活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

徳川家康と「印刷」

2011-07-15 22:46:21 | 活版印刷のふるさと紀行
 五島の福江島や長崎を歩いていますと、あちこちで殉教遺跡にめぐりあって
キリシタン弾圧のすざまじさに心が痛みます。
 秀吉にはじまって、家康、そしていちばんひどかったのは、綱吉あたりから
むしろ明治に近づいてからです。

 いずれにしても天正時代にグーテンベルグ直系の金属活字を使った「活版印
刷術」がもちこまれたのにかかわらず邪教の魔術扱いを受けて、放擲されたの
は残念なことです。
 しかし、秀吉が李朝活字で、家康が駿河版活字で印刷史に登場してくるのは、
彼らふたりとも印刷になみなみならぬ関心を寄せていたのだ、本当に彼らが西
洋式印刷を葬った張本人だったとは思えません。

 とくに、私は、こと印刷に関しては家康びいきです。
 李朝活字というと、秀吉を連想しますが、家康も李朝活字で印刷された美しい
「朝鮮本」に心奪われていました。
 その証拠に関ヶ原や大坂の陣で降参した西軍の将たちからせっせと朝鮮本を
献上させました。

 名古屋の徳川美術館の隣にあります「蓬左文庫」には、家康の蔵書が保管さ
れております。いわゆる「駿河御譲本(おゆずりぼん)」ですが、その中に、
1500点近くの「朝鮮本」があります。
 『四書五経』をはじめ、李朝活字で印刷された「朝鮮本」です。

 こう書きますと、家康の活字への関心が関ヶ原以降みたいに思われそうです
が、京都伏見で伏見版木活字で『孔子家語』を出版させたのは、関ケ原の前年
でした。『貞観政要』10巻8冊が出版されたのが、関ケ原の年でした。

 家康はこの伏見版木活字から銅活字へと発展させるのですが、彼の寿命がも
う少しあれば、もっと明確に彼の印刷・出版に寄せた計画を知ることができた
のにと残念に思います。

  
コメント
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