活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

五島の堂崎教会にて

2011-07-12 17:35:55 | 活版印刷のふるさと紀行
 教会の前で食べ物の話は不謹慎と承知はしていますが五島牛の味は
松阪にひけはとりません。炉端で焼いた串焼きに五島の柚子胡椒をつけて
頬張ると思わず「シアワセ」。

 五島にもカラスが朝早く道路に群れていて、こちらはややガッカリ。
五島列島の教会めぐりは人気ツアーのひとつですが、堂崎教会でイルマン・
ロレンソの布教の種まき時代から弾圧時代、そしてこの教会ができた明治の
復活時代まで五島のキリシタンの歩みを資料館でひも解くのは勉強になりま
す。

 明治6年の解禁からわずか4年後に神父が常駐するようになり、隠れキリ
シタンがこぞって信仰を復活させた島、最初に教会を建てたマルマン神父、
いまもゴチックの天主堂の荘厳さを伝えてくれる明治12年にペルー神父が
手がけた教会建築。この水辺の教会はまだ我々が知らない歴史を秘めていそ
うです。

 堂崎教会は『日本26聖人に捧げられた教会』でもあります。
二十六聖人のひとりに、この五島出身でドラードや四人の少年使節よりも
10年ほどあとに生まれた聖ヨハネ五島がおります。小さいうちに長崎に出て
セミナリヨに入り、志岐のセミナリヨでも学んでいます。志岐は工芸科目が
多かったので、あるいは美術や印刷を履修していたかもしれません。

 不幸にして19歳で大坂でとらえられ、あの二十六人のひとりとして、長崎
まで800キロ、33日間、真冬の行軍を強いられます。多分、とちゅうで耳を
そがれたはずです。西坂で処刑されたのは1597年2月5日ですから、秀吉が
亡くなる1年前、まだ、かろうじてキリシタン版が長崎で印刷されていたころ
です。
 
 堂崎に聖ヨハネ五島の十字架にくくりつけられた像がありますが、19歳と
いう若さのせいか彼の歩んだ道がつまびらかでないのは残念です。






 

コメント
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