礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

映画『或る夜の出来事』(1934)についての誤解

2013-07-09 04:32:27 | 日記

◎映画『或る夜の出来事』(1934)についての誤解

 本日も、アテネ文庫(弘文堂)の『映画作品辞典』の引用から。同辞典の「或る夜の出来事」の項には、次のようにある。

或る夜の出来事“It Happened One Night”(米.コロンビア.1934) 父に勘当されて,許婚〈イイナズケ〉のもとに走る富豪の令嬢と,長距離バスに乗合わせた失業新聞記者との道中,意地の張り合いが,いつしか恋と変つて,田舎の安宿に晴れて実を結ぶまで,快適なテンポに新鮮なギャグとユーモアをまき散らす,これぞソフィスティケイテッド〔教養人向け〕・コメディの典型ともいうべき快作.作品,男優,女優,監督,脚本と,アカデミー賞の主要部門を総ざらいにして主演のクローデット・コルベールとクラーク・ゲーブル,監督のフランク・キャプラ,脚色のロバート・リスキンの,何れにとっても記念すべき出世作となった.

 例によって、よくまとまった紹介であるが、惜しいことに事実の誤認がある。クローデット・コルベールが演じる富豪の令嬢は、ある飛行士との間で、すでに婚姻届の手続きをすませていた。しかし、父親がこの結婚を許さず、娘をマイアミの船上に監禁し、飛行士と令嬢との結婚は、事実上、阻止されていた。令嬢は、その船から海に飛び込んで逃亡し、ニューヨークに向かう長距離バスの乗車する。そこで、クラーク・ゲーブル演ずる失業新聞記者と出会うという設定である。したがって、「父に勘当されて,許婚のもとに走る富豪の令嬢」とあるところは、「父による監禁を逃れ、夫のもとに走る富豪の令嬢」などと訂正しなければならない。

 私は、この映画をKEEP(キープ株式会社)の「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」シリーズで鑑賞したが、その「解説」にも誤りがあった。これは、最初の部分だけ、引用しておく。

 親の押し付けた結婚を嫌って、結婚式の船上から海へ飛び込んでしまう。ヒッチハイクを続ける彼女と一緒になったのは敏腕の新聞記者。【以下略】

 こちらの誤りは、『映画作品辞典』以上にひどい。特に、「親の押し付けた結婚を嫌って、結婚式の船上から海へ飛び込んでしまう」とあるところは、訂正のしようがない。令嬢が、最初に新聞記者に出会うのは、長距離バスの中であるから、「ヒッチハイクを続ける彼女と一緒になったのは」という一文も、おかしい。なお、この解説が、水野晴郎〈ミズノ・ハルオ〉の執筆によるものかどうかは不明。
 このように、この映画の紹介文には、誤解がつきまとっている。しかし、映画そのものは心憎い傑作であり、「ソフィスティケイテッド・コメディの典型」という『映画作品辞典』の評価も、当たっていると思う。

*礫川の新刊『日本保守思想のアポリア』(批評社)に対して、青木茂雄氏から、メールで、次のような「書評」をいただいた。よく著者の意図を汲んでいただいており、過褒と思える部分も含め、うれしい書評であった。最後に「今こそが真性の保守主義の出番」という氏の見解があるが、これについては、次回お目にかかったおり、じかにジックリ伺ってみたいと思っている。

「在野史家」の礫川全次さんの力作、一気に読み通しました。久しぶりに知的にスリリングな気分を味わいました。
  戦前の日本において猛威を振るった「國體」という観念が、少数の人間の頭の中で考案され、一般に流布されるようになるまでの過程の分析は、推理小説を読むような面白さでした。
 伊藤博文らが異国の地でシュタインから何を感得したか、元「ヘーゲル左派」の老シュタインが、はるか東の果てからやってきた若者たちにどういう理想を伝えようとしたのか……。興味は尽きません。
 また、著者の言うように、この国には「復古」を語り、「保守」を語る者はいても、真性の保守主義は存在しませんでした。しかし、今こそがその出番なのではないでしょうか。(青木茂雄)

コメント
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