信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

失意から脱出

2009年11月14日 18時16分17秒 | Weblog
昨夜は相当な量の雨が降った。
天気予報は当たり、花金の夜はご苦労さんとビールを飲んでも何だか盛り上がらない。
炬燵でごろ寝をしていたら、友人の奥様から電話が入り、完全に目が覚めた。
この2ヶ月に渡り、先輩兼友人兼恩人兼兎に角私が信州へ移り住む先達をしてくださったご夫婦である。
家族と共に何度も宿泊し美味しい食事を頂き、広いお風呂に浸かり、夜更けまで話をし居心地のよさは比を見なかった。
今年の春、私が目の手術をしたときは、こうありたいという反省と目を開かせられたお見舞いの品を頂いた。

人生何があるかわからない。
恩人は10月急遽、近燐の病院から東京の大学病院へ転院していった。
2日ほど前2回目の手術が終わった。
主治医は神の手といわれる消化器外科の教授である。
しかしその先生でさえも、自分の手術暦でこの病気は17人しか経験がなく、しかも再手術になるのは、2人しか経験していないと言われるほど難しい困難なケースであったと言う。
後は神様にお願いするしかない。

長い都会生活を離れ、定年後の移住先に八ヶ岳の麓を選び、ゆっくりと自然を楽しみ、絵を描き、地元のため八ヶ岳の景観を守る活動をし、何で難しい病気のとりこになったのか・・・・。

毎日の仕事があるため、東京まで飛んでいけないジレンマに駆られながら、2回目の手術の成り行きを心中に抱えた。

完全とまでは行かないが、教授は安全なこの先の回復を狙い、一気にすっぱり根こそぎ取り去る方法を提唱する准教授と論争し、もやもやは残るが命取りになることは避けた。

時間が解決してくれる。
術後には寒さは禁物だから、この八ヶ岳へ戻ってこれるのは大分先かもしれない。
けれど何だかわからない病気を見つけるために2ヶ月かかって検査を進め、最も恐い胆管がんと診断され、開けてみたら肝臓の中にもがんがあり再手術となった。
無念、無念の言葉しか出ないが、神の手と最先端の医療のお陰で手術まで出来たので、今後は祈るしかない。

今月インフルエンザの予防接種に振り回され、通常業務以外に相当な量の仕事をこなし夕食の後は、炬燵で横にならないと疲れが取れなかった。
自分が怠け者になったと秘かに恐れた。
しかし恩人の病状と、業務量の拡大とでなるべくしてなったため、本来なら楽隠居しているはずが同級生に眉をひそめられ、走り続けている自分は年だからとはいえなくなった。

今朝まで続いた嵐が静まり、用事があってお昼頃に茅野まで車で出かけた。
雨に洗われて紅葉が濃く映えて最後の秋の景色となった。



 


標高差があり、1,150㍍の我が家付近はもう葉が散って木々は裸になった。




この2ヶ月、アメリカ旅行から帰って、一時元気がもりもりだったが、事故や恩人の病気や、忙しい仕事のためいつしかくたびれ果てた人間になっていた。
映画で渡辺謙の沈まぬ太陽を観て、恩地元という主人公の生き方に感動したが、反面自分の気持ちは沈んだ。

けれど、昨夜の手術の報告を受けて、やっと心が明るくなり、やる気が出てきたようである。