活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

樋口一葉とお化粧直しした質店

2012-03-13 10:19:15 | 活版印刷のふるさと紀行
 近くても用がないとしばらくご無沙汰する道があります。家の近くの「菊坂」も
私にとってはそれらしく、今日、久しぶりに歩いてみました。

 そこでびっくりしたのが、伊勢屋質店の土蔵の漆喰がまばゆいほど白く塗りなお
されていることでした。といっても、正確に言えば、旧伊勢屋質店であって現在は
営業されいるわけではありません。樋口一葉ゆかりの質店として、休日にはこのあ
たりを散策する人が多いようですし、11月の一葉忌には内部は当時のままというの
で開放されることもあります。

 樋口一葉は生まれこそいまの千代田区内幸町ですが、24年の短い生涯のほとんど
をいまの文京区界隈で過ごしています。
 この伊勢屋のある菊坂の下みち沿いの家に引っ越したとき彼女は18歳で、前年に
父を失い、母と妹の面倒をみなくてはなりませんでした。

 14歳から入門している中島歌子の萩の舎では学友から冷遇されていました。華族
の子女が多いなかで、士族とは名ばかりで授業料免除の身を馬鹿にされたせいでし
ょう。創作を志して、上野図書館に通って勉強をし、半井桃水に創作指導を受ける
のですがなかなか芽が出ないまま失意と貧困に向かい合わねばなりませんでした。

 伊勢屋に初めて質入れに行ったのは1893年(明治26)4月3日とされています。
彼女21歳でした。明治29年、24歳で亡くなったとき伊勢屋が香典1円を出したとい
いますから、短い間ですがかなりのお得意だったと思われます。
 いずれにしても120年も前の話です。こうしてお化粧直しをしながら、当時の建物
が残されていくのは大変でしょうがいいことです。
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残酷なメルヘン、「戦火の馬」を見て

2012-03-10 16:31:00 | 活版印刷のふるさと紀行
 冷雨の土曜日、アメリカ映画「戦火の馬」を観て来ました。
たびたび見せられたTVの上映予告のせいもありますが、監督が
スティーヴン・スピルバーグときては見逃す手はありません。

 舞台は第1次大戦間近かのイギリスの農村、空撮でとらえた美しい田園
風景や主人公になる子馬の誕生の瞬間、それを見守る少年。冒頭シーンか
ら青空のもと、風にのって匂ってくる草いきれを感じさせるほど、観客を
惹きつける導入部描写はさすがでした。

 その馬はやがて少年アルバートの家の持ち馬になり、ジョニーと名付けられ
ます。アルバートにしつけられていくジョニーの眼、しぐさ、大変な演技力で
した。思わず、スビルバーグの「E,T、」の画面、少年と異星人との絡みを
思い出しました。そしていよいよ軍馬への転身です。

 原作名が「War Horse」ですから当然ですが、イギリス軍の最前戦から一転
ドイツ軍に使役されるようになったり、映画の中心はハラハラドキドキの戦闘
シーンです。軍馬ジョニーの活躍がすざまじいのです。
かと思うと、つかの間、フランスの農家の少女に愛されるやさしいシーンもあ
りました。これからご覧になる方のためにあらすじは書きませんが、これぞ、
スピルバーグ作品という出来です。

 しかし、監督は「戦争はすべてを奪い去る」と登場人物にさりげなくいわせ
ていますが、敗戦国民日本人の一人として、まだまだ、戦争はこんなものじゃ
ありませんとだけは、いいたい気もしました。
 スピルバーグは戦線離脱して自軍に銃殺されてしまうドイツの少年兵兄弟、
多分敵兵に凌辱されて亡くなったであろうフランス人少女やその両親、映画の
中で戦争なるがゆえに殺されていった登場人物にそれをいわせているのかも知
れません。

 アルバートとジョニーは劇的な再会をします。過酷な運命に弄ばれた彼らを
結びつける絆の物語。私は残酷なメルヘンだと思いました。原作が1982年
に発表されたイギリス人作家マイケル・モーバーゴの児童図書と聞いてなるほ
どでした。





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ビル内部の壁利用として秀逸

2012-03-07 09:52:52 | 活版印刷のふるさと紀行
 今年も東京マラソンは大変な人出でした。走った人3万6千人は昨年と同じでしたが
120万人という観衆の方は悪天候だった昨年を上回っていたはずです。 私も豊洲の
春海橋で120万分の1を受け持っていました。ゴールが近いので一般参加者の表情は
悲喜こもごも?人間観察には好適の場所です。

 いつまで見ていてもキリがありませんので、適当な時間にマイコースを辿ることにして
ララポート方向に歩きはじめました。その途中で級友のkさんにバッタリ。
 2人してどこかへ入ろうというので、駅から少しはずれたSIA豊洲プライムスクエア
というビルに入りました。
 
 イントロが長くてすいません。これからが今日の話です。
 まだ、新しいビルらしいのですが2Fの壁面に『豊洲の歩み』と題して1930年代から
今日までの豊洲のトピックスが年表風に直接プリントされていました。

 たしか築地にもあったと思いますが、こういった壁を使った情報提供はちょっとしたアイ
デアだと好感を持ちました。街路のあちこちに碑のような半永久的なインフォメーションを
しているところはたくさんありますが、あれはあれ、この壁利用はテーマの変更や訂正も簡
便ですしスマートです。
 
 これで大正末期から昭和初年にかけて埋め立てられた東京湾南部のこの土地が「豊洲」と
なったのは、昭和12年に東京市港湾局が賞金100万円で公募した結果と知りました。
 印刷手法によっては、画像をもっと鮮明に出せるはずですが、しばらく2人で見入っていた
次第です。

 


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映画ポスターとグラフィック

2012-03-04 22:23:31 | 活版印刷のふるさと紀行
 土曜日,神田川大曲塾の勉強会が東京国立近代美術館フィルムセンターでありました。
折から開催中の展覧会「日本の映画ポスター芸術」会場でフィルムセンター主任研究員
岡田秀則さんのレクチャーを受ける日です。

 2月にあった印刷博物館学芸員寺本美奈子さんの「映画ポスターと印刷」が自己都合で
聴けなかったのは残念でしたが、今回の岡田さんの数々のエピソード入りのレクチャーは
楽しく、充実した時間が持てました。

 もともと映画ポスターは映画会社で内製するものでしたからデザイナーは黒子だったよ
うです。B2サイズで映画の題名、主演俳優の名場面、惹句、キャスト陣と内容が規定さ
れていたし、映倫にチェックされてハンコをポンという制約もありました。

 その点、今回の展示ではデザイナー名が全部出ておりますし、1960年代、70年代の
デザイナーの映画に対する熱意によって映画ポスターとグラフィックががっちり結びついた
歩みを知ることが出来ました。その結びつきの最初は松竹シネマが当時は自社にいた河野鷹
思を起用して「お嬢さん」や「隣の八重ちゃん」を制作した戦前1030年代にあるようで
すが、戦後、粟津潔が内製の橋頭保、映画会社にあるアイデアで切り込んだ話は初耳でした。

 「禁じられた遊び」、「旅情」、「大人はわかってくれない」など絵画を使った野口久光
の秀作、日本画家の大御所岩田専太郎を引っ張り出した大映の「雨月物語」「千姫」もユニ
ークでした。シルクスクリーンで意欲的な作品を送り出した和田誠「怪奇と幻想」草月シ
ネマや日宣美用の「チャツプリンの歩み」、「ギャング・エイジ」など、イラストものに
岡田さんは熱心に話されました。

 これは前述寺本さんの領域ですが、私の印象では粟津潔・横尾忠則が映画ポスターに打ち
込んだ時期とオフセット印刷のテクニックの進展が重なっていて、映画ポスターのアート性
が急激に膨らんだと思います。私のお気に入りは佐藤晃一さんの「利休」1989年でした。
写真は粟津 潔さんのの「心中天網島」1968年。
 この展覧会は3月一杯です。
 


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矢萩喜従郎さんとロトチェンコ

2012-03-03 11:26:10 | 活版印刷のふるさと紀行
 ギンザ・グラフィック・ギャラリーの3月展オープニングに行ってきました。
一昨年、庭園美術館でかなりおおがかりのアレクサンドル・ロトチェンコと奥さん
のワルワーラ・ステバーノフ?の2人展を観ていますし、原宿で観たこともありま
すので、「ロトチェンコか」という気持ちが正直、若干ありました。

 ところがドッコイでした。私の眼に、ロトチェンコの作品がみずみずしいくらい
に飛び込んできて、もう一度新鮮な出会いになったのです。
 理由はすぐに了解できました。会場構成がいいのです。作品の中の色に合わせて
しっとりと落ち着いた色の空間に、ロトチェンコの明快で力のこもったグラフィッ
クがとても90年前の作品とは思えない新鮮さで語りかけてくるのです。


 会場構成は矢萩喜従郎さんでした。建築はもとよりグラフィック、エディトリアル、
写真、アート、家具、e.t.c.ロトチェンコをはるかに上回る芸術活動をしておられる
矢萩さんならばこそ、ロトチェンコへの深い理解と愛着を形にされたのだと直感でき
ました。
 地下会場でロトチェンコのお孫さんアレクサンドル・ラブレンチェフさんがビデオ
で矢萩さんとGGGの空間について話しておられるのを聞いてもそれがよくわかりま
した。

 原画はもちろん、印刷作品もふくめて157点という展示作品は全部、このお孫さ
んの所蔵のものを借り出したそうで、初めて見る作品がかなりありました。ブランド
マークを筆頭に現代の要素だらけのポスターにくらべて、実に簡素でありながら、力
強い訴求力をもつ作品に圧倒されます。惹かれます。この写真の作品はゴム会社のポ
スターでラクダの背の上に訴求媒体である靴を置き、アラビア文字のコピーを添えて
います。また、メインの円の中にテーブルオイルを3本配してアッピールしているポ
スターも、これぞロトチェンコのデザイン思想と印象に残りました。

 このロトチェンコの展覧会は3月27日(火)までで、矢萩さんのギャラリートーク
は3月16日、要予約です。
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印刷は色と格闘、色に挑戦

2012-03-02 15:15:01 | 活版印刷のふるさと紀行
 国会図書館の企画展示「ビジュアル雑誌の明治・大正・昭和」を見て、書き
留めたこと2,3をメモしておきます。

 ビジュアル雑誌の展示の冒頭に「災害」をおき、三陸地震や関東大震災の惨状を
見せる「風俗画報」や「関東大震災画報」、古いところでは安政大地震の瓦版まで
とりあげているのは、時節柄、導入としては見事でした。ちなみに、「画報」とい
うネーミングがこうした災害報道を絵で見せるところから生まれたというのは興味
ぶかい気がしました。

 大日本雄弁会講談社が1925年(大正14)に「キング」を創刊したわけです
が、その2年前にデビューした「文芸春秋」を向こうに回して講談社も、印刷する
秀英舎(大日本印刷)も準備が大変でした。創刊号は74万部が売れ、大量印刷にそ
なえて印刷現場も翌年、ドイツのアルバート社から高速活版輪転印刷機を輸入して
います。

 グラビア印刷が台頭するのもこのころですが、この企画展を見て私は改めて印刷は
色と格闘し、色に挑戦してきたと実感しました。「美術」の展示のところで「美術
作品を印刷で再現することは難しい」と展示企画者の弱音とも思われる解説がありま
した。きわめて個人的な経験ですが私も色の再現には苦労してきました。
 たとえば、着物でも総絞りや辻が花風の振り袖よりも、だれでも知っている留袖の
黒に泣かされたことがあります。レインボー調の化粧版で作られている流し台の色調
再現に、製版現場に化粧版を持ち込んだこともあります。

 コンピュータが主役で色を再現する時代になってもカメラデータがものをいう要素
があるわけですから、あらゆる工程で隙を見せるわけにはいきません。
 文字表現のフォントの問題、カラー再現の色の問題、どうやら印刷技術にENDは
なく、平成にはどんなビジュアルがどんな形で現れるか楽しみです。

 それと、この企画展で明治から大正、昭和の敗戦まで日本の雑誌のタイトルは右から
左へ、それが昭和20年代に入って左から右へに変わっているのも当然のことながら
面白くおもいました。とくに表紙のレイアウト構成では印象が大幅にかわるのですから。
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「雑誌は時代を映す鏡」-国会図書館の企画展示

2012-03-01 17:05:18 | 活版印刷のふるさと紀行
 神田川大曲塾の会合で話題になっていた国立国会図書館の企画展示、
「ビジュアル雑誌の明治・大正・昭和」をようやく見て来ました。
いまごろになっての寒波滞留、おまけに雪、ついつい億劫になっての
“怠け”でしたが、閉展ぎりぎりでも見ることが出来て「よかった」と
喜んでおります。

 会場入り口に長尾館長の挨拶が掲げられていました。その一節に
『雑誌は時代を映す鏡だといわれています。雑誌には読む楽しみだけ
ではなしに見る楽しさがあります。新しい印刷技術がそれを支えてい
ました(概略)』とありました。実はこの企画展の狙いはまさしく、
ここにあって、展示としては1877年(明治10)の『團團珍聞
(まるまるちんぶん)』から大正や昭和創刊で今日も続いている雑誌
までをそれこそビジュアルに観られる仕組みで、明治初期からの日本の
印刷技術を通覧できたのです。

 会場は、第1部ビジュアル雑誌を支えた印刷技術、第2部ビジュアル
雑誌の展開、第3部あの人気雑誌の創刊号の3部構成でした。
 やはり、私にしてみれば第1部の雑誌のビジュアル表現を生み出し、
支えて来た印刷技術の展示がうれしかったのですが、第2部の災害、グ
ラフ誌、戦争、人、ファッション、子ども、美術、写真と8項目ごとに
明治・大正・昭和のビジュアル雑誌の展示を食い入るように眺めている
人がたくさんいました。それだけ興味深い展示でした。

 しかし、気になる問いかけもありました。
 グラフ誌の終焉というパネルの中に『見るという欲望が次々と満たさ
れる現代、雑誌はその役目をおえたのでしょうか』と自問自答のコピー
がありました。テレビをはじめインターネットはもちろんのこと、新しい
メディアの登場でグラフ誌は終焉を迎えているのではという問いかけと
受け止めました。

 いずれにしましても東京会場は明日3月2日までです。都合のつく
方はごらんになることをお勧めします。関西の方は国立国会図書館関西館
で3月9日から28日まであります。http://www.ndl.go.jp/






 
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