さてさてかねてからお約束していた
エルミタージュ美術館の基礎のs術作品を集めたエカテリーナ2世のエカテリーナ宮殿についての私の見聞きしたことです。
エカテリーナ宮殿です
エカテリーナ2世はドイツの貴族の娘で、又いとこに当たるのちのピョ―トル―3世の妃として迎えられました。その前の皇帝エリザベータの若いころの婚約者の姪であったことも関係しているようです
ピョートル自身、ドイツ人の父を持ち、エリザベスに子供がいないため、皇太子となっていました。そんなわけでドイツ語しかはなさず、知的障害もあったと言われています。
彼は、ロシアの貴族の援護もなく、ロシア教会と違う宗教でした。それに対して、エカテリーナはロシア語を学びロシアキリスト教に改宗し。
当時のフランス啓蒙主義を勉強、し多くの支持を集めました。
ヴォルテールなどとの往復書簡やエルミタージュにもヴォルテールの多くの像があります
ドイツとの戦争中に、ついに先帝エリザベスが崩御して、ロシアが勝っていたにもかかわらず。ドイツびいきの講和条約を結んだピョートルに対して、クーデターをカテリーナ2世はおこし、成功しました。
勿論正当な血縁ではないのですから、でいろいろ困難もあったようですが。それぞれうまく切りのけ、それからロシアの領土は最大に。
またアメリカの独立戦争に中立国として調停したり、世界にロシアのその影響力を増していくのです。
生涯の愛人と言われ、そのたくさんの往復書簡がのこっているポチョムキンなどの貢献により、クリミア半島を領土にしたり南下政策も進みました。
エルミタージュ美術館にあるパヴィヨンの間の音楽時計
エルミタージュ美術館にあるパヴィヨンの間の音楽時計
このクジャクが時になると、後ろの尾羽を広げたりするそれはみごとな金の細工の時計です。イギリスの当時の有名な職人が作りました。エカテリーナ2世が、戦勝の褒美として、愛人のポチョムキンに贈ったそうです。今でもそれは羽根をひろげた姿をみることができます。
孫のニコライ2世からは、「玉座の上の娼婦」と言われるくらい彼女は、多くの愛人を持ったといわれています。
エルミタージュ美術館にあるの彼女の大理石の像
これは多分エカテリーナ宮殿にあったものです、もっと若い時のものですね
これは多分エカテリーナ宮殿にあったものです、もっと若い時のものですね
モスクワクレムリンの武器庫だったと思うのですが、結婚式の時に来た洋服や、彼女の使った馬車、(本物です。)が展示されていました。写真撮影ができなかったのです。コルセットをつけていたからだと思うのですがとっても細い腰でした。
ロシアも当時の風潮通り、太ってることが美人の条件とされていたのです。
晩年は動くこともできないくらい太って車いす生活だったそうです。
エルミタージュや、エカテリーナ宮殿に残された彼女の絵や肖像からなんとなく想像はできますね。
和歌山の商人大黒屋光大夫が江戸に向かう途中に嵐でロシアに流され、帰国の許しを得るためにこのエカテリーナ宮殿のこの部屋に来ていて、その様子がつづられているそうです。
この宮殿には、権威を示すというより、とってもエレガントなものが多いです。
柿右衛門風のお皿のようなものや九谷のつぼなども飾られていました。
私が気に入ったアジサイの飾りです
次は全般を通して感じたロシア人気質みたいなものなどのこぼれ話をお話したいと思っています。
今までの疲れるような豪華さと少し違うでしょう、
正面階段の上がったところの東西に、起きたキューピット(朝、東)と眠ろうとするキューピット(夜、西側)が飾ってありましたよ~
これはどちらかいわなくてもわかりますよね~
エカテーリナ2世のさら詳しいことは池田利代子さんの漫画でも描かれています。
こちらでもよくわかりますよ。興味のある方はどうぞ~
次は全般を通して感じたロシア人気質みたいなものなどのこぼれ話をお話したいと思っています。
実は琥珀の間がこのエカテリーナ宮殿にあるのを忘れていました。また明日にでもチラリと触れましょう!