◎岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』と佐藤通次
文部省版『独逸国民に告ぐ』の凡例は、全三項からなっていた。一方、岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の凡例は、全五項からなっていた。後者においては、凡例の年月が「昭和三年二月」となっている。すなわち、後者における第四項と第五項は、大津康訳『独逸国民に告ぐ』が岩波文庫に収録される際に、つまり、1928年(昭和3)年の段階で付け加えられたものである。
ここで、第四、第五の両項を再掲してみる(引用は、『改訂 ドイツ国民に告ぐ』から)。
一、本書は大正六年九月、「時局に関する教育資料」として、文部省普通学務局にて上梓したものを、今回文部省の好意ある許諾を得て、岩波文庫の一篇としたものである。謹んで同局に謝意を表する。
一、訳者は六年前に長逝せられ、本年二月四日は丁度その七周忌にあたる。本書の翻訳は同氏以前に幾人もこれを試みられたが、難解苦渋何人もこれを判途に放擲した。大津氏を俟つて初めてこれを完成されたことを特記する。
この両項を執筆したのは誰だったのだろうか。岩波書店の編集者だった可能性もあるが、ドイツ文学者の佐藤通次(さとう・つうじ、1901~1990)だった可能性が高いのではないか。
佐藤通次は、1940年(昭和15)3月に、岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』が「改版」される際に、大きくこれに関与している。文部省版『独逸国民に告ぐ』が岩波文庫に収録された際に、すでにこの収録に関与していたと見ても不思議ではない。
一昨日は紹介しなかったが、『改訂 ドイツ国民に告ぐ』の5ページ(「凡例」のあと)には、次のような一文が置かれている。
改 訳 者 序
大津氏未亡人及び岩波書店の委嘱により、全篇にわたつて補筆を加へるに当り、原訳の暢達〈チョウタツ〉の文勢を力めて〈ツトメテ〉保持しつつ、古き訳語を現代学界通用の訳語をに改め、且つ全体を種々の点に於て一段と原文に接近せしめた。業成るにあたり、微力にして名訳の名を謳はるる〈ウタワルル〉大津氏の業績を汚すことなかりしやを恟るる〈オソルル〉のみである。
昭和十四年八月一日 佐 藤 通 次
これによって、1940年(昭和15)3月におこなわれた、岩波文庫『独逸国民に告ぐ』の「第十六刷改版」は、実質的には、佐藤通次による「改訳」であった事実が判明する。そして、この「改訳・改版」を、岩波書店は、「改訂」と称したのである。明日は、この間に提供した話題について小括を試みる。
文部省版『独逸国民に告ぐ』の凡例は、全三項からなっていた。一方、岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の凡例は、全五項からなっていた。後者においては、凡例の年月が「昭和三年二月」となっている。すなわち、後者における第四項と第五項は、大津康訳『独逸国民に告ぐ』が岩波文庫に収録される際に、つまり、1928年(昭和3)年の段階で付け加えられたものである。
ここで、第四、第五の両項を再掲してみる(引用は、『改訂 ドイツ国民に告ぐ』から)。
一、本書は大正六年九月、「時局に関する教育資料」として、文部省普通学務局にて上梓したものを、今回文部省の好意ある許諾を得て、岩波文庫の一篇としたものである。謹んで同局に謝意を表する。
一、訳者は六年前に長逝せられ、本年二月四日は丁度その七周忌にあたる。本書の翻訳は同氏以前に幾人もこれを試みられたが、難解苦渋何人もこれを判途に放擲した。大津氏を俟つて初めてこれを完成されたことを特記する。
この両項を執筆したのは誰だったのだろうか。岩波書店の編集者だった可能性もあるが、ドイツ文学者の佐藤通次(さとう・つうじ、1901~1990)だった可能性が高いのではないか。
佐藤通次は、1940年(昭和15)3月に、岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』が「改版」される際に、大きくこれに関与している。文部省版『独逸国民に告ぐ』が岩波文庫に収録された際に、すでにこの収録に関与していたと見ても不思議ではない。
一昨日は紹介しなかったが、『改訂 ドイツ国民に告ぐ』の5ページ(「凡例」のあと)には、次のような一文が置かれている。
改 訳 者 序
大津氏未亡人及び岩波書店の委嘱により、全篇にわたつて補筆を加へるに当り、原訳の暢達〈チョウタツ〉の文勢を力めて〈ツトメテ〉保持しつつ、古き訳語を現代学界通用の訳語をに改め、且つ全体を種々の点に於て一段と原文に接近せしめた。業成るにあたり、微力にして名訳の名を謳はるる〈ウタワルル〉大津氏の業績を汚すことなかりしやを恟るる〈オソルル〉のみである。
昭和十四年八月一日 佐 藤 通 次
これによって、1940年(昭和15)3月におこなわれた、岩波文庫『独逸国民に告ぐ』の「第十六刷改版」は、実質的には、佐藤通次による「改訳」であった事実が判明する。そして、この「改訳・改版」を、岩波書店は、「改訂」と称したのである。明日は、この間に提供した話題について小括を試みる。
*このブログの人気記事 2025・2・4(8位の安重根、9位の猪俣浩三は、いずれも久しぶり)
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