◎麻生財務相の「ナチス発言」問題を振り返る
国際的な問題となった麻生太郎財務相の「ナチス発言」問題だが、ここのところ急速に、マスコミの話題から遠ざかろうとしている。この段階で、少し、この問題について振り返ってみよう。
この間、いろいろな報道に接したが、最も強烈な印象を与えたのは、日刊ゲンダイの八月五日号(八月三日発売)の第三面に載った記事であった。
これを読んだことで、麻生財務相の発言の背景がみえてきた。すなわち、安倍内閣は、当初考えていた憲法改正が、それほど容易でないことに気づき、解釈改憲の方向を先行させようと考えはじめたのであろう。いわゆる「いつの間にか変わっている」方式である。
「いつの間にか変わっている」方式は、必ずしも麻生財務相のオリジナルではなく、安倍内閣の方針変更の過程で、すでに閣内で合意されていたのであろう。同様に、「ナチスの手口に学べ」という言葉も、麻生発言の前に、すでに閣内でささやかれていた可能性がある。正直で口の軽い麻生財務相が、ついそれを公の席に出してしまったといったところか。
この場合、「ナチスの手口」とは、憲法の根幹を、強引な政治手法によって変えてしまう手口を指す。日刊ゲンダイ記事は、その「手口」を、法制局長官の人事問題に見出している。
以下に、その記事を紹介する。
〇この政権はとっくに学んでいる
〇憲法の番人の交代はナチスの手口
「憲法改正はナチスに学べ」という麻生の妄言は“大バカ大臣の失言”で片付けてはダメだ。なぜなら、安倍政権はとっくに「ナチスの手口」を学んでいる。それが如実に表れたのが「憲法の番人」、内閣法制局のムチャクチャな人事だ。
安倍は内閣法制局の山本庸幸長官(63)を退任させ、後任に小松一郎・駐仏大使(62)を充てる方針を固めた。8日にも閣議決定されるが、憲法解釈を堅持する立場の内閣法制局は、改憲派の安倍にすれば「目の上のたんこぶ」。そのトップ交代は安倍の独断専行、ゴリ押しで決まった。【中略】
「外務省出身の長官も初めてなら、法制局未経験者の起用も初めて。長官になるには、憲法解釈を内閣に答申する法制局第1部の部長を経て、法制次長を歩むという過去60年に及ぶ慣行があります。職務の専門性や、行政、法律、憲法解釈の継続性を考えれば妥当なルールですが、安倍首相はなりふり構わず、あくまで自分と同じ考えの長官起用にこだわったのです」(霞が関事情通)
今回の人事について安倍サイドは、解釈変更に断固反対の公明党に一切、連絡を入れなかった。さらに小松氏の手足となって働く法制局第1部の参事官には、安倍の地元・山口県庁に出向経験のある総務省の課長級キャリアを抜擢。これだって法制局に「安倍流」を押し付ける人事だ。
考えの異なる人物をパージし、自分に好都合な人材を後任に据えるためなら、どんな禁じ手も犯す。この手口は、ナチス同然の恐怖政治そのものではないか。
「憲法9条の解釈変更に邁進する安倍内閣は、中国の海洋進出や北朝鮮危機を必ず結びつけようとする。この姿勢もナチスを彷彿させます。ナチスは第1次大戦の戦勝国である欧州諸国との対立を煽って、ドイツ国民を鼓舞。ナショナリズムの狂騒のドサクサで、独裁を許した『全権委任法』を成立させ、事実上ワイマール憲法を葬り去ったのです。麻生発言のように『誰も気づかないで変わった』わけではありません。安倍政権はナチスの手口で平和憲法をなきものにする気なのでしょうか」(立正大教授・金子勝氏=憲法)
安倍政権はナチスと同じ独裁の道を着々と前進している。
八月四日の東京新聞のコラム「筆洗」は、この記事に比べれば冷静で抑制的だが、ほぼ同旨。
このほか、この間に、自民党の改正草案が出たときに騒がず、麻生発言が出て騒ぐのはおかしいという新聞記事(あるいは読者の投稿)を読んだ。正論だと思ったが、今、それを特定できないことを遺憾とする。
今日の名言 2013・8・10
◎安倍政権はとっくに「ナチスの手口」を学んでいる
日刊ゲンダイの八月五日号(八月三日発売)第三面に載った記事に出てくる言葉。上記コラム参照。