住職のひとりごと

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「アナガリカ・ダルマパーラ著シャキャムニ・ゴータマブッダの生涯」に学ぶ②

2016年11月07日 12時26分42秒 | 仏教書探訪

 前回に続き早速ダルマパーラ師のブッダ伝の翻訳を読んで参りましょう。

「波羅蜜を完成させることは、ねはんに到達するために不可欠なものでした。ねはんに至るには、阿羅漢、独覚、正等覚者の三つの道があります。それは(バラモン教の)ブラフマー神や神々の天界に至る道とは異なるものです。阿羅漢として、ねはんに到達するためには一阿僧祇劫(あそうぎこう)の間、十波羅蜜を修する必要があります。独覚として、ねはんに到達するためには、二阿僧祇劫の間十波羅蜜を修する必要があります。」

 ねはんに至るには三つの道があるとあります。阿羅漢とはお釈迦様の多くの弟子たちが到達した最高の悟りに到達した人のことで、教えを受けて何度か無常の真理を体験してすべての欲や怒り、無知を断った聖者のことです。独覚とは、師なくして飛花落葉など自然界を観察して悟った人のこと。そして、正等覚者とは、お釈迦様のように師から教えられずとも自らお悟りになり他を教え悟らしめることのできる聖者のことです。

「正等覚者として、ねはんに到達するためには、精勤・信仰・智慧という三つの方法があり、精勤の道を修する菩薩をヴィリヤーディカ(精進に優れたる者)、信仰の道を修する菩薩をサッダーディカ(信に優れたる者)、智慧の道を修する菩薩をパンニャーディカ(智慧に優れたる者)と呼びます。パンニャーディカ菩薩は波羅蜜を成就するのに十六阿僧祇劫を要し、サッダーディカ菩薩は波羅蜜を成就するのに八阿僧祇劫を要します。ヴィリヤディカ菩薩は波羅蜜を成就するのに四阿僧祇と十万劫を要するのです。」
 
 智慧、信仰、精勤の順により長く波羅蜜を修して功徳を積む必要があるということですが、逆に言えば、精勤、つまり精進努力することの功徳が大きいということでもあります。
 一人自分のために座禅瞑想するよりも、また自らの信仰のために様々な神聖なるものに供養し祈るよりも、それよりも多くの人たち生き物たちによくあらんと慈しみの心をもって善行に励むことの方がより厚い功徳になるということでしょう。
 もちろん、その基礎として信も必要ですし、座禅瞑想も必要であることは言うまでもありません。

「私たちのブッダは、ヴィリヤーディカ菩薩でした。菩薩ははじめ、ディーパンカラブッダから授記を受け、そしてそのあとも、コンダンニャ、(タンハカーラ)、(メーダンカラ)、マンガラ、スマナ、レーワタ、ソービタ、アノマダッシ、パドゥマ、ナーラダ、パドゥマッタラ、スメーダ、スジャータ、ピィヤダッシ、アッタダッシ、ダンマダッシ、シッダッタ、ティッサ、プッサ、ヴィパッシ、シッキ、ヴェッサブー、カクサンダ、コーナーガマナ、カッサパ、という名のブッダたちからイニシエーション(霊的な教え)を授かりました。

 お釈迦様は、精勤の道を歩む菩薩として、悪しきことを断ち善きことに精進して、十波羅蜜を成し遂げられていくのです。
 ここにたくさんの見慣れないブッダの名前が並んでいますが、これらは過去七仏、過去二十五仏と申しまして、私たちの世に現れたお釈迦様の前にたくさんのブッダがおられたと考えられています。最後にお釈迦様を加えての数となり、十九番目のヴィパッシ仏から以降が七仏となります。

「そうして完璧に波羅蜜を成し遂げることは菩薩にとって必然のことでありました。

菩薩は、布施波羅蜜については、貧しい者に対する施しにおいて自分に勝る者なく、施しについての完成に到達しました。

持戒波羅蜜については、たとえ鋭い杭で突かれ、ナイフでずたずたに切り刻まれようと怒らないばかりか道徳的教えを守り通しました。

出離波羅蜜については、たとえ王国が自らの手に落ち、唾ほども下劣なる行いなく陥落せしめたとしても、そこに少しの欲はなく、この世の楽しみを放棄しました。

智慧波羅蜜については、智慧をもって事象を精査して神々の苦しみからも解放され、智慧において私に等しき者はなく、完璧なる智慧に到達しました。

精進波羅蜜については、陸の見えないところへと遠く離れゆくとき船員は死の恐怖に包まれるけれども、私の心は平穏にして勇気あり、精進することについて完成に到達しました。

忍辱波羅蜜については、意識を失い倒れている間に鋭い斧で激しく突き刺されようとも決して激怒することもなく、私は忍耐という点において完璧となりました。

真諦波羅蜜については、たとえ百人の兵士を自由に扱えたとしても自分のなした約束を守り自らの命を生け贄に捧げ、真実を貫くことにおいて完成しました。

決意波羅蜜については、たとえ両親をひどく憎むようなことがあったとしても、ひどく嫌う名誉なことがあったとしても、全知者への道を大事にするという堅い決意は揺るぐことはありません。

慈心波羅蜜については、何をも誰をも怖れることなく、たとえ寂しい森に住んでいたとしてもすべての生きとし生けるものに慈愛の心をもって信頼と愛を捧げました。

捨波羅蜜については、周りの人々からあざけり笑われても称賛されても、それによって傷ついたり喜んだりすることもなく、常に公平なる平静な心でいられました。」

 この十波羅蜜については前回も解説がありましたが、もう一度それぞれの本質を一言で簡潔に述べてみますと。
 布施波羅蜜は、自己中心にならず他を助ける。持戒波羅蜜は、世の中の道徳を守る。出離波羅蜜は、俗世間の欲に執着せずより高い理想に生きる。智慧波羅蜜は、様々なことから真実を発見する。精進波羅蜜は、目的に達するまで悪をなさず善をなす。忍辱波羅蜜は、あきらめない性格を養う。真諦波羅蜜は、決して嘘をつかない。決意波羅蜜は、目的に到達する強い気持ちを持つ。慈心波羅蜜は、生きとし生けるものが幸せであるようにと強く思う。捨波羅蜜とは、何があっても平静な心でいること。これらは私たちが生きていく上で肝要なことでもあります。
 こうしてお釈迦様は十波羅蜜を完成し、多くの功徳を積むことでブッダになるべく準備を調えられたのです。

「ヴァイシャ(農工商庶民)の子として(ブッダとなる前の人としての生涯の)最後の生誕をなし、二人の子供をブラフマン神に捧げ、インドラ神に妻マドリを捧げたとき、彼は慈愛の完成を遂げるに至りました。そして死後、彼は都率天(とそつてん)に生まれました。こうして遂にブッダになるべく地上に生まれるときが来たのです。神々は未来のブッダに近づき、世界を救うべくインドに生まれることを懇請し、その時菩薩は時と大陸と国、それに母と家族という五つの偉大なるシグナルを感得しました。彼は相応しい時を見いだし、大陸は閻浮堤(えんぶだい)(仏教で考える世界観で須弥山(しゆみせん)という世界最高の山の南に位置する人間世界のこと)であり、国はインド中部の国であり、家族は太陽王イーシュヴァル(シバ神の異名)から降下したとされる釈迦族、そして母は行いに一点の汚れもない王妃マハーマーヤ夫人でありました。」

 人として農工商階級であるヴァイシャとして生まれ、家族をも神々に差し出して、死後、都率天に昇り、そしていよいよ最後の生誕となるべく、インド中部の釈迦族に生まれることとなります。
 都率天は、欲界六天の第四で、この天の寿命は四千年で、一日は人間界の四百年にあたります。弥勒菩薩が説法しているところとも言われ、仏となる菩薩の住処とされています。

「マハーマーヤ妃の一点の汚れもない子宮に子を宿すために都率天から未来のブッダが堕ちてきたとき、一万世界が歓喜しました。そして十ヶ月の後、時いたり、王妃はお産のために、実家であるデーヴァダーハ国に向け、多くの侍者たちとともに列をなして歩みを進めていきました。そして花薫るルンビニ園にいたると、王妃は庭園にお寄りになられることを望まれ、供の者たちとともに庭園に入り、日陰になる林へと進まれました。すると、にわかに陣痛が起こり、沙羅の木の下で未来のブッダがお生まれになりました。」

 人間界に誕生するのであれば、命宿った母親の胎内に、この場合でしたら天界から堕ちてきた心が入り、人として生まれ出ると考えます。お産のために実家に帰る風習は遠い昔インドでも行われていたようです。

「その時心に一点の翳(かげ)りのない五浄居(ごじようこ)天の四人の神がきたりて母よりも前に未来のブッダを受け取り、そして、「ああ王妃よ、そなたに力強き男の子がお生まれになった、歓喜せよ。」とお告げになりました。四人の守護天使たちは子を人々に手渡し、とそのとき、(前に七歩歩くと足の下には蓮華の花が咲き、)『私はこの世界の中で最年長の首長である(私に等しき優秀なものはない、これは私の最後の誕生であり、再生はない)』と言葉を発しました。」

 五浄居天の神とは、余り聞かない名前ですが、第四禅天の無漏聖者(むろせいじや)と辞書にあります。第四禅の境地を得た人が死後逝く天界に至り、新たに煩悩を生じることなくそのまま涅槃に入られる神々です。
 ここは、有名な誕生仏が七歩歩行して言葉を発する場面です。七歩は、六道から解脱することを意味し、この世界で、ただ一人解脱して再生することがない、最後の人生を生きる者なので最年長者と言っているのです。

「その同じ時に、将来かの妻となる、ラーフラの母として知られるヤショーダラー王女が生まれ、馬のカンタカ、宮廷使用人カルダーイー、二輪戦車の馬使いのチャンナ、ブッダガヤの菩提樹が生まれました。一万世界の神々が、未来のブッダが生誕した日を祝福いたしました。(この生誕時の詳細は、C・H・ウォーレンが翻訳したジャータカを参照した)」

 多くの神々が祝福せるその日に、お釈迦様の人生の中でとても深い因縁を持つ人や馬も、また菩提樹と後に言われるようになるアッサッタ樹までもこの日に生を受けたということです。
 出家の時、お城から馬に乗るその馬がカンタカであり、その時の御者がチャンナでした。
 カルダーイーは、スッドーダナ王の家来であり友人だった人です。お釈迦様出家後、父王はたくさんの使者を派遣して帰城することを勧めるのですが、ことごとくみな、お釈迦様の説法で入信出家してしまうのです。ですが、カルダーイーだけは出家後もカピラヴァッツに帰ることを進言して、お釈迦様が父王にまみえることに成功するのです。

 次回は、いよいよ出家され修行に入ってまいります。

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