永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(528)

2009年10月12日 | Weblog
 09.10/12   528回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(10)

 源氏は、夜は女三宮のところではお寝みにならず、昼間にちょっと覗かれて、

「世の中のはかなきを見るままに、行く末短う、物ごころ細くて、行いがちになりにて侍れば、かかる程のらうがはしき心地するにより、え参りこぬを、如何、御心地は、さわやかに思しなりにたりや。心苦しうこそ」
――世の中の儚さを見たようで、私の余命も短く心細い気がして、仏前のお勤めばかりするようになりました。こういうときは落ち着けない気がしてこちらへ参れないものですから。どうですか。ご気分は。幾分さわやかになりましたか。おいたわしいことです――

 と、几帳の端から覗いてごらんになります。女三宮はお頭(おつむ)をお上げになって、

「なほ、え生きたるまじき心地なむし侍るを、かかる人は罪も重かなり。尼になりて、若しそれにや生きとまるとこころみ、また亡くなるとも、罪を失ふこともや、となむ思ひ侍る」
――やはり、生きていられそうもない気がしますが、お産で死ぬ人は罪も重いと申します。尼になって、それで命を取り止めるかと試みもし、またそうすれば、死んでも罪が消えることにもなろうかと存じます――

 と、いつもより大人びておっしゃいますと、源氏は、

「いとうたて、ゆゆしき御事なり。などてか然までは思す。かかることは、さのみこそ恐ろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそあらめ」
――まあなんといやな、とんでもない事をおっしゃいますね。どうしてそこまでお考えになるのですか。お産などということは実際恐ろしいことですが、死ぬと定まったことではないでしょうに――

 とお応えになりながら、
源氏は内心では、それが女三宮のご本心ならば、尼としてお世話するのも良いかもしれない。自分としても昔の気持ちに返れないし、ひどい仕打ちをもしかねないこともありそうで、そこから自然と人も怪しむことになってもお気の毒だ。朱雀院のお耳に入っても、みな私の落度となるばかりなのだから、などと思ったりなさる。

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ではまた。


源氏物語を読んできて(527)

2009年10月11日 | Weblog
 09.10/11   527回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(9)

 このように親王たちから上達部と大勢がお出でになりました。源氏はお産前の御祈祷から、産養いの御儀まで、類まれなほど賑々しく執り行われましたが、お心の内は、

「心苦しとおぼす事ありて、いたうももてはやし聞こえ給はず、御遊びなどはなかりけり」
――晴れやかに喜べない翳りがおありになりますので、折角のお客人方をも、あまり取り立てておもてなしもなさらず、管弦の催しなどはありませんでした――

 女三宮は、

「さばかりひはづなる御様にて、いとむくつけう、ならはぬ事の恐ろしう思されけるに、御湯なども聞し召さず、身の心憂き事を、かかるにつけても思し入れば、さばれ、このついでにも死なばや、と思す」
――あれほどか細いお身体で、お産がひどく気味悪く、また慣れないこととて恐ろしく思われましたので、薬湯さえもお召し上がりにならず、わが身の辛さを、お産につけても恐ろしく思い込まれて、いっそのこと、このついでに死んでしまいたい、と思われる――

「大臣は、いとよう人目を飾り思せど、まだむつかしげにおはするなどを、とりわきても見奉り給はずなどあれば、老いしらへる人などは『いでや、疎かにもおはしますかな。めづらしうさし出で給へる御有様の、かばかりゆゆしきまでにおはしますを』とうつくしみ聞こゆれば」
――源氏は、実にうまく人前を繕っていらっしゃいますが、まだ生まれたばかりで扱いにくい嬰児を、特にご覧になろうともなさいませんご様子に、年老いた女房などは、「なんとまあ御冷淡なことでしょう。久しぶりにお生まれになった若君がこんなに可愛くていらっしゃるのに」と愛らしさのあまり申し上げますと――

「片耳に聞き給ひて、さのみこそは、思し隔つることもまさらめど、うらめしう、わが身つらくて、尼にもなりなばやの御心つきぬ」
――(女三宮は)聞くともなしにお聞きになって、今後はただこうして源氏のお憎しみが増していくのであろうと、恨めしく情けなく、わが身の辛さに、尼になってしまいたいと、ふっとお心を過ぎったのでした。――

◆うつくしみ聞こゆれば=ご愛撫申しますと

ではまた。

源氏物語を読んできて(526)

2009年10月10日 | Weblog
 09.10/10   526回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(8)

 女三宮は一晩中お苦しみになりましたが、明け方の日が昇る頃お生まれになりました。源氏は男君とお聞きになって、

「かく忍びたる事の、あやにくにいちじるき顔つきにて、さし出で給へらむこそくるしかるべけれ、女こそ、何となく紛れ、あまたの人の見るものならねば、安けれ」
――こうして世間の手前を何とか取り繕っているのに、あいにく生まれた稚児の顔が実の父とそっくりであったりしたらどうであろう。女の子なら何のとかごまかしもきくし、多くの人が見るわけでもないから安心なのに――

 と、思われます一方で、

「しかし、さてもあやしや、わが世と共に恐ろしと思ひし事の報いなめり、この世にて、かく思ひかけぬ事にむかはりぬれば、後の世の罪も、少し軽みなむや」
――それにしても不思議なことだ。こういう厄介な疑いの交じったこの子こそ、自分が生涯かけて恐れていた藤壺との秘密の報いであろうか。この世でこうして思いがけない報いに出会ったことで、来世の罪が少し軽くなるであろうか――

 と、お思いになります。
人々は女三宮の秘密を少しも知りませんので、源氏が晩年に男君を儲けられましたので、どんなにか御寵愛なさることでしょうと、皆心をこめてお仕えするのでした。御産屋の儀式も厳かで重々しい。

「御方々、さまざまにしいで給ふ御産養、(……)五日の夜、中宮の御方より、子持ちの御前のもの、(……)七日の夜は、内裏より、それもおほやけ様なり。」
――源氏に関係のある婦人方が、それぞれに設けられる御出産祝いは、(型通りの折敷や、衝重(ついがさね)、高杯など競争ぶりを発揮して用意され)五日の夜は、秋好中宮からお産婦でいらっしゃる女三宮のお召し上がり物、(女房たちにも身分の応じて食べ物を公式に盛大に産養いをされました)七日の夜は、内裏からの公式な産養いがありました。

 致仕の大臣(引退された柏木の父君、かつての頭の中将)は、

「心ことに仕うまつり給ふべきに、この頃は何ごともおぼされで、おほぞうの御とぶらひのみぞありける。」
――本来ならば、特に盛大に産養いのお祝いをなさるところですが、近頃は柏木の病気のため、何も顧みる暇もなくて、一通りのお祝いだけがございました――

◆五日夜の中宮からの産養いのお召し上がり物=お粥や、強飯の握り飯を五十人前をはじめとして、数々の食べ物。

◆おほぞうの=一通りの

ではまた。


源氏物語を読んできて(525)

2009年10月09日 | Weblog
 09.10/9   525回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(7)

 また、柏木はそのお返事を横になりながら、休み休みお書きになります。言葉も途切れ途切れで、筆跡も鳥の足跡のようにたどたどしげに、

「『行方なき空の煙となりぬとも思ふあたりをたちははなれじ』夕べはわきてながめさせ給へ。とがめ聞こえさせ給はむ人目をも、今は心やすく思しなりて、かひなきあはれをだにも絶えずかけさせ給へ」
――「火葬にされて行方なき煙になりましても、私の心はあなたの側を決して離れません」夕暮れ時は特に空を眺めて私を偲んでください。源氏がお咎めなさる事も、今後はご安心になって、今は甲斐ない御同情だけでも私にかけてください――

 などと乱れがちにお書きになりながら、ますます気分が悪くなって、小侍従に「どうぞこれをお伝えください。私が臨終の近いことも」とつづけながら、

「今更に人怪しと思い合はせむを、わが世の後さへ思ふこそ口惜しけれ。いかなる昔の契りにて、いとかかる事しも心にしみけむ」
――今更、人が怪しいと想像しようが、死後のことまで心配するのはもう苦しい。まったく如何した前世の宿縁で女三宮のことに執着したのだろう――

 と、泣く泣くご自分のお部屋にいざり入って行かれました。柏木の乳母(小侍従の伯母にあたる)も泣き惑い、父上のご心痛は大変なもので、「昨日、今日は少し快方に向かっていましたのに、今はまたひどく弱ってしまって」と大騒ぎされる。

柏木は、

「何か、なほとまり侍るまじきなめり」
――いいえ、やはり寿命が尽きているのでございましょう――

 と、ご自分で申し上げて、また泣いていらっしゃる。

 女三宮は、その日の夕方からお苦しみになって、産気づかれたことを知っている人々が大騒ぎして、源氏も大急ぎでお渡りになります。源氏のお心の内は、

「あな口惜しや、思ひ交じる方なくて見奉らましかば、めづらしくうれしからまし」
――なんとも口惜しいことよ。柏木の子だという疑いなどなく(私の子だと信じられたら)このお産に会うならば、どんなに晴れやかでうれしいことだろうに――

 しかし他人にはそのような素振りなど見せまいと、僧どもを大勢集められて加持祈祷をおさせになります。

ではまた。


源氏物語を読んできて(524)

2009年10月08日 | Weblog
 09.10/8   524回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(6)

 小侍従は、「宮様も身を恥られて、肩身の狭い思いで暮らしていらっしゃいます」と、女三宮のご様子をお話ししますと、柏木は宮を幻のうちにお見上げしているようで、なるほど御身から抜け出た魂が、宮の許に行くのであろうなどと、一層胸が痛んで、

「今更に、この御事よ、かけても聞こえじ。この世はかうはかなくて過ぎぬるを、長き世のほだしにもこそと思ふなむ、いとほしき。(……)見し夢を心ひとつに思ひ合せて、また語る人もなきが、いみじういぶせくもあるかな」
――もう今更、宮の御事は申しますまい。私の一生はこうしてはかなく過ぎてしまったのですが、このことが宮の成仏の妨げになりますようでは、気がかりでなりません。(ご懐妊がせめて安産であったとお聞きしてから死にたいものです)あの時見ました猫の夢を自分一人で合点して、語り合う人も居りませんのがはなはだ残念でなりません――

 このように、あれこれとお話になる柏木を、時には浅ましいことと思い、時には御同情も抑えきれず、小侍従も一緒に大そう泣いてしまいました。

 柏木は、女三宮からのお返事を、明かりを近くに寄せてご覧になりますと、

「心苦しう聞きながら、いかでかは。ただおしはかり。『残らむ』とあるは、歌(立ちそひて消えやしなまし憂きことを思ひみだるる煙くらべに)後るべうやは」
――お気の毒に思いながら、どうしてお見舞いなどできましょうか。ただ御推察を。あなたのお歌に「残らむ」とありますのに対しては、「あなたと私とどちらの煩悶が深いのかを比べるうちに、わたしも一緒に消えてしまいたい」どうして一人残れましょうか――

 とありました。柏木はあわれ深くも有難いとも思いつつ、

「いでや、この煙ばかりこそは、この世の思ひいでならめ。はかなくもありけるかな」
――さても、この煙のお歌だけを、せめてものわが生涯の思い出となりましょう。それにしても何とはかないことか――

 と、はげしくお泣きになるのでした。

ではまた。

源氏物語を読んできて(523)

2009年10月07日 | Weblog
 09.10/7   523回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(5)

 柏木は、聖にお話しておられる父君の言葉を聞いて、小侍従に、

「かれ聞き給へ。何の罪とも思し寄らぬに、占ひよりけむ女の霊こそ、まことにさる御執の身に添ひたるならば、いとはしき身もひきかへ、やむごとなくこそなりぬべけれ」
――あれをお聞きなさい。父上は私の病気が何の罪からともお分かりにならぬのに、占いに女の霊だと当てたのですが、真実、女三宮のご執心がわが身に憑いていらっしゃるのなら、わが身は反対に尊いものになりましょう――

さらに、

「さてもおほけなき心ありて、さるまじき過ちをひき出でて、人の御名をも立て、身をも顧みぬ類、昔の世にもなくやはありけると、おもひ直すに、なほ、けはひわづらはしう、かの御心に、かかる咎を知られ奉りて、世にながらへむ事もいと眩く覚ゆるは、げに異なる御光なるべし」
――それにしましても大それた心で、とんでもない罪を犯し、先方の浮名も立て、自分の身も棄てて顧みない例は、昔の世にも無いわけではなかったと考え直してみても、やはり何となく気分も悪く、源氏がこのことを知っていらっしゃるのに、生き長らえる事も、はなはだ眩しく身の置き所なく覚えます。これも源氏に格別のご威光が備わっていらっしゃるからでございましょう――

 また、

「深き過ちもなきに、見合わせ奉りし夕べの程より、やがてかき乱り、惑ひそめにし魂の、身にもかへらずなりにしを、かの院の内にあくがれありかば、結びとどめ給へよ」
――(このことが)甚だしい過失とは思えませんのに、源氏に対面申しましたあの夕べの頃から、そのまま気分が悪くなりまして、迷い始めた魂が私の体に帰ってこなくなってしまいました。もしも私の魂が、六条院のあたりをさ迷っているのでしたら、どうか宮の御許にとどめておいてください――

 などと、弱々しげにまるで魂の抜け殻のようなご様子で、泣きつ笑いつして話していらっしゃいます。

ではまた。


源氏物語を読んできて(522)

2009年10月06日 | Weblog
 09.10/6   522回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(4)

 御修法、読経など、実に恐ろしいほど仰々しく騒ぎ立てて、父上の大臣は人の評判を聞いてはあれこれと徳の高い修験者を呼び寄せていらっしゃる。深山に籠っている者どもを、柏木の弟君たちを使わせては尋ね召しますので、人相の悪い山伏なども多く集まってきます。

「わづらひ給ふさまの、そこはかとなく、物を心細く思ひて、音をのみ、ときどき泣き給ふ。(……)この聖も、長高やかに、まぶしつべたましくて、荒らかにおどろおどろしく陀羅尼読むを、」
――(柏木の)ご容態は、どこがどう苦しいというのでもなく、何となく心細く思われるご様子で、時々はお泣きになる声がきこえます。(陰陽師の大方は、女の怨霊の仕業だと占うものの、一向に物の怪が出てくる気配もありません。大臣はほとほと困り果てて、このように山奥まで修験者をお探しになり)、この葛城山の聖も、背丈が高く目つきが険しくて、荒々しくも恐ろしげな声で陀羅尼を読みつづけますので、――

 柏木は、

「いであな憎くや。罪の深き身にやあらむ、陀羅尼の声高きは、いと気恐ろしくて、いよいよ死ぬべくこそ覚ゆれ」
――ああ、厭な声だ。罪障の深いせいだろうか、陀羅尼の声が高いとひどく恐ろしくて、いよいよ死んでしまいそうな気がする――

 と、そっと床を滑り出て、あの小侍従とお話になります。

 父大臣は、そうとも知らず、侍女たちが「お寝みになっています」と申し上げるのを信じて、忍びやかにこの聖に柏木の患い始めた頃から何となく重病になられたことなどをお話になって、

「まことにこの物の怪あらはるべう、念じ給へ」
――何とかして、あれに憑いている物の怪が現れるように祈り続けてください――

 と、細々と話していらっしゃるのも、まことにお痛わしい。

◆まぶしつべたましくて=まぶし(目つき)、つべたましくて(冷たまし)=目つきが恐ろしげで薄気味悪い

◆陀羅尼=陀羅尼経(だらにきょう)=梵語の音訳。善法を保ち、悪法をさえぎるの意。梵語で唱える長文の呪文。漢訳しないで原語のまま読み上げる。

ではまた。


源氏物語を読んできて(521)

2009年10月05日 | Weblog
 09.10/5   521回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(3)

 柏木は使いの小侍従に、なおも懲りずにあはれ深い心のうちを、重ねておっしゃいます。

「自らも、今一度言ふべきことなむある」
――私は、私自身でもう一度対面してお話したいことがあります――

 小侍従は昔から柏木とお会いしていたこともあって(小侍従の伯母が柏木の乳母であった)、柏木の女三宮に対する大それた思いを不愉快に思っていましたが、もう命も終わりそうで、これが最後の頼みだとおっしゃるので、女三宮のところに参上して泣く泣く申し上げます。

「なほ、この御返り、まことにこれをとじめにもこそ侍れ」
――やはり、このお返事はお書きくださいませ。本当にこれが最後になりましょうから――

 と、申し上げます。女三宮は、

「われも、今日か明日かの心地して、物心細ければ、大方のあはればかりは思ひ知らるれど、いと心憂き事と思ひ懲りにしかば、いみじうなむつつましき」
――私こそ、今日か明日かの命かと心細く思っておりますので、一応は同情いたしますけれども、実に厭な事と懲り懲りしました。とてもお返事を書く気にはなれません――

 と、一向にお返事をお書きにならない。

「はづかしげなる人の御気色の、折々にまほならぬが、いとおそろしうわびしきなるべし。」
――何ごとにも行き届いていらっしゃる源氏が、折に触れてそれとはなしに卑しめるような、憎んでおられるような態度をお見せになるのが、宮にはたいそう恐ろしく、侘しく御身にしみるのでしょう――

 けれども、小侍従が硯を用意して強いて勧めますので、しぶしぶお書きになりました。その御文をもって小侍従はそっと宵闇にまぎれて二条の致仕大臣邸にさんじょうします。大臣邸では、偉い修験者で葛城山から招いた者たちを待ち受けて、加持祈祷をさせるおつもりです。

ではまた。


源氏物語を読んできて(520)

2009年10月04日 | Weblog
 09.10/4   520回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(2)

 柏木の煩悶はつづきます。

「せめてながらへば、自づからあるまじき名をも立ち、われも人も安からぬみだれ出で来るやうもあらむよりは、なめしと心おい給へらむあたりにも、さりとも思しゆるいてむかし(……)」
――無理に長生きをすれば、自然悪い浮名も立てられ、自分にも宮にも厄介な煩悶が生じもしよう故、それよりはいっそ死んでしまったなら、無礼な奴とお憎しみになっておられる源氏も、何とかお許しくださるであろう(臨終の際には、煩いごと一切が帳消しになってしまうものだ。他には特に失態もなく、長年、催し事には親しくしてくださったように、源氏の同情もいただけよう)――

 などと、所在なさに思い続けますものの、考えれば考えるほど味気なさがますばかりです。
 なぜこうも世間を狭くしてしまったのかと、柏木は胸も塞がる思いで、枕も浮くに違いない位、やり場のない涙を流しておいででしたが、小康を得たようだと看護の人々が退いた間に、かの、女三宮にお手紙をお書きになります。

「今は限りになりにて侍る有様は、自づから聞し召すやうも侍らむを、如何なりぬるとだに、御耳とどめさせ給はぬも、道理なれどいと憂くも侍るかな」
――私の命も、今日明日というほどになってしまったことは、自然と噂にもお聞きになっていらっしゃるでしょうに、「如何ですか」とさえ、お心にかけてくださらないのは、当然かも知れませんが、ひどく情けなく辛いのです――

 と、申し上げるにも手がわなわなと病気のために震えて、思うようにお書きになれません。歌に、

「今はとてもえむ煙もむすぼほれ絶えぬおもひのなほや残らむ」
――私を焼く火葬の煙がくすぶって、あなたを恋慕う思いだけはいつまでも後にのこるでしょう――

 せめて可哀そうだと、一言おっしゃってください。そのことを心に鎮めてあの世の旅路への光ともしましょう、と添えられました。

 ◆なめし=失礼だ。無作法だ。

◆心おい給へらむあたり=心置い=執着していらっしゃるご様子

ではまた。


源氏物語を読んできて(519)

2009年10月03日 | Weblog
09.10/3   519回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(1)

源氏(大臣、六条院)   48歳正月~秋まで
紫の上          40歳
夕霧(大将の君)     27歳
明石の女御(源氏と明石の御方の姫君) 20歳
女三宮(宮、尼宮、二品尼)22~23歳(出家)
薫誕生(源氏と女三宮との若宮。実は柏木と女三宮の御子)
朱雀院(女三宮の父宮、山の帝) 51歳
柏木(衛門の督、故殿)  32~33歳(逝去)
致仕大臣(柏木の父君)
落葉宮(柏木の正妻。二条の君、女二宮)
一条御息所(落葉宮の母宮、母御息所)
玉鬘(柏木の姉君)    34歳


「衛門の督の君、かくのみなやみわたり給ふこと、なほおこたらで、年もかへりぬ」
――衛門の督の君(柏木)が、こうして長患いの癒えないままに、新年になりました。――

 柏木のお心では、

「大臣北の方、思し歎くさまを見奉るに、強ひてかけはなれなむ命かひなく、罪重かるべきことを思ふ心は心として、またあながちに、この世に離れ難く、惜しみとどめまほしき身かは」
――父君の致仕大臣や母北の方の尋常ではないお嘆きを拝見しますと、強いて捨てようと思う命の甲斐もなく、親に先立つ罪は重かろうとは考えますが、その心は心として、無理にこの世に執着して生きていたい身ではないのだ――

 とも思い、

「いはけなかりし程より、思ふ心ことにて、何ごとをも、人に今一きはまさらむと、公私のことにふれて、斜めならず思ひのぼりしかど、その心かなひ難かりけりと、一つ二つの節ごとに、身を思ひ貶してしこなた、なべての世の中すさまじう思ひなりて、(……)」
――私は幼少の頃から野心があって、何ごとにでも人並み以上になりたいと公私につけ並外れて望みがたかかったのですか、その理想は達し難いものだと、一二の失敗の度に自分の無力を悟って以来、生きていることすべてが面白くなくなって(両親のお嘆きを察しては出家もできず、何やかやと自分をごまかして過ごしてきてしまいました)――

 そして、

「つひになほ世に立ちまふべくも覚えぬ物思いの、一方ならず身に添ひたるは、われより外に誰かはつらき、心づからもてそこなひつるにこそあめれ、と思ふに、うらむべき人もなし」
――結局世間に交じって行けそうもない煩悶があれこれと生じてしまったのは、自分以外に恨む人もない自業自得ということなのだ――

 だから、

「かく人にもすこしうち忍ばれぬべき程にて、なげのあはれをもかけ給ふ人あらむをこそは、一つおもひに燃えぬるしるしにはせめ」
――女三宮にも少しは思い出して頂けそうなうちに死んで、ちょっとした同情でもかけていただくならば、それを一途の恋に身を焦がした思い出にこそしよう――

◆あながちに=強ち=むりやりなさま。強いて。 

◆心づから=自分の心のなすがままに。

◆もてそこなひつる=以て損なひつる=自身を傷つけてしまった。

◆なげのあはれ=無げのあはれ=うわべだけの愛情。一時的な同情。

ではまた。