私的図書館

本好き人の365日

楡は丘に、葦は水辺に…

2008-04-26 19:14:00 | 本と日常
先日、仕事が忙しかったので、たまたま通りかかったAさんに、「手の空いている人連れて来て」と頼みました。

スケジュール的に手伝えるのは女性社員が二人。

それはわかっていたので、どちらか一人がくるだろうと思っていたのですが、現われたのはAさん(男性)本人。

「あの二人は忙しいの?」と訊くと、「女性じゃ無理だって思ったから」との返事。

確かに、仕事は荷物の運搬で、多少腕力はいるものの、だからといって成人なら持てない重さじゃありません。

Aさんは40代の優しい男性。
女性に重いものは持たせられないと、彼女たちに声をかけることもなく、自分の仕事を後回しにしてしばらく手伝ってくれました。

優しさ?

私は時々友人と話していても対立するのですが、女性だからという理由で、仕事を軽減することに疑問を感じています。

本人がやってみて無理だというのなら別ですが、こちら(男性側)が勝手に、この仕事は女性には無理、女性にはやらせたくない、女性だからできないだろう、と判断することは、なんだかとっても嫌。

前にも仕事が忙しく、女性社員にも残業して男性社員と同じ仕事をしてくれるよう提案したことがりましたが、上司から、「家庭があるから早く帰らないといけないだろう」と言われてしまいました。

本当に早く帰らなければいけない事情があるならしかたがないのですが、とにかくあなたが(男性上司)勝手に判断するのじゃなく、彼女たちに訊いてみて下さい、としつこくねばり、女性社員の方に残業できるかようやく訊いてもらい、数人ですが、協力してくれる人が現われました。

なんだか、あたり前みたいなことですが、現実は、残業できるチャンス(と思わない人もいるかも知れません)も、本人たちが知らないところでブロックされてしまっているのです。

甘い考え。現実が見えていないと言われます。(主に男性に)

別に女性をこき使おうなんて考えているわけじゃありません。

現実を変えたいと思っているだけなんですが…

男性だって、「あいつには任せられない」という人物はいます。
でも、それは個人の評価です。
「女性だから任せられない」逆に言うと「男性だから任せられない」というのには反対。

もっと個人の能力を見て欲しい。

そんなに仕事したくないというのなら、それも結構、ただ、中には仕事がしたい人がいるかも知れない。そう思うだけなんです。

ま、これは性別だけじゃなく、年齢、学歴、様々なことにいえることなんですが。

階級制度の厳しいイギリスの小説を読んでいて、ふと、こんなことを書いてしまいました。

生まれながらに線を引かれ、身分の違いが生きる違いになる人生。

それは、今の私たちの日本にも存在している。

そして、その線を引くのは同じ人間…

「楡(にれ)の木に葦(あし)を接ぎ木しようなどと考えるな。楡(にれ)は丘に、葦(あし)は水辺に生えているのが自然で正しいことだ」
         ―『エマ』森薫 著―

馬は訓練しだいで名馬にも駄馬にもなるが、猫は馬にはなれない。

メイドと恋に落ちた若き紳士に彼の父親は身分が違うとこう言います。

しかし、本当にそうでしょうか?

猫は、人間を見れば逃げ出します。
男だろうと女だろうと関係なく。
お金持ちだろうと貧乏人だろうと関係なく。



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