◎川島なお美さんの死と難民問題
本日は、柏木隆法さんの「隆法窟日乗」を紹介したい。日付は、9月25日、通しナンバー541.おそらく、入院中に執筆された日乗であろう。
隆法窟日乗(9月25日)
女優の川島なお美が亡くなった。拙は深いつき合いがあったわけではないが、CBCの控室で一度会い話を交わしたことがある。拙は別の番組に出るために一時間ほど予定より早く行ったら、『お笑い漫画道場』の収録が終わったばかりで、控室が重なってしまった。そのために拙とかち合わせた。送迎の車がまだ来ていなかったから、その間拙と話して時間を潰していた。何を話したか記憶にないがまだ大学生だった。一つだけ覚えているのは川島との対話の中で小柳徹の事故死についてであった。『ホームラン教室』の大のフアンで、同じ守山区出身の小柳に憧れて芸能界入りをしたという。そんなことだけ覚えている。その後会うこともなかったが『失楽園』の出演には驚いた。一見尻が軽そうだが身持ちは堅く、軽々しく口説けないオーラのような防波堤が高く自己保身が強かった。拙の感想はそれくらいしかないが拙よりも年下の、しかも花のかんばせが今はもう一握りの御骨になってしまったかと思うと無常を感じる。拙の母は35にして結核に罹り、余命半年を宣告された。それから半世紀以上生きた。拙が今の病気に罹った時、体中に水が溜まり、余命三ヶ月を宣告されたが、あれから12年、まだ生きてる。余命宣言と云うのはあんまりアテにはならない。生きていてこれから何かいいことがあるとはとても思えない。かといって自殺する気にはなれない。現在、ドイツには戦火を逃れた難民が50万人も押し寄せている。ドイツに逃れてもいいことがあるわけではない。そのことは彼等もよく知っているはずだ。行くも地獄、留まるも地獄とあらば先に進むしかない。難民には難民の生きるという至上命題がある。国家の都合なんていうことは考えておられない。拙の友人の蜂須賀という男の母が拙に昔語りで満蒙開拓団が終戦で日本に帰る際、丁度あのシリア難民と同じような逃避行であったという。とりあえず生きていく努力が国際問題になること自体、どこかおかしい。そういっている政治家が自分に身に降りかかった災難だったとすればどうするのか。国に軍隊がなければ滅びてしまうから抑止力の点から最低の国防は必要というが。その軍隊がシリアの国民を追い出している。従軍慰安婦の問題が日本と韓国の間の深い溝になっているが、軍隊というのは個別的な責任を問われないから強姦もやり放題、軍服を着用していればジュネーブ協定によって兵士の権利は認められるからほとんど戦争責任は問われない。その軍隊の被害者が難民ならPKOは世界中の戦争難民救済にこそ協議すべきで、ヤルタ式の分割などやるべきでない。現在の集団的自衛権にはどこにも難民の救済法は一言も触れていない。川島なお美の死から随分と脱線したが、要は生きたくても生きられなかった人々のことである。自分がもし満蒙開拓団で関東軍から見捨てられ独力で日本に帰ってきた人々の群衆の中にあったとしたらどうするのだろうか。シリアの難民で沈みそうな船に乗って生国を政治家は脱出しなければならなくなったとしたらと想定するならば考えなければならなくなるだろう。拙にその最善の答えがあるわけではない。よりベターな考えはやはり戦争は非暴力を原則に立ち返るべきである。武藤という自民党議員は戦争へ行くことを嫌がる若者はエゴイムズだといっていたが、誰も口に出さなかった本音が出ただけで、背景には徴兵令復活見え隠れしている点であった。最低限の国防整備は喫緊の問題として中国や北朝鮮を仮想敵国に向けて軍備の拡張を図っているが、五年分のオスプレイ購入費は9兆3000億という。この金額は山口組の上納金に匹敵する。これに比べればオリンピックのメイン会場なんか鼻くその金額だ。どちらにしても10円玉を数えて取材していた拙なんぞ生きた記録も残らないだろう。政治家は血税を借しげもなく無駄遺いしても良心は咎めない。それに比して拙らは何故こんな苦労までして研究をやるのか。不条理だ。541
*都合により、明29日は、ブログをお休みし、30日に再開します。