のサンスクリット語の写本だった。テーラワーダ仏教の研究に傑出した貢献をなす英国人公務員がT.Wリズ・デヴィッズ(1843-1922)である。彼はスリランカに滞在しているとき仏教に魅入られ、1881年にパーリ聖典協会を創設する。その協会は今日に至るまで、最も重要な聖典の出版とパーリ仏教文献の翻訳のための窓口となっている。
つづく
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1 Buddhism and Elephants
2 The Buddha
3 Karma and Rebirth 業と再生
4 The Four Noble Truths 四聖諦
5 The Mahayana 大乗
6 Buddhism in Asia
7 Meditation 瞑想
8 Ethics 倫理道徳
9 Buddhism in the West 西洋における仏教
と9章まであり、誠にバランスよく仏教の何たるかが説かれている。Keown氏は、ゴールドスミス大学、ロンドン大学で仏教の教授をされている仏教学の先生。
Wikipediaより転載
Damien Keown is a prominent bioethicist and authority on Buddhist bioethics.[1] He currently teaches in the Department of History at the University of London. Keown earned a BA in religious studies from the University of Lancaster in 1977 and a DPhil from the Faculty of Oriental Studies at Oxford University in 1986.
Keown's most important books include The Nature of Buddhist Ethics (1992) and Buddhism & Bioethics (1995). His most widely read book is Buddhism, A Very Short Introduction (Oxford University Press).
転載終わり
ここでは、最終章の「西洋における仏教」を少し紹介してみたい。
『Buddhism -A Very Short Introduction Damien Keown』
Chapter 9 Buddhism in the West より
交流のはじめ
アジアに浸透していった仏教ではあるが、現代まで仏教は、実質的には西洋では知られていなかった。西側の国々にアショカ王が使節を派遣したことも結果を残すまでのことがなく、古代インドへの訪問者たちも歴史にわずかな足跡を残したに過ぎない。
紀元前4世紀にアレクサンダー大王が現代ではパキスタンにあたるインダス河まで軍隊を率いてきたが、程なく引き返し間もなくバビロンで彼は亡くなった。そのアレクサンダー帝国の東部地域の後継者であるセレウコス・ニカトゥールはインドでマウリア王朝と武力対立して、その後平和条約に合意し、マガステーネスという名のギリシャ人大使がマウリア朝の首都パータリプトラでアショカの祖父チャンドラ・グプタの宮廷を訪ねている。
その最初のコンタクトによって、ジムノソフィスト(裸行者の苦行を実践するヒンズー教の宗派の一員)としてギリシャで知られるインドの聖人の話などが古代ギリシャ世界に伝わり始めた。だが、インドの宗教についての詳しい情報などは希薄で、自分の腕に頭を抱えて歩く人といった奇譚話がほとんどであった。そのため仏教が実質的に古代世界に知られることはなかったのである。
13世紀には、マルコ・ポーロが中央アジアを通って中国に旅した、そして、その旅は彼に仏教の中でも大乗の教えとの接触をもたらした。仏教について彼は「確かに彼はキリスト教徒に洗礼を施した。彼は我々の聖なるイエス・キリストと並び称される偉大なる聖者であろう」と書いた。その時代、Barlaam and Josaphatという仏陀のクリスチャンバージョンの話が中世で最も人気のある物語になった。しかし、中世の読者たちは、それが千年も前のインドで造られた仏陀の生涯をベースにしたものとは知らなかったようだ。Josaphatは菩薩という言葉を置き換えたものである。
1498年にポルトガルがインドへの海上ルートを発見するまで、東西の接触が継続してなされることはなかった。しかしアジアの繁栄した国からの訪問者や遠く離れて知られていないところからやってきた人にはヨーロッパの人たちは余り興味を示さなかった。アジアへのヨーロッパからの訪問者の興味は異教徒の宗教について学ぶよりも金を発見したり、キリスト教徒への改宗の方に注がれた。しかし、16世紀に中国や日本で偶然仏教と出会うことになるイエスズ会士たちはそれに興味をそそられたのだが、仏教への真剣な関心が注がれ、その教えの詳しい知識が入手可能になるには19世紀中葉まで待たねばならなかった。
仏教の知識は、主に3つのチャンネルからもたらされた。①西洋の学者の努力、②哲学者、知識人、作家、芸術家の仕事、③アメリカ、ヨーロッパへ様々な仏教をもたらすアジアの移住者たち。
学問的な研究
仏教の学問的な興味は、植民地時代に始まった。多くが熟練した素人の学者たちであったヨーロッパの官吏がアジアの各地に配置された。最初に研究された仏教文献は、英国人居住者だったB.Hホッグソンによって蒐集された大乗のサンスクリット語の写本だった。テーラワーダ仏教の研究に傑出した貢献をなす英国人公務員がT.Wリズ・デヴィッズ(1843-1922)である。彼はスリランカに滞在しているとき仏教に魅入られ、1881年にパーリ聖典協会を創設する。その協会は今日に至るまで、最も重要な聖典の出版とパーリ仏教文献の翻訳のための窓口となっている。
つづく
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