永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(676)

2010年03月15日 | Weblog
2010.3/15   676回

四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(1)

源氏(六条院)     52歳 正月~12月まで
夕霧(大将の君)    31歳
雲井の雁        33歳
女三宮(入道の宮)   26~27歳
薫(若君)        5歳
明石の御方       43歳
明石中宮(后の宮)   24歳
匂宮(明石中宮腹三の宮) 6歳
蛍兵部卿宮(源氏の腹違い弟宮)
致仕大臣(昔の頭の中将・故葵の上の兄君・故柏木の父君)
頭の中将(柏木亡き後の藤原氏致仕大臣家の長男)
蔵人少将(柏木亡き後の藤原氏致仕大臣家の二男)
中将の君(紫の上に似ている・源氏の愛を受けた女房)
中納言の君(源氏の愛を受けた女房)
 
さて、紫の上が亡くなられました翌年の春になっても源氏は、

「春の光を見給ふにつけても、いとど昏れ惑ひたるやうにのみ、御心ひとつは、かなしさのあらたまるべくもあらぬに、外には例のやうに人々参り給ひなどすれど、御心地なやましきさまにもてなし給ひて、御簾の内にのみおはします」
――春の光をご覧になるにつけても、春を好まれた紫の上が偲ばれて、いっそう涙にお心が昏れ惑うようで、悲しみが薄らぐどころではありませんのに、表御殿には毎年の慣例どおり人々が参賀に来られなどしていますが、源氏はご気分がすぐれないさまを装って、御簾の内にばかり引き籠もっておいでになります――

 蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)が来られた時だけは、じかにお会いになろうと、その伝言をなさいます。

(歌)「わがやどは花もてはやす人もなしなににか春のたづね来つらむ」
――私の家では花を愛でる人もおりません。どうして春が来たのでしょう。(何のおもてなしもできませんのに、どうしてお出でになったのでしょうか――

 この源氏のお歌に涙ぐまれて、宮は返歌をなさいます。

「香をとめて来つるかひなく大方の花のたよりと言ひやなすべき」
――あなたをお慰めに参りましたのに、ただの花見客とお思いですか――

 紅梅のもとに歩み出でられた兵部卿宮のお姿が、まことに花の美しさを愛でられるに相応しく、やさしくお見えになると、源氏はお思いになります。

「花は、ほのかに開けさしつつ、をかしき程のにほひなり。御遊びもなく、例に変わりたること多かり」
――花はちらほら咲きかけのところで、なんともいえない風情です。ただ観梅の宴の管弦もなく、例年の春とは変わったことが多いのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(675)

2010年03月14日 | Weblog
2010.3/14   675回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(18)

「いふかひあり、をかしからむ方のなぐさめには、この宮ばかりこそおはしけれ、と、いささかの物紛るるやうに、思し続くるにも、涙のこぼるるを、袖の暇なく、えかきやり給はず」
――(源氏は)話し甲斐のある、優雅な方面のお相手としては、この秋好中宮がお一人まだ残っておられたのだったと、幾分お心が紛れる感じがなさるにつけても、こぼれる涙をお袖で払うのに忙しく、お返事もろくろくお書きになれません――

 やっと(返歌)をなさいます。

「のぼりにし雲居ながらもかへり見よわれあきはてぬつねならぬ世に」
――中宮の御位にあってもお察しください。わたしは無情なこの世にすっかり飽きてしまいました――

 このお手紙を上包みに包まれた後にも、しばらく茫然として物思いに沈んでおられます。このように気抜けしているのを紛らわすために、女たちのいる住まいの方においでになり、少しの女房を仏間に侍らせて、心静かに勤行をなさいます。

「千年をももろともにと思ししかど、限りある別れぞいと口惜しきわざなりける。今は蓮の露も他事に紛るまじく、後の世をと、ひたみちに思し立つ事たゆみなし。されど人聞きを憚り給ふなむ、あぢきなかりける。」
――紫の上とは千年でも共にありたいとお思いになりましたのに、死出の旅にはお一人でお立ち出でになったことは、本当に残念でなりません。今では極楽往生の願いが他の事に紛れませんように、ひたすら御修行をなさるのでした。けれども人聞き(女故の弱気)を苦になさっていらっしゃるのは、詰まらないことですこと――

 一連の御法要のことなどは、源氏ははっきりとお指図もなさらないので、夕霧がすべて御準備なさって進めていらっしゃる。

「今日やとのみ、わが身も心づかひせられ給ふ折多かるを、はかなくてつもりにけるも、夢の心地のみす。中宮なども、思し忘るる時の間なく、恋ひ聞こえ給ふ」
――(源氏は)今日こそはとご自分でもご出家の決心をなさることが始終ですのに、そのうちにはかなく月日がつもっていきますのを、夢のようにしかお思いになれません。
明石中宮も紫の上をお忘れになる時とてなく、恋い慕ってばかりいらっしゃるのでした――

四十帖 【御法(みのり)の巻】 終わり。

ではまた。

源氏物語を読んできて(674)

2010年03月13日 | Weblog
0.3/13   674回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(17)

 源氏はその昔、前の北の方(葵の上)が亡くなられた時よりも少し濃い色の喪服をお召しになっておられます。

「世の中に幸ひありめでたき人も、あいなう大方の世に嫉まれ、よきにつけても心の限りおごりて、人の為苦しき人もあるを、あやしきまですずろなる人にも承けられ、はかなく出で給ふ事も、何事につけても、世に誉められ、心にくく、折ふしにつけつつ、らうらうじく、あり難かりし人の御心ばへなりかし」
――世の中には幸いを得て栄えておられる人でも、何ということなく世間の人々に妬まれ、身分が高ければ高いでどこまでも驕り高ぶって、人に辛い思いをさせる人もあるものですが、(亡き紫の上は)不思議なくらい、つまらない人々にも好意を持たれ、ちょっとしたことでも世人に称賛され、奥ゆかしく、その折々につけて気転が利き、まことに珍しいご気性の御方でした――

 それほど縁のない人々でさえ、その頃は風の音や虫の声につけても、紫の上のことをお慕いして涙を落とさない者はいませんでした。

「ましてほのかにも見奉りし人の、思ひなぐさむべき世なし。年頃睦まじく仕うまつり馴れつる人々、しばしも残れる命、うらめしき事を歎きつつ、尼になり、この世の外の山住みなどに思ひ立つもありけり」
――ましてや、ちょっとでも紫の上にお逢いした人は、当分気の紛れる時もないほどでした。長年お側にお仕え申していた女房の中には、紫の上のお亡くなりになって後、自分の命の残ったのを恨めしいとばかり歎いては、俗世を離れて山寺に住むことを発心する者もあったのでした――

 冷泉院の后の宮(秋好中宮)からも、お心のこもった御消息があり、尽きせぬ悲しみをお述べになって、

(歌)「『枯れはつる野辺を憂しとや亡き人の秋にこころをとどめざりけむ』今なむ道理知られ侍りぬる」
――「ものみなが枯れ果てる野辺をわびしく思われて、あの方は秋を好まれなかったのでしょうか」紫の上が秋を好まれなかったことが、今わかりました――

 と、書かれてありましたのを、茫然自失の源氏のお心ながらも、繰り返し下にも置かずご覧になっております――

ではまた。

源氏物語を読んできて(673)

2010年03月12日 | Weblog
2010.3/12   673回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(16)

「致仕の大臣、あはれをも折過ぐし給はぬ御心にて、かく世に類なくものし給ふ人のはかなく亡せ給ひぬることを、口惜しくあはれに思して、いとしばし訪ひ聞こえ給ふ」
――致仕の大臣(柏木の父君、若き頭中将)は、時期を逸せず情をおかけになるご性質ですので、この世にあって類まれな立派な方でいらっしゃった紫の上が、このようにはかなくお亡くなりになりましたことを残念にも痛々しくも思われて、度々ご弔問なさいます――

「むかし大将の御母上うせ給へりしもこの頃の事ぞかし、と思し出づるに、いともの悲しく、その折かの御身を惜しみ聞こえ給ひし人の、多くもうせ給ひにけるかな、後れ先だつ、程なき世なりけりや、など、しめやかなる夕暮れにながめ給ふ」
――その昔、夕霧の御母上(葵の上・致仕大臣の妹)が亡くなりましたのも、同じ八月の頃だった、と思い出されて、しみじみと物悲しく、その時、葵の上の死をお悼み申された人が、多くはすでに亡くなられたことよ。後れても先立っても大した差はない無情の世の中だなあ、などと、しんみりと夕暮れを眺めていらっしゃいます――

 致仕大臣は、御子息の蔵人の少将をお使いとして、源氏に細やかであわれ深いお文をお書きになって、そのあとに歌を添えられます。

(歌)「いにしへの秋さへ今のここちして濡れにし袖に露ぞおきそふ」
――葵の上が亡くなりました昔の秋までが今のような気がしまして、この度の涙に更に涙が加わります――

 (源氏の返歌)
「露けさはむかし今ともおもほえずおおかた秋のよこそつらけれ」
――悲しさに昔と今の差はありません。ただただ秋の季節が辛く思われます――

「物のみ御心のままならば、待ちとり給ひては、心弱くもと、目とどめ給ひつべき大臣の御心ざまなれば、めやすき程にと、『度々のなほざりならぬ御とぶらひの重なりぬること』とよろこび聞こえ給ふ」
――悲しみにくれている今のお心持ちをそのままお詠みになれば、ご返事を待っていらっしゃる致仕大臣は、そんな心弱いことよ、と見咎めなさりそうなご性分なので、わざと平静を装って、「度々お心のこもった御弔問を頂きまして」と御礼を仰せになります。

ではまた。

源氏物語を読んできて(672)

2010年03月11日 | Weblog
2010.3/11   672回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(15)

「臥しても起きても涙の干る世なく、霧ふたがりて明かし暮らし給ふ」
――(源氏は)寝ても覚めても涙が乾く間もなく、御目も霧に塞がっているようにお暮しになっています――

 源氏のお心の内は、

「いにしへより御身の有様思し続くるに、鏡に見ゆる影をはじめて、人には異なりける身ながら、いはけなき程より、悲しく常なき世を思ひ知るべく、仏などのすすめ給ひける身を、心強く過ぐして、つひに来し方行く先も例あらじと覚ゆる悲しさを見つるかな」
――昔からのご自分の身の上を考えてごらんになりますと、鏡に映る容姿をはじめ、人並み以上に優れた身でありながら、幼児の頃から身近な人々の死に遭われたのは、悲しく無情の世を悟るようにと仏などが薦めたことであったろうに、強気に過ごして来て、結局このような過去にも未来にも例のないような悲痛な目に遭ったことよ――

 「今はこの世にうしろめたきこと残らずなりぬ。ひたみちに行ひにおもむきなむに、さはり所あるまじきを、いとかくをさめむ方なき心惑ひにては、願はむ道にも入り難くや」
――今はもう、この世に何の思い残すことはない。仏道に専心励むのに何の差し障りも無い筈なのに、こうも心を鎮まらないでは、仏道にも入りにくいのではなかろうか――

 と、この悲しみの思いをなだめて落ち着かせてくださるように、阿弥陀仏にお念じになるのでした。
内裏をはじめ、あちらからこちらからの御弔問が、単に儀礼的ではなく、心を込めて大勢お出でになります。

「思し召したる心の程には、さらに何事も目にも耳にもとどまらず、心にかかり給ふ事あるまじけれど、人にほけほけしきさまに見えじ、今更にわが世の末に、かたくなしく心弱き惑ひにて、世の中をなむ背きにける、と、流れとどまらむ名を思しつつむになむ、身を心に任せぬ歎きをさへうち添へ給ひける」
――出家を決意された今の源氏にお心では、もう何事についても、目にも耳にも留まらず、お心にかかることはないのですが、人の目に呆けた様子と見えないように、今更この年齢になって、今更女のことで迷って出家したのだと後世までも、言いふらされないようにと思っていらっしゃるので、御心のままに振る舞えない辛さまでもが加わるのでした――

◆さはり所=障り所=妨げになる場所や、物。

◆ほけほけしきさま=惚け惚けしき様=惚けたような様子

◆かたくなしく=頑なしく=がんこ、見苦しい、みっともない。

ではまた。


源氏物語を読んできて(671)

2010年03月10日 | Weblog
2010.3/10   671回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(14)

「十四日に失せ給ひて、これは十五日の暁なりけり」
――(紫の上は)十四日に亡くなって、葬送の儀は十五日の明け方でした――

 野辺の露もすっかり朝の光に照らしだされてきらきらしています。源氏は世の中(男女の仲、夫婦の仲)のはかなさに堪えられないお気持ばかりに思い沈んで、こうして生き残っても、あとどれ程の生命であろうか、いっそのこと、この悲しみに紛れて昔からの本意の出家を遂げたいと思うのですが、

「心よわき後の誹りを思せば、この程を過ぐさむ、とし給ふに、胸のせきあぐるぞ絶へ難かりける」
――その出家の動機が、紫の上の死では、あまりにも気が弱いなどと陰口を言われそうですので、しばらく時を置いてからにしようとお思いになりますと、またしても胸にせきあげてくる思いが堪らないのでした――

 夕霧も、御忌中の仏事に籠られて、少しもご自邸にお帰りになる事も無く、朝夕源氏のお側におられ、痛々しく悲しみに暮れていらっしゃる父君のご様子を、もっともな事とご同情申し上げていらっしゃる。

 野分だちた風に、夕霧は昔の事が思い出されて、あの時の紫の上をほんの少しだけでも拝見したいものと恋しく思い続けてきたことが堪え難いほど悲しくて、人にはそれと知られないように、

「『阿弥陀仏、阿弥陀仏』とひき給ふ数珠の数に紛らはしてぞ、涙の玉をばもてけち給ひける」
――「阿弥陀仏、阿弥陀仏」と、爪ぐる数珠の玉に紛らわして、涙の落ちるのを隠していらっしゃる――

夕霧の(歌)

「いにしへの秋の夕のこひしきにいまはと見えしあけぐれの夢」
――昔、野分(のわき=台風)の夕べに、ちらっとお見上げした紫の上の面影が恋しい上に、夜明けの薄明かりに夢見心地に拝見した最後のお顔が、忘れられない――

 夢から醒めたあとまで侘びしい事でした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(670)

2010年03月09日 | Weblog
2010.3/9   670回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(13)

 紫の上にお仕えしていた女房の中で、正気でない者はなく、源氏ご自身が悲嘆のさ中に、強いてお気持を落ち着かせなさって、御葬送のことをお指図されます。

「やがてその日、とかく納め奉る。限りありける事なれば、亡骸を見つつもえ過ぐし給ふまじかりけるぞ、心憂き世の中なりける」
――すぐその日に続いて、どうにか御葬送をなさいます。葬送には一定の法式があることですので、亡骸をいつまでも目の前にして置かれないことは、御夫婦にとってのまことに侘びしい現実です――

「遥々と広き野の、所もなく立ち込みて、限りなく厳めしき作法なれど、いとはかなき煙にて、はかなくのぼり給ひぬるも、例のことなれどあへなくいみじ」
――広々とした葬場にぎっしりと会葬者があふれて、これ以上はないという荘厳なご葬儀でしたが、亡骸は実にはかない煙となって空しく天に昇ってしまわれましたのも、葬送の常ではありますが、まったくあっけなく悲しみもいっそう深いのでした――

「空を歩む心地して、人にかかりてぞおはしましけるを、見奉る人も、然ばかりいつかしき御身をと、物の心知らぬ下衆さへ泣かぬなかりけり。御送の女房は、まして夢路に惑ふ心地して、車より転び落ちぬべきをぞ、もてあつかひける」
――(源氏は)踏む足も定まらぬ心地で、人に寄りかかっていらっしゃるのをお見上げなさる人々も、この上ない高貴な御方が、と、ものの心もわきまえない下賤の者までが
泣かぬ人とてなく、お供に参った女房達は、まして夢路に迷っているような気持ちで、車から転び落ちそうなので、車副いの人々はその介抱に手を焼いています――

「むかし大将の君の御母君失せ給へりし時の暁を思ひ出づるにも、かれはなほ物のおぼえけるにや、月の顔の明らかに覚えしを、今宵はただ昏れ惑ひ給へり」
――(源氏は)その昔、夕霧の御母葵の上が亡くなりました時の暁を思い出されるにつけても、あの時はそれでも正気があったのか、月の面がはっきり見えたものを、今夜は目の前がただ真っ暗なのでした――

◆あへなく=敢へ無く=張り合いがない、あっけない。

◆いみじ=甚だしい。なみなみでない。

◆いつかしき御身=厳しき御身=高貴な御方

ではまた。

源氏物語を読んできて(669)

2010年03月08日 | Weblog
2010.3/8   669回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(12)

 夕霧は、今をおいて紫の上を拝見できる折はないと思われると、慎みも無く急に涙があふれて、傍に仕えている女房たちが度を失って騒いでいますのを、

「『あなかま、しばし』としづめ顔にて、御几帳のかたびらを、もの宣ふ紛れに、引き上げて見給へば、ほのぼのと明けゆく光もおぼつかなければ、大殿油を近くかかげて見奉り給ひに、飽かず美しげに、めでたう清らに見ゆる御顔のあたらしさに、この君のかくのぞき給ふを見る見るも、あながちに隠さむの御心も思されぬなめり」
――(夕霧が)「さあ静かに、しばらくは」と制するふりをなさって、几帳の垂れ絹を、源氏に何か申し上げるに紛れて引き上げて、覗いてご覧になります。ちょうどほのぼのと明けかかる頃の光もまだおぼつかなくて、灯火を近くにかかげて源氏が見守っていらっしゃったのですが、紫の上のいつまでも見飽きぬ美しさ、見事さ、清らかさをとり集めたお顔の名残惜しさに、夕霧が覗いて見ておいでなのにも、源氏は無理に隠そうともなさらないでいらっしゃる――

 源氏は、

「かく何事もまだ変わらぬ気色ながら、限りのさまはしるかりけるこそ」
――こうして何事も生前と変わりない様子なのに、やはりもうはっきりと死相が現れてきている。ほんとうに悲しい――

 とおっしゃって、源氏は袖をお顔に押し当てて泣いておられ、夕霧も一緒に涙にくれて目も見えないような時に、

「しひてしぼりあけて見奉るに、なかなか飽かず悲しきこと類なきに、まことに心惑ひもしぬべし」
――(夕霧は)無理に涙を絞って目を開けてご覧になりますと、いっそう堪えにくく悲しみが増して、心もあやしくかき乱されそうです――

「御髪のただうちやられ給へるほど、こちたくけうらにて、露ばかり乱れたる気色もなう、艶艶と美しげなるさまぞ限りなき。燈のいと明きに、御色はいと白く光るやうにて、とかくうち紛らはす事ありし現の御もてなしよりも、いふかひなきさまに、何心なくて臥し給へる御有様の、飽かぬ所なし、と言はむもさらなりや」
――(亡くなったばかりの紫の上は)お髪が無造作にうち置かれていらっしゃっても、ふさふさと美しく、燈火がたいそう明るい中でも、お顔色は白く透きとおるようです。
何かと御身をお繕いになることがおありだった生前よりも、このように意識の無い状態のお姿の申し分ないというのも、今更申し上げるまでもない類まれな御方というべきです。――

 紫の上の美しさをご覧になった夕霧は、ご自分の魂も絶え入りそうで、いっそのこと、そのままこの亡骸に留まればよいと思わずにはいられませんが、それも無理な願いというものでしょう。

◆しるかりけるこそ=はっきりと知ることになってしまった。

◆けうらにて=清らにて

◆源氏は紫の上を夕霧には絶対に逢わせなかった。若き日の自分と藤壺のことがあったので、警戒した。

ではまた。

源氏物語を読んできて(668)

2010年03月07日 | Weblog
2010.3/7   668回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(11)

源氏はさらに続けて、

「この世には空しき心地するを、仏の御しるし、今はかの暗き道のとぶらひにだに頼み申すべきを、頭おろすべき由ものし給へ。さるべき僧たれかとまりたる」
――(紫の上が)もうこの世に戻る望みはなさそうですが、仏のご利益をせめて今は冥途の供養としてお頼りしようと思うのです。剃髪の事を取りはからってください。誰かそれを行うことのできる、しかるべき僧が残っているだろうか――

 などとおっしゃるご様子も、強いて気をお強く持とうとなさっておいででしょうが、お顔色も青ざめて、耐えかねる悲しみに、涙をとめどなく流していらっしゃるのを、夕霧はごもっともと切なくお見上げなさる。

 父君のお申し出に、夕霧は、

「御物の怪などの、これも、人の御心乱らむとて、かくのみ物は侍るめるを、然もやおはしますらむ。さらば、とてもかくても御本意のことは、よろしき事に侍るなり。一日一夜にても、忌む事のしるしこそは、空しからずは侍るなれ。(……)」
――物の怪などが人の心を乱そうとして、こうしたことがよくありますが、これもその例でしょうか。さようであれば、とにもかくにもご出家は結構なことでございます。一昼夜でも受戒をなされば、その効験はあるものと聞いております。しかし(本当に死んでしまわれてから、御髪だけをお落しなさっても、後世の特別な功徳にもならないと存じますし、目の前の悲しみばかり増すようでは、どんなものでしょう)――

 と、御忌中に参り籠るような篤志があって残っている僧のだれかれを召して、受戒に関することを、しっかり執り行いました。

 夕霧はお心の内で、

「年頃何やかやと、おほけなき心はなかりしかど、いかならむ世に、ありしばかりも見奉らむ、ほのかにも御声をだに聞かぬことなど、心にも離れず思ひ渡りつるものを、声はつひに聞かせ給はずなりぬるにこそはあめれ、空しき御遺骸にても、今一度見奉らむの志かなふべき折は、唯いまより外にいかでかあらむ」
――今までずうっと、義母の紫の上に対して、なにやかやと大それた気持ちを持ったわけではありませんでしたが、いつかは、あの野分(のわき=台風)の朝、ちらっとお姿を拝見したくらいの垣間見ができようか、ほんのちょっとのお声だけでもお聞きする折もなくなってしまったのであろうか、せめて御遺骸であっても、もう一度拝見したいが、その望みが叶いそうな折は、今を置いて外にはないであろう――

◆写真:源氏物語絵巻・復元模写  「御法の巻}紫の上を見舞う源氏。

ではまた。


源氏物語を読んできて(667)

2010年03月06日 | Weblog
2010.3/6   667回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(10)

 横になられた紫の上のご様子が、いつもと違って大そうお苦しそうで、明石中宮は紫の上のお手を取って泣きながら見守っていらっしゃると、

「まことに消えゆく露の心地して、限りに見え給へば、御誦経の使ども、数も知らず立ち騒ぎたり」
――真実ほんとうに消えゆく露そのままに、今がご最後のご様子ですので、ご祈祷の僧をお頼みに行く使いの者達が右往左往して騒いでおります――

「前々もかくて生き出で給ふ折にならひ給ひて、御物の怪とうたがひ給ひて、夜一夜さまざまの事をしつくさせ給へど、かひもなく、明けはつる程に消え果て給ひぬ」
――(紫の上は)前もこんな状態で蘇生された時の例にならわれて、源氏は今度も物の怪の仕業であろうとお疑いになって、一晩中さまざまの修法の限りを尽くされましたが、その甲斐もなく、夜の明けきる前にお亡くなりになったのでした。――

 明石中宮も内裏にお帰りになる前に、こうして紫の上のご臨終にお逢いになったことを、やはり深いご縁とお思いになります。どなたも死はまぬがれ得ないこととはご存知でも、そのようなご分別などお忘れのように悲しみに包まれておいでです。
お側に仕える女房たちは皆正気を失っていますし、源氏もご自分ではお心を鎮めようもなくて、この時は、分別をもって動いている人は一人もいないのでした。

 ようやく源氏は夕霧をお側に呼び寄せられて、

「かく今は限りのさまなめるを、年頃の本意ありて思ひつる事、かかるきざみに、その思ひたがへて止みなむがいとほしきを、御加持に侍ふ大徳たち、読経の僧なども、皆声やめて出でぬなるを、さりとも、立ちとまりてものすべきもあらむ」
――いよいよ紫の上もご最後のようで、年来の宿願であった出家の事を、この間際に希望に背いたままにしてしまうのが可哀そうでならない。加持の僧や読経の僧などもみな声を止めて退出したようだが、少し居残っている者もいるであろうか――

 と、源氏は気も転倒なさったようにおっしゃいます。

◆旧暦の秋は7月~9月。紫の上の死は8月15日で満月とされる。満月は当時の人々にとって忌むべき夜。葵上は8月20日。かぐや姫は満月に月に上った。

ではまた。