1昨年の1月亡くなった母親の3回忌が千葉の実家で行なわれた。
まだ2年しか経たないが、法事は数えで行なうから1周忌が終わって間もないのに、もう?といった感じだ。
前倒しでこの3連休に行なわれ、21日の土曜日に中央道を高速バスで新宿まで乗り、東京八重洲口から銚子行きの高速バスの乗り継ぎで約6時間の旅になる。
荷物は持たないように最小限にとどめたが、お土産を買ったら、旅行鞄は投げ捨てたくなるほど重たくなった。
バスの乗り継ぎだからと高をくくっていたが、新宿で待ち合わせをしたムスメはカート付きかばんでスイスイ歩き、老いた母親は健気にも大きな鞄を持って全身の筋肉を総動員だ。
数日後にやってくる筋肉痛を恐れなければならない。
犬達を数日間動物病院へ預けるため車に乗せて向かったが、どうも行く先を感づいたらしく、あほみるきいが後部座席でうるさく吠えるわ、毎度旅行の度に登場するシーンである。
3連休の初日とあって、高速バスは満席で、全員を睡眠のまま運んでくれるので、バスの中はシーンとして最初から最後まで静かである。
11時に原村を出発したが、銚子についたのが夕方6時で、直ぐに夕食会となった。
漁港らしく、魚の料理オンパレードであるが、食べきれなく、皆歳をとったせいか
残った料理の方が多かった。
娘も入れて我々兄妹と姉の夫も入れて6人であるが、以前より段々食べる量が減って
きているのが良くわかる。
ただし、食べられなくなったがしゃべる量はすごい。
皆それぞれ話が弾みすぎあっちへ行きこっちへ行き、話はちっともまとまらず賑やかなことこの上ない。
1年ぶりの顔合わせだが、昨年よりてんでんばらばらにしゃべるから話はどんどんずれていく。
翌日、午前中にお寺さんでの法事が行なわれた。
昨日と打って変わって底冷えのする寒い日となった。
だだっ広い本堂でお経を聞き、昨年より、母を亡くした悲しみが薄れているのに気付いた。
法事が終わり、お清めをして一段落してから、又東京駅までバスで戻り、新宿から原村まで引き続きバスの乗り継ぎで帰ってきたが夜の10時半に到着した。
神奈川の姉は6時半に家に着いたというが、私が原村に着く頃にはもう寝ているという話である。
兄妹3人が揃ったがその伴侶も入れて、話があっちこっちへ行き、これは老化現象かもしれないと思う。
人の話をじっくり聞かず、兄妹の順列は全く変わらず、末っ子の私は60過ぎても、相変らず末っ子のままで、発言する場面はとても少ない。
皆それぞれ子供たちも独立しているが、話がまとまらないことや、共通に感じたのが子供たちは既に親を相談相手にせず、心配かけるから困った話は耳に入れない存在になってしまったのであることだ。
写真を撮ると世代交代は確実にやって来て、親の法事が終わったが自分達の命もままならない姿顔かたちになっている。
3連休でありがたい。
実家は遠く、往復すると2日間はつぶれ、3日目の今日は疲れを振り捨てて、終日飛び回り漬物漬けから庭の片付け物に追われ、暖かな冬の休日は終わって行った。
明日から体に残った重い荷物を持ったための筋肉痛が暫く何日か留まるのであろう。
まだ2年しか経たないが、法事は数えで行なうから1周忌が終わって間もないのに、もう?といった感じだ。
前倒しでこの3連休に行なわれ、21日の土曜日に中央道を高速バスで新宿まで乗り、東京八重洲口から銚子行きの高速バスの乗り継ぎで約6時間の旅になる。
荷物は持たないように最小限にとどめたが、お土産を買ったら、旅行鞄は投げ捨てたくなるほど重たくなった。
バスの乗り継ぎだからと高をくくっていたが、新宿で待ち合わせをしたムスメはカート付きかばんでスイスイ歩き、老いた母親は健気にも大きな鞄を持って全身の筋肉を総動員だ。
数日後にやってくる筋肉痛を恐れなければならない。
犬達を数日間動物病院へ預けるため車に乗せて向かったが、どうも行く先を感づいたらしく、あほみるきいが後部座席でうるさく吠えるわ、毎度旅行の度に登場するシーンである。
3連休の初日とあって、高速バスは満席で、全員を睡眠のまま運んでくれるので、バスの中はシーンとして最初から最後まで静かである。
11時に原村を出発したが、銚子についたのが夕方6時で、直ぐに夕食会となった。
漁港らしく、魚の料理オンパレードであるが、食べきれなく、皆歳をとったせいか
残った料理の方が多かった。
娘も入れて我々兄妹と姉の夫も入れて6人であるが、以前より段々食べる量が減って
きているのが良くわかる。
ただし、食べられなくなったがしゃべる量はすごい。
皆それぞれ話が弾みすぎあっちへ行きこっちへ行き、話はちっともまとまらず賑やかなことこの上ない。
1年ぶりの顔合わせだが、昨年よりてんでんばらばらにしゃべるから話はどんどんずれていく。
翌日、午前中にお寺さんでの法事が行なわれた。
昨日と打って変わって底冷えのする寒い日となった。
だだっ広い本堂でお経を聞き、昨年より、母を亡くした悲しみが薄れているのに気付いた。
法事が終わり、お清めをして一段落してから、又東京駅までバスで戻り、新宿から原村まで引き続きバスの乗り継ぎで帰ってきたが夜の10時半に到着した。
神奈川の姉は6時半に家に着いたというが、私が原村に着く頃にはもう寝ているという話である。
兄妹3人が揃ったがその伴侶も入れて、話があっちこっちへ行き、これは老化現象かもしれないと思う。
人の話をじっくり聞かず、兄妹の順列は全く変わらず、末っ子の私は60過ぎても、相変らず末っ子のままで、発言する場面はとても少ない。
皆それぞれ子供たちも独立しているが、話がまとまらないことや、共通に感じたのが子供たちは既に親を相談相手にせず、心配かけるから困った話は耳に入れない存在になってしまったのであることだ。
写真を撮ると世代交代は確実にやって来て、親の法事が終わったが自分達の命もままならない姿顔かたちになっている。
3連休でありがたい。
実家は遠く、往復すると2日間はつぶれ、3日目の今日は疲れを振り捨てて、終日飛び回り漬物漬けから庭の片付け物に追われ、暖かな冬の休日は終わって行った。
明日から体に残った重い荷物を持ったための筋肉痛が暫く何日か留まるのであろう。