◎筈見恒夫・清水晶『映画作品辞典』(1954)の「はしがき」
ここのところ、アテネ文庫(弘文社)の筈見恒夫・清水晶『映画作品辞典』(一九五四)を、連続して採り上げている。
同書の「はしがき」は、まだ紹介していなかったので、本日は、これを紹介してみよう。
はしがき
映画について勉強したいが,文学や何かと違つて,古い作品を実際に見ることが出来ないということはよく聞く言葉である。
このささやかな辞典は,そうした声に応えて,過去の名作の輪郭をせめて文字の上だけでも簡単に伝えたいという意図のもとに編まれたものである。やがて六十年になろうとする映画の歴史を通じて,何らかの文化史的意議を持つと思われる作品数百本を選んでみたが,その選出は厳密な基準があるわけではない。
*印を付したものは,サイレント映画。ベスト・テンの順位は権威と伝統を誇る「キネマ旬報」選出のものによつた。
筈見 恒夫
清水 晶
すなわち、この「ささやかな小辞典」は、「古い作品を実際に見ることが出来ない」映画愛好家のために、「過去の名作の輪郭」を、文字の上で伝えるために、編まれたものであった。この小辞典のおもしろさは、著者のそうした意図に由来するものと言えるだろう。
*礫川の新刊『日本保守思想のアポリア』(批評社)に対して、備仲臣道〈ビンナカ・シゲミチ〉氏から、メールで、次のような「書評」をいただきました。この書評は、氏がすでに、フェイスブックで発表されているものだそうです(未確認)。
書評にも触れられていますが、備仲氏と私は、2009年に、『攘夷と皇国』という共著(対談記録)を上梓したことがあります。なお、備仲臣道氏のプロフィールについては、ウィキペディアを参照いただければと思います。
礫川全次『日本保守思想のアポリア』という本を著者からいただいた。まえがきによると、この本は①明治維新②戦時中における国家総動員体制への移行③戦後改革という変革、をどう位置づけたらいいかを、「國體」を切り口として考察したものだという。
まだ全部を読んだわけではないけれど、はじめのところに、自民党の憲法改正草案について、この作成者は憲法の本質を知らないか、あえて無視しようとしているのではないか、とあるところに深い興味をおぼえた。天皇主権を定めた大日本帝国憲法においてさえ、守られていた立憲主義の原則がないがしろにされているのであって、憲法で国民を縛るというならば、暗黒時代の入口に、いま私たちは立たされているという、由々しき事態ではないのか─―これは私の考えであるが。
ご誓文とデモクラシーという章から説き起こして、読み応えのある本で、だから、あとはお手に取ってお読みいただきたい。蛇足ながら、礫川さんと私は『攘夷と皇国』という本の共著者である。(四六判195ページ、1800円+税、批評社)