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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

サルマタを脱いだ『人間の歴史』(安田徳太郎)

2015-04-05 09:00:05 | コラムと名言

◎サルマタを脱いだ『人間の歴史』(安田徳太郎)

 本日も、神吉晴夫著『カッパ兵法』(華書房、一八六六)から。神吉は、同書の第五章「サルマタを脱いだ『人間の歴史』」で、ベストセラーとなった安田徳太郎著『人間の歴史』について、出版にいたる経緯などを語っている。
 本日は、これを紹介してみよう。最初の二節は割愛して、第三節から紹介する。

〝イワシの頭〟と闘ってきた学者
「絶望の精神史――一兵士の洞窟日誌」の企画は、実現できなかった。
 しかし、戦争というギリギリの情況のなかで、赤裸々にむきだされる日本人の姿を追求し、日本人であることの栄光も悲惨もしっかりと見きわめたいという光文社創業時いらいの私の執念は、すこしも、衰えるものではなかった。
 私は、だから、機会あるごとに、日本人とは、いったい、なにものなのか。この問いに、科学的な答えを出してくれる人はいないものか。私は、まだ、だれともわからぬその人を求めつづけていた。
 あるとき、教育学者の宮原誠一さん(現在、東大教授)をたずねたときも、私は、かねてからもっていたあの疑問を話してみたのである。
「僕のこの気持ちに共鳴して、日本人の歴史を書いてくれる学者はないもんでしょうか。」
「むずかしい問題だけど、神吉さん、安田徳太郎さんなら、どうだろう?」
 よくは知りませんが、産児制限問題の大家で、山本宣治のいとこかなにかにあたるお医者さんでしょう? 共産党にも関係があったんじゃないですか?」
「ええ、ずっと以前のことでしょう。〝赤い医者〟として、大学を追われましたが、共産党員だったわけじゃなく、シンパだったんですが、戦後は共産党がバカバカしくなり、もっぱら町医者をしてますよ。ごく庶民的な人だし、たいへんな読書家で、おもしろい人ですよ。」
 安田徳太郎さんは、明治三十一年〔一八九八〕、京都に生まれている。テロの凶刃〈キョウジン〉に倒れた山本宣治のいとこ(従弟)である。安田さんの父という人は、山本宣治の母と姉弟だったが、安田さんぱ六歳のとき、父を失って山本宣治の家、宇治の料亭として知られていた「花やしき」に引きとられ、九つ年上の宣治といっしょに育った。
 安田さんは、早熟〈ワセ〉な読書家で、徳富蘆花の小説『不如帰』〈ホトトギス〉や島崎藤村の『破戒』を丸暗記するまで読み、十四歳で日本の文学を卒業してしまったそうだ。京都大学の医学部の学生時代は、第一次大戦後のインフレのため、ドイツ、フランスなどから、紙クズ代みたいな値段で洋書をどっさり買うことができた。当時、日本では珍しかった『フロイト全集』や、今日、世界の稀覯本〈キコウボン〉となってしまったフックスの膨大な六巻本『風俗の歴史』を買いこんだのも、このころのことだ。
 のちのちのことになるが、歴史学者の服部之総〈ハットリ・シソウ〉さんが、『人間の歴史』全六巻は、安田徳太郎さん自身の、不屈な、科学する自伝である、といっていた。まったくのところ、安田さんの半生は、『人間の歴史』と同じように、サルマタをぬいでフルチンの、真っぱだかになり、イワシの頭のようなニセの権威と闘いどおしの半生だった。
 日本人の性生活調査をやってニラまれ、貧しい人びとに医療の手をのべようとすると「アカ」だと大学を追われ、フロイトを紹介すると「山師」〈ヤマシ〉だと叱られた。
「ドイツ大使館にいる友人が肺炎になっている。みてやってくれ。」
と駆けこんできた共産党員の画家・宮城与徳〈ミヤギ・ヨトク〉に、特効薬サルファビリジンを渡したことから、国際的なスパイ事件〝ゾルゲ事件〟に連座した。肺炎になっていた男というのが、ゾルゲだったのである。安田さんは特高〈トッコウ〉につかまり、留置所にほうりこまれ、
「このバカヤロー、てめえはゾルゲの病気をなおして、生命〈イノチ〉を助けたんだぞ。ふざけたまねをしやがって。」
と、鬼警部からビンタを食わされた。
 ほかの医者中がやっていない最新の化薬療法をやると、医師会から総スカン。医者がアホらしくなって、本を書くと、こんどは大学の先生から叱られる。
 安田さんは反骨の異端児である。民衆の学者なのである。【以下は次回】

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