東京のは別にして、私が知っている限り印刷博物館としてはマインツのグーテンベルク印刷
博物館、アントワープのプランタン・モレトゥス博物館、リヨンの印刷・銀行博物館があります。
グーテンベルク博物館とはゲーテの詩の日本語の組版寄贈の件で、プランタンには2度、3度と
見学でお邪魔していますが、リヨンとはまだ、縁がありません。
プランタン、クリストフ・プランタンは1520年にフランスのトゥールあたりに生まれたよ
うです。フェリーペ2世の即位の1年前、1555年にアントワープで印刷所を開いています。現在
プランタン博物館を見学すると、1570年代の最盛期の印刷所が再現されていますが、おそらく
創業当初は有名なこのジョス・バード工房の絵のような貧しい施設ではなかったでしょうか。
創業初期、プランタンの経営を助けたのに、フェリーペ2世がブリュッセルで執り行った
カール5世の大葬記録の豪華本がありました。これでプランタンの名は一躍有名になりましたが、
1562年に差し押さえ、競売の憂き目にあいます。しかし、翌年には再建に成功、1560年代後半に
は何と国王フェリーペ2世から借金をしてスペイン領内で使うカトリックの祈祷書や典礼書を印刷
しています。専用の印刷機だけでも10台以上常時稼働したといいます。これは、時代的には伊東
マンショをはじめ、4使節が生まれたころでしょうか。
1570年代には印刷・版元・書籍の卸、小売りからパリから高級革製品の輸入販売まで手がける
ようになり、プランタンはヨーロッパの「印刷王国」といわれるようになりました。
以後、300年12代も栄え、いまは印刷所と住居までふくめた再現印刷博物館になっています。
それに引き換え、フェリーペ2世の方は、1582年、スペインの無敵艦隊がイギリス海軍に敗れ、
太陽の沈まぬといわれた大帝国が破産、1598年失意のうちに亡くなるのです。
たまたま、日本では秀吉が亡くなった年でしたが、日本の欧風直伝のキリシタン版の印刷も終息
に向かいはじめていました。
博物館、アントワープのプランタン・モレトゥス博物館、リヨンの印刷・銀行博物館があります。
グーテンベルク博物館とはゲーテの詩の日本語の組版寄贈の件で、プランタンには2度、3度と
見学でお邪魔していますが、リヨンとはまだ、縁がありません。
プランタン、クリストフ・プランタンは1520年にフランスのトゥールあたりに生まれたよ
うです。フェリーペ2世の即位の1年前、1555年にアントワープで印刷所を開いています。現在
プランタン博物館を見学すると、1570年代の最盛期の印刷所が再現されていますが、おそらく
創業当初は有名なこのジョス・バード工房の絵のような貧しい施設ではなかったでしょうか。
創業初期、プランタンの経営を助けたのに、フェリーペ2世がブリュッセルで執り行った
カール5世の大葬記録の豪華本がありました。これでプランタンの名は一躍有名になりましたが、
1562年に差し押さえ、競売の憂き目にあいます。しかし、翌年には再建に成功、1560年代後半に
は何と国王フェリーペ2世から借金をしてスペイン領内で使うカトリックの祈祷書や典礼書を印刷
しています。専用の印刷機だけでも10台以上常時稼働したといいます。これは、時代的には伊東
マンショをはじめ、4使節が生まれたころでしょうか。
1570年代には印刷・版元・書籍の卸、小売りからパリから高級革製品の輸入販売まで手がける
ようになり、プランタンはヨーロッパの「印刷王国」といわれるようになりました。
以後、300年12代も栄え、いまは印刷所と住居までふくめた再現印刷博物館になっています。
それに引き換え、フェリーペ2世の方は、1582年、スペインの無敵艦隊がイギリス海軍に敗れ、
太陽の沈まぬといわれた大帝国が破産、1598年失意のうちに亡くなるのです。
たまたま、日本では秀吉が亡くなった年でしたが、日本の欧風直伝のキリシタン版の印刷も終息
に向かいはじめていました。