住職のひとりごと

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いま、メディアリテラシーが問われている

2021年08月15日 09時26分24秒 | 時事問題
 (六大新報 令和2年8月15日号掲載 令和2年7月記)



いま私たちは自主規制の世の中を生きている。これまでには考えられないような窮屈な時代になった。どこに行くにもマスクが必要で、建物の入り口で手指を消毒し、体温を測定されたり人との距離を測られ、話をすることも控える自粛が当然という空気が漂う。テレワーク、オンライン授業、オンライン飲み会、オンライン帰省というのもあったが、なにを馬鹿なことをと思えることがまことしやかに行われる。しかし、いかにもそれが良いことのようにも思えてくる不思議な世界に生きている。これがいつまで続くのか、もう元の生活には戻れないなどという人までいるようだが、誰がこんな不愉快な世の中にしたのか。

「本日の新型コロナウイルスの感染者は…」という、毎日降り注ぐテレビをはじめとするマスコミ報道に洗脳された私たちは、怖いもの、感染しない、させないためマスクや消毒、ソーシャルディスタンス、自粛が必要と思っている。しかし、一度頭をリセットして数字を見直してみてはいかがであろう。

新型コロナ感染のためとされる死者は、令和二年七月十二日現在千人に至らないのに、インフルエンザ感染が主原因で亡くなる人は毎年三千人を超えている。コロナの感染者は二万一千人なのに、インフルエンザの感染者は毎年約一千万人である。さらにインフルの感染者はみな熱や咳の症状のある人ばかりなのに対し、コロナ感染者のほぼ八割は無症状であるという調査結果もある。なぜインフルエンザ感染者は風邪症状があるのに、コロナ感染者は症状がないのか。感染とはどういうことを言うのだろうか。

私たちの鼻腔から肺に至る気道の一番外側には粘液に覆われた上皮細胞がある。病原性のあるインフルエンザウイルスが上皮細胞を破り、基底膜も突き破って数百万個にも増殖すると、リンパ球や毛細血管のある間質に抗原ができて、熱が出たり鼻水が流れ、咳で一気に外にウイルスをはき出すことになる。こうした症状があることを本来感染と言うのだそうだ。

私たちは沢山のウイルスを体内に持ち、それらを常在ウイルスと言ったりするが、それらの中にはコロナウイルスも含まれ、喉の粘液上にコロナウイルスが数個付着しているだけで、それが綿棒ですくわれてPCR検査に回されると、百万倍に増殖されてコロナ陽性と判定されてしまう。しかしその程度では、気道上にはウイルスの増殖がないので他者に感染させることはなく、そもそも感染とは言わないのがこれまでの医学の常識であるという。しかもPCR検査は、インフルA・B型のほかマイコプラズマなどにも反応し陽性となる可能性があるという。ではなぜ今回は、そんな偽陽性が多発するPCR検査をすることになったのであろうか。

令和二年六月に厚労省が、東京、大阪、宮城で八千人を対象に実施した抗体検査の結果、東京で過去に感染し抗体を持つ人は0.1㌫、大阪では0.17㌫であったと報告されている。誰もが無症状ではあってもコロナに感染しているかもしれないと言われ、マスクをしてきたのに、東京でさえ、千人に一人しか感染していなかったことが判明した。つまり感染力がそれだけ弱いということであり、さらにたとえ感染しても、症状もなく、インフルエンザよりも病害性が弱いのに、マスクに加えソーシャルディスタンスやら自粛など、なぜしなくてはいけないのか。

いやいや海外では桁違いの多くの感染者死者が出ているではないかと思われるであろう。しかし、米国をはじめとする各国の医療関係者の中には、そうした数字に疑問を呈する人々が多く存在する。米国では、コロナが死亡に関連したとされるようなケースでは検査を要せず新型コロナによる死亡とするように健康統計局から指示があるという。令和二年四月八日WHOが発表した「新しいコロナに関するガイドライン」でも、検査を実施することなく新型コロナウイルスによるものと疑われる場合には公式の死因を新型コロナウイルスによる死亡とするように、と各国の医療機関に指導している。なぜ数字を水増しする必要があるのか。

かくして様々な疑問が山積する。そこでいささか唐突だが、メディアリテラシーという言葉について考えてみたい。ご存知の通り、その重要性が問われるようになって既に久しいわけだが、しかしそれは、ふつう言われるところの、現代社会に溢れる情報の中から有用で、かつ信頼に足るものを選び出す能力のことだとするなら説明が足りないという。神戸女学院大学の内田樹名誉教授は、自身のブログ『内田樹の研究室(2019.2.22)』の中で、「メディアが虚偽の報道をし、事実を歪曲した場合でも、私たちは、虚偽を伝え、事実を歪曲することを通じて、メディアは何をしようとしているのか?と問うことができる。メディアリテラシーとはその問いのことである」と述べている。さらに、「メディアには決して情報として登場してこないものを感知する能力」が必要であるという。

メディアは真実のみを報道をしているわけではないことをまずは知ること、そして、そこにどんな意図があるのかと問うことの大切さ、そして、自ら情報を見つけ出す感性が求められるということであろう。内田教授は同じブログの最後に、「私たち一人一人がメディアリテラシーを高めてゆかないと、この世界はいずれ致命的な仕方で損なわれるリスクがある」と、正にいま私たちが目にしている世界を予言するような言葉を残している。

米国や欧州で、ロックダウンや外出制限に抵抗する人々、反対デモ、反ワクチンを叫ぶデモ行進など、一切日本のマスメディアで報道されることはない。令和二年五月七日ドイツ・ベルリンでは、医師専門家千五百人が支援する「啓蒙のための医師団」が結成され、新型コロナウイルスは季節性のインフルエンザウイルスと同程度のものであり、コロナパニックは演出である、マスクの強制や何が混入されるかわからないワクチンの全国民接種を思いとどまるよう要請した。

厚労省は、六月二日、日本でも来年前半には国民全員に接種が可能なように国費を投じてワクチン製造ラインを整備すると発表している。コロナを収束させるためには、それは好ましいことと受け取っている人もあるかもしれない。しかし、例えばインフルエンザワクチンを接種して、はたしてインフルによる死者は減っているであろうか。統計を調べてみると、平成十年頃よりワクチン使用量が年々増えているが、死者も増加傾向にある。子宮頸がんワクチン投与後、重篤な副作用で苦しむ多くの女性たちがいることをご存知であろう。

令和元年十月十八日、ニューヨークで、世界経済フォーラム、ジョンズ・ホプキンス大学、B&M・ゲイツ財団の共催により、「イベント201」という会議が開かれていた。そこでは人獣共通コロナウイルス感染症の流行をシミュレートし、パンデミックの最初の数ヶ月の間に、症例の累積数は指数関数的に増加し、経済的、社会的な影響は深刻なものになると予測した。そして、今の世界はほぼその通りに推移しているように見える。

ところで、オリンピック延期が発表された日、すべてのマスコミ報道がそこに集中する中で、総務省経産省国交省は、「スマートシテイ関連事業」を公表し、AIや5G、IOTを用いた未来型のオンライン社会実現のために事業推進パートナーを募集した。

さらに京都アニメーションの放火犯が逮捕された日、参議院で「スーパーシティ法案」が可決成立している。これは行政サービスのIT化、車の自動運転、キャッシュレス決済、遠隔医療などのために、国や自治体、企業、IT企業が各々保有する個人情報を、一括して「データ連携基盤事業者(外資系企業を含む)」が管理活用できる仕組みをともなうものだという。

コロナコロナと騒いでいる間に、日本も管理監視社会に向けて後戻りできない事態に陥っている。実はこれらの制度改革は世界中で進められており、こうした管理社会に移行するための予行演習こそが「新しい生活様式」なのではないか。

世間の人々と同様に、怖い怖いと言っていて、いいわけがない。ことの真相を探し出し、いかにあるべきかを自ら考えることが求められている。



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