活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

ロレンソ了斎という人

2011-07-11 16:00:44 | 活版印刷のふるさと紀行
 暑い。関東地方も梅雨明けと聞きましたが、6月の末から東京では梅雨
特有のじめじめ、シトシトの日はありませんでしたから今年は空梅雨だった
といってよいでしょう。

 その東京を抜け出て、五島列島に飛び、若松島の「若松瀬戸の洞窟」の前
でキリスト像をカメラに収めます。
 この洞窟に隠れ棲んでいたキリシタンが朝餉のための漏れ火を見つけられ
て捕縛された話は有名です。

 五島列島と「印刷文化」は直接、関係はありませんが、神田川大曲塾の探訪
でも、個人的旅行でも何度か足を運んでおります。
 五島にキリスト教を持ち込んだのが、ロレンソ了斎でした。
ザビエルの洗礼を受け信長や秀吉にも神の教えを説いた大変な男が五島に大きな
足跡を残しておりますが、詳しくは伝えられておりません。

 ロレンソがアルメイダに従って口之津から8日かけて福江に着いたのは15
66年1月のことで、五島の領主五島淡路守純定から土地を与えられ活動を開始
しています。
 ロレンソは琵琶法師の恰好をして杖をついた姿で南蛮屏風(神戸市立博物館蔵)
やイルマン・ロレンソ像(日本二十六聖人記念館蔵)に見られます。1526年
生まれですが、生まれつき片目は完全に失明、もういっぽうはかろうじて物の形が
判別できる程度の盲者だったといいます。

 若松瀬戸にかぎらず、五島もご多聞に漏れず弾圧の嵐にさらされます。しかし、
信徒たちは隠れて信仰を守り、伝え、今日に及んでいます。ロレンソは1592年
長崎の岬の教会で亡くなったようですが、彼の資料はフロイスの『日本史』と
宣教師の書簡ぐらいにしかありません。
 日本に活版印刷を持ち込むことを早くから考えていたヴァリニャーノとも接点が
ありましたし、説教に秀でた人だったといいますから、自分の『説教集』を印刷本
にまとめたいと考えたことはなかったでしょうか。
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ブックフェアと電子出版EXPO

2011-07-09 10:58:27 | 活版印刷のふるさと紀行
暑いのに東京ビッグサイトに勇躍、行ってきました。
机の引き出しに招待券が入っていたはずなのに出かける間際に探せども
見つからず。はじめて、1200円也を払って「法人ユーザー」のプレ
ートを首にかけての入場です。損して得取れ、マサカそう思ったわけで
もありませんが割に貪欲に見て回ったつもりです。

 ひとくちで感想をいうならば、ブックフェアというよりも電子出版
EXPOの方が優勢、会期も会場も一応、区分されていると思いましたのに
まさに、両者が混然一体、書籍が置かれている現在の立場を象徴して
いるようで、うれしくもあり、悲しくもありでした。

 うれしくもありの方は奈辺にありやといいますと西2ホールの入り口
を入りますと、まず、目に飛び込んできたのが凸版印刷と大日本印刷の
大きなブースでした。同じ会場に共同印刷も図書印刷も廣済堂もといっ
た具合に印刷会社がならんでいますし、モリサワや写研といったフォン
ト会社も「ここぞ」とばかりに出展しておりました。

 
 つまり、長年、紙の出版のパートナーだった印刷企業がこぞって電子
出版のパートナーとして力強い助走を始めております。助走だなんて、
トンデモナイもう第一コーナーに差し掛かっているよと言われそうです
がまだ、印刷企業も出版社も摸索状態にあるとも見てとれます。

 私の印象では、凸版は電子出版のデジタルコンテンツに力をいれてい
ますし、大日本は書店を含めた出版業界全体の電子出版ビジネスに取り
組んでいると見ました。共同印刷はハイブリッド型ビューアーを使って
教育や資格取得のための読む・見る・聞くができる「自己ガク」と銘打
って特化した形で発表しておりました。

 「本展の規模は巨大です、1日では見きれません、2日間、3日間の
来場をおすすめします」とありましたが、ずっと以前のデュッセルや東
京のブックフェアで感じた会場全体が「知の森」だったアナログ出版
時代を思い出すとちょっぴり悲しくもありでした。

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絵本と印刷

2011-07-06 09:38:00 | 活版印刷のふるさと紀行
 今朝、なにげなくラジオを聴いていましたら「絵本」のことを熱っぽく
語っている人がいます。どなたただろうと耳を傾けていたらすぐにわかり
ました。
 岩崎ちひろさんのご子息松本 猛さんでした。もちろん面識はありません。
岩崎ちひろさんとは、まだ、「童画会」があったころ、展覧会場で一度だけ
お目にかかったことがありました。

 東京のちひろ美術館や安曇野ちひろ美術館は何度か足を運びました。友人
に絵本作家がいたり、偕成社の編集に友人がいたりしたこともあって、以前
から絵本には縁がありました。

 松本さんの話は以前は絵本作家が画家より下に見られた時代があったとか
絵本制作のための原画が編集者にネコババされて作家の手に戻らないことが
あったというような話から、母、ちひろさんの思い出、『はらぺこあおむし』
で有名なエリック・カールとのおつきあいエピソードや赤羽末吉さんの話など
幅が広かったので興味ぶかく聴きました。

 とにかくちひろ美術館には、日本と世界の絵本作家の原画が2万6千点も
所蔵されていると聞いたことがありますから大変なものです。

 松本さんの話の中で「原画」を集める動機のひとつに、絵本は「印刷」さ
れたことで、「原画」の情報量が落ちてしまう。やはり、「原画」に触れて
もらうことが大切だからというのがありました。

 たしかに、色分解製版でフィルムを何枚も使ってオフセットで印刷した時
代はその問題がありました。カメラ撮りの巧拙や印刷の色数の制約もあった
かもしれません。絵本の印刷用紙の問題もありました。しかし、デジタル製
版や高精細印刷時代の今日、かなり、良くなっています。

 余分なことですが絵本作家に限らず、印刷に作品を提供する画家・グラフ
ィックデザイナー・カメラマン・イラストレーターに印刷界はもっとデジタ
ル時代の製版や印刷について知ってもらうべきではないでしょうか。

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サラマンカ大学と樺山さんの『欧人異聞』

2011-07-03 12:02:37 | 活版印刷のふるさと紀行
 

日曜日の『日本経済新聞』朝刊に、私も属している神田川大曲塾の塾長
樺山紘一さんが『欧人異聞』を連載されております。
 クレジットに(西洋史家)とありますが、現職は印刷博物館館長で、東京
大学の文学部長や西洋美術館館長としても活躍して来られたことはみな
さん、ご存じと思います。大曲塾の方は長年、無報酬でご指導願っている
わけですから、ご著書やこういった示唆に富んだエッセイを読ませていた
だくとつくづくありがたいと思ってしまいます。

 さて、今朝の『欧人異聞』は「サラマンカのウナムーノ」と題されて、
サラマンカ大学で20世紀のはじめ三度も学長を務めた哲学者であり、作
家であり、詩人でもあったミゲル・デ・ウナムーノが政権圧力などに屈し
ないで二度まで学長の座を追われながら良心を守り続け、時が来れば帰り
咲いて大学の揺るぎない独立を護った話を紹介しておられます。

 サラマンカ大学は私も一度だけ訪ねたことがあります。
何を隠そうマドリードからサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道
ツアーの途中たちよったというわけです。
 ウナムーノ学長には無知でしたが、サラマンカ大学がヨーロッパで三番
目にできた大学であり、スペイン最古の大学であることは知っていました。
世界各国からの留学生も多く、日本人留学生もかなりの数と聞きました。

 サラマンカ大学で有名なのは建物外装のカエルが乗っているドクロのレ
リーフですが、私の印象に残っているのは、やはり外壁に、現在の天皇陛
下と皇后陛下の皇太子・皇太妃時代のAKIHITOとMICHIKOのお名前が刻まれ
ていたことです。(上の写真)ご訪問記念でしょうか。図書館や教室にも案
内されましたが、さすが、1218年創立、格調と伝統を感じました。
写真はホタテ貝のレリーフがいっぱいの大学建物の外装と落ち着いた雰囲気の
教室です。
 

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ミラノに400年前敏腕なライターがいた?

2011-07-01 10:54:28 | 活版印刷のふるさと紀行
 天正遣欧使節については、松田毅一さんの『天正遣欧使節』(講談社)が
いちばん読まれている思います。
 また、新しいところでは若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ』(集英社)も
かなり読まれた本です。

 おふたりとも大学教授であり、ヴァティカンの図書館やウルバヌス八世大
学付属図書館やイエズス会の協力を得られたから資料探しもわれわれ一般
事家よりもスムーズに行ったに違いありません。

 豫家さんから教えていただいた『ウルバーノ・モンテ年代記』は伊川健二
さんの丁寧な訳が原文に添えられていましたから、容易に読み進めることが
できて暑さを忘れることができました。松田毅一さんはモンテ年代記の天正
遣欧使節をかなり執筆の参考にされていたなと思いました。

 興味深かったのは使節に同行したポルトガル人司祭ガスパロ・ゴンザレス
が、4人の使節や大村純忠はじめ彼らを派遣したことになっている領主につ
いて話した演説と4人の使節ひとり、ひとりと同行のメスキータ司祭について
の肖像に添えられた「8行詩」が紹介されていたことです。

 また、日本人紹介の中で、《彼らはわれわれのように本を出版する。それ
どころかわれわれよりも以前に出版の技術を知っていた》といい、日本人が
あまりにも繊細に抄かれた紙に実に繊細で華麗な文字をを書くので印刷する
のが難しいのではないかと心配までしてくれています。

 少年使節一行がミラノに滞在したときに、聞き取り取材をしてまとめたと
伊川さんは想像しておられますが、それにしても、400年前に、イタリア
に敏腕ならいたーがいたものです。


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